【奨学生レポート第4回】
田中洋子
皆さんこんにちは。5月半ばに留学生活を終え、無事日本に帰ってまいりました。最後の奨学生レポートとなる今回は、春学期に履修していた授業の報告と、留学生活全体の振り返りを書かせていただきたいと思います。
<授業振り返り>
○CMN 368 Sexual Communication
ひょんなことから取ることになった授業でしたが、非常に中身が濃く、学ぶことが多い授業でした。履修登録をした時は、科目名のユニークさに日本では履修出来なさそうな授業だと興味をそそられた部分が大きく、授業内容を詳細に把握していたわけではなかったのですが、コミュニケーションというものを軸にカバーされるトピックは想像以上に広く、期待以上の内容でした。授業後半で特に関心を持って勉強したのが性教育について。Sexual Communication の授業が教育に結びつくとは思っていなかったので、嬉しい誤算でした。アメリカでは州の権限が強力であるため、性教育の方針も州ごとに大きく異なります。性に関することは最小限しか教えず、ひたすら婚前性交渉の禁止を刷り込む州がある一方で、性に関する事柄も人間生活の正常な一部としてオープンに教え、避妊方法の選択肢やパートナーとのコミュニケーションの取り方など包括的な内容の性教育を実施する州もあります。教育に関心があるとはいえ、それまで性教育という分野にはほとんど目を向けておらず、この授業をきっかけにその重要性に気付き、関心が深まったのは非常に有意義なことだったと思います。今後は日本における性教育の現状や問題点、議論などについても学んでいきたいと考えています。
授業後半でもう一つ印象に残っているのは前回のレポートでも触れた性に関する専門家になりきって誰かの相談に回答するという形式のレポート執筆です。私に与えられたテーマはflirting。辞書を見てもあまりしっくりくる訳が見つからずなかなか説明しづらいのですが、本格的な恋愛関係に発展する前の段階の男女間のコミュニケーションとでもいいましょうか(ナンパはこのflirtingの一例だと言えます)。テーマがテーマだけに信頼性のある学術的な情報を厳選するのが難しく、また主観を排除して回答を練り上げていくのは骨の折れる作業でしたが、最終的には納得のいくものが書きあげられ、評価も満点をいただくことが出来ました(いくらなんでも評価が甘すぎると思いましたが・・。何年か続いているこの授業でもこのレポート出題は初めての試みだったそうで、まだ勝手がわからず全員に甘い評価がなされたものと思われます)。この課題を通して感じたのは、TAの存在の大きさです。ちゃんとレポートを書けるか大きな不安を抱えていた私は、オフィスアワーを積極的に利用してTAの方によく相談をさせていただいており、これが本当に大きな支えになりました。レポート以外にも、試験の振り返りを一緒にしていただいたり、授業後の質問に対応してくださったり、懇切丁寧に対応していただきました。私の担当だった人はTAの中でも特に優れた人だったのだと思いますが、日本で通っている大学ではTA制度が定着しておらず、教授一人対学生何百人で学習上のサポートは基本的に無しという状態なので、学生の自立が求められているというような見方も可能かとは思いますが、イリノイ大学のような体制を取り入れてみるのも良い方策なのではないかと感じました。
○MACS100 Intro to Popular TV and Movies
前半は映画について学びましたが、後半はテレビについて学びました。映画編で使用されていた教科書と比べるとテレビ編の教科書は内容が高度で、また映画と比べてアメリカのテレビ番組にはなじみが薄かったので、授業についていくのが少々大変でした。毎週火曜日の夜には上映会があるのですが、ドラマを観ていても、ほかの学生がなぜ今笑ったのかが理解できず後でアメリカの友人に説明してもらったりすることもしばしばで、その国で育っていないと獲得が難しい社会的・文化的背景というものの存在をあらためて実感したりしていました。英語を勉強するだけがコミュニケーション能力の向上につながるわけではないのですね。
春休み後はグループ課題の短編映画撮影も頑張りました。班によってはメンバーが協力的ではなく問題が起こったりもしていたようなのですが、私の班は全員責任感があり、仕事もうまく分担しながら作業を進めることが出来ました。課題は、ステレオタイプを覆すような内容の3分程度の映画の制作。私たちは、男女に対する偏見とアスリートに対する偏見の双方に焦点を当てようと、女の子らしいと一般的にされている趣味を持つ男子バスケットボール部のエースを主人公とした作品を作りました。テイラー・スウィフトを好んで聴き、スタバでは流行りのパンプキン・モカとピンクのドーナツを注文、彼女との家デートでは「君に読む物語」や「ミーン・ガールズ」などのいわゆる chick flick と呼ばれる女性向けの映画を観ようと言い出す、実は運動能力ではなく学力を評価され奨学金を授与されたバスケットボール選手。素人感満載の作品でしたが、みんなでアイディアを出し合いながら映画を撮るのは楽しかったですし、自分もちょこっとだけ出演出来て嬉しかったです。期末試験最終日に全作品がリンカーン・ホールという大きな教室で上映され、私も数学が苦手なアジア人学生として(これは現実の私そのままなのですが、アメリカではアジア人は数学が得意であるというステレオタイプが存在するので、ステレオタイプを覆すという課題に対して一定の意味を持った役柄です)スクリーン・デビューを果たしました(出演時間約10秒)。
*写真1:よく足を運んでいたフローズンヨーグルト屋さんです。イリノイ最後の晩も食べに行きました。私のおすすめメニューはパイナップルアイスクリーム+マンゴーです。
○MACS262 Survey of World Cinema
後半一番力を入れたのは、1965~1995年に公開された映画をどれか一つ選び、それがどのように宣伝されたかを分析するというレポートです。人と被りそうになく、実際に自分も好きで、かつそれなりの量の資料が見つかりそうな映画ということで最終的に選んだのが、1968年に公開された”Yellow Submarine” です。アニメ映画を選ぶのは面白い試みに思えましたし、ほとんど映画の制作には関わっていないビートルズ(4人の声はほかの声優によって演じられました)が映画の宣伝の上で非常に大きな働きをしたという点が、ほかの映画にはなかなか見られない特異な点であり、そこに光を当てて分析をすれば教授の目にも留まるのではないかと考えたのです。
今回のレポートで難しかったのは、当時の資料を使わなければならないという点です。ネットでYellow Submarine と検索すれば、多くの批評や記事が出てきますが、それらはほとんど最近になってから書かれたもので、資料としては使用できません。いくら有名な作品であるからと言って、レポートを書くのに最適な内容がまとまったような本が都合よく存在するということもなく、図書館の新聞・雑誌記事のデータベースを利用して、デジタル化された過去の記事を遡るほか、デジタル資料が存在しない場合は、実際に図書館に出向き、記事の目録から書庫にある縮刷版にあたるという地道な作業もおこないました。昔の学生はこれが当たり前だったわけですが、ネット世代の私はこうした調べものをした経験が乏しかったため、今回とても良い勉強になりました。また、図書館学の教授でもある司書の方が非常に親切で、学生の勉強を支える人的リソースの充実にここでも感動しました。ちなみにこの教授は私が以前日本映画上映会のために「ウォーターボーイズ」の購入を図書館に希望した際に対応してくださった方なのですが、なんと私が名前を告げると「あの時の学生さんかな?」と覚えていてくださり、日本映画の話でしばし盛り上がるという嬉しい出来事もありました。
*写真2: Krannert Center for the Performing Arts へ“Into the Woods” というミュージカルを観に行った時の写真です。学生なら格安料金で良質な芸術作品が楽しめます。非常に立派な作りの大規模演劇施設で、ぜひ一度訪れてみることをおすすめします。
○MACS464 Film Festivals
おそらく私が今学期一番力を注いだ授業だと思います。春休みが終わるといよいよ映画祭本番まで1か月ほどとなり、週1回授業時間内に割り当てられている作業日だけではとてもやるべきこと全ては片付かず、ほぼ毎日映画祭関連の仕事をしていました。深夜に迅速に判断を下さなければならない議題が浮上し、夜中まで100通を超えるメールのやり取りがあったことも・・・。あくまで履修している授業の一つにすぎないのだからどこかで線引きはしてほかのことが犠牲にならないようにしなければならないとは思いつつ、常にメールを確認しておかないと「チームに貢献していない」と批判されそうで、なかなか苦しかったです。もう少しコミュニケーションの取り方に関しては改善の余地があったように思います。ほかにも、ほかのメンバーに意見を言わせる隙を与えずどんどんと話を進めてしまうリーダーや、自分から仕事を探すことをせず授業にもたまにしか来ないメンバー、重要事項を抱えているのにもかかわらず締め切りを把握していない人など、私が所属していたプログラム班はメンバーが「多彩」でした(かくいう私も、反省すべき点は多々あったと思います)。5人中4人留学生というメンバー構成も、残りの1人にとってはあまり快適ではなかったかもしれません。応募されてきた作品があるメンバーのミスでリストから抜け落ちていたことが選考の途中で判明したり、受賞作品が審査員との連絡に問題があり当日の朝まで決まっていなかったり、私たちの班では常に何か問題が起きていて正直ほかの班にしておけばよかったかもしれない、なんて考えが頭をかすめたこともありましたが、そんなこと今さら考えたところで仕方がないし、途中で抜けたりしたら大迷惑だから絶対にそれだけはすべきではないと、何とか最後まで頑張りました。
作業を進める中で気付いたのは、自分は割と裏方が向いているのではないかということです。何十本もある応募作品の細かいデータをまとめたり、パネルディスカッションの原稿作りをしたり、名札のスペルチェックをしたり、地味な仕事にはリーダーが「誰かやりたい人?」と尋ねても進んで手を挙げる人はいません。やはり、有名なゲストスピーカーとの連絡窓口になったり、司会をしたりという仕事の方が人気があります。でも私は、誰もやりたくない仕事をすれば班に貢献出来る良い機会だと捉えて、積極的にそういった仕事を引き受けていました。全ての作業を授業内でやっていない以上、裏方の仕事ばかりやっていれば先生の目に留まりづらく、打算的に考えれば授業評価の上では多少不利になる気もします。ある程度自分の貢献をアピールするのも必要な能力でしょう(クラスのほかの人たちは良い意味でこうした能力に長けているように感じました)。しかし、班に貢献するチャンスだから、逆に言えばそれくらいしか貢献出来そうなことがないという自信の無さの表れの結果だったとしても、そういう不利な面をあまり気にせず、自分がやっていることが全体に良い結果をもたらすのであれば満足と思える性格であるらしいことが分かりました。チームで何かする時、重要なのは自分がどのような役割を果たせばチームとしての成果が最大化されるということを見極めるということだと思います。そのためにはまず、自分の適性を知る必要があります。その意味で、今回ある種自分の適性らしきものに気付けたのは一つ収穫だったように思います。
広報活動が十分とは言えない状態で迎えた本番でしたが、予想以上に多くの人が足を運んでくれ、また特にトラブルが起きることもなく、良い映画祭になりました。演劇関係者の労働組合のシカゴ支部代表の女優さんがパネルディスカッションに参加してくださったり、以前授業でお話ししていただいたこともある映画監督のカンヌ出展作品を特別上映が実現したり、当初の予想をはるかに上回る豪華さでした。本当に小規模な映画祭でしたが、参加してくれた学生にとっては自分の作品を上映し、またほかの学生監督と交流する貴重な機会となったようで、「参加してよかった」と皆さん口をそろえて言ってくれました。途中で抜けたり、手を抜いたりしていたら味わえなかった達成感。最後の日に、やはりこの授業を取ってみてよかったと思えました。
Illinifest のホームページはこちらから→http://illinifest.illinois.edu/
*写真3: 映画祭スタッフのTシャツを作りました。
<留学生活全体の振り返り>
今レポートを書いている時点で、帰国してちょうど4週間が経ちました。私は帰国後すぐに大学の授業に戻り、期末試験に向けて休んでいた授業の遅れを取り戻さなければならないこともありかなり忙しく、帰ってきてからあまりゆっくりと自分と向き合う時間が取れていないのですが、このままきちんと留学生活を振り返らずにいたら、残るものも残らなくなってしまいますし、ここで一度振り返りをしてみたいと思います。
帰国してから、「留学どうだった?」と頻繁に聞かれるのですが、これがなかなか簡単に答えられる質問ではありません。なにしろ、9ヶ月もアメリカで暮らしていたのです。本当にいろいろなことがあり、それを一言にまとめるのは不可能です。「楽しかったよ!」と言うのも、もちろん楽しいことはたくさんありましたがそれだけではなかったですし、よくある「価値観が変わりました」という答えも自分にはちょっと嘘っぽく(正直なところ、自分の根本的な部分はそうそう簡単にひっくり返るものではないと思います)、結局「う~ん、いろいろあってなんて言ったらいいか・・・」と曖昧な答えになってしまいます。
今、あらためてその問いに考えを巡らせてふと浮かんできたのが、「人生に対する度胸がついた」という答え。ちょっと大げさな響きがしますが、私が留学先で何を学んだか、またそれによってどう変わったかを語る上でなかなか良い要約であるような気がします。
留学を決心する前の私は、自分の性格をマイペースだと言いながら、一定の枠を越えることを躊躇していました。より具体的には、留学への興味は抱きつつ、大学を休学するという大多数の人とは異なる選択をすることに対して、今思えば必要以上の不安を感じていたのです。それでも、「やった後悔よりやらなかった後悔の方が大きい」という言葉が頭を離れず、応募してみた当奨学金。幸いなことに合格にしていただき、その貴重な切符を手に飛び込んでみたイリノイ大学での生活では、これまでのレポートでも報告してきたように、多くの学びがあり、貴重な体験もあり、そして本当にたくさんの素敵な人たちとの出会いに恵まれました。もしあの時、大多数の人とは違った道を選ぶことを否定していたら・・・。もしもタイムマシンがあったら、悩んでいた頃の私の元へ飛んで行って、「興味があるなら挑戦しなさい!ほかの人のことなんて気にする必要ない!」と説得しに行くでしょう。
日本の大学にもいろいろな人はいますが、さすがは世界中から学生を惹きつけるアメリカの大学というだけあって、イリノイ大学には実に様々な経歴の人がいました。一度働いてから戻ってきている人も普通に見かけましたし、専攻を変えて4年以上かけて学部を卒業することも大して珍しくありません。将来どこの国で働くか決めていないという人と話した時は、「こんな自由な感じでいいんだ」となんだか感心してしまいました。日本人の方にも何人かお会いしましたが、皆さん挑戦する意欲が強い。私だったら異国の大学で博士号を取ろうなんて人生を賭けるようで怖いなと思ってしまう、と話しても、「でも、自分のやりたいことだから」。リスクを取る責任は覚悟しなければならないけれど、別に周囲と違う道を進んでも問題はないし、そういう生き方の方が楽しそうだ、決められたルート通りに行かなければという強迫観念を捨てれば、これからの人生で何か予期せぬことやちょっとした遅れが生じても焦らずに済みそうだ、そんな気付きを得ることが出来ました。
恥をかくことへの抵抗感の薄れというのも、留学を通して得られた成長だったと思います。いくら頑張って英語を勉強しても、やはりネイティブスピーカーのように話すのは難しく、留学当初は訛りのある英語で発言することをとても恥ずかしく感じており、そのせいで発言が消極的になってしまうこともありました。何か発言しても、クラスの人たちが私の発言内容を理解してくれたか、変な外国人がしゃべっているなどと思われていないか、など必要以上に考えを巡らせて落ち込んだりもしていました。でも実際のところ、彼らは私の英語のことなんてほとんど気にしていないと思います。その場では少し聞きづらいと感じたとしても、晩ごはんを食べる頃にはそんなこと頭から消え去っています。100点満点ではいかなくて当たり前、そしてそれをいちいち気にする必要もないと悟った時、すっと気持ちが楽になり、どうせならどんどん壁にぶつかっていこうと思えるようになりました。今後何かに挑戦して恥ずかしい思いをしても、「留学先でさんざん恥はかいたし、こんなの慣れたもの。挑戦してみただけえらい」くらいの心持でいられたなと思います。
ただ、難しいのは開き直って向上心を失ってしまうこととの線引きです。全てうまくはいかないことが想定の範囲内であっても、少しでもうまく出来るように成長するための努力は怠るべきではありません。あくまで、建設的な失敗をずるずる引きずる必要はないということです。
チャンスは手を伸ばせば思っている以上に与えられるものだというのも一つ大きな学びでした。留学前は、転がってきたチャンスは逃さないようにという考えだったのですが、別にチャンスがやってくるのを必ずしも待つ必要はなく、自分から探しに行くことも出来るということに気付いたのです。留学中に経験したインターンや企業訪問、勉強会企画などは元々何か募集がかかっていたわけではなく、まずは連絡先を調べるところから始めて最終的に実現に至ったものです。もちろん、全ての場合でうまくいくわけではなく、むしろ期待通りには事が運ばないことの方が多かったですが、それでも最初からどうせだめだろうと諦めるのではなくとりあえず声を上げてみると、案外大きなことへと発展していくこともあるのです。既存の選択肢からやりたいことを選んだり、解決策を探したりするのではなく、自ら新たな選択肢を作ることも出来る、このような考え方が身に着いたのは自分にとって大きな成長でした。
自分が決心したなら一般的な道を外れてもいいし、恥をかいたりしてもいちいち気にしない、チャンスは自分から作り出すことも可能―実際はここまでパワフルな精神力を身に着けられているか分からないのですが、「人生に対する度胸がついた」というのはいわばこういう考え方が内面化された(されつつある)ということです。
最後にあらためまして、今回私に留学の機会を与えてくださり、また私を支えてくださった全ての方に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
*写真4: 広々とした芝生。晴れている日は友達とフリスビーで遊んだり、お昼寝をしたりしました。写真の右側には、卒業を控えた4年生が記念撮影をしている様子が写っています。