2008年度奨学生レポート(椿 晴香)

JICの皆様、1年間大変お世話になりました。早いもので8月にイリノイに来てから9か月が経ち、Spring semesterも終わり、とうとう帰国となりました。奇しくもイリノイを発った5月は昨年イリノイに来た8月とカレンダーが全く同じで、期末試験も終わった13日水曜日には出発日かつ到着日の8月13日水曜日のことを思い出しました。案外早くキャンパスの地理に慣れて安心していたのは昨年の8月のこと、イリノイ最後の1週間に仲のよい友人とGreen & Wright の交差点を通った時は、何とも言えない郷愁の念でいっぱいになりました。
しかし、このように出発前のことに思いを馳せるようになったのは、5月になってからのことです。それまでは引き続き無我夢中、最後の2ヶ月弱も盛りだくさんで過ごすことができました。まず、その様子をご報告させていただきます。

☆Know your audience.
教養学部生としては東京大学での教養時代も含めて最後の学期、それも終わりに近づきました。自分にとって全く新しい学問分野を学ぶことは結果的にしませんでしたが、異国の地で学ぶだけあり、新しい発見がありました。Soil Chemistryは学期中も楽しんでいましたが、帰国後の卒業論文テーマ決めに本当に役立っています。西洋史の授業では、日本でそれほど強調されないホロコーストがフランス革命と同じくらいのコマを割いて扱われました。以下のクラスでは、実践的な体験をすることができました。

“Crop Science483 Outreach Education Skills”
大学のExtension(Crop Scienceの授業の中での定義は、地元の農家や一般市民へ大学で調査研究した農学系の知識を伝えること)専門職の方のオムニバス講義でした。私の専門の地球科学では、子ども向け事業を催し、質問の電話を受けるExtension Centerのような施設は私の知る限り日本の大学にはありません。しかし、かねてから自分たちの研究を多くの人に伝えたいと考えており、この組織の取り組みは参考になりました。授業ではパワーポイントを用いた発表の仕方といった基本的なことからラジオ番組やpodcastを使ったextensionの例まで、幅広く学びました。アメリカならではのextensionの仕組みを知り、アメリカのland-grant universityと日本の法人化された国公立大学の比較を考える機会ともなりました。

“プレゼンテーション”
学期末は口頭発表が3つのクラスでひとつずつ、3週連続でありました。パワーポイントを背景にしてしゃべること自体は日本で経験を積んできましたが、英語となると準備もひと手間多くかかりますし、アドリブに期待することはできません。しかし、先学期の2回で多少自信をつけ、今学期の内容も高度になった発表に臨みました。3回のうち、残念ながら失敗もありましたが、二つ目の「リンの環境への影響」の発表では、一つ目の反省をふまえて聞き手を引き込むような冒頭からの流れを作り、練習を重ねた結果、自分でも話していて楽しい発表になりました。履修した中で一番授業の作り方が面白いと思っていたこの地球科学のクラスの先生からProfessional, Outstandingと最高の評価を頂き、とても嬉しかったです。
イリノイで1年の間学生をしていて目に見える一番の収穫は、英語でもためらいなく発表ができるようになったことでしょう。自分の英語での発表に生かすという意味も含めて、時間を見ては週1・2回大学院のセミナーに参加していました。外部の研究者を招いての専門の話だったため、内容も完全に理解できたとは言えませんが、初めて聞く発表者の英語のアクセントに早く慣れ、目的通り英語での発表の仕方を見て学ぶ機会にもなりました。

Outreach Education Skillsの授業と一連の口頭発表を通して、さらには長い間外国語の中で暮らして、人と話すときは相手の立場に立つことが大切なのだと実感し、練習の機会も持つことができました。これは日本でも繰り返し言われてきたことではありますが、なかなか実行できないでいました。自分と同じ専門知識のない人にも楽しんでもらえる成果発表をし、言葉を習いたての人には単語を選び、その上で熱意をもって話すこと。これから日本でも大学院に進学すると留学生や海外の研究者と接する機会も増えるようです。帰国してすぐに、学んだことが生かせそうで楽しみです。

☆外国語
“エスペラント”
もうすぐ終わりという時期になってもまだやり足りないことだらけで、面白そうなことを見つけては参加し続けていました。4月の第1週のエスペラント語クラブ1週間集中講座から始め、5月まで活動に通いました。単語を覚えるときは知っている限りの諸西欧語の語彙を総動員し、訳を考えるときは日本語の品詞分解のような考え方が使えるのが面白いです。テキストの輪読をしていて、慣れないエスペラント語を音読した後は、英語の解説の音読が私にも(あくまで比較的ですが)すらすらできているように感じ、感動しました。ほとんどが日本語やアラビア語を履修しているような、外国語学習が好きなメンバーに出会えたのが何よりの収穫でした。私はエスペラントどころではなく、訳の英単語の微妙な使い分けも教えてもらうこともありましたが、彼らの日本語の疑問にも答えることができました。英語で世界じゅうの人々と話せるのに、敢えて国際語として作られたエスペラント語を学んでいるアメリカ人には、非常に親しみがわきました。

“German 101”
102(中級クラス)を履修するほどドイツ語に慣れてはいなかったものの日本でドイツ語を2年間学んできたため、春学期最初の頃はリスニング・スピーキングの訓練にこそなれ、新しい知識はサングラスといったアメリカらしい単語くらいしかなく、物足りないと感じたことも正直ありました。しかし、振り返ってみるとネイティブのスピードのビデオや比較的最近流行った歌も教材となり、英語の文法用語も学べたのでよかったです。
先生は言語学専攻のアメリカ出身の大学院生でした。ドイツ語以外にも数カ国語学んだ経験があり、外国語初学者のつまずきやすいところを熟知していました。私に小テストを返す時は「ハルカはどこ?」と、中国からの留学生にはなにやら中国語で語りかけ、片言でも(英語・ドイツ語以外に)言葉を共有していることは嬉しいことなのだと思いました。一方、東京大学での教養課程のドイツ語はドイツ文学などを専門とする教員によるもので、読解が中心でした。それなりに私は大変楽しんだのですが、日本の授業では会話の学習でなくカフカを読んだのよと言ったらドイツ系の友人にげらげら笑われました。先生・生徒共にまとまった時間を要する外国語習得には、忙しい学者と比較的学部生に近い大学院生と、どちらのタイプの教え方がよいのかなと思いました。
学生同士の会話練習も毎回のようにあり、クラスの皆とも仲良くなりました。ドイツ語の授業で留学生の友だちが増えるという、予期せぬこともありました。また、この先生自身大変気さくな方で、学期末にクラスの学生を集めてバレーボールをしようということにもなり、試験週間であったにもかかわらず楽しい晩を過ごしました(写真:GER101)。

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“嘘”
そして、ドイツ語の先生など言語学専攻の学生に限らず、多くのアメリカ人と話すうちに、スペイン語を副専攻にしている人も多いことに気付きました。イリノイ大学にある多様な外国語のクラスを時間割で眺めつつも、趣味の外国語学習はしばらくおあずけかなと残念に思っていたところで、似た人に会えたのは幸運なことでした。思えば、寮で一番仲良くなったアメリカ人も言語学専攻でした。 ”What do you call someone who speaks three languages? Trilingual. Two languages? Bilingual. One language? American.”というジョークがあります。イリノイに来るまでは、移民でもない限りアメリカ人は英語しか知らないのかなと思っており、自分はAmericanを話すのだと豪語した人も現にいたのですが、それはどうやらusonano(エスペラント語でアメリカ人)でした。

☆Researchers are like detectives.
一学年は、留学させていただくには長い期間ですが、なかなかやりきれず悔しい思いをしたこともありました。研究室に入ることは、イリノイに来る前から決めていて8月の授業が始まる前にご挨拶に行ったほどでした。しかし、初回の打ち合わせが悪かったのか目的意識が足りなかったのか、実際にしたのは「自分の研究」ではありませんでした。学年末には学部生の研究発表会がありましたが、該当しないかとあきらめてしまいました。しかし実際には同じ研究室で私と同じ作業をしていた他の4年生も出展しており、私も挑戦してみればよかったと、相談すらしなかったことをこの上なく悔しく思いました。

持ち帰れる成果はありませんが、昨年8月から5月の授業終了後まで続けてきて、湖一つ分の堆積物コアを処理し終えました。単純作業の繰り返しではありましたが、最後の日に担当の大学生によい仕事をしたわねと言われ、その時始めて達成感を感じました。日本で所属する学科では研究されていない分野であり、今振り返ると珍しい経験です。

第2回のレポートでも述べたように研究室内の大学院生の様子からも、見て学ぶことも多くありました。生物学の基礎のクラスのTAをしていた一人は、忙しい研究の合間のoffice hourに、授業の復習や試験前の勉強会を実験室の片隅で毎週開いていました。教育熱心であった彼は研究でも他の院生たちから慕われていています。ある時そんな彼が質問に来た学生に研究の様子を聞かれ、大変だけれど探偵のようで面白いと言いました。これから私は本格的に卒業研究にとりかかります。他にも隣で度々耳にした彼の名言も、その過程で理解できたらと思います。
最後には一緒に働いていて5月に卒業した学部生たちとともに送別会バーベキューをしてくださいました。(写真:Hu lab)学部生のうちに海外に知り合いの研究者ができたのも貴重なことでした。

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☆ボランティア
もう最後と思い、学期末課題であまり時間もなかった中、様々なボランティア活動をしました。半日程度で終わり、よい気晴らしになりました。4月末にはシャンペーンの小学校で放課後のお祭りのスタッフをしました。アメリカのお祭りでは定番なのか、フェイスペインティングや簡単なゲームなどは冬休みのASBボランティアでも経験しています。アメリカ文化が身に着いてきたのを感じ、嬉しくなりました。5月に入ってからは、ホームレスのための食事施設2か所で1回ずつですがお手伝いをさせていただきました。こちらは、あきれたほど飽食のアメリカに、ある程度きちんと余分な食品を福祉施設にまわすシステムがあることを知り、安心しました。

留学生ビザの都合上手続きが厄介だったこと、また英語にも自信がなくアルバイトはしませんでしたが、その代わりに日本ではないほど多様なボランティア活動ができました。ボランティアと名前がついていなくても、後述の日本紹介を初めとして様々な活動をしました。小さなことでも助けてくださった周りの方々に直接お返しすることは難しいものの、ボランティアで多少なりともアメリカ社会に何かできていたらと思います。それ以上に、アメリカの社会のもう一面を見るよい機会でした。

☆出国
このように、相変わらず課外活動にも積極的に参加しつつ、授業も最終課題や試験を迎え、春学期も終わってしまいました。寮に入った8月17日からちょうど9か月の5月16日に退寮、慌ただしく出てしまいましたが、私の生活を守ってくれた寮には思い出が詰まっています。試験後にまだ残っていたレポートと並行して丸3日ほどかけて部屋の片づけをし、寮が閉まった後は長期休みごとにお世話になっていた友人宅で過ごしました。ここでは一緒に公園で遊んだり料理をしたりと楽しい時間でした。最後は日誌形式とします。

(5月18日)
最後にキャンパスに行き、既に夏休み期間になっていたにも関わらず、久しぶりの友人に何人も会うことができました。そして、研究室でやり残しの仕事を片付けご挨拶。

(5月19日)
この期に及んでどうしてもアメリカで見たいものがありました。そこで、朝はキャンパスの南にあるIllinois State Water Surveyに、気象観測装置を見に行きました。雨量計など観測装置には国際基準がなく、その土地の気候や目的に応じて異なります。雪の降るイリノイならではの工夫があり、興味深かったです。しかし、この見学は、日程を合わせてくださった案内の方や送迎をしてくれた友人たち無しには実現しませんでした。改めてお世話になった周りの方々にありがたく思います。
見学後すぐにシカゴから同じく20日に飛ぶ大学院生の友人とともにAmtrakでシャンペーンを発ち、その晩はシカゴ郊外に住む共通の友人の知り合いのお宅に泊めて頂きました。ちょっとしたご縁があっただけの方々なのに、外国人の私まで温かく迎えてくれた彼らには感謝しきれません。最後の晩にアメリカ人の暖かさに触れられて幸せでした。

(5月20日)
早朝空港に向かい、9ヶ月間のアメリカ生活がとうとう終わりました。
(写真:Turkey Run)

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その後はアメリカ滞在期間を振り返り、色々と考えにふけることが多くなりました。その一部をご報告いたします。

☆日本人であるということ
日本では、理系の大学生であるという以前に女子学生と特殊扱いをされることも多く、それが嫌でした。ところがイリノイに来て、たいていのクラスで男女ほぼ半々、他の集まりでは女性の方が多い時もしばしばあったため、あまり性別を気にすることはありませんでした。その代りに目立つのが、アジア出身、日本人であるということでした。初めは鏡を見ても自分の出身を意識することはありませんでしたが、人がたくさんいる中でアジア系の人がいると何となく仲間意識を感じる自分に気づきました。それは相手にとっても同じようで、初対面の白人同士はよそよそしくしている場面でも、きっとアジア系だからという理由で話しかけられたこともありました。

そして、まわりの人から見ると私はやはり日本人なのでした。日本に興味を持っている人、sushiが好きな人は予想以上に多く、私の知らない日本の漫画キャラクターを知っている人、それが高じて神式結婚式をするのだという人もいました。そんな彼らは、私が日本人と知るといろいろ話しかけてきてくれました。4・5月は特に日本紹介の機会が多く、太巻きや天ぷらの作り方を教えたり、外国について調べて発表をする課題があるので話を聞きたいという中学生と話したりしました。同時に、自分はやはり日本が好きで、帰るのが待ち遠しいとも思い始めました。初めの頃はアメリカ風の料理を作ったものでしたが、4月にCosmopolitan Clubで開いたCoffee Hourをきっかけにその後のpot luckにはおにぎりを作っていくようになりました。思えば子どもの頃から英語が好きで、外国にあこがれていたようなところもありましたが、大人になるにつれ日本の美しい文化や自然に触れ、少しずつその良さを解するようになってきました。こうして長い間日本を離れると、よりいっそう日本の良さが見えました。アメリカが嫌いになったわけでもありませんが、自分の根本にあるものを客観的に見ることができました。

一方、9ヶ月間アメリカで暮らし、多少なりともアメリカの文化を知ることができました。日本の英語の時間にも西欧の年中行事や音楽に触れる機会はありますが、やはり長期間その文化の中で暮らして初めてわかることもありました。アメリカ人に囲まれての寮生活で、学生の日常生活を見ました。これもまた日常的に毎週木曜日には軍服で登校する学生がいる他、友だちが軍に入ろうと考えているらしいという話も聞きました。娯楽の面では、寮のシャワー室で流れていたラジオから流行りの歌を覚えました。初めは自分でクラシックのチャンネルに変えたものですが、後半は流行歌でも構わなくなりました。おかげで、帰りの飛行機のオーディオで楽しめるチャンネルの数が増えました。そして、Alternative Spring Break (ASB)のボランティアキャンプを通してpop musicに合わせて踊る楽しみがわかるようになりました。日本の友人に私も踊れると言ったら驚かれることでしょう。秋口に、最後にはreal Americanになれるわよ、と予告されたことを思い出しました。果たしてどうでしょうか。

☆ふるさと
悩みの多かった春にJIC2006年奨学生の西村さんが夏目漱石の『私の個人主義』を紹介してくださいました。それを機に、帰国後は漱石ばかり読みました。以前は気にもとめませんでしたが、漱石も留学帰りで、まず親近感を感じました。しかし、比較するにも畏れ多い明治の文豪たちの留学と私の1年は随分と異なります。最も違和感のあった一節、「体力能力ともにわれわれよりも旺盛な西洋人」(夏目漱石『現代文明の開化』)と思ったことはありません。イリノイに来る前は体格が違い、衣類の買い増しができないかと心配していましたが、日本人の若い女性より小柄な女子学生にも人種によらずたくさん会いました。通学通勤にかかる日々の運動量からすると、体力はわかりません。能力はそれこそ個人差がありました。
それどころか、学術的なメリットは感じながらも、もしかしたらとフロッピーディスクを日本から持って行ったほど産業先進国に留学しに行くという実感は全くありませんでした。それに対して、アジアからの留学生たちは、うちは貧しく発展途上の国だからこうしてアメリカに来て勉強するの、今の政府高官もUIUC出身が多いのだ、と留学に対する意気込みも違いました。

学期が終わった後、日本に帰る前に数年来の旧友たちに会いに、バンクーバー(カナダ)と台北に行きました。バンクーバーはシャンペーンよりずっと大きい街ですが、街並みや商店の様子は似ていました。そして、台北および友人の通う台北より少し離れた大学のまわりは、何となく日本の首都圏及び郊外に似ていました。

台北では、私が中国語に一瞬戸惑ったと思った瞬間に英語で応対してくれました。一方、北米の店頭ではヒスパニック他で困っている客に対して頑として英語でしか対応できないという情景を何度も目にしました。台湾では少しくらい田舎に行ってもICカードでバスや電車に乗ることができますが、シカゴ、バンクーバー他、私が見た北米の大都市では未だに磁気カードでした。日本や台湾では相当大都市から離れてもきちんとゴミの分別がなされていますが、シャンペーン市では分別回収はしていませんし、リサイクルでないゴミは全部land fill行きと聞きました。これは私が見たアメリカの一部に過ぎず、北米の方が進んでいるところもあるのでしょう。しかし、日本に十分自信を持っていいと改めてわかりました。(写真:cherry)

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☆ 最後に
5月も8月も31日ある大の月で、昨年9月と今年の6月も同じカレンダーになり、6月は日にちを見ながら新しい生活へ適応していった過程を思い出しました。イリノイに来てひと月と少し経った9月の最後の週には、すっかりMTD(キャンパスバス)を乗りこなして、中間試験第一弾の合間に各種イベント・講演会に参加していました。帰って来て約ひと月経った今、6月の最後の週、すっかり日本に慣れたように思います。帰ってすぐは自宅からの景色に高層ビルが増えたこと、学校の廊下や洗面所の照明が節電型になっていたことに驚き、何より一学年進んだ友人たちに圧倒されていました。しかし、また以前のような学生生活に戻り、新しい学年の人たちとも親しくなりました。嬉しいことに、家族だけでなく同じ学科の友人たちや先生方、大学1年の時以来の友だちまでが、歓迎してくれました。これだけ私のことを大切にしてくれる人たちから離れて行った留学、自分にとってどんな意味があったのかは、まだはっきりとは見えません。しかし、見守ってくださった周りの方、そして自分の将来のことを考えると決して「失われた一年」ではない、いや、そうしてはいけません。イリノイで学んだことをこれからの人生でじっくり生かして参ります。

アメリカはhappy countryである、Everyone is happy.とパキスタン出身の研究員さんに言われました。本当かなと思うほど1年間苦しいこと、しかしもちろん楽しいこと、いろいろなことがありました。今までの人生で最も異色な一年です。同時に人生の中で転換期となるような気がします。これは規模、包容力ともに大きいイリノイ大学であったからこそです。支援してくださったJICの皆様、本当にありがとうございました。

東京大学理学部地球惑星環境学科4年 椿晴香

写真の説明
GER101:キャンパスのバレーボールコートでドイツ語クラスのメンバーでバレーボールをしました。(この科目の口頭試験が終わった夕方)
Hu Lab:研究室の皆と
Turkey run:地球科学の授業で巡検に行きました。中西部も平坦なところばかりではありません。
cherry:見慣れたような春の花(イリノイ大学構内)