この記事のタイトルから,皆さんは何を想像されるであろう.開館してから20年を迎えるイリノイ大学日本館,畳の張替えを2017年1月に行ったのである.そもそも米国には畳職人などいない.更に,米国へ職人さんを呼ぶには労働ビザの取得も必要,費用がいくらかかるか,想像すらつかない.日本館からイリノイ大学日本同窓会に相談が来たのが2016年の夏.そして,様々な偶然や出会いを経て,2017年に総ての畳張替えを完了したのである.この記事は,そのような苦労を経て完了した「日本館畳張替えプロジェクト」の記録である.




窓の外に未だ白く雪が積もり、いつもなら外の澄んだ冷たい空気に似つかわしくほこり一つない日本館の茶室は、この日ばかりは3つの木製の作業台と大小様々な釘やナイフで埋め尽くされ、その中に半袖のT-シャツ姿で畳の縁に太い針をねじ込む3人の畳職人の姿がありました。3名の畳職人、鏡芳明さん、吉野裕一さん、中島拓也さんです。20周年記念を目前に控えた日本館の茶室、床の間、四畳半に敷き詰められた計30枚ほどの畳を全て張り替えるため、計3日ほど日本館に滞在をされます。
日本人なら誰もが一度は目にしたことのある畳は、中央の板である畳床、「いぐさ」という草を使用した畳表、そして端を固定する畳縁の3つの部分で構成されています。今回の作業は 畳表と畳縁を一新する作業。数十年の使用に堪え、日光にさらされてすっかり黄金色になり香りもなくなった畳の表面を、真新しい畳表で若返らせる作業です。現在畳生産も機械化が進む中、今回持参されたのは腰までの高さほどの小さな機械一つのみ。昔ながらの手作業でほとんどの工程が行われます。最も経験のある吉野さんの的確な指示のもと、黄ばんだ畳の表面を一枚一枚剥がし、15cmはあろうかという長く太い針と頑丈な糸を厚い畳に抜き差しし、緑色をした新たな畳表を縫い付けて行きます。
一日目の夜、シャンペーンのクラフトビールを囲みながら、それまでの御一行の物語を伺う機会がありました。
今日の日本では、生活様式の西洋化に伴って畳需要は急減し、畳市場は縮小を続けています。 そこで多くの畳屋は従来の価格を維持するためにコスト削減を試み、材料費削減のために中国産のいぐさを使うようになりました。更に問屋の仲介は適正価格での材料取引を困難にしています。結果として安価な畳が市場に浸透、日本国内のいぐさ農家は窮地に立たされます。 一時期6000軒を越えた日本国内のいぐさ農家は500軒前後まで減少し、現在国内に流通するいぐさの80%を中国産が占めるまでになりました 。
この点に危険信号を鳴らしたのが、畳屋道場創立者の鏡芳明さん。畳屋が材料について無知ではいけないと、自ら熊本県のいぐさ農家に脚を運びはじめました。大変な苦労の元に生産された本物の原料に触れるうち、国産の良質な畳と、それを支える井草農家を守りたいと思うように。 国産の良質な材料のみを使用することに徹底的にこだわった、高品質のブランド畳の製作に打ち出します。 始めは周囲の畳業界の動きに逆行するコンセプトであることから農家を説得し契約を結ぶことさえ容易ではありませんでしたが、 いぐさの栽培や収穫に毎月脚を運び、生産者と直接顔を合わせるなど原料生産に関わる中で信頼関係を築き上げました。さらに、問屋の仲介を経ずに農家自身がいぐさの価格を設定できるよう尽力することで、農家の保護にも努めます。また、旧来の畳職人は独自の技術を守るために他社には自信の会社の技術を極秘にして単独で生産していましたが、その風習にあらがい、全国の畳屋をまとめるネットワークを築きあげ、定期的に勉強会やセミナーを開催。鏡さんのコンセプトに共感する職人を全国から集めるのでした。
今回同行した吉野さんも、そんな鏡さんの熱意と勇気に突き動かされた一人。130年続く伝統ある畳屋を経営する立場だけに、始めは畳屋道場の取り組みに対して半信半疑だったと言います。しかしセミナーに参加をしていくうちに見たのは、鏡さんの真摯なお人柄と偽りのない畳への思い。これは間違いないと、徐々に本腰を入れて協力するようになりました。
畳屋道場はその後、神社仏閣や教会の畳張替えを行うばかりではなく、インドやフランスでの畳張りも担当するようになりました。近年では、畳の材料であるいぐさを利用しつつも現代の生活に融合する新たな畳製品の開発や 、化粧品メーカーと共同で畳のリラグゼーション作用を利用したエイジング商品の開発に着手するなど、その活動範囲は既存の畳職人の枠組みをはるかに越えています。同社の高品質畳制作事業は、 経済産業省と農林水産省が主催する農商工連携事業にも認定されました。
畳の張替えが行われる数日間の間、日本館には周辺に住まう様々な国籍の方々が繰り返し見学に訪れました。皆それぞれに、部屋に脚を踏み入れた途端「いいにおい」と笑顔になり、初めて見る張替え作業の様子を興味深そうに見つめ、道具や材料についても質問をします。
作業中、茶室にとって重要な炉を囲む畳の一角の微細な寸法を気にする中島さんがジェニファー館長に希望を聞く場面がありました。館長は正座で中島さんに向かい合い、いつも通りの強い眼差しで、「あなた方のやり方を信頼します。」と一言だけ言ったのでした。
最終日、30枚近くの畳が全て緑色をした新しい畳で埋め尽くされた日本館で、観客を迎えてワークショップが行われました。最年少でありながら英語の堪能な中島さんが材料であるいぐさ刈り取りの様子をプレゼンし、吉野さんが畳張替えの最終作業である返し縫いを実演。最後に、 社長である鏡さんご自身が自らの思いを語りました 「自分の脚でいぐさ農家を訪れ、現場を見る中で、見えてきたことがあります。それは、今の延長線上に畳屋の未来はないということ。私達自身が畳屋という職業を再定義する必要があり、顧客にも畳屋の良さを再発見してほしい。ただし、私達は新奇性を追い求めるだけではありません。畳には、独自の機能性と、畳として存在する理由があります。私たちは畳の持つ本質価値を決して忘れず、良質な材料を使用した本物のたたみだけを使用するすることに徹底的にこだわり続けます。そして今後はただの畳屋ではなく、畳文化の創造と発信の担い手でありたいと考えています。」 そのように語る鏡さんに、ワークショップに参加したジェニファー館長、郡司先生、佐藤先生をはじめとする日本館ゆかりの方々、そして観客の皆が、満足した表情を浮かべ、その後質問が堪えなかったことは言うまでもありません。
改築後20周年を迎えようとする日本館の記念すべき節目に、日本文化を底から支える畳が一新されたことはもとより、畳文化の保護と革新を試みる3人の熱い志を持つ職人がここを訪れたこと、そして彼らが日本館の方々と深く語り合い、互いの理念を共有したことで、日本とアメリカを繋ぐ「ご縁」がまた一つ生まれた場に、奨学生として立ち会う機会をいただいたことをみなさまに心より感謝申し上げます。
2017年1月吉日 第41期小山八郎記念奨学生 守崎美佳
- 畳屋道場(株)社長 鏡芳明さまより
この度は、大変素晴らしい経験をさせていただきまして、ありがとうございました。皆様の暖かいお気遣いと、ご支援のお陰で無事に畳替えを終えることができました。感謝申し上げます。「すべては人との出会いで決まる」と感じています。ご縁を大切に、これからも精進していきます。畳文化の発展のために、皆様のご支援を引き続きよろしくお願い致します。ありがとうございました。
- 畳屋道場(株)吉野裕一さまより
「日々是好日」 とても有意義な時間を過ごす事が出来ました。皆様との出会いに感謝申し上げます。
- 畳屋道場(株)中島拓也さまより
今回ジャパンハウスにて、ジェニファーさん、シンシアさん、デヴィさん、ナンシーさんとお会いでき、暖かいサポートに恵まれ、本当に気持ちよく仕事を終えることができました。守崎 さんのお陰様で、私たちの思想がより細部までお伝えすることもでき、畳替えの作業が無事に終わった以上に、とても大きな成果をつかんだように思います。畳を通して、ジャパンハウスに集う皆様がより気持ちよく、楽しく、そして思慮深く日本文化に触れる機会作りに貢献でき、私自身にとっても素晴らしい経験になりました。今後ともジャパンハウスの皆様のご多幸を日本よりお祈りしております。 そして、また是非とも皆様にお会いできますことを楽しみにしております。
- ジェニファー郡司日本館館長より
I feel incredibly blessed to be the Director of Japan House and to have the amazing opportunity to connect and work with talented, thoughtful individuals like the three men from Tatamiya Dojo – Mr. Yoshiaski Kagami, Mr. Yuichi Yoshiko, and Mr. Takuya Nakashima. Last year, I began discussing one of my many goals for Japan House before our 20th Anniversary next year and the conversation lead to wanting to change out our 19-year-old tatami. With deep gratitude and much appreciation to Professor Shozo Sato’s initial efforts, we started speaking to various tatami companies in Japan. Sensei then connected with the President of the Japan Illini Club, Mr. Hisashi Komine, and we were so fortunate that it was through his foresight that he contacted Chef and Entrepreneur Suzuko Enomoto who visited Japan House and presented her talents in cooking 2 years ago. As a close friend of the President of Tatamiya Dojo, Enomoto-san connected him with Japan House and thus, we had the overwhelming honor of having his company revitalize our tatami. What a wonderful network of friends Japan House has! Mr. Kagami is not only the President of this company, but he is a true entrepreneur that believes in, respects, and upholds traditional Japanese practices in the craft of tatami and is a strong advocate for small businesses. I feel so exceptionally lucky that he accepted our invitation and that his beliefs and philosophies perfectly align with what we do and share here at Japan House. I invite all members of the Japan Illini Club to visit us in 2018 to see our beautiful new tatami and to join us in celebrating our 20th Anniversary. I cannot thank Mr. Komine, Mr. Yabe, and Mr. Kichikawa enough for their tireless efforts to make this a reality.