日本は梅雨も明け、紫陽花が大輪の花を咲かせる季節となりました。
5月21日に無事、約一年間の留学生活を終え、 シャンペーンから日本に帰国して参りました。
帰国直後は、まるで竜宮城から戻った浦島太郎になったかのような不思議な感覚で、この一年は本当に起きたのかと自分を疑ってしまうほどでした。確かめるかのように、ふと下を見るとイリノイ大学で打ち込んだアイスホッケー部のスウェットに背番号の8番が刻まれているのを見て、少し安心感と切なさを覚えたのは今でも忘れません。あれから数週間が経った今、ようやくこうして最終回となる奨学生レポートに正面から向き合う心の準備ができました。

長年親しみのあった東横線渋谷駅も、新たな首相への政権交代も、留学中は好都合だった円高経済も、卒業して4月から社会人となった同期も、帰国してみたら多くのことが変化していました。その一方で見慣れた環境や集団の中に戻ってみても、なんだか腑に落ちず 、その理由をじっくり考えたら、この一年で変わったのは周囲の環境だけでなく、自分自身だからだと気付きました。
最終レポートでは、出発前、留学中、帰国を通して感じてきた偏見や疑問に自分なりの考えをまとめ、帰国間際の数週間について、自由に書き散らしたいと思います。
⒈.留学の3つのウソ
2.期末試験と引っ越し
3.困難と挑戦
1.留学 〜3つのウソ〜
其の一【留学をすれば英語が自然と上手くなる】
海外へ行き、異国の地に身を置けば、語学力は自然と身に付くとのことをしばし耳にしますが、その考えは誤りだと思います。海外へ行っても、日本人同士で常に固まっていたら英語力は上達しませんし、極端な話、最低限の英語だけで生活していくことは容易にできます。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校は全米大学では2位、州立大学では1位の留学生数を誇り、国際的なキャンパスとして有名ですが、私が目にした実態は想像と少し異なり、この矛盾に悩むことが多々ありました。確かに、学生の20%は留学生で、中でもアジアからの留学生は多く、人種構成も多様です。しかし、キャンパスは人種のるつぼというより、綺麗に詰められたお弁当箱のような感じで、現地の学生と留学生、人種間には見えない壁がありました。 例えば、アジア人はアジア人同士で固まり、白人は白人同士、黒人は黒人同士、ヒスパニック同士などとそれぞれの集団間の混ざり合いや交流を見かけることは残念ながら少なかったです。キャンパスは世界中の学生が融合された縮図というよりも、人種がグループを成して分散していました。 同じアメリカ人同士であっても白人と黒人がそれぞれのコミュニティと文化があるように、同じ国籍や人種の空間を心地よく感じるのはごく自然なことだと思います。だからこそ、敢えて居心地の良い領域から一歩踏み出し、自ら外部へ働きかける行動力がなければ内部のコミュニティに入って行くことは難しく感じました。そういう意味で、体育会アイスホッケー部に入部し、 敢えて自らを現地の学生と協力しなければならない環境に置いたことが、その見えない壁を乗り越えるための最善の決断だったと思います。

其の二【海外の学生は優秀である】
出発前は一般的に聞いていた噂から、海外の学生はレベルが高く、優秀であるとのイメージを漠然と抱いていました。ですが、実際には学生や教育内容のレベルという意味では、日本と変わらない、むしろ日本の方が高度だと感じることもしばしありました。しかし、決定的に違うのは大学の教育システムと卒業後の進路システムです。確かに海外の学生は日本の大学生と比べて圧倒的に勉強量が多いです。College Life Triangleとはアメリカの大学生活を表す三角形で、そのうち二つしか頂点を選ぶことができないのが実によくその様子を物語っています。イリノイ大での ドロップアウト率は50%と卒業までの道のりは険しく、競争も激しいです。しかし、なぜアメリカの大学生はこれほど勉強するのかと言えば、第一に卒業後の就職や進学にはGPAが重要視されているということ、第二に大学教育の密度が高く、職員や教授が学生の指導に熱心であるということが挙げられます。こうしたシステムが教育を変え、大学を変え、そして学生の意欲を高めているのだと思います。競争の激しい環境の中で一年間学び、日本の大学教育との密度の格差に危機感を覚えられずにはいられませんでした。
其の三【外国人は日本に関心がある】
留学生の数が全米2位に入るイリノイ大学へ行き、驚いたのがキャンパスでの日本人の存在感の薄さでした。大学が公表している2013年春統計によるところ、留学生の数では1位が中国(3,693名)、2位韓国(1,303名)、三位インド(874名)。。。下ること15位に日本がわずか61名でした。世界第三位の経済大国とはいえ、今や世界の関心は中国、文化面では特に韓国へ移り、キャンパスにいる留学生の数の上でも日本の存在感は非常に薄かったです。特に、中国や韓国からはエンジニアとして将来アメリカで働くチャンスを求めて留学する学生が増える一方で、日本人留学生は大幅に減少傾向にあり、グローバル化と叫ばれる反面、就職システムが学生の考え方を内向的にさせ、世界の波から日本は遠ざかっているように感じました。逆に、アメリカ人学生は外向的なのかと言えば、そうでもなく、むしろ世界中の人がアメリカに流入してくるので、彼らは海外へ行く必要性をあまり感じていませんでした。内陸部の大学だから尚更、イリノイ大のStudy Abroad Officeは内向的な国内の学生の目を海外へ向けることに苦労しているようでした。しかし、日本のアニメや文化が好きで、日本に興味を持ってくれる学生もいました。中でも中国人や韓国人などアジア人に多かったです。日本国内にいた時は、あくまでも私のアイデンティティは日本人でしたが、海外では私はアジア人であり、その中の日本人として見られることが多く、いつの間にかそんな二重アイデンティティが自分の中で芽生えていました。だからこそ、とりわけ日本の文化や日本の歴史に興味を持ってもらえるということは有り難く、この一年間、日本にもともと関心を持っている学生とそうで無かった学生に対しても自ら働きかけることに努めてきました。寮の日本語教室でカルタ大会をやったり、アイスホッケーの友人と日本館のティーセレモニーに行ったり、ポットラックパーティーで特訓した巻き寿司を振る舞って盛り上がったり。ちっぽけな一学生ではありますが、私の日本の伝え方や行動一つで日本に対する印象は大きく変わりますし、この一年で私が出会った周囲の人たちの印象を少しでも変えられたなら幸いです。

2.期末試験と引っ越し
今学期は期末ペーパーが3つと期末試験が3つ有り、試験期間初日から最終日までと嫌らしいスケジュールでした。なぜ嫌らしいかと言えば、期末期間終盤までには大多数の学生は試験を終え、続々と引っ越して出て行き、残された学生は打ち上げパーティーに行くか、ガラーンとしたキャンパスでひたむきに試験勉強に取り組み続けなければならないためです。(笑;)最終日の期末試験は2時間半の長丁場で、試験を終え、鉛筆を下に置いたときには拳の裏が真っ黒でした。試験をようやく終えた夕方4時には、嬉しいと感じるどころか、急いで寮に戻って夕方6時までに引っ越す準備を始めねばなりませんでした。少しずつパッキングはしていたものの、期末期間中はほとんどできず、寮での最後の二時間は忘れもしないパッキング作業との激闘でした。引っ越し間際まで試験勉強やパッキングに忙殺され、一年間お世話になった友人一人一人、特にルームメイトとじっくりお別れもする時間がない状況に悲しくなり、パッキングを必死にしながら涙が出てきました。すると、ルームメイトをはじめ、残った寮のフロアメイトたちが全員私の部屋まで集まってくれて、「私も手伝うよ!」と総動員でパッキング作業を開始しました。どこの引っ越し業者かと思うような光景でしたが(笑)、友人たちが手伝ってくれたおかげで、お世話になった友人たち一人一人と涙の別れを惜しむことができました。ルームメイトのアレックスをはじめ、寮の友人はこの一年間で私の家族となり、最後まで本当に彼らに助けられました。ありがとう。


3.困難と挑戦
この一年を振り返ると、様々なハプニングや危機に直面し、海外ではその都度自分で考え、自分でなんとかしなければならない場面が多々ありました。その一方で、時に人の優しさや親切に救われることもありました。
冬期南米ペルーの海外研修を終え、リマからアメリカに戻る時のことでした。アメリカ人の教授とクラスメイトたちはスムーズに入国審査を通過できたのですが、日本人の私は入国審査に2時間かかったため、クラスメイトとの団体飛行機に乗り遅れ、ただ一人フロリダに取り残されたことがありました。どうしたらいいのかも分からず、取り残されてしまったのでまずは航空会社のカウンターで事情を説明し、キャンセル待ちの振替便でようやく四時間後に飛行機に乗れました。あの時は、さすがに心細かったですが、まずは冷静に考え、自分でなんとかしなければとの気持ち一心でその危機を乗り越えることができました。
またある時は、ボストンからシャンペーンまでの飛行機が途中で急にキャンセルになり、シカゴで塞き止められてしまったことがありました。航空会社のカウンターで他の乗客と共に抗議をしましたが、天候が理由で振替便の手配も無く、残された手段はLEXバスという悪名高いバス会社だけでした。飛行機のキャンセルで流れてくる乗客をいいことに、普段より割高の値段でシャンペーンまでの席を販売していました。翌日は中間試験もあり、絶対に帰らなければならない状況でしたが、バス会社は現金しか受け付けないとのことで、中には私を含め、現金が手元に無い学生が多く、バスに乗れずに困っていました。「これだと中間試験までに帰れない」と途方にくれていたところ、その場にいた人たちが幸いにもとても親切で、「あなたたち現金が手元にないなら、私が立て替えるわよ!払うのは着いてからで良いから。」といって数人のおばさんたちと学生が力を合わせて助け合い、なんとか全員バスに乗れました。シャンペーンという中西部出身の人たちだからなのでしょうか、あの時は彼らの親切に救われました。
こうして直面した様々な困難も、留学中の素晴らしい経験も、日本イリノイ同窓会をはじめ、両親の支援があってこそ可能だったのであり、その多大なご支援と温かいサポートを常に実感しました。留学の閉幕が切なく感じるのは、留学先で出会った友人や教授が私を変えるかけがえのない一部となったからなのだと思います。JICへの応募がイリノイ大学への留学という新たな扉を開けてくれたように、今後はUIUCでの留学経験を新たな挑戦へのステップにしていきたいと思います。
留学を通して大変お世話になりました日本イリノイ同窓会の皆様と両親にこの場を借りて感謝申し上げ、最終レポートの報告とさせていただきます。