吉川慶彦さんの2015年7月分奨学生レポート

4回奨学生レポート(20156月)

 

JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、いつも温かいご支援を賜り感謝申し上げます。皆様のおかげで、無事に約1年間にわたる留学生活を終えることができ、日本に帰国することができました。今回は最終レポートということで、春学期の後半について、そして留学生活全体の総括を報告いたします。

 

1.春学期の授業について(後半戦)

春学期の後半は留学生活の終わりが常に意識され、毎日を大事に生きようとしていました。来た当初は娯楽がなく、閉鎖的な空間であると思っていたシャンペーン・アーバナの地も、滞在が残り数ヶ月を切ると途端に愛おしく感じられ、授業後に意味もなく自転車で散策していました。キャンパスから一歩出ると、レンガづくりの道、一戸建ての家々、カラフルな花や木々、と絵本に出てきそうな世界が広がっています。5月になるとようやく暖かくなり、春を一気に飛ばして夏のような日々も続きました。

 

さて、そんな春学期ですが、生活の中心のひとつは授業です。6コース18単位を毎日の予習や課題に追われながらこなしたことはひとつの自信になりました。英語文献を読むスピードは相変わらず遅いのですが、それでも効率よくポイントを掴むようにすると意外と時間に余裕はあります。

期末試験期間も騒がれているほど大変ではなく、むしろその一週間前の授業最終週の方が、レポートの締め切りが重なり慌ただしさのレベルは格段に上でした。今学期は毎週何かしらのペーパーを書いており、この最終週ではそれらのまとめとして期末ペーパー(5〜30ページ)を提出しました(・・・と書くとすごそうに聞こえますが、実際は学期中を通して段階的に書くように設計されている授業が多く、これまたそれほど大変ではありません)。

 

印象深い授業をピックアップして紹介します。

 

・GLBL328 First Person Global (1 hours)

学期の後半のみ、2時間の授業が週に1回という、変わった構成の授業です。履修の要件が「過去に留学経験のあること」であるこの授業では、毎週あるテーマに沿ってその留学経験の一部を切り取った小エッセイを書いていきます。

出されるお題は、「留学先に対する来る前の印象と実際に来たあとの印象の違い」といった直接的なものから、「留学先で出会った印象深い人について」といったピンポイントのものまで多岐にわたっていました。また履修していた学生は10人ほどですが、変わった人が多く(留学した人に面白い人が多い?!)、ノンフィクションライター志望の学生や、休学して中国をずっと放浪していた30歳の学部生、そして日本人(=私)と様々でした。

ネイティヴの学生に比べると私の文章は毎回小学生の日記みたいで、授業中に読み上げてシェアするのは中々苦痛でしたが、先生は他の生徒と比べるというよりは、毎週の私の中の変化を見てくれていたように感じます。余談ですが、アメリカでは一般的に人のことをほめることが多いように感じました。他の生徒も私のエッセイにも何か良いところを毎回見つけてくれ、コメントをしてくれます。留学生は私ともう一人しかいなかったので、毎週アメリカ生活の感想を聞かれ、改めて考えを整理する機会にもなりました。最終回ではみんなで留学先や母国の「お茶」を持ち寄り、自分もインスタントの緑茶を持って行って、グローバルティーパーティーを開きました。純粋に毎週通うことが楽しい授業でした。

この授業の一番の効用として、日々の生活の中でも「エッセイに書けることはないか」という視点を持つようになり、あらゆることに意識的になったことがあります。本レポート冒頭のアーバナの風景に関しても、この視点が養われたからこそ記憶に残っているのだと思います。

 

・CLCV222 The Tragic Spirit (3 hours)

あまり良いことばかりを書いていても仕方がないので、辛かった経験も書いておきます。この授業ではギリシャ悲劇を英訳で読んでいくという授業なのですが、悲劇を説明する手法として「現代アメリカポップカルチャー」のアナロジーが多く、一旦それが始まってしまうとほとんど理解することができませんでした。「現代アメリカポップカルチャー」といっても、ディズニー映画や『Game of Thrones』といった大人気TVドラマのことで、観ていない私の方が悪いと言われればそれまでなのですが、それでも毎回毎回こういったものに基づいて話が行われるのでかなり辟易していました。そして授業内のグループワークも多く、古典学専攻の学生にはこういうポップカルチャーに異様に詳しい人が多く、毎回こっそりとGoogleに頼ってあらすじを調べたり、素直に諦めたりして何とかついていっていました。

レポートが学期中に6回あり、授業で発言等少ない分頑張って書いたのですが、あまり成績も芳しくなく、なんだかなーといった授業でした。もう少し悲劇の読み方を体系的に教わりたかったですが、こればっかりは学期が始まってみないと分からないので、何かしら自分で方策を考えるしかありませんでした。

 

・・・とネガティヴなことも書きましたが、総じて満足度の高い授業が多く、英語面からも知識面からも伸びを感じられました。成績もこの最後の授業以外は満足のいくものでした。

 

 

2.課外活動について(後半戦)

春学期に入りいくつか新しい活動を始めたことは、前回もお伝えした通りなのですが、中でも一番力を入れたのはICDIです。ICDIについての詳しい説明は前回のレポートを参照してください。

 

学期末にはRetreatと称して2日がかりのイベントを行いました。私も運営の一部を担い、ゲスト・ホストの両方の点から楽しみました。ホストとしてはこうしたイベントの運営面でいくつか気付きがありました。イベントでは昼食・夕食をどうするかという問題があったのですが、準備を進める中で「レストランにスポンサーしてもらおう」ということになりました。私はてっきりメールでも送るのかな、と思っていたらそんなことはなく、手分けしてレストランに訪問して声を掛けていくということになりびっくりしました。そして実際に中国人の学生が中華料理屋から30人前のチキンを調達したりするので、更にびっくりしました。これがアメリカならではなのか、キャンパスタウンならではなのかは分かりませんが、なかなか無い発想です。

 

ゲストとして印象深いのは初日の夜に行った企画です。これは、参加者が質問を紙に書き、それを誰が書いたか分からないようにして一つずつ読み上げていく、そして答えられそうな人が答える、という単純な企画なのですが、日本関連の質問が多く、日本人は私しかいなかったので、必然的に色々と答えることになりました。日本の恋愛事情、靴下事情(なぜ?)などはスラスラと適当なことを答えたのですが、「第二次世界大戦についてどう思うか」という質問には詰まりました。どう答えたか明確に覚えていないのですが、加害者意識・被害者意識の両方があって被害者意識の方が強いかもしれない、学校で習うことはあまりなく普段こういった話もしない、というような旨を伝えたように思います。良い意味でも悪い意味でも日本が注目されていること、それに対して日本がプロモーションを十分にできていないのではないか、ということを考えさせられた夜でした。

 

課外活動ではないのですが、留学生活が終わりに近付くにつれて、キャンパスや近くで行われるイベントに沢山顔を出すようにしました。『Into the Woods』や『Legally Blonde』といったミュージカルの学生上演や、Holi Festivalというインド発祥の色のついた粉をかけあうイベントにも遊びに行きました。

しかしこういった楽しいイベントを遥かに上回ったのが、Ebertfestという映画祭です。ここになんと私が先学期にハマりにハマったドラマ『How I Met Your Mother』に出演していたJason Segelが来たのです!このドラマで英語表現を勉強したといっても過言ではないほどじっくり見ていたので(全9シーズン)、何としてでも生でMarshall EriksenもといJasonを見たい!とミーハー心丸出しで、参加方法を探しました。前日にFacebookの友人の投稿で知ったので当然チケットは売り切れ、スタッフをしている友人にも尋ねたのですが、結局当日券を目指して並ぶことに。100人くらいは並んでいたと思うのですが、たまたま横になった蚊の研究をしている博士課程の学生と仲良く1階席に入れることになりました。Jasonが出演している新しい映画も面白く、その後のインタビューも聞けて大満足でした。(他にはキャンパスにラクダや副大統領が来ていました。それも同じ日にです。)

非常に充実した2学期目後半戦でした。

 

3.思ったこと

留学生活の中で思ったことをいくつか書きます。

 

まずは日本について。「日本から来た」というと、誰も「それどこ?」とはならず、むしろ好意的な返答をしてもらえることが多く、これは偏に先人たちの努力による賜物であるなあと思っていたのですが、実際のプレゼンスはかなり下がっているように感じました。東アジアと言えば中国。留学生数も(もちろん人口も多いわけですが)中国語を勉強する学生の数も到底かないません。だからなんだ、日本のプレゼンスを上げようじゃないか、とはあまりならないのですが、頭ではどれだけ分かっていても日本にいてはやはり自己中心的になってしまい、分からない感覚でした。アニメファンでもなく、日本に全く興味のない学生と話すときに、どこまで自分が魅力的になれるかは今後の課題です。

 

そしてアメリカという国について。ここで初めて私のルームメイトを紹介したいと思います。ルームメイトは黒人アメリカ人で、親はスーダンの出身、そしてムスリムということで、かなりマイノリティである意識が強く、それがゆえに日本から来た私に対しても親切に接してくれる優しいヤツでした。滞在中、アメリカでは黒人が不当に暴力を受けたり、(別の大学でですが)ムスリムの学生が殺されたりする事件があり、マイノリティの不満がかなり高まっており、そういう話をよくしました。私の「なぜ最近こういう事件が多いのか」という質問に彼は「こうした事件は最近SNSが発達して拡散が可能になっただけで、昔からずっと起こってきたこと。それが顕在化されて我慢できないレベルに達している」というものでした。「America is NOT the greatest country anymore」という動画(『Newsroom』というドラマのワンシーン)も流行りましたが、確かに内外に沢山問題を抱えており、多人種・多文化の共生というのは難しいのだとヒシヒシと感じました。皆がアメリカがナンバーワンだと思って生きている訳ではなく、複雑な思いを持っている人も多いです。当たり前のことですが。

 

とはいえ、やはりダイバーシティの魅力がアメリカにはあります。色々な人がいて色々な生き方をしていて、畢竟自分の人生は自分の人生だ、ということを実感できた留学でした。中国人のある友人はアメリカでの就職を目標に修士のコースにやってきました。国際関係論を専攻するアメリカ人の友人は日本語に加えポルトガル語を勉強しています。エクアドル人の友人の作るパンは絶品です。私のルームメイトはアラビア語を解し、フロアにいるレバノン人とよく内容の分からない話をしています。そしてルームメイトは朝6時に起き部屋で祈り、レバノン人は同じ時間にジムに行きます。取り止めようもなく書いてしまいましたが、そんな中で自分は生活をし、諦念にも近いような、しかし前向きな実感を得ました。こんな人たちと比べても仕方がない。

日本に帰国して早一ヶ月、すっかり日本人に戻りましたが(いや、向こうでも日本人でしたが)、やはりどこかフィットしないような感覚は残ります。今回はたった一年間、しかもイリノイという一地域での滞在でした。どのような形かは分かりませんが、必ずアメリカという面白く広い国にまた戻りたいと思います。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。この度は、皆様のご支援のお陰で奨学生として留学をさせていただきました。改めて感謝の気持ちを申し上げます。向こうでの体験は出来るだけ誠実にレポートでお伝えしようと心がけたつもりですが、まだまだ咀嚼しきれない部分もあります。今後はこのJapan Illini Clubという素晴らしいコミュニティに返していく形でそれを還元したいと思います。皆様どうもありがとうございました。

 

2015年6月

小山八郎記念奨学制度

39期奨学生 吉川慶彦

田中洋子さんの2015年7月分奨学生レポート

【奨学生レポート第4回】

田中洋子

皆さんこんにちは。5月半ばに留学生活を終え、無事日本に帰ってまいりました。最後の奨学生レポートとなる今回は、春学期に履修していた授業の報告と、留学生活全体の振り返りを書かせていただきたいと思います。

 

<授業振り返り>

○CMN 368 Sexual Communication

ひょんなことから取ることになった授業でしたが、非常に中身が濃く、学ぶことが多い授業でした。履修登録をした時は、科目名のユニークさに日本では履修出来なさそうな授業だと興味をそそられた部分が大きく、授業内容を詳細に把握していたわけではなかったのですが、コミュニケーションというものを軸にカバーされるトピックは想像以上に広く、期待以上の内容でした。授業後半で特に関心を持って勉強したのが性教育について。Sexual Communication の授業が教育に結びつくとは思っていなかったので、嬉しい誤算でした。アメリカでは州の権限が強力であるため、性教育の方針も州ごとに大きく異なります。性に関することは最小限しか教えず、ひたすら婚前性交渉の禁止を刷り込む州がある一方で、性に関する事柄も人間生活の正常な一部としてオープンに教え、避妊方法の選択肢やパートナーとのコミュニケーションの取り方など包括的な内容の性教育を実施する州もあります。教育に関心があるとはいえ、それまで性教育という分野にはほとんど目を向けておらず、この授業をきっかけにその重要性に気付き、関心が深まったのは非常に有意義なことだったと思います。今後は日本における性教育の現状や問題点、議論などについても学んでいきたいと考えています。

授業後半でもう一つ印象に残っているのは前回のレポートでも触れた性に関する専門家になりきって誰かの相談に回答するという形式のレポート執筆です。私に与えられたテーマはflirting。辞書を見てもあまりしっくりくる訳が見つからずなかなか説明しづらいのですが、本格的な恋愛関係に発展する前の段階の男女間のコミュニケーションとでもいいましょうか(ナンパはこのflirtingの一例だと言えます)。テーマがテーマだけに信頼性のある学術的な情報を厳選するのが難しく、また主観を排除して回答を練り上げていくのは骨の折れる作業でしたが、最終的には納得のいくものが書きあげられ、評価も満点をいただくことが出来ました(いくらなんでも評価が甘すぎると思いましたが・・。何年か続いているこの授業でもこのレポート出題は初めての試みだったそうで、まだ勝手がわからず全員に甘い評価がなされたものと思われます)。この課題を通して感じたのは、TAの存在の大きさです。ちゃんとレポートを書けるか大きな不安を抱えていた私は、オフィスアワーを積極的に利用してTAの方によく相談をさせていただいており、これが本当に大きな支えになりました。レポート以外にも、試験の振り返りを一緒にしていただいたり、授業後の質問に対応してくださったり、懇切丁寧に対応していただきました。私の担当だった人はTAの中でも特に優れた人だったのだと思いますが、日本で通っている大学ではTA制度が定着しておらず、教授一人対学生何百人で学習上のサポートは基本的に無しという状態なので、学生の自立が求められているというような見方も可能かとは思いますが、イリノイ大学のような体制を取り入れてみるのも良い方策なのではないかと感じました。

 

○MACS100 Intro to Popular TV and Movies

前半は映画について学びましたが、後半はテレビについて学びました。映画編で使用されていた教科書と比べるとテレビ編の教科書は内容が高度で、また映画と比べてアメリカのテレビ番組にはなじみが薄かったので、授業についていくのが少々大変でした。毎週火曜日の夜には上映会があるのですが、ドラマを観ていても、ほかの学生がなぜ今笑ったのかが理解できず後でアメリカの友人に説明してもらったりすることもしばしばで、その国で育っていないと獲得が難しい社会的・文化的背景というものの存在をあらためて実感したりしていました。英語を勉強するだけがコミュニケーション能力の向上につながるわけではないのですね。

春休み後はグループ課題の短編映画撮影も頑張りました。班によってはメンバーが協力的ではなく問題が起こったりもしていたようなのですが、私の班は全員責任感があり、仕事もうまく分担しながら作業を進めることが出来ました。課題は、ステレオタイプを覆すような内容の3分程度の映画の制作。私たちは、男女に対する偏見とアスリートに対する偏見の双方に焦点を当てようと、女の子らしいと一般的にされている趣味を持つ男子バスケットボール部のエースを主人公とした作品を作りました。テイラー・スウィフトを好んで聴き、スタバでは流行りのパンプキン・モカとピンクのドーナツを注文、彼女との家デートでは「君に読む物語」や「ミーン・ガールズ」などのいわゆる chick flick と呼ばれる女性向けの映画を観ようと言い出す、実は運動能力ではなく学力を評価され奨学金を授与されたバスケットボール選手。素人感満載の作品でしたが、みんなでアイディアを出し合いながら映画を撮るのは楽しかったですし、自分もちょこっとだけ出演出来て嬉しかったです。期末試験最終日に全作品がリンカーン・ホールという大きな教室で上映され、私も数学が苦手なアジア人学生として(これは現実の私そのままなのですが、アメリカではアジア人は数学が得意であるというステレオタイプが存在するので、ステレオタイプを覆すという課題に対して一定の意味を持った役柄です)スクリーン・デビューを果たしました(出演時間約10秒)。

田中写真1

*写真1:よく足を運んでいたフローズンヨーグルト屋さんです。イリノイ最後の晩も食べに行きました。私のおすすめメニューはパイナップルアイスクリーム+マンゴーです。

 

○MACS262 Survey of World Cinema

後半一番力を入れたのは、1965~1995年に公開された映画をどれか一つ選び、それがどのように宣伝されたかを分析するというレポートです。人と被りそうになく、実際に自分も好きで、かつそれなりの量の資料が見つかりそうな映画ということで最終的に選んだのが、1968年に公開された”Yellow Submarine” です。アニメ映画を選ぶのは面白い試みに思えましたし、ほとんど映画の制作には関わっていないビートルズ(4人の声はほかの声優によって演じられました)が映画の宣伝の上で非常に大きな働きをしたという点が、ほかの映画にはなかなか見られない特異な点であり、そこに光を当てて分析をすれば教授の目にも留まるのではないかと考えたのです。

今回のレポートで難しかったのは、当時の資料を使わなければならないという点です。ネットでYellow Submarine と検索すれば、多くの批評や記事が出てきますが、それらはほとんど最近になってから書かれたもので、資料としては使用できません。いくら有名な作品であるからと言って、レポートを書くのに最適な内容がまとまったような本が都合よく存在するということもなく、図書館の新聞・雑誌記事のデータベースを利用して、デジタル化された過去の記事を遡るほか、デジタル資料が存在しない場合は、実際に図書館に出向き、記事の目録から書庫にある縮刷版にあたるという地道な作業もおこないました。昔の学生はこれが当たり前だったわけですが、ネット世代の私はこうした調べものをした経験が乏しかったため、今回とても良い勉強になりました。また、図書館学の教授でもある司書の方が非常に親切で、学生の勉強を支える人的リソースの充実にここでも感動しました。ちなみにこの教授は私が以前日本映画上映会のために「ウォーターボーイズ」の購入を図書館に希望した際に対応してくださった方なのですが、なんと私が名前を告げると「あの時の学生さんかな?」と覚えていてくださり、日本映画の話でしばし盛り上がるという嬉しい出来事もありました。

田中写真2

*写真2: Krannert Center for the Performing Arts へ“Into the Woods” というミュージカルを観に行った時の写真です。学生なら格安料金で良質な芸術作品が楽しめます。非常に立派な作りの大規模演劇施設で、ぜひ一度訪れてみることをおすすめします。

 

○MACS464 Film Festivals

おそらく私が今学期一番力を注いだ授業だと思います。春休みが終わるといよいよ映画祭本番まで1か月ほどとなり、週1回授業時間内に割り当てられている作業日だけではとてもやるべきこと全ては片付かず、ほぼ毎日映画祭関連の仕事をしていました。深夜に迅速に判断を下さなければならない議題が浮上し、夜中まで100通を超えるメールのやり取りがあったことも・・・。あくまで履修している授業の一つにすぎないのだからどこかで線引きはしてほかのことが犠牲にならないようにしなければならないとは思いつつ、常にメールを確認しておかないと「チームに貢献していない」と批判されそうで、なかなか苦しかったです。もう少しコミュニケーションの取り方に関しては改善の余地があったように思います。ほかにも、ほかのメンバーに意見を言わせる隙を与えずどんどんと話を進めてしまうリーダーや、自分から仕事を探すことをせず授業にもたまにしか来ないメンバー、重要事項を抱えているのにもかかわらず締め切りを把握していない人など、私が所属していたプログラム班はメンバーが「多彩」でした(かくいう私も、反省すべき点は多々あったと思います)。5人中4人留学生というメンバー構成も、残りの1人にとってはあまり快適ではなかったかもしれません。応募されてきた作品があるメンバーのミスでリストから抜け落ちていたことが選考の途中で判明したり、受賞作品が審査員との連絡に問題があり当日の朝まで決まっていなかったり、私たちの班では常に何か問題が起きていて正直ほかの班にしておけばよかったかもしれない、なんて考えが頭をかすめたこともありましたが、そんなこと今さら考えたところで仕方がないし、途中で抜けたりしたら大迷惑だから絶対にそれだけはすべきではないと、何とか最後まで頑張りました。

作業を進める中で気付いたのは、自分は割と裏方が向いているのではないかということです。何十本もある応募作品の細かいデータをまとめたり、パネルディスカッションの原稿作りをしたり、名札のスペルチェックをしたり、地味な仕事にはリーダーが「誰かやりたい人?」と尋ねても進んで手を挙げる人はいません。やはり、有名なゲストスピーカーとの連絡窓口になったり、司会をしたりという仕事の方が人気があります。でも私は、誰もやりたくない仕事をすれば班に貢献出来る良い機会だと捉えて、積極的にそういった仕事を引き受けていました。全ての作業を授業内でやっていない以上、裏方の仕事ばかりやっていれば先生の目に留まりづらく、打算的に考えれば授業評価の上では多少不利になる気もします。ある程度自分の貢献をアピールするのも必要な能力でしょう(クラスのほかの人たちは良い意味でこうした能力に長けているように感じました)。しかし、班に貢献するチャンスだから、逆に言えばそれくらいしか貢献出来そうなことがないという自信の無さの表れの結果だったとしても、そういう不利な面をあまり気にせず、自分がやっていることが全体に良い結果をもたらすのであれば満足と思える性格であるらしいことが分かりました。チームで何かする時、重要なのは自分がどのような役割を果たせばチームとしての成果が最大化されるということを見極めるということだと思います。そのためにはまず、自分の適性を知る必要があります。その意味で、今回ある種自分の適性らしきものに気付けたのは一つ収穫だったように思います。

広報活動が十分とは言えない状態で迎えた本番でしたが、予想以上に多くの人が足を運んでくれ、また特にトラブルが起きることもなく、良い映画祭になりました。演劇関係者の労働組合のシカゴ支部代表の女優さんがパネルディスカッションに参加してくださったり、以前授業でお話ししていただいたこともある映画監督のカンヌ出展作品を特別上映が実現したり、当初の予想をはるかに上回る豪華さでした。本当に小規模な映画祭でしたが、参加してくれた学生にとっては自分の作品を上映し、またほかの学生監督と交流する貴重な機会となったようで、「参加してよかった」と皆さん口をそろえて言ってくれました。途中で抜けたり、手を抜いたりしていたら味わえなかった達成感。最後の日に、やはりこの授業を取ってみてよかったと思えました。

Illinifest のホームページはこちらから→http://illinifest.illinois.edu/

田中写真3

*写真3: 映画祭スタッフのTシャツを作りました。

 

<留学生活全体の振り返り>

今レポートを書いている時点で、帰国してちょうど4週間が経ちました。私は帰国後すぐに大学の授業に戻り、期末試験に向けて休んでいた授業の遅れを取り戻さなければならないこともありかなり忙しく、帰ってきてからあまりゆっくりと自分と向き合う時間が取れていないのですが、このままきちんと留学生活を振り返らずにいたら、残るものも残らなくなってしまいますし、ここで一度振り返りをしてみたいと思います。

帰国してから、「留学どうだった?」と頻繁に聞かれるのですが、これがなかなか簡単に答えられる質問ではありません。なにしろ、9ヶ月もアメリカで暮らしていたのです。本当にいろいろなことがあり、それを一言にまとめるのは不可能です。「楽しかったよ!」と言うのも、もちろん楽しいことはたくさんありましたがそれだけではなかったですし、よくある「価値観が変わりました」という答えも自分にはちょっと嘘っぽく(正直なところ、自分の根本的な部分はそうそう簡単にひっくり返るものではないと思います)、結局「う~ん、いろいろあってなんて言ったらいいか・・・」と曖昧な答えになってしまいます。

今、あらためてその問いに考えを巡らせてふと浮かんできたのが、「人生に対する度胸がついた」という答え。ちょっと大げさな響きがしますが、私が留学先で何を学んだか、またそれによってどう変わったかを語る上でなかなか良い要約であるような気がします。

留学を決心する前の私は、自分の性格をマイペースだと言いながら、一定の枠を越えることを躊躇していました。より具体的には、留学への興味は抱きつつ、大学を休学するという大多数の人とは異なる選択をすることに対して、今思えば必要以上の不安を感じていたのです。それでも、「やった後悔よりやらなかった後悔の方が大きい」という言葉が頭を離れず、応募してみた当奨学金。幸いなことに合格にしていただき、その貴重な切符を手に飛び込んでみたイリノイ大学での生活では、これまでのレポートでも報告してきたように、多くの学びがあり、貴重な体験もあり、そして本当にたくさんの素敵な人たちとの出会いに恵まれました。もしあの時、大多数の人とは違った道を選ぶことを否定していたら・・・。もしもタイムマシンがあったら、悩んでいた頃の私の元へ飛んで行って、「興味があるなら挑戦しなさい!ほかの人のことなんて気にする必要ない!」と説得しに行くでしょう。

日本の大学にもいろいろな人はいますが、さすがは世界中から学生を惹きつけるアメリカの大学というだけあって、イリノイ大学には実に様々な経歴の人がいました。一度働いてから戻ってきている人も普通に見かけましたし、専攻を変えて4年以上かけて学部を卒業することも大して珍しくありません。将来どこの国で働くか決めていないという人と話した時は、「こんな自由な感じでいいんだ」となんだか感心してしまいました。日本人の方にも何人かお会いしましたが、皆さん挑戦する意欲が強い。私だったら異国の大学で博士号を取ろうなんて人生を賭けるようで怖いなと思ってしまう、と話しても、「でも、自分のやりたいことだから」。リスクを取る責任は覚悟しなければならないけれど、別に周囲と違う道を進んでも問題はないし、そういう生き方の方が楽しそうだ、決められたルート通りに行かなければという強迫観念を捨てれば、これからの人生で何か予期せぬことやちょっとした遅れが生じても焦らずに済みそうだ、そんな気付きを得ることが出来ました。

恥をかくことへの抵抗感の薄れというのも、留学を通して得られた成長だったと思います。いくら頑張って英語を勉強しても、やはりネイティブスピーカーのように話すのは難しく、留学当初は訛りのある英語で発言することをとても恥ずかしく感じており、そのせいで発言が消極的になってしまうこともありました。何か発言しても、クラスの人たちが私の発言内容を理解してくれたか、変な外国人がしゃべっているなどと思われていないか、など必要以上に考えを巡らせて落ち込んだりもしていました。でも実際のところ、彼らは私の英語のことなんてほとんど気にしていないと思います。その場では少し聞きづらいと感じたとしても、晩ごはんを食べる頃にはそんなこと頭から消え去っています。100点満点ではいかなくて当たり前、そしてそれをいちいち気にする必要もないと悟った時、すっと気持ちが楽になり、どうせならどんどん壁にぶつかっていこうと思えるようになりました。今後何かに挑戦して恥ずかしい思いをしても、「留学先でさんざん恥はかいたし、こんなの慣れたもの。挑戦してみただけえらい」くらいの心持でいられたなと思います。

ただ、難しいのは開き直って向上心を失ってしまうこととの線引きです。全てうまくはいかないことが想定の範囲内であっても、少しでもうまく出来るように成長するための努力は怠るべきではありません。あくまで、建設的な失敗をずるずる引きずる必要はないということです。

チャンスは手を伸ばせば思っている以上に与えられるものだというのも一つ大きな学びでした。留学前は、転がってきたチャンスは逃さないようにという考えだったのですが、別にチャンスがやってくるのを必ずしも待つ必要はなく、自分から探しに行くことも出来るということに気付いたのです。留学中に経験したインターンや企業訪問、勉強会企画などは元々何か募集がかかっていたわけではなく、まずは連絡先を調べるところから始めて最終的に実現に至ったものです。もちろん、全ての場合でうまくいくわけではなく、むしろ期待通りには事が運ばないことの方が多かったですが、それでも最初からどうせだめだろうと諦めるのではなくとりあえず声を上げてみると、案外大きなことへと発展していくこともあるのです。既存の選択肢からやりたいことを選んだり、解決策を探したりするのではなく、自ら新たな選択肢を作ることも出来る、このような考え方が身に着いたのは自分にとって大きな成長でした。

自分が決心したなら一般的な道を外れてもいいし、恥をかいたりしてもいちいち気にしない、チャンスは自分から作り出すことも可能―実際はここまでパワフルな精神力を身に着けられているか分からないのですが、「人生に対する度胸がついた」というのはいわばこういう考え方が内面化された(されつつある)ということです。

 

最後にあらためまして、今回私に留学の機会を与えてくださり、また私を支えてくださった全ての方に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

田中写真4

*写真4: 広々とした芝生。晴れている日は友達とフリスビーで遊んだり、お昼寝をしたりしました。写真の右側には、卒業を控えた4年生が記念撮影をしている様子が写っています。

勝田梨聖さんの2015年7月分奨学生レポート

JICの皆さま、本レポートを読んでくださっている方々、ご無沙汰しています。小山八郎記念奨学制度第39期の勝田梨聖です。

後ろ髪を引かれる思いでシャンペーンを後にし、日本に帰国してから早一か月が経過しましたが、今回は(1)春学期の授業、(2)課外活動・休暇、(3)留学全体を通しての振り返りについてお話ししたいと思います。

 

(1)春学期の授業

 

繰り返しになりますが、春学期には以下の授業を受講しました。

GLBL350  Poverty in a Global Context (Prof. Brian Dill)

MACS (/PS)389  International Communications (Prof. Luzhou Li)

PS 282  Governing Globalization (Prof. Konstantinos Kourtikakis)

PS 280  Intro to International Relations (Prof. Ryan Hendrickson)

EPY199  Leadership in Global Engagement (Prof. Jenn Raskauskas)

 

GLBL350  Poverty in a Global Context (Prof. Brian Dill)

このコースでは貧困や国際開発について学んでいますが、後半部ではとりわけ資源の呪いや食料安全保障、エネルギー貧困を扱いました。受講人数が25人ほどの比較的小さなクラスで、毎授業リーディングを基にディスカッションを繰り広げますが、教授もお手上げの白熱した議論を交わすこともあります。全コースを通して様々な側面から一つの国の貧困状況を考察するproject paperが4回課されましたが、立てていた仮定が立証されなかったときなどは思わず大きな溜息をついて立ち止まるなど、ひどく根気が必要な作業でした。しかし適切かつ詳細にデータを用いて分析して考察に導くスキルが体得でき、その集大成であるfinal paperではその国の貧困プロファイルと生活水準向上のための提案をまとめて、満点を取ることができました。またもう一つの期末課題として、スライド一枚につき20秒×全20枚がルールのPechakucha Presentationがありました。日本でも名が知れたプレゼン方式で、特に非ネイティブ話者にとっては20秒で詳細に、またシンプルに纏めるには随分と策を練る必要がありましたが、それぞれクラスメートがピックアップした国々のPechakuchaプレゼンはどれも観点が多様で非常に興味深かったです。

 

MACS (/PS)389  International Communications (Prof. Luzhou Li)

この講義では、メディアが国際社会や政治において果たす役割について学びました。毎週金曜日は映画やドキュメンタリーを鑑賞し、翌週それを基にディスカッションを進めます。なかでも面白かったテーマは、ドラマや映画での人種・ジェンダーの描写や、第三世界から情報を発信するAl JazeeraとBBCやCNNとの比較、そして政治権力者によるメディア検閲です。特にジェンダーや検閲については、アジアとりわけ日本人としての意見を求められることも多くありました。期末課題はFinal PaperとGroup Video Projectで、Final Paperは’mobile Health’という携帯電話機能を利用した保健サービスがアフリカのAID/HIDSに与える影響について、Group Video Projectでは各国のメディアへの検閲状況をテーマに作成しました。比較的一方向のレクチャー、平均ベースの成績評価という所謂アジアスタイルの授業のため戸惑っている学生が多くいましたが、個人的には教授へのアクセスが一番良く、授業後の話し合いも楽しめました。

 

PS 282  Governing Globalization (Prof. Konstantinos Kourtikakis)

このコースでは、国家、国際機関、市民社会、多国籍企業などのアクターの役割に焦点を置いてグローバル化を分析しています。トピックは人権、環境保護、開発、貿易など多岐にわたっていましたが、特に米国・EUなどの大国と途上国グループの利害対立構造のなかでどのような公式・非公式のルールが成り立っているのかという観点で講義が繰り広げられていました。Advanced Writing ClassのためFinal Research Paperの量も今期のクラスの中で最も多かったものの、草稿段階でのフィードバックも細かいため最終目的地までは辿り着きやすかったです。

 

PS 280  Intro to International Relations (Prof. Ryan Hendrickson)

この講義では、PS282よりも米国を基軸にして安全保障政策や貧困、感染病に対する海外援助、人権保護などのテーマを解説しています。テロ対策や軍事政策、核兵器についても扱っていますが、米国と中国、EUとの政治経済・軍事関係も詳細な数字のデータを用いながら教授が解説します。毎週金曜日は講義内容に関連したトピックのリーディングを基にTAとディスカッションをしますが、ただ著者の主張を理解するだけでなく自分自身はそれに賛成か反対か、またその理由までも明確にしないと議論に参加できなかったので、ある物事の背景知識をまず正しく理解するところから始めなければいけない点に苦労しました。

 

EPY199  Leadership in Global Engagement (Prof. Jenn Raskauskas)

このコースでは、澳門大学からの交換留学生11人と異文化間コミュニケーションを学んでいます。同じ寮の建物にある教室で、お菓子をつまみながらプレゼンを聴いたりアクティビティをしたりと、とてもリラックスした雰囲気の授業です。4月にはUndergraduate Research Symposiumがあり、私のグループはアメリカとアジアでの礼儀や対人関係に対する異なる観念から生じる挨拶の違いについて発表しました。グループのメンバーは全員同じ寮に住んでいたので、おしゃべりも交えながら晩遅くまで一緒に作業したのは良い思い出です。シンポジアム当日はリサーチ内容について多くの質問を受け、終了する頃には皆ぐったりとしていましたが、このような場で発表できる機会はめったにないので貴重な経験をすることができました。

 

 

(2)課外活動・休暇

 

<春休み>

3月下旬に一週間ほどの春休みがあったので、在籍大学の友達が複数人留学しているシアトルへ旅行に行きました。シアトルは海と湖と森に囲まれた自然豊かな土地で、全米で最も住みやすい都市にも選ばれているそうです。誕生日に友人との数か月ぶりの再会ができ、留学の思い出や苦労話をしながら、(ちょうど合法になったばかりの)お酒片手に美味しい魚介類を堪能しました。ワシントン大学やチョコレート工場見学、市場、スターバックス第一号店など、シアトルには見どころがたくさんあり、わずか数日間でしたが非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。

 

勝田写真1

(写真1. シアトルでは天気にも恵まれました。)

 

<アジア系イベント>

アジア人の人口が多いからか、イリノイ大学にはアジア系団体が主催するイベントがたくさんあります。例えばインドやネパールで有名なヒンドゥー教の春祭である「ホーリー」というイベントがあり、キャンパスの芝生グラウンドに集まった学生が誰彼構わず ’’Happy Holi!!” と色粉を塗り付けます。おかげで顔や髪の毛は赤、青、ピンク、紫、黄色に見事に染まり、完全に落とすには5回程洗わなければなりませんでした…笑

 

またアジア系の学生団体の多くが出展するAsia Festival というお祭りもあり、自国の文化を紹介したり、ステージで踊りや音楽を披露したりもしていました。(個人的にはインド舞踏が大好きなため、このフェスティバルや他のイベントでも数回目にすることができ満足です。)

このフェスティバルの日は、日本館もこどもの日のイベントを開催しており、夜にはマレーシアや台湾の団体もそれぞれ屋台を出していたので、(迫っている試験や課題をひとまず寝かせて)友人と声が枯れるほど一日中遊んでいました。

 

<寮生活>

私は一年間、Living Learning Community(LLC)に属していたので、寮内でのイベントはたくさんあり、同階に住む友人と関わる機会も多かったように思います。春学期はイベントの勢いこそ衰えていきましたが、それでも部屋に帰る途中に出会った友達とラウンジでお喋りしたのは、授業の疲れが吹っ飛ぶように楽しい時間でした。帰国後も特に仲の良かった友人とは連絡を取り合っています。大きなベッドマットをわざわざ部屋からひっぱり出し、ラウンジでオールナイトの映画鑑賞パーティー(withフロア中のポップコーンの匂い)を開催する友人にはさすがに若さを感じましたが、秋学期のオハイオ州・インディアナ州への旅行をはじめ、このLLCで出会った友人と多くの貴重な経験できてよかったと思っています。

 

フロアメイトの多くはシカゴ周辺に家があるため、期末試験終了後に延泊届を出して残ったのはなんと私とルームメイトだけでした。寮内は普段ではあり得ないほど閑散としていましたが、最後に彼女と一年間の思い出話をしてイリノイ大学での生活に幕を閉じました。学業に非常に熱心に取り組むルームメイトは私の刺激にもなり、くだらない話から少し真面目な話までよく盛り上がったのを思い出します。一年で一番腕を磨いたのは、部屋に出現した虫を二人で退治する連携プレーでしょうか。

勝田写真2

(写真2. スタジアムでのCommencement (卒業式)の様子)

 

<帰国前日のシカゴ観光>

早朝にキャンパスを離れ、友人とシカゴで一日観光することが出来ました。11月下旬に一度シカゴを訪れていましたが、酷寒だったその頃と比較するとはるかに心地よい天気で、子ども達も元気よく公園を駆け回っていました。かの有名なMillennium ParkのBeanや噴水、ユニークな建築スタイルのビル街などを散策したほかに、高さ10cmはあるようなチーズケーキや、名物のDeep Dish Pizzaに舌鼓を打ち、(久しぶりに)食も楽しむことができました。

勝田写真3

(写真3. シカゴ大火に端を発したシカゴ派建築)

 

(3) 留学全体を通しての振り返り

 

帰国後に再会した友人たちに必ず聞かれるのは、「…で、どうだった?」という質問です。しかしこの九か月間を一言で表す言葉はなかなか思い浮かびません。色々思いめぐらせて話しているうちに、なんだか雰囲気を湿っぽくしてしまうなんてこともあります。というのも、このイリノイ大学への留学は、自分がいかに「井の中の蛙」であったかを思い知った挫折だったからです。

 

① 自分の立ち位置、力量を知るものさしを手に入れて

留学前は、自分が一回り大きくなって帰ってくると思っていましたが、結果的には「小さく」なってしまいました。例えるならば、ズーム機能で拡大されていた自分が縮小されて小さくなった、といった感じでしょうか。それは、イリノイ大学で同分野や全く異なる学問を勉強する学生に出会い、私よりも明らかにはるか上を進んで行っているのを目の当たりにしたからです。生半可ではなくしっかりと腰を据えて勉学と向き合える教育環境下で、身近なものを次々と成長のチャンスに変えていく友人たちの話を聞いていると、「私も負けていられない」と思うと同時に、このようにして同年代の学生が今後あらゆる分野の最先端でどんどん世界を変えていくのだということを身に染みて感じました。世界での私の立ち位置に気が付いたことは一つの収穫ですが、それだけで終わらず、自分の立ち位置や力量を測るものさしを手にした今は、いかにして私の今後目指すポジションを築きあげていくかが取り組むべき課題です。

 

②薄れる、快適な環境から飛び出した「私」の存在感

もう一つの挫折として、自分が心地よいと感じる場所から全く新しい環境へ飛び出した時に「私」が消えてしまいそうになったことでした。「こいつは誰だ」と思われるにはまず、相手に興味を持ってもらわないと始まりません。しかし、自分から進んで主張していかないことには「不在」とみなされ、居場所を見出すことはできません。全員が私を全く知らない状況で、英語という言語を使いながら表現していくには勇気も必要で、特に秋学期前半の授業ではそれに苦労しました。全く未知の環境での自己表現は徐々に慣れていきましたが、それでももう少し努力すべきだったというのが本音です。

 

 

これら二つが私の直面した「挫折」であり、私の弱さでした。もちろん言語面で苦労したこともありましたが、それ以上にじわじわと苦しめるような壁でした。…と、やはり湿っぽい話を展開してしまいましたが、一つお伝えしたいのはこの人生最大の挫折の経験が、私のみる世界を豊かにしてくれたということです。この挫折なしでは、いつまでたっても狭い世界に生きていることすら気づかずに暮らしていたでしょうし、今の自分に必要なものを知ることもなかったと思います。イリノイ大学で9か月間ひたすら興味のある学問を追求し、「私」について考え悩んだからこそ、帰国した今はまた新たにスタート地点に立つことができました。そしてこれからは学んだことを生かして、目指す先へまた一歩ずつ歩んでまいりたいと思います。

 

最後になりましたが、イリノイ大学への留学という貴重な機会を与えてくださったJICの皆さまには深く感謝申し上げます。また私を支え、励ましてくれた両親や友人にも感謝の想いでいっぱいです。本当にありがとうございました。

勝田写真4

(写真4. 桜も綺麗に咲き、私を送り出してくれました。)

小松尚太さんの2015年7月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。帰国してから約1ヶ月を経て、このレポートを書き始めます。

以下、春学期の授業を簡単に振り返り、留学の総括を行います。

 

 

■今学期の授業について

 

ACE 310 Natural Resource Economics

森林・鉱物・漁獲などの資源について、経済学的側面から理解を深めました。時間を通じた資源配分が大事であること、そして「コモンズ」と呼ばれる資源が搾取を防ぐべくどうマネジメントするかが主な論点でした。負担は重くないものの、毎週小テストや課題があり、尚且つ3回に渡ってテストが行われました。留学前はこの形式を見ると、拒絶反応を示していました。しかし実際に受けてみると、試験一発勝負に比べて失敗するリスクが小さく、頑張った分だけ評価されるシステムだと実感しました。当然、試験一発勝負と積み上げ型の評価形式は両者一長一短があります。一発勝負にめっぽう弱い私にとっては、アメリカのシステムが合っているのかもしれません。…そう信じたいです。

 

ACE 451 Agriculture in International Development

農業が経済発展においてどのように貢献するのか、私の関心が一致した授業でした。授業は農業を中心として、新興国の開発問題を広く扱う内容でした。貧困を測定方法から始まり、産業構造の転換、人的資本の重要性、農業市場の制度整備、支援のあり方など…。アフリカのマラウィの農家に対する肥料の補助金政策について、世界銀行のコンサルタントとして、どう評価しどういった代替案を出すかという政策メモを書く課題もありました。農業と開発について総合的に理解を深めることができた授業であり、勉強して一番ためになった科目に違いありません。

 

ECON 471 Introduction to Applied Econometrics, ACE 261 Applied Statistical Methods

これまでの不勉強ゆえ避けてきた統計を、アメリカに渡り性根を入れて勉強し直しました。実際にプログラミングを回してデータを分析する課題が多く出され、統計解析ソフトRを独学で必死に体得しました。理論・実践両面で統計分析の理解を深められたのは、大きな収穫でした。実際に数字を弾き出し、そこからどのような経済学的示唆を得られるのか。正しく計算することはもちろん、データの解釈も重要であることは言うまでもありません。そうした力を伸ばす上で良い授業でした。

 

小松picture1

写真1: 当初は飽々しながら食べていた食堂の食べ物も、最後の方は呼吸をするように食べていました。郷に入りては郷に従え、食生活もすっかりアメリカに馴染んでしまいました。

 

■留学を終えて思うこと

 

日本に降り立った直後は、日本人のみの同質的な空間に違和感を覚えていました。帰国から1ヶ月経た今も、日本にいながら違和感もしくは焦りを感じる瞬間があります。日本が心地良すぎる故にその環境に甘えてしまい、日々成長できていないのではないかと。留学先では、言葉は通じない、人間関係も一から構築せねばならない、授業への不安など、居心地の悪い空間だったことは間違いありません。その状況は、留学をまさに終えようとしていた5月でも変わりませんでした。しかし、そうした負荷のある環境の方が学ぶことが多いのではないのか。色々と物事を考えることができるのではないか。日本にいながら、毎日そう思います。

 

英語については、出国当初よりは上達したのは間違いないでしょう。とは言え、完璧には程遠く、話せるようになったのではなく、聞き取れない話せないことに慣れた、と言う方が正しい気がします。留学当初は「全部聞き取らなきゃ!正しい英語喋らなきゃ!」と気張っていました。…それは続きませんでした。水は低きに流れるという言葉通り、最後の方は「だいたいこんなこと言ってるんだろう」「とりあえず言いたいこと簡単に言ってしまおう。ま、こんなもんで通じてるんじゃないかな」と横着するようになりました。とはいえ、英語に関してはこれで満足という水準はありません。現時点の私の英語の実力については不満しかありません。今後日本に軸足を置きながらどう英語を伸ばすかが課題です。私の場合、英語の力をkeepするのではなく、improveし続けなければなりません。

 

英語について、加えて思うことがありました。英語ができないことを自分自身の勉強不足の言い訳にしていなかったか、ということです。以前シアトルでホームステイ中に、アベノミクスについてどう考えるかと聞かれたことがありました。このとき、経済学を学んでいるにも関わらず満足いく説明ができず、歯がゆい思いをしました。同時に、何か頭を打たれたような衝撃を覚えました。これは、日本語でも決して説明できない話題であると。「英語ができない」というのは、自分の不勉強の言い訳として機能していたのだなと。己の勉強不足を恥じました。言語に関係なく、あらゆることについて学ばなければならない。当たり前のことですが、このことに気づいていませんでした。仮に気づいていたとしても、頭で分かっていることと実践できていることの間には大きな壁があります。

 

日本に帰国し、日本語を話す機会が圧倒的に増えました。母国語ですから、日本語で話をするのは楽です。その心地よさを享受する一方、話の中で「これは英語でもちゃんと話すことができるのだろうか?外国の人に伝えることができるのだろうか?」というのはいつも意識せざるを得ません。

 

最後にも書きますが、留学を終え今後の過ごし方が決定的に重要であると日々実感しています。居心地の悪い環境はないか、求めている自分がいるようです。

 

ひとまず今は、留学から帰ってきたという名分を使い様々な人と会う約束をし、話に花を咲かせることができています。これは非常に楽しく、有意義です。大学5年生として、勉学にこれまで以上に励むことはもちろん、アンテナを張りフットワークを軽くして色々な活動に参加してみます。

 

小松picture2

写真2: 1年間住んだ寮の部屋。汚くて恐縮です。ルームメイトと写真を撮るのをすっかり忘れてました。彼とここでひたすら話をしていました。

 

■果たして留学をしてよかったのか

 

「なぜかよくわからないが、とにかく留学しよう」と2年前に決意しました。果たして、今回イリノイ大学へと留学したことは良かったのでしょうか。自身の人生にどのような意味を持つのでしょうか。この問に対しては、現時点では答えることができません。留学をして半年経ち、1年経ち、5年経ち、10年経った後振り返ってみて、初めて評価できると思います。

 

このように書くと、なんだ今回の留学は失敗だったと感じているのか、そのための言い訳を並べているのか、と指摘されるかもしれません。現実は、多くの人の縁に恵まれました。普通に留学していては味わうことができない体験も数多くありました。日本にいるときの倍以上は勉強しましたし、物思いにふける贅沢な時間も沢山ありました。自身の留学へ行きたいという意志は間違っていなかったと信じたいのです。アメリカで経験したことはかけがえのない財産であったと信じたいのです。

 

今回の留学が良かったと言い切るためには、今後も継続的な努力は欠かせません。留学を通じて多少はましになった英語 (しかし完璧にはあまりにも程遠い…) の向上はもちろん、自分の専門性、そして人格全体としてさらに成熟していかなければなりません。そうしなければ、イリノイ大学への留学を推挙していただいたJICのみなさん、家族、なにより自分自身への説明がつきません。「留学に送り出したはいいものの、結局大成しなかったな」と後々言われるのはとても、とても悔しい。数年経って初めて今回の留学を評価できると書いたのは、今後の精進を怠らない決意表明のためでもあります。

 

「言うは易し、行うは難し」です。文面による決意表明はここまでにして、今後は自身のレベルアップのため、実践あるのみです。「小松を留学に送り出してよかったかどうか」は、数年後の私自身から発せられる言葉ではなく、どういうキャリアを歩み、どういった成果をあげ、そしてどういった雰囲気がにじみ出ているかを見て、判断していただきたく思います。

 

改めまして、JICのみなさま、そして家族には本当にお世話になりました。この留学を通じて受けた恩を今後何らかの形で、少しずつ返していきます。本当にありがとうございました。

 

小松picture3

写真3: イリノイ大学を去るバスに乗る前に撮影した、朝方のQuad。じんわりと感動した記憶があります。

田中洋子さんの2015年4月分奨学生レポート

【奨学生レポート第3回】

田中洋子

 

皆さんこんにちは。早いものでもう3月も終わりに差し掛かり、長いと思っていた留学生活も残すところ1か月半ほどとなりました。今回のレポートでは春学期の授業の様子や課外活動、春休み旅行について書いていきたいと思います。

 

【春学期授業】

まず授業全般についてですが、先学期は教育学部の授業を中心に履修していたものの、今学期はメディア系の授業、より具体的には映画に関する授業を主に取っています。元々映画鑑賞が趣味だったのですが、作られ方なども把握せずただ漫然と娯楽として接しているよりも、一度学問の対象として捉えてみた方がより深く作品のことも理解出来面白いのではないかと思い、せっかくならば独学するのではなく大学の授業を通して勉強しようと考えたことが理由です。また、後ほど詳しく書きますが、一鑑賞者としてではなく、ほかの人と作品とをつなぐという立場から映画に関わることにも興味がわき、作品の解釈などを学ぶ授業に加え、学生映画祭運営の授業も履修しています。

 

○CMN 368 Sexual Communication

今学期取っている授業の中で唯一メディア系ではない授業です。2学期目、私にとってはイリノイ大学で最後の学期。自分の関心に近い学部の授業だけ調べていて後から実は面白そうな授業を知って後悔するのは嫌だったので、新学期が始まる前に一通り授業の一覧に目を通していたのですが、「へぇ、こんな授業があるんだ」と一際目を引いたのがこの授業でした。私が知らないだけかもしれませんが、日本では性についてオープンに学ぶ機会がなかなか少ないような気がしたので、貴重な経験になりそうだと思い履修を決めました。ちなみに、コミュニケーション専攻の学生の間ではこの授業はなかなか有名らしく、私が履修登録をした時にはどのクラスもほぼ満席で、ぎりぎり残っていた枠に滑り込んだという感じでした。

内容としては、授業名の通り人々が性に関する事柄にどのような形で関わっているかを様々な角度から学ぶというものです。性に対する態度の男女間・人種間・世代間・国家/地域間の違い、性に関する知識の伝達における家族の影響、インターネットが性的なコミュニケーションに与えてきた影響、広告という媒体を通した性的メッセージの伝達、などテーマは多岐に渡ります。

授業の形式は、毎週2,3本ほど指定される論文に基づいて講義が行われ、そこで説明された内容についてディスカッションのクラスでより詳しく掘り下げて学ぶというものです。シラバスを読むと相当の負担があることを覚悟するようにといったことが書いてあり少々不安になるのですが、扱う内容は確かに多いものの、論文の要点がつかみやすいよう教授が要点に関する問いを載せた質問用紙を作成してくださっている上、穴埋め出来るようになっている授業ノートも配布されるため、それらをきちんとこなしていれば授業についていけなくなることはなく、とても親切なシステムになっていると思います。また、教授の講義はテンポがよく、ディスカッションクラスも私のTAさんは時間を最大限使えるようメリハリのある内容の濃い授業をしてくださるので、退屈に感じる時間がありません。

現在は、春休み直後に行われる試験に向けて勉強すると共に(と言っても、現在春休み真っ最中でこの文章も旅行から帰る列車の中で書いているので、どこまで時間が取れるかは分かりません。一応論文はスーツケースの中に入れてきました)4月下旬に提出のレポート執筆の準備をしているところです。このレポートは、一人ひとり違う問いを与えられ、性に関するエキスパートになりきって、資料に基づきその問い(ある人からの性に関する相談内容という形になっています)に答えるというもので、大量に論文を読まないとまともな内容が書けなさそうなので負担は大きいものの、このようなユニークなレポートを課されたことがないのでわくわくしています。

 

○MACS100 Intro to Popular TV and Movies

アメリカの映画・テレビ(今後テレビについても扱うようですが、今のところ主に映画について学んでいます)についてジェンダーやエスニシティ等の観点から分析を加えるという内容です。100番台の授業であるためそこまで高度な内容は扱われず、また履修人数が非常に多いこともありディスカッションクラスもないためそこまでの負担はないのですが、特に各エスニシティの表象に関しては、様々なバックグラウンドを持った人々が織りなすアメリカ社会のありようを垣間見ることが出来、外国人である私にとっては非常に興味深いです。映画の授業というよりはむしろ、映画そのものではなく、それを媒体にアメリカ社会の歴史やその内包する問題について学ぶ授業と言った方が正確な気がします。また、ジェンダー、特に女性の表象についてはCMN368 Sexual Communication で学んだ広告における女性の表象と重なる部分があり、相互に知識が深まります。気にしだすと切りがないというか、深読みしすぎてしまうのも逆によくないのではないかとも思うのですが、授業を受ければ受けるほど今まで何も気を留めてこなかったものの背後にある言外の意味に敏感になり、まだまだ浅い解釈しか出来ませんが観察者としての目が育つ感覚を面白く感じます。今まで観たことのある作品をもう一度観直して以前の自分と今の自分の解釈の差を確かめてみるのも楽しそうです。

授業の形式についてもう少し詳しく書くと、週2回の講義に加え、火曜の夜は出席が義務付けられた映画上映会があります。その週のテーマに沿った課題が毎週出されるのですが、基本的には授業で習った概念を上映会で観た映画と関連付けて自分で改めて説明し直すということが求められます。授業内で毎回選択式の小テストがあり、またオンライン上で提出する試験もあります(実質的には課題とそれほど変わりません)。これらに加え、学生がランダムに5,6人の班に振り分けられ3分間の映画を撮影するというグループ課題も用意されています。春学期の直前にようやく動き出したので、詳細については次回のレポートに書きたいと思います。

写真1_田中

宿題のため映画を観に行ったダウンタウンの映画館です。ハリウッドの大作だけでなくインディペンデント映画や昔の名作も上映しており、度々足を運んでいます。

 

○MACS262 Survey of World Cinema

毎週違うジャンルの映画を扱い、そのジャンルの時代背景や著名な監督、有名な作品、表現方法の特徴、ほかの映画に与えた影響などを学ぶ授業です。今のところ扱ったジャンルは、イタリアネオリアリズム、日本のサムライ映画、ヌーヴェルバーグ、ドイツ戦後映画、ヒンドゥー映画など、本当に様々です。毎週全く異なるジャンルを扱うので、一つのことを深く追求するというよりは、幅広くいろいろな知識を身に着けるという感じで少々せわしない感じはしますが、限られた時間で濃縮された講義をしようという教授の努力が伝わってくる授業です。私はこのジャンルを特に詳しく知りたいというものがそれほどなく、むしろ今まであまり目を向けてこなかったジャンルを含め様々なものに触れてみたいという思いがあったのでこの授業を取ったのですが、同じMACSの授業でフランス映画、ドイツ映画、またネイティブアメリカン映画に特化した授業もあり、専門性が高くなるがゆえに難易度も少々上がるようですが、これらの授業を履修することも選択肢としてありえると思います。

週2回授業があり、前半は丸々映画の鑑賞に使われ、後半は前半で鑑賞し切れなかった分の映画を観た後に教授による講義を受け、最後に教授の立てた問いに沿ってクラス全体で議論するという形で、ディスカッションのクラスはありません。クラス全体で出席者は50人程度いるので、前の方の席に座っていないと発言が難しい上、少数ですが映画マニアのような人もいて段々議論の内容が高度になっていってしまうことがしばしばなので、なかなか毎回は発言できず、もう少し頑張らねばと思っています。

一般的な話として、私は学んだことが教室の外で生かせると勉強する楽しさを感じるのですが、この授業はまさにその典型で、授業で扱ったジャンルの有名な作品のDVDを図書館から借りてきて授業で習ったことをその作品の中に見つけると、今までは素通りしてしまっていたかもしれない場面をこの授業を受けたことで立ち止まって考えることが出来ている、と嬉しくなります。今までは脚本や俳優の演技に専ら注目してしまっていたのですが、それらにも客観的な分析を加えられるようになってきたことに加え、照明の使い方やショットの使い分け、小道具の意味などにも気が回るようになり、映画を観るという行為が何倍も面白いものになりました。あれこれとアンテナを張ってしまい、あまりのんびりと観られなくなるという側面もあるのですが・・・。

評価は授業で扱ったジャンルが全般的に問われるノート持ち込み可の記述試験2回とレポートでなされます。レポートでは好きな作品を各自選び、その作品の一場面に分析を加えるというもので、私は「イヴの総て」という1950年のハリウッド映画を題材にレポートを書き進めています。個人的に映画の感想を作品全体について書く機会は以前からあったのですが、時間にして数分に過ぎないある一場面について詳細に分析を加えるということはしたことがないので苦戦していますが、教授のサポートも手厚いので、その助けを最大限生かして納得出来るものを仕上げられたらと思っています。

 

○MACS464 Film Festivals

映画祭をテーマにした授業です。今まで映画自体には関心があったものの映画祭についてはあまり注意を払ってこず、映画祭に焦点を絞った授業というのも映画理論を学んだりする授業に比べあまり耳にしないので履修を決めました。400番台の授業なのでついていけるか不安もあったのですが、教授の面倒見がよく、学生が全部で15人程度しかおらずアットホームな雰囲気ということもあり、確かに負担はそれなりにあるものの何とか楽しく授業に出ています。

前半は映画祭の歴史的変遷や今日の世界に大小合わせて何千とあると言われる様々な映画祭のうち特にほかへの影響が大きいものについて書籍や論文を通して学んでいきました。よく考えてみれば当たり前なのですが、どんなに良い映画でもお金が生み出せなければ多くの観客に観てもらうことは出来ない、評価の高さも純粋に作品の質のみが反映されているわけではない、そして映画祭(特にカンヌやベルリンなど大規模なもの)は芸術としての映画を楽しむ場というよりはむしろビジネスの場としての側面が強い、それらを知ったことで映画を産業の観点からも捉えるようになったことがこの授業を通しての自分の中での一番大きな変化であるように思います。

外部の方を招いての講演も多く、地域の小中高生対象の映画脚本コンテストの主催者、サンダンス映画祭のスタッフ経験者、シャンペーンの映画協会の方々など、実際に映画の世界で働かれている方の生の声を直接聞くことが出来るのもこの授業の魅力です。

後半は、座学の授業と並行して私たち自身が学生映画祭を運営するというプロジェクトに時間が割かれています。この授業が開講されるのは今年が初めてではないので、一応の方向性やイベントの大枠のようなものは予め決まっているのですが、基本的には私たちが好きなように一から映画祭を作り上げていきます。クラス全体が会場、広報、プログラム、ウェブなどの小さな班に分かれて活動しているのですが、私はプログラム班の一員として、映画祭に作品を出展したい人との連絡や、審査をお願いする方々とのやり取りなどを担当しています。活動が本格化するのは春休みが終わってからになるので、これからが忙しくなりますが、少しでも貢献出来ることを探して良い映画祭にしていければと思っています。

 

【課外活動】

○Epsilon Delta

先学期から参加している教育学部公認の学生団体です。もう一つ顔を出していた同じく教育学部公認の団体があったのですが、こちらの方が知り合いが多く団体の雰囲気も好きなので、今学期からはこちらにだけ行くことにしました。

基本的には2週間に1回ミーティングがあり、これには出席が義務付けられているのですが、そのほかにもメンバーでボーリングやスケートをしに行ったり、ごはんを食べに行ったりと交流の機会が用意されていてなかなか楽しいです。ミーティングでは地域の小中学校の先生や教育関係のNGOの代表の方をお招きしてお話を伺ったり、教育に関連する映画を観てそれに基づき議論をしたりしており、毎回充実した時間を過ごしています。ほかの授業ではなかなか教育に関心のある人に知り合う機会がないので、ここで出来たつながりを今後も大切にしていきたいと思います。

 

○日本映画上映会

先学期からすでに細々と寮で日本映画の上映会を行っていたのですが、今学期になってから同じく日本映画上映会を開きたいと考えている日本人学生の人と知り合い、より多くの人に来てもらえるよう場所を移して新たな日本映画上映会シリーズを始めました。映画を通して日本文化の発信をしたいというのは留学以前から考えていたことだったので、このような出会いに恵まれたことに感謝しています。

先学期の上映会では専らアニメ映画を観ており、私自身アニメは好きですし、それはそれで楽しかったのですが、「日本映画=アニメ」という凝り固まったイメージを壊したいという思いがあり、今回は少しアニメも挟みつつ(来てくれている人の希望でジブリの「かぐや姫野物語」を鑑賞しました)基本的には実写映画を中心に観ることにしました。今まで鑑賞したのは、上記の「かぐや姫野物語」に加え、「用心棒」「東京物語」「HANA-BI」「二十四の瞳」などです。日本映画にそもそもあまりなじみがない人、アニメは好きだけれどほかのジャンルはほとんど見ない人に、日本映画はもっと幅広く魅力ある作品があるということを伝えたいという思いで始めたものですが、私自身名作をあらためて鑑賞することを楽しんでいます。

あくまで趣味の延長でやっていることなのであまり堅苦しくならず出来る時に上映会を開ければいいかなという姿勢なのですが、今のところ毎週のように上映会を開いており人数もそれなりに集まってくれているので、学期が終わるまで楽しく続けて行けたらと思っています。

写真2_田中

イリノイ大学の図書館のDVDコレクションはかなりラインナップがよく、借りたい作品は大抵置いてあります。「二十四の瞳」は置いてなかったのですが、購入希望を送ったところすぐに購入してくれました。

 

【春休み旅行】

春休みの予定をそろそろ立てようかと考えていたところに丁度高校の同級生から東海岸旅行の誘いを受け、二つ返事で彼女と一緒に旅行に行くことにしました。行先はニューヨーク、ボストン、ニューヘイブン。かなり盛りだくさんの旅だったので全ては書けませんが、特に印象的だったことを抜粋して書いていきたいと思います。

○飛行機の大幅遅延!

空港に向かうバスの中で元々乗るはずだった飛行機がキャンセルになり、それより1時間遅く離陸するほかの飛行機に振り替えられたとのメール。ほんの少し前に吉川くんがワシントンに向かう飛行機がキャンセルになりホテルに泊まる羽目になった話を聞いていたので、「まさか自分の身にもこんなことが・・・」とため息をつきつつ、1時間程度の遅れなら我慢しようと思いました。しかもその日シカゴは雪がたくさん降っていてバスも1時間近く遅れていたので丁度よかったとさえ感じていました(感謝祭休暇中にサンフランシスコに行った際、空港に着いたのが離陸40分前でパニックに近い状態で空港の中をダッシュしたという経験から時間には余裕を持たせようと心を入れ替えたので、一応1時間程度のバスの遅れなら大丈夫なように予定は組んでいましたが)。

が、最終的には5時間近くの遅延。度々離陸時間変更のアナウンスが流れ、「ああ、一体いつになったら出発できるんだろう、友達はニューヨークで待っているのに・・・」と旅の出鼻をくじかれてしょんぼりしてしまいました。

とはいえ、何とか無事ニューヨークにたどり着き(ホテルに着いたのは夜の9時頃でした)友達と合流を果たせたのでした。一日目はほぼ移動に費やされました。

 

○ニューヨーク

自由の女神を見に行ったり、セントラルパークをお散歩したり、オペラ座の怪人をブロードウェイで観たり、とニューヨーク観光王道という内容でしたが、特に印象に残っているのはある映画・演劇の製作・配給・興行を行っている企業のニューヨーク事務所の方からお話を伺ったことです。OB・OGのつても何もなく問い合わせフォーム経由で面会をお願いしたので当初はダメ元という気持ちだったのですが、実際にお時間を取っていただけることになり、最初からあきらめず動いてみるものだなと思いました。

私はどちらかというと映像方面に興味があるのですが、ニューヨーク事務所は演劇に特化しており、今まで映画に比べるとそれほど関心を払ってこなかった演劇のことについて詳しくお話を伺えたのは新たな選択肢を知るという意味でとても貴重でしたし、そのほかにも仕事全般に通じる姿勢などもお聞きでき、本当に濃い時間となりました。

写真3_田中

オペラ座の怪人の会場の様子です。生のミュージカルは胸に迫ってくるものがあり、感動して泣いてしまいました・・・。

 

○ボストン

ダックツアーという、水陸両用の車に乗ってボストンの主要な建物をガイドさんの説明つきで見て回るというツアーに参加しました。ちなみに、これはアヒルを見に行くツアーではありません。私はこのツアーに関してはすっかり友達任せで下調べをしておらず、ツアーの名前、河に入るということ、またアヒルグッズがあちこちで売られていることからすっかりアヒルを見に行くのだと思い込んで興奮しており、「ずいぶん陸を走る時間が長かったなぁ、あれ、でもようやく河に入ったけれどアヒルがいない??」と混乱してしまいました。

もちろん、アヒルは見られなくてもツアーはとても面白かったです。ボストンは非常に古い都市なのでまさにこの場所がアメリカ独立の歴史の舞台の一つだったのだと世界史の授業も想起され興味深かったことに加え、一緒にいた友達が都市のことを大学で勉強しているので時々建築物について授業で習ったことを教えてくれ、知識が深まりました。

ハーバード大学とMITもせっかくの機会なので訪れました。ハーバードはさすがアメリカ最古の大学というだけあって歴史を感じるアカデミックな雰囲気で、MITは同じく名門ではありますがやはり想像通り理系の空気が漂い、ハーバードと比べるとだいぶ現代的な雰囲気がする場所でした。大学巡りもなかなか楽しいもので、今後また旅行をすることがあればその地の大学を訪問することが一つの楽しみになりそうです。

写真4_田中

名物ロブスターを堪能しました。うっかり写真を撮り忘れてしまったので、お土産に買ったロブスターマグネットの写真を載せておきます。

 

○ニューヘイブン

私の友人と私の共通の先輩をイェール大学に尋ねにニューヘイブンに行きました。なんと、そこで吉川くんとばったり。滞在時間が短かったため予定調整が出来ず会う約束はしていなかったのですが、もし偶然会うことがあったら、と話しており、実際に遭遇出来てラッキーでした。

キャンパスをじっくりと見せていただきながら昔の思い出話、大学生活について、将来の仕事や結婚のことなどいろいろなことをゆっくり3人で話したのですが、旅の最後にじっくりと内省の時間が取れ、これもまた普段の忙しい生活の中では出来ない、春休みならではの時間の使い方だったなと思いました。

 

今回のレポートは以上になります。留学生活もあと残り1か月半。どんな過ごし方をしたとしても、やはり何の悔いも残さないということは難しいように思いますが、それでも残りの時間を最大限生かして、シャンペーンを清々しい気持ちで後に出来るようにしたいです。

吉川慶彦さんの2015年4月分奨学生レポート

3回奨学生レポート(20153月)

 

JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、いつもご支援くださいましてありがとうございます。39期奨学生の吉川です。一週間の春休みをニューヨークで過ごし、帰路のバスにてこのレポートを書いています。ニューヨーク滞在中はキャンパスでは食べられないような「ちゃんとした」和食を沢山堪能し、そのクオリティと値段の高さにびっくりし続けた一週間でした。

 

さて、春学期も半分以上が過ぎ、留学生活も残すところほんとうにあと少しとなりました。今学期は一言で言うと、かなり順調に進んでいます。以下、そんな春学期の授業とその他の活動について報告させていただきます。

 

1.春学期の授業について

今学期履修している授業は以下の通りです。

GRK 102 Elementary Greek II (4 hours)

CLCV/PHIL 203 Ancient Philosophy (4 hours)

CLCV 222 The Tragic Spirit (3 hours)

CLCV/ARCH 410 Ancient Egyptian and Greek Architecture (3 hours)

GLBL 392 International Diplomacy and Negotiation (3 hours)

GLBL 328 First Person Global (1 hour)

 

先学期は授業のレベルや量を変に抑えてしまったことから、余計にダラダラする時間が増えてしまったのではという反省があったため、今学期は合計18単位、履修上限のギリギリまで授業を取ることにしました。学期の最初には興味のある授業をピックアップし最初の一週間ですべて出席、シラバスと教科書を睨めっこしながら精査しました。以下各授業に関する簡単なコメントです。

 

・GRK 102 Elementary Greek II (4 hours)

先学期の続きとなる古典ギリシャ語の授業です。授業は相変わらず丁寧で、基礎的な文法事項をカバーしていきます。授業中に扱う課題はギリシャ語→英語の訳がメインなので、個人的にその反対、英語→ギリシャ語訳の課題を先生に提出し、さらなる文法・語彙の強化を図っています。先生自身がギリシャ人で、(現代/古典ギリシャ語で差異はあるものの)感覚的なレベルの指摘までもらえることが貴重な機会だと感じます。

また授業とはあまり関係ありませんが、生徒は先学期から引き続いてのメンバーであるため段々仲良くなり、Classics Clubのイベントを主催したり、St. Patrick Dayの日に昼間から遊んだりと、クラス外での交流も増えていることが嬉しいです。

 

・CLCV/PHIL 203 Ancient Philosophy (4 hours)

プラトンやアリストテレスに関する基礎的な知識が抜け落ちていることに危機感を覚えたので、履修を決めました。大教室での講義形式なのですが、頻繁にReaction Paperが課され(1ページくらいの課題図書の理解度を測る短いペーパーのこと)、またオフィスアワーにも行くようにしているため、学びは大きいと思います。

 

・CLCV 222 The Tragic Spirit (3 hours)

ギリシャ悲劇を翻訳で読む授業です。英語で文学作品を読むことを続けたいため履修しました。先学期の叙事詩に比べ悲劇は、一つあたりの分量も少なく圧倒的に読みやすいのですが、その分エッセンスが濃縮されており味わいの深さは叙事詩のそれに勝るとも劣らずです。一学期間に4人の作者を扱い、それぞれについてReaction Paperとグループプロジェクトが課されています(さらに2回のペーパーがあります)。プロジェクトでは実際に自分たちで悲劇を作って演じたり、現代のキャラクターをギリシャ悲劇の文脈に入れてみたりと楽しい課題がありました。

 

・CLCV/ARCH 410 Ancient Egyptian and Greek Architecture (3 hours)

タイトルの通り、古代エジプト・ギリシャの建築の授業です。端的に言って、今学期いちばん楽しい授業です。授業自体は何の変哲もない一方向の講義形式なのですが、教授の建築にかける熱意がすごく、大画面に映し出される数々の美しいモニュメントにこちら側も圧倒されます。建築物・美術品の背景となる歴史や文化を知ることは、少なくとも視点を提供するという点で、その鑑賞に資すると思うのですが、実際にこの目で観てみたいという思いが日に日に強まります(ギリシャ旅行に早く行こうと毎回授業に行くたびに思わされます)。先日もニューヨークのメトロポリタン美術館のエジプト・ギリシャフロアでは濃い時間を過ごすことができました。

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(写真1:ギリシャ風建築のリンカーン記念館@ワシントンD.C.)

 

・GLBL 392 International Diplomacy and Negotiation (3 hours)

国際政治における外交・交渉論の授業です。上記4つの授業は自分の専攻である古典学に関連した授業ですが、この授業はGlobal Studiesという専攻で開講されており、授業も生徒の雰囲気もまた違ったものとなっています。週2回の授業では基礎的な知識の確認、週1回のディスカッションのクラスでは交渉のシミュレーションを主に行い、内容・形式ともにいわゆる「アメリカっぽい」気がする授業です。

最初のディスカッションのクラスで、ある国に向けて発射されたミサイルをアメリカが迎撃するべきか、見送るべきかというシミュレーションがあり、自分のグループでは迎撃と決まったと私は思っていたのに、グループの一人がクラス全体にシェアした際に実は見送りに決まっていたことが判明するという「事件」がありました。要するに既に一学期を過ごしていたにも関わらず、まだ議論の方向性すら分からない程の英語力だったということです・・・。この事件はかなり衝撃的でしたが、なぜか当時の自分は逆に奮発し、履修し続けることを決めました。また一方でこの間は、小グループで交渉戦略の中間発表をまとめる機会があったのですが、誰も積極的に進めないので結局私が全て仕切り、戦略のアウトラインと各メンバーの分担をまとめて、長々とメールで送るという、これまた別の事件もありました。終始自分が仕切っていいのか、このやり方がベストなのか、という不安もありましたが、結果的に特に反発も起きずスムーズに議論をまとめることができ、自意識過剰に余計な心配をすることはないのだな、と学びました。この気持ちの切り替えは、ひとつの大きな転換でした。ディスカッションも積極的に参加していれば、上のような大きな勘違いは(あまり)起こりません。

この授業は盛り沢山で、学期末には個人ワークの集大成として30ページのケーススタディをまとめることになっています。今年で終戦70年ということもあり、私は第二次世界大戦の終結に関する交渉過程を調べています。見よう見まねですが、英語文献を図書館で漁り、段階的にまとめていく過程からもまた学ぶところが大きいです。

 

・GLBL 328 First Person Global (1 hour)

学期後半のみ、週1日の授業で、自身の留学体験に関するノンフィクションを書こうというユニークな授業です。そのことから履修要件は「留学経験があること」となっており、10人ほどの様々な専攻の学生が集まっています。まだ始まったばかりですが、このイリノイ大学での留学経験を文章化したいと思っていたため、すごく楽しみにしています。

 

・・・と以上、全6コース・18単位、古代のことから現代のことまで、大変充実した履修状況になっています。実際に課題はなかなか大変で、特に春休み前の一週間はペーパーや中間考査が重なりコーヒーの摂取量が増えました。それでも、学期の最初に時間と労力をかけて選んだことで全てやりたいことが出来ており、ぐんぐんと成長している実感があるので、ある意味で苦ではありません(いや苦しいかな)。改めて、「留学したら(自動的に)沢山勉強する」は幻想です。先学期ダラダラしてしまった分を取り戻す勢いで、残り数ヶ月を突っ走ります。

 

 

2.課外活動について

主に留学生向けのイベントに顔を出していただけの先学期に物足りなさを感じ、今学期は特定の活動にどっぷり浸かってみようと思い、いくつか新しい団体に入りました。中でも一番力を入れている二つを紹介します。

 

・ICDI

Intercultural Community Development Initiative、通称ICDIは昨年出来た新しい団体で、生徒間の文化的相互理解を促進し、より皆が「所属していると感じられる(inclusive)」ようなキャンパスを創り上げようという理念を掲げています。メンバーはアメリカ人・留学生が半々くらいで、大小のワークショップを運営しています。ホームページはこちら

学期の始め頃に参加したあるイベントで、「リーダーシップ」がテーマだったのも関わらず、予想以上にDiversityやInclusivenessという側面が強調されていたことが新鮮で頭に引っかかり、もっと詳しく知りたいと思っていたところ、ちょうど友達がICDIに所属していたことから、このテーマを追求できると思い参加することにしました。

 

今の自分がICDIに出会えたことは特に二つの点からラッキーで、日々多くを学んでいます。ひとつは実務的な側面から。もともと「日本で日本語で日本人相手に出来ていたことを、今度は文化や言語を超えてできるようになりたい」というのが私の留学の目標の一つでした。ICDIでは毎週2回のミーティングがあり、そこでは常に発言が求められます。また、3月のワークショップではファシリテーターを務めるというちょっとした大役もありました。これらの機会を通して、意見の吸い出し方、議論のまとめ方、不足の事態に臨機応変に対応する力などなど様々なスキルを磨いています。もともと自分はこうしたスキルに長けていると思います。それでも英語となると一つレベルが落ちるのが如実に分かります。幸いコツは掴んできているので、場数を踏んで鍛えるしかありません。

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(写真2:ICDIでの活動風景)

 

そして、もうひとつはもっと抽象的な側面から。上述の通り、Diversityつまり多様性についてもっと深く知りたいというのがICDIに参加した理由でした。そして実際に毎回のワークショップから、それ以上に普段のICDIでの活動そのものから、この多様性というテーマの奥深さ・難しさを実感しています。まだまだ答えは出ていないのですが、オープンクエスチョンでたとえば「多様性はなぜ必要か」ということを考えてみましょう。よく無批判に、多様性が大事、これからの時代はダイバーシティだ!(?)などと言われますが、多様性のあるチームで集まるよりももしかしたら同質的な人が集まったグループの方が成果が出るのではないでしょうか。たとえば「英語にハンデのある留学生を交ぜるより、アメリカ人だけでディスカッションをした方が効率的ではないか」、というのは留学生の自分にはグサッとくるクリティカルな問いです。これについてどう答えられるでしょうか。ICDIは、コンピュータサイエンス専攻の学部生からロースクールの学生まで分野・国籍・学年が多様なメンバーで構成されています。活動内容が活動内容なだけに、この団体では多様性はかなり役に立っており、とりわけアイデア出しの段階では多様なバックグラウンドが必要不可欠です。しかし、議論の段階になるとやはり英語がより上手く話せる人がよく話している印象も拭えず、なかなか安易な一般化もできません。

もしかしたら問いの立て方そのものが違うのかもしれません。「多様性はなぜ必要か」ではなく、「多様性はどうしようとそこにあるものなのだから、それをどう活かすか」を考える方が生産的なのかもしれません。私は日本ではずっと同質的な環境におり、アメリカに来て色々な人種や国籍をもった人が集まる環境に身を置いて初めて、多様性について考え始めました。アメリカは多様性のある国だなあ、そこでこういう活動ができて嬉しいなあ、と思っていました。しかし、日本でも目立ちづらいかもしれませんが、多様性は確実にあり、それを活かせばもっと創造的なことが出来たり、大きな問題が解決出来たりするかもしれません。また、今後移民や観光客など日本に来る外国人も増える中で、もっと分かりやすい多様性も増えるでしょう。その状況にどう対応していくか、多様性のメリットをどう活用していくかは、一人一人が考えるに値することであると思います。答えが出ていないのでまとまりが悪いのですが、その取っ掛かりを得られているという点で非常にICDIでの活動に意義を感じています。

 

・CU Trickers

ICDIとはうってかわって運動系の活動です。CU Trickersでは、Trickといって、バク転やバク宙といったアクロバットとキックなどを混ぜたものを練習しています。実は全く初心者というわけではないのですが、それでもパフォーマンスを披露できるレベルではないので、私自身はむしろ個人的趣味としてバク転などを綺麗にできるよう、上手い学生に教えてもらっています。この間、夏のように暖かくなったある日にキャンパスのQuadでみんなで芝生の上をくるくると飛び回っていたのは気持ち良さげでした。今後Quadでの練習(というか楽しい集まりですが)も増えると思うので、レパートリーを増やしてもっと参加できるようにしたいと意気込んでいます。

 

 

3.所感

今学期は授業に課外活動にと、ようやく人並みのスタートダッシュを切れた感があり、冒頭にも書いたように、かなり順調に進んでいるように感じます。随所に先学期の反省が見えるように、また前回の奨学生レポートがどことなく暗かったように(読み返すとほんとに暗い!)、先学期はやはりなかなか上手く行っていなかったのだと思います。人生初めての「挫折」は思い描いていたようなポッキリと心が折れるようなものではなく、じわじわとボディブローのようにくるものでした。しかしその経験がバネになり、今学期そしておそらくは帰国後もずっと大事になってくることが見えたとも思います。先学期と今学期の違い、それは自信の有無です。

写真3脳波測定 (1)

(写真3:脳波測定の実験に参加)

 

自信があれば何でもできる。チャンスにも積極的に飛び込めるし、人と話すときにも明るく振る舞えるし、何より毎日を楽しく過ごすことができる。今までは私には無根拠の自信があったと思っていました。それで自分をアピールしなければならない局面でも上手く立ち振舞えていました。自信は主観的なものです。その無根拠の自信のストックはいつの間にか減っており、昨年それはゼロに近付きました。

では、根拠のある自信はどうやったら手に入るのでしょうか。色々なやり方があるでしょうが、ひとつ確実なのは、成功体験を積むことです。特に私の場合、継続的にエネルギーを傾け、何かを成し遂げたという経験に今まで乏しかったため、それが出来れば自信につながるのだと考えました。ここでいう成功体験は、他者からの評価ではだめで、手を抜かなかった、成し遂げたと自分で心から思えなければ自信につながりません。主観的なものですから。一方で成し遂げる経験の種類は何でもよく、一度達成できれば汎用性を伴って他の分野でも再現できるのではないでしょうか。さらに言うと、ここで経験は個性にもつながり、人生における軸にもなります。お得ですね。

 

・・・とまあ、そんなことを学期の初めに考えていました。そして授業も課外活動も(ほとんど)毎日通うジムも、こうした心持ちのもと臨むようにしました。はたして自分の中に変化は?

あと2ヶ月後、すべてが終わってからでないと何とも言えませんが、少なくとも自信は取り戻してきたように思います。そして今回は明確な根拠のある自信ですから、無根拠な過去のそれよりかは幾分心強いかもしれません。一方で自分に向き合うからこそ、至らなさも見えます。ちょうど春休みでリフレッシュできたので、今後も気を抜かず、精進していきたいと思います。

 

 

2015年3月末日

小山八郎記念奨学制度

39期奨学生 吉川慶彦

小松尚太さんの2015年4月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。イリノイの冬もようやく終わりを告げ、暖かな日が続くようになりました。私は、ドアノブに触れるときにバチッとする静電気を除けば冬は大好きな季節なので、冬の終わりについて寂しさを覚えるタイプの人間です。

以下、冬休み、春学期、春休みの模様をご報告いたします。

 

■冬休み

冬休みは丸々ニューヨークでのんびりと過ごしました。ひたすら観光し、各地をめぐり歩きました。秋休み・冬休み・春休みともに現在住んでいる寮からは締め出されてしまうため、それが出不精で観光にあまり行かない私には程よい強制力として働くのでした。

ライフネットの全社長の出口氏曰く、人間は「人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ」以外には学ぶことができない動物だそうです。ニューヨークという時折人と他愛もない話をし、過ごす日々は、今から考えるとなんとも贅沢な日々であったなあと、つくづく思います。

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マンハッタンの新たなシンボル、1 World Trade Center

 

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ニューヨークは美術館も数多く有り、なけなしの感性を刺激してくれました。

 

■今学期の授業

今学期は以下の4つの授業を履修しています。もう一つ院生向けの授業の履修も当初は考えていましたが、自身の専門とかなり違う方向のものであったため、途中でdropしました。

 

ACE261 Applied Statistical Methods

先学期の授業の反省から、統計について今一度復習したいと思っていたため、この授業を履修しています。日本の授業はとにかく数式が先行する授業が多かったのですが、こちらはどちらかと言えば数字を使った具体例をこれでもかと提示し、学生の手を動かすことを大事にしているように思われます。

 

ACE310 Natural Resource Economics

私の専攻が「農業・資源経済学」にも関わらず、資源経済学についてしっかり学んだことがないので履修を決めました。その名の通り、森林・鉱物・漁獲などの資源について、それぞれの特徴およびどのように配分すればよいかを学びます。時間を通じた資源配分を考えるという点で、他の経済分析とは異なるようです。

 

ACE451 Agriculture in International Development

まさに自分の興味関心と合致した授業です。途上国の開発における農業の役割とは何か、というテーマのもと講義とディスカッションを行う授業です。農業経済を学ぶ一方で日本の農業にどこか閉塞感を感じていた頃、農業はどうも途上国開発に関係があるらしいということをたまたま履修したゼミで輪読した論文で学びました。そこから、自身の「農業と開発」というテーマに強い興味と関心を持ち始めたような気がします。

しかしこうした授業で学べば学ぶほど、実際途上国では何が起きているのかをこの目で見たくなってきます。後々にも述べますが、こうした開発に携わりたいという人間にとって、現場体験・現場感覚というものは必須のようです。

 

ECON471 Introduction to Applied Econometrics

先学期、授業にて開発経済の論文を読み込んだのですが、そのときに統計・計量経済のことについて理解が不足していると実感していました。2週に1度、大量のproblem setが宿題として課せられており、統計ソフトの前でにらめっこを続ける日々です。

 

■日本酒イベントの開催

2月20、21日と、現地の方向けの日本酒イベントを開催しました。私は日本にいたときに「学生日本酒協会」(https://www.facebook.com/Student.Sake.Association)という活動を行っていました。

そのため、「海外でもこうしたイベントができるといいなぁ」と留学を考えていたときにおぼろげ考えていました。それが今回このような形で実現し、感慨深いものがあります。日本酒という日本文化を、海外の方に伝え楽しんでもらうことが出来る、またとない機会だからです。

 

今回のイベントは2日間に渡り行われました。1日目は懐石料理と日本酒のコースを振る舞うディナー、2日目は立食形式で日本酒を振る舞いました。マグロをメインとした懐石料理に日本酒という、日本人ですらなかなかありつくことができない大変贅沢な会と相なりました。というのも今回、近畿大学で養殖されているマグロを取り扱う坂上さんと、CAFE OHZANの榎本さんと一緒に開催するご縁に恵まれたからです。JICのネットワーク、恐るべしです。

 

1日目のイベントは、日本酒の説明を私が担当し、料理の説明を同じ期の奨学生である吉川くんが担当しつつ進行しました。一応日本酒の基本的な部分については英語で説明できるよう準備はしていたのですが、味の表現方法は全くといっていいほど分からず、dryやsweetやfluityぐらいしか知らず苦労しました。事前に渡された日本酒リストの味の表現方法を見て、大変勉強になりました。

 

しかし頭で分かっているとはいえ、それを英語で即座に説明することはなかなか難しいもの。一番考えさせられた質問として、何が日本酒の価格を決めるのか、というものがありました。日本酒の価格は高いものもあれば安いものもある。その違いは何によって生み出されるのか、というものです。吟醸酒・大吟醸酒(日本酒の原料である米をより多く削ることによってより味がクリアに、香り高くなった日本酒のこと)ほど一般的に高くなるということは分かっていましたが、中には十四代や獺祭と言ったプレミアが付いてしまうような高いものも散見されます。これはどう説明できるのでしょうか。勉強不足ゆえ、上手く説明することができませんでした。

 

2日目のイベントは1日目と打って変わって、カジュアルな雰囲気の立食形式で行われました。参加者の数も20名だった前日に比べ60名程度と3倍近い数となり、日本館の中はかなり賑わいを見せていました。事前予約は開催のかなり前で打ち切られていたようです。懐石料理をつまむことができ、その上日本酒も飲むことができる。参加者の心をばっちり掴んでいたようです。

 

今回も私が日本酒の説明を行いつつの進行となりました。日本酒をサーブする間も、多くの質問をいただきました。例えば、前に出した日本酒との違いは何かというもの。これに対し、的確にコメントをするのは非常に難しいです。お酒のリストの中には私が飲んだことがないものもあり、事前に少し試飲をしたものの、それをどう英語で表現すればよいか言葉が浮かんできません。だいたいこんな感じかな~、と説明をするのですが、向こうにはあまり納得をもって受け入れられていない様子。そんなときの魔法の言葉が「感じ方は人によって違うので、あまり気にしないで」というものです。これ、非常に便利な言葉でどんな状況でも使えるのですが、はっきり言うと何も言っていないに近く、敗北同然です。その後、厨房に戻って携帯を開いて辞書を引いたのは内緒です。

 

と、そんなこんなで2日間にわたる日本酒イベントは無事終了しました。以下、イベントを通じて思ったことを。

 

とにかく説明が求められました。これに関しては、今回のイベント、日本酒に限りません。ルームメイトや友人にも、日本について、私の専攻について、そして自分自身の考えについて聞いてきます。それに関して最もショックだったのは、Thanksgiving breakの際ルームメイトのおばさんの家に居候させてもらったとき、その夫から「アベノミクスについてどう思うか」と問われたときです。なんとなーく経済問題については考えていたつもりですが、言葉に詰まります。金融政策がどうのこうの、財政、成長戦略がどうのと拙い英語で説明した後に、さて私の意見を述べるものの、ぐちゃぐちゃ。いや、参りました。己の勉強不足や、日頃からの情報への感度不足をこれほど悔いたことはありません。

 

逆に、同じく居候していたときにお酒について話をする機会があったのですが、そのときはスラスラと話をすることができる。日本酒について、そして日本酒が若者にとって相手を潰すツールとして使われていることについて、そしてそれに憤慨していることについて…。これは、もともと自分がそのトピックについて考えているからこそ話をすることができるのでしょう。

 

もちろん同じ日本人に対しても説明する機会はありますが、どこか文化的な面で暗黙的に了解できている部分もあるように思います。しかし海外の人にはそれが無いから、そこから説明しなければならない。すると口が追いついてこない。こういう状況に何度も陥るわけです。

 

彼らにしてみれば、私という窓口を通じて日本について知ろうとしているのですから、その私がヘロヘロだと日本に対するイメージはどうなってしまうのでしょうか。これは考え過ぎな部分もあるかもしれません。しかし、実際イリノイ大学はおろか、アメリカへ留学している日本人が相対的に少ないことを考えれば、まさに一人ひとり日本の窓口としての役割を担っているといっても過言ではないように思われます。

 

今回のイベントを通じ、物事について理解を深めようとする姿勢、それを説明できるようにする姿勢が重要であることを再確認しました。これは日本酒といった日本文化に限る話ではないでしょう。冷静に考え、自らの無知を自覚していれば明らかなことなのでしょうが、気づくのが遅いでよね。ああ、もっと勉強しないと。…話が日本酒イベントから少し飛躍してしまいました。

 

最後に、「日本酒のイベントがイリノイで出来るといいなぁ」というぼんやりとした野望がこうして実現できたことは、やはり感慨深いです。せっかくの留学の機会なのですから、学業であれ課外活動であれ何か一つ達成できた、というものがあるといいですよね。

 

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イベント中の様子。みなさんホントよく飲む。

 

 

 

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イベント終了後の記念撮影。

 

 

■春休み

春休みは最初シカゴに数日滞在したのち、首都・ワシントンDCに行っていました。今回ワシントンDCでの滞在は

・出発前にお話することができた、IMFに出向しているの大学の先輩とのお話

・将来国際機関で働きたい学生向けのキャリアフォーラム

という明確な目的があったため、出発前から非常に楽しみにしていました。しかし現地に到着してからは、

・主な博物館が無料

という事実に気づき、限られた日程で全てを堪能することは不可能でした。さらにワシントンDCは日本から桜を寄贈されていることで有名で、3月後半から4月初頭にかけて桜祭りが毎年行われています。アメリカにいながら春の薫りを楽しみたいという思惑は、滞在した一週間が時折雪が舞うほど非常に寒い時期と被ってしまったことにより裏切られました。もう一度いい時期にゆっくりと来ようと、ワシントンDCを去る時心に誓うのでした。

 

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ワシントン記念塔。中もエレベーターで登れるようですが、チケットは朝早くに全て配布が完了してしまっていたようです。

 

今回、IMFの先輩および世界銀行でのキャリアフォーラムのお話でひしひしと必要性を感じたのが「専門性」というものです。今回のフォーラムでは世界銀行の職員の方が主でしたが、世界銀行にかぎらず国際機関での採用は、「こういった人が欲しい!」とピンポイントで当てはまる人材が求められているようです。その要求に対し、自身の能力・専門性がどこまで組織に貢献できるかが問われるわけです。国際機関で働くってカッコイイという願望、働きたいという熱意も重要である一方、自身の専門性を武器に殴りこみにかかる気概がないと、まずやっていけないと。

 

国際機関に限らず、こちらに来て色々な人の話を聞いていると同じような話を耳にします。自分が今どの大学・会社に所属しているというよりかは、自分はこういったことができる、だから今こうしたことに取り組んでいるのだと。Thanksgiving breakでシアトルに居候していたとき、ルームメイトの叔父も同じようなことを言っていました。今まではどこどこに行きたい、やってみたいが先行してきたのだが、これからは世界に向かて勝負していく上では、自分だけが発揮できる価値が必要になってくると。これは、自分の中で考えていたようで、あまり考えていなかったことのように思います。もちろん「ここで働きたい、こういうことを成し遂げたい」という欲求を持ち続けることは大事なのでしょうが、あるときに「これをやりたい」から「これができる」が求められる転換点が訪れるのでしょう。いや、訪れるように力を蓄えなければならないのでしょう。

 

…ということを、職務経験もなく、学業成績もそんな大したことのない人間が言える資格は全くないのですが…。自分にできること・強みは何だろうか、またどういったことを自分のオリジナルの能力としていけばよいのだろうか。そういったことを考える今日このごろのようです。上記の内容は、あまり留学には関係ありませんでしたね。

 

しかし留学とは贅沢ですね。ああでもない、こうでもないとゆっくり物事を考えることができるのですから。そうした時間があとわずかというのは、やはり寂しいものです。残りの留学生活を有意義にするべく、一日一日過ごすのみです。

 

以上をもって、第3回目のレポートとさせていただきます。

 

勝田梨聖さんの2015年4月分奨学生レポート

JICの皆さま、そして本レポートを読んでくださっている方々、こんにちは。いよいよ4月を迎えようとするシャンペーンでは、数週間前の天気とは一変して雪もすっかり溶け、暖かい日差しのもと駆け回るリスの姿も再びよく見かけるようになりました。早いもので、留学生活も残すところ2か月を切りましたが、今回のレポートでは、(1) 春学期の授業, (2) 冬休み, (3) 寮生活、課外活動についてご報告いたします。

 

 

(1) 春学期の授業

今学期は、以下の授業を受講しています。

GLBL350  Poverty in a Global Context (Prof. Brian Dill)

MACS (/PS)389  International Communications (Prof. Luzhou Li)

PS 282  Governing Globalization (Prof. Konstantinos Kourtikakis)

PS 280  Intro to International Relations (Prof. Ryan Hendrickson)

EPY199  Leadership in Global Engagement (Prof. Jenn Raskauskas)

 

 

GLBL350: Poverty in a Global Context (Prof. Brian Dill)

この授業は秋学期に受講したGLBL250の発展編で、国際開発について学んでいます。貧困の測定方法や定義を学習した後、貧困を生み出すとされる原因、例えば地理、植民地主義、政策や機関、汚職などのトピックを週ごとに扱い、80分間ディスカッションをベースに授業が進みます。今学期最も楽しんでいる授業ですが、同時に、読み物や課題の複雑さ故に最も苦しんでいるコースとも言えます(笑)しかし、いつか時間のある時に読もうと思いつつ、なかなか手を伸ばせずにいた開発学界の著名人であるJeffrey Sachs, William Easterly, Acemoglu, Daron and James A. Robinson等の書物がリーディング課題で出され、それらを基に教授やクラスメートと議論することで、新たな考え方や発見にふれることができます。また読み物の他には、4回にわたるproject paperが特徴的です。世界銀行やその他の機関が公表する国別データを用いて、自分が選択した国の貧困を分析する課題で、マラリアの蔓延率、経済インフラの普及度、耕作地面積など細かなデータを引っ張り出し、立てた仮説を立証していくのは骨の折れる作業ですが、貧困について多方面的に考えられる良い機会となっています。

 

MACS (/PS)389: International Communications (Prof. Luzhou Li)

この授業はメディアをグローバル化や政治と絡めて考察するコースです。履修に迷うなか興味本位で授業に参加してみたところ、その回では当時世間を席巻していたフランスの風刺週刊誌Charlie Hebdo襲撃事件と表現の自由を扱っており、メディアの観点から世界を読み取るのはおもしろそうだと思い受講を決めました。トピックは文化帝国主義や途上国開発、冷戦、テロ、またジェンダーなど多岐にわたっています。毎週金曜日はドキュメンタリーを鑑賞しますが、中でもアメリカの有名なアイドルオーディション番組”American Idol”のアフガニスタン版”Afghan Star”での女性の描かれ方を記録したドキュメンタリーでは、グローバル化を推し進める米系多国籍企業が(「女性は人前で踊るべきではない」などの)アフガニスタンの伝統的慣習と衝突している様子が描かれており、非常に印象に残りました。またこの授業では、個人的に授業後やオフィスアワーに教授と話しに行くことが多く、昨今の日本や中国のニュースメディアについて議論したりもしています。

 

PS 282: Governing Globalization (Prof. Konstantinos Kourtikakis)

このクラスでは主に、グローバル化が国家主権や政策、人権に及ぼす影響や、国家以外のアクターのガバナンスについて学んでいます。Advanced Writing Classと呼ばれるペーパー課題が重い履修科目ですが、その分書き方の指導もきめ細かいです。

授業ではJoseph StiglitzやSaskia Sassen などの名の知れた学者の書物を講義のベースとしています。特に、移民問題を社会全般に敷衍して考察する授業では、都市開発や自治体政策について新たに深く考えるきっかけにもなりました。(ちょうど講義が、移民政策についてのある新聞コラムが論議を交わしていた時期とぴったりと重なったのは少し不思議な偶然です。)

 

PS 280: Intro to International Relations (Prof. Ryan Hendrickson)

国際関係学の入門ということもあって受講を迷っていましたが、教授の研究対象であるNATOや米国の安全保障政策に主眼を置いた国際政治学の講義に興味を持ち、履修することにしました。冷戦やテロ、軍事政策などを特に強調して詳説するのはアメリカの大学ならではだと感じます。またこのコースで特徴的なのは、TAによる毎週金曜日のディスカッションです。Foreign Affairsなどからの引用記事を読み、それについて著者に賛成派、反対派に分かれて議論をします。だいたいは、リアリズム、リベラリズム、コンストラクティビズムなどの学派の立場に沿って意見を述べますが、TA(Teaching Assistant)を筆頭にクラスメートの多くがリアリズムに傾倒した考えが多い印象を受けます。そのなかで、説得力があり論理性に基づいた新しい観点をオファーするために、新聞、ラジオをより積極的に活用するようになりました。しかし、テロリスト掃討作戦に使われる米国の無人偵察機が話題に上がった時は、賛成派23対反対派2のマイノリティ側に立ちましたが上手く効果的に立場を説明できず、授業後に「ああ言えばよかった」「こうも考えられたのに」と猛省した記憶があります。残り4回での改善に期待です…。

 

EPY199: Leadership in Global Engagement (Prof. Jenn Raskauskas)

この授業は私の住む寮PARで開講され、ゲストスピーカーやクラスメートの30分プレゼンを通じて、グローバルリーダーシップについて考えを深めるコースです。澳門大学からの交換留学生と受講しますが、他の授業とは違いお菓子を食べながらの和気あいあいとディスカッションをするといった、非常に打ち解けた雰囲気です。グループワークでは、私たちのグループは、アメリカとアジアでの礼儀や対人関係に対する異なる観念から生じる挨拶の違いについて、4月末のUndergraduate Research Symposiumにてプレゼンテーションをすることになりました。現在はクラス外で集まってリサーチを進めている最中です。

 

 

今期の授業は上記の通りですが、先学期と比べてディスカッションも増え、以前よりも積極的に発言するようになったのは一つの成長ではないかと感じています。しかし、まだまだ授業後は反省の日々です。”Better than the last time” を目標に今後も邁進したいと思います。

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(写真1: 春の訪れとともに、Main Quadでも学生がくつろぐようになりました。)

 

(2) 冬休み

冬休みの一か月間は寮からkick outされるため、どこへ行こうか思案した結果、中米のグアテマラへ旅行することにしました。「なぜ、グアテマラ?」と会う友人皆に聞かれましたが、本来は開発についてフィールドワークをするためでした。しかし(!)、グアテマラ人の友人とゴム農園のリサーチをする予定が、私の期末試験の関係でどうしても日程が合わず。また、グアテマラ事務所のJICA職員の方とお話できるとのことで楽しみにグアテマラへ渡ったものの、年末年始ということもあって先方様がお忙しくされていたため訪問も叶わず。結局、「26日間グアテマラを旅しながら暮らす」ことになりました。首都は(噂によると)世界で12番目に危険な都市、言語は(ほとんど喋れない)スペイン語で英語は通じないということもあり、女1人で動き回るのには不安もありましたが、今までに訪れた国のなかで最も刺激的で言葉に表現しがたい愛着が湧いたのが素直な感想です。

初めて足を踏み入れるラテンアメリカのグアテマラ。街では陽気な音楽にあふれており、農村部では色彩豊かな野菜がずらっと並んでいました。毎日外食というわけもいかないので、市場で値引き交渉をして生鮮食品を買って、宿泊先に住む世界一周中の方たちと自炊生活を楽しみ、旅行というよりは「暮らす」という感覚に近かったように思います。

アメリカから輸入した中古スクールバスを改良した「チキンバス」が地元民の足で、早朝のバスに乗って都市部へ物を売りに大量の農村民が移動します。バスの治安はあまり良くなく、強盗が多発し、また道路自体もきれいに整備されている状態とは言えません。小売店が連なる都市部は、排気ガスで曇っており、環境への配慮というよりは経済発展を優先している印象でした。市場では同じようなものが似たような値段で売られています。地元民がどのように選んで買い物をしているのかは分かりませんでしたが、開発プロジェクトの一環としてマーケットの差別化がすすめられているそうです。さて数年後また訪れた時にはどれほど変容しているだろうなどを考えながら、毎日ぶらぶらと歩きまわっていました。

 

片言のスペイン語でホステルスタッフに話しかけても何を言われたか分からず、近くにいた男性を連れてきてヘルプを求めたり、満員のバス(40人容量のはずが70人は既にいました)で、運転中のドライバーをまたいで運転席と窓の間の小さな隙間に入れられたりと、貴重な経験と冒険の一か月間でした。

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(写真2: 世界で一番綺麗な景色が味わえると言われているグアテマラのアティトラン湖)

 

 

(3)寮生活、課外活動

朝一番の「今日の気温何度?」の会話(とそれに伴う落胆または喜び)をルームメイトと交わしてから、支度をして教室までの道を歩くのが習慣となっています。豪雪、または道が凍っている日もありましたが、最近は毎朝とてもいい天気で気持ちが良いです。狭い部屋での共同生活、(自分だけの空間が欲しい…)と切実に思う時もありますが(笑)、ルームメイトや同フロアの友達と他愛もない話で盛り上がれる時間はそれ以上に貴重なひと時でしょう。

春学期も始まり、シャンペーンでの生活にはすっかり慣れましたが、この二カ月たくさんのイベントがありました。

 

<日本館 懐石・利き酒イベント>

イリノイ大学日本館にて2月20日に懐石料理を、21日には利き酒イベントを開催しました。はるばる日本からお越しくださったのは、東京でCAFÉ OHZANを経営する榎本鈴子さん。シェフが腕を振るった近畿大学養殖マグロの懐石料理は、食材や調理方法のみならず、色彩や配置、お皿にも細かく気が配られた、まさに芸術品でした。私と田中さん女子組はサーブが中心でしたが、お運びした時のお客さんの驚嘆した顔は忘れられません。そして、(少しつまむことができたのですが)頬の筋肉が一瞬にして緩むほど美味しかったです。ここイリノイ大学に来て以来、毎日ほぼ同じ寮食のため「食べる」ことを疎かにしていましたが、繊細に盛られた懐石料理を前に和気あいあいと談笑するお客さんの顔を見ていると、「食」がもたらす力の偉大さに改めて気づかされました。

 

そして翌日午後からは同じく日本館にて利き酒イベントが行われます。チケットは売り切れ、会場は大盛況でした。私はお酒にさほど詳しくないのですが、驚いたのは、なんと小料理の種類の多いこと。「おつまみで、ここまでのクオリティー?!」と驚きましたが、日本料理をあまり知らない外国人にとって、様々な日本酒を嗜みながら、彩り豊かで綺麗に盛られた小料理一品一品を見て食べて楽しむのは最高のひと時だったのではないでしょうか。

 

この二日間を通して、日本語を知らない友人でも大抵知っている”Kawaii”以外に、これからは”Oishii”という言葉もより広がるようになればと、ふと感じました。そのためにも、イリノイの友達が日本へ訪れた時は、是非日本の食についても伝えたいと思います。

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(写真3: 利き酒イベントでの小料理の一部)

 

<Power Africa>

ACES Libraryの会議室で催された、アフリカのエネルギー開発のパネルディスカッションに参加しました。Power Africaとは、2013年6月にオバマ大統領が打ち出した、より多くのサブサハラアフリカの人々がエネルギーにアクセスできることを目標にした政策です。このイニシアティブに65億ドルが投入されたほか、エネルギー部門の企業も90億ドルを投資し、安定した電気供給の他、より効率的なエネルギー創出を目指しています。Power Africaアドバイザーやエネルギー開発を専門とする教授、モザンビーク出身の社会活動家など、世界各地から集まり、Power Africaの行方や欠点などを議論しました。興味深かったのは、プロジェクトのもと建設されたあるダムが環境を破壊し、そのエネルギー約80%が、地元民ではなく関係する外国企業へ輸出されているという事実です。パネラーの”Think about WHO is benefited from this project.”という言葉が強く胸に響きました。

 

 

<Illinois Leadership Program>

EPS199で参加必須だったという理由もありますが、ルームメイトからのお勧めで、私もこのプログラムに参加してみました。いわば、リーダーシップ育成プログラムで、朝9時からの8時間、ひたすらグループでのワークショップとディスカッションを続けます。幸いなことに、私のグループは出身国のバランスが取れており、個人的にはワークショップ自体よりも、その休憩時間に出身国の文化や政治、問題点について話し合ったことが一番刺激的でした。現政権のもとでの各国のfreedom of speechについて議論したり、地元の価値観や慣習と関連させながら女性の地位について話し合ったりは、Political Science専攻でもなかなかない機会です。学生の問題意識の高さに驚き、同時にもう少し上手な英語で日本の現状を伝えることができなければという焦燥感にかられました。あまりにリーダーシップに関係ない話をしていたので、最終的には、「その各国の問題に、自分がどういうアプローチをとるか」で話をまとめました。

 

 

…と、春学期2か月間、おかげさまでとても元気に過ごしています。皆がSt. Patrick Dayで酔い狂う姿を横目に、友達と5時間カフェで喋り続けたり、YMCAのイベントにて伝統舞踊を鑑賞しながら多国籍の料理を味わったりと、なんとも私らしい生活を確立できるようになったのは先学期との違いでしょうか。さて春休みが終わればまた試験と課題の波が押し寄せてきますが、残された日々をマイペースに楽しんでまいりたいと思います。

 

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(写真4: バスケットボールの試合。試合終了わずか4秒前のゴールで見事イリノイ大の勝利!!)

 

最後になりましたが、いつも温かくご支援くださっているJICの皆さまをはじめ、家族と友人にこの場をお借りして感謝申し上げます。そして今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

田中洋子さんの2014年12月分奨学生レポート

【奨学生レポート12月分】

田中洋子

 

JICの皆様、いつもお世話になっております。つい先日期末試験を終え、秋学期も正式に終了いたしました。今回のレポートでは、今学期の振り返り及び冬季休暇中の予定について書かせていただきたいと思います。具体的には、

 

1.留学中の目標途中経過

2.秋学期授業

3.課外活動

4.感謝祭休暇

5.冬季休暇の予定

 

という順番で書いていきます。

 

【1.留学の目標途中経過】

前回のレポートで、留学中の目標として以下の二つを掲げました。

(1)教育について集中的に学ぶ

(2)迷ったらやってみるの精神でいろいろなことに挑戦する

 

まずは、(1)に関して振り返りたいと思います。

今学期履修している授業4つのうち2つは教育学部の授業ですし、通学時間がほぼなくなったおかげで時間にも多少余裕が持てるようになり自主的に本を読んだり出来る時間も作りやすくなったため、日本にいた頃に比べれば教育に関する勉強に割ける時間は格段に増えたと思います。授業の課題図書を読んでディスカッションに備えたり、宿題をやったりするだけでもかなり時間は取られてしまいましたが、せっかくアメリカの大学にいて洋書へのアクセスも容易になっている上、イリノイ大学の論文データベースも留学生として籍を置いている今ならば使い放題なので、休日などに興味のある書籍や論文を読む作業をよくしていました。特に印象的だった書籍は、教育史家であり、ブッシュ・クリントン政権下で教育長官の補佐を務めていたこともあるDiane Ravitch という人の書いた公教育制度解体の動きに対する批判を展開する内容の“Reign of Error”や反転授業のノウハウを論じた “Flip Your Classroom: Reach Every Student in Every Class Every Day” 、題名の通り高等教育バブルに警鐘を鳴らす“The Higher Education Bubble”などです。1冊目の本はEPS201

の課題図書として指定されていました。

ただし、「集中的」と言えるほどの勉強量であったかどうかというと、決して自分の限界までがむしゃらに勉強を続けたとは言えないように思います。もちろん、勉強は留学の核ではありつつほかにも有意義な時間の使い方はあるはずなので、まるで大学受験期のように勉強中心で全てが回るような生活が最善というわけではないように思いますが、それでも来学期はもう少し真剣に教育の勉強に取り組めればと考えています。勉強に充てる時間量以外にも、今学期は興味のあるものを片っ端から順序関係なく読み進めていたので、もう少し体系立てて勉強することを意識する、後ほど勉強会については触れますが、基本的に一人で勉強する時間が多かったので学び合いの場を作れるように工夫する、といった改善の方法があると考えています。

 

次に、(2)について振り返ります。

これも概ね守れたように思います。何しろ2学期間という限られた時間しかいられないわけですから、「後で」は基本的に永遠にやらないことを意味するということを自覚し、日本にいた頃以上に活発に、ただし別の言い方をすれば熟考せずにあれこれ動き回っていました。所属団体を見てみるだけでも、日本語を勉強している学生が集まるJapanese Conversation Table (JCT)、教育学部所属の学生団体二つ、音楽クラブ、留学生の交流会などに顔を出していました。ただし、それなりにコミットできるコミュニティの数というものには限界があり、人並み外れて社交的な性格というわけでもないので、結局定期的に活動に参加していてメンバーと言って差し支えないのはJCTと教育学部の学生団体のうちの片方だけだと思います・・。音楽クラブに関してはあまり音楽の嗜好の合う人が見つからず、それでも楽器の練習は続けたかったので、ダウンタウンにある楽器屋さんに併設のスタジオで個人的に細々と練習を続けております。ちなみに、この時に交渉の結果スタジオ使用料がだいぶ下がり、アメリカで生活するなら交渉力が大切といういつか誰かから聞いた言葉の意味を実感しました。

「挑戦する」というほどのものではありませんが、迷ったらやるという目標は日々の行動にも少しずつ変化をもたらしたように思います。例えば、授業中の話し合いにしても、最初はやはり気後れしてしまい、毎回のように「なんであの時発言できなかったんだろう。あの時この意見を言えればもっと議論の流れもよくなったはずなのに・・」とくよくよしていたのですが、途中から、「とにかく迷っているくらいなら手を挙げよう。手を挙げてから考えてもいいんだ。英語がすらすら話せないからなんて気にしている場合ではない!」と積極的に参加できるようになりましたし、学期中を通して少なからず起こったルームメイトとの問題に関しても、「変に遠慮して我慢するのはよくない。思い切ってはっきり言おう」と考えるようになり今ではだいぶ風通しの良い関係になっているように思います。

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Alma Materの銅像です。地面に雪が残っているのが見えますが、11月半ばは非常に冷え込みました。

 

【2.秋学期授業】

<Public Speaking (CMN101 –L2)>

教育学部の授業ではありませんが、今学期楽しさという点では一番だったように思います。前回のレポートでも説明しましたが、学期全体で5つのスピーチをこなす少人数の授業です。3分程度の自己紹介から始まりましたが、段々5分、7分とスピーチの持ち時間が増え、内容もinformative speech, persuasive speech といった、少し高度なものになっていきます。Informative speech では自分の専攻分野と関連のある内容について論じるようにとのことだったので、私はアメリカにおける英語学習児童(English Language Learners :ELLs)を扱い、またこのスピーチの次に行われたpersuasive speech ではアメリカにおける高等教育費高騰について話しました。

元々この授業には英語が母語である生徒用のクラスと非母語である留学生向けのクラスの2種類があるのですが、TAの忠告を振り切りネイティブ向けのクラスに登録した私は案の定クラスでただ一人のノンネイティブの学生で英語の即興スピーチなどではやはりほかの人たちに太刀打ちするのはなかなか厳しいものがあったのですが、先ほど触れたスピーチでは評価の重点が内容に置かれていたので、それならば自分も勝負出来るはずだとスピーチ原稿執筆のための調査はかなり頑張りました。そもそもそこまで評価の辛いクラスでもなかったのですが、それでも頑張りが多少は報われたのか良い評価をもらえた時は達成感があり嬉しかったです。

良いクラスメイトにも恵まれました。いつも隣の席で元気に話しかけてくれる子、独特のユーモアの持ち主で毎回クラスを奇妙な笑いに包んでくれる子、クールで皮肉屋でありながら実は面倒見が良い子、ジャイアンのような風格で(あくまで見た目です)クラスをまとめてくれる子。違うクラスに登録している友人の話曰くクラスによってだいぶ雰囲気も異なるようでしたが、私は運良く大変雰囲気の良いクラスに割り当てられ、のびのびとスピーチをすることが出来、それがこのクラスでの成長につながったのだと思っています。

 

<Elementary French 1 (FR101)>

こちらも一体感のある雰囲気の良いクラスに恵まれ、一度も欠席することなく受講しました。

日本で受けていたフランス語の授業が読み・書きに重点を置き、一通り文法事項を学習した後はひたすら仏文和訳という形式であったのとは対照的に、このクラスではとにかく聞く・話すということが重視されており新鮮でした。もちろん文法事項をきっちり勉強した方が効率がよいこともあると思うのですが、実用的なコミュニケーション能力を培うには、このような「習うより慣れろ」形式が有効なのかもしれないと思いました。

ただし、よく耳にする「日本の外国語教育は読み書き偏重でよくない」という批判に与するつもりはありません。先ほども述べた通り、文法事項を一から順序立てて学んだ方が長い目で見れば効率が良く、知識も継ぎはぎにならないという利点があり、一方でそれでは日常会話などの力はつきにくい。結局一長一短ということで、各人の必要に応じて(ビジネスなどで人と会話する場面が多いのか、あるいは研究職などについていて論文執筆のために読み・書きの力の方がより重要になってくるのか)採用すべき形式も変わってくるということにすぎないと思います。ただ、例えば日本における義務教育段階の英語教育といった話になると、基本的に全ての生徒に同じ形式で授業を行うことになると思うので、そういう状況において今の教育形態が適切なのか、どのような改善の方法があるかということに関してはもう少し考えてみたいと思いました。いずれにせよ、日本とはずいぶんと違う語学教育の現場に自分の身を置いたことは良い経験になりました。

 

<Foundation of Education (EPS201)>

アメリカ教育史を軸に公教育の意義や問題点、今後のあり方などを扱った授業です。とにかく教授がエネルギッシュな方で、大半が教育学部所属ということもあり学生のやる気も高く、行く度に刺激をもらえる授業でした(ただし、150人以上いる大講堂での授業で自分から発言することは結局出来ず、私がほかの学生に対し何か貢献することは達成出来ませんでした・・)。

課題もなかなかボリュームがあり、特にグループで取り組んだ中間試験(試験という名前ですが実際は通常の課題と大差ないものです)には苦戦しました。私は基本的に課題には個人で取り組む方が好きなので、そもそもいつ課題をやるかというタイミングがメンバー内でなかなかまとまらなかったり、それほど大きな意見の対立は生じなかったものの細かいところで考えが一致しなかったり、今まで避けてきた人との調整という作業をこなすのには相当の体力を要しましたが、非常に良い経験にはなったと思います。ほかの人と共に課題に取り組んでいると自分にはない視点を得られたり、自分の考えに対するフィードバックをもらうことで自分だけでは気付かなかった論理の穴に気付けたり、反論を展開する中でさらに自分の論理が強化されたりもしくは逆に自らの矛盾に気付いたりと、一人だけで課題に取り組んでいては得られないものがありました。もちろん、どこかしら妥協もしたものに自分の名前を書いて提出するということにはいまだ抵抗が消えないのですが・・。とはいえそれこそ大学を卒業して働き始めればチームとして何か成果を出すことを求められる場面が増えると思うので、限られた時間の中で出来るだけ多くの議論を重ね、協調しつつ自分も納得できるレベルまでものを作り上げるという場が今後もあれば、良い勉強だと捉えていきたいと考えています。

個人で提出するschool desegregation をテーマとする期末レポートでは、Lau vs. Nichols という、1970年代前半にサンフランシスコの公立小学校に通う中国系児童がバイリンガル教育の不備を主な理由として学校区を訴え、その後のバイリンガル教育を巡る議論の基礎を提供した有名な判決を扱いました。この判決に関しては以前英米法の授業でも少し学んだことがあったのですが、全て英文の資料を用い、当時の地方紙の記事なども参照しながらもう一度調べてみると、知らなかったことも数多く学べ、英語の資料へのアクセスが容易になっている現在の環境をあらためてありがたく感じました。

このレポート執筆を通して思ったのは、70年代当時からアメリカにおけるバイリンガル教育の状況は大幅に改善しているとは言い難く、いくら判決が出たところでそれはあくまで判決に過ぎない、司法の要求とそれを受けた制度設計側の真摯な取り組み及び現場の適切な対応、それら全てが揃わないと物事は変わらないということでした。司法の判断が実際社会問題に対しどれだけの実効力を持つのかということについては以前から関心があるので、今後自主的に教育に関わる判決を中心に勉強を続けてみたいと考えています。

この授業のディスカッションのクラスでは、各人が交代で議論の進行役を行います。私は、professionalization of teaching というテーマを設定し、教師の専門性を高めるにはどのような制度・方法が適切なのかということについて議論を行いました。日本でも教員免許取得の上で大学院修了を必須要件にするということが議論されていますが、果たして大学院教育は教員のレベルを上げることに本当に資するのか、リカレント教育の役割は、評価制度は適切か、といったことについて話し合い、教員志望者にとっては非常に身近な問題であるため、思っていた以上に議論が盛り上がり、45分間も場を持たせられるか様々なシナリオを予想しながらはらはらしていた私は胸をなでおろしました。

 

<Educational Psychology (EPSY201)>

「教科書に書いてあることを鵜呑みにせず、自分の目で確かめよう」という最初の授業での教授の言葉通り、学期を通して調査とその報告レポートの提出を続ける授業でした。調査自体は非常に簡単なものが多く、従ってやっていたことのレベルはそれほど高くもないのですが、受け身でひたすら授業で聞いたことを頭に叩き込むといった授業とは正反対で、レポートを書くのもなんだか中学校の時の理科の授業のようで楽しかったですし、実際に自分で確かめて納得するという作業の大切さを学んだ気がします。理論通りの結果が出ないこともしばしばでしたが、誤差の範囲だと乱暴にごまかすのではなく、なぜこのような結果になったのか原因を探るようにすることで、その過程を通しより教育心理というものに対する興味も高まりました。

特に印象に残っているのは、学期の最後に行ったテーマ自由設定での調査レポートです。私はほかの授業との関連もあり語学教育に関心があったため、第一外国語と第二外国語の学習に対するモチベーションの違いを探ることで語学学習の動機付けの方法について考察することを試みました。アンケート作成の方法に一定の制限がありとてもシンプルな設問しか作れなかったこと、また英語が母語か否かで外国語学習に対する姿勢が大きく変わるのではないか(今日では外国語学習≒英語学習のような状況が見られるからです)という予想を立てることなく、回答者の母語を尋ねることをしなかったことなどから、大変稚拙な内容のレポート(というよりは失敗報告書)になってしまいましたが、全て一から自分の手で好きなことを調べるのは思いの外面白いものでした。

 

【3.課外活動】

先述のJCTと教育学部学生団体のほかに、不定期ですが教育学部の学生と自主勉強会を作ってたまに一緒に勉強しています。それほどかっちりした集まりでもないので、時によっては教育と全く関係のない話(最近話題の映画のこと、もしくは誰かの恋愛相談など・・笑)をしていることもありますが、面白かった書籍や論文を共有したり、教育学部生向けのボランティアの情報を交換したり、TEDの教育関連の動画を一緒に見たり、授業の課題を相談しつつ進めたりと、私にとっては非常に有意義な場所になっています。正直、寮での人間関係はそれほど広くはなく、また授業にしても授業外でも定期的に会うような友人はそう多くは作れないので、この勉強会を今後も大切にしていきたいと思います。

寮で立ち上げた映画クラブは、今学期は参加者のリクエストに応えてひたすらアニメだったので(「時をかける少女」「風の谷のナウシカ」「借りぐらしのアリエッティ」「AKIRA」など)、もちろんアニメも好きですが、来学期は小津安二郎特集など、もう少し企画のようなものを行って、日本文化⇒アニメ、という多くのアメリカ人の頭の中にある思考回路を少しでも変えられたらと目論んでいます。

 

【4.感謝祭休暇】

感謝祭休暇中は、サンフランシスコを訪れました。当初はアラスカに行くつもりでガイドブックまで買い、オーロラを見るためにロッジの予約もしていたのですが、一緒に行こうと話していた友人の予定が急遽合わなくなり、車も運転できない自分が一人で行っても、しかもオフシーズンだし・・ということで西海岸に切り替えることにしました。

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かの有名なGolden Gate Bridgeです。ダウンタウンから自転車で行きました。

サンフランシスコの第一印象は、とにかく暖かい!!コートなしで歩けるなんて、日中でも氷点下のシャンペーンからしたら夢のようでした。また、アジア系住民の割合が高く日本食レストランも豊富にあったので、毎日何かしら日本食を食べていました。久しぶりに食べた焼き鳥、涙が出そうになるほどおいしかったです。

ゴールデンゲートブリッジまで自転車で行ったり、北米最大級と言われる中華街に行ったりと一通り観光らしいこともしましたが、特に予定を立てずのんびりぶらぶらしている日が多かったように思います。でも、そういうふうに過ごしていると、ガイドブックには載っていない細い路地にある素敵なレストランに行き着いたり、さびれた映画館を発見したり、また違う楽しさがあるのです。

感謝祭の翌日から、一度サンフランシスコを離れてヨセミテ国立公園を訪れました。カリフォルニアということもあり思っていたほど寒くもなく、豊かな大自然の中を一日中頭を空っぽにして歩き回り、良い気分転換になりました。写真は、お土産屋さんで運命の出会いを果たした鹿の女の子です。

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公園内ではあちらこちらでこのような壮大な自然の風景を目にすることが出来ます。

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お土産屋さんで運命の出会いを果たした鹿の女の子です。

【5.冬季休暇の予定】

冬季休暇中は、ニューヨークにある日系の通信社にてインターンをさせていただくことになりました。つい先日開始し、初日から私のパソコンに問題が見つかり皆様にご迷惑をおかけする事態となりましたが、なんとか1か月頑張りたいと思います。

教育に関心があるのに通信社?と思われたかたもいらっしゃるでしょうか。実は高校生の時から報道の道にも関心があり、短い期間ではありますが報道の現場の様子を実際に内部に入って自分の目で見てみたいと考え、今回のインターンに至りました。どの職業でも大変なことはつきものでしょうが、報道の世界は特に仕事が厳しいと聞くので、果たしてこの世界は全力を傾けることを厭わないと思えるものか、またそれとはまた別に自分に向いていそうなものか、といった将来の進路を考える上でのヒントをほんの少しでも得ることが出来ればと思います。

土日は自由時間になり、冬季休暇中にニューヨークを訪れる友人も何人かいるようなので、インターンをまず第一に頑張りつつ、楽しい時間も過ごしたいと思います。

 

今回の報告は以上とさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

小松尚太さんの2014年12月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。悠久の時の流れを感じながら、ここイリノイ大学で過ごすことができる幸せを噛みしめる日々です。何とかひと学期を終えることができ安堵しているところです。

以下、今学期履修した授業の総括、留学を通じ考える事、Thanksgiving breakの過ごし方についてご報告いたします。

 

■今学期の授業総括

今学期履修をしてみて、思ったことを。

 

・授業におけるディスカッションとは、自分の意見を何でも述べれば良いではなく、予習段階で読んだ課題文献に基づく慎重かつ的確な発言のことを指す。

欧米の大学では授業中でのディスカッションが重視されるということは、良く言われていることでしょう。ディスカッションとは何か。私の想像では、教授と学生が矢継ぎ早の如く対話することをイメージしていました。実際は、基本は教授のレクチャーが中心で、ところどころポイントとなるところでこれはどういうことか、と学生に質問を投げ、それに対して的確に答える。これがディスカッションのようです。そうした発言は、評価の対象となるだけでなく、自身の授業における存在感を示す上でも重要です。だから予習が必須なのです。特に発言することなくやる過ごすこともできますが、気まずいです。また予習に基づいていない的外れな発言をしてしまうと、それも気まずいです。存在意義を疑ってしまいます。後述のACE255ではこうした苦虫を噛む経験が何度もありました。もちろんこれは教授・講義形式・テーマによって異なるでしょうし、たまには答えが定まっていないオープンクエスチョンで自分はどう考えるかという質問もあります。ただ共通していたのは、ガツガツ発言するというよりは、どこか慎重さを漂わし言葉を選んでいるというものです。私の講義の中でのディスカッションの感覚はそうしたものでした。

ここから得られる教訓は、「予習は大事」という当たり前のことです。しかし、当たり前のことを頭で分かっているだけでなく実行できているか。我ながら耳が痛くなる問題提起です。

 

以下、各授業に関するコメントです。

 

ESL115: Principle of Writing

エッセー・論文の書き方を学び、実践する授業でした。書き方を学ぶことは、論文を的確に読むこと、わかりやすく話すこと・伝えることにも繋がります。論文をある程度読んでいくと、大体同じような形式に沿って全体・各パラグラフが書かれていることに気が付きます。それに基づいて、それを参考にして自身のライティング能力を高めることができます。ライティングのみならず英語全般について(もっというと日本語についても)良い影響があった授業のように思います。実際この授業で学んだことを他の授業のレポート課題に当てはめながら書くと、そこそこの評価をもらうことができました。

しかし後半になるにつれ少々尻切れトンボ感が強かったこと、最後のペーパーの課題の形式が私にとって書きづらいものだったこと、TA自身が授業に対して懐疑的だったことなど、改善点すべき点もちらほら。もっと言うと、ライティングを学べる授業は日本の大学でもあるはずです。留学に行かれる方は、留学の機会を最大限活かすためにも、前もって履修・学習されることをおすすめ致します。

授業を通じて再三強調されていたのは、剽窃(plagiarism)です。剽窃とは、他人の研究の成果を断りなく無断で使用することです。他人の研究について言及する際も、きちんと言い換えたり、引用符を正しく使用したりしなければ、それも剽窃とみなされます。”何とか細胞” でこの問題が一躍有名になったことでご存知かと思います。たかだかコピペぐらいいいではないかと日本ではその事件の主役を擁護する声もありました。しかし、研究者として剽窃は言語道断であり、すなわち免職となります。これは学生についても同様で、剽窃が認められれば、単位剥奪、ひどい場合は退学処分になるケースもあります。それほど重大な過失なのです。そうならないための引用のルールをしつこいほど学びました。正しくものを書くということは大変でありますな。

 

ACE251: World Food Economy

世界の食料経済について学ぶ授業であり、需要面、供給面、そしてそれらを総合し食料貿易について考察するという構成でした。7割ほどは既に知っていた内容だったので、復習をしつつより理解を深める意味で良い授業でした。しかしただ知っているだけでなくそれを(特に英語で)説明できること、学んだモデルで現実世界を分析できる能力こそ重要ですから、その点を意識しながら学習を進めました。

この授業を通じて改めて経済学の有用さと、経済学についてより理解を深める重要性を痛感しました。この授業では、ミクロ経済を学んだ人ならご存知であろう「余剰分析」をメインに貿易の効果についての考察が進みました。留学前に学んだミクロ経済学の講義で、TPPについて日本のコメ農家がどうなるかを余剰分析したシーンがあり、その時の感動を思い出しました。シンプルで直感的で、統一的に現実を(ある程度)説明できるその美しさ。経済学の基礎的な部分についても今一度理解を深め、きちんと使えるようにならなければなと思った次第です。再三強調しますが、分かっているからといって、それについて分かりやすく説明できる・分析できるとは限りません。英語だと尚更、ですね。

 

そういえば、日本の農家といえば、試験問題の中に、

If Japan removes its import tariff on rice,

  1. Japanese farmers will hardly be affected.
  2. many Japanese farmers will no longer be able to produce rice.
  3. the job losses will not be significant because agriculture represents a small portion of Japan’s GDP.
  4. many Japanese citizens will be unhappy because the majority of the country opposes the recently proposed free trade agreement.

 

という問題があり、試験ではbが正解となっていました。やはりそのように見られているとは、面白いですね。

 

高関税により(特にコメ)農家が保護され、その分は消費者に転嫁される。

→日本の消費者は生活水準が高く、エンゲルの法則により全出費のうち食料品の占める割合が縮小している。そのためこの転嫁に気づきにくく、保護政策の撤廃に進みにくい。

→しかし自由貿易が行われることで日本産とほぼ同品質の安い農作物が入り、効率の悪い農家は淘汰される。

→逆に消費者は安くなった食料品により大きな恩恵を受ける。

 

…というのがこの授業での帰結ですが、はてさて、どう思われますでしょうか。

 

ACE255: Economics of U.S. Rural Poverty and Development

今学期の授業の中で一番胃の痛くなる授業でした。アメリカのSafety Netについてのディベートがありましたが、なんたる拷問か。ディベートは準備が肝心ですが、例え準備が十分であっても、相手の要点を抑え、それを踏まえて反駁することの難しさといったら。満足に聞き取ることもままならず、自分が担当する主張をするのみで、ほぼ何もできませんでした。最後は「旅の恥はかき捨て」と開き直りましたが、それでも悔しいですよね。精進します。

この授業ではアメリカの貧困問題に焦点を当て、様々なトピックをカバーしました。貧困の測定方法に始まり、失業、文化的側面からみた貧困、子供の貧困、教育、社会保障制度などなど。アメリカの貧困の側面を垣間見ることができたと同時に、果たして日本ではどうだろうかという疑問も駆り立てられました。これは冬休みの宿題となりそうです。

この授業は毎回のリーディング課題、学期中4回のレポート提出、アメリカのある郡の貧困状況について調べるCounty Profile、ディベート、ディスカッション重視、中間試験3回と期末試験1回と、いかにも課題が多いと言われているアメリカの授業っぽい形式でした。担当教授が授業に強制的にでもしっかり取り組んでもらおうと工夫しているのが伺える授業でした。期末試験一発勝負が多い日本に比べ、少しずつ学習を進めやすい一方、一度遅れをとるとなかなか追い付くのも大変です。

 

ECON450: Development Economics

自身の興味が、農業を通じた低所得国の経済開発に移りつつあったので、この授業を履修しました。

開発経済の理論について概観するというよりは、サブサハラ・アフリカに焦点を絞り様々なトピックをケーススタディ形式で紹介する形でした。サブサハラ・アフリカに対して様々な援助が行われる中、果たしてどれが効果的なのか。今開発経済でかなり主流となっている「ランダム化比較実験」を含め、援助の効果を測定する手法および実例を学びます。援助はどのような形であれ役に立つのだから何をやってもよいではないかという主張もあります。しかしそれに割ける資源は限られており、援助政策の中で最も効果的なものに注力することが人々の生活水準の向上の近道となると考えるのが、経済学のスタンスのようです。

興味深い授業でしたが、一つ重大なミスが。期末試験の日、試験を受けようと会場に足を運んだのですが、誰もいません。日程をよく確認すると、試験はその前の日にすでに行われていたのです。結局、小テストと中間テスト2回分で成績が付けられることとなってしまいました。他の科目に比べ注意を払って準備をしていただけに、残念でなりません。嗚呼、無念。来学期は気をつけます。

 

 

■どうでもよいことを考える日々

こちらに来て他愛もないことをよく考えます。

留学を通じて自分は成長しているのだろうか、英語は上達しているのだろうか。自分の専門についての知識・理解は深まっているのか。そういえば、何故留学したいと思ったのだろうか。帰国は5月になるが、就職はどうなるのか、どうしようか。いや、経済についての勉強が足りないから、院に進学しようか。いやいや、さすがにもう働きたい。そしたら何をして働こうか。将来自分は何を成し遂げたいのだろうか。自分の好きなことをすればよい?それがよく分からないからネチネチ考えているのだ。そんなものは働き始めてみないとわからないものなのだろうか…。いやいやいや、留学を終えた後のことについて逡巡する前に、今は目の前の勉強・留学に集中すべきだろう。そして勉強していると己の勉強不足を痛感し、やはりこの学問について少しでもいいから究めてみたいと思い…などなど。ルームメイトや友人と色々な話をしていると、ますますこうした思索の迷宮に入り込んでしまいます。私は比較的まったりとした留学ライフを送っていますが、心の中はそれほどまったりとはしていないのかもしれません。時にはモチベーションが下がることもあります。その時は思いっきりぼーっとしたり、あるいは留学の志望動機を読み返して発奮したり、中島敦『山月記』を読み返して自身の「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」を戒めたり。

こうしたどうでもいいこと、どうにもならないことについて、雑音が少ない留学という環境の中で云々と考えられるのも、醍醐味なのかもしれません。

 

…という多愛の無いことを考えながら、「やはり今日一日を平穏に過ごそう」と決意するのです。

 

■おまけ(Thanksgiving breakの過ごし方とその写真)

11月の下旬、Thanksgiving breakという休暇が1週間ほどあります。何をしようか色々考えましたが、今回はルームメイトの叔母の住むシアトル(正確にはシアトルから車で1時間ほど南にあるタコマ)に居候させてもらうことにしました。

シアトルで何をしようかと出発する前は色々考えましたが、そんな考えは吹き飛びました。子どもたちが…かわいい。一日中臨時のベビーシッターとして彼女たちと遊んでいると、あっという間に時間は過ぎ去りました。とはいえせっかくシアトルの近くに来たので、子どもたちと遊びたい衝動を抑え、渋々シアトル観光にも行ってまいりました。留学を放棄しベビーシッターとして住み込む選択肢もありましたが、その夢叶わず、泣く泣くイリノイに戻り期末試験に備えることとなりました。

第二回写真1

ホームステイ先にて。Thanksgiving dayにターキーをいただくのがアメリカでは習わしとなっているようです。皮の照りが美しいですね。約5時間かけて焼くようです。

第二回写真2

右がルームメイト、中央がその叔母、左がベビーシッター。

第三回写真3

この子たちと遊んでばかりいました。Thanksgiving breakの写真ばかりなのは、学期中写真を撮るのを忘れていたから、というのは秘密です。

 

 

以上、駄文雑文となりましたが、イリノイの地で無事過ごしていることをご報告させていただきます。残りの留学生活、支えていただいている幸せを噛み締め、有意義なものにするべく精進いたします。