河手賢太郎さんの2007年4月奨学生レポート

4月分レポートの第3弾は河手賢太郎さんです。裁判所に足を運んだり、ホームレスや子供たちと触れ合うボランティアに参加したりと、盛んにコミュニティに参加しています。この経験を是非将来生かしていただきたいですね。

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JIC関係者の皆様
ご無沙汰しております。
JIC奨学生の河手賢太郎です。

体験レポートも第三回目となりました。
一人でも多くの人にみてもらえることが何よりの喜びです。
読者を意識すると良い意味で緊張感も沸いてきます。

イリノイ大学への留学もあと残すところ1ヶ月弱となりました。
体験レポートを書いていると、春学期が始まって以降に起こったことすべてが思い出と共に目に浮かびます。

さ て、前回のレポートでも書きましたが、私は2月中旬から8~9回程、裁判所に足を運び法廷を見学してきました。幸運にもChampaign County Courthouseと Federal district Courtがキャンパスからバスで3分の位置にあり、アクセスに不自由はありませんでした。

County Courthouseでは飲酒運転に関する否認事件の陪審裁判を何件か見学しました。私が見学したのは陪審裁判Jury trialと裁判官による裁判Bench Trialでした。手続きは罪状認否手続arraignmentから始まります。拘留されている被疑者は、裁判所に行き罪状の認・否認をします。公開の法 廷で行われるこの手続きは、裁判官が「Plea guiltyをしますか?」と被疑者に聞き、認plea guiltyか否認 plea not guiltyをするわけです。傍聴席には被疑者の家族らしき人々が法廷を見守っていました。一度に4人の被疑者が法廷に呼ばれます。皆囚人服を着、手錠を はめられたままで、非常にリアルな場面でした。

裁判はまず陪審員選びから始まります。選挙人名簿に登録された一般市民が courthouseに呼ばれます。期日当日、30人程度の市民のなかから12人の陪審員が選ばれます。これがjury selectionという名の手続きで、公開の法廷で行われます。裁判官、検察官、被告代理人が陪審員候補者に次から次へと質問をし、当該候補者が公正な 事実認定ができるか否かを探ります。特に、私が傍聴した飲酒運転のあるケースでは証言台に立ったのが検察によって呼ばれた警察ただ一人だった事情もあり、 警察の証言をバイアスなしに評価できる陪審員を検察側はもとめているようでした。

「かつて身内に飲酒運転でつかまったことがあります か?」「身内が逮捕されたことはありますか」「あなたあるいは身内で飲酒運転の事故に巻き込まれた人はいますか。」「犯罪被害に遭われたことはあります か?」プライベートでセンシティブな質問にも答えなければなりません。「身内に犯罪者がいました」と答えた陪審員は、不快感がふっと顔に表れたのが記憶に 残っています。こうして12人の陪審員が選ばれ、いよいよ裁判のスタートです。両当事者がopening statementで争点を明確にし、その後証人尋問がありました。お昼休み休憩中、証人として呼ばれていた警察官に話しかけると気前よく答えてくれまし た。彼が小さいころから警察官に憧れていたこと、その日は公務中ではないことなどを教えてくれました。公務中でないのに制服を来てしかも銃まで腰に下げて 証言台に立っていたのは、おそらく陪審員に対する心理的な効果を期待したのかもしれません。

その裁判の評決は有罪guiltyでした。被 告人が身体検査を拒絶し、結局運転をしていたときに飲酒運転が成立する要件physically impairedがあったかどうかは客観的には明らかでなかったものの、結局beyond reasonable doubtと判断されました。

その時は「そんなもんか」と思いましたが、歯にものがひっかかったような感覚はいつまでものこりました。「市民社会ってけっこう不確実で脆いものなんだな。」というのが率直な感想です。

私 が裁判所に足しげく通っていたちょうどその頃、Law and PsychologyとSociology of Law の授業では陪審員の心理学というテーマで授業をやっていました。目撃証言などの正確性や証言の陪審による認識のされ方、性別あるいは人種による陪審の偏見 等の文献をいくつか読んでいたこともあり、法廷傍聴は非常に意義深かったです。

さらに幸運だったのは、ロースクールで行われた刑事事 件の模擬裁判の陪審員に選ばれたことです。裁判において陪審員が評決を下す前にする評議deliberationは非公開で、外からは伺い知ることができ ません。模擬裁判とはいえその陪審員の一人として評議の内部にもぐり込めたのは幸運でした。結局評議の大部分は、証言の信頼性とreasonable doubtの基準についての話し合いで占められました。私は「Reasonable doubtの基準についてはなかなか合意には至らないだろう」と当初思っていました。しかし、陪審員のなかにロースクールの学生がおり、彼が「うちの教授 がreasonable doubtは90%の疑わしさだ。」と言ったとたん、皆さん争わなくなりました。実際はそんなに高い基準の運用がなされているとは思えないのに、一留学生 の発言よりも現役ロースクールの学生の発言の方が説得的だったのでしょう。その他にも、自分が当事者になってはじめて「なるほど」とわかることが多く、非 常に有意義な体験でした。

授業の話しがつづいて恐縮ですが、

法社会学の授業が非常に面白いです。かつて体験 レポートにも書きましたが、法解釈中心の実弟法学とは離れて実際に法律が社会の中でどのように機能しているのかありは機能していないのかについて勉強した くてアメリカに来たという背景があります。今学期の法社会学の授業では様々なテーマを扱いました。以下に例をあげますと、紛争が発生する過程、学会・実務 家・裁判所の間の利害関係、アメリカ人の訴訟好きという日本にすら流布しているイメージがどのように形作られていったのかの過程、不法行為法における改革 におけるシンクタンクの役割、離婚問題における弁護士とクライアントとのやりとりの傾向、法律における性差別や人種差別の温存構造、などなどです。

授業の話しばかりで大変恐縮ですが、これで最後です。

Law and Psychology の授業では、社会調査や統計が判決に与える影響についてケースブックを使い学びました。商標侵害訴訟における侵害の程度、表現の自由訴訟における猥褻性の 程度、別学訴訟における人種別学や性別学の子どもに与える影響、刑事事件における心神喪失の程度等を判断するために、社会調査・社会が重要な証拠として訴 訟において取り上げられます。抽象的な何々standard をそのまま適用するのではなく、つまり法文の質的分析だけでなく社会統計的な量的考慮が判決に直接影響を与えるのには目を開かせます。

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アメリカにおける法社会学は、「学」内にとじこもらずに、それが判決に大きな影響を与えていています。裁判官による原理原則の恣意的な適用を、統計でヘッ ジする態度は、本音(社会統計)と建前(法律の条文なり原理原則)との距離を小さくしていこうとする努力の現れなのだと感じました。

春 休み中、私はシカゴで ボランティア活動をしていました。教会の施設に寝泊まりしながら、地域の小学校で子どもたちと遊んだり、ホームレスのシェルターに言って話し相手になった りしました。教会が位置するCentral 通り、Washington通りはシカゴではドラッグの取引が行われる最も治安の悪いことで有名な場所だそうです。

C.U.Pは春休 みにある5日間のコミュニティー・サービスプログラムで、イリノイ州の大学約5校から100人ぐらいの学生が教会の近くのアパートに寝泊まりする合宿形式 のプログラムです。春休みは留学期の最後の長い休みでもあり、これまでのイリノイ大学留学で授業の内外で学んだことを咀嚼・消化し振り返り、次にどのよう につなげていくかを考える貴重な時間でした。プログラムのテーマは社会正義。都市部における貧富の格差を肌で体験し、絶えない人種的偏見に対して市民とし てどう対応するのかを考えさせるプログラムでした。5日間のプログラムは3つの柱から構成されていました。第一に、social worker として活動しているスピーカーを招くことです。第二に、自分の社会経済的・人種民族的背景を見つめなおしアイデンティティを再構築することです。第三の柱 はコミュニティーサービスです。実際にシカゴのダウンタウンに出て、ボランティア活動をしました。

私の班はwarming center というホームレスの人が日中シェルターが閉まっている間に身を寄せられるコミュニティーセンターに行き、そこにやってきた人々との会話を楽しみました。

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今Chicago Urban Projectを振り返ってみると、ボランティアとは言っても、ほんの短い期間で実際のニーズは現地でホームレスとかかわっている人、地域の小学校の関係 者が痛いくらいわかっていて、それを3日間しかいない学生がやってきも何もわかりっこない。要は、大学が休みの期間に見学しにいったお客さんのようでし た。「誰かを助けようと自発的に行動する」volunteerというよりも「学ばせてもらう」という意識の方が正確かもしれません。こう考えて行動する方 がはるかに気持も楽でしたしもっと謙虚に人々のお話も聞けました。

Chicago Urban Projectが終わった後は一緒に参加したRyanの家に学校が始まるまでステイさせてもらいました。彼の家があるシカゴ郊外は、ダウンタウンとはうっ てかわって閑静で綺麗な住宅街でした。あまりのギャップに戸惑いました。もともと東京のど真ん中でこれまでの人生の大半を送ってきた自分にとって、 suburb – inner cityの二分法に渦巻く感情を理解できないでいました。しかし今回、大都市に住むよりも、都市の中心から自動車で4,50分離れた郊外に一戸建てを建 て、犬を飼い、広い庭を持つことを夢とするアメリカ人のものの考え方の一端を垣間見ることができました。

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復活祭Easterは毎年、春分の日の後にくる満月後の最初の日曜日にあります。2007年のイースターは4月8日でした。私は4月6日の金曜日から Easterにかけて、Chicago Urban Projectで知り合ったBethの家族と共に過ごしました。彼女の実家はO’ Fallonというイリノイ州南西部のセントルイスに近い町にあります。彼女の両親はかつて日本に住んでいたことがありました。父親のBob Vaughnさんはアメリカ空軍の元軍人として沖縄、東京の米軍基地にいた経験があるそうで、当時のことを思いで深く語ってくれました。Sueさんも大の 日本好きで、2人がもつ日本の伝統工芸品のコレクションや絵画のコレクションを見せてもらいました。国境を超えて渡ってきた文化との思いがけない再会で、 私も興奮してしまいました。

4月7日の土曜日はVaughn さん一家と共にセントルイスへと足をのばしました。早朝マーケットで買い物をすませた後、グランドアーチというモニュメントに行きました。このアーチは由 来がありまして、セントルイスはミシシッピ西岸に位置し、古くは西部開拓の前哨基地でした。1960年に入るとセントルイスのアメリカ史におけるかつての 位置づけを物語るようなモニュメントを作ろうという話が持ち上がり、西部開拓へのゲートウェイという意味を込めて、巨大なアーチがつくられるに至りまし た。帰宅後Sueさんが自慢の日本料理を振る舞って下さいました。牛肉も餃子の中身たりえる、と知ったのはその時です。

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日曜日の朝は家族全員と教会の礼拝につれて行ってもらいました。ベス曰く「Easterはクリスチャンにとってクリスマスと並ぶ、いやそれ以上に重要な日 なの」と言っていました。日本ではクリスマスを“祝う”習慣はありますが、イースターは祝いません。アメリカでは他の国では祝わない感謝祭thanks giving がありますし、南欧のある国では子ども達がプレゼントをもらうのはサンタクロースからではなく1月6日の東方の三博士Three Kingsからです。こうしてみると、日本も含め、キリスト教の受容のされ方の多様性を考えさせられます。

2月上旬より治療済みの歯が再び痛み始め、授業の負荷を減らし1週間~2週間日本に帰国するというトラブルもありましたが、

最後の一ヶ月を勉強も課外活動も思いっきり取り組んできます!

JICの皆様、これからも宜しくお願いいたします。