内倉悠さんの2017年4月分奨学生レポート

 JICの皆さま、ご無沙汰しております。第41期奨学生の内倉悠です。4月も後半にさしかかり、今期の奨学生の留学期間も残すところあと数週間となりました。イリノイでは早くも初夏のような心地よい陽気に恵まれ、夜まで半袖で過ごす日も増えている一方で、時折、昨年の夏に初めてこの地に来た時と同じような草木の匂いがすると、「あぁ、終わってしまうのか。。。」と寂しさも感じております。今回のレポートでは、春休みを利用して参加したメキシコでのワークショップ、日本からシェフ榎本さんをお迎えして行った一連の食に関するイベント、そして留学終盤に差し掛かって感じていることの3点に関して書かせていただこうと思います。

RAW Real Architecture Workshop

 RAWは「建築を専攻する学生に、設計スタジオでの架空の設計だけではなく、実際に設計し施工するところまで体験することで、建築設計を違う視点から見る機会を与える」というコンセプトのもと、全米各地から10名前後の学生が集まり、数人のインストラクター、現地の人びとのサポートを受けながら、自分たちの力でデザインから施工まで行うというワークショップです。毎年様々な国や場所で開催されているのですが、今年はメキシコはOaxaca(オアハカ)という街の外れにあるeco tourismを推進する村に屋外イベント(BBQなど)用の簡易施設をつくりました。ちなみに、普段の設計スタジオは約2ヶ月程かけて一つの建築物を設計するのですが、今回は施工も含めてわずか10日間という、規模は小さいといえどハード(というより、ほとんど不可能に近い)なスケジュールでした。

 建築を専攻する学生はいい意味でも悪い意味でも、みな自分の設計が一番いいと思っているところがあるので(笑)、デザインを決めるのは非常に困難な作業でした。正直なところ、初日は周りの学生に圧倒され、ほとんど口を挟めずに終わるという苦い経験をしました。初日の夜、「まずい、このままじゃデザイン段階で存在価値ゼロのままただの労働力になる。。。」と猛省し、二日目から押されつつも、言葉だけでなくスケッチなども交えながら違うと思ったことは違うと主張するようにしました。(寸法などやたら数字を出すとみな考え始めるので、その間にこちらは英語で主張を組立てるという作戦でなんとか応戦しました。)

 そんな調子でデザイン期間だけであっという間に3日間が経過し、4日目からはついに施工に取り掛かりました。前段階で、既に現地で調達できる資材(木材、モルタルなど)を確認してデザインを決めたため、滑り出しはすこぶる順調でした。さりげないことではありますが、このような山奥だと建築用資材を調達するだけでも一苦労。主な資材は近場で採れた木と使われずに残っていたモルタルで、とうぜん当初のデザイン案とは資材の長さや量がマッチせず、それも考慮して少しずつ(エッセンスは残しながら)デザインを変えるという要領で徐々に完成形に近づけていきます。この状況は、実際の現場では多々あることですが(新国立競技場のザハ案(前案)はその最たる例として挙げられます)、大学の設計スタジオでは基本的に材料・資金は無限にあることを前提に設計するため、なかなかこういった経験をすることはできません。これもワークショップで体験できるひとつの醍醐味です。でも実はこういう風に試行錯誤することで、よりよい案が出てくることも多くあります。”足るを知る”と今まで気付かなかったことがおのずと見えてくるようになるのかもしれません。

 途中何度か意見の相違から口論になるところもありましたが、振り返ってみるとあっとい間、中身の詰まった10日間でした。思ったことを全て吐き出して議論すると最終的にはみんな笑顔で終えることができる、シンプルですが”日本人”の自分にはなかなかできない、新しい価値観だったと思います。それともうひとつ、日本人だから~といってもてはやされるのはもう古いのかもしれません。戦後、国際社会の中で地位を確立してきたからこそ、改めて対等に立ち振舞う必要がある。日本人というアイデンティティは実はただ日本人の親から生まれたことで受動的に受け取ったラベルなんだというこということをふと考えさせられた瞬間でした。国籍などの”何者か”というラベルよりも、”何をやっているか”という内面を重んじるのがアメリカという国なのかもしれません。そもそも”建築”という、国家の枠組みを超えた人類の根源的な欲求を満たす行為において、国籍の話を持ち出すこと自体がナンセンスなのでしょう。アメリカという国が、そして”建築する”という行為が、より一層魅力的に思えた瞬間でした。


(写真1)最終日はみんな笑顔

Enomoto-san Event & Interview 2016.4.23

 一昨年、2015年度に日本館で行われた日本食懐石イベントに引き続き、約2年ぶり2度目の開催となった今回のイベント。日本より榎本鈴子シェフをお迎えして日本館協力のもと行われた一連のイベントに、通訳としてお手伝いさせていただきました。2度目の開催となった今年は、日本館でのopen houseに加え、Downtown ChampaignにあるカフェCream & Flutterと創作フレンチレストランBacaroでのコラボレーションイベントも企画され、日本館だけではなくシャンペーンのlocal community全体との直接的な交流が図られました。41期の奨学生三人でそれぞれ分担してイベント通訳を担当し、僕は4月23日にカフェCream & Flutterで行われたCafé Ozanのプロモーションイベントのお手伝いをさせていただきました。

 本番までプレゼンテーションの内容が分からず台本も無かったため、正直なところ「これは、通訳大丈夫かな、、、」とかなりナーバスになりながら本番前のセッティングのお手伝いに行くと、「実は私もよく分からないのよね~」とあっさり笑う榎本さんにお会いし、拍子抜けしました。「あぁ、このスタンスがプロなんだろうな。」とあっけにとられながらも、隣で通訳をしながら、同時に一人の聴衆として、一人のファンとして、純粋にイベントを楽しませていただきました。「この人はビジネスでこのイベントをやっているわけじゃない、売ろうと思って宣伝しているわけじゃない、純粋に自分の好きなこと・情熱を注ぐものを他の人々と共有しようとしてるだけなんだ。」そう直感的に思わせる、素敵な方でした。ひとつひとつ丁寧に作り込まれたラスクはまさにそんな榎本さんを象徴するかのような“作品“で、プレゼンテーションを聞いた後に頂いたお菓子からは、榎本さんの人生が練り込まれたような、魂の乗り移ったような感慨深さを感じました。”モノに記憶が乗り移ったとき、モノはモノであることから解放される”という感覚を体感した瞬間でした。

 留学前、JICの活動の一環として“住“のプロ、建築家の隈研吾さんにインタビューさせていただきました。今回は“食“のプロ、榎本鈴子さんとイベントをご一緒させていただきました。どことなく似たような温和な雰囲気を纏い、周囲を魅了するお二人。二人のプロエッショナルは共に、それぞれの道を究め、溢れんばかりの情熱をエネルギーに走り続ける「夢追人」でした。

(榎本さんインタビューの詳細は別途、インタビュー記事にて掲載させていただきます。)

(写真2)Café Ozanの一つ一つ丁寧に作られたラスク

“幸せ“とは何か

 今年は様々な場所を訪れ、様々な方にお会いする中で、多くの価値観に触れることができた一年間だったと感じています。自分の周囲の環境がいかに特異なものであったか、自分の価値観がいかに偏ったものであったかを痛感しました。

 冬休みを利用して訪れたユタでは、5年前にショートステイでお世話になった家族のもとで再び一緒の時間を過ごしました。ユタ州の州都ソルトレイクシティには敬虔なキリスト教の一派であるモルモン教の総本山があります。それゆえ、お世話になった家族をはじめ、その地域に住む人々はそのほとんどがモルモン教徒そして生粋の白人家系でした。お酒、タバコ、夜遊びは一切無し、毎週日曜日は家族で教会に赴く、食事の前・寝る前には必ずお祈りをするという教訓が生活の一部になっています。教会は祈りの場であると同時に、人々の交流の場になり、5年前に行ったときのことを覚えてくれていた友達に会うなど、改めてローカルな繋がりの魅力を感じました。家族の中心は母親。母親がyesといえばyes、noといえばno、それもいわゆる“かかあ天下“とは全く違った心地よい家族関係でした。家族というもののあり方が日本とは根本的に違う。そうなると、家のあり方もおのずと変わってきます。住宅を設計するとき、この”家族のあり方“というものが非常に重要なテーマになるのですが、自分の価値観は極めて日本的な、局所的で偏った考え方なんだというのを感じました。ほとんどが白人家系の地域にも関わらず外部からの人に対しても非常にオープンな雰囲気は、かつて西部開拓の最前線として人々が移住してきた頃からの名残なのでしょうか。ふと、アメリカという国の記憶に触れたような、そんな気持ちになりました。ここには高層ビルもコンビニも無く、娯楽施設といえば街外れにあるトランポリン場くらい。それでもここの人たちは笑顔が絶えない。あえてこの地に住み続けることを選んでいる人たちです。

(写真3)雄大な自然に囲まれたユタ州

 この留学期間中、合計して約1ヶ月弱を隣国メキシコで過ごしました。特に春休みに行ったオアハカという町はスペイン植民地時代の色が色濃く残る一方で、かつてその場で栄えていた古代文明の名残もしっかりと継承された“文化”の感じられる街です。オアハカは“死者の祭“(映画「007」最新作の冒頭シーンで有名になりました。)発祥の地として知られた現在メキシコシティについで第2の人口規模を誇る街です。”死”をもって、初めて人生が始まるという独特の世界観を持ったこの街では、毎日のように何かのパレードが行われます。結婚式、出産、そして別れの時など、人生の節目を祝って地域の人々が街を練り歩きます。“死“というものを終わりではなく、一つの節目ととらえる。どこか仏教における輪廻転生/解脱の思想と似たところがあります。死の後に真の人生を迎えるという思想ゆえ、死に対する考え方が違うからなのか、街の人からは老若男女問わず非常におおらかな印象を受けました。日本やアメリカに比べると、決して住みやすいとは言えない小さな街です。インフラ設備も整っていなければ、町には野良犬がうろつき、道路は車でごった返しています。それでも天からは眩しい陽射しが降り注ぎ、周囲を山々に囲まれたこの街から活気が尽きることはありません。「死ぬために生きる」、この表現が適切かどうかはわかりませんが、ここでもまた、いままでの価値観と大きく異なるものに触れることができました。Oaxaca(オアハカ)、機会があればぜひ皆さんにも訪れていただいたい街です。

(写真4)オアハカのパレード

 こうして振り返ってみると、果たして“幸せ”とは何なのだろうと考えさせられます。異なる文化、異なる価値観では当然そのものさしも変わってくる。自分にとっての“幸せ”もきっと多くあるものさしうちの1つに過ぎないのでしょう。そう考えると、功利主義における「最大多数の最大幸福」という概念は、資本主義のような一義的な考えでは当然満たすことのできないものだ、という意見にも納得できる気がします。近年のAlter-Globalizationな風潮を見ていると、この幸せのものさしの違いにこそ、これからの世の中のあり方に関わるヒントが隠されている気がします。