野村友香さんの2016年3月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。40期の野村友香です。到着前からずっとイリノイの厳しい冬を恐れていたのですが、今年は暖冬だったようで大雪+強風で外に出るのさえつらいというのは合わせて5日もなかったように思います。2月後半ごろから10度に到達する日も時々あったのでびっくりしたほどです。

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(冬のある日)

春学期が始まってちょうど半分が過ぎました。1週間単位の時間の感覚はすごく長く感じて毎週金曜日を待ち遠しく思っていますが、振り返るとあっという間の2ヶ月でした。

今回のレポートは

  • 長い冬休みの出来事
  • 今学期の新鮮な授業
  • 生活イロイロ

という内容でお送りしようと思います。

 

  • 長い冬休みの出来事

12月19日〜1月18日まで丸1ヶ月冬休みでした。この1ヶ月は私が今まで過ごしてきたどの1ヶ月よりも濃い期間だったと思います。なぜならアメリカを飛び出してまずは南米に向かい、その後ヨルダンまで冒険をすることになったからです。

 

〜前半〜

最初の二週間は南米旅行ということでペルーとボリビアへ行ってきました。カナダとチリに留学している日本の友達とペルーで待ち合わせをしていたのですが、久しぶりに仲の良い日本の友達に空港で会った瞬間のうれしさは最高でした。南米は英語も多少は通じますがスペイン語ができると旅の楽しさ+楽さは倍増すると思います。チリに留学している友達のおかげで語学面では全く困ることはありませんでした。宿のおじさんやおばさんはスペイン語しか話せない場合もあり、日本人3人が来るとがんばって英語で話そうと努力してくれますが、こちらがスペイン語を話し出すと「え!話せるの!!」という感じで次から次へと観光情報やレストラン情報を教えてくれました。どの言語でも話せることに越したことはないので理解できる言語を増やすというのは人生の課題でもあります。

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(マチュピチュをバックに)

ペルーでは首都リマからクスコに移動し、その後マチュピチュへ向かいました。ペルーボリビア間は夜行バスで移動(これが乗る前は未知すぎて恐怖だった)、その後ウユニ塩湖へ。ウユニは言われていた通り本当に日本人が多く、その場にいた8割以上は日本人で残りは中国韓国その他の国というように思いました。サンライズとサンセットツアーに参加したのですが本当に写真でよく見るようなきれいな景色が目の前に広がっている様子はあまり現実のように思えませんでした。ただ予想以上に寒すぎたので夏の時期に行くといえど標高がかなり高いので防寒対策は大切です。

 

慣れない土地で治安もあまり良くない中、基本的に気を張りながら歩いていないといけないので疲れることはありましたが、久しぶりに友達に会えたことと未知なる地にいるわくわく感に溢れた旅となりました。

治安最悪と言われるペルーボリビアの国境を通ることになったり、換金するときに偽札を渡されたり正しい額をもらえなかったり、街が予想以上に汚かったりとあまり今までに経験したことのないような面もありましたが、それ以上にきれいな景色やおいしいごはん、伝統的な街並み、それに世界にはこのような場所もあるのだなあと感じられたことが大きな収穫となった旅でした。

 

〜後半〜

さて、12月30日の午前中にペルーからマイアミ経由でシカゴに帰ってきた後、同じ日の30日夜のフライトでシカゴからヨルダンへ向かいました。前回のレポートで触れたようにヨルダンへ向かった目的はGLBL298(Integration & Immigration)のクラスの現地研修です。ヨルダン出身のUIUCの教授とクラスメイト18人での旅となりました。クラスメイトの中には飛行機に乗るのが初めてという人やアメリカ大陸から出るのが初めてという人もいて、集合時はみんなのテンションが高かったです。私は南米から帰ってきた直後で海外へ行くという新鮮感がなくなってしまっていたのですが、他のみんなを見て「また別の旅が始まる!」という気分になりました。

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(集合写真)

 

現地へ行く前は週一回の授業があり、ヨルダンに隣国から流入してくる難民について理解を深めました。パレスチナやシリア、レバノン等の不安定な周辺国からヨルダンに流れてくる難民は多く、登録されているだけでも200万人以上の難民がヨルダンで暮らしています。ヨルダン国内のインフラや学校などは不足状態に陥っており、その事態は年を追うごとに深刻になっています。

 

ヨルダンでは実際に3つの難民キャンプを訪れて学校や病院、また住民の生活の様子も見ることができました。ある日にはシリアから家族を連れてヨルダンにたどり着いたという家族の話を彼らの家で直接聞くことができました。あまりにリアルな体験談に思わず涙を流している人もいました。彼らは難民としてヨルダンにやってきているので市民権がなく、ヨルダンで仕事を得ることができません。ヨルダン政府から生活費の援助をもらってなんとか生活していますが、その額は生活するのに十分とは到底言えません。シリアの政治が腐敗しているせいで自分たちはこのような生活を強いられているのは事実だけど、祖国に必ず将来帰りたいと多くの人が言っていたのが印象的でした。また、アメリカは他国への影響力が大きいのだからその自覚を国民一人一人が持って欲しい、同情ではなくて根本的な解決を一緒に考えていきたいとも言っていました。これは私がこの滞在全体を通して思ったことなのですが、ヨルダンに限らず世界各地でいくら難民キャンプの整備をしたり受け入れ先を増やしても、結局は根本の原因を解決しないときりがないということです。もちろん起きてしまった問題に対して解決策として他国からの厚い支援は必要ですが、あまりに問題が大きすぎて解決策が追いつくことはむずかしく、追いつこうとしてもさらに問題が大きくなるという負のループが永遠に続いているように思います。抽象的な言い方になってしまいましたが、こういったことを直接感じ取れたのも実際に行ったからこそ感じられるものでした。

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(Baqa’a campの様子)

また、単なる支援だけでいいのか?ということも心に引っかかったことでした。ザータリーキャンプを訪れた時、キャンプの奥に立ち入ることは禁止されたので外縁の道をバスでぐるっと一周しました。途中で、暮らしている人々がいたので持ってきた衣服や勉強道具を渡すためにバスを止めるとすぐに人が集まってきて、私たちがバスを降りるころにはバスが住民に囲まれるほどたくさんの人が集まってきました。きっと私たちのように他の国から来たひとが支援物資を渡すためにこのようによく来るから、バスがくると何かもらえると知っているのでしょう。だけれど私たちはただものを渡してあとはすぐ去るだけ。多くの人がそうしてきたのだと想像すると虚しい気持ちになり、目に見える生活の改善につながるような支援を継続的に行なわなければと感じました。かといって今自分が何ができるかということはすぐには答えられず、何かできるかと言われても自信を持って答えることはできません。ここで見た景色や感じた雰囲気は強烈に頭に残っているので今後もときどき思い出しながら答えを探っていきたいです。

 

少し暗くなりましたが、滞在中は楽しいこともたくさんありました。ヨルダンは予想以上に観光地化されている場所が多かったです。インディンジョーンズの舞台となったペトラ遺跡や死海、紅海に面するビーチでたくさん遊ぶこともできて最高の思い出ができました。このプログラムは引率の教授が行程や訪問先の手配などを全て担っていて、普段は入れないような難民キャンプもヨルダン出身であるツテを生かしてUNHCRオフィスにコンタクトをとったり、生徒が楽しめるようにとバカンス要素もたくさん詰め込んでくださいました。またヨルダンの公用語はアラビア語で街中では基本的に英語は通じず、訪問先でもアラビア語しか話せない方のお話も聞いたのですが、そういった際は教授がすべてアラビア語-英語の通訳をしてくださいました。生徒同士はもちろんですが、教授と生徒もかなり仲良くなって旅が終わる頃にはみんなのお母さんのような存在になっていました。

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(紅海。海の向こうはイスラエルとエジプト)

 

2. 春学期の授業

 

今学期の授業の中から一部を紹介します

 

CS125 Intro to Computer Science

以前からプログラミングを勉強し始めたいと思っていましたがなかなか行動に移していなくて、せっかくコンピューターサイエンスの名門イリノイ大学にいるのだから授業をとって自分を鍛えようと思い、履修しました。この授業は題名の通りプログラミング(Java言語)のイントロダクションなのですが、今までに経験がない私にとっては非常に負担が大きく毎週ハードな課題にヒーヒー言っています。Machine Problemといってコードを実際に書く課題がほぼ毎週あるのですが、締め切りまでに提出し終えて一息ついているとまた新たな課題がふりかかってくるのであまり休む暇がありません。 また、100番台といえど多くの人がハードだと言っている理由は、イリノイのCSの授業は100番200番を難しめに設定して、授業についてこられない人をCSメジャーから振り落とすという思惑があるからだそうです。

 

この授業をとって一つ思ったのは、やはりイリノイ大学はエンジニアの大学だということです。エンジニアのエリアはキャンパスの北側にあるのですが建物一つ一つが新しく洗練されているのは歩いているだけでわかると思います。また、CS125の授業は履修人数がかなり多いからということもあるとは思いますが、Office Hourが月-金の朝から夜まであり、常にCSメジャーの誰かがスタッフとしてオフィスに常駐しているので課題や授業内容でわからないことがあれば聞くことができます。また、オンライン上での掲示板もありそこに投稿すると他のクラスメイトまたはTAから宿題のヒントや質問の答えをもらうことができます。こういったシステムが完全に確立されていることに驚いたのと、私個人の感覚ではありますがやはりエンジニアの学部の気合が違うなあと思いました。

 

GCL125 The Molecular Me

 

GCLとはGlobal Challenging Learningの略で、少人数の授業で生徒同士また生徒と先生のinteractionを大切にすることに重きをおいた授業だそうです。GCLの授業は他にも多くのクラスがあり、内容は多岐にわたっています。この授業の大きなテーマはPrecision Medicineに対する理解を深めるというものです。Precision Medicineアメリカの医療政策の一つで、個人の遺伝子や生活環境、ラフスタイルによって疾患の可能性や治療方法は変わるので、自分自身を理解して健康な生活を実現しようという動きです。患者はもちろん、医師や研究者が一体となってあらゆる角度から情報を提供したりデータを分析することで個人に即した医療を提供することが目的です。

 

普段の授業のペースは比較的ゆっくりで、ある疾患に関わる遺伝子がどこにあってどのような変異の可能性があってどういった体内の伝達システムに関わっているのかということを調べたり、遺伝子を見るツールやウェブサイトを最大限に利用するためのコツを学んだりしています。また、個人で注文すると200ドルほどかかる遺伝子検査キットを無料でもらうことができました。近いうちに私の遺伝子検査の結果が出るので、それを丁寧に調べることで遺伝子のタイプ、変異、どういった病気の可能性があるかということがすべて把握できるようになります。また、遺伝子によって適切な食事も変わってくるということや個人の性格や能力に関わるもの(ストレスを感じやすいとか音楽の才能とか)も遺伝子に基づいているということも学びました。自分について遺伝的な観点からかなり深く理解できるのでとても興味深いです。

 

MCB402 System & Integrative Physiology

 

いわゆる生理学の授業で、pre-medの人が周りのほとんどを占めるように思います。授業はレクチャー形式ですが教室が比較的小さいことから質問が頻繁に飛び交っています。テストが学期に4回あるのですが、毎回A4サイズの自作プリントが持ち込み可なので、テスト前はとにかく小さい字で授業内容をまとめるのに必死になっています。

 

  • 生活イロイロ

 

・日本館でのイベント

JICとJapan Houseが共同でJapnaese Breakfast eventを3/13に行いました。日本の旅館に行ったときに困らないように朝食に関する知識を深めようというテーマの下で行いました。JICによる日本食に関するプレゼン(ある家庭の一幕を演じたスキットも)の後に、実際に朝食をゲストと食べました。メニューはかなり豪華なものになり、来ていただいた方々にも嬉しいコメントをいただいたので準備を念入りにした甲斐がありました。このイベントを通じてJICの4人もさらに仲を深められたと思います。

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(当日のメニュー:筍ごはん、味噌汁、漬物、胡麻和え、卵焼き、焼鮭、大根おろし、他に梅干し納豆味付け海苔あんみつ、)

 

・crisis nurseryでのボランティア

キャンパスのすぐ裏にあるcrisis nurseryといういわゆる託児所のような場所で週一回のボランティアをしています。同じ授業をとっている友達にこういった場所があるということを教えてもらいました。この施設は365日24時間空いていて、さまざまな理由により家庭内で子育てが負担になっている母親や一時的に子供を預けたいという家族がやってきます。もともとは隣にある病院の一部で親が入院中の子供を預かる場所だったそうですが、規模が大きくなったので独立したそうです。0歳から小学校にあがるまでの子供がほとんどです。子供と外で遊んだりごはんを食べさせたりと私はただただ楽しくやっているだけで、毎週子供と遊ぶ時間が癒しになっています。

 

 

留学中はときどき、なんだか自分の中で時が止まっているような、この1年間だけ切り取られた別の世界にいるような感覚になります。去年はどこかよそ者感があったようなキャンパスも今では愛着がわいてここに通っているという意識が芽生えるようになったし、何も用事がないときでも気軽に連絡できる友達がたくさん増えたこともここの生活に慣れたといえる理由の一つです。アメリカにいる環境を最大限に生かして多くを吸収して最後までやり遂げたいと思います。

 

最後になりますがJICの奨学金でここに留学できたことを本当に誇りに思っています。JICの繋がりでお会いできた素敵な方々がたくさんいます。ご支援いただいている皆様に改めて感謝申し上げます。また、好き勝手な娘を遠目から見守ってくれている家族にも感謝を述べて今回の報告とさせていただきます。読んでいただきありがとうございました。

 

2016年3月26日

JIC40期奨学生 野村友香