佐藤真莉子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート最後を飾るのは佐藤真莉子さんです。佐藤さんは授業やクラブ活動など多くのことに大胆に挑戦し、たくさん学び得てきたようです。貴重な留学経験を生かし、日本でもがんばってくださいね。

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ICの皆様、ご無沙汰しております。
ついに1年間の留学を終え、無事日本に帰国いたしました。
これが最後のレポートかと思うと、1年間は本当にあっという間だなぁ、と再確認しているところです。
それでは、1年間の総まとめ、さとうまりこ最後のレポートの始まりです☆

①Dance for Darful

前回のレポートでお伝えした、バレエの友達と一緒に始めたDarfulのための
寄付金を集めるダンスステージを、無事に終えることができました。
直前にはほぼ毎日どこかに集まり、かなりハードな練習をしていました。
私はクラシックバレエは小さい頃から続けていたのですが、今回は
コンテンポラリーとモダンバレエがまざったような踊りで、バレエとは
体の使い方も動きも全く違います。
型があるバレエに対して、コンテンポラリーやモダンバレエは
もっと体を自由に使い、型にははまらない不思議な動きをします。
自分自身、新しい分野への挑戦でしたが、基本的には友達が振りを考え、
進めていくうちにみんなで意見を出し合って振り付けをする、という感じでした。
みんな完全にアメリカ人で、そのなかに一人アジア人の、しかも留学生の私が
仲間に入れてもらえたこと自体、奇跡のようだと思います。
でもせっかくもらったチャンス、どんなに練習が大変でも、彼女たちと一緒に
時間を過ごせることが嬉しくて、一度も練習を休んだことがありませんでした。
あーだこーだ、と振りを考えながら練習する時間も楽しかったのですが、
みんなでご飯を食べに行ったり、衣装を見つけにTARGETやWALMARTまで
車で行ったり、CRCE(大学のジム)までおしゃべりしながら歩いたり・・・
という時間の一つ一つがとても楽しかったです。

なんとなくお昼を食べている時に、メンバーの一人に「日本人はアメリカ人に対して
どう思ってるの?」と突然聞かれてびっくりしたこともありました。
その子自身は、お母さんと日本に行ったことがあり、とても楽しい思い出が
あって、みんな親切で、また行きたい、と思ったそうなのですが、その子の友達は
日本に言った時、アメリカ人だから、と言われて嫌な思いをしたことがあったそうです。
私は、今がチャンス、と思い、それまで自分が思っていたアメリカ人に対する
思いを話しました。
もちろんアメリカのエンターテイメントやカルチャーはすごいと思うし、私はやっぱり
国際人として生きていくために英語をしゃべりたい、アメリカの文化、世界の文化を
学びたいと思っているし、オープンで陽気なアメリカの雰囲気は大好き。
だけど、その反面、Arrogantな部分もあって、自分たちは世界の中心だと
言わんばかりの行動をいっぱいしているし、英語さえ話せればどこでも生きていけると
思っている人もたくさんいるし、環境問題に対しては興味が薄いし、という
ネガティブな部分もあるよね、という話をしました。
そうしたらメンバーはみなとっても納得してくれて、あー、こういうお互いの理解から
「和」が生まれるんだな、ということを実感しました。
彼女が持っている日本人に対してのイメージを素直に話してくれたことに
とても感謝をしています。

ステージ自体は、全体で$400以上の寄付金を集めることができました。
私たちのダンス意外に、アイリッシュダンス、インディアンダンス、アルゼンチンタンゴなど
さまざまなところから学生に協力してもらい、全部で50人くらいの方に見ていただくことが
できました。
決して大きなイベントではなかったけれども、少しでも私たちの思いが届いたらいいな
と思っています、
でも、こうしたイベントを開く時に、本当にアイリッシュの子とか、インド出身の子とか、
アルゼンチン出身の子とか、学生のレベルで本場の人が集まるところは、
アメリカのすごいところだまな、と思いました。
日本では、大学生の学園祭レベルでも、現地の人を集めるのは至難の業だと思います。
そこはさすがアメリカ、人種の坩堝といわれるだけあるなぁ、と思いました。

実は、最初は本当にステージが開けるのかとても不安でした。
有志の企画だったので、強制でもなんでもなく、場所を借りたり照明を借りたり、
練習場所を確保したり・・・と、小さな問題が山積みで、ステージを開くところまで
こぎつけるかどうか正直わかりませんでした。
でも、最後はきちんと笑って終えることができたので、本当に良かったです。

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②最後の授業

[Reporting]

一番頑張っていたこの授業、最後は自分で書いたラジオ原稿を、大学のテレビ局内にある
ラジオのスタジオで収録し、CDにする、というものでした。
ニュースの構成から文章から、全て自分で考えるというもので、何度も教授と
やり取りをして、何回も公正してもらい、本番を迎えました。

実は本番の前、教授の書いた原稿で読む練習をしたのですが、そのときになんと
Excellent!といわれました。
私はもちろんネイティブの子のようなスピードでは読めないし、発音もどんなに頑張っても
ネイティブの子のようには行かない部分もあり、まさかExcellentといわれるとは
思っていなかったので、素直に嬉しかったです。
何がExcellentかというと、声がきちんとでていることだそうです。
中高6年間をミュージカルの部活に捧げ、留学直前までBSフジでキャスターを
やらせていただいた経験が、こんなところで役に立つとは!!!笑

でも、教授が面白いことを発見してくれました。
それは、私が英語でニュース原稿を読むと、文末が全て下がっていることです。
日本語では、文章の終わりは、必ずトーンを下げて読みます。
文章の出だしが一番音が大きく高さも高く、文末に行くに従って、
音も高さも下がるのです。
しかし、英語ではたとえ文末や「、」の前でも、流れによっては上がったり下がったりします。
英語のニュースなどを聞いていればわかると思うのですが、確かに、
Tonight, it’s gonna be sunny, 65 dgree, and it’s gonna be cloudy tomorrow all day.
という文章があった場合、英語ではDegreeのあとは上げて読み、Dayのあとで下げます。
しかし、これがもし日本語だったら、
「今夜は晴れるでしょう。そして明日は一日中曇り空となりそうです。」
となり、「でしょう」のあとも、「なりそうです」の後もイントネーションは下げます。
言葉っておもしろいなぁ、と改めて感じました。

そしてもう一つ、私の読み方はトーンが落ち着いていてPBSのようだ、といわれました。
なるほど、思い返してみれば、私はよくBBC World NewsやPBSのラジオニュースを
インターネットを通して聞いていたのです。
さすが教授、なんでもお見通しなんですね!!

忙しい時間の間を縫って何度も私の原稿を校正してくださったり、練習をみてくださった教授に、
収録を終えた後、隣の部屋からガラス越しに親指をたてて「Good Job!」と言われた時には
とても嬉しかったです。
この半年、がんばってよかったな、と思いました。
この授業ではインタビューを通して体当たりしたり、ラジオの収録をしたり、
子供を育てながら教授やラジオのパーソナリティー、新聞のコラムニスト、テレビのアンカーまで
努めるスーパーママである教授に出会えたり・・・と、本当に多くのことを学びました。

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[Public Speaking]

みんながいい、というならば取ってみよう、そんな軽い気持ちではじめたSPCM101。
最初は私以外全員ネイティブだからどんなに頑張っても彼らと同じようにはスピーチできない
と勝手に理由をつけて、どうせスピーチなんて覚えようと思っても覚えられないや、と
どこかで諦めている部分がありました。
日本に帰ったら就職活動をするんだなぁ、BS以来、人前でしゃべることをしていないなぁ、
これはきっと人前で何かを話す練習になるだろう、くらいの気持ちだったので、今思うと
最初は特にあまり真剣に打ち込もうとはしていなかったように思います。
しかし、1回だけ、友達とペアを組んで、Arguableなトピックについて反対の意見を
スピーチする、という回がありました。
そこで私がペアになったのは、Seniorの子で、普段のスピーチもとても上手な子でした。
こりゃ真剣にやらないとまずい、こんなうまい子と一緒にやったら余計に下手さが目立つし、
第一こんなにできる子とやるのならばトピックを決め原稿を書く時点でしっかりやらなきゃ
申し訳ないし相方として認めてもらえない!と思い、火がつきました。
とにかくひたすらストップウォッチをもって何度も繰り返して読み、覚えてすんなりと
口から出てくるくらいまで練習しました。
なめられちゃいけない、うまくいかなかったら申し訳ない、という切羽詰った思いから
必死に練習した結果、それまでの3回のスピーチとは比べ物にならないくらい、
自分でも納得のいくスピーチができました。
そこで味をしめた私は、「なーんだ、私もやればできるじゃん。英語だって覚えられるじゃん♪」
と調子に乗り、最後のスピーチも完璧に練習し、納得のいくスピーチを終えることが
できました。
ダンスの練習、バレーボールの試合、Black Chorusの練習、Murphy’s…と
やることに追われていましたが、そのなかでも納得のいくスピーチができたことは
英語に対しても人前で話すことに対しても、自身につながりました。
そしてそして、嬉しいことに、Best Improved Speker Awardをいただきました!
わーい!!!
TAが賞状まで作ってくれて、今も部屋に飾ってあります。
これからはこの授業で経験した度胸で、いろいろな場面を乗り切りたいと思います。

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[Black Chorus]

これは、この1年の留学の中で一番心に残る授業でした。
授業を通り越して、生活の一部になっていました。
前回のレポートでお伝えしたMom’s Day Concertで最後のステージを無事におえ、
これでBCメンバーも解散。残るはSocialでした。いわゆる打ち上げです。
PARの目の前にあるIllini GroveでBBQをしました。
料理やスイーツを作って来てくれた子もいて、とってもおいしくて楽しい会になりました。
私はそこで、みんなとビーチバレーをしました。
砂の中のバレーボールコートにみんなで裸足で入っていって、はちゃめちゃに騒ぎました。
みんな、「Mariko~Come on!!!」などといって盛り上げてくれたり、本当にあったかくて、
BCの一員になれてよかった、と心から思いました。
彼らと仲良くなることで、Blackの歴史やいまだに残る差別の問題、彼らのバックグラウンドである
アフリカでの貧困、飢餓、紛争の問題にも興味を持ち、それが実際とても身近な問題に
感じられるようになりました。
彼らに対する差別はいまだにあからさまな部分があり、それを見るたびに
日本ではほとんどが日本人だから差別なんて感じなかった、アメリカはやっぱり
すごいところなんだなぁ、などと思っていました。
でも、それは実は私が気づいていないだけで、日本でも差別は残っているのかもしれません。
アメリカのようにあからさまではないかもしれないけれど、逆に日本では隠されていて
触れられていないだけで、気づかないだけで、残っている問題なのかもしれません。
そのようなことに気づくことができたのも、そしてDarfulのためといって始めたステージを
開くことができたのも、このBlack Chorusをとったからだと思います。
人を、友達を介することで、今まで見えてこなかったもの、他人事だと思っていたことが
とても身近に感じ、様々な問題見出し、解決する方法を考えるきっかけができました。
BCに関わる全ての方たちに感謝です。

そして、卒業式に当たるCommencementでもBCのメンバーとして2曲ほど歌ってきました。
Assembly Hallで最後に歌えたことは、いい思い出です。
Seniorの友達が多く、このCommencementで卒業する友達もたくさんいたので
しみじみしてしまいました。
しかし、そのあとはその感動を忘れるくらいパッキングが終わらず、かなり苦労しましたが・・・笑

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[ClassicBallet]

この授業でも、最後の授業に小さな発表会をしました。
私は友達5人と、Beatlesの「Hello, Good Bye」という曲に合わせて振り付けし、
発表しました。
これも仲間と一緒に何か一つのことに打ち込み、最後に形にできたことを嬉しく思います。

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③Cosmopolitan House

ついに別れの日がやってきました。
去年の暮れ、そして今学期の終わりも、私はいつも送る側でした。
それがついに、私が送られる側になりました。

感動の涙、かと思いきや・・・
部屋をまるまるあける、ということを実は経験したことのなかった私。
日本を出る時も、適当に必要なものだけつめて、あとは親に持ってきてもらう、という
形をとったので、部屋の中のものを全てつめる、ということをしたことがありませんでした。
旅行に行っても、特技はパッキング。
1日あればなんとかなる、と思って甘く見ていました。
ところが、1年で膨れ上がった荷物は山のよう!とてもとても3つのスーツケース(!)には
入らず、仕方なく冬物などはダンボールで送ることにしました。
それも出発ぎりぎりまでやっていた私、シカゴの友達の家まで一緒に連れて行ってもらう
予定で、友達のご両親がシャンペーンまで来るまできてくださっていたので、
パッキングが終わるかどうかハラハラしました。
でもなんとか荷物をまとめ、いざ出発。
Cosmoを出た時には、Young Jaeにとってのラストディナーになるということで
みんなが食事に出てしまっていました。
でも、やっぱり最後にお別れを言いたい、と思い、みんながいるレストランに行きました。
するとちょうどCosmoのみんなも帰るところで、大撮影大会。
最初は、こんな古い家、住めるのかなぁ・・・とか、Kitchen duty嫌だなぁ、とか、
掃除当番って私はちゃんとやってるけどみんな果たしてやってるのだろうか、などと
いろいろ不安や不満に思ったこともありました。
しかし、いざ別れるとなると、とってもとっても寂しくて、涙、涙、そしてまた涙、という感じで
涙が止まりませんでした。
一緒に暮らすって、こんなにすごいことなんだ、と改めてハウスメイトの存在を
Preciousだと感じました。
最初についた日から、何もわからない私をGrocery storeに連れて行ってくれたり、
一緒にHelloween partyやMurphy’sに行ったり、一緒にTVを見たり卓球をしたり
ご飯を作ったり食べたり・・・本当にいろいろな思い出がよみがえってきました。
私は兄弟もいないので大勢で一緒に住むということを経験したことがなかったのですが
Cosmoでの経験は本当に貴重で、みんなが兄弟のような、同志のような、
不思議な感覚でした。
1年の留学生活のうち、やはり一番長くいた場所。
Cosmoのみなさま、ありがとうございました。

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④シカゴ→メキシコ→ナイアガラ→NYC→日本→サンディエゴ→日本

シャンペーンを出てから、まずはシカゴの友達の家に泊めてもらいました。
この子は今年の夏から日本の甲南大学に留学する子で、日本語を教えたり
一緒にドラマを見たりしていました。
家族はTaiwaneseなので、お母さんが毎日中華料理やスイーツを作ってくれました。
おいしかったです☆

そこから今度はメキシコへ。
去年U of Iに留学していたメキシコ人の友達の家にお邪魔しました。
空港に着くと、お花と「Vienvenida Mariko」という紙を持って待っていてくれました。
彼女はMonterreyというところに住んでいて、メキシコの中ではUSボーダーに近く、
山の麓も都市なので、比較的涼しかったです。
彼女の運転でMuseumや大学などを案内してもらい、本当に地元のメキシカンの
生活を味わうことができました。
彼女の卒業式も間近だったので、彼女の友達の家に行ったり、みんなで
クラブに踊りにいき、朝の5時まで踊り、そのあとはタコスを食べ、7時くらいに家に帰る
という、まさにメキシカンな体験もできました。
彼女意外はほとんど英語は話さずスペイン語なのですが、毎食メキシコ料理を
ふるまってくださって、本当にあったかかったです。
でも、朝食が11時、お昼が4時、夕食が夜中の11時くらいになるのには驚きました(笑)
そしてテキーラのショットをがんがん飲んでしまう彼らにも驚きました。
そしてなにより、その彼らと一緒に飲んで踊っていた私自身の秘められた能力にも
驚きました(笑)感しました。

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そこから今度はナイアガラの滝へひとっとび。
初めて行ったので、スケールの大きさに感動しました。
街自体は観光地化されていて、うーん・・・と思うところもあるのですが、滝の力はすごいです。
夜ついて、次の日は朝から滝をカナダ側からもアメリカ側からも満喫しました。
カナダ側から船に乗って滝の側まで行き、その音と水しぶきの白さに感動しました。
アメリカ側では、滝のすぐ下まで歩いていけるツアーに参加しました。
サンダルとビニール合羽を配られるのですが、滝の下までいけば全く効果なし!
まさに滝に打たれてきました。
滝の水は冷たくて、勢いがあって、本当に威力がすごかったです。
自然はおっきいなぁ、と改めて感動しました。
滝を体全体で感じたい方には、アメリカ側のツアーはかなりオススメです。
ただし、パンツまでびしょびしょになる覚悟がある方のみですが・・・笑

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アメリカStay最終地はニューヨーク、マンハッタン。
実は予定ではメキシコから直接NYCに入り、3日間のステイのはずだったのですが、
急遽ナイアガラにいき、2日早くNYCに入ったので、最初の二日はJFK空港の近くの
ホテルに泊まりました。
そのJFKのホテルからマンハッタンのホテルまでの移動、かかったお金はたったの$5!!
タクシーに乗ったら$50以上かかるところを、たったの$5におさえました。
それは、必死の努力によるAir Trainと地下鉄での移動。
本来ならば地下鉄に乗り換えるところで駅を出るのに$5、地下鉄に乗るのに$2
かかるのですが、あまりに荷物が多かったため、わざわざ扉を開けてもらったら、
メトロカードをもっていたにもかかわらず、お兄さん、面倒くさくなったのか
お金を請求されませんでした。ラッキー☆
ということで、スーツケースとバックパックをもちながらマンハッタンの街中を
ホテルまで歩いたのです。学生だからできた荒業です。
こちらのほうはあまりオススメしません笑。

NYでは、Legally Blond、Tarzanというミュージカルを見たり、American Ballet Theaterの
公演を見たりして、舞台好きの私にはたまらない日々を満喫しました。
NYYankees VS Sattle Marinersという松井VSイチローという試合も見に行きました。
そして初めてハーレムにも行き、教会に行きました。
BCの授業が懐かしかったです。

そしてアメリカ生活最後の夜は、なんとクルーズでした。
実はどこに連れて行かれるか知らずに着いた場所はハーバー。
マンハッタンの夜景を見ながらのディナークルーズでした。
こんなイキな計らい、感謝です。
ツインタワーのなくなったマンハッタン、その夜景を眺めながら、あぁ、ついに
私の1年間に渡るアメリカ生活も幕を閉じるのだなぁ、と実感しました。

1年ぶりの日本は、やっぱり日本語が飛び交っていて、日本人が多くて、
日本の大学生はアメリカの学生と違って大学に行く時もおしゃれをしていて、
街中を歩いている人もどことなくオシャレで、家に帰ったら家がものすごく小さく感じて、
コップやらお皿やらも全てが小さく感じました。
あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ、と実感です。
帰ってきた日にはお寿司とすき焼きを食べ、日本食ってやっぱりおいしい、と感動しました。
5日間ほどのステイの間に、インターンシップのインタビューや野球の早慶戦など
いろいろなことがあり、あれよあれよという間に一時帰国を終えました。

サンディエゴでは、イリノイの先輩にあたる小助川さんのConferenceのお手伝いを
させていただきました。
イリノイの留学を終えてからも、こうしたつながりが持てることを嬉しく思います。
JICを通じて、もっとたくさんの方々と出会い、つながりをもてたらいいな、と思います。
ニュースレターを読んでくださり、コメントなどをいただいた時も、とても嬉しく、
がんばろう、という励みになりました。

そして2007年6月10日、とうとう日本への最終帰国を果たしました。

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[まとめ]

1年を振り返ってみると、この留学生活を通し、確実に自分なりに成長できたと思います。
勉強についてはもちろんですが、素直にいつもお世話になっている人、
私を支えてくれる人への感謝の気持ちが伝えられるようになった気がします。
私は日本ですら一人暮らしをしたことがないのに、初めて長期で親元を離れるのが
イリノイへの留学、というかなり大胆な決断でした。
一人で飛び込んだ異国の地では、風邪を引いても、どんなに忙しくても、
自分の面倒を見られるのは自分です。
当たり前のことですが、日本ではあまりに日常のことすぎて忘れがちな
その当たり前のことに気づき、感謝できるようになったことは、大きな変化だと思います。
朝起きたら朝ごはんがある喜び、気づいたら洗濯物がたたんで
自分の部屋に置かれている喜び、その当たり前のことがどれだけ嬉しいことで、
どれだけ愛情を必要とするもので、どれだけ私が幸せ者なのかを実感することが
できました。

人との出会い、世界中にたくさんの友達ができたことも、私の財産です。
旅行に行くにしても、そこに現地の友達がいる、家に泊めてくれる友達がいる、
ということは、ものすごいことだと思います。
そこまで深い友達がたくさんできたことを嬉しく思います。
何億人といる人々の中で、イリノイ大学という限られた空間でであった人たち。
今でもチャットやメールをしたり、Facebookでつながっている友達、これからも
ずっとずっと、つながっていたいと思います。

最後になりましたが、1年間支えてくださった両親、友達、そしてJICの皆様に
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。
この1年で、自分と向き合う時間が増え、自分がなにをしたいのか、どのような人間に
なりたいのか、という方向性が見えてきたように思います。
この1年は、自分の人生を決める上でもとても大きな1年になりました。
イリノイ大学への留学生活を通して得た経験を生かし、これからの人生を
しっかりと、自分の足で、マイペースに生きていこうと思います。

1年間の総まとめということで長くなりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。私のつたないレポートを読んでくださった方々、
まとめてくださった中山さん、一緒にがんばったきょうこ、にしくん、けんたろう、
そして私を支えてくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。

慶應義塾大学3年
佐藤 真莉子