古川愛季子さんの2005年最終レポート

JICの皆様こんにちは。先月の後半に無事帰国いたしました。今ではようやく留学気分も抜け、心は次の目標に向かっています。密度の濃い一年間をまとめる のは難しいので、前回のレポートで書き忘れたことと、今振り返って特に思い出すことについて書き、留学の総括とさせていただきます。

(ニューヨーク旅行と頬にslap)

前 回のレポートではお伝えしませんでしたが、春休みにはルームメイトと二人で演劇鑑賞(幸運なことに、Tennessee WilliamsのThe Glass MenagerieをChristian Slaterのメインキャストで観ることができました!)と観光を兼ねて、ニューヨークへ旅行に行きました。私もニューヨークから大変刺激をうけました が、イリノイ州内の本当に小さなカソリック町で生まれ育った私のルームメイトは感動と同時に大都市そのもの、またそのなかでUIUCのキャンパス内とはま た違ったかたちで顕著になる、多人種、他民族の在り様に大きなショックを受けたようです。

そこからの帰り、バスの中で話題は卒業後の進路 になりました。私にとってはこの留学の最大の目標の一つである卒業後の進路を決めること。秋学期に楽しみながらも苦しんで専門分野の勉強を頑張った後か ら、大学院よりは社会に出て働きたいと漠然とは思っていたものの、はっきりとしたビジョンはありませんでした。まだフレッシュマンのルームメイトは「卒業 したら1年程度peace cropで働きたい」と言いました。なぜか、と私が訊ねると、彼女は「I need a slap on my cheek before I start what I wanna do. Everybody needs a slap, I think.」 と言います。彼女は根っからのartyなタイプで普通の職業に就く気など更々無く、元々「卒業したら詩をつくりながら世界中を旅したい」と、私から見れば 夢のようなことばかり言っていました。そんな彼女から出た意外な発言であったため、この「頬にslap」という言葉自体がいまだに心に残っています。それ 以前の私自身は、卒業後の進路を常に考えつつも、大学という心地よい場所で自分の好きな勉強をただ純粋に楽しんでいる状態でしたが、この春休みの旅行以 降、自分が望む将来へのプロセスとそれに対する心構えのようなものが少し変わった気がします。留学で得たものは沢山ありますが、一つ分かったことは、「私 は留学を通して頬にslapを受ける準備ができた」ということです。だからこれから約一年半残された学生生活では、いままでのように大学生として純粋に勉 強を楽しむと同時に、社会に出て頬にslapを受ける準備期間ということを肝に銘じて、今までとは違う意味で、又、違う方法を取りながら貪欲な過ごし方を しなければと思う次第です。

(老人ホームでのボランティア活動とお別れ)

2回目のレポートで少しお伝えしたと思うのです が、私はUrbanaにある老人ホームへ週一回ビンゴゲーム大会を開きに訪問していました。これはVolunteer Illini Project、通称VIPと呼ばれるUIUC最大のボランティアサークルを通し、形式上は「ボランティア」として行っていました。しかし私はこの週一回 の訪問を本当に楽しんで、これ自体が一年間を通して自分の支えにもなっていました。残り2回という状態でVIP senior citizenのコーディネーターから「Akiko, I have something to you.」と言われました。そこには額縁に入った二つの賞状が。見ると「Best Volunteer Person of the Year」と「Millian Hutch Award」という二つのタイトルの下に「Akiko Furukawa」と書いてあります。私は本当に楽しんでいただけだし、他のVIPで活躍する人々に比べたら遊んでいたようなものだったので「I don’t think I deserve it」と一度断ったのですが、彼女は「Yes you DO!」の一点張りです。そして額には入っていたものの、その額がマイヤーのスーパー袋(笑:アメリカを感じました)から出てきたこともあり、そんなに大 それた賞ではないと思い受け取ることにしました。心外な部分はあったものの、自分が一年間続けたことが認められたことは大変嬉しかったです。その後気付い たのですが、一年の終わりにはVIPに限らずUIUCのキャンパス中が「best○○of the year」という表彰だらけであったということです。Unionに行けば「best employee of the year」が壁に掲げられ、寮では「best RA of the year」が、というふうに何処へ行っても表彰を目にしました。ボランティアを通して、コミュニティーと協力しあう大学を感じると共に、頑張った人に対す る自治的な評価体系があらゆる場所に存在することも新鮮に感じました。

そして最後の訪問日、老人ホームでは沢山の「buddies」が私 達の到着を待ち構えていました。このような、複数の人々を対象とする活動において、自分のfavoriteを決めることはふさわしくないかもしれません。 しかし私にはfavoriteがいました。50代前半で全盲の彼女は週一回のビンゴゲームを「生きがい」と言うくらい楽しみにし、毎回興奮のあまり叫び、 他のお年寄りに迷惑をかけ、時には退場宣告を受ける程(笑)のビンゴファン、そしてAkikoファンでした。最終日には私をみつけるなり「Akiko, I know you were coming, cuz I cried and prayed all night.」としがみつき、泣き叫びます。元々涙もろい私は絶対に泣いてしまうな、と予想していたのですが、彼女の強烈な慟哭に圧倒され、感慨は深かっ たものの冷静に過ごしました。いざ帰る時となり、沢山の「God bless you.」とハグが交わされる中、私のfavoriteは「God bless you.」と泣き叫びながら緑色のmountain dew(coke よりもカフェイン含有量の多い炭酸飲料)の缶をくれました。先学期、テスト前日での訪問日に「カフェインたっぷりだから勉強するのに起きていられるよ」と 言ってくれたのを私が大変喜んだ事を覚えていたらしく、「I know that you like it!」と今度はシュガーフリーのmountain dew(血糖値が上がり、砂糖入り飲料を医師から禁止されたと文句を言っていました)をくれたのです。「I know you’re going back for good, but please think about me sometimes.」とまた泣き叫びながら杖を頼りに自分の部屋へ戻っていく姿にはほろりとさせられました。とにかく楽しくて仕方なかったこの老人ホー ム訪問はイリノイでの一番の思い出のうちの一つです。

(最後の数日間)

私の今学期のファイナルは、そのほとんどがファイ ナルウィークの前に終わっていました。しかし最終日にスピーチがあったことと、black chorusのメンバーとしてcommencementに参加することに決めていたので寮の退出を最終日まで延長し本当に最後の一人になるまで寮に残るこ とになりました。いままでお伝えしてきたように、私はインターナショナルドームの、更にインターナショナルフロアに住んでいたため他にも何人かは残ってお り、最後にみんなで寮中treasure huntingをしてsomesoniteのスーツケースを手に入れたり(!)と楽しかったのですが、それでも置いていかれる立場でのお別れは大変辛いも のでした。

ファイナルスピーチまでほぼ丸一週間空いていたので、沢山の友達の引越し作業を手伝いつつ、一緒に写真を撮ったりして過ごしま した。私はまた別れの度に「あ、泣きそうだ」と思っていました。しかし予想に反したことに、普段はクールなルームメイトを含め、お別れのハグをする度に相 手のほうに先に泣かれてしまうことが多く、私はどちらかというと冷静でした。私は普段からちょっと辛いことがある度に友達に愚痴りながら泣いていました。 私は慰めされつつも、「アキコ、他人に涙を見せることは、自分は弱い人間だと言っている様なものだから気をつけろ」と注意されたりしていたので、そんな友 達に先に泣かれ、老人ホームの時同様「なんだかなぁ」と複雑な気持ちにもなりました。しかしcommencementの前日、最後まで一緒に寮に残ると 言っていたイリノイでの一番の友達が突然旅立たなくてはならなくなりました。彼女の緊急なmoving outを大忙しで手伝い、全ての荷物を運び終えた 時、私の携帯電話が鳴りました。なんと、イリノイで最も仲良しで毎週末一緒にパーティーしていた男の子達2人も同時に旅立つといいます。最後には車二台が PARの前に並び、イリノイでの親友3人が同時に私を置いて旅立つという状況になり、その時ばかりは息ができなくなるくらい泣いてしまいました。

こ のような体験を踏まえて、イリノイでの一年間は「自分が沢山の人から愛されている」ということを、日本にいるときよりもより分かりやすい形で再確認したも のでした。沢山の「God bless you.」や「Good luck.」が飛び交うお別れの場面一つ一つで、私はこんなに沢山の人々から大切にされているのだから、それに報いる生き方をしなくてはならない、と、襟 を正すような気持ちにさせられました。

(イリノイでの一年間)

留学で得たものを数え上げると、大切な友達、語学力、自分 なりのアメリカ観、他人に向けた自分のre-presentationの仕方に対する意識、貪欲になること、などなどきりがありません。勉強の面では、 LASという学部の名前そのものの、最高のリベラルアーツができたし、その他の生活でも学部寮での、常に友達と一緒の生活や、black chorus、老人ホームでのビンゴ大会など密度の濃いイリノイ生活、しいてはアメリカ生活ができたと思います。留学気分はもう抜けたものの、来月にはイ リノイでできた友達の何人かが日本に来るのでその観光案内をすることが近いうちのお楽しみです。せっかくできた友達なので、これからも大切にしていきたい と思います。

イリノイでの素晴らしい一年間のなかで辛いこともありました。その時にイリノイでできた友達に助けられたことはもちろん、 JICの奨学金システムでアメリカに来てよかったなと思うことが度々ありました。悩んだ時は一緒に来た3人に相談したり、過去の先輩方のレポートを見て参 考にしたり、更に私の書くレポートへのお返事のメールにも本当に励まされました。それを踏まえて私が思うJIC奨学金制度の、他の奨学金制度には無い強み は、この手厚いサポート体制と、更に、留学目的が応募条件として限定されていないので、将来の選択肢を狭めることなく奨学生それぞれの目標に向かって一年 間自由にイリノイで勉強、生活できるということにあると思います。

“From the bottom of my heart, I really want to say, I have to say thank you.”これは私がblack chorusで教わったGratefulというゴスペル曲の歌詞の最後です。ここでは “you”はイリノイで私と関わった全ての人、そして何より、このような素晴らしい機会を与えてくださったJICの皆様を指します。言葉で言い表すのは難 しいですが、本当に感謝しています。ありがとうございました。総会でお会いできるのを楽しみにしています。