喬博軒さんの2015年12月分奨学生レポート

皆様こんにちは、40期奨学生の喬博軒(きょうひろき)です。シャンペーンの爽やかな夏、美しく色めく秋もつかの間でした。前回のレポートに描いた色鮮やかなキャンパスは彩りを変え、冬枯れの景色の中で生き物たちが厳しい季節へ向けて準備を進めているのを感じます。キャンパスを以前よりしっかりとした足取りで歩み、すれ違う友人と慣れてきたあいさつを交わします。響く鐘の音はどこか日本の古い学校舎を思い出させ、好敵手のように思っていたこの場所に愛着を持ちつつあります。雑踏の中でふと顔を上げる瞬間、その移りゆく時間をいとおしく感じるほどです。寒くなってきましたが、Thanksgiving daysからChristmas、New Yearにかけての時期は、人々にとって家族で集まり美味しいものを食べる、心の温まる時節でもあります。来年のこれらの季節には日本にいると思うと名残惜しいですが、一期一会の瞬間を今までどおり大切に過ごしていくつもりです 。

写真1_kyo

(Thanksgivingのご馳走。ターキーとラズベリージャムの組み合わせ)

 

レポートにとりかかり改めてこの4か月を見つめてみると、自分がアメリカの大学生活の真っただ中にいることを強く実感し、その事実を新鮮にさえ感じます。よく言えばここでの生活に必死になり目の前の課題に没頭していたと言えますし、周りがよく見渡せていなかったとも言えます。同時に、毎日やるべきことを継続することの難しさや、いわゆる自分の弱い面に直面する経験はどこにいようと変わりません。慣れていない環境で母国語を使えない分、苦難はよりくっきりと際立ちますが、その分些細なことに喜びや達成感を感じています。

 

<生活について>

ここでの生活について私なりに振り返ってみると、少なくとも日本との差異を知覚し、それをポジティブに捉えられているのではないかと思います。第一に、他人の評価を気にしないでとにかく目の前のことに集中し、自らを表現する機会が与えられている環境をとても気に入っています。実際にはそのように行動すること以外に選択肢がないと言えるのかもしれません。失敗をしたときは良い経験になったと開き直り、誰かに褒められたときは(たとえそれが大げさで社交辞令的な意味合いを含んでいたとしても)本当にそうなのかもしれないなと素直に受けとっています。講義やディスカッションで何も言わないということは、私のいる意味が全く無いことなのだと身を持って学びながら、たどたどしくても何か言葉を発するように自然と強いられています。

 
・愛すべき友人達

私を前向きにさせてくれているのは世界中からきている学生達との出会いです。目標を持ち続けそれを維持するという面においては、この環境は私に合っていると強く感じます。他の奨学生もいうようにイリノイ大学は本当に多様な大学です。中には授業でFacebookやネットショッピングばかりしているクラスメートや、頻繁にパーティに出かけ昼過ぎに起床するピアメートもいることにはいます。(彼らも良いGPA獲得のために必死で勉強はしています。)しかしそれ以上に、出身国を離れアメリカに来てがむしゃらになって道を切り拓こうとしている人間と数多く出会いました。あるインド出身の友人は誰よりも講義中に発言し、頻繁に教授のもとへ行き質問を投げかけます。普段は優しくユーモラスな友人が、ときにあからさまな競争心をその行動や発言に覗かせます。教室全体が彼の発言を待つような雰囲気になるほど彼の存在感は大きくなっています。また、日本で高校を終え今年NYの大学から転入してきた日本人学生は、自分は要領が悪いから誰よりも勉強しなければいけないと言い、驚くほど毎日机に向かっています。実際に彼の成績は聞いたことがない程よく、その謙虚さに隠れた信念を私はとても尊敬しています。その他にも、入学して間もないにもかかわらず既に別の学校へトランスファー(転入)を準備している上海から来ている優しい青年、休み時間も教授にくっついて自らの考えを絶え間なく話し続けるエクアドルからの熱い大学院生など、例を挙げればきりがありません。彼らに出会えたことがここにきて良かったと思える大きな成果だと心から思います。がむしゃらに新たな環境で生きていくということの意味、そして自分の甘さを内省させられます。

写真2_kyo

(Dad’s Dayのフットボールゲーム。国歌斉唱の場面)

 

<講義ついて>

・アメリカの大学生の「蹴落としあい」

これまでこちらの講義に出てきて私が感じたことは、競争が日本よりもはっきりとしていることと、求められている必要要件がはっきりしていて、そこに生徒を到達させるためのシステムがうまく機能しているということです。一概にアメリカの学生が日本の学生よりも勉強するとは言いませんが、日本とは異なる教育評価システムや就職要件などといった社会状況の下、誰もがより良いGPAをとることに尽力せざるを得ない状況にいることは断言できます。(GPAなんてどうなってもいいと言う学生にはあったことがありません。)日本の医学部と比較すると驚くほど勉強しているという程ではありませんが、個々の間で競争しているという感覚はより強く感じます。私はまだ出会ったことはないですが、pre-Medの学生の間で課題に関して誤った情報をわざと与えるなどして友人同士でネガティブな競争をしているとさえ聞いたことがあります。

プラグマティズムに重きをおいた教育システムには関心させられます。やるべきことをやらざるを得ないシステムが出来上がっているのです。教授やTAの教育に対する相互協力、生徒の達成度評価もかなり細かく設定されており、かつ機能していていると実感しています。この教育システムやサポート体制に対して高額な授業料が設定されているのだろうと思うと多少納得もできますが、友人の中には経済的な理由で転校をせざるを得ない子もおり、授業料の高騰が深刻な状況にあることも実感できます。

 

・現在履修している講義

MCB426         Bacterial Pathogenesis

CMLH415     International Health

ART103         Painting for non-major

ESL115         Principle of Academic Writing

 

・MCB426          Bacterial Pathogenesis

この講義の全貌をやっとのことで掴むことができた今、大きな達成感と安堵の気持ちでいっぱいです。(まだ大きな試験を終えていないにもかかわらずです。)正直言ってこの授業を選択して以来、何度も後悔しました。というのも友人の助けが無かったらきっとドロップしていたであろうほど私にとっては今学期の試練でした。前回のレポートで述べたように内容や試験の形式はかなり難易度が高く、暗記という範疇を超えて応用することを常に求められ続けました。特に次世代シークエンス技術や、bacterial genetics(微生物遺伝学)の内容は私が今まで勉強してきたものよりも専門的で難易度が高く、応用する以前に知識をインプットするところからのスタートでした。Geneticsの基礎の教科書を図書館で借り通読し、それに加えて微生物の遺伝的多様性やシークエンス技術についての文献を日本語・英語問わず探すことで対策しました。今だからこそ、微生物に限らず生命科学系の研究をする上で必要な思考過程を学ぶトレーニングとして大変有意義であったということができます。教授は大変教育的で講義に熱意を持っている方で、いつも私の質問に長々と付き合ってくださっていました、大好きな教授の一人です。彼女は以前Medical Schoolで講義をしていたこともあり、かなり臨床的な視点も持っていたこともこの講義を取ってよかった理由のひとつです。抗菌薬や細菌の耐性獲得の講義は大変勉強になりました。彼女の口癖は「我々は微生物学者なのだからまずはmutant(変異株)を作りましょう」です。もう私はこのセリフを忘れることはないでしょう。

 

・CMHL415       International Health

今学期の後半から始まったいわゆる国際保健のクラスです。内容は公衆衛生的な内容を経済、保険制度、文化、女性、倫理などといった様々なテーマから学んでいきます。国連のSustainable Development Goalsを中心に、国際的な保健活動の過去と現在、未来を大きな目でとらえることができます。特に途上国で行われる大規模な臨床比較試験の倫理的な問題や、テクノロジーと医療といった内容は大変興味があった内容でした。講義の中でスモールディスカッションの時間が何度かあり、様々な専攻の学生達と話す機会があります。また、世界の各地域に分かれ4人ほどのグループで1つの国の保健衛生状況などをまとめたプレゼンテーションを行い、私のグループはネパールについての発表をしました。内容以上に発表にとてもやりがいを感じたので、次学期はこのような人前で話す機会を増やしていきたいと考えています。教授以外にNavy Campで栄養学を教えている大学院生など専門家が講義を行うこともあります。教授はブラジル出身で英語がネイティブではありません。そのようなインストラクターの話し方やコミュニケーション方法は参考になります。他のクラスと比較すると、内容の特性上か学生の多様性が豊かなのもこの授業の良いところだと思います。

 

・ART103           Painting for non-major

運よく履修できた油絵の授業は、今期の授業の中で一番楽しく幸福な時間です。授業の時間的な内訳や成績の評価基準もアトリエでの実技がほとんどですが、作品の鑑賞・評価も行います。作品を仕上げるごとに全員で円になり、一人ずつ作品を発表、それを生徒同士で互いに評価し合います。生徒たちは大変積極的で、毎回必ず全員が1回以上感想や意見を発表します。今まで、自分が一生懸命作ったものが友人たちに評価され、次に評価する側に回るという経験があまりなかったので、これが私にとって大変面白く感じられました。ほとんどの意見がとても前向きで作品の良いところを見つけ褒めてくれます。一度に20人近くに褒められるというのは少々こそばゆいものですが、だんだん自分が偉業を成し遂げたのかもしれないと錯覚してくるので不思議なものです。そんな風にみんなが熱心に自分の作品をみてくれるものだから、逆に感想を述べる番が来たときには一生懸命です。色使いやコントラスト、アイディア、構図、筆の使い方、ときに全体の雰囲気などについて様々な角度で対象を見つめる、いわば創造的な訓練でした。芸術を鑑賞しそれを言葉に表すのは日本語でも難しいのですが、それに加えて芸術用語や感性にまつわる英語を知らない私はいつも表現に苦労しました。それでもこのように表現と批評の両方の立場にたって闊達なディスカッションが行われる場というのはとても新鮮でした。この国の教育のエッセンスをより感覚的に体験できたのではないでしょうか。全体を通して、教官と相談しながら創意工夫する中で今までできなかったことができるようになる過程を楽しむことができました。アメリカで描いた7点の油彩画はどんなお土産よりも心に残る思い出の品となりました。

写真3_kyo

(授業風景。)

 

・ESL115           Principle of Academic Writing

前回のレポートに引き続きポートフォリオ・注釈付き目録を作成し、Research paperを作り上げている最中です。将来の論文・CVの作成に活かせればという私の当初の思惑からすると、どちらかというと論文を書くためのルール習得に重きが置かれていると感じます。文法的な正確さや文の構成などなどのチェックもありますが、内容というよりもアメリカ心理学会(APA)のガイドラインに乗っ取って書かれているかというのが評価対象です。Plagiarism(剽窃)の回避についてかなりの時間を割いて教え込まれることに日本との違いを感じました。ネイティブの学生もこのようなacademic writingは必修になっていて、大変な講義の代表として見なされているようです。学生に書く力を教え込もうという大学の熱意を感じます。少し課題の量を多く感じましたがこれはライティングに関しての苦手意識や経験不足からくるものであり、訓練次第でこの部分に費やす労力は減っていくのだと思います。引き続き他の講義の課題等に学んだことを活用していきたいです。

 

<休暇>

・Halloween

普段は学生寮に住んでいる私ですが、シャンペーンにホストファミリーがいます。大学のInternational Hospitality Commiteeという制度を通してお会いできた家族です。季節毎のイベントや、映画館に行くという彼らの大事な家族行事があるたびに私を自宅に招待してくれます。ハロウィンの日にはなんと彼らのコミュニティで行われる子供たちのパレードに参加させていただきました。ご存じの通りSpooky(この日のみんなの合言葉です。)な装飾の施された家々を回り、悪戯(いたずら)をしない代わりにお菓子を貰うといういわゆる典型的なハロウィンの醍醐味を味わうことができました。日本でもハロウィンは盛んになっていますが、この本場のハロウィンのいわゆる肝の部分に参加できたのは本当に喜ばしい経験でした。誰に勧められるでもなく仮装をしていきましたが、基本的に子供たちのための行列なので引率の大人以外は仮装した小学生です。そんな天使のようなちびっ子たちの中に、特別に6フィートのおじさんも混ぜてもらい、玄関先でTrick or Treat! と言うのはまさに快感でした。

写真4_kyo

(「イタズラしちゃうぞ」子供達の写真と並べるのには少しきついものがあります。)

 

<その他・所感>

Thanksgiving Vacationはオハイオ州にある病院と芸術の街、クリーブランドに実習に行ってまいりました。現地の病院で過ごす目まぐるしい速さで流れる時間は、日本とも、また大学とも異なっていて、非常にチャレンジングなものでした。ほんの個人的な出来事から、患者さんの命を預かるのに留学生だからという言い訳は通用しないことを痛感しました。ある患者さんが病棟からICUに移ることになり2人の研修医が別々の業務をあたっているときのことです。私は彼女達の間に入って情報の伝達を行っていました。電子カルテで指示箋を出すことや、人工呼吸器の準備が遅れそうだからまず酸素マスクをあててくれという簡単なやり取りでしたが、どうしたことか今までのように舌がうまく回りません。責任の伴った場での英語というものに大きな恐怖を感じた瞬間でした。自分の伝達によって患者さんの安全がほんの少しでも脅かされてしまったらという底知れない不安でした。周囲には気づかれないほどの内面的な動揺に収まり、その場では問題なく対応できましたが、私にとっては忘れることができない重要な経験となりました。これまで、なんとなく伝わるように話してきた無責任な英会話を深く内省するに至り、迅速で、かつ正確なコミュニケーションの土台を築いていく必要性を感じました。この実習は私の将来を考えるにあたってあらゆる面で示唆的でかけがえのないものとなりました。Dr. Moriという偉大なロールモデルの出会いを通して改めて自分自身を見つめ直しました。本当にやりたいことがあるのであれば、大事なのはそれが実現可能かどうかではなく、やるかやらないかであるということを思い知らされました。

写真5_kyo

(巨大で美しいUniversity Hospital)

 

さて、アメリカの大学というこれまでとは全く異なったシステムの中で過ごす中で、この環境に慣れてきたとはとても言えませんが、必死にもがくうちに少しだけ視界が晴れてきたように感じます。講義は大きく①手法を学ぶ訓練、②内容をインプットする訓練、③知識を応用し表現する訓練に分類できることがわかってきて、来期はそれらの中でより表現・発信という点に力を入れたいと感じました。同時に、個人的に挑戦したいと考えている勉強にも力を入れ、留学後の自分を以前より鮮明に描いていきながら過ごしたいと考えています。

こちらに来て以来、有り難いことにJIC奨学生として国内外の様々な方々にお会いしお話しする機会がありました。その度毎にこの制度の歴史と成果に気付かされ、多くの方々の努力の上にこの貴重な機会が実現していることを痛感いたします。ご支援・ご協力いただいている皆様やJICの皆様に改めて感謝いたします。これをもちましてご報告とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

写真6_kyo

(地下に埋まった図書館と夕日に染まるSouth Quad)

 

2015年11月30日、シャンペーン