河手賢太郎さんの2007年1月奨学生レポート

2006年度奨学生1月レポートの第2弾は河手賢太郎さんです。河手さんは授業の勉強以外にも、昔からの夢だというジブラルタル海峡一人旅を実現されたそ うです。想像を絶するたびのようですが、フランス語とアラビア語を操って、現地の人々と触れ合ってきた河手さんは本当にすごいです。その詳細をお楽しみく ださい。

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JICの皆様

ご無沙汰しております。
JIC奨学生の河手賢太郎です。二学期目がはじまって2週間になります。ここイリノイの1月の冷え込みようは凄まじく、-10 ℃の日が続いています。身体がじわじわ冷えてくるというよりは、寒さが槍となって身体に突き刺さってくるようです。
留学も残すところあと3ヶ月強となりました。ぼんやりと過ごしているとあっという間にすぎていってしまうと考えると、一日一日に気合が入ります。
この度のレポートでは「今学期の目標」と「冬休みの経験」についてお話します。

<今学期の目標>
アサインメントをこなし、授業で積極的に発言すること
今 学期、私はSociology of Law(法社会学)、Social Movement and Law (社会運動と法)、Psychology and Law(法と心理学)、Archeology of Illinois (イリノイ考古学) の4つの授業をとっています。初めの3つは400番代の授業(4年生・院生が履修する)なので、リーディング・ライティング課題の量が多く、日々宿題に追 われています。一つの科目、毎週約30ページ~40ページほどのリーディングがあり、さらにディスカッションペーパーを毎回提出しなければならない授業も あります。宿題をこなすだけで一日が終わります。アクティブな先学期とはうってかわって、今学期は腰を落ち着けて勉強しようと思います。
また授業中の発言も成績評価に反映するため、一瞬も気が抜けません。特に冬休み明けで、まだ英語を喋りなれてないため(!?)この2週間は授業中の議論に参加するのに苦労しました。

英語の表現の幅を広げること、
第 二の目標として、英語の表現の幅を広げることです。私は現在、週に1、2回大学の図書館に付属するWriter’s Workshopというライティング教室に通っています。ここでは、一コマ50分、単に自分の英文をチェックしてくれるだけでなく、自分の要望にそった英 作文の個人レッスンをしてくれます。先学期のCollege Writingの授業ではPersuasive Writing(立場をとり、是非について論じる)を中心に習ったので、今学期はNarrative Writingという出来事を描写する表現技法の習得に力を入れています。Persuasive Writing ではリソースや論証の作法・手順が大きくものを言うのに対して、Narrative Writing ではいかに生き生きと面白く情景を描くかが問われてくる点で異なっています。

Champaign County Courtに行って裁判を傍聴すること
私 の寮から自転車で15分程のところにChampaign County Courthouse(シャンペン郡の裁判所)とFederal Court House(連邦系の裁判所)があります。裁判の傍聴を今学期の目標に掲げたのは、実は「法と心理学」の授業の課題だからです。民事・刑事問わずいくつか の事件を1~2カ月のスパンで追いかけて、法廷内のやりとり(尋問の仕方だとか)を観察し、詳細にレポートするという課題です。
もともと私はアメ リカの刑事司法手続きに興味がありました。Peremptory challengeとよばれる手続きによって自分たちの側に有利な判断をしてくれる陪審員選び、様々テクニックを駆使した証人尋問、巧みな主弁論。刑事事 件は被告人側と検察側が勝訴をもとめて競うゲームのようだと言われています。また、日本では考えられませんが、ビデオカメラが法廷に入り、裁判中継が放送 されている地域もあります。CourtTV.comというWebsiteが登録者に法廷をonlineで流しているという国も、私の知っている限りアメリ カだけです。司法に対する国民の関心が高いのか、それとも司法が高度に大衆化した結果なのか。
少し「クセ」のあるアメリカ司法の現場を体験できるのは、法学を勉強するものにとって非常にありがたい機会です。

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時は前後しますが、
<冬休みについて>
ギリシャ神話に「ヘラクレスの柱」として登場するジブラルタル海峡は、古代「大地の果て」と考えら れていました。地中海貿易の要所ともされていたこの海峡は古代史の主人公フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人が行き来し、8世紀以降はアラブ人・ベルベル 人がこの海峡を通ってイベリア半島へと渡っていきました。ダンテの「神曲」地獄編にもでてくるジブラルタル海峡は、古代より政治・経済・文学の関心の的で した。
アフリカからジブラルタル海峡を渡りイベリア半島へ行くことが、いつしか自分の夢となっていました。
「これをやるのは今しかない。」この旅を思いついたのはThanksgiving 明けのことでした。

外務省の海外安全情報も照らし合わせ、モロッコからスペインへの旅程を決めました。
この旅のテーマは「人」。ムスリムの人たちがどういう生活をしているのか、どういう世界観を持っているのかを自分の肌で感じることでした。
観 光地と観光地の間を車や鉄道で移動し、遺跡を巡り、買い物をするだけなら、観光であって旅ではありません。本当にその国の表情に感じるには、地域に生活し ている人と彼らの視線で語り合う、という確信がありました。それならば「自転車でモロッコを縦断する」というのは最も自然な決断でした。
友人にこの計画を話したら、彼らの反応は“Are you crazy!”でした。

自 転車の知識が全くなかったので、何から手をつけて良いかわからず、とりあえずweb上で自転車についての情報収集から入りました。期末試験・ペーパー提出 に追われる中、自転車の各パーツの名前を覚えるところからはじめ、自分の旅の目的に適った自転車を探すのには苦労しました。自転車を飛行機に載せられるか 航空会社に問い合わせたり、自転車を空港まで運ぶ方法を考えたり、旅への期待と同時に準備期間の少なさ、資金的制約からくる緊張感が入り交じったような心 境でした。また、なにからなにまで自分でオーガナイズして動かなければ先へは進めません。無から有を造り出すような楽しさがありました。

そ の後シャンペンにあるサイクルショップで自転車を購入しました。しかし、自転車を買ったところで何も始まりません。マッドカバーをつけて、フロントとリア にキャリアをつけて、ドリンクボトルのホルダーを取り付けて、タイヤの幅を32㎜のものに取り替えて・・・自転車屋さんとのやりとりを通して、自分の旅の 目的に適うように自転車をカスタマイズしていきます。また自分で自転車を分解・組立ができなければ、モロッコへは持っていけません。期末試験の終了後は出 発直前まで通算6回はサイクルショップへ通い、最終的には自分で分解・組立ができるようになりました。自転車屋のスコットには本当にお世話になりました。 僕の初めての自転車旅行がモロッコ縦断だと聞いて、彼もこう言いました。”Are you crazy!!”
それでも最後の最後まで自転車の組立・分解を伝授してくれたスコットには大変感謝しています。

私は12月16日にシカゴを経ち、ロンドン経由でアガディールへ行きました。そこからアトラス山脈を越えマラケシュ→カサブランカ→ラバト→アシラ→タンジェという道のりで行きました。

モ ロッコでの意思疎通の手段はフランス語です。無駄だと思いながら2年もの期間大学で習い続けたフランス語がこうして役に立つとは、当時の自分は予想できな かったでしょう。アトラス山脈の麓にある小さな村落の人々も流暢なフランス語を喋ることには驚きでした。現行の教育制度の下では、6歳になれば小学校に通 いはじめ、そこでフランス語とアラビア語を学びはじめます。つまりバイリンガルを育てる教育制度になっているわけです。後に紹介するバシール家の子どもた ちは中学校に通い、家庭ではアラビア語を使いつつ、高いフランス語能力を有していました。

(ただ、こうして私が旅の一コマで感じたこと は、国レベルにおいて必ずしも当てはまりません。2004年の時点で成人識字率は52.3%で、中等教育の就学率も男女ともに約50%です http://libportal.jica.go.jp/Library/Public/Index/MiddleEast/Morocco.pdf)

一 日に平均6、7時間は走行しました。必ずしもすべての村や町に宿泊場所があるとは限らず、町を発つ前に次の目的地に宿泊場所があるかを確認する必要があり ました。この場合複数人から情報収集するのがコツで、一つ一つの情報を重ね合わせて、もっともありえそうな結論をだします。また一日80キロほど走行する 場合は、やはり目的地に近づけば近づくほど情報の精度も上がって行きます。日暮れ時にようやく目的地へ到着したものの「宿がない!」となればどうしようも ありません。情報収集は死活にかかわるのです

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自転車の旅の良い点は、通りすがりの人達と会話ができ、また車や電車で走っていれば見過ごしてしまうような一瞬の風景を写真に撮ることができることです。 道端で子どもたちに交じってサッカーもできます。カフェで一服しているおじさんに呼び止められて、ミントティーを飲みながら一服。また、私は折り紙と習字 道具を持っていたので、カフェで折り紙教室を開いたり、子どもたちに習字を教えたり、道路工事をしている人に交じって働いたり(本当です!)自転車での旅 は様々なコミュニケーションの場を生んでくれます。
基本は笑顔で挨拶です。僕から「アッサラーム・アレイクム」と笑顔で語りかければ、「ワレイク ム・ッサラーム」と笑顔で返してくれます。「ラバース」(元気ですか?)「ラバース・ハムドゥリッラー」(元気です。アッラーのおかげで)「アナ・ジャポ ネ」(私は日本人です)といえば「旅人よ、よくきた」と迎えてくれます。「よそモノがきた」、「なんだこいつは」とにらみつけてくる人も多くいましたが、 自分から笑顔で相手の言語で挨拶すれば、相手のすぐに表情も緩んで、仲良くなってしまいます。そして会話は続いていきます。「東京ってどんなところだい」 とか、「あと20キロも行ったら宿があるよ」とか、「あのアトラス山脈を自転車で越えるのか。それはたいしたもんだ」とか。中には「この自転車は立派だ なぁ。で、幾らなら売ってくれる?」という商売っ気のたっぷりな人もいました。
こうして多くのモロッコの人々と接して感じるのは、挨拶・笑顔とい うプリミティブな行為が、「他人」という言葉に含まれるような極度の緊張関係を解きほぐし、人と人との関係をスタートさせるのに絶大な威力をもっていると いうことです。挨拶・笑顔そして感謝は世界の共通語です。

バシールと出会ったのは、モロッコ南部のTaroudantという町へ 向かう途中のレストランでした。私がタジン(オリーブとスパイスの効いた羊肉と野菜の煮込み)が出てくるのを今か今かと待っていると、僕の身なりに興味を もった一人のおじさんが声をかけてきました。私の無鉄砲なモロッコ縦断計画をネタに盛り上がった後、彼がTaroudantの弁護士だというので、話題は 急にイスラム法になりました。イスラム法の講義で得た知識がアトラス山脈の麓で役に立つとは思ってもいませんでした。「今晩はうちに泊まっていきなさ い。」とバシールに誘われました。一度は断ったものの、すでに4時を過ぎており陽が沈むまで1時間程しかなく、結局彼の家に一泊させてもらうことにしまし た。

その夜、一週間ぶりに風呂をつかわせてもらいました。それまでは水のシャワーしか浴びたことがなかった自分にとっては、水風呂で十分 にありがたかったのですが、浴槽の中にはお湯があるのです!「水しか出ないはずなのに、どうしてお湯が」と疑問に思い浴槽の横をみてみると、なんと大きな ヤカンが置いてあります。浴槽に沸かしたお湯をいれてくれたのでした。彼らの思いやりが心を打ちました。

一宿一晩の恩義。何らかの形で感謝の意を伝えようと、お金を渡そうとしたけれども、バシールは「ケンは私たちの友達だから、お金は受け取れないさ。これからの旅にとっておきなさい。」と言ってくれました。

そ の後アトラス山脈を越え(わずか9字で表現しましたが、上りは過酷でした・・・)、マラケシュ→カサブランカを経て北へ北へと進んで行きました。1月1日 にジブラルタル海峡を渡る予定だったので、日程の都合上、ラバトから鉄道を使ってAsilahというTangerの約40キロ南にある大西洋沿いの町にい きました。

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Asilahにしばらく留まることにしたのは、Tangerの喧騒を避けるためで、静かな町で旅のつかれをとろうと思ったからでした。あのまま数日間、何 事もなく過ぎれば、Asilahも「海岸沿いの美しい町」で終わっていたでしょう。しかし、ある日メディナ(旧市街)を散策していると、アラバマからやっ て来たというイサという不思議なアメリカ人が声をかけてきました。僕がイリノイ大学に留学していること、自転車(と電車)でモロッコを縦断していること、 彼がスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラをマドリードから踏破しその足で南下しモロッコに来たということを話していると、彼が「君も、僕がいま泊 まっているモハメドというミュージシャンの家に来ないか。あそこなら毎晩グナワ音楽がたのしめるよ。」と誘ってくれました。滞在費を私に負担させてくれる のを条件に、彼の家におじゃまさせてもらうことにしました。
後で知ったことは、モハメドなる人物は、スーダン起源とも言われるグナワ音楽のミュー ジシャンであり、マーレム(師匠)という称号を有し、年に一度モロッコで開かれるグナワ・フェスティバルで演奏するほど名手だということです。モハメドの 家には彼の弟子が出入りしており、にぎやかな音楽学校のようでした。

私がモハメドの家にいた2006年12月31日はイスラム暦1426 年12月10日にあたります。この日はムスリムにとって一年を通して特別な日で、イードゥル・アドハという犠牲際の開始日にあたります。犠牲祭は旧約聖書 の創世記やコーランの第37章を起源としています。神(アッラー)に命じられるままにイブラヒム(アブラハム)が子イスマイル(旧約聖書ではイサク)を人 身御供として捧げるようとしたところ、神(アッラー)がイブラヒムの信仰心を認め、イスマイルの代わりに雄羊を生贄に捧げたという故事に倣い、羊を生贄に する犠牲祭が今でも続いています。

モハメドはその日の朝からお昼にかけて、家族や弟子の見守る中、3頭の羊を屠りました。「ビスミッ ラー」と呟き、羊の喉元に刃を入れます。皮を剥ぎ、頭部を切り落とし、内臟をとりだします。はじめて見る屠殺の光景は非常にショッキングでしたが、「自分 がいつも食べている肉類はすべてこういうプロセスを経ているんだ」と感動は、「あたり前」のものが「あたり前」でなくなっていくのを実感する貴重な体験で した。
目の前にぶら下がった羊の表面からはまだ湯気がたっていました。その場で肉を切り取って焼いて食べると、これまた形容し難い不思議な味がしました。

犠 牲祭の期間、ムスリムは屠った羊の3分の1は親戚・家族へ、そして残りの3分の1は貧しい人に施します。羊に限らず果物でも野菜でも、他の人に分け与え、 シェアすることが生活のすべての場面で実践されているのを目の当たりにすると、イスラム教に対するイメージも次第に変わっていきます。

1月1日の早朝Asilahを出た私は、40キロ先のタンジェ港までモロッコ最後の道のりを自転車で進みました。ジブラルタル海峡を渡ればそこはイベリア半島。7年来の友人の住む古都バリャドリードへと向かいました。

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犠牲祭の期間、ムスリムは屠った羊の3分の1は親戚・家族へ、そして残りの3分の1は貧しい人に施します。羊に限らず果物でも野菜でも、他の人に分け与 え、シェアすることが生活のすべての場面で実践されているのを目の当たりにすると、イスラム教に対するイメージも次第に変わっていきます。

1月1日の早朝Asilahを出た私は、40キロ先のタンジェ港までモロッコ最後の道のりを自転車で進みました。ジブラルタル海峡を渡ればそこはイベリア半島。7年来の友人の住む古都バリャドリードへと向かいました。

旅はまだまだ続きますが、長くなってしまったので、旅の紹介はここまでで、以下私の感じたことをまとめます。

第 一に、モロッコからスペインへ入った私は、一面ではあれ、アフリカとヨーロッパの違いの縮図に触れることができました。スペインやフランスの町中を歩いて いると、整備された交通機関、きれいに掃除された道路、時刻通りにくる電車、町中では多くの車が往来し、ブティックが立ち並び、ホテルのシャワーからはお 湯がでる。郊外に出れば区画の整った田園があり、張りめぐらされた電線網から各家庭へ電気が供給される。「人的資源、技術、富が偏在している」とまでは言 わなくても、少しでもこういった富、技術、人的資源を有るところから無いところへと持っていけば、世界が住みやすいところになるのではないか。そうするこ とが善いのか悪いのかは別にして、こうしてジブラルタル海峡を渡って二つの世界を見比べることができたのは有意義なことでした。

第二に、 たしかに、モロッコでは道路、交通機関のような物的インフラや義務教育のような社会的インフラが西ヨーロッパ諸国ほどには整備され制度化されているといえ ません(マラケシュ以南はまだ鉄道が通っていない状態です)。しかし制度化されていない、すなわち「出来上がってない」ということは裏を返せば、生活のあ らゆる局面でインフォーマルなやりとりが大きくものを言い、いま自分が対峙している相手とどういう関係を築くかで、物事が上手く運んでいく可能性があるこ とを意味します。たとえば、宿屋では交渉次第で宿代を下げてもらったり、カフェではウェイターと仲良くなればちょっと多めに料理を盛ってくれたり、お金が 無いときには所持品をお金代わりにうけとってくれたり、とインフォーマルなネゴシエーションで自体が好転した例は数に限りありません。

第三に、旅とはなにか。
日本やアメリカのような高度に制度化された社会のなかで生きていると、居心地のよさから、ともすると自分の世界が完結してしまい、自分の置かれている環境が世界的にみていかに恵まれているかということを気付かなくさせてしまいます。
旅で見、聞き、体験したことが、日々当然の如く享受している「あたり前」を解体し、もっと意識的に自分の身の回りのことを観察できるように、私自身なりました。
「寮 のシャワーからはお湯がでる!」という感動から、「このお湯はどこから来ているのだろう」という次の問いへと進み、調べてみると、「寮の地下で沸かしてお り、そのための電気は寮から数百メートルのところにある発電所から供給されている」ということまでわかってくるのです。
寮の食堂でも、今までのように当然の如く食べ始め、当然の如く残し、当然の如く去っていくのではなくて、ちょっと一瞬時間をおいて、自分の境遇に思いを致せば、おのずと感謝の気持ちが沸いてきます。

旅とは人との出会いです。
自分とは異なった環境に生まれ、その運命を受け入れ、毎日を明るく一生懸命生きている人たちとの出会いは、将来の進路を決めかねぐずぐずしている自分に元気をくれます。同時に、恵まれすぎの環境のかで育つ自分に、罪とも恥ともいえぬ不思議な感覚を抱かせてくれます。

4年間(留学も含めて5年間)の大学生というモラトリアムを終えて、ようやく次のステップへと旅立つ心の準備ができました。
5月まであと3ヶ月強。残り少ないアメリカでの大学生活を一日一日大切に送っていきたいです。

留学という貴重な機会を下さったJICの皆様、モロッコ・スペイン・フランスでお世話になった方々、Crazyと言いながらも私を励ましてくれた友人たち、そして相当に心配をかけたであろう家族に、この場を借りて心から感謝申し上げます。

東京大学法学部4年
河手賢太郎