河手賢太郎さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生7月分レポートの第1弾は河手賢太郎さんです。アメリカで学んだキリスト教の伝統を日本でも実行し、またイリノイで出会った友人とも ずっとコンタクトを保つことはとてもすばらしいことですね。これからもイリノイで出会った友人を大切にしていってください。

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IC 関係者の皆様

ご無沙汰しております

イリノイから帰ってきてからもう2カ月半経ちました。

ファイナルが終わった直後の5月第二週に日本に帰って来た私は、余韻に浸る余裕もなく、すぐに日本の大学に復学しました。授業の遅れを取り戻すのに必死で、なかなか留学全体を振り返る時間がとれませんでした。

ようやく落ち着いてきたのは6月30日のJIC総会の頃です。
帰国後も精力的に将来を模索し動き回る2006年度の奨学生の姿に元気づけられました。

次年度の奨学生のキラキラと輝く目に昨年の自分を思い出し、イリノイでの1年間がどれほど強烈に自分を変えたかを改めて実感しました。

帰国直前のファイナルに入る1週間前に、お世話になった友人に別れを告げて周りました。
忙しいなかおなじ寮のフロアに住む友人が送別会を開いてくれて、私もふくめ日中韓オリジンの約15名と共に円陣を組みお互いのファイナルの健闘を祈りました。

イリノイ大学で出会った約百数十人の友人。「もう一生会わない人もいるかもしれない。」と思うだけで悲しくなりますが、人生は旅。

縁があればまた何処かで会うことになるのでしょう。

帰国後すぐに、私は東大YMCA寮に移りました。

吉 祥寺の実家から寮に移ったのは、東大前駅の真上にあるという地の利もそうですが、イリノイでの寮生活に慣れ、帰国してからもこの寮生活で身につけた習慣を 継続したかったからです。そして何よりキリスト教的世界観に魅せられた私は信仰を保っていく拠り所が欲しかったという事情もあります。現在寮生は約20 人。賄いの方が料理をしてくれる以外は、寮内の清掃、会計、備品の調達、そして毎週ある行事の運営ほぼすべての寮生によって行われます。寮生が起居を共に し、コミュニティーを作り上げ維持していく生活は、まさしくイリノイ大学にあったFraternityです。GREEK に相当する3つのギリシャ文字はありませんが、あえて作れば、yμχαというところでしょうか(笑)。

120年の歴史をもつ東大YMCA寮は、1888年に片山哲、吉野作造、藤田逸男を含む9人により設立されました。この寮が輩出した人のなかには『夕鶴』の木下順二や森有正もいます。驚いたのは、1898年から始まった早祷日誌がいまでものこっていることです。

私はこの寮の一員として、伝統を守りつつも、イリノイのChristian Fellowshipでの活動を通して身につけたコミュニティー・ビルディングのノウハウをつかって、東大YMCA寮生の間の結束力を高めていこうと日々模索しています。

5月下旬には、イリノイでお世話になった友人BenとClaudiaが日本にやってきました。

昨年のサンクスギビングの時に実家に招待し てくれたこともあり、2人を私の家に招くことができたのは幸いでした。遠方からの友人を家に招き、地元で案内をするというのは不思議な感覚があります。井 の頭公園を歩き、伊勢谷の焼き鳥を食べ、商店街を練り歩くという、定番のコース。1年間のアーバナシャンペンでの自分と二十数年間の吉祥寺での自分とを結 びつける特別な時間でした。

また、浅草で御神輿を見て、歌舞伎座の團菊祭に行き、東大の五月祭に行きました。旬のイベントを楽しんでもらえたと思います。

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こうして奨学金申込の身上書に書いた“マニフェスト”が小さな形ではあれ実現できました。これからも決して終わらない私とアメリカとの関わりの序幕がこれでようやく降ります。
ここまでやってこられたのはすべてJICの皆様のおかげです。
どうもありがとうございました。

今後はJICの活動に積極的に関わっていきますので、どうぞよろしくお願い致します。

東京大学法学部4年
河手賢太郎

川島今日子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生7月分レポートの第2弾は川島今日子さんです。ビジネスコンサルティングなどのmock meetingを通して、机上だけではなく実際のビジネス体験もできたようです。また地域と一緒に作る大学、大学が作って行く地域の面白さは、イリノイ大 学でしかできない体験だと言えますね。

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JICの皆様、こんにちは。私は、矢のような速さで過ぎたイリノイ大学での9ヶ月を終えて、5月末に帰国しました。6月の総会では簡単な帰国報告をいたしましたが、この最終レポートでは春学期の授業の様子とイリノイ生活のまとめを書きたいと思います。

*春学期*

課題の多さにも慣れた春学期は、勉強のペースを掴み、余裕を持って生活することができました。組織コミュニケーションのクラスでは、グループワークがあ り、最終授業でのプレゼンテーションが課せられました。これは、実在の企業の経営問題について企業内のコミュニケーションに焦点を当てて改善策を提示する という、ビジネスコンサルティングのシミュレーションのような課題でした。秋学期も複数のグループワークがあり、その時は話し合いを重ねるうちグループが 仲良くなり、ピザを食べたりしながら楽しく議論を交わせたのですが、今回は少し違いました。特定の3人しかミーティングに集まらなかったり、役割分担がス ムーズに決まらなかったりとうまく話し合いが進みませんでした。原因は仕事をもつグループメンバーに時間的制約があることや、メンバーのモチベーションに 差があることでした。しかし、やる気のある者ばかりが焦りを感じても、グループの士気は上がりません。そこで、メールや電話で密に連絡をとり、授業前後の 時間で小規模のミーティングを重ねました。最後にはグループの雰囲気が盛り上がり、夜の図書館でわいわいとプレゼン準備をしました。この授業で面白かった のは、実際のビジネス現場でのクライアントに対するプレゼンテーションを想定して、会社名やロゴを創り、全員スーツを着て、プロフェッショナルな振る舞い を心掛けるという点でした。私のグループは、クラスにリラックスして聞いてもらうためにコーヒーとドーナツを用意し、要点を整理して伝えるためにプレゼン の内容をまとめたパンフレットを配りました。結果的に私達のプレゼンテーションは成功し、教授からも最高の評価をもらいました。この課題を通して、グルー プコミュニケーションの難しさと楽しさを教科書の理論よりも実体験として学んだように思います。

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また、私がこの一年とても楽しんだクラスはタップダンスでした。タップダンスってなんだか面白そうという軽い気持ちで始めましたが、ダンスだけでなくその 歴史的背景や著名なダンサーについても学び、今ではアメリカにおけるタップの歴史・文化・芸術的価値を認識するようになりました。先学期は基本スキルとダ イナミックとソフトの2つのダンスをじっくり練習し、今学期は重心を下においた力強いシカゴスタイルを中心に新しいステップやダンスをたくさん教わりまし た。クラスメートのほとんどが経験者で、初心者の私は苦労しましたが、みんなが親切にサポートがしてくれて仲良くなれたことが大きな喜びでした。授業のま とめとしてインフォーマルパフォーマンスを行い、個人パートも全員ダンスもうまくいって、クラスの一体感を感じることができました。インストラクターは優 しく魅力的な女性で、私をいつも気にかけてくれました。最後に挨拶に行くと、「あなたが最初のクラスに来た日を思い出すわ。1年間すごく頑張って上達した ね」とおっしゃって、Big Hugでお別れしました。せっかくアメリカで触れたタップという文化を忘れないように、日本でも続けたいと思います。

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*キャンパスタウンの面白さ*

イリノイ大学と日本の大学では何が違うかと聞かれれば、私は「イリノイ大学は住んで学ぶ大学、日本の大学は通って学ぶ大学」と答えます。そして、私は大学 と都市機能が合わさったこのキャンパスタウンがとても好きになりました。学生がみなキャンパスに住んでいるということは、授業以外の時間もキャンパスで過 ごすということであり、学生が一緒に何かする機会が多くなります。学期末の図書館はグループワークや試験勉強に取り組む学生で溢れているし、キャンパスの バーは大きなビールジョッキを片手に話し込む学生で一杯です。大学のホールでミュージカルを観賞する人もいれば、カフェで甘いケーキをほおばる人もいま す。私はいつも学生で賑わっているキャンパスタウンの雰囲気が気に入り、今は授業後にそれぞれ電車で自宅に帰ってしまう日本の大学を物足りなく感じます。

また、キャンパスタウンではいろいろなイベントが催されていて、飽きることがありませんでした。大学のStudy Abroad Officeや各学生寮、様々な学生団体がいろいろなイベントを企画し、私たち学生はメールやチラシで情報を得て、興味のあるものに参加します。前回のレ ポートで書いたスカイダイビングもこのようなイベントの一つでした。他にもハロウィンにカボチャ畑に出掛けたり、スケートイベントに参加したりと、シャン ペーンにいる限り週末の予定が無いなどということありませんでした。それに加えて私的なホームパーティもあります。私はそこで新たな友人に出会ったり、初 めての体験をしたり、アメリカ文化を肌で感じたりと、有意義な時間を過ごしました。大学もそこに住む学生も、仲間と何か面白いことをしたい・新たな人と出 会いたいと考えて、積極的に行動します。このような無数の公的・私的なイベントを通してキャンパスタウンに活力が生まれているのだと感じました。

*アメリカの”まだらな”文化*

イリノイ大学には、そしてアメリカという国には、様々なバックグラウンドを持つ人々が一緒に生活しています。一口にアメリカ人と言っても、外見は千差万 別、各々の故郷も違います。みなが互いを100%好いている訳ではないでしょう。あるインド系アメリカ人の友人は、「僕の父は白人があまり好きじゃないん だ」と言いました。でも、この国のまだら模様の文化は、自分と異なる他者をたとえ好きとまではいかなくでも、受け入れる、または気にせずに共存する文化で す。東京では地下鉄に乗る外国人をそれとなく異質な目で見てしまうことがありますが、イリノイでは私のような日本人が一人キャンパスを歩いていても外国人 であるかアメリカ人であるかは意識されません。顔見知りになってから3週間も経ってから、「Kyoko, 日本人なんだ。知らなかったよ」と言った友人もいました。日本人として接してもらうことも嬉しいのですが、一人の学生として受け入れられることも、まだら 模様に馴染んだようで嬉しいと感じました。アメリカに暮らす人々の大らかな許容の精神は、私達も見習うところがあると感じました。イリノイで生活した9ヶ 月間は、私が日本人である自覚と、他の多様な文化の面白さと、文化を超えた人の交流の素晴らしさを教えてくれました。

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*イリノイ生活のまとめ*

帰国後、再会した旧友は、「アメリカの大学に行って何か変わったかなと思ったけれど、今日子は何も変わっていないね」と言いました。私自身、イリノイ大学 での経験を通して自分がどのように変わったのかとよく考えます。その友人の目に変わらないように映った様に、特別な変化はありません。でも、イリノイ大学 に行ったからこそ、アメリカ中西部の典型的なキャンパスタウンを知りました。英語で課せられるレポートを(ウーンと唸りながらも)こなせるようになりまし た。バーで注文するお酒の名前を覚えました。クリスマスカードを送りたい相手が増えました。こうした小さな変化の積み重ねは、私の視野を広げました。私は 留学以前から「海外に住む」ことに強い関心を抱いていましたが、「海外で勉強した」経験から、遠くない将来「海外で働きたい」と希望するようになりまし た。どこでどんな仕事をするかは、現在模索中です。

私は9ヶ月間のイリノイ生活で数え切れないほどの写真を撮りました。それは本当に友人にあきれられたほどです(笑) それらの写真は、鮮やかなキャンパス の四季と、友人と過ごした時間を思い起こさせてくれます。今イリノイ生活を振り返って感じるのは、人との繋がりがどれほど私を支えてくれたかということで す。「アメリカの学生らしいシャンペーンの楽しみ方」を教えてくれた友人達に感謝しています。涙で別れた世界中の留学生にまた会いたいと思います。一緒に スポーツをした仲間に、家族のように接してくれたイリノイのホストファミリーに、ウィーンの短期留学や個人的相談に対応してくれたStudy Abroad Officeの方々に、刺激を与えてくれたJIC奨学生の仲間に、感謝しています。イリノイで培ったたくさんの人との繋がりが、これからも切れることな く、また新たな出会いに繋がっていくことを願っています。

そして何より、いつも温かく応援してくれた家族と、この留学の機会を与えて下さったJICの方々に心から感謝しています。有難うございました。JICの多 くの皆さんにとってそうであるように、あのコーンフィールドの真ん中の美しいキャンパスで毎日を過ごした経験が、人生の大きなターニングポイントとなるよ う、しっかり将来に活かしていきたいと思います。

写真

1.グループワーク
2.タップダンスのパフォーマンス
3.キャンパスのバーにて
4.ダウンタウンのバーにて
5.快晴のQuadにて

西村崇さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート第3弾は西村さんです。春休み前の忙しいファイナルや、Krannert Centerでのコンサートなど、シャンペーンの風景が懐かしく思い出されるAllumniの方々も多いではないでしょうか。

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JICの皆様、ご無沙汰しております。先日の総会では久しぶりに皆様とお話させていただき、大変嬉しく思いました。私は5月の半ばに帰国し、現在は大学院 進学を念頭において日々の生活を送っています。シャンペーンでの夢のような生活を終えてから2ヶ月、留学生活への不安を感じながら日々を過ごしていた去年 の夏ももはや1年前のことであると思うと、時の流れの早さを感じずにはいられません。最後のレポートでは、留学生活最後の1ヶ月の日々と留学生活全体の総 括についてお伝えしたいと思います。

<最後の1ヶ月>

(学期編)

私が今学期に登録した全ての授業 は、Final Weekの1週間前に全ての課題が終わるようにスケジュールが組まれていました。そのため、春休みが過ぎてからは一般的な学生より早く準備をしなければな らず、学業以外の活動との折り合いをつけるのが大変な日々を過ごしました。2007年度以降の奨学生の方々への参考の意味も含めて、ある1日の生活をここ で披露したいと思います。

4月14日(土)

朝の8時30分に起床。週末のためPARの住人はまだ誰も起きていないようだが、ラウンジで次週に期限の課題に関連した文献を読み込む。

11時30分頃、この時間ぐらいになるとフロアメイトも起き出して来るので、友人を誘って昼食へ。お喋りをしながらの食事だと、1、2時間はあっという間に過ぎていく。

午後は再び課題に取り組む。パソコンに向かって、ひたすらレポートの打ち込み。日常生活を詳細に描写した調査報告書を書くのに苦労しっぱなし・・・

夕食後は、奨学生同期の佐藤さんも参加しているBlack Chorusが7時30分からあったので、フロアメイトとKrannert Centerへ。今まで見たことのあるコンサート・演劇の中でもベストテンに入るくらいの、パワフルなステージに圧倒される。

コンサート終了後、佐藤さんや他の友人も交えてGreen St.沿いのカフェでお喋り。午前1時に店が閉まった後も、Sherman Hall、次いでPARに移動してひたすら話し込む。

結局は徹夜。朝の7時45分には、Illini Union前で別のグループと集合して人生初のSkydivingへ。

寮に戻ってきたのは夕方頃。夕食を手短に切り上げて、宿題を再開。必死の思いでパソコンにレポートの続きを打ち込み続ける・・・

さ すがに春学期最後の1週間はほとんどの時間を勉強に割いていましたが、そのことも含めてイリノイ大学では1年間を通して本当に密度の濃い生活を送ることが 出来ました。4月末には髪に白髪が数本混じっているのを発見したので、体には結構な負担をかけていたようですが(笑)

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旅行編)

全ての課題が終わり、授業からも日々の大量の宿題から解放されて晴れて自由の身になった後は、Boston、 Washington、Niagara Fallsをめぐる約1週間の旅に出かけました。Bostonでは幸運にも入手できたボストン・レッドソックスVSシアトル・マリナーズの試合を観戦して 日本人メジャーリガーの活躍に勇気付けられ、Washingtonではアーリントン国立墓地や連邦議会議事堂の厳粛さに心を打たれ、Niagara Fallsでは自然の雄大さに改めて感嘆し…と旅行中に訪れた場所一つ一つについて語り始めたらいくらスペースがあっても足りないのではないかと思うぐら いに、どこも素晴らしい場所でした。Final Weekに向けた勉強で忙しくしている友人達に多少の申し訳なさを感じましたが、1年間頑張った自分へのご褒美ということで、日々を思い切り満喫していま した。

また、単に観光地巡りとして楽しんだというだけでなくアメリカの社会に住んでいるということ実感する上でいくつか貴重な経験も ありました。例えば、Niagara Fallsを訪れた時には、国境がもつ意味の重さを痛感させられました。Niagara Fallsはアメリカとカナダの国境沿いに位置しており、どちらの国側からも滝を見ることが出来ますが、滝の全体を見渡すことが出来るカナダ側からの眺め のほうがよいとされています。私もその眺めを楽しみにしていましたが、結局カナダ側には渡りませんでした。なぜなら留学生用のVisaの一部を寮に置いて きてしまったために、短時間といえどもカナダ側に越境すればアメリカ国内に戻れない可能性があったからです。たった一枚の紙を忘れてきたがために、徒歩で 10分もかからない距離を進むことが出来ない。自分がこの国では外国人であることを改めて思い知らされる出来事でした。(留学生活最後の1週間)

旅 行から帰ってくると寮の友人の一人が既に帰国しており、他のフロアメイトも退寮に向けて荷物の整理を始めているなど、UIUCでの生活が終わりに近づいて いることを実感しました。それからの数日間は、キャンパス中の写真をとったり友人達との雑談に時間をあてたりして、ここでの生活に思い残しが無いように日 々を過ごしました。そのおかげで部屋の整理はズルズルと先延ばしになり、退寮期限の最終日にはまだ半数ほど残っていたフロアメイトの一人として徹夜明けの 体で部屋の整理をしていました(笑)全ての荷物の整理が終わりガランとした部屋―PARに自分が入居した時とまったく変わらない姿を見せているその部屋を 見たときには、過ぎ去った時間が二度と戻ってこないことを思い、非常に寂しいものがありました。

退寮後は友人の院生寮に一晩泊めさせ てもらい、翌朝オヘア空港に出発しました。空港でクリスマスの時にもお世話になった寮の友人Coryとその家族に大きな荷物を預かってもらい、冬休みの短 期留学中に仲良くなったDerekの家を訪ねるため、コロラド州Grand Junctionという町に必要最低限の荷物を持って向かいました。そして、そこでもまた素晴らしい日々を過ごしました。アメリカを発つ前にGrand Canyonのような内陸の自然美に恵まれた地に一度は行きたいと考えていた自分にとっては、東側を緑豊かなロッキー山脈に、西側をMonument Valleyを中心とした砂漠地帯に囲まれたGrand Junctionはまさにうってつけの街でした。ドライバー兼ガイドとして滞在中ずっと付き添ってくれた友人の助力もあり、帰国前にいい思い出をつくるこ とができました。

Grand Junctionを離れてシカゴに戻った帰国前日は、再びCoryの家に一晩泊めてもらい、彼と散歩をしたり夜遅くまで語り合ったりして過ごしました。寮 の一番の友人であった彼とUIUCの一年間を振り返りながら過ごしたその時間は、心地よい感覚と同時に、明日帰国するのだなということを実感させる時間で もありました。翌日は彼の父親にオヘア空港まで送ってもらい、私の留学生活はようやく終わることとなりました

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<留学の総括>

一言で言えば、今までの人生で最高の10ヶ月でした。その理由は沢山ありますが、以下の3つに集約されると思います。

(出会い)

留学中は様々な人々、特に日本で過ごしていたらまず会うことのなかっただろう人々に沢山出会いました。特に、人種も国籍も多様な多くの友人達に恵まれたことを嬉しく思います。

Freshman ながら分厚い歴史書を愛読するなど熱心な勉強家であったCory、多少皮肉屋ながらRA(寮のフロア長)としてフロアメイトの尊敬を集めていたJin、物 理学と国際開発学のどちらでも才能を発揮したDerek、敬虔なイスラム教徒で様々な社会問題に対して常に真剣に憂いていたShazani、日本文化を深 く愛し誰よりも誠実であったNik、日本の一流大学を中退して単身渡米し、将来の夢を実現すべく頑張っているNao…、お互いに助け合い刺激しあった奨学 生同期のみんな…スペースの都合上全ての友人達を紹介することができないことを残念に思うくらいに、みな魅力に溢れた友人達でした。この中の友人達の幾人 かとは、残念ながらもう二度と会うことがないかもしれません。しかし、今もアメリカで、あるいは地球のどこかで彼らが自分の夢に向かって頑張っていると思 うと、それだけで十分に励まされるし、自分も負けていられないなと思います。

(「広さ」を知る)

精神的な面でも空間的な面でも、世の中の「広さ」を知る。これが二つ目の貴重な経験でした。

精神的な面としては、上に述べた多様な人々と交流していくなかで自分のものの見方・考え方が一面的なものでしかないことを知らされました。このことに関して、10月のある週末にJinと話した時の内容を今でも覚えています。

そ の日は珍しく彼にサシ飲みに誘われ、二人でキャンパス街の中では比較的静かなBarで飲んでいました。私が日本人、彼が韓国人というであったせいか、東ア ジアの国々の現状や将来といった話に自然とトピックが移っていったのですが、そこで日本の話が出てきた時のことです。社会学という学問を専攻している者の 性質上、私は日本の現状に対して批判的な意見を披露しました。しかし、彼はその意見に対して「それでも日本は大国じゃないか」ということを言ったのです。 彼が言うには、機会とお金さえあればさっさと海外に出て行きたいと多くの人々が願っている韓国は、世界に通用する大学や企業がいくつもあり、貧富の格差も まだ小さい日本には到底かなわず、これからのアジアを率いる可能性があるのは中国ではなく日本だろうとさえ述べたのでした。日本に対してこれ程までに肯定 的な見方が日本人の口から出たのではなく、日本をライバル視することの多い国から来た友人から発せられたことに大変衝撃を受けました。寮に帰った後で彼の 発言を改めて振り返り、そしてあることに気がつきました。それは、日本に対してネガティブな印象を抱きがちだった自分にとっては、世界から見た場合の日本 の姿という視点が欠けていたことでした。彼の意見が韓国人一般の意見だとは思いませんが、自分の考えが内向きであったことに気がつかせてくれた友人に今で も感謝しています。

この他にもキリスト教徒やイスラム教徒の世の中の見方、繁栄を享受する一方で多くの人が貧困に苦しむという先進国 アメリカの現実、母国のため・自身の成功のため雪崩を打って海外に進出するアジア人達の現状など、自分の世界観を広げる上で文字通り「体感」する機会を多 く得られたことを嬉しく思います。

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空間的な面とは、単純に、「世界はまだまだ広い!!」と実感したことでした。Derekと共に登ったMt.Garfieldの頂上では、それまで見たこと も想像したこともない光景が広がっていました。何も遮るものがない澄み渡った青空の下、眼前には広大な砂漠と赤茶色の地肌をむき出しにした険しい山々が、 そのすぐ脇には青々とした畑が広がり、後方には雄大なロッキー山脈がひかえている…言葉で言い尽くせないほどのその雄大さは、無論自分の人生で一番見事な 景色でした。この景色を目にするまでは、休暇の時間の多くを割いてアメリカ国内を出来る限り周遊してきたつもりだったので、まだまだ引き出しの多いアメリ カという国の広大さを帰国直前にして改めて思い知らされました。加えて、今まで滞在してきたアメリカという国も、更に自分がこれまで旅してきた地域を加算 しても、世界の中ではたった一部分にしか過ぎないことを、Mt.Garfieldの頂上から遥かに広がる地平線を眺めながら実感していました。「自分は、 これからの人生で一体どれだけの地域を訪れることが出来るのだろうか?」そう自問自答したうえで、まだまだ多くの可能性があることを思うとわくわくしま す。

(自分を再発見する)

今回の留学生活は、自分の特徴や可能性を知る上で最適な機会でした。

留 学中は「一分一秒たりとも無駄にしない」をモットーに活動していました。そうした生活を10ヶ月続けていくなかで、「自分」という人間に対しての再発見が 何度もありました。例えば、睡眠時間に関して。留学前は、健康維持に必要な睡眠時間は最低でも一日平均6時間で、徹夜なんて滅多にするものではないと思っ ていました。ですが、今では平均5時間以下でも何とかなると思っています(笑)大量の課題の処理と課外活動を両立させるために留学中は徐々に睡眠時間を 削っていったのですが、その内に好奇心さえ満たされていれば自分の体が動くということに気がつきました。このように、今まで限界だと思っていた事柄のいく つかに関しては、実際の自分は思っていた以上にタフだということに気がつきました。更に、多くの多様な経験をすることで、自分がどういう人間であるかとい うことが以前以上にはっきり分かるようになりました。このことが、帰国後にどんな進路に進んでいくかを真剣に再考していくなかで大いに役立っています。

<最後に>

現在では、多くの時間を自宅での勉強に費やす生活しています。刺激的な出来事にほぼ毎日遭遇していたイリノイ大学での生活に比べれば、単調な生活の中で全ての予定を自律的に立てなければならない分、精神的負担が少なくない日々を送っています。

し かし一方で、留学生活によって自分という人間に対して自信をー本当にささやかな自信ですがー得られたことで、留学前は夢のままで終わらせようと思っていた 大きな目標に対して実際にアプローチする方法を考えるようになりました。これから苦しい日々が続くと予想していますが、前途に対してあまり悲観視はしてい ません。イリノイでの留学生活を『人生最高の2年間』ではなく『人生を最高にする「ための」2年間』にすべく、これからも勉強にその他の活動に励んでいき たいと思います。

最後に、奨学生選考合格後から留学生活終了までに関わった全ての人々に、特に2006年度JIC奨学生に多大な支援 をくださったJICの方々に感謝の意を込めて最後の奨学生レポートを終えたいと思います。今まで本当にありがとうございました!そして、これからもよろし くお願いいたします。

2007年7月21日

西村崇
東京大学文学部
行動文化学科社会学専修課程4年

<写真>

1、Illinois Japanese Association(IJA)のポットラックパーティーにて
2、ロッキー山脈にて
3、全ての片づけが終わった後の寮の自室
4、Mt.Garfieldにて

佐藤真莉子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート最後を飾るのは佐藤真莉子さんです。佐藤さんは授業やクラブ活動など多くのことに大胆に挑戦し、たくさん学び得てきたようです。貴重な留学経験を生かし、日本でもがんばってくださいね。

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ICの皆様、ご無沙汰しております。
ついに1年間の留学を終え、無事日本に帰国いたしました。
これが最後のレポートかと思うと、1年間は本当にあっという間だなぁ、と再確認しているところです。
それでは、1年間の総まとめ、さとうまりこ最後のレポートの始まりです☆

①Dance for Darful

前回のレポートでお伝えした、バレエの友達と一緒に始めたDarfulのための
寄付金を集めるダンスステージを、無事に終えることができました。
直前にはほぼ毎日どこかに集まり、かなりハードな練習をしていました。
私はクラシックバレエは小さい頃から続けていたのですが、今回は
コンテンポラリーとモダンバレエがまざったような踊りで、バレエとは
体の使い方も動きも全く違います。
型があるバレエに対して、コンテンポラリーやモダンバレエは
もっと体を自由に使い、型にははまらない不思議な動きをします。
自分自身、新しい分野への挑戦でしたが、基本的には友達が振りを考え、
進めていくうちにみんなで意見を出し合って振り付けをする、という感じでした。
みんな完全にアメリカ人で、そのなかに一人アジア人の、しかも留学生の私が
仲間に入れてもらえたこと自体、奇跡のようだと思います。
でもせっかくもらったチャンス、どんなに練習が大変でも、彼女たちと一緒に
時間を過ごせることが嬉しくて、一度も練習を休んだことがありませんでした。
あーだこーだ、と振りを考えながら練習する時間も楽しかったのですが、
みんなでご飯を食べに行ったり、衣装を見つけにTARGETやWALMARTまで
車で行ったり、CRCE(大学のジム)までおしゃべりしながら歩いたり・・・
という時間の一つ一つがとても楽しかったです。

なんとなくお昼を食べている時に、メンバーの一人に「日本人はアメリカ人に対して
どう思ってるの?」と突然聞かれてびっくりしたこともありました。
その子自身は、お母さんと日本に行ったことがあり、とても楽しい思い出が
あって、みんな親切で、また行きたい、と思ったそうなのですが、その子の友達は
日本に言った時、アメリカ人だから、と言われて嫌な思いをしたことがあったそうです。
私は、今がチャンス、と思い、それまで自分が思っていたアメリカ人に対する
思いを話しました。
もちろんアメリカのエンターテイメントやカルチャーはすごいと思うし、私はやっぱり
国際人として生きていくために英語をしゃべりたい、アメリカの文化、世界の文化を
学びたいと思っているし、オープンで陽気なアメリカの雰囲気は大好き。
だけど、その反面、Arrogantな部分もあって、自分たちは世界の中心だと
言わんばかりの行動をいっぱいしているし、英語さえ話せればどこでも生きていけると
思っている人もたくさんいるし、環境問題に対しては興味が薄いし、という
ネガティブな部分もあるよね、という話をしました。
そうしたらメンバーはみなとっても納得してくれて、あー、こういうお互いの理解から
「和」が生まれるんだな、ということを実感しました。
彼女が持っている日本人に対してのイメージを素直に話してくれたことに
とても感謝をしています。

ステージ自体は、全体で$400以上の寄付金を集めることができました。
私たちのダンス意外に、アイリッシュダンス、インディアンダンス、アルゼンチンタンゴなど
さまざまなところから学生に協力してもらい、全部で50人くらいの方に見ていただくことが
できました。
決して大きなイベントではなかったけれども、少しでも私たちの思いが届いたらいいな
と思っています、
でも、こうしたイベントを開く時に、本当にアイリッシュの子とか、インド出身の子とか、
アルゼンチン出身の子とか、学生のレベルで本場の人が集まるところは、
アメリカのすごいところだまな、と思いました。
日本では、大学生の学園祭レベルでも、現地の人を集めるのは至難の業だと思います。
そこはさすがアメリカ、人種の坩堝といわれるだけあるなぁ、と思いました。

実は、最初は本当にステージが開けるのかとても不安でした。
有志の企画だったので、強制でもなんでもなく、場所を借りたり照明を借りたり、
練習場所を確保したり・・・と、小さな問題が山積みで、ステージを開くところまで
こぎつけるかどうか正直わかりませんでした。
でも、最後はきちんと笑って終えることができたので、本当に良かったです。

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②最後の授業

[Reporting]

一番頑張っていたこの授業、最後は自分で書いたラジオ原稿を、大学のテレビ局内にある
ラジオのスタジオで収録し、CDにする、というものでした。
ニュースの構成から文章から、全て自分で考えるというもので、何度も教授と
やり取りをして、何回も公正してもらい、本番を迎えました。

実は本番の前、教授の書いた原稿で読む練習をしたのですが、そのときになんと
Excellent!といわれました。
私はもちろんネイティブの子のようなスピードでは読めないし、発音もどんなに頑張っても
ネイティブの子のようには行かない部分もあり、まさかExcellentといわれるとは
思っていなかったので、素直に嬉しかったです。
何がExcellentかというと、声がきちんとでていることだそうです。
中高6年間をミュージカルの部活に捧げ、留学直前までBSフジでキャスターを
やらせていただいた経験が、こんなところで役に立つとは!!!笑

でも、教授が面白いことを発見してくれました。
それは、私が英語でニュース原稿を読むと、文末が全て下がっていることです。
日本語では、文章の終わりは、必ずトーンを下げて読みます。
文章の出だしが一番音が大きく高さも高く、文末に行くに従って、
音も高さも下がるのです。
しかし、英語ではたとえ文末や「、」の前でも、流れによっては上がったり下がったりします。
英語のニュースなどを聞いていればわかると思うのですが、確かに、
Tonight, it’s gonna be sunny, 65 dgree, and it’s gonna be cloudy tomorrow all day.
という文章があった場合、英語ではDegreeのあとは上げて読み、Dayのあとで下げます。
しかし、これがもし日本語だったら、
「今夜は晴れるでしょう。そして明日は一日中曇り空となりそうです。」
となり、「でしょう」のあとも、「なりそうです」の後もイントネーションは下げます。
言葉っておもしろいなぁ、と改めて感じました。

そしてもう一つ、私の読み方はトーンが落ち着いていてPBSのようだ、といわれました。
なるほど、思い返してみれば、私はよくBBC World NewsやPBSのラジオニュースを
インターネットを通して聞いていたのです。
さすが教授、なんでもお見通しなんですね!!

忙しい時間の間を縫って何度も私の原稿を校正してくださったり、練習をみてくださった教授に、
収録を終えた後、隣の部屋からガラス越しに親指をたてて「Good Job!」と言われた時には
とても嬉しかったです。
この半年、がんばってよかったな、と思いました。
この授業ではインタビューを通して体当たりしたり、ラジオの収録をしたり、
子供を育てながら教授やラジオのパーソナリティー、新聞のコラムニスト、テレビのアンカーまで
努めるスーパーママである教授に出会えたり・・・と、本当に多くのことを学びました。

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[Public Speaking]

みんながいい、というならば取ってみよう、そんな軽い気持ちではじめたSPCM101。
最初は私以外全員ネイティブだからどんなに頑張っても彼らと同じようにはスピーチできない
と勝手に理由をつけて、どうせスピーチなんて覚えようと思っても覚えられないや、と
どこかで諦めている部分がありました。
日本に帰ったら就職活動をするんだなぁ、BS以来、人前でしゃべることをしていないなぁ、
これはきっと人前で何かを話す練習になるだろう、くらいの気持ちだったので、今思うと
最初は特にあまり真剣に打ち込もうとはしていなかったように思います。
しかし、1回だけ、友達とペアを組んで、Arguableなトピックについて反対の意見を
スピーチする、という回がありました。
そこで私がペアになったのは、Seniorの子で、普段のスピーチもとても上手な子でした。
こりゃ真剣にやらないとまずい、こんなうまい子と一緒にやったら余計に下手さが目立つし、
第一こんなにできる子とやるのならばトピックを決め原稿を書く時点でしっかりやらなきゃ
申し訳ないし相方として認めてもらえない!と思い、火がつきました。
とにかくひたすらストップウォッチをもって何度も繰り返して読み、覚えてすんなりと
口から出てくるくらいまで練習しました。
なめられちゃいけない、うまくいかなかったら申し訳ない、という切羽詰った思いから
必死に練習した結果、それまでの3回のスピーチとは比べ物にならないくらい、
自分でも納得のいくスピーチができました。
そこで味をしめた私は、「なーんだ、私もやればできるじゃん。英語だって覚えられるじゃん♪」
と調子に乗り、最後のスピーチも完璧に練習し、納得のいくスピーチを終えることが
できました。
ダンスの練習、バレーボールの試合、Black Chorusの練習、Murphy’s…と
やることに追われていましたが、そのなかでも納得のいくスピーチができたことは
英語に対しても人前で話すことに対しても、自身につながりました。
そしてそして、嬉しいことに、Best Improved Speker Awardをいただきました!
わーい!!!
TAが賞状まで作ってくれて、今も部屋に飾ってあります。
これからはこの授業で経験した度胸で、いろいろな場面を乗り切りたいと思います。

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[Black Chorus]

これは、この1年の留学の中で一番心に残る授業でした。
授業を通り越して、生活の一部になっていました。
前回のレポートでお伝えしたMom’s Day Concertで最後のステージを無事におえ、
これでBCメンバーも解散。残るはSocialでした。いわゆる打ち上げです。
PARの目の前にあるIllini GroveでBBQをしました。
料理やスイーツを作って来てくれた子もいて、とってもおいしくて楽しい会になりました。
私はそこで、みんなとビーチバレーをしました。
砂の中のバレーボールコートにみんなで裸足で入っていって、はちゃめちゃに騒ぎました。
みんな、「Mariko~Come on!!!」などといって盛り上げてくれたり、本当にあったかくて、
BCの一員になれてよかった、と心から思いました。
彼らと仲良くなることで、Blackの歴史やいまだに残る差別の問題、彼らのバックグラウンドである
アフリカでの貧困、飢餓、紛争の問題にも興味を持ち、それが実際とても身近な問題に
感じられるようになりました。
彼らに対する差別はいまだにあからさまな部分があり、それを見るたびに
日本ではほとんどが日本人だから差別なんて感じなかった、アメリカはやっぱり
すごいところなんだなぁ、などと思っていました。
でも、それは実は私が気づいていないだけで、日本でも差別は残っているのかもしれません。
アメリカのようにあからさまではないかもしれないけれど、逆に日本では隠されていて
触れられていないだけで、気づかないだけで、残っている問題なのかもしれません。
そのようなことに気づくことができたのも、そしてDarfulのためといって始めたステージを
開くことができたのも、このBlack Chorusをとったからだと思います。
人を、友達を介することで、今まで見えてこなかったもの、他人事だと思っていたことが
とても身近に感じ、様々な問題見出し、解決する方法を考えるきっかけができました。
BCに関わる全ての方たちに感謝です。

そして、卒業式に当たるCommencementでもBCのメンバーとして2曲ほど歌ってきました。
Assembly Hallで最後に歌えたことは、いい思い出です。
Seniorの友達が多く、このCommencementで卒業する友達もたくさんいたので
しみじみしてしまいました。
しかし、そのあとはその感動を忘れるくらいパッキングが終わらず、かなり苦労しましたが・・・笑

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[ClassicBallet]

この授業でも、最後の授業に小さな発表会をしました。
私は友達5人と、Beatlesの「Hello, Good Bye」という曲に合わせて振り付けし、
発表しました。
これも仲間と一緒に何か一つのことに打ち込み、最後に形にできたことを嬉しく思います。

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③Cosmopolitan House

ついに別れの日がやってきました。
去年の暮れ、そして今学期の終わりも、私はいつも送る側でした。
それがついに、私が送られる側になりました。

感動の涙、かと思いきや・・・
部屋をまるまるあける、ということを実は経験したことのなかった私。
日本を出る時も、適当に必要なものだけつめて、あとは親に持ってきてもらう、という
形をとったので、部屋の中のものを全てつめる、ということをしたことがありませんでした。
旅行に行っても、特技はパッキング。
1日あればなんとかなる、と思って甘く見ていました。
ところが、1年で膨れ上がった荷物は山のよう!とてもとても3つのスーツケース(!)には
入らず、仕方なく冬物などはダンボールで送ることにしました。
それも出発ぎりぎりまでやっていた私、シカゴの友達の家まで一緒に連れて行ってもらう
予定で、友達のご両親がシャンペーンまで来るまできてくださっていたので、
パッキングが終わるかどうかハラハラしました。
でもなんとか荷物をまとめ、いざ出発。
Cosmoを出た時には、Young Jaeにとってのラストディナーになるということで
みんなが食事に出てしまっていました。
でも、やっぱり最後にお別れを言いたい、と思い、みんながいるレストランに行きました。
するとちょうどCosmoのみんなも帰るところで、大撮影大会。
最初は、こんな古い家、住めるのかなぁ・・・とか、Kitchen duty嫌だなぁ、とか、
掃除当番って私はちゃんとやってるけどみんな果たしてやってるのだろうか、などと
いろいろ不安や不満に思ったこともありました。
しかし、いざ別れるとなると、とってもとっても寂しくて、涙、涙、そしてまた涙、という感じで
涙が止まりませんでした。
一緒に暮らすって、こんなにすごいことなんだ、と改めてハウスメイトの存在を
Preciousだと感じました。
最初についた日から、何もわからない私をGrocery storeに連れて行ってくれたり、
一緒にHelloween partyやMurphy’sに行ったり、一緒にTVを見たり卓球をしたり
ご飯を作ったり食べたり・・・本当にいろいろな思い出がよみがえってきました。
私は兄弟もいないので大勢で一緒に住むということを経験したことがなかったのですが
Cosmoでの経験は本当に貴重で、みんなが兄弟のような、同志のような、
不思議な感覚でした。
1年の留学生活のうち、やはり一番長くいた場所。
Cosmoのみなさま、ありがとうございました。

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④シカゴ→メキシコ→ナイアガラ→NYC→日本→サンディエゴ→日本

シャンペーンを出てから、まずはシカゴの友達の家に泊めてもらいました。
この子は今年の夏から日本の甲南大学に留学する子で、日本語を教えたり
一緒にドラマを見たりしていました。
家族はTaiwaneseなので、お母さんが毎日中華料理やスイーツを作ってくれました。
おいしかったです☆

そこから今度はメキシコへ。
去年U of Iに留学していたメキシコ人の友達の家にお邪魔しました。
空港に着くと、お花と「Vienvenida Mariko」という紙を持って待っていてくれました。
彼女はMonterreyというところに住んでいて、メキシコの中ではUSボーダーに近く、
山の麓も都市なので、比較的涼しかったです。
彼女の運転でMuseumや大学などを案内してもらい、本当に地元のメキシカンの
生活を味わうことができました。
彼女の卒業式も間近だったので、彼女の友達の家に行ったり、みんなで
クラブに踊りにいき、朝の5時まで踊り、そのあとはタコスを食べ、7時くらいに家に帰る
という、まさにメキシカンな体験もできました。
彼女意外はほとんど英語は話さずスペイン語なのですが、毎食メキシコ料理を
ふるまってくださって、本当にあったかかったです。
でも、朝食が11時、お昼が4時、夕食が夜中の11時くらいになるのには驚きました(笑)
そしてテキーラのショットをがんがん飲んでしまう彼らにも驚きました。
そしてなにより、その彼らと一緒に飲んで踊っていた私自身の秘められた能力にも
驚きました(笑)感しました。

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そこから今度はナイアガラの滝へひとっとび。
初めて行ったので、スケールの大きさに感動しました。
街自体は観光地化されていて、うーん・・・と思うところもあるのですが、滝の力はすごいです。
夜ついて、次の日は朝から滝をカナダ側からもアメリカ側からも満喫しました。
カナダ側から船に乗って滝の側まで行き、その音と水しぶきの白さに感動しました。
アメリカ側では、滝のすぐ下まで歩いていけるツアーに参加しました。
サンダルとビニール合羽を配られるのですが、滝の下までいけば全く効果なし!
まさに滝に打たれてきました。
滝の水は冷たくて、勢いがあって、本当に威力がすごかったです。
自然はおっきいなぁ、と改めて感動しました。
滝を体全体で感じたい方には、アメリカ側のツアーはかなりオススメです。
ただし、パンツまでびしょびしょになる覚悟がある方のみですが・・・笑

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アメリカStay最終地はニューヨーク、マンハッタン。
実は予定ではメキシコから直接NYCに入り、3日間のステイのはずだったのですが、
急遽ナイアガラにいき、2日早くNYCに入ったので、最初の二日はJFK空港の近くの
ホテルに泊まりました。
そのJFKのホテルからマンハッタンのホテルまでの移動、かかったお金はたったの$5!!
タクシーに乗ったら$50以上かかるところを、たったの$5におさえました。
それは、必死の努力によるAir Trainと地下鉄での移動。
本来ならば地下鉄に乗り換えるところで駅を出るのに$5、地下鉄に乗るのに$2
かかるのですが、あまりに荷物が多かったため、わざわざ扉を開けてもらったら、
メトロカードをもっていたにもかかわらず、お兄さん、面倒くさくなったのか
お金を請求されませんでした。ラッキー☆
ということで、スーツケースとバックパックをもちながらマンハッタンの街中を
ホテルまで歩いたのです。学生だからできた荒業です。
こちらのほうはあまりオススメしません笑。

NYでは、Legally Blond、Tarzanというミュージカルを見たり、American Ballet Theaterの
公演を見たりして、舞台好きの私にはたまらない日々を満喫しました。
NYYankees VS Sattle Marinersという松井VSイチローという試合も見に行きました。
そして初めてハーレムにも行き、教会に行きました。
BCの授業が懐かしかったです。

そしてアメリカ生活最後の夜は、なんとクルーズでした。
実はどこに連れて行かれるか知らずに着いた場所はハーバー。
マンハッタンの夜景を見ながらのディナークルーズでした。
こんなイキな計らい、感謝です。
ツインタワーのなくなったマンハッタン、その夜景を眺めながら、あぁ、ついに
私の1年間に渡るアメリカ生活も幕を閉じるのだなぁ、と実感しました。

1年ぶりの日本は、やっぱり日本語が飛び交っていて、日本人が多くて、
日本の大学生はアメリカの学生と違って大学に行く時もおしゃれをしていて、
街中を歩いている人もどことなくオシャレで、家に帰ったら家がものすごく小さく感じて、
コップやらお皿やらも全てが小さく感じました。
あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ、と実感です。
帰ってきた日にはお寿司とすき焼きを食べ、日本食ってやっぱりおいしい、と感動しました。
5日間ほどのステイの間に、インターンシップのインタビューや野球の早慶戦など
いろいろなことがあり、あれよあれよという間に一時帰国を終えました。

サンディエゴでは、イリノイの先輩にあたる小助川さんのConferenceのお手伝いを
させていただきました。
イリノイの留学を終えてからも、こうしたつながりが持てることを嬉しく思います。
JICを通じて、もっとたくさんの方々と出会い、つながりをもてたらいいな、と思います。
ニュースレターを読んでくださり、コメントなどをいただいた時も、とても嬉しく、
がんばろう、という励みになりました。

そして2007年6月10日、とうとう日本への最終帰国を果たしました。

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[まとめ]

1年を振り返ってみると、この留学生活を通し、確実に自分なりに成長できたと思います。
勉強についてはもちろんですが、素直にいつもお世話になっている人、
私を支えてくれる人への感謝の気持ちが伝えられるようになった気がします。
私は日本ですら一人暮らしをしたことがないのに、初めて長期で親元を離れるのが
イリノイへの留学、というかなり大胆な決断でした。
一人で飛び込んだ異国の地では、風邪を引いても、どんなに忙しくても、
自分の面倒を見られるのは自分です。
当たり前のことですが、日本ではあまりに日常のことすぎて忘れがちな
その当たり前のことに気づき、感謝できるようになったことは、大きな変化だと思います。
朝起きたら朝ごはんがある喜び、気づいたら洗濯物がたたんで
自分の部屋に置かれている喜び、その当たり前のことがどれだけ嬉しいことで、
どれだけ愛情を必要とするもので、どれだけ私が幸せ者なのかを実感することが
できました。

人との出会い、世界中にたくさんの友達ができたことも、私の財産です。
旅行に行くにしても、そこに現地の友達がいる、家に泊めてくれる友達がいる、
ということは、ものすごいことだと思います。
そこまで深い友達がたくさんできたことを嬉しく思います。
何億人といる人々の中で、イリノイ大学という限られた空間でであった人たち。
今でもチャットやメールをしたり、Facebookでつながっている友達、これからも
ずっとずっと、つながっていたいと思います。

最後になりましたが、1年間支えてくださった両親、友達、そしてJICの皆様に
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。
この1年で、自分と向き合う時間が増え、自分がなにをしたいのか、どのような人間に
なりたいのか、という方向性が見えてきたように思います。
この1年は、自分の人生を決める上でもとても大きな1年になりました。
イリノイ大学への留学生活を通して得た経験を生かし、これからの人生を
しっかりと、自分の足で、マイペースに生きていこうと思います。

1年間の総まとめということで長くなりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。私のつたないレポートを読んでくださった方々、
まとめてくださった中山さん、一緒にがんばったきょうこ、にしくん、けんたろう、
そして私を支えてくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。

慶應義塾大学3年
佐藤 真莉子