小松尚太さんの2014年12月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。悠久の時の流れを感じながら、ここイリノイ大学で過ごすことができる幸せを噛みしめる日々です。何とかひと学期を終えることができ安堵しているところです。

以下、今学期履修した授業の総括、留学を通じ考える事、Thanksgiving breakの過ごし方についてご報告いたします。

 

■今学期の授業総括

今学期履修をしてみて、思ったことを。

 

・授業におけるディスカッションとは、自分の意見を何でも述べれば良いではなく、予習段階で読んだ課題文献に基づく慎重かつ的確な発言のことを指す。

欧米の大学では授業中でのディスカッションが重視されるということは、良く言われていることでしょう。ディスカッションとは何か。私の想像では、教授と学生が矢継ぎ早の如く対話することをイメージしていました。実際は、基本は教授のレクチャーが中心で、ところどころポイントとなるところでこれはどういうことか、と学生に質問を投げ、それに対して的確に答える。これがディスカッションのようです。そうした発言は、評価の対象となるだけでなく、自身の授業における存在感を示す上でも重要です。だから予習が必須なのです。特に発言することなくやる過ごすこともできますが、気まずいです。また予習に基づいていない的外れな発言をしてしまうと、それも気まずいです。存在意義を疑ってしまいます。後述のACE255ではこうした苦虫を噛む経験が何度もありました。もちろんこれは教授・講義形式・テーマによって異なるでしょうし、たまには答えが定まっていないオープンクエスチョンで自分はどう考えるかという質問もあります。ただ共通していたのは、ガツガツ発言するというよりは、どこか慎重さを漂わし言葉を選んでいるというものです。私の講義の中でのディスカッションの感覚はそうしたものでした。

ここから得られる教訓は、「予習は大事」という当たり前のことです。しかし、当たり前のことを頭で分かっているだけでなく実行できているか。我ながら耳が痛くなる問題提起です。

 

以下、各授業に関するコメントです。

 

ESL115: Principle of Writing

エッセー・論文の書き方を学び、実践する授業でした。書き方を学ぶことは、論文を的確に読むこと、わかりやすく話すこと・伝えることにも繋がります。論文をある程度読んでいくと、大体同じような形式に沿って全体・各パラグラフが書かれていることに気が付きます。それに基づいて、それを参考にして自身のライティング能力を高めることができます。ライティングのみならず英語全般について(もっというと日本語についても)良い影響があった授業のように思います。実際この授業で学んだことを他の授業のレポート課題に当てはめながら書くと、そこそこの評価をもらうことができました。

しかし後半になるにつれ少々尻切れトンボ感が強かったこと、最後のペーパーの課題の形式が私にとって書きづらいものだったこと、TA自身が授業に対して懐疑的だったことなど、改善点すべき点もちらほら。もっと言うと、ライティングを学べる授業は日本の大学でもあるはずです。留学に行かれる方は、留学の機会を最大限活かすためにも、前もって履修・学習されることをおすすめ致します。

授業を通じて再三強調されていたのは、剽窃(plagiarism)です。剽窃とは、他人の研究の成果を断りなく無断で使用することです。他人の研究について言及する際も、きちんと言い換えたり、引用符を正しく使用したりしなければ、それも剽窃とみなされます。”何とか細胞” でこの問題が一躍有名になったことでご存知かと思います。たかだかコピペぐらいいいではないかと日本ではその事件の主役を擁護する声もありました。しかし、研究者として剽窃は言語道断であり、すなわち免職となります。これは学生についても同様で、剽窃が認められれば、単位剥奪、ひどい場合は退学処分になるケースもあります。それほど重大な過失なのです。そうならないための引用のルールをしつこいほど学びました。正しくものを書くということは大変でありますな。

 

ACE251: World Food Economy

世界の食料経済について学ぶ授業であり、需要面、供給面、そしてそれらを総合し食料貿易について考察するという構成でした。7割ほどは既に知っていた内容だったので、復習をしつつより理解を深める意味で良い授業でした。しかしただ知っているだけでなくそれを(特に英語で)説明できること、学んだモデルで現実世界を分析できる能力こそ重要ですから、その点を意識しながら学習を進めました。

この授業を通じて改めて経済学の有用さと、経済学についてより理解を深める重要性を痛感しました。この授業では、ミクロ経済を学んだ人ならご存知であろう「余剰分析」をメインに貿易の効果についての考察が進みました。留学前に学んだミクロ経済学の講義で、TPPについて日本のコメ農家がどうなるかを余剰分析したシーンがあり、その時の感動を思い出しました。シンプルで直感的で、統一的に現実を(ある程度)説明できるその美しさ。経済学の基礎的な部分についても今一度理解を深め、きちんと使えるようにならなければなと思った次第です。再三強調しますが、分かっているからといって、それについて分かりやすく説明できる・分析できるとは限りません。英語だと尚更、ですね。

 

そういえば、日本の農家といえば、試験問題の中に、

If Japan removes its import tariff on rice,

  1. Japanese farmers will hardly be affected.
  2. many Japanese farmers will no longer be able to produce rice.
  3. the job losses will not be significant because agriculture represents a small portion of Japan’s GDP.
  4. many Japanese citizens will be unhappy because the majority of the country opposes the recently proposed free trade agreement.

 

という問題があり、試験ではbが正解となっていました。やはりそのように見られているとは、面白いですね。

 

高関税により(特にコメ)農家が保護され、その分は消費者に転嫁される。

→日本の消費者は生活水準が高く、エンゲルの法則により全出費のうち食料品の占める割合が縮小している。そのためこの転嫁に気づきにくく、保護政策の撤廃に進みにくい。

→しかし自由貿易が行われることで日本産とほぼ同品質の安い農作物が入り、効率の悪い農家は淘汰される。

→逆に消費者は安くなった食料品により大きな恩恵を受ける。

 

…というのがこの授業での帰結ですが、はてさて、どう思われますでしょうか。

 

ACE255: Economics of U.S. Rural Poverty and Development

今学期の授業の中で一番胃の痛くなる授業でした。アメリカのSafety Netについてのディベートがありましたが、なんたる拷問か。ディベートは準備が肝心ですが、例え準備が十分であっても、相手の要点を抑え、それを踏まえて反駁することの難しさといったら。満足に聞き取ることもままならず、自分が担当する主張をするのみで、ほぼ何もできませんでした。最後は「旅の恥はかき捨て」と開き直りましたが、それでも悔しいですよね。精進します。

この授業ではアメリカの貧困問題に焦点を当て、様々なトピックをカバーしました。貧困の測定方法に始まり、失業、文化的側面からみた貧困、子供の貧困、教育、社会保障制度などなど。アメリカの貧困の側面を垣間見ることができたと同時に、果たして日本ではどうだろうかという疑問も駆り立てられました。これは冬休みの宿題となりそうです。

この授業は毎回のリーディング課題、学期中4回のレポート提出、アメリカのある郡の貧困状況について調べるCounty Profile、ディベート、ディスカッション重視、中間試験3回と期末試験1回と、いかにも課題が多いと言われているアメリカの授業っぽい形式でした。担当教授が授業に強制的にでもしっかり取り組んでもらおうと工夫しているのが伺える授業でした。期末試験一発勝負が多い日本に比べ、少しずつ学習を進めやすい一方、一度遅れをとるとなかなか追い付くのも大変です。

 

ECON450: Development Economics

自身の興味が、農業を通じた低所得国の経済開発に移りつつあったので、この授業を履修しました。

開発経済の理論について概観するというよりは、サブサハラ・アフリカに焦点を絞り様々なトピックをケーススタディ形式で紹介する形でした。サブサハラ・アフリカに対して様々な援助が行われる中、果たしてどれが効果的なのか。今開発経済でかなり主流となっている「ランダム化比較実験」を含め、援助の効果を測定する手法および実例を学びます。援助はどのような形であれ役に立つのだから何をやってもよいではないかという主張もあります。しかしそれに割ける資源は限られており、援助政策の中で最も効果的なものに注力することが人々の生活水準の向上の近道となると考えるのが、経済学のスタンスのようです。

興味深い授業でしたが、一つ重大なミスが。期末試験の日、試験を受けようと会場に足を運んだのですが、誰もいません。日程をよく確認すると、試験はその前の日にすでに行われていたのです。結局、小テストと中間テスト2回分で成績が付けられることとなってしまいました。他の科目に比べ注意を払って準備をしていただけに、残念でなりません。嗚呼、無念。来学期は気をつけます。

 

 

■どうでもよいことを考える日々

こちらに来て他愛もないことをよく考えます。

留学を通じて自分は成長しているのだろうか、英語は上達しているのだろうか。自分の専門についての知識・理解は深まっているのか。そういえば、何故留学したいと思ったのだろうか。帰国は5月になるが、就職はどうなるのか、どうしようか。いや、経済についての勉強が足りないから、院に進学しようか。いやいや、さすがにもう働きたい。そしたら何をして働こうか。将来自分は何を成し遂げたいのだろうか。自分の好きなことをすればよい?それがよく分からないからネチネチ考えているのだ。そんなものは働き始めてみないとわからないものなのだろうか…。いやいやいや、留学を終えた後のことについて逡巡する前に、今は目の前の勉強・留学に集中すべきだろう。そして勉強していると己の勉強不足を痛感し、やはりこの学問について少しでもいいから究めてみたいと思い…などなど。ルームメイトや友人と色々な話をしていると、ますますこうした思索の迷宮に入り込んでしまいます。私は比較的まったりとした留学ライフを送っていますが、心の中はそれほどまったりとはしていないのかもしれません。時にはモチベーションが下がることもあります。その時は思いっきりぼーっとしたり、あるいは留学の志望動機を読み返して発奮したり、中島敦『山月記』を読み返して自身の「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」を戒めたり。

こうしたどうでもいいこと、どうにもならないことについて、雑音が少ない留学という環境の中で云々と考えられるのも、醍醐味なのかもしれません。

 

…という多愛の無いことを考えながら、「やはり今日一日を平穏に過ごそう」と決意するのです。

 

■おまけ(Thanksgiving breakの過ごし方とその写真)

11月の下旬、Thanksgiving breakという休暇が1週間ほどあります。何をしようか色々考えましたが、今回はルームメイトの叔母の住むシアトル(正確にはシアトルから車で1時間ほど南にあるタコマ)に居候させてもらうことにしました。

シアトルで何をしようかと出発する前は色々考えましたが、そんな考えは吹き飛びました。子どもたちが…かわいい。一日中臨時のベビーシッターとして彼女たちと遊んでいると、あっという間に時間は過ぎ去りました。とはいえせっかくシアトルの近くに来たので、子どもたちと遊びたい衝動を抑え、渋々シアトル観光にも行ってまいりました。留学を放棄しベビーシッターとして住み込む選択肢もありましたが、その夢叶わず、泣く泣くイリノイに戻り期末試験に備えることとなりました。

第二回写真1

ホームステイ先にて。Thanksgiving dayにターキーをいただくのがアメリカでは習わしとなっているようです。皮の照りが美しいですね。約5時間かけて焼くようです。

第二回写真2

右がルームメイト、中央がその叔母、左がベビーシッター。

第三回写真3

この子たちと遊んでばかりいました。Thanksgiving breakの写真ばかりなのは、学期中写真を撮るのを忘れていたから、というのは秘密です。

 

 

以上、駄文雑文となりましたが、イリノイの地で無事過ごしていることをご報告させていただきます。残りの留学生活、支えていただいている幸せを噛み締め、有意義なものにするべく精進いたします。