小松尚太さんの2015年7月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。帰国してから約1ヶ月を経て、このレポートを書き始めます。

以下、春学期の授業を簡単に振り返り、留学の総括を行います。

 

 

■今学期の授業について

 

ACE 310 Natural Resource Economics

森林・鉱物・漁獲などの資源について、経済学的側面から理解を深めました。時間を通じた資源配分が大事であること、そして「コモンズ」と呼ばれる資源が搾取を防ぐべくどうマネジメントするかが主な論点でした。負担は重くないものの、毎週小テストや課題があり、尚且つ3回に渡ってテストが行われました。留学前はこの形式を見ると、拒絶反応を示していました。しかし実際に受けてみると、試験一発勝負に比べて失敗するリスクが小さく、頑張った分だけ評価されるシステムだと実感しました。当然、試験一発勝負と積み上げ型の評価形式は両者一長一短があります。一発勝負にめっぽう弱い私にとっては、アメリカのシステムが合っているのかもしれません。…そう信じたいです。

 

ACE 451 Agriculture in International Development

農業が経済発展においてどのように貢献するのか、私の関心が一致した授業でした。授業は農業を中心として、新興国の開発問題を広く扱う内容でした。貧困を測定方法から始まり、産業構造の転換、人的資本の重要性、農業市場の制度整備、支援のあり方など…。アフリカのマラウィの農家に対する肥料の補助金政策について、世界銀行のコンサルタントとして、どう評価しどういった代替案を出すかという政策メモを書く課題もありました。農業と開発について総合的に理解を深めることができた授業であり、勉強して一番ためになった科目に違いありません。

 

ECON 471 Introduction to Applied Econometrics, ACE 261 Applied Statistical Methods

これまでの不勉強ゆえ避けてきた統計を、アメリカに渡り性根を入れて勉強し直しました。実際にプログラミングを回してデータを分析する課題が多く出され、統計解析ソフトRを独学で必死に体得しました。理論・実践両面で統計分析の理解を深められたのは、大きな収穫でした。実際に数字を弾き出し、そこからどのような経済学的示唆を得られるのか。正しく計算することはもちろん、データの解釈も重要であることは言うまでもありません。そうした力を伸ばす上で良い授業でした。

 

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写真1: 当初は飽々しながら食べていた食堂の食べ物も、最後の方は呼吸をするように食べていました。郷に入りては郷に従え、食生活もすっかりアメリカに馴染んでしまいました。

 

■留学を終えて思うこと

 

日本に降り立った直後は、日本人のみの同質的な空間に違和感を覚えていました。帰国から1ヶ月経た今も、日本にいながら違和感もしくは焦りを感じる瞬間があります。日本が心地良すぎる故にその環境に甘えてしまい、日々成長できていないのではないかと。留学先では、言葉は通じない、人間関係も一から構築せねばならない、授業への不安など、居心地の悪い空間だったことは間違いありません。その状況は、留学をまさに終えようとしていた5月でも変わりませんでした。しかし、そうした負荷のある環境の方が学ぶことが多いのではないのか。色々と物事を考えることができるのではないか。日本にいながら、毎日そう思います。

 

英語については、出国当初よりは上達したのは間違いないでしょう。とは言え、完璧には程遠く、話せるようになったのではなく、聞き取れない話せないことに慣れた、と言う方が正しい気がします。留学当初は「全部聞き取らなきゃ!正しい英語喋らなきゃ!」と気張っていました。…それは続きませんでした。水は低きに流れるという言葉通り、最後の方は「だいたいこんなこと言ってるんだろう」「とりあえず言いたいこと簡単に言ってしまおう。ま、こんなもんで通じてるんじゃないかな」と横着するようになりました。とはいえ、英語に関してはこれで満足という水準はありません。現時点の私の英語の実力については不満しかありません。今後日本に軸足を置きながらどう英語を伸ばすかが課題です。私の場合、英語の力をkeepするのではなく、improveし続けなければなりません。

 

英語について、加えて思うことがありました。英語ができないことを自分自身の勉強不足の言い訳にしていなかったか、ということです。以前シアトルでホームステイ中に、アベノミクスについてどう考えるかと聞かれたことがありました。このとき、経済学を学んでいるにも関わらず満足いく説明ができず、歯がゆい思いをしました。同時に、何か頭を打たれたような衝撃を覚えました。これは、日本語でも決して説明できない話題であると。「英語ができない」というのは、自分の不勉強の言い訳として機能していたのだなと。己の勉強不足を恥じました。言語に関係なく、あらゆることについて学ばなければならない。当たり前のことですが、このことに気づいていませんでした。仮に気づいていたとしても、頭で分かっていることと実践できていることの間には大きな壁があります。

 

日本に帰国し、日本語を話す機会が圧倒的に増えました。母国語ですから、日本語で話をするのは楽です。その心地よさを享受する一方、話の中で「これは英語でもちゃんと話すことができるのだろうか?外国の人に伝えることができるのだろうか?」というのはいつも意識せざるを得ません。

 

最後にも書きますが、留学を終え今後の過ごし方が決定的に重要であると日々実感しています。居心地の悪い環境はないか、求めている自分がいるようです。

 

ひとまず今は、留学から帰ってきたという名分を使い様々な人と会う約束をし、話に花を咲かせることができています。これは非常に楽しく、有意義です。大学5年生として、勉学にこれまで以上に励むことはもちろん、アンテナを張りフットワークを軽くして色々な活動に参加してみます。

 

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写真2: 1年間住んだ寮の部屋。汚くて恐縮です。ルームメイトと写真を撮るのをすっかり忘れてました。彼とここでひたすら話をしていました。

 

■果たして留学をしてよかったのか

 

「なぜかよくわからないが、とにかく留学しよう」と2年前に決意しました。果たして、今回イリノイ大学へと留学したことは良かったのでしょうか。自身の人生にどのような意味を持つのでしょうか。この問に対しては、現時点では答えることができません。留学をして半年経ち、1年経ち、5年経ち、10年経った後振り返ってみて、初めて評価できると思います。

 

このように書くと、なんだ今回の留学は失敗だったと感じているのか、そのための言い訳を並べているのか、と指摘されるかもしれません。現実は、多くの人の縁に恵まれました。普通に留学していては味わうことができない体験も数多くありました。日本にいるときの倍以上は勉強しましたし、物思いにふける贅沢な時間も沢山ありました。自身の留学へ行きたいという意志は間違っていなかったと信じたいのです。アメリカで経験したことはかけがえのない財産であったと信じたいのです。

 

今回の留学が良かったと言い切るためには、今後も継続的な努力は欠かせません。留学を通じて多少はましになった英語 (しかし完璧にはあまりにも程遠い…) の向上はもちろん、自分の専門性、そして人格全体としてさらに成熟していかなければなりません。そうしなければ、イリノイ大学への留学を推挙していただいたJICのみなさん、家族、なにより自分自身への説明がつきません。「留学に送り出したはいいものの、結局大成しなかったな」と後々言われるのはとても、とても悔しい。数年経って初めて今回の留学を評価できると書いたのは、今後の精進を怠らない決意表明のためでもあります。

 

「言うは易し、行うは難し」です。文面による決意表明はここまでにして、今後は自身のレベルアップのため、実践あるのみです。「小松を留学に送り出してよかったかどうか」は、数年後の私自身から発せられる言葉ではなく、どういうキャリアを歩み、どういった成果をあげ、そしてどういった雰囲気がにじみ出ているかを見て、判断していただきたく思います。

 

改めまして、JICのみなさま、そして家族には本当にお世話になりました。この留学を通じて受けた恩を今後何らかの形で、少しずつ返していきます。本当にありがとうございました。

 

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写真3: イリノイ大学を去るバスに乗る前に撮影した、朝方のQuad。じんわりと感動した記憶があります。

小松尚太さんの2015年4月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。イリノイの冬もようやく終わりを告げ、暖かな日が続くようになりました。私は、ドアノブに触れるときにバチッとする静電気を除けば冬は大好きな季節なので、冬の終わりについて寂しさを覚えるタイプの人間です。

以下、冬休み、春学期、春休みの模様をご報告いたします。

 

■冬休み

冬休みは丸々ニューヨークでのんびりと過ごしました。ひたすら観光し、各地をめぐり歩きました。秋休み・冬休み・春休みともに現在住んでいる寮からは締め出されてしまうため、それが出不精で観光にあまり行かない私には程よい強制力として働くのでした。

ライフネットの全社長の出口氏曰く、人間は「人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ」以外には学ぶことができない動物だそうです。ニューヨークという時折人と他愛もない話をし、過ごす日々は、今から考えるとなんとも贅沢な日々であったなあと、つくづく思います。

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マンハッタンの新たなシンボル、1 World Trade Center

 

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ニューヨークは美術館も数多く有り、なけなしの感性を刺激してくれました。

 

■今学期の授業

今学期は以下の4つの授業を履修しています。もう一つ院生向けの授業の履修も当初は考えていましたが、自身の専門とかなり違う方向のものであったため、途中でdropしました。

 

ACE261 Applied Statistical Methods

先学期の授業の反省から、統計について今一度復習したいと思っていたため、この授業を履修しています。日本の授業はとにかく数式が先行する授業が多かったのですが、こちらはどちらかと言えば数字を使った具体例をこれでもかと提示し、学生の手を動かすことを大事にしているように思われます。

 

ACE310 Natural Resource Economics

私の専攻が「農業・資源経済学」にも関わらず、資源経済学についてしっかり学んだことがないので履修を決めました。その名の通り、森林・鉱物・漁獲などの資源について、それぞれの特徴およびどのように配分すればよいかを学びます。時間を通じた資源配分を考えるという点で、他の経済分析とは異なるようです。

 

ACE451 Agriculture in International Development

まさに自分の興味関心と合致した授業です。途上国の開発における農業の役割とは何か、というテーマのもと講義とディスカッションを行う授業です。農業経済を学ぶ一方で日本の農業にどこか閉塞感を感じていた頃、農業はどうも途上国開発に関係があるらしいということをたまたま履修したゼミで輪読した論文で学びました。そこから、自身の「農業と開発」というテーマに強い興味と関心を持ち始めたような気がします。

しかしこうした授業で学べば学ぶほど、実際途上国では何が起きているのかをこの目で見たくなってきます。後々にも述べますが、こうした開発に携わりたいという人間にとって、現場体験・現場感覚というものは必須のようです。

 

ECON471 Introduction to Applied Econometrics

先学期、授業にて開発経済の論文を読み込んだのですが、そのときに統計・計量経済のことについて理解が不足していると実感していました。2週に1度、大量のproblem setが宿題として課せられており、統計ソフトの前でにらめっこを続ける日々です。

 

■日本酒イベントの開催

2月20、21日と、現地の方向けの日本酒イベントを開催しました。私は日本にいたときに「学生日本酒協会」(https://www.facebook.com/Student.Sake.Association)という活動を行っていました。

そのため、「海外でもこうしたイベントができるといいなぁ」と留学を考えていたときにおぼろげ考えていました。それが今回このような形で実現し、感慨深いものがあります。日本酒という日本文化を、海外の方に伝え楽しんでもらうことが出来る、またとない機会だからです。

 

今回のイベントは2日間に渡り行われました。1日目は懐石料理と日本酒のコースを振る舞うディナー、2日目は立食形式で日本酒を振る舞いました。マグロをメインとした懐石料理に日本酒という、日本人ですらなかなかありつくことができない大変贅沢な会と相なりました。というのも今回、近畿大学で養殖されているマグロを取り扱う坂上さんと、CAFE OHZANの榎本さんと一緒に開催するご縁に恵まれたからです。JICのネットワーク、恐るべしです。

 

1日目のイベントは、日本酒の説明を私が担当し、料理の説明を同じ期の奨学生である吉川くんが担当しつつ進行しました。一応日本酒の基本的な部分については英語で説明できるよう準備はしていたのですが、味の表現方法は全くといっていいほど分からず、dryやsweetやfluityぐらいしか知らず苦労しました。事前に渡された日本酒リストの味の表現方法を見て、大変勉強になりました。

 

しかし頭で分かっているとはいえ、それを英語で即座に説明することはなかなか難しいもの。一番考えさせられた質問として、何が日本酒の価格を決めるのか、というものがありました。日本酒の価格は高いものもあれば安いものもある。その違いは何によって生み出されるのか、というものです。吟醸酒・大吟醸酒(日本酒の原料である米をより多く削ることによってより味がクリアに、香り高くなった日本酒のこと)ほど一般的に高くなるということは分かっていましたが、中には十四代や獺祭と言ったプレミアが付いてしまうような高いものも散見されます。これはどう説明できるのでしょうか。勉強不足ゆえ、上手く説明することができませんでした。

 

2日目のイベントは1日目と打って変わって、カジュアルな雰囲気の立食形式で行われました。参加者の数も20名だった前日に比べ60名程度と3倍近い数となり、日本館の中はかなり賑わいを見せていました。事前予約は開催のかなり前で打ち切られていたようです。懐石料理をつまむことができ、その上日本酒も飲むことができる。参加者の心をばっちり掴んでいたようです。

 

今回も私が日本酒の説明を行いつつの進行となりました。日本酒をサーブする間も、多くの質問をいただきました。例えば、前に出した日本酒との違いは何かというもの。これに対し、的確にコメントをするのは非常に難しいです。お酒のリストの中には私が飲んだことがないものもあり、事前に少し試飲をしたものの、それをどう英語で表現すればよいか言葉が浮かんできません。だいたいこんな感じかな~、と説明をするのですが、向こうにはあまり納得をもって受け入れられていない様子。そんなときの魔法の言葉が「感じ方は人によって違うので、あまり気にしないで」というものです。これ、非常に便利な言葉でどんな状況でも使えるのですが、はっきり言うと何も言っていないに近く、敗北同然です。その後、厨房に戻って携帯を開いて辞書を引いたのは内緒です。

 

と、そんなこんなで2日間にわたる日本酒イベントは無事終了しました。以下、イベントを通じて思ったことを。

 

とにかく説明が求められました。これに関しては、今回のイベント、日本酒に限りません。ルームメイトや友人にも、日本について、私の専攻について、そして自分自身の考えについて聞いてきます。それに関して最もショックだったのは、Thanksgiving breakの際ルームメイトのおばさんの家に居候させてもらったとき、その夫から「アベノミクスについてどう思うか」と問われたときです。なんとなーく経済問題については考えていたつもりですが、言葉に詰まります。金融政策がどうのこうの、財政、成長戦略がどうのと拙い英語で説明した後に、さて私の意見を述べるものの、ぐちゃぐちゃ。いや、参りました。己の勉強不足や、日頃からの情報への感度不足をこれほど悔いたことはありません。

 

逆に、同じく居候していたときにお酒について話をする機会があったのですが、そのときはスラスラと話をすることができる。日本酒について、そして日本酒が若者にとって相手を潰すツールとして使われていることについて、そしてそれに憤慨していることについて…。これは、もともと自分がそのトピックについて考えているからこそ話をすることができるのでしょう。

 

もちろん同じ日本人に対しても説明する機会はありますが、どこか文化的な面で暗黙的に了解できている部分もあるように思います。しかし海外の人にはそれが無いから、そこから説明しなければならない。すると口が追いついてこない。こういう状況に何度も陥るわけです。

 

彼らにしてみれば、私という窓口を通じて日本について知ろうとしているのですから、その私がヘロヘロだと日本に対するイメージはどうなってしまうのでしょうか。これは考え過ぎな部分もあるかもしれません。しかし、実際イリノイ大学はおろか、アメリカへ留学している日本人が相対的に少ないことを考えれば、まさに一人ひとり日本の窓口としての役割を担っているといっても過言ではないように思われます。

 

今回のイベントを通じ、物事について理解を深めようとする姿勢、それを説明できるようにする姿勢が重要であることを再確認しました。これは日本酒といった日本文化に限る話ではないでしょう。冷静に考え、自らの無知を自覚していれば明らかなことなのでしょうが、気づくのが遅いでよね。ああ、もっと勉強しないと。…話が日本酒イベントから少し飛躍してしまいました。

 

最後に、「日本酒のイベントがイリノイで出来るといいなぁ」というぼんやりとした野望がこうして実現できたことは、やはり感慨深いです。せっかくの留学の機会なのですから、学業であれ課外活動であれ何か一つ達成できた、というものがあるといいですよね。

 

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イベント中の様子。みなさんホントよく飲む。

 

 

 

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イベント終了後の記念撮影。

 

 

■春休み

春休みは最初シカゴに数日滞在したのち、首都・ワシントンDCに行っていました。今回ワシントンDCでの滞在は

・出発前にお話することができた、IMFに出向しているの大学の先輩とのお話

・将来国際機関で働きたい学生向けのキャリアフォーラム

という明確な目的があったため、出発前から非常に楽しみにしていました。しかし現地に到着してからは、

・主な博物館が無料

という事実に気づき、限られた日程で全てを堪能することは不可能でした。さらにワシントンDCは日本から桜を寄贈されていることで有名で、3月後半から4月初頭にかけて桜祭りが毎年行われています。アメリカにいながら春の薫りを楽しみたいという思惑は、滞在した一週間が時折雪が舞うほど非常に寒い時期と被ってしまったことにより裏切られました。もう一度いい時期にゆっくりと来ようと、ワシントンDCを去る時心に誓うのでした。

 

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ワシントン記念塔。中もエレベーターで登れるようですが、チケットは朝早くに全て配布が完了してしまっていたようです。

 

今回、IMFの先輩および世界銀行でのキャリアフォーラムのお話でひしひしと必要性を感じたのが「専門性」というものです。今回のフォーラムでは世界銀行の職員の方が主でしたが、世界銀行にかぎらず国際機関での採用は、「こういった人が欲しい!」とピンポイントで当てはまる人材が求められているようです。その要求に対し、自身の能力・専門性がどこまで組織に貢献できるかが問われるわけです。国際機関で働くってカッコイイという願望、働きたいという熱意も重要である一方、自身の専門性を武器に殴りこみにかかる気概がないと、まずやっていけないと。

 

国際機関に限らず、こちらに来て色々な人の話を聞いていると同じような話を耳にします。自分が今どの大学・会社に所属しているというよりかは、自分はこういったことができる、だから今こうしたことに取り組んでいるのだと。Thanksgiving breakでシアトルに居候していたとき、ルームメイトの叔父も同じようなことを言っていました。今まではどこどこに行きたい、やってみたいが先行してきたのだが、これからは世界に向かて勝負していく上では、自分だけが発揮できる価値が必要になってくると。これは、自分の中で考えていたようで、あまり考えていなかったことのように思います。もちろん「ここで働きたい、こういうことを成し遂げたい」という欲求を持ち続けることは大事なのでしょうが、あるときに「これをやりたい」から「これができる」が求められる転換点が訪れるのでしょう。いや、訪れるように力を蓄えなければならないのでしょう。

 

…ということを、職務経験もなく、学業成績もそんな大したことのない人間が言える資格は全くないのですが…。自分にできること・強みは何だろうか、またどういったことを自分のオリジナルの能力としていけばよいのだろうか。そういったことを考える今日このごろのようです。上記の内容は、あまり留学には関係ありませんでしたね。

 

しかし留学とは贅沢ですね。ああでもない、こうでもないとゆっくり物事を考えることができるのですから。そうした時間があとわずかというのは、やはり寂しいものです。残りの留学生活を有意義にするべく、一日一日過ごすのみです。

 

以上をもって、第3回目のレポートとさせていただきます。

 

小松尚太さんの2014年12月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。悠久の時の流れを感じながら、ここイリノイ大学で過ごすことができる幸せを噛みしめる日々です。何とかひと学期を終えることができ安堵しているところです。

以下、今学期履修した授業の総括、留学を通じ考える事、Thanksgiving breakの過ごし方についてご報告いたします。

 

■今学期の授業総括

今学期履修をしてみて、思ったことを。

 

・授業におけるディスカッションとは、自分の意見を何でも述べれば良いではなく、予習段階で読んだ課題文献に基づく慎重かつ的確な発言のことを指す。

欧米の大学では授業中でのディスカッションが重視されるということは、良く言われていることでしょう。ディスカッションとは何か。私の想像では、教授と学生が矢継ぎ早の如く対話することをイメージしていました。実際は、基本は教授のレクチャーが中心で、ところどころポイントとなるところでこれはどういうことか、と学生に質問を投げ、それに対して的確に答える。これがディスカッションのようです。そうした発言は、評価の対象となるだけでなく、自身の授業における存在感を示す上でも重要です。だから予習が必須なのです。特に発言することなくやる過ごすこともできますが、気まずいです。また予習に基づいていない的外れな発言をしてしまうと、それも気まずいです。存在意義を疑ってしまいます。後述のACE255ではこうした苦虫を噛む経験が何度もありました。もちろんこれは教授・講義形式・テーマによって異なるでしょうし、たまには答えが定まっていないオープンクエスチョンで自分はどう考えるかという質問もあります。ただ共通していたのは、ガツガツ発言するというよりは、どこか慎重さを漂わし言葉を選んでいるというものです。私の講義の中でのディスカッションの感覚はそうしたものでした。

ここから得られる教訓は、「予習は大事」という当たり前のことです。しかし、当たり前のことを頭で分かっているだけでなく実行できているか。我ながら耳が痛くなる問題提起です。

 

以下、各授業に関するコメントです。

 

ESL115: Principle of Writing

エッセー・論文の書き方を学び、実践する授業でした。書き方を学ぶことは、論文を的確に読むこと、わかりやすく話すこと・伝えることにも繋がります。論文をある程度読んでいくと、大体同じような形式に沿って全体・各パラグラフが書かれていることに気が付きます。それに基づいて、それを参考にして自身のライティング能力を高めることができます。ライティングのみならず英語全般について(もっというと日本語についても)良い影響があった授業のように思います。実際この授業で学んだことを他の授業のレポート課題に当てはめながら書くと、そこそこの評価をもらうことができました。

しかし後半になるにつれ少々尻切れトンボ感が強かったこと、最後のペーパーの課題の形式が私にとって書きづらいものだったこと、TA自身が授業に対して懐疑的だったことなど、改善点すべき点もちらほら。もっと言うと、ライティングを学べる授業は日本の大学でもあるはずです。留学に行かれる方は、留学の機会を最大限活かすためにも、前もって履修・学習されることをおすすめ致します。

授業を通じて再三強調されていたのは、剽窃(plagiarism)です。剽窃とは、他人の研究の成果を断りなく無断で使用することです。他人の研究について言及する際も、きちんと言い換えたり、引用符を正しく使用したりしなければ、それも剽窃とみなされます。”何とか細胞” でこの問題が一躍有名になったことでご存知かと思います。たかだかコピペぐらいいいではないかと日本ではその事件の主役を擁護する声もありました。しかし、研究者として剽窃は言語道断であり、すなわち免職となります。これは学生についても同様で、剽窃が認められれば、単位剥奪、ひどい場合は退学処分になるケースもあります。それほど重大な過失なのです。そうならないための引用のルールをしつこいほど学びました。正しくものを書くということは大変でありますな。

 

ACE251: World Food Economy

世界の食料経済について学ぶ授業であり、需要面、供給面、そしてそれらを総合し食料貿易について考察するという構成でした。7割ほどは既に知っていた内容だったので、復習をしつつより理解を深める意味で良い授業でした。しかしただ知っているだけでなくそれを(特に英語で)説明できること、学んだモデルで現実世界を分析できる能力こそ重要ですから、その点を意識しながら学習を進めました。

この授業を通じて改めて経済学の有用さと、経済学についてより理解を深める重要性を痛感しました。この授業では、ミクロ経済を学んだ人ならご存知であろう「余剰分析」をメインに貿易の効果についての考察が進みました。留学前に学んだミクロ経済学の講義で、TPPについて日本のコメ農家がどうなるかを余剰分析したシーンがあり、その時の感動を思い出しました。シンプルで直感的で、統一的に現実を(ある程度)説明できるその美しさ。経済学の基礎的な部分についても今一度理解を深め、きちんと使えるようにならなければなと思った次第です。再三強調しますが、分かっているからといって、それについて分かりやすく説明できる・分析できるとは限りません。英語だと尚更、ですね。

 

そういえば、日本の農家といえば、試験問題の中に、

If Japan removes its import tariff on rice,

  1. Japanese farmers will hardly be affected.
  2. many Japanese farmers will no longer be able to produce rice.
  3. the job losses will not be significant because agriculture represents a small portion of Japan’s GDP.
  4. many Japanese citizens will be unhappy because the majority of the country opposes the recently proposed free trade agreement.

 

という問題があり、試験ではbが正解となっていました。やはりそのように見られているとは、面白いですね。

 

高関税により(特にコメ)農家が保護され、その分は消費者に転嫁される。

→日本の消費者は生活水準が高く、エンゲルの法則により全出費のうち食料品の占める割合が縮小している。そのためこの転嫁に気づきにくく、保護政策の撤廃に進みにくい。

→しかし自由貿易が行われることで日本産とほぼ同品質の安い農作物が入り、効率の悪い農家は淘汰される。

→逆に消費者は安くなった食料品により大きな恩恵を受ける。

 

…というのがこの授業での帰結ですが、はてさて、どう思われますでしょうか。

 

ACE255: Economics of U.S. Rural Poverty and Development

今学期の授業の中で一番胃の痛くなる授業でした。アメリカのSafety Netについてのディベートがありましたが、なんたる拷問か。ディベートは準備が肝心ですが、例え準備が十分であっても、相手の要点を抑え、それを踏まえて反駁することの難しさといったら。満足に聞き取ることもままならず、自分が担当する主張をするのみで、ほぼ何もできませんでした。最後は「旅の恥はかき捨て」と開き直りましたが、それでも悔しいですよね。精進します。

この授業ではアメリカの貧困問題に焦点を当て、様々なトピックをカバーしました。貧困の測定方法に始まり、失業、文化的側面からみた貧困、子供の貧困、教育、社会保障制度などなど。アメリカの貧困の側面を垣間見ることができたと同時に、果たして日本ではどうだろうかという疑問も駆り立てられました。これは冬休みの宿題となりそうです。

この授業は毎回のリーディング課題、学期中4回のレポート提出、アメリカのある郡の貧困状況について調べるCounty Profile、ディベート、ディスカッション重視、中間試験3回と期末試験1回と、いかにも課題が多いと言われているアメリカの授業っぽい形式でした。担当教授が授業に強制的にでもしっかり取り組んでもらおうと工夫しているのが伺える授業でした。期末試験一発勝負が多い日本に比べ、少しずつ学習を進めやすい一方、一度遅れをとるとなかなか追い付くのも大変です。

 

ECON450: Development Economics

自身の興味が、農業を通じた低所得国の経済開発に移りつつあったので、この授業を履修しました。

開発経済の理論について概観するというよりは、サブサハラ・アフリカに焦点を絞り様々なトピックをケーススタディ形式で紹介する形でした。サブサハラ・アフリカに対して様々な援助が行われる中、果たしてどれが効果的なのか。今開発経済でかなり主流となっている「ランダム化比較実験」を含め、援助の効果を測定する手法および実例を学びます。援助はどのような形であれ役に立つのだから何をやってもよいではないかという主張もあります。しかしそれに割ける資源は限られており、援助政策の中で最も効果的なものに注力することが人々の生活水準の向上の近道となると考えるのが、経済学のスタンスのようです。

興味深い授業でしたが、一つ重大なミスが。期末試験の日、試験を受けようと会場に足を運んだのですが、誰もいません。日程をよく確認すると、試験はその前の日にすでに行われていたのです。結局、小テストと中間テスト2回分で成績が付けられることとなってしまいました。他の科目に比べ注意を払って準備をしていただけに、残念でなりません。嗚呼、無念。来学期は気をつけます。

 

 

■どうでもよいことを考える日々

こちらに来て他愛もないことをよく考えます。

留学を通じて自分は成長しているのだろうか、英語は上達しているのだろうか。自分の専門についての知識・理解は深まっているのか。そういえば、何故留学したいと思ったのだろうか。帰国は5月になるが、就職はどうなるのか、どうしようか。いや、経済についての勉強が足りないから、院に進学しようか。いやいや、さすがにもう働きたい。そしたら何をして働こうか。将来自分は何を成し遂げたいのだろうか。自分の好きなことをすればよい?それがよく分からないからネチネチ考えているのだ。そんなものは働き始めてみないとわからないものなのだろうか…。いやいやいや、留学を終えた後のことについて逡巡する前に、今は目の前の勉強・留学に集中すべきだろう。そして勉強していると己の勉強不足を痛感し、やはりこの学問について少しでもいいから究めてみたいと思い…などなど。ルームメイトや友人と色々な話をしていると、ますますこうした思索の迷宮に入り込んでしまいます。私は比較的まったりとした留学ライフを送っていますが、心の中はそれほどまったりとはしていないのかもしれません。時にはモチベーションが下がることもあります。その時は思いっきりぼーっとしたり、あるいは留学の志望動機を読み返して発奮したり、中島敦『山月記』を読み返して自身の「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」を戒めたり。

こうしたどうでもいいこと、どうにもならないことについて、雑音が少ない留学という環境の中で云々と考えられるのも、醍醐味なのかもしれません。

 

…という多愛の無いことを考えながら、「やはり今日一日を平穏に過ごそう」と決意するのです。

 

■おまけ(Thanksgiving breakの過ごし方とその写真)

11月の下旬、Thanksgiving breakという休暇が1週間ほどあります。何をしようか色々考えましたが、今回はルームメイトの叔母の住むシアトル(正確にはシアトルから車で1時間ほど南にあるタコマ)に居候させてもらうことにしました。

シアトルで何をしようかと出発する前は色々考えましたが、そんな考えは吹き飛びました。子どもたちが…かわいい。一日中臨時のベビーシッターとして彼女たちと遊んでいると、あっという間に時間は過ぎ去りました。とはいえせっかくシアトルの近くに来たので、子どもたちと遊びたい衝動を抑え、渋々シアトル観光にも行ってまいりました。留学を放棄しベビーシッターとして住み込む選択肢もありましたが、その夢叶わず、泣く泣くイリノイに戻り期末試験に備えることとなりました。

第二回写真1

ホームステイ先にて。Thanksgiving dayにターキーをいただくのがアメリカでは習わしとなっているようです。皮の照りが美しいですね。約5時間かけて焼くようです。

第二回写真2

右がルームメイト、中央がその叔母、左がベビーシッター。

第三回写真3

この子たちと遊んでばかりいました。Thanksgiving breakの写真ばかりなのは、学期中写真を撮るのを忘れていたから、というのは秘密です。

 

 

以上、駄文雑文となりましたが、イリノイの地で無事過ごしていることをご報告させていただきます。残りの留学生活、支えていただいている幸せを噛み締め、有意義なものにするべく精進いたします。

小松尚太さんの2014年9月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学生第39期の小松尚太です。留学を開始して1ヶ月過ぎてのレポート執筆です。個人的にはこの1ヶ月は非常に長く感じられました。ここでの生活に慣れることに四苦八苦していたからか、イリノイの時間の流れが遅いのか、その理由は明らかではありません。ただその一方で、この貴重な機会を十二分に活かさねばならないと、少し焦っていることも事実です。このレポートを書く過程で、無為に過ごしてしまった日々が思い起こされ、なんともやるせない気持ちになったりもしています。私のレポートは、皆様が期待するような華々しく輝かしい内容には程遠く、淡々したトーンで進むかと思いますが、将来の奨学生の参考に少しでもなればと思い、素直に書き表すことにします。

 

■なぜ留学を決意したか

大学では主に農業経済学・開発経済学を学んでおります。農業経済が強いイリノイ大学で自身の専攻について学びを深めつつ、多様なバックグラウンドを持った学生と議論をすることで自分自身の考えを相対化したいと考え、今回小山八郎記念奨学生に応募しました。幸運にも奨学生として留学に行く機会を頂き大変嬉しく思うと同時に、この貴重な機会を有意義なものにせねばと背筋が伸びる思いでもおります。また大学での学びとは別に、学生に対して日本酒の啓蒙活動を行っています。日本文化発信の一環として、その素晴らしさをアメリカの地で伝えることができればと思います。

 

以上が「きれいな」留学志望動機ですが、私が留学に行きたいと考えた理由の根底には、別の思いがあります。

 

私が通う東京大学では「よりグローバルに、よりタフに」という方針を打ち立てていますが、先進的な学生はそのスローガンに関係なく、時代の先を進んでいます。学問をただひたすらに究め、社会問題に対し鋭い眼差しを投げかける学生、大学の卒業生と共に研鑽し自身のキャリアに苦悩する学生、東日本大震災の復興支援として大学生を毎週東北に送り出すプログラムを運営する学生。そうした例を沢山身近で見てきた私には劣等感が募るばかりでした。大学受験まではレールに沿って生きていけば良かったものの、大学に入った途端自由度が飛躍的に上がり、それが逆に自分を苦しめることにもなりました。悩み・劣等感が爆発し、途中大学にも行かなくなり、周囲とも音信不通になった時期もありました。

 

その悩みをある大学の卒業生に打ち明けたとき、答えは「とりあえず動け」というものでした。自分自身の哲学・理念に沿って行動している人の言葉には得も言えぬ重みがあり、シンプルなアドバイスが私には深く突き刺さりました。動かないで後悔するよりも、動いて後悔をしたい。その時ふと頭に「留学」の二文字が浮かびました。大学に入ってから留学に行くつもりは全く無かった私に、この二文字が浮かんだことは驚きでした。留学が決定した今でも、なぜ留学に行くのかと聞かれた時は「直感」としか言いようがありません。しかし自分自身について悩みに悩んだ結果辿り着いた「留学」という解に、私は沸々と思いをたぎらせ、猛烈な勢いで準備を始めました。イリノイ大学では農業経済の研究が進んでいるという事実も知り、自らの専攻についての学びを深める可能性も広がりました。「ただ留学に行きたい」という愚直な思いを起点に、少しずつですが、歯車が回り始めたのです。

 

とはいえその歯車はまだ回り始めたばかりであり、不安定でもあります。そうした脆く不確実性に満ちた私の将来に投資して頂いたJICのプログラムには感謝してもし切れませんし、同時に背筋が伸びる思いでもあります。だからこそ私には、劣等感多き学生であっても留学は行くことができるし、行くべきでもあることを、今回の留学で示す必要があり、かつ留学を終えてからも伝える必要があります。それが、JICの皆様はもちろん、家族、そして大学に入ってから数多く迷惑をかけながらも温かく支えてくれた先輩・同級生・後輩への恩返しに繋がるものと信じています。

 

以上が、今回私が留学を決意した理由です。

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こういう食べ物も、1週間すれば飽きます。写真も撮らなくなります。

 

 

■イリノイ到着から学期開始まで

そうしたなんとも暑苦しく重々しい決意を胸に、2014年8月18日にO’Hare International Airportに到着しました。耳に入るものが全て英語。目にするものも全て英語。特に、出口の看板が全て「EXIT」と英語で表記されているのを見て、「とうとうアメリカに来てしまったようだ」としみじみ実感したことを覚えています。アメリカには過去2度旅行として来たことがありますが、今回は留学という長い道のりを見据えての到着だったため、得も言えぬ感覚に襲われたのかもしれません。以前ニューヨークに行ったとき、マクドナルドで恥ずかしくもボディーランゲージでしか注文できませんでした。そのリベンジを空港のマクドナルドで果たし、それっぽく注文することに成功します。こうした小さなことに、ちょっとした喜びを感じていたことは内緒です。空港からはPeoria Charter Coach Companyという会社のバスを利用し、大学に向かいました。バス内ではほとんど爆睡していましたが、途中起きて向かう途中に窓を見てみると、見渡す限りのトウモロコシ畑が広がっていました。地元の人にとってこの風景は飽きるほど見ているため新鮮味はないようですが、日本というゴミゴミとした世界から来た人間の目には、その広大さが幻想的に映るものです。

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大学のど真ん中にある試験用農場。試験用の農場としては世界最古らしいです。

 

それから学期が始まるまで、身辺の準備を進めました。ショッキングだったことは、銀行を開設するときに銀行員の規約についての説明が全く聞き取れなかったこと。この世の言語とは思えないスピードで放たれるその言の葉は、全く意味を持つものとして私の耳に届いて来ませんでした。他にも、ショッピングモールで「うちのスーパーのカードを持っているか」や、「ビニール袋はいるか」といった店員のちょっとした言葉が全く耳に入りません。1ヶ月経った今でも、文脈やジェスチャーをもとになんとか反応しているのが正直なところです。自身の英語耳の鍛錬不足を心の中で嘆く毎日です。

他にも自身に絶望したシーンがあります。ルームメイトとの会話です。ルームメイトはブラジルからのvisiting studentで、1年半英語とcomputer engineeringを学ぶようです。お互い英語に苦労しながらも高め合っている日々ですが、ある日彼が「将来何をしたいか」という問を投げてきました。日本でも同様なことは考えてきたつもりですが、言葉に出すことができません。喉に手を突っ込まれたように、文字通り言葉に詰まったのです。崖の上から突き落とされた感覚でした。自身はこれまで大学で何を学び、何を考えてきたのか。英語ができないという理由のみならず、ただ単に何も考えてなかったということ、すなわちこれまで私は将来について考えてきた「つもり」でしかなかったということではないか。その日以来、「将来何をしたいか」というシンプルかつ深淵な問いに、日本に戻る時どう答えることができるのかが、留学におけるテーマの1つとなりました。

これ以外にも語学面で苦労している場面は数えきれず、自身の脳が腐敗していることを信じてやみません。しかしこれに関しては日々の小さな努力を積み重ねること、勇気を持って英語を使い続けることの他ないと感じています。英語力の拙さを嘆くこと・言い訳にすることは、このレポートのこの部分をもって最後とします。

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Japan Houseにて行われた、千葉清藍氏による書道イベントの様子。

 

■履修について

イリノイでの私の学習テーマは「途上国開発で農業の果たす役割について、理解を深めること」です。農業は途上国経済において、食料生産のみならず雇用の場としても重要な役割を果たし、経済を支えています。農業が経済発展にどのような経路で貢献するか、なぜ農業開発の進んでいない国が存在するのかなど、研究課題は山積しています。そうした観点から学習を進めます。より具体的なステップとしては、日本に帰った後に書く卒業論文を書くために必要な基礎知識、統計的手法を学び復習し、卒業論文のリサーチクエスチョンを明確にすることを、今回の留学の最終到達点として設定します。

 

以下は今学期の履修科目についてご紹介します。

 

ECON450:Development Economics

アフリカに焦点を当てた、エイズ・貧困・農業開発・紛争といった開発問題についての講義です。大量のリーディング課題、教授と学生のディスカッション重視の授業と、いかにもアメリカっぽい授業です。教授が研究している分野が私の関心と近く、またそれについての講義も後半なされることから、今後の展開が非常に楽しみな授業です。

 

ACE251:World Food Economy

その授業名の通り、世界の食料事情について学んでいます。日本でも同様なことを学んでおり、この講義に最初はあまり期待をしていませんでした。しかし、基本的な定義を忘れていたり、統計データに触れる機会がこれまで少なかったりと、農業経済を学ぶ者にとって最低限必要な知識を押さえる上で非常に有意義な授業へと変貌しました。頻繁に行われる抜き打ちテスト、食料安全保障についてのグループワーク、Extra Credit獲得のための宿題など、隙がありません。現地の学生は面白くなさそうに授業に臨んでいるようですが、基礎をもう一度確認したい・英語を修得したい私にとっては一石二鳥の講義です。

 

ACE255:Economics of U.S. Rural Poverty and Development

アメリカの貧困問題、地方の開発問題について学ぶ授業です。農業経済・開発経済を学ぶと「貧困」というワードが頻出します。その貧困について理解を深めようと、この授業の履修を決めました。モデルを用いた分析というよりは、事例研究の色が強いです。アメリカの地方は農業が主産業ですが、その農業が国際競争力を失っているという話は、私にとっては意外でした。こちらも毎回のリーディング、授業への積極的な参加、学期中4回の試験とレポートの提出、さらにはディベートなど盛りだくさんであり、この授業がある火曜日と木曜日は気が重いです。

 

ESL115:Principle of Academic Writing

英語のライティングについて体系的に学んだことがなかったので履修しました。英語の文章構造は非常にクリアであり、作法を学ぶことは英語を読む上でも役に立っています。つまらなそうに受けている学生もちらほら見受けられますが、要は態度の問題なのだと思います。ここからどのような学びを得ることができるか。英語習得も含め、考え方次第ではどんなにつまらない講義も有意義なものになるものと信じています(この授業がつまらないという意味ではありませんので、あしからず)。

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少しぼやけていますが、右がいつも通っている農学部図書館。左に見えるのが時計塔。

 

■今後に向けて

1ヶ月イリノイの地で過ごして生活に慣れてきた時期です。しかし冒頭にも書いたように、この1ヶ月を最大限有効に使い自身の糧とすることができたか、と言われると、まだまだのようです。ご覧の通り履修している授業の数は全く多くありませんが、授業の内容はもちろん、それ以外についても図書館に籠り文献に立ち向かう毎日です。しかし情けないかな、怠惰な性格が顔をのぞかせることもあることも事実です。こうした気分転換とは言えない日をいかに減らしていくかが今後の課題でしょう。

 

…何やら悲壮感が漂う締めとなりましたが、「あれやってます、これやってます」と取り繕うよりは、留学の日々で何を思っているかを素直に綴る方が、私にとっても、このレポートを参考にしてくれる(かもしれない)方にとっても有意義と考えます。あと7ヶ月、この贅沢な機会を日々噛み締めながら、ここイリノイの地で過ごして参ります