鈴木博達さんの帰国後奨学生レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか?遅くなってしまいましたが最終の留学レポートを報告させていただきます。今回は留学期間の終わりと、今になって振り返った感想を書かせていただきたいと思います。

留学期間を終えて

5月にテスト期間の終わりは同時に、イリノイ大学での留学生活の終わりでもありました。最後のテストが終わるとすぐに、1年間でたまった荷物をまとめ、小さな引越しの準備が始まりました。もっともアメリカの学生も夏休みには実家に帰るので、彼らにとっても引越しのシーズンであり、キャンパスには大量の荷物を積んだ大型車があふれていました。

5月15日にキャンパスを後にし、数日間友人の家で過ごした後、ニューヨークのニューアーク国際空港を発ち、アメリカを後にしたときには、やはり感慨深いものがありました。幸い最後の日まで携帯電話は使えたので、空港のセキュリティゾーンから友人たちに電話していたのを覚えています。

chicago.JPG

シカゴの町並み; 出発前

ヨーロッパ旅行

アメリカを後にしてからは、かねてから行ってみたかったヨーロッパをじっくり回ろうと思い、1ヶ月以上かけてヨーロッパの10カ国以上を周遊しました。実は留学に行く際、このヨーロッパ旅行のことも考えて世界一周旅行券を買っていたのです。アメリカで大量の食事に慣れていたせいで、心なしかレストランでの食事が少なめに感じました。

ヨーロッパ旅行の中で、スペインに立ち寄り、そこでは昔のルームメートと再会することができました。彼には彼の友人とバレンシアを案内してもらうことができ、家に泊めてもらったうえにパエリアまでご馳走になりました。1年学んだだけの私のスペイン語では、彼の友人や家族とはなかなか意思疎通が困難なこともありましたが、非常に楽しい時間をすごすことができると共に、やはり留学してよかったな、と感じました。

valencia.JPG
バレンシアでのルームメートとの再会

始まりとしての留学

そんなわけで私の海外での10ヶ月間(と、その後のヨーロッパでの1ヶ月間)に終わりを告げるときがやってきて、7月1日の夕方に飛行機は成田空港に到着しました。うれしく思ったことは、イリノイ大学の留学をきっかけに出会った友人と今でも交流があることです。JICの総会をはじめとして、夏休みの間に何度もイリノイ大学であった友人と会い、共にイリノイ大学を懐かしみました。また近いうちに再び、イリノイ大学の友人たちを訪れるだろうと思います。

経験を通して得たもの

10ヶ月間の留学を終えた今、その経験を振り返ると、一番変わったのは、自国文化以外に「日常」を感じることができるようになったことだろうと思います。大学への留学というものは、海外でその国の社会の一部として暮らすという点において、海外赴任や語学学校への留学などとは異なります。私は2007年にフィリピンで1ヶ月間語学学校に通いましたが、そのときには当然「外国人としてどれだけ英語が話せるようになるか」ということで評価をされました。しかしイリノイ大学にいる期間は、「文化・言語等の背景は別として、イリノイ大学の学生として、どれだけ授業内容が理解できているか」が問われました。両者のステータスの違いを考えればまったく当然のことではありますが、一時でも他の文化圏の構成員として生活したことで、「外国」というものが「非日常」ではなくなりました。

この留学を始める前から、大学生活を通して海外を旅しその土地の文化に触れてきましたが、それはあくまでも「非日常」を体験することで、その文化を外から眺めるのが目的でした。先に書いた通り、イリノイでの留学生活が終わった後、ヨーロッパを1ヶ月間強旅行しましたが、そこでもその文化に浸ったわけではなく、やはり「どんなものだろうか?」とそれを覗いていたような気がします。自国文化の外の文化に「浸かる」には、同じ土地に一定期間滞在し、その土地の人と同じように扱われることが不可欠なのでしょう。

「その土地の人と同じように扱われる」ということは、留学のような機会以外になく、それはキャリアを形成していく上で徐々に困難になっていくでしょう。旅行や出張で海外に行ってホテルに泊まる機会はこれからもきっとありますが、イリノイ大学の寮で大学の友人と雑魚寝するような機会は少ないと思うのです。この10ヶ月間はそれだけ貴重だったのだな、と今改めて実感するとともに、そのような機会を与えてくれたJICの皆様に、改めてお礼申し上げ、レポートを締めくくらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

wisconsin.JPG
ウィスコンシン到着時の様子

中川貴史さんの帰国後奨学生レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。2009年奨学生の中川です。6月に帰国して早4か月、就職活動・期末試験・引っ越し・ベンチャー事業立ち上げ等々と慌しい日々を送ってきました。ちょうど素敵な夢から醒め突如現実に引き戻されたかのような感覚で、ゆっくりと勉強や友達付き合いに集中できたイリノイでの生活が益々懐かしく感じられます。来年3月に卒業を控え、イリノイでの経験を経てどことなく成長した自分自身と共に、「日本での自分の人生に新たなスタートを切るんだ」、そういう期待感やプレッシャーを日々感じつつ毎日充実した生活を送っています。
頻繁にイリノイの友人とスカイプ上で話をするのですが、今年の奨学生の皆さんがイリノイで楽しく留学生活を送っている様子を聞くにつけ、大変嬉しく思うと同時に、ワクワクしてイリノイで学生生活を始めた頃の自分自身を思い出し懐かしい気持ちになります。振り返ってみると、イリノイでの一年間は、日々驚き・学び・成長に溢れ、数えきれない程沢山の楽しい思い出に彩られ、沢山の大切な仲間達との出会いがあった一年間でした。こんなにも素敵な経験をする機会を頂けたことへの感謝の気持ちと共に、ここにイリノイでの最後の1月程と留学生活の総括をご報告させて頂きます。

picture1.jpg

(写真1)

*ファイナル
4月の後半に入るといよいよファイナルの時期が近づき、大量のレポートと差し迫ってくる期末試験に慌しい日々を送ることになりました。総計30頁以上にもなるレポート群を仕上げた後は、安堵する暇もなく期末試験対策に追われました。law and communicationのクラスでは、自らの不勉強が原因で溜りに溜まった未読判例が、試験前日の時点で1000頁を超えるという大ピンチを招き、30時間不眠不休で勉強するという強硬策で何とか試験を乗り越えることになりました。
思い起こしてみると、英語の文章やウェブサイトを見ると身構えてしまっていた一年前からは信じられない程、今では自然に英語を書き・話していることに気付きます。こう思うと大量のレポートをこなし、大量の教科書・判例を読み通したことも、最終的には自分の力になっているのだと実感します。もちろん言語として英語を捉えるとき、英語はそういう意味においてはコミュニケーションの媒体でしかないのですが、さらに一歩進んで、英語で意思疎通を試みることからは、より深い学びがあったように思います。というのは、自分の拙い英語で相手を説得し心を動かすには、第一に究極的な意味で相手が何を言いたいのか理解し相手の気持ちを汲み取ることが必要で、第二に自分の言いたいことを論理的に構成し相手が納得するような形でうまく伝える必要があります。こうして日本語では何となく誤魔化していたものに真っ直ぐ向き合うことで、本当の意味でのコミュニケーション能力や論理的思考力を培うことができたように思えます。
大ピンチの期末試験を何とか終えると、すぐに大事な仲間達との別れが待っていました。その後のニューヨーク行きの予定を調整して4日程シャンペーンで時間を取り、時間を惜しんで友人達とシャンペーン最後のひと時を過ごしました。いつものように友人と会うと、今から帰国するのだという事実が信じられず、そしてまた、また来学期からも同じようなシャンペーンの生活が待っているような気がしてなりませんでした。
多くの掛け替えのない友人に助けられ、楽しみ、鼓舞し合い、切磋琢磨できた私の留学生活は本当に幸せなものでした。思い起こしてみると、JICの奨学制度の面接の際、「人との出会いは人の人生を変える、お互いに影響し合い切磋琢磨する関係を築きたい」と語った記憶があります。今は、シャンペーンで沢山のものをくれた友人達に感謝の気持ちでいっぱいです。願わくは、私自身も彼らの中に何か重要なものを残すことができていたら本当に素敵なことだと思います。
夏にはイリノイから多くの友人が日本へと遊びに来てくれ、今月には台湾・香港で多くの友人に温かく迎えられ、イリノイでの築いた友好関係は私にとって掛け替えのない財産となっています。

picture21.JPG

(写真2)

*NY&帰国後
シャンペーンを離れてからは、以前の私の大学で交換留学生であった友人とニューヨークで待ち合わせ、楽しいひと時を過ごしました。ニューヨークは、シカゴとやや趣を異にし、またドラマでみるような高層ビル街というイメージとも違って、汚い雑居ビルと荘厳な高層ビルが入り乱れる、まさにアメリカという国を貫いてきた主義・価値観を体現する場所のように感じられました。
1週間ほどニューヨークで過ごした後、日本に帰国し、アメリカでは先送りしてきた進路の選択という大きな決断を迫られることになりました。弁護士資格を取得するか、就職を選ぶか、さらには起業で生きていくか…、どれを選んでも上手くいく保証などなく、何が自分の将来にとって最善の選択かを判断することは不可能で、文字通り苦渋の決断となりました。起業家として「社会を大きく変える存在になる」という自分の夢に真っ直ぐに向き合おう、そう思い切って決断を下した結果、特別に配慮を頂いて大手外資系コンサルティング会社から合格を頂き、現在は自分の本来の目的だったベンチャー事業立ち上げに集中できています。日米の優秀なチームを統率し、スピーディに決断を下しながらビジネス展開させていくのは、決して他では味わえないエキサイティングなものです。

*一年間を振り返って
「逆カルチャーショックはあったか?」とか「イリノイで学んだものは何か?」などとよく聞かれることがあります。もちろん、「多様なバックグラウンドを持った友人との付き合いから自分の視野や価値観を広げられた」とか、「リベラルな考えに触れることで日本的な既成概念を客観的に眺められるようになった」とか、それなりに語ることはできますが、そう語ってしまうとイリノイでの経験が急に陳腐なものに成り下がってしまう気がします。イリノイ留学を決断した最大の理由は、「自分自身を人間的にひと回り成長させたい」ということでした。帰国して、突然世界が違う色で見えるということはありませんが、イリノイでの日々の経験を通して、少しばかりではあっても確実に人間的に成長できたという感触があります。詩的な表現を逃れませんが、イリノイでの経験は私の一部となって、言語化し得ない学び・成長になったように思えます。
この一年間は、毎日楽しくて仕方がなく、活気に満ち、充実した日々で、驚き・学びの連続でした。この一年間は私の今後の人生を形創る上で、間違いなく掛け替えのない経験になりました。この本当に貴重な機会を頂けたことに誠に感謝しております。また、私達奨学生の留学を色んな方面から支え・助けて頂いたJICの皆様には本当に感謝の意を表し切れません。本当にありがとうございました。
微力ではありますが、私にできますことがありましたら、JICのさらなる発展のため少しでもお手伝いできたらと思っております。また今後ともJICの皆様にご支援頂くこともあるかと存じますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

写真1.日本での友人との再会
写真2.台湾にて友人との再会

2009年奨学生中川貴史

近藤千鈴さんの2010年10月分レポート

JICの皆様こんにちは。ご無沙汰しております、そしてはじめまして、2010年 度奨学生の近藤千鈴です。

日本では神戸市外国語大学で、国際関係学を専攻しておりました。イリノイ大学では、日本にいるときから興味はあったものの、履修 する機会がなかった文化人類学の勉強を中心に、こちらでしか取ることができない授業にも、積極的に挑戦していこうと思っています。

シャンペーンでは、10月になってもセーター一枚で過ごせるくらいの暖かい天気が続いていたのですが、10月最後の週になって急激に空気が冷たくなってきました。いよいよ冬がくるのだなと日毎に実感しています。と同時に、こちらに来て2ヶ月以上経ったと思うと、時の経つのが早いような意外に遅いような、不思議な気持ちです。生活に慣れてきたと同時に、ただ単に決まった日常を過ごすだけになってしまってはもったいないので、最近は初心を忘れずに、何でも吸収しようとする姿勢を保たなければと感じています。

写真1. Main LibraryからみたWrite Street。Labor Day の三連休だったので、校内に人があまりいませんでした。

写真1. Main LibraryからみたWrite Street。Labor Day の三連休だったので、校内に人があまりいませんでした。

寮について
私は現在、キャンパスの南東に位置する、Allen  Hallに住んでいます。もともと私は一人部屋・自炊環境を確保したかったためアパートを探そうと思っていたのですが、誰かと共同生活をするのも経験、と考え直し寮に入ることにしました。寮の選択にはずいぶんと悩みましたが、今は本当にここを選んで正解だったと感じています。
Allen Hallは、 他の寮に比べ学生の数は少ないのですが、小さいからこそのアットホームな雰囲気がとても気に入っています。地下の自習スペースにはいつも学生達が集まって 話したり勉強をしていますし、多くの人がドアを開放して部屋を行き来したりと、とてもオープンです。住んでいる学生達自身もAllenを気に入っているので、とても居心地の良い寮になっていると思います。
またAllen HallにはArtメジャーの学生が多く、実際さまざまなArtのクラスや、映画の上映会などが寮で開かれています。毎日のように、何かしら個性的なイベントやクラブ活動があるので、他の寮の友達にも「Allenって楽しそうだよね」とよく言われます。学期が始まって間もないある日、ルームメイトに「ダグテープゲームを見に行く?」と言われよく分からないまま着いていくと、全フロアのPA(プログラムアドバイザー)が壁にガムテープで貼り付けられていました。これはAllenの 毎年の恒例行事で、ガムテープだけで体を壁に固定し、滞空時間が長かったフロアのチームが勝ちという、突拍子もないゲームだったのですが、学生がみんな必 死なので、思わず私もテープを一緒に貼って参加しました。(その貢献のおかげかわかりませんが、優勝したのは私のフロアでした。)他にも隣のインディアナ 州で開かれる音楽祭への日帰りツアーや、ハロウィーンのゾンビ仮装&ダンスなど、個性的なイベントがたくさんあります。こういった様々な企画を運営する学 生の積極性に驚くと同時に、多くの機会に恵まれた寮生活を送ることができる学生を、少しうらやましくも思いました。
寮には中国人と韓国人を除けば留 学生はほぼおらず、基本的に現地のアメリカ人の学生が多いように感じます。そういった意味では、私は日常的にアメリカ人の学生と関わることができる環境に いるので、とてもありがたいです。とはいっても、猛スピードで交わされるアメリカ人同士の会話に加わるということまではできず、満足にコミュニケーション がとれないことがずいぶんフラストレーションになった時期もありました。正直なところ、今も話したいという自分の気持ちに英語力が追いついていない状況で すが、あまり気にしないように、たとえ話すことは少なくても、アメリカ人の学生はこんな会話をするのか、と楽しみながら聞くようにしています。実際、彼ら の会話の中で、日本の大学生との共通点や相違点を発見するのは、面白いです。

写真2.ダグテープで貼り付けられるPA

写真2.ダグテープで貼り付けられるPA
授業について
授業の選択にも非常に悩みましたが、今学期は人類学の授業を中心に、
Archaeology of Death、Sociocultural Anthropology、Intensive Elementary Spanish、Fundamentals of Actingの4科目13単位を履修しています。
授業の登録は、こちらに来る前に7月 ごろインターネットで行いました。留学生は登録の開始日が現地の学生に比べて遅いので、私が登録を行うときには、よい授業はほとんど埋まってしまっていて 焦りました。しかし実際は、学期開始後の一週間で多くの学生が授業をドロップするので、難なく希望した科目を取ることができ満足しています。
初めのうちは、慣れないインターネットを使った課題に戸惑ったり、リーディングにかなりの時間をとられたりしましたが、ここ1ヶ月くらいで、ずいぶん慣れてきたように思います。今回は履修している授業の中でも、特に人類学の授業についてお話したいと思います。
Archaeology of Deathに ついては、非常に面白いトピックだと思い、履修しました。人類学における死の研究というのは、死をめぐる概念上の問題を取り扱うのではなく、「誰かの死」 を社会的・文化的なイベントととらえ、そこに付随するさまざまな儀式的な作法や風習を、主に研究対象とします。死体のミイラ化や防腐処置などの話が続いた ときは、さすがに少しげんなりしましたが(笑)、授業自体は面白いです。講義では、課題のリーディングの詳細には一切触れず、トピックをもっと広い文脈と 結び付けたり、映像資料などを通して違った視点から考えさせられることが多いです。
Sociocultural Anthropologyは、 文化人類学の入門のような授業で、一般教養科目として履修している学生も多く見られます。授業では、まず文化人類学の成立の話から、その後の人類学の主要 な概念をめぐる議論が一通りとりあげられました。始めのうちはそういった理論的な話題が中心だったのですが、途中からエスノグラフィーも読むようになり、 入門の授業としては充実していると思います。また課題は、教科書ではなく実際に人類学者の書いた一次資料なども読むので、なかなか手ごたえのある英文のも のが多いです。私は自分の大学のことしかわかりませんが、日本では、重要な学者もその主論も、シラバスにまとまったものを理解し覚えるという形の授業が多 かったように思います。一方こちらのやり方は大変ではありますが、自分で時間をかけ理解する分、嫌でも知識が頭の中にまとまった形で蓄積されるような感覚 があります。日本でやっていた授業のやり方は効率的であるように思えるけれど、ひょっとしたらEasy Come Easy Goなのかもしれないな、と思いました。

写真3.Indiana 州で開かれたLotus Music Festivalにて。

写真3.Indiana 州で開かれたLotus Music Festivalにて

こちらに到着してから2ヶ 月、私は特に深刻なカルチャーショックにもホームシックにもかからず過ごしています。単純なことですがひとつには、アメリカに来て、向こうに自分の育って きた文化のやり方を期待するのは無理がある、という気持ちがあるからだと思います。日々の生活の中で、あ、これは日本ではしないだろうな、という言動に出 会うことがよくあり、多少戸惑うことがないわけではありません。でもそれがストレスになるというよりも、今はむしろその視野の広がる感覚、今まで当たり前 だったと思っていたことが実は違う、という発見を楽しんでいます。こういった経験も日本ではできないことのひとつです。学生のうちに、留学の機会を得るこ とができて本当に嬉しく思いますし、JICの皆様、また出発前に貴重なアドバイスを下さった先輩方には本当に感謝しております。ありがとうございます。11月には、シカゴとニューヨークにも行く予定ですので、またレポートでご報告できればと思います。JICの皆様もお体にお気をつけてお過ごしください。

写真4:10月末現在の様子

写真4:10月末現在の様子

神戸市外国語大学 外国語学部 国際関係学科3年
近藤 千鈴

後藤直樹さんの2010年10月分レポート

JICの皆様、こんにちは。気がつけば8月15日にシャンペーンに着いてから、もう二ヶ月半の時が過ぎようとしています。

こちらについた日のことで今でも鮮明に覚えているのは、キャンパスへ向かうLEXバスから見た一面に広がるコーン畑です。ちょうど日が沈む時間帯のバスに乗ったため、沈む夕日にコーン畑が紅く染められていく瞬間を見ることができました。その時まで地平線なんてテレビの中以外で見た記憶がありませんでした。素朴な風景でしたが、ここが紛れもない異国の地だということの確証を得たようで、なぜかとても自由を感じたのを覚えています。

写真1:リス(NewYork育ち)

1.地平線ってこんな感じです(夕焼けはご想像ください)

<生活編>

もちろん、そんな自由もほんの束の間の話で、キャンパスに着いたあとしばらくは、とにかく生活に馴れるのに必死でした。奨学生の仲間や、ルームメイトに助けられてようやくちゃんと生きていけるかもと思えたのは、数週間たったころでしょうか。

思えばルームメイトのzeeには随分と助けられました。テキサスからの19歳、transfer studentと経歴だけ聞いて想像していた人物とは全然違い、まったく19歳には見えない彼は、着いた日の深夜に初めて会ったその足で、僕をWalmartに連れて行ってくれました。睡眠不足でもうろうとした頭で、車を運転する彼を見ながら、日本帰ったら免許取ろうと固く決心したような気がします。

そんな怒濤の数週間もあっという間に過ぎ、はじめ全然聞き取れなかったルームメイトの英語も、はじめ全然聞き取って貰えなかった僕の英語も(特にSUBWAYの注文!)、時が経つにつれなんとかなるようになっていきました。あれほど頼りに思えたルームメイトも、部屋は常にmessy、土日は夕方の六時まで寝ているなど、実は相当lazyなことも分かり、気がつけば僕は散らかったゴミを捨て、ゴミ箱のゴミを替え、洗濯物が臨界点に達した時は、”Zee, its time to do the laundry”なんて言い、いつの間にかまるで息子の面倒を見る母親になっていました。

jic-2011-goto-002.png

2.RoommateのZee。みんなでアイスを食べにいくところ

実はそのあと、僕はSherman Hallという寮の一人部屋に移り、いろいろな事情があって彼もテキサスに帰る事になり、実際に一緒に居たのは一ヶ月半ほどだったのですが、思えばいろんな経験をさせて貰えました。寮を移る時、”I am worrying about my son’s future life after I move to Sherman”と言うと、”If you are not an exchange student from Japan, I’ll say ‘fuck you’”みたいな事を笑いながら言われたのを覚えています。それでも母は息子のことがやはり心配で、今でも時々大丈夫かな、と思い出したりします。

生活に落ち着いたのも束の間、授業が始まると課題に追われる日々が続いて、あまりいろいろな事をする余裕がない日々が続いています。ただ日本に居る時から聞いていた通り、このキャンパスには本当にいろんなResourceがあるんだなということは朧げながら実感することが多いです。

Krannert CenterやArt Museumでは毎日いろんなコンサートやイベントをやっていますし、ボブ・ディランやイツァーク・パールマンなどの大物がさりげなく来ていてびっくりすることもしばしばです。出不精な性格も手伝って、こんなすばらしいResourceもまだ全然活用できていないのですが、次回の奨学生レポートまでにはこんなResourceをもっとたくさん発掘して、ご紹介したいと思います。

jic-2011-goto-003.png

3.夜のKrannert Art Museum

<講義編>

噂に聞いていた通り、アメリカの授業は本当に大変なものでした。授業が始まったばかりのころは単位が取れなくて日本に強制送還になるのでは、と本当に心配になるほどでしたが、二ヶ月たった今は、少し余裕を持って授業のことを振り返る事もできるようになったかと思います。これをよい機会に、いろんな部分で日本の大学とは大きく異なっているこちらの授業について、少し思っている事を書かせていただきました。

・SOC 364 Impacts of Globalization

こちらに来て本当に取ってよかったなと思える授業です。僕の個人的な印象ですが、日本ではグローバリゼーションと言うと、なんにでも使えるマジックワードとして機能するか(とりあえずグローバリゼーション)、抽象的な理論として語られることが多いように思うのですが、Prof. Dillの授業はずっと具体的な事例を軸にして講義が組み立てられています。

例えば国をまたがって経済活動を行う、TNCs(Trans National Corporations)がどのように個々の国家の政策を利用して経済活動を行っているのか、世界中に広がったCommodity Chain(下請け企業の連なり)をどのようにコントロールしているのか、このCommodity Chainが途上国の発展や人々の生活にどのような影響を与えているか、などが授業の素材になっています。国家レベルの政策で企業をコントロールすることが難しくなってきている、という事はよく言われることですが、具体例を通してそれを強く実感する機会となりました。

Prof. Dillは、講義自体が上手いのはもちろん、緻密な授業計画や、生徒の名前を全員覚えているなど、本気で講義に関わっていることがひしひしと伝わってくる教授です。とりわけ、セメスターで4回出されるリアクション・ペーパーという課題は、授業のreading課題を読み、それを要約、批判的検討、そして自分の考えを述べるというかなりしんどい課題ですが、これがある回はやはり内容の理解が深まっていることを感じられ、よい仕組みだなと感じています。

もう一つこの授業をとってよかったな、と思えるのは、クラスの中で友達ができたことです。隣に座っていた、よく発言するなぁと思っていた友人に、ある日ペン貸して、と言われて貸したのが仲良くなるきっかけでした。授業後、彼は僕にペンを借りた事を忘れて熱心に教授に質問しているので、僕はそれが終わるまで待っていたのですが、そのおかげで、なんとはなしにご飯いこうかということになり、それから連絡を取り合う仲になりました。ちょうどその頃、アメリカ人の友達全然出来ないなぁ、授業全然わからないなぁ、と打ちのめされていた時だったので、彼の登場には本当にすくわれました。彼のことは、またいつかのレポートで報告できたらと思います。

・ANTH 230 Sociocultural Anthropology

もう一つお気に入りの授業は、この人類学の授業です。ですが講義の面白さが分かるようになったのは、講義が大分進んでからでした。

はじめEthnographyを読む授業との事で興味を持ち受講を決めたのですが、授業の初回から人類学の学説史の講義がはじまり、その時は取る授業を間違えたのかと思いました。退屈な学説史は数回続き、一瞬ドッロプしようかと迷った時すらありましたが、そのあとethnographyの読解が始まると、教授がなにを思って授業を組み立てているのか分かるようになり、それ以降、講義自体がずっと面白く感じられるようになってきました。

この講義では全部で三冊のethnographyを読むのですが、あの退屈な学説史はそのethnographyを読む上でのcontextとして必要なものなのでした。単純にethnographyを読むだけでなく、そのethnographyが書かれた時期ににどんな理論的問題や葛藤があり、それがそのethnographyにどんな影響を与えているかを踏まえて読んでいこうというのが、Prof. Ortaの狙いのようでした。そういう計画を事前に練っている緻密さを見ると、やはりがんばろうという気になります。

この授業では、TAにもいろいろと助けてもらい、それがモチベーションにもなっています。ディスカッションのクラスではTAのすぐ側に座り、助けてオーラを出していたのが功を奏したのかも知れません。実際、どの授業も前の方に座る事にしていますが、前に座ると教授もTAもすぐに存在を認知してくれるので、いいことがたくさんあるように思います。

・こちらでの授業の特徴

Prof. DillもProf. Ortaもそうですが、こちらの授業ではシラバスがかなり重要で、それが緻密に練ってある授業は良い物が多いのではという印象を抱いています。

実は、セメスターの最初の頃、Population Issuesという授業を取っていたのですが、その講義はDropし代わりに別の授業をとるという選択をすることがありました。その授業をDropした理由は、スライドが一切ない、授業内容がかなりランダム、などと留学生にはきついだろうと思えるいろんな理由があったからなのですが、今思えばこの授業では授業計画もmidtermの前までの物しか配られることがありませんでした。

シラバスはその教授の授業へのスタンスが如実に現れるもので、実は熟読吟味する価値のあるものではないかと最近思っています。講義でのReading Assignmentをどこから選ぶかという点だけ見てみても、テキストブックを中心に出す物から、広範囲の文献から細かくpick upしているものまで講義により様々です。一概には言えませんが、テキストブックを一つ簡単に選ぶのよりも、さまざまな文献から拾い集める方が、ずっと時間も労力もかかるでしょうから、ここからも教授の講義へのスタンスが見て取れるように思います。

こうして振り返ってみると、様々なところで自分が親しんできた日本の大学教育とこちらでの教育の違いに気づきます。どちらが良い悪いかではなく、この違い自体に面白さを感じています。日本にいる頃は、日本の教育は出鱈目でよろしくない、アメリカの方がずっと良い、とよく言われましたし、僕もそんな風にずっと思っていました。表面上は(課題量の多さ、シラバスの細かさ)確かにそうかもしれないのですが、決して一概にそうとは言えないとだろういう事もこちらに来て感じるようになりました。

この日米の教育のスタンスの違いは、もちろんごくごく狭い経験の幅の中からしか語れない物ですが、この留学を通して自分なりに考え続け、レポートの中でも少しずつ書いていけたらと思っています。

<最後に>

こちらアーバンナ・シャンペーンでは、嘘のように暖かい日が続いていたのですが、ここ数日はめっきりと冷え込み、昨日の夜には早くも氷点下を記録いたしました。ただ寒いのは嫌いですが、冬の朝の凛とした空気は好きなので、実はキャンパスの冬をすごく楽しみにしています。

この奨学生レポートを書きながら、ふと一年前のことを思い出しました。ちょうど一年前のこのころ、過去の奨学生レポートを読みながら僕は、その経験談に憧れつつも、どちらかというとむしろ圧倒され、奨学金に応募する事すらためらっていたのを覚えています。実際こちらに来てからも、こうでありたい自分と、日本にいたころからの相変わらずの自分のギャップに、落ち込む日々が続いていました。

けれど、そんな日に限って、話したことのないクラスの友達が話しかけてくれたり、TAや教授が話しかけてくれたりして、たったそれだけのことで随分と救われたりしました。こちらの教授やTAは、みんなフレンドリーで、例えそれがマックのお姉さんの笑顔とおんなじで、僕にだけ向けられた愛ではないにしても、積極的に勘違いして喜ぶようにしています。まだ留学生活は四分の一しか過ぎていない中、総括する段階には全くありませんが、それでもこのキャンパスとここでの生活が少しずつ好きになってきている事だけは、ここでご報告させて頂きたいと思います。

このような素敵な機会を戴けたことを、JICのみなさまに感謝するとともに、後押しをしてくれた両親と叔父、暖かく送り出してくれた研究室とサークルの友人たち、マックの笑顔はできなくともうれしいメッセージをくださった指導教官、何処の者とも知れぬ学生に一筆書いてくださったある尊敬する先生に、感謝の気持ちを述べさせて頂き、第一回目の奨学生レポートを終えたいと思います。

4.Quad。冬のQuadも必ず撮ります

4.Quad。冬のQuadも必ず撮ります
2010年10月30日

京都大学人間環境学研究科 修士一回

後藤 直樹