後藤直樹さん2011年最終レポート

JICのみなさま、レポートを読んでくださっているみなさま、こんにちは。

帰国してから5ヶ月が経とうとしています。ちょうど二年前の今頃は、小山八郎記念奨学金への応募を本格的に準備していた頃だと思います。過去の奨学生レポートを何度も何度も読んでいろいろと逡巡していたあの頃を、ふと思い出しました。こんなすごい経験自分に出来るのだろうか。そんな資格自分にあるのだろうか。当時の自分にとっては、応募するということ自体、容易に踏み出せない一歩でした。

二年間経って今、あの頃の自分から、すこしは変われただろうか。強くなれただろうか。たぶん、とは言える気がします。少なくとも二年前の悩んでいたあの時の自分に、やっぱり君の選択は正しかったよ、とそのことを迷わず伝えられるのは確かです。かつての自分と同じように、逡巡しながらも留学に興味を持ってこのHPを読んでいる誰かに何かを伝えられたらいいな、と思いながら、この最後の奨学生レポートを書かせていただいています。

日本に帰ってきて半年、「留学どうだった?よかった?」と、久しぶりな誰かに会うたびに聞かれます。「良かったです。また行きたいです。」迷わず応えています。その言葉に嘘はないし、美化しているわけでもありません。でもふと冷静にこの留学を振り返ると、自分からそういう言葉が出てくるのが不思議に思える時があります。

思えばイリノイに居た9ヶ月間、そんなに楽しい事ばかりではありませんでした。むしろ割合から言えば、しんどい事の方が多かったかもしれません。いつもプレッシャーに追いかけられていました。普通にやったら終わらないようなアサインメント。数日後の課題がちらちらと頭をよぎり、寝れなくなる事もしばしばでした。不眠症になったのは、人生で初めてだったように思います。しょっちゅうおなかを壊していたような気がするし(脂っこい中華のせいですね!)、40度以上の高熱を出して寝込んだのも二度三度ありました。要領という存在に気付いて楽になったのは、ずっとずっと後でした。

ああ、自分はなんてタフじゃないんだ。もっと力を抜いてやれば良いのに、なんでそんなに肩肘張ってるのさ?と、何度も何度も思った気がします。それでも今、こうして確かに大きなものを学び取って帰ってきた、と確信しているのは、こんな情けない自分と向き合いながらも、少しずつそれを乗り越えて行ったからだと思っています。

一つ、本当に大きな転機になったと思っている事があります。Fall Semesterも中頃を過ぎた頃、津波が東北の町を飲み込んで行く俄には受け止め難いニュースが、1万キロ離れたイリノイにも届きました。こんなにも離れているのに、ニュースが届くのは一瞬でした。物理的な被害は一切受けていないのに、家族も無事なのに、大きなショックを受けている自分。授業やアサインメントにも手がつかなくなる。身体は大丈夫なんだから、少なくとも今やるべき事をやらなければならない。頭では分かっていながらも、どうにも動けない。大丈夫なはずの自分が心底、情けなく思えました。

幸いなことにちょうどそのすぐに後、大学は一週間の春休みに入りました。このままじゃ駄目だ、と思いました。どうにか態勢を立て直さないと。悩んでいても仕方ないし身体を動かそうか。そう思い、ARCという大学のジムのCombatルームで一人、ワークアウトを始めました。アメリカでも振ろうと日本から持ってきた木刀で、数ヶ月ぶりに習っていた古武道の練習を始めました。懐かしい感じがしました。汗を流した後、ああこれだ、と思ったのを覚えています。

授業が再開されてからも、毎日ARCに通い続けました。どんなにアサインメントに追われていようと、それを途中でほったらかしてでも、一日一時間は身体を動かすようにしました。好きなことは続くものです。結局、それから帰国までずっと、ほとんど毎日ARCに通いつづけました。不思議な事に、今まで感じていたプレッシャーや、夜寝られなくなるという事が、運動するにつれだんだんなくなって行き、むしろ前よりずっと効率的に勉強に向かえるようになって行きました。

本当に些細なことですし、当たり前と言えばそうかもしれません。けれど、個人的にはとても大きなことだと思っています。自分がタフじゃない、ということは昔から良く分かっていました。でもだからしょうがない、ということでそんな自分をあたりまえとして受け止めたくはありませんでした。そういう自分であるということは認めながらも、どうにか努力でそこを補えたらと思っていたのです。

後から振り返って思うのは、このときに私はその為の小さな可能性を見つけられたのではないか、ということです。自分は自分で立て直すことが出来る。自分に自分から働きかけることが出来る。その気付きは私が一生の中で得たものの中でも有数の、心強い確信として、これからもずっと共にあるような気がします。

留学というoptionが開く可能性のようなものは、ほとんど無限にあります。いま振り返ってみて、もっと出来たのでは、そんな風に思えることはたくさんあります。けれど私は此所で種のようなものを貰ってきたのであって、それはむしろ今から、大切に育てていかなければならない可能性のようなものだと思っています。

二年前の自分へ、もし何かできることがあるのなら、君がしようとしていることは良い選択だと思うよ、とそっと声をかけるだろうと思います。小さなことに悩んでるなぁ、と思うかもしれません。けれど元気に一回り大きくなって帰ってくることを(体重ではなくて)切に願うだろうと思います。

二年前にタイムマシンで帰る訳には行きませんから、代わりにかつての自分のようにいま、悩みながらも留学や何かいろいろな選択を決断しようとしている人に、同じ言葉をかけれたらな、と思います。成長は個人的なものであって、あらかじめその形を予測する必要はないと思います。可能性を限らずにいれば、本当に価値があると思うものに出会えると、信じています。

最後に、この留学はたくさんの人の支えがあってこその物でした。本当にそうでした。何かの可能性にかけて奨学生に選んで頂いたJICの皆様、後押しをしてくれた叔父、支えてくれた家族、お帰りと迎えてくれた研究室のみんな、本当にありがとうございました。嬉しかったです。また、何より他の同期の奨学生の三人、ありがとう。本当にこの三人が同期で良かったな、とつくづく思います。一人一人が僕の中で強烈な印象を残しています。そして最後にもう一人、9ヶ月間いつも助けてくれていた友人に、この上ない感謝を。どれほど助けられたことか。本当にありがとう。

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近藤千鈴さん2011年最終レポート

JICの皆様、こんにちは。2010年度奨学生の近藤千鈴です。日本に帰国し、総会で留学のご報告をしてから、早三か月が経とうとしています。一年ぶりの授業に馴染めるだろうか、と多少不安を覚えながら、先月大学にも復学いたしました。

奨学生レポートも今回で最後になりますので、留学を終えてからの振り返りを書きたいと思います。

Final Week前~学期後

徐々に期末試験に向けて授業が大詰めを迎えた4月は、AAS258 Muslims in Americaの最終課題であるresearch paperの準備に、多くの時間を費やしていました。この課題は大学でのインタビュー調査が前提になっているのですが、私は短い準備期間の中とにかくデータを集めたかったので、ムスリムの学生が、どのように大学で宗教的な食生活(教義上食べることを許されている食事)を保っているのか、また実践の度合い、宗教的な解釈の個人差はどのように生まれるのか、という比較的シンプルなテーマを設定しました。調査期間中は、とにかく毎日色々な所に出向き、参加者を募ってはインタビューを行う、の繰り返しでした。ラッキーだったことは、インタビューと称して国籍もバックグラウンドも様々なムスリムの学生と話す機会が持てたことです。図らずとも、この授業のテーマである「アメリカのムスリム」の多義性を肌で感じることができました。インタビュー調査についても、予想以上に面白いデータがとれ、教授やクラスメートからも非常に好意的な評価をもらうことができました。

5月に入ると、いよいよ学期末試験に向けて忙しくなりました。案の定いくつかのレポートは提出期限ぎりぎりに書き始めることになってしまい、ファイナルを終えた友人が実家に帰った後も、ひたすら一人コンピューター室で課題に取り組み、別れの感傷に浸る暇もありませんでした。時間的に余裕をもって終わらせた課題については、LibraryでのWriter’s Workshopという添削のアドバイスを受けることができたのですが、そうではない課題は一気に書き上げたため、出来上がったペーパーを見てもどこか違和感のある箇所がありました。イリノイにいた9か月間で、今までにない量のwritingをこなしたとは言え、やはり適切な語彙を使い、英語話者の視点で無理のないロジカルな文章を書けるようになるには、まだまだ練習が必要だと感じています。

学期後は残りの海外生活を惜しむように、1か月ほどヨーロッパを旅しました。まともな旅行鞄もなかった私は、リュックと2つの肩掛けバックを持って移動する、という極めて不細工な恰好ではありましたが、大きなトラブルもなく一人旅を満喫しました。ドイツで新型の食中毒が流行っているときに、何も知らず前の晩の残り物を食べてしまい、その後は懲りて、文字通りパンとソーセージのみで過ごしたのもいい思い出です。

旅先では、アメリカ人に出会うこともしばしばあったのですが、彼らとシカゴやイリノイの話を過去形で話していることに、ああ、もう自分の留学も終わったのだな、と強く感じたことを覚えています。思えば、道中でも何かと日本に帰るのだ、ということを意識させられ、日本の生活に戻る心の準備をしているような旅でした。

留学を振り返って

もともと留学への興味はありましたが、私がイリノイ大学への留学を強く希望したのは、日本で所属する大学の講義や、「あれもこれも」といった広く浅く型のカリキュラムの内容に不満を覚えていたことが大きかったと思います。そのため、留学先では自分の大学で学びきれない分野、具体的には文化人類学を一から勉強してみたい、と考えていました。そういった意味で、私は自分の専門分野における知識や経験の蓄積が、他の留学生と比べて少ないところからのスタートだったと思います。イリノイで学生と議論する中でも、彼らと十分に張り合うには自分に絶対的な強みがないということを痛感することが多く、苦い思いをしました。ただ、それで萎縮してしまうのではなく、切り替えて目の前の課題に取り組み続けたことは、私の自信につながっています。

振り返ると、向こうで新たな興味の対象を見つけ、深めることができたことは大きな収穫でした。もちろん、まだまだ学ぶべきことはありますが、大まかな導入を学び、多くのケーススタディを経たことで、日本で勉強を続けていくだけの土台はできたように思います。

それに加え私が留学の目標として考えていたものには、アカデミックな英語に慣れ、学部で通用する程度まで上達させること、単純に海外経験を積むことで、異文化の中でのストレスに対処して生活していけるだけの基礎体力のようなものを身につけたい、ということでした。英語に関しては9か月の留学の間に慣れはしましたが、多くの奨学生が言うように、学期中は目の前の課題をこなすことに時間を追われ、あまり集中的に英語の勉強ができませんでした。帰国後こそ、地道な勉強を続けなければと実感しています。

最後になりましたが、JICの皆様、先輩方には、一年を通してたくさんの励ましを頂きました。出発前から留学を終えるまでの節目には、JICの方からの支えがあったことを思い返します。今後は自分にできることで、JICに恩返しができればと考えています。ありがとうございました。

留学をして


【イリノイ大学体験レポート】 柳 潤子
簡単な自己紹介
一橋大学法学部法律学科 イリノイ大学留学前までは法科大学院志望だったが、帰国後進路変更し現在就職活動中

留学しようと思ったきっかけ
高校一年生の時から、将来は弁護士になると決めていたため、多くの弁護士が社会の様々な分野で活躍しているアメリカへ実際に行って、自分自身がどういった弁護士になれるのかを考えてみようと思ったのが一番大きな理由だと思います。大学一年生の時から学生NGOに所属し、日本に住む外国に背景を持つ子どもたちへの教育支援を行っていたため、アメリカで移民問題やNGO、学生団体の運営について学んでみたいとも思いました。また、この先海外の大学院へ行こうと思ったときや、海外へ仕事の分野を広げたいと感じたときに、学部生時代に一年間海外で学生生活をすることが、将来の可能性や選択肢を広げてくれるのではないかと思い、応募いたしました。

イリノイ大学における学生生活
大学進学のために親元を離れ東京で一人暮らしをしていた私にとって、寮での生活が新鮮でとても楽しかったです。ルームメートと1つの部屋を共有することが最初は不安だったのですが、家族のように心を開いて話ができるようになり、同じフロアには仲のいい友人が何人もでき、夜中に友人の部屋へ行っておしゃべりをしたり、週末には一緒に遊びに出かけたりと毎日本当に人に恵まれた生活を送っていました。アメリカ留学中の冬休みにはイリノイ大学のプログラムを通して、奨学金付きのイスラエル留学をさせていただくなど、一年限りの大学生ではなく、イリノイ大学生としてイリノイ大学の職員の方々にも本当に大切に扱っていただきました。社会問題に触れる機会も多く、移民問題やジェンダー問題に携わるグループにメンバーとして参加させていただき、多くの刺激も受けました。また授業で英語がわからず苦労したことや肌で感じた自分知識不足・見識不足の点については、これからの人生における新しい課題をいただいたと思って学び続けていくつもりです。

これから小山八郎記念奨学制度に応募する方へのメッセージ
将来は弁護士になる!と決意しての留学でしたが、このイリノイ留学が大きなターニング・ポイントとなり私は就職することにしました。それは、アメリカで民族や宗教の違う人々が一緒に暮らす難しさと奥深さ、日本の豊かさが決して当たり前ではないこと、さまざまな角度から社会問題、政治問題に取り組む友人たちの姿を見て、日本で弁護士になるのではなく、もっと国際的に社会に貢献できる人になりたいと思ったからです。留学準備、留学中、帰国後とイリノイ大学同窓会の方々には本当に多くのアドバイスや支援をしていただきました。一年間日本で在籍していた大学を休学してのイリノイ大学留学だったのですがお釣りどころかそれ以上の経験をさせていただいたと思っています。さまざまな留学の形がありますがアメリカ・イリノイ留学は、チャンレンジしてみたいと思ったら、どんなふうにでも充実させることができる機会だと思っています。是非応募してみてください。

田中豪さん2011年最終レポート

JICの皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。田中豪です。日本に戻ってきてから4カ月以上が経ちました。一年間の留学生活を振り返りながら、最後のレポートをお届けいたします。

これまでの3回のレポートでは、授業や旅行などについて詳しく書いてきましたが、今回のレポートでは、趣向を変えて、1年間のイリノイでの経験を踏まえて、留学前に聞いた2つの噂とも仮説とも言えるような言説を検証しながら、留学の総括としたいと思います。

仮説1:アメリカの大学生は、日本の大学生よりもよく勉強する。留学すれば勉強できる。

渡米直前、僕は期待に胸を 大きくふくらませていました。というのも、様々な人から、「アメリカの学生はよく勉強する」という話をよく耳にし、留学経験者が口をそろえて、「留学中は よく勉強した」と話していたからです。そんなわけで、アメリカの学生はみんな勉強が大好きで、僕もそんな環境で毎日刺激を受けることができるのだ、と勝手 に思いこんでいました。しかし、結論から言えば、たしかにアメリカの大学生の方が、日本の学生よりも机に座っている時間が長いとは思いますが(日々の課題 の絶対量が多いため)、アメリカのすべての生徒が「学問」に対する高い意識と尊敬を持っているとは限らないですし、留学したからといって勉強できるもので もありませんでした。

日本の学生は、卒業に重きを置いているので、基準が「単位を取るか、落とすか」であるのに対し、アメリカの学生にとっては、成績が重要なので、基準が「Aか、それ以下か」です。つまり、アメリカの学生は、日本の学生より成績上のハードルを高く設定しているだけで、評価のために勉強しているという点で、日本の学生もアメリカの学生と本質的には何も変わらないと思います。前回のレポートでも触れたように、PS310というクラスでは、学生が徒党を組んで教授に抗議し、コミットメントが少なくてすむように、ペーパーから期末テストに変更されました。すべてのアメリカの学生が、知へのあくなき探求心を持っているわけではありません。

また、たしかに、日常的に課題があり、毎週のリーディングアサインメントの負担も軽くありません。それでも、宿題をこなさないと教授に怒られるわけでもないですし、テスト直前に風邪を引いたといってヘルスセンターか病院に駆け込めば、簡単にMake up examの場が用意されます。日本にいたときと同じように、勉強も簡単にさぼることができます。

ですから、アメリカに行っ ただけで学問ができる、というのは幻想であって、その点で、アメリカに行きさえすれば、そこには最高の環境があり、高い意識を持つことなく勉強できるとい う僕の考えは、大きな甘えでありました。結局は、個人がどれだけ自分を追い込んで勉強できるか、によるのだと思います。日本では不真面目だった自分が、留 学すれば大学に通って、日々の課題にも真面目に取り組むようになるだろうと、アメリカ留学という言葉だけに甘えていた自分がいました。勉強するか、しない のか、それは本人の意志の問題で、それ以上でもそれ以下でもなく、留学してもしていなくても同じだと思います。

そんなあたりまえのことに 当初は気付かず、あるいは気付かないふりをしてしまっていたという点で、悔いが残ります。それでも、日本でも、アメリカでも、どんな環境であっても、最後 は自分次第ということを身をもって感じられたのは、僕にとっては大きな収穫でした。これからの人生、環境のせいにするのではなく、どんな場所でも、腐るこ となく精進していこうと思います。

ただ、いくら日本の学生も アメリカの学生も五十歩百歩だと言っても、また、本人の意志の問題だといっても、大学側の学生へのサポート、アクセスには違いがあると思います。アメリカ では、オフィスアワーも制度化されていますし、少人数の授業も多いです。また、(どの程度の実効的な影響力があるかは不明ですが)学生が教授を評価するシ ステムが少なくとも存在し、教授が好き放題に、自分の研究を話すというよりは、学生のニーズにあった授業を心がけ、学生が興味を持ちやすいような課題を目 指している、という学生に対する温かい姿はあると思います。あえて二分論をとれば、日本の大学は、意識の高い学生しか活躍できないけれど、アメリカの大学 は、やる気のない学生にやる気を出させるようなシステムがより制度化されている、ということは言えると思います。

仮説2:留学すれば、英語が上達する

現地で1年間生活するわけですから、当然、英語が上達するだろうと思うわけですが、振り返ってみれば、その場に滞在するだけに甘んじていれば、語学もたいして上達しないという反省があります。

たとえば、授業ですが、日本に比べれば、授業は双方向的かもしれません。それでも、自分が話す時間は、1時間当たり数分。授業が1日に3時間程度であるとすれば、授業では、トータルで1日あたり10分話すかどうかです。課題が忙しいから、睡眠不足が続いたから、と理由をつけ、サークルにも参加せず、友達と出かける誘いも断っていると、スピーキングが上達する機会はほとんどなかったと思います。

ライティングについても、 ペーパーの提出がない授業だけをとれば、長い文章を書かずにすみます。また、たとえペーパーを提出しても、そのペーパーが添削してもらえるかは採点者次第 であって、ライティングの授業でなければ、細かい文法や表現は訂正されずに、内容面だけが評価されることがほとんどだと思います。つまり、間違った表現を 間違ったまま使い続けるわけで、正しい英語を身につけるには、自分で添削をネイティブスピーカーに頼む必要があります。

語彙力についても同様です。現地で漫然と生活しているだけでも、たしかに英会話能力は多少上達するかもしれませんが、New York TimesやThe Economistに出てくるような表現は、机に座って、難しい単語を紙に書いて覚えるような作業をしない限り、身に付かなさそうです。上でも書きましたが、「留学」というかっこいい響きに甘えて、地道な努力を留学中に積み重ねていくことができなかったと思います。

語学についてのこれらの点は、もう留学は終わってしまいましたが、日本でこれからこつこつと頑張っていこうと思います。

自分のこうした反省を踏まえて、もし、僕がもう1回交換留学できるとしたら、心がけることを、次回以降の留学生の参考になれば、と書くことにします。

  1. 学問が好きな学生が集まる授業(General Educationの該当授業はおすすめしない)をなるべく選択する。少人数授業の方がベター。授業やオフィスアワーで教授やTAと積極的にコミュニケーションを取り、できるだけ刺激を受ける。
  2. 個別のLanguage Tutorを学内で見つけて、ペーパーのフィードバックを必ずもらい、書きっぱなしにしない。また、細かい発音のクセや間違った口語表現などを直してもらう。お互いにResponsibilityが発生する、Language Exchangeかお金を払うTutorialの方がより真剣に勉強できるのでいい。
  3. 授業外のアクティビティに積極的に参加する。とくに、定期的にあつまる組織に所属する。趣味のサークルでも、まじめな勉強系のサークルでも、毎週同じ人と顔を合わせて、存在感をアピールできるようになることが重要。

1年間を振り返ってみる と、辛いこともありましたし、それなりには努力できたとは思います。少なくとも、日本にいたときよりは、はるかにまじめに勉強に取り組んだはずです。一方 で、ルーティーンをこなすのに精いっぱいで、自分の努力が、自分の目標に本当に結びついているのか、一番効率的な方法なのか、と振り返る余裕もなく、現状 に満足することなく、よりよい方法を探すような一歩引いた視点が足りなかったと思います。

私事になりますが、5年前後で海外留学する職場に決まりました。今のところは、アメリカの大学院修士課程に留学することを考えています。実際に仕事を始めてみると志望する留学先も変わるかもしれませんが、今回の経験を次回の留学に必ずつなげていこうと思います。

こうして、留学生活を振り 返ってみると、迷える子羊状態であった留学前の自分が信じられません。現在も将来に対する不安はありますが、この留学は、自分に自信をつけてくれました。 最後に頼りになるのも、決断するのも自分。その責任も自分。その他のあらゆることは言い訳にすぎないと分かったのは、この奨学金プログラムのおかげです。 本当にありがとうございます。

そんなJICにいろいろな形で恩返しをしていけるように、今後もお手伝いしていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2011年10月7日
東京大学 法学部 4年
田中 豪