喬博軒さんの2016年7月分奨学生レポート

留学を終えて約一月半が過ぎました。本稿がこのJICホームページに載る奨学生として最後のレポートだと思うと、感慨深く、そして感謝の念に浸る思いです。この「かけがえのない」という言葉では足りないくらい輝きに満ちた10か月を振り返ると、JICを通して出会ったたくさんの皆様の顔が浮かびます。この報告書を書き上げた今、多くの方の愛情に支えられた私の留学は幕を下ろします。

現在系、進行形で語られていたこれまでとは違い、最終レポートは日本に腰を下ろし、遠く離れたシャンペーンの日々を想起して書かれるためにどうしても違った趣になっていると感じます。私は帰国後すぐに、かの地から携えたゆったりと流れる時間を「矯正」するために都内の病院で長期の実習を行いました。じっとりとまとわりつくような湿気、コンパクトな建造物、速くて正確な鉄道、人があふれる交差点の中にあって、幾度かその環境に静かな眼差しを向けました。再び日々に追われ新たなスタートを切った私は、せわしなくまわる大きな歯車の一部に戻ったような感覚にあります。きっとここにもすぐに慣れてしまうでしょう。留学中のあの高揚感がノスタルジックに思い出されます。できるだけはやく慣れなければいけません。半ば強引に自分をこの環境に順応させた次は、やるべきことに一生懸命取り組みます。目の前のことを全力でやることが、あのマヤの村やクリーブランドの病院、そしてその先へと直につながっているのです。国内外に関わらず今私のいる場所で信念を持って行動を積み重ねます。そうすることこそ私がこの留学で学んだことです。

最終レポートとして、春学期の講義、フィールドワーク、最後の振り返りをここに報告させていただきます。

写真1 大切な写真:佐藤先生アリスさんそして愛すべき40期の皆

(写真1 大切な写真:佐藤先生アリスさんそして愛すべき40期の皆)

 

<講義ついて>

履修した講義

ENG498         Sustainable Development Project

GCL188         Doctor and Patient

MCB320        Mechanism of Human Disease

MCB246        Anatomy and Physiology
・ENG498           Sustainable Development Project

留学中の私の集大成といえる講義です。後半は主にリサーチプロジェクトのポスター発表に向けてグループで現地での調査内容を具体的に詰めていきました。年齢も人種も専門も異なる構成の集団で、共通のビジョンをもってプロジェクトを前進させていくためにはどうすればよいかというオリエンテーションを経たにもかかわらず、私のチームにはいくつもの困難がありました。途中1人メンバーがいなくなり、2度教授から解消の提案がされ、数えられないほどの涙が流れました。皮肉にも、理論とその実践は全く別のことなのだと痛い程学ぶことになりました。最終的にはかろうじて発表までこぎ着けましたが、発表の5分前まで私は「もう止めだ」と反発し合うメンバーの間を取り持ち説得し続けました。はっきり言って私たちのグループは持続可能ではありませんでしたが、忘れられない講義となりました。

 

・GCL188          Doctors and Patients

今期の中でとても楽しみな時間でした。課題が少し多くて大変と感じることもありますが、先生のチョイスがピカイチなのか、

文学作品の読解・ディスカッションの他に、後期は製薬会社のコマーシャルに関してのレポート、プレゼンテーションを行いました。日本をはじめ多くの国で制限されている医薬品のコマーシャルがアメリカでは日常に溢れています。ユニークなものからシリアスなものまで、そのアプローチの仕方は様々ですがいずれも人間の健康への欲求に訴えるものでした。健康や病気が市場原理の中でどのように存在するのか、その特徴や問題点を探るのは新鮮でした。医療という世界は医師という職種以外にも多くの病院スタッフはもちろん、製薬や機器、さらに自治体や国というように多くのキャストが携わっています。さらに「病気」というものへの一般的な認識はその地域や時代によって大きく異なっているのでした。広い視点で医療や人間というものを見つめる視点は私にとって貴重でした。

写真2 シカゴにて:ピカソのオブジェの上

(写真2 シカゴにて:ピカソのオブジェの上)

 

・MCB320          Mechanism of Human Disease

前回に引き続き講義毎に一つの疾患を扱っていきました。Premedの授業ですが、実際にカール病院で臨床や研究を行っている現役の脳神経内科医の講義が6コマほど続きました。Medical schoolでも教えていると言っていたのでおそらく同じスライドをつかっているのでしょう。普段MCBの細かい基礎生物学や基礎医学の講義をたくさん受けている学生たちにとって、このように臨床的な視点を持った講義はモチベーションにつながるだろうと思います。どうしても日本の医学部の講義と比較してしまうのですが、この先生は本当にプレゼンが上手でした。普段から多方向からの評価に曝されていること、また授業時間が短いことが要因の一つでしょうか。エネルギー溢れる講義は、90分は続けられないだろうなと思う程毎回がエキサイティングでした。

 

・MCB246          Anatomy and Physiology

前回同様、後半は免疫系や血液、泌尿器や生殖器の解剖生理を学びました。以前も載せたようにFollingerというキャンパス最大のホールで行われます。アメリカの大学の特徴として、このような講義中心の大規模な講義でも必ず実演の時間やグループワークを取り入れようとます。質問がしづらい分、メールでの質問に加え教授のブログにコメントする形で質問やディスカッションが行われ、常にネット教材を使った演習問題が課されます。特にブログを通した教授のレスポンスが本当に早く、試験前は多くの学生が利用していました。トランスファーしてきた友人が、教育に対する熱心なサポートが特にこの大学は強いんだと言っていました。

 

 

<国際保健の現場へ~Guatemalaフィールドワーク~>

4月末に私はグアテマラのマヤの村々を訪ねました。今心に残っているのは「本当に素晴らしい人たちは現場にいる」というOrganizerの先生の言葉です。念願であった国際保健の現場に待ち受けていたのは失敗の数々、悔しさと無力感でした。大きなスケールで物事を考えれば考えるほど、大事なのは矮小な個人のレベルでの行動なのだと感じました。

大学病院のGlobal Health Trackと国際NGOの合同プロジェクトに同行、一週間という短い期間でマヤの女性たちの健康状態の調査を行い、報告書をまとめ発表を行いました。今、多くの開発プロジェクトは「持続可能」であることを大前提に、現地の人々のニーズを徹底的に調査し、さらに現地の人々が主体となってそれらの課題を解決するシステムを構築すること、そのチームの一員となることが求められています。このようにいうと聞こえはいいですが、論文やディスカッションで学ぶこととその実際の間にはまだまだ大きなギャップがあり、さらに言えば、本当の意味でこの理想の開発を実現することの難しさはおそらく「現場」にいる専門家たちが一番実感しています。

写真3 マヤコッミュニティにて:できることを全力で

(写真3 マヤコミュニティにて:できることを全力で)

 

グアテマラではチームメンバーに入れていただき、血圧や脈拍酸素飽和度の測定という簡単な仕事を与えてもらいました。毎日のログの作成、報告書のデータをまとめることが私の仕事でした。普通は立ち入れない文字通り山奥の村に行って肌でその「現場」を感じてくることはできました。たくさんの人と話をし、直接触れ合いました。しかし「できたこと」はここまで。数え切れないほどの「できないこと」を学びました。今思い返しても、私は常に現実の厳しさ、迷い、疑問、そして無力感の渦の中にいた感じがします。土だらけになってホテルに戻っても頭に靄がかかったように考えを消化できず悶々としました。自分が今まで学んできた知識、Evidenceや統計学では太刀打ちのできない大きな壁を感じました。現地の人々はそんな私を、アメリカから来た医療チームの一員として最大の敬意を払って接してくれました。ときにその視線が痛い程に自分がここにいることへの責任を感じました。訪れた2つ目の村に、13歳のダニエロという名前の少年がいました。優しく礼儀正しい彼は週末は村を出て中心街で音楽を学んでいます。マリンバが得意で将来はマエストロになりたいと少し照れながら言っていました。彼のおそらくビタミン欠乏が原因の脊椎の湾曲に、私は姿勢の矯正やマッサージを勧めることしかできませんでした。毎日の畑仕事や暗い学校で過ごす彼の生活環境の中で、私のアドバイスは彼にとってどれほど意味のあることでしょうか。どれほどの影響を与えるでしょうか。それでも私が一番なにか貢献していると感じたのは、その地の子供たちを笑わせたとき、彼らの話を聞き前向きにそれを後押ししたときでした。今の私にできるのはここまででした。

何もできなかった「現場」で感じた無力感が今回の留学の楽しさを思い出すその裏に常に付き纏い、現在でも常に私の行動を規定しています。この悔しさ、敗北感のさきに何があるかわかりません。それでもどんな場所でもその最前線で行動し続けていきたい、そう思うには十分な体験でした。

 

<留学を終えて>

初めてキャンパスに来たときに感じた未知への期待や不安の中にいた自分と明らかに地続きのその先に今の自分がいます。どちらかと言えば、一生懸命になり目の前が見えなくなった折に、過去の自分を道標に何とか歩みを進めてきたという実感があります。振り返るとそこは自分だけの個性的な物語に満ちていて、その積み重ねの先にだけ確かな行動があるのです。昨年、初めてのレポートで私は次のように述べています。

 

(この留学が)どのような結果になろうとも、それは成功や失敗だとか、点的な概念や客観的な指標で測れるものではありません。私だけの事実を伴った経験として、私の中に凛とあり続けるのだろうという確信があります。

 

過去の事実が「今」という新たな道に繋がっています。”Carpe diem”とは映画のセリフとしても有名ですが、元々古代ローマの詩人の言葉です。紀元前から儚い人生を憂い今この瞬間を楽しもうという前向きな概念があったことに人間の本質を考えさせられます。過去の自分に何かが加わったとすれば、今その瞬間で限りなく全力を尽くすことを学んだことかもしれません。

巨大な時間の流れの中の一点として現在の自分を取り出してみると、そこには一見して平凡な自分がいます。日本だろうとアメリカだろうと継続して勉強することは変わらないのだという感覚が強く、私は具体的に何を得たのだろうかと疑問を持つほどに冷静です。このことをずっとお世話になってきた大学の先生にお話しすると、留学から無事帰ってきたねという労いの言葉のすぐあとに「バカモノ」と言われてしまいました。そう思っている時点で留学前のあなたとは全く異なっているよと。日本に帰ってきて、アメリカ留学に対するただの憧れが自分への反省と実質的な行動の重要性に変化していることを指摘してくれました。

先生はまた、同時にこの留学の経験を単なる感謝の言葉以上のものとして家族に伝えてみたらどうだいと優しく言ってくれました。こんな言葉をかけてくれる人が周囲にいることが私の誇りであり、私を私足らしめてくれます。

この恩師の他にも、私たちの成長した姿をみるのが生きがいとまでおっしゃってくださるJIC会長、現地や日本で惜しみない支援を続けてくださったイリノイ関係者の皆様、いつも心配してくれた家族、日本やイリノイで出会ったかげがえのない友人達、皆様のおかげで私は改めて今の自分を肯定したいと思えます。このような人々に囲まれていることを本当に幸運に思います。止むことなく歩みを続けていきます。本当にありがとうございました。

写真4 アンテロープにて:どこまでも真っ直ぐな道の先

(写真4 アンテロープにて:どこまでも真っ直ぐな道の先)

 

喬博軒さんの2016年3月分奨学生レポート

40期奨学生の喬博軒(きょうひろき)です。
シカゴへ行く電車を待ちながらこの文章を書いています。休暇に入りいつものバスのダイヤが変わったことに気づき、予定より早く家を出て駅まで歩くことができたのはむしろ幸運だったのでしょう。それでも延々続く乾いた平地の上を吹き抜けこの町に辿り着いた風は、ベッドから起きたばかりの身には特別冷たく感じられました。3月のイリノイ州は、春のような陽気の日々にときどきひんやりした朝からはじまる一日が訪れます。眠そうにしているアフリカ系の駅員、どこかへ旅立つ娘との別れを惜しむのは見るからに中西部に住む家族、階段を駆け上がってきたのはアジア系のカップルです。駅という場所にはいろんな人がいます。サンダル、革靴、寝巻のような格好からビジネススーツまで。こうして多様な人種や生活背景の人々を眺めて物珍しがることができるのは、私が際立った均一な社会の出身だからでしょうか。早朝の駅で押し黙っていた人々は始発の到着を告げるベルと同時に、息を吹き返したように立ち上がり出発の準備を始めます。当たり前ですが、皆行き先が決まっているのです。ひとりひとりその時にやるべきことを求めて自発的に、それでいて列車のベルに急かされるような唐突さをもって。待合室からは列車の到着を見ることができません。聞こえるのは気持ちばかりのアナウンスだけです。次の目的地へと経由するためだけに作られた大きな箱のような空間を後にして、どの方向からやってきたのかもわからない巨大な生き物の一部のような電車に乗り込みます。動き出した向きから方角を確認し、ほっとしたように少しばかりの列車の旅に思いを馳せます。僕はシャンペーンからシカゴまでの道程が好きです。

 

ここに来た頃はうまく聞き取れなかった係員のアナウンスが以前よりもわかる気がするのは、僕の聴く力が伸びたというよりむしろ、気持ち的にここに「慣れた」ことが大きいのでしょう。拡声器を通して音が割れていても、周囲の雑踏が邪魔していても、言葉を話す人の空気感や駅の状況をはるかに親密に感じられます。「科学的に」言おうとするなら、なにが起こるのか少しだけ予想できるために、情報を受け入れる体制が整っているからなのかもしれません。今考えると(そのときはそのときで必死でした)はじめは言葉を聞こうという意思も無く、自分は留学にきたんだという非生産的な甘えがあったように感じます。

いま、「留学」という言葉に抱いていた憧れや聞こえのいい万能感がやっと自分の中で消費され、それを反省し現実的に動き出せている感覚があります。利己的な甘えも遅すぎる成熟も全部含めて自分と受け入れ、目の前のことを楽しむことにしようという開き直りのような清々しさを感じています。

 

始発のアムトラックのほとんど人がいないパノラマ車両からは、運が良ければ朝陽が望めます。ほぼ視界をガラスに囲まれたこの車両は、暗くてどこか地下室のような閉塞感のある座席車とは趣を異にしています。柔らかく差し込む朝陽は、無機質なはずの列車の内部を温かく優しく照らし出し、その季節のその瞬間にしか訪れない不思議な空間を作り上げます。私は安心しきった胎児のようにまどろみながら、静かで広大な景色を目の前に、自分のいる位置を改めて確認するのです。正しい方向に少しずつ近づけていると信じて。

 

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(アムトラックからみえる朝陽: 荒野と風力タービン)

 

 

<講義ついて>

今学期履修している講義は以下の通りです。

ENG498         Sustainable Development Project

GCL188         Doctor and Patient

MCB320        Mechanism of Human Disease

MCB246        Anatomy and Physiology

 

前回のレポートの意気込んでいたように、今期は思考していることを「表現する訓練」に力を入れたいと考え、プレゼンテーションやグループワーク、ディスカッションの比較的多い講義をとりました。(上の2コマ)それ以外にいずれ挑戦したいことに繋がる「インプット」のための講義を2コマ受講しています。(MCB=Molecular Cellular Biology)

 

・ENG498           Sustainable Development Project

Engineering(ENG)専攻を中心としたプロジェクト系の講義です。(この講義は今年度のイリノイ大学を代表する国際プロジェクトとして選ばれ大学代表として全米大会でプレゼンが行われる模様です)ENG専攻のプロジェクト系講義には他にも様々な内容のものがあり、いずれも情熱的な講師や学生が多いときくので履修の際は確認されることをお勧めします。今期から新たに始まったこの講義では①イリノイ大学のプロジェクトチーム、②NGO団体であるEWB(Engineer Without Border)のスタッフ、③現地のthe Universidad San Fransisco de Quitoのコーディネーターや学生と協働してつくる新たなプラットフォームを通して、エクアドルのLumbisiという都市で灌漑プロジェクトのためのResearchを作成します。UIUCのチームにはEngineering, Community Heath, Urban Planning, Global Studies and Anthropologyから教授・学生が参加しています。希望者はSummer Sessionの単位認定講義としてエクアドルのフィールドワークに実際に参加、実地調査を継続できます。いわゆる諸学提携のグループワークを通して、ディスカッションのみならず実際のプロジェクトのためのリサーチを実施するので大変スピード感があり、かつやりがいがあります。私の班員は実際に職務経験もある院生が多く、自分の専門をうまくアピールし、チームで存在感を示すことにとても苦労しています。院生の友人、そして情熱あふれる教授からの紹介という偶然の出会いでしたが、私にとって理想的なテーマ、授業形式なので、控えめに言って今期の中で特別精力を注いでいる講義といえます。チームごとにリサーチテーマは異なり、大きくTechnical, Social, Politicalといったテーマをそれぞれ扱っています。私のグループはSocial Spatial な側面から調査を始めています。具体的な内容については次回の報告でお伝えさせていただきます。

 

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(グループメンバーのホームパーティ:フィンランドから来たゲストスピーカーを囲んで)

 

 

・GCL188          Doctors and Patients

講義の名前ではニュアンスは伝わりませんが、各国の文学作品を題材に、患者-医師関係、そして「病気」というものに対する私たちの捉え方、その文化的・歴史的な相違を考察しようと試みる講義です。教授は文学の専門家で、学生は工学科、獣医学科、community heathや文学科など様々な専門の生徒がいます。カミュやカフカ、大江健三郎、その他中東文学からアメリカ文学に至るまで多様な小説や戯曲、評論を扱い、主に授業に先立ってリーディングを課され、講義時間中はディスカッション形式で作品を読み進めていく形です。授業ごとのペーパーとともに、定期的にプレゼンや、作品のスキットを行います。思っていた以上に楽しい今期のダークホース的存在です。

 

・GCL(Grand Challenge Learning)とは2015の秋学期からスタートしたばかりの試行プログラムで、Art, Humanities, the sciences, social science, behavioral science, quantitative reasoning の分野横断的に様々な側面から一般教養を学ぼうとする講義です。この講義はGCLの中でも”Health & Wellness”というPathway のうちの一つです。他にも面白いinterdisciplinary な講義が多く、その多くが少人数制かつ参加型の形式をとっているので、これから留学される方は要チェックと思います。私のクラスはなんと学生が10人しかいないので、80分の講義のなかでスモールディスカッション以外に、発言機会が幾度もあり、表現の練習になっています。大江健三郎や日系作家のGail Tsukiyamaを扱うときに日本からきているということで再三意見を求められました。もともと本が好きということもあって、今までに受けたことのない類の講義は大変興味深くスリリングで、自分で驚くほど楽しんでいます。詳しくは最終レポートでご報告できればと思います。

 

・MCB320          Mechanism of Human Disease

名前が如実に内容を反映しています。分子・細胞レベルでの異常がどのように機能や構造に病理としてあらわれるかを学びます。臓器部位別に、とくにアメリカで罹患率の高い疾患を取り扱っている印象です。各講義でだいたい1疾患しか扱わないので数としては少ないですが、その分予想していたよりもしっかりとした内容で、一つの疾患についてリスク因子や病態、予後、治療までたいていの事柄を網羅している印象です。罹患率やリスクの人種間格差や地域差などを当たり前のように扱うのは、多民族国家であるアメリカならではでしょう。特にCystic Fibrosisなど、日本ではほとんど学ばない遺伝性疾患等が出てくることがありためになっています。

 

・MCB246          Anatomy and Physiology

解剖・生理学の講義です。週2回Foellinger Atriumというキャンパスでも随一の大講義堂に300名以上の学生が集います。主にレクチャー形式の講義ですが、それ以外にグループワークとしてある特定の疾患について、その病理・治療・最新の情報について調べ発表を行います。個人的に卒後受験予定の試験の準備として受講していますが、生化学や組織学などの内容も想像以上に詳細に扱うという印象で、全体として人間のからだのしくみを学びたいという学生には専攻に関係なく面白いと思うので、選択肢としてあってもいい講義ではないかと思います。

 

 

<息抜き>

・The Super Bowl

フットボール界、いやアメリカの全スポーツファンにとって最も大事な日といっても過言ではないでしょう、スーパーボウルをホストファミリーと過ごしました。スポーツは大好きですが、フットボールに関してはルールからしてうろ覚えで、どちらかというとラグビーのほうが…というフットボールアマチュアの私です、友人たちに聞いていた通り、プレイよりもハーフタイムショーや合間のコマーシャルを楽しみました。

 

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(ホストファミリー: ポラロイドカメラの一枚)

 

・High School Musical

ホストファミリーの長男の通う高校の(今年は初の2校共同開催ということでした)ミュージカルを見に行きました。台本はディズニー映画のリトルマーメイドということで文化祭レベルのものだろうと腹をくくっていくと、アリエルや王子様はワイヤーアクションで宙を舞い、また海の生き物たちの歌やダンスはかなりレベルが高く驚かされました。会場はダウンタウンシャンペーンにあるVirginia Theatre です。定期的に舞台や映画などを上映しているのでぜひチェックしてみてください。

 

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(Virginia Theatre)

 

・Art Theatre

同じくシャンペーンにある私の一押しスポットはArt Theatreです。日本でいうところの大手シネコン以外のミニシアター系のものや過去の名作を上映しています。時に無料上映をやっており、私はこれまでに「ロッキーホラーショー」、「マッドマックス」、「思ひ出ぽろぽろ」を鑑賞しました。100年以上の歴史のある古い劇場は一見の価値ありです。

 

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(Mad Max鑑賞後の一枚: 嫌いな映画は容赦なくけなす映画好きの面々)

 

 

<課外活動・所感>

・病院実習、MPHの集中講義、現場へ

冬季休業の最初の2週間は旅行、残りの2週間は病院実習をさせていただきました。サンクスギビングの際にお世話になったClevelandのCase Medical Centerで再び実習を、今回はさらにCase Western University、Master of Public Health(MPH)の冬季集中講義にも特別に参加させていただきました。これは実習先の教授が、今回の集中講義にあたって「Global Healthの現場において重要な外科技術、必要なトレーニング」についてお話しされたのがきっかけで、その講義が終わっても特別に主催の先生のご厚意で丸1日聴講の機会を頂くことができました。マスターのコースということで、様々な専門を持つ受講生のいる中、その日は医師による現場での実践に重きを置いた講義が行われていたので私にとってまさに夢のような時間でした。途上国での経験のある産婦人科医や救急医の講演が行われ、難民キャンプにおける女性特有の問題や、分娩や妊娠高血圧の対処、感染症の講義などといった内容でした。教授のWar Surgeryのお話しは大変貴重で、その中の「世界の約90%の外科医が世界人口の約10%のみを診ている」という言葉が大変印象的でした。2年ほど前、この教授の講演を日本で拝聴し、それが縁でこのようにアメリカの現地の病院で実習させていただくことになり、そして今この場にいるのだと思うと少なからず感慨の深いものでした。しかし浸っていたのもつかの間で、ディスカッションやグループワークでは飛び入りであったことを差し引いてもとても参加できていたとはいえないほど着いて行くのでやっとでした。まだまだ語学、知識の面いずれにおいても課題は多いと痛感しました。それでもここでの経験は自分の将来を考える上でのヒントとなり、私自身サブスペシャリティについて再考させられました。4月には、病院のGlobal Health TrackとNGOによるグアテマラのマヤコミュニティへのフィールドワークに参加させていただくことになりました。詳しくは最終レポートで報告させていただきます。

 

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(レジデントの皆と)

 

他の奨学生が述べると思うので軽くしか触れませんが、3月にJICの活動の一環として日本館と共同で「朝食イベント」を無事成功させることが出来ました。開催にあたって、佐藤昌三先生や日本館のスタッフの皆様、インターンの学生達、そして日本のJIC本部からも多大なる支援を頂きました。本当に感謝してもしきれないほどです。その他にもあらゆる場面で私個人では到底実現不可能な機会を様々な皆様に助けていただきました。この場を借りてお礼を申し上げたいです。残りわずかとなりましたが引き続き温かく見守ってくだされば幸いです。ご支援・ご協力いただいている皆様やJICの皆様に改めて感謝いたします。これをもちましてご報告とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

2016年3月27日、シャンペーン

喬博軒さんの2015年12月分奨学生レポート

皆様こんにちは、40期奨学生の喬博軒(きょうひろき)です。シャンペーンの爽やかな夏、美しく色めく秋もつかの間でした。前回のレポートに描いた色鮮やかなキャンパスは彩りを変え、冬枯れの景色の中で生き物たちが厳しい季節へ向けて準備を進めているのを感じます。キャンパスを以前よりしっかりとした足取りで歩み、すれ違う友人と慣れてきたあいさつを交わします。響く鐘の音はどこか日本の古い学校舎を思い出させ、好敵手のように思っていたこの場所に愛着を持ちつつあります。雑踏の中でふと顔を上げる瞬間、その移りゆく時間をいとおしく感じるほどです。寒くなってきましたが、Thanksgiving daysからChristmas、New Yearにかけての時期は、人々にとって家族で集まり美味しいものを食べる、心の温まる時節でもあります。来年のこれらの季節には日本にいると思うと名残惜しいですが、一期一会の瞬間を今までどおり大切に過ごしていくつもりです 。

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(Thanksgivingのご馳走。ターキーとラズベリージャムの組み合わせ)

 

レポートにとりかかり改めてこの4か月を見つめてみると、自分がアメリカの大学生活の真っただ中にいることを強く実感し、その事実を新鮮にさえ感じます。よく言えばここでの生活に必死になり目の前の課題に没頭していたと言えますし、周りがよく見渡せていなかったとも言えます。同時に、毎日やるべきことを継続することの難しさや、いわゆる自分の弱い面に直面する経験はどこにいようと変わりません。慣れていない環境で母国語を使えない分、苦難はよりくっきりと際立ちますが、その分些細なことに喜びや達成感を感じています。

 

<生活について>

ここでの生活について私なりに振り返ってみると、少なくとも日本との差異を知覚し、それをポジティブに捉えられているのではないかと思います。第一に、他人の評価を気にしないでとにかく目の前のことに集中し、自らを表現する機会が与えられている環境をとても気に入っています。実際にはそのように行動すること以外に選択肢がないと言えるのかもしれません。失敗をしたときは良い経験になったと開き直り、誰かに褒められたときは(たとえそれが大げさで社交辞令的な意味合いを含んでいたとしても)本当にそうなのかもしれないなと素直に受けとっています。講義やディスカッションで何も言わないということは、私のいる意味が全く無いことなのだと身を持って学びながら、たどたどしくても何か言葉を発するように自然と強いられています。

 
・愛すべき友人達

私を前向きにさせてくれているのは世界中からきている学生達との出会いです。目標を持ち続けそれを維持するという面においては、この環境は私に合っていると強く感じます。他の奨学生もいうようにイリノイ大学は本当に多様な大学です。中には授業でFacebookやネットショッピングばかりしているクラスメートや、頻繁にパーティに出かけ昼過ぎに起床するピアメートもいることにはいます。(彼らも良いGPA獲得のために必死で勉強はしています。)しかしそれ以上に、出身国を離れアメリカに来てがむしゃらになって道を切り拓こうとしている人間と数多く出会いました。あるインド出身の友人は誰よりも講義中に発言し、頻繁に教授のもとへ行き質問を投げかけます。普段は優しくユーモラスな友人が、ときにあからさまな競争心をその行動や発言に覗かせます。教室全体が彼の発言を待つような雰囲気になるほど彼の存在感は大きくなっています。また、日本で高校を終え今年NYの大学から転入してきた日本人学生は、自分は要領が悪いから誰よりも勉強しなければいけないと言い、驚くほど毎日机に向かっています。実際に彼の成績は聞いたことがない程よく、その謙虚さに隠れた信念を私はとても尊敬しています。その他にも、入学して間もないにもかかわらず既に別の学校へトランスファー(転入)を準備している上海から来ている優しい青年、休み時間も教授にくっついて自らの考えを絶え間なく話し続けるエクアドルからの熱い大学院生など、例を挙げればきりがありません。彼らに出会えたことがここにきて良かったと思える大きな成果だと心から思います。がむしゃらに新たな環境で生きていくということの意味、そして自分の甘さを内省させられます。

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(Dad’s Dayのフットボールゲーム。国歌斉唱の場面)

 

<講義ついて>

・アメリカの大学生の「蹴落としあい」

これまでこちらの講義に出てきて私が感じたことは、競争が日本よりもはっきりとしていることと、求められている必要要件がはっきりしていて、そこに生徒を到達させるためのシステムがうまく機能しているということです。一概にアメリカの学生が日本の学生よりも勉強するとは言いませんが、日本とは異なる教育評価システムや就職要件などといった社会状況の下、誰もがより良いGPAをとることに尽力せざるを得ない状況にいることは断言できます。(GPAなんてどうなってもいいと言う学生にはあったことがありません。)日本の医学部と比較すると驚くほど勉強しているという程ではありませんが、個々の間で競争しているという感覚はより強く感じます。私はまだ出会ったことはないですが、pre-Medの学生の間で課題に関して誤った情報をわざと与えるなどして友人同士でネガティブな競争をしているとさえ聞いたことがあります。

プラグマティズムに重きをおいた教育システムには関心させられます。やるべきことをやらざるを得ないシステムが出来上がっているのです。教授やTAの教育に対する相互協力、生徒の達成度評価もかなり細かく設定されており、かつ機能していていると実感しています。この教育システムやサポート体制に対して高額な授業料が設定されているのだろうと思うと多少納得もできますが、友人の中には経済的な理由で転校をせざるを得ない子もおり、授業料の高騰が深刻な状況にあることも実感できます。

 

・現在履修している講義

MCB426         Bacterial Pathogenesis

CMLH415     International Health

ART103         Painting for non-major

ESL115         Principle of Academic Writing

 

・MCB426          Bacterial Pathogenesis

この講義の全貌をやっとのことで掴むことができた今、大きな達成感と安堵の気持ちでいっぱいです。(まだ大きな試験を終えていないにもかかわらずです。)正直言ってこの授業を選択して以来、何度も後悔しました。というのも友人の助けが無かったらきっとドロップしていたであろうほど私にとっては今学期の試練でした。前回のレポートで述べたように内容や試験の形式はかなり難易度が高く、暗記という範疇を超えて応用することを常に求められ続けました。特に次世代シークエンス技術や、bacterial genetics(微生物遺伝学)の内容は私が今まで勉強してきたものよりも専門的で難易度が高く、応用する以前に知識をインプットするところからのスタートでした。Geneticsの基礎の教科書を図書館で借り通読し、それに加えて微生物の遺伝的多様性やシークエンス技術についての文献を日本語・英語問わず探すことで対策しました。今だからこそ、微生物に限らず生命科学系の研究をする上で必要な思考過程を学ぶトレーニングとして大変有意義であったということができます。教授は大変教育的で講義に熱意を持っている方で、いつも私の質問に長々と付き合ってくださっていました、大好きな教授の一人です。彼女は以前Medical Schoolで講義をしていたこともあり、かなり臨床的な視点も持っていたこともこの講義を取ってよかった理由のひとつです。抗菌薬や細菌の耐性獲得の講義は大変勉強になりました。彼女の口癖は「我々は微生物学者なのだからまずはmutant(変異株)を作りましょう」です。もう私はこのセリフを忘れることはないでしょう。

 

・CMHL415       International Health

今学期の後半から始まったいわゆる国際保健のクラスです。内容は公衆衛生的な内容を経済、保険制度、文化、女性、倫理などといった様々なテーマから学んでいきます。国連のSustainable Development Goalsを中心に、国際的な保健活動の過去と現在、未来を大きな目でとらえることができます。特に途上国で行われる大規模な臨床比較試験の倫理的な問題や、テクノロジーと医療といった内容は大変興味があった内容でした。講義の中でスモールディスカッションの時間が何度かあり、様々な専攻の学生達と話す機会があります。また、世界の各地域に分かれ4人ほどのグループで1つの国の保健衛生状況などをまとめたプレゼンテーションを行い、私のグループはネパールについての発表をしました。内容以上に発表にとてもやりがいを感じたので、次学期はこのような人前で話す機会を増やしていきたいと考えています。教授以外にNavy Campで栄養学を教えている大学院生など専門家が講義を行うこともあります。教授はブラジル出身で英語がネイティブではありません。そのようなインストラクターの話し方やコミュニケーション方法は参考になります。他のクラスと比較すると、内容の特性上か学生の多様性が豊かなのもこの授業の良いところだと思います。

 

・ART103           Painting for non-major

運よく履修できた油絵の授業は、今期の授業の中で一番楽しく幸福な時間です。授業の時間的な内訳や成績の評価基準もアトリエでの実技がほとんどですが、作品の鑑賞・評価も行います。作品を仕上げるごとに全員で円になり、一人ずつ作品を発表、それを生徒同士で互いに評価し合います。生徒たちは大変積極的で、毎回必ず全員が1回以上感想や意見を発表します。今まで、自分が一生懸命作ったものが友人たちに評価され、次に評価する側に回るという経験があまりなかったので、これが私にとって大変面白く感じられました。ほとんどの意見がとても前向きで作品の良いところを見つけ褒めてくれます。一度に20人近くに褒められるというのは少々こそばゆいものですが、だんだん自分が偉業を成し遂げたのかもしれないと錯覚してくるので不思議なものです。そんな風にみんなが熱心に自分の作品をみてくれるものだから、逆に感想を述べる番が来たときには一生懸命です。色使いやコントラスト、アイディア、構図、筆の使い方、ときに全体の雰囲気などについて様々な角度で対象を見つめる、いわば創造的な訓練でした。芸術を鑑賞しそれを言葉に表すのは日本語でも難しいのですが、それに加えて芸術用語や感性にまつわる英語を知らない私はいつも表現に苦労しました。それでもこのように表現と批評の両方の立場にたって闊達なディスカッションが行われる場というのはとても新鮮でした。この国の教育のエッセンスをより感覚的に体験できたのではないでしょうか。全体を通して、教官と相談しながら創意工夫する中で今までできなかったことができるようになる過程を楽しむことができました。アメリカで描いた7点の油彩画はどんなお土産よりも心に残る思い出の品となりました。

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(授業風景。)

 

・ESL115           Principle of Academic Writing

前回のレポートに引き続きポートフォリオ・注釈付き目録を作成し、Research paperを作り上げている最中です。将来の論文・CVの作成に活かせればという私の当初の思惑からすると、どちらかというと論文を書くためのルール習得に重きが置かれていると感じます。文法的な正確さや文の構成などなどのチェックもありますが、内容というよりもアメリカ心理学会(APA)のガイドラインに乗っ取って書かれているかというのが評価対象です。Plagiarism(剽窃)の回避についてかなりの時間を割いて教え込まれることに日本との違いを感じました。ネイティブの学生もこのようなacademic writingは必修になっていて、大変な講義の代表として見なされているようです。学生に書く力を教え込もうという大学の熱意を感じます。少し課題の量を多く感じましたがこれはライティングに関しての苦手意識や経験不足からくるものであり、訓練次第でこの部分に費やす労力は減っていくのだと思います。引き続き他の講義の課題等に学んだことを活用していきたいです。

 

<休暇>

・Halloween

普段は学生寮に住んでいる私ですが、シャンペーンにホストファミリーがいます。大学のInternational Hospitality Commiteeという制度を通してお会いできた家族です。季節毎のイベントや、映画館に行くという彼らの大事な家族行事があるたびに私を自宅に招待してくれます。ハロウィンの日にはなんと彼らのコミュニティで行われる子供たちのパレードに参加させていただきました。ご存じの通りSpooky(この日のみんなの合言葉です。)な装飾の施された家々を回り、悪戯(いたずら)をしない代わりにお菓子を貰うといういわゆる典型的なハロウィンの醍醐味を味わうことができました。日本でもハロウィンは盛んになっていますが、この本場のハロウィンのいわゆる肝の部分に参加できたのは本当に喜ばしい経験でした。誰に勧められるでもなく仮装をしていきましたが、基本的に子供たちのための行列なので引率の大人以外は仮装した小学生です。そんな天使のようなちびっ子たちの中に、特別に6フィートのおじさんも混ぜてもらい、玄関先でTrick or Treat! と言うのはまさに快感でした。

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(「イタズラしちゃうぞ」子供達の写真と並べるのには少しきついものがあります。)

 

<その他・所感>

Thanksgiving Vacationはオハイオ州にある病院と芸術の街、クリーブランドに実習に行ってまいりました。現地の病院で過ごす目まぐるしい速さで流れる時間は、日本とも、また大学とも異なっていて、非常にチャレンジングなものでした。ほんの個人的な出来事から、患者さんの命を預かるのに留学生だからという言い訳は通用しないことを痛感しました。ある患者さんが病棟からICUに移ることになり2人の研修医が別々の業務をあたっているときのことです。私は彼女達の間に入って情報の伝達を行っていました。電子カルテで指示箋を出すことや、人工呼吸器の準備が遅れそうだからまず酸素マスクをあててくれという簡単なやり取りでしたが、どうしたことか今までのように舌がうまく回りません。責任の伴った場での英語というものに大きな恐怖を感じた瞬間でした。自分の伝達によって患者さんの安全がほんの少しでも脅かされてしまったらという底知れない不安でした。周囲には気づかれないほどの内面的な動揺に収まり、その場では問題なく対応できましたが、私にとっては忘れることができない重要な経験となりました。これまで、なんとなく伝わるように話してきた無責任な英会話を深く内省するに至り、迅速で、かつ正確なコミュニケーションの土台を築いていく必要性を感じました。この実習は私の将来を考えるにあたってあらゆる面で示唆的でかけがえのないものとなりました。Dr. Moriという偉大なロールモデルの出会いを通して改めて自分自身を見つめ直しました。本当にやりたいことがあるのであれば、大事なのはそれが実現可能かどうかではなく、やるかやらないかであるということを思い知らされました。

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(巨大で美しいUniversity Hospital)

 

さて、アメリカの大学というこれまでとは全く異なったシステムの中で過ごす中で、この環境に慣れてきたとはとても言えませんが、必死にもがくうちに少しだけ視界が晴れてきたように感じます。講義は大きく①手法を学ぶ訓練、②内容をインプットする訓練、③知識を応用し表現する訓練に分類できることがわかってきて、来期はそれらの中でより表現・発信という点に力を入れたいと感じました。同時に、個人的に挑戦したいと考えている勉強にも力を入れ、留学後の自分を以前より鮮明に描いていきながら過ごしたいと考えています。

こちらに来て以来、有り難いことにJIC奨学生として国内外の様々な方々にお会いしお話しする機会がありました。その度毎にこの制度の歴史と成果に気付かされ、多くの方々の努力の上にこの貴重な機会が実現していることを痛感いたします。ご支援・ご協力いただいている皆様やJICの皆様に改めて感謝いたします。これをもちましてご報告とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

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(地下に埋まった図書館と夕日に染まるSouth Quad)

 

2015年11月30日、シャンペーン

喬博軒さんの2015年9月分奨学生レポート

40期奨学生の喬博軒(きょうひろき)です。

はじめにこのような貴重な機会を与えていただけたこと、その過程で素晴らしい方々にお会いできたことに心から感謝申し上げます。関係者の皆様方、本当にありがとうございます。

私はこのキャンパスに来る以前、西海岸にある別の大学のSummer Sessionに参加していたので、このレポートを書いている現在(9月中旬)で日本を発ってすでに2ヶ月が過ぎようとしています。広く青い空、つやつやと輝く草木、至る所で遭遇する小動物たちに囲まれ、美しく巨大なキャンパスを、私は嬉々として歩き回っています。

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(初めてのQuad:皆が掲載する写真かもしれません。ここに到着した日のことはやはり印象に残っているものです。)

さて、こうして作成している私の報告書が今年度のホームページに掲載されることを考えるとどこか懐かしく幸福な気持ちになります。私自身奨学制度応募の際、歴代の方々の報告書を何年分も読み漁りました。奨学生達が何を学んでいるのか、学部留学とはどのようなものなのか、1年を通してどのような心境の変化があるのか夢中で追っていきながら、ついにはこの制度への応募を決意していました。人生における大きな決断のきっかけとなったのです。それから約1年経った今、大げさにいえば小さい頃から読んでいた図鑑に私の見つけた新種の植物を載せていただけるような、そんな温かくも誇らしい気持ちです。このレポートが枝葉を広げどなたかの心に留まり、その方の中で当時の私のように行動するきっかけとなって欲しいし、誰しもがそうであった学生時代を懐かしく思えるものであって欲しいと願っています。また、これがこれまでの先輩方の言葉とともに記録の一部となって歴史に留まることをとても光栄に思います。40年前の留学生はどのような思いでこの地に立っていたのだろうかと独りよがりに空想し、少しだけ背中を押されるような気になります。彼らの喜怒哀楽をここにくる以前よりも少しだけ輪郭を持って想像できます。そのとき芽吹いた感情はその後の彼らの人生にどのような変化を与えたのでしょうか。そのとき抱いた思いは今も萌えているのでしょうか。それは本人にしかわかりません。翻って、ここでの日々は私の人生にどのように根付くのでしょうか、あるいは今の私を根絶やしにしてしまう(文字通り)外来種となるのかもしれません。全く見当もつきません。恐ろしくも楽しみに思います。どのような結果になろうとも、それは成功や失敗だとか、点的な概念や客観的な指標で測れるものではありません。私だけの事実を伴った経験として、私の中に凛とあり続けるのだろうという確信があります。

このように時を越え未来に過去に思いを馳せながらつづっていると、目の前のことで精一杯になっていたこれまでの自分自身を振り返る貴重な機会になります。ここでの生活や講義、その他課外活動について、できるだけ自分の言葉でお伝えできればと思います。どうか暖かく見守ってくだされば幸いです。

 

<生活について>

寮はSherman Hallという院生用の寮のシングルルームに住んでいます。シングルといっても扉があり区切られているというだけで、バス・トイレを3名の学生でシェアする形です。他の学部寮に比べると自分で勉強できる静かな時間が取れるという反面、現地の学生との関係が希薄になってしまうかもしれない恐れを抱いていましたが、寮の内外で友人に囲まれ楽しく過ごしています。壁は薄いので、口笛を吹いていると隣のスペインからきている院生の友人が口笛で応答してくれます。以前、私の部屋で「探偵物語」(薬師丸ひろ子)を流していて、そのメロディを彼が扉の外からハミングしているのが聞こえたときには、ついニヤついてしまいました。とても粋な友人です。また、これは来てから気づいたのですがSherman Hallは冷蔵庫や電子レンジなどアメニティが揃っている以外にも、立地がとても良いというところが大変気に入っています。大学の中心であるUnionや講義のある建物に大変近く、Main Library、Under Graduate Library、Grainger Engineering Libraryという3つの主要図書館にいずれも10分ほどで通える距離にあります。また、大学街のメインストリートであるGreen streetにもすぐに行けるため、Panera(無農薬野菜などを使ったヘルシー志向のサラダ、ベーグルのお店)やStarbucks coffee、Murphy’s Pub(文字通り学生ばかりのPub)に気軽に出かけることができます。朝食を外でとるのが好きな人やコーヒーショップで勉強する人、バーに通いたい人にはたまらないでしょう。私は数ある図書館の中でもGraingerが、またPaneraの朝食が好きなので早起きして通うようにしています。

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(Grainger Library、1992年築)

 

<講義ついて>

現在履修している講義は以下の通りです。

MCB426         Bacterial Pathogenesis

CMLH415     International Health

ART103         Painting for non-major

ESL115         Principle of Academic Writing

このような最終形態になったものの、その過程では様々な葛藤がありました。受講してみたかった講義が本当に多かったのですが、結果的に勉強会、英語学習、課外活動を含めて総合的に決定しました。

秋学期の最初の2週間は講義登録に持ちうる限りの時間を費やしました。「講義は出てみなければわからない」という信念のもと、もともと日本から履修したいと考えていた講義のほかに多くの選択肢を検討しました。このように言ってしまうと簡単に聞こえますが、今思えばこの履修登録期間は想像していた以上に消耗させられました。第一にキャンパスが巨大でどこに何があるのかほとんどわからない状態です。大学のホームページで建物名を検索、それをGoogle Mapに入力し、慣れないバスで周回するという作業を繰り返しました。また、大学院や他学部の講義を聴講するには教授やTAの許可が必要なのでメールで連絡を取るのですが、そこから履修登録に反映されるのにブランクがあり数日後にやっと参加することができるといった具合で、これが複数になってくるとなかなか大変でした。講義の時間が重なってしまったときは、取れない講義を別の時間帯に調整したり、その場合すでに登録した講義の履修を一旦解除する旨をTAに伝えねばならなかったり、常に日替わりのスケジュールとにらめっこをする日々でした。出ようと思っていた講演会をすっかり忘れてしまったこともありました。この時期は様々なオリエンテーションや新入生歓迎イベントが毎日のように行われ、それを取捨選択する中で本来の目的を忘れ、こんなにもたくさんの講義に出て自分は何をしたいのだと思い悩むこともありました。しかし、今考えるとこの期間に得たものは大きかったと考えています。様々な授業で沢山の友人ができました。彼らに勧められた講義はご多分に漏れず良かったので大変助けになりました。また、最終的に履修しなかった講義の友人と今でも縁があるのは本当にありがたいことです。

・MCB426          Bacterial Pathogenesis

別の微生物学の講義を聴講していた時にPre-Medの学生(medical school進学を準備している学生)から教えてもらったクラスです。MCB(Molecular Cellular Biology)のクラスの中でもかなり応用的な授業で、シラバスの最初の行に「このクラスはadvancedである」と明言してあります。内容は一言でいうと病原性微生物がヒト・動物に感染を起こす機序についてです。免疫学、微生物学、生化学、遺伝学の知識が前提となってはじめて受講できるクラスであり、また過去15年ほどの試験が閲覧できるのですが、ケーススタディ形式になっていて微生物学・医学の知識を総合的に論述する訓練にもってこいだと判断し履修しました。私が大学で学んだ微生物学・感染症学は治療を目的としていたので視点は根本的に異なっているのですが、こちらではより深く考える基礎分野の面白さを感じています。試験が特に特徴的で、実際にアメリカであった事例から検査結果の推察や考察を問われます。他のMCBのクラスと決定的に違い一問一答や選択肢がなく、加えて解答も様々ときているので、正しく知識を応用できているかや、いかに解答が論理的に組み立てられているかが問われます。これが留学生にとってはなかなか大変ですが、専門用語を実践的に用いる訓練になっています。

また、この講義を通して知り合った韓国からPhDできている友人とは本当に親しくさせてもらっていて、週一回2時間の勉強会だけでなく、車で日用品の買い物に連れて行ってもらったり、韓国料理を食べに行ったり(おいしいほかほか白ごはんが食べられる数少ないチャンスです)、最近は熱く研究の素晴らしさを語られたりしています。(彼は山中伸也が大好きで彼のハングル版自伝本を持ってきて見せてくれました。)

・CMHL415       International Health

秋学期の後期から始まる国際保健のクラスです。教授を訪ね、履修したい旨を伝えると快く参加を許可してくださいましたが、400番台なうえに授業時間が2時間50分というのは全く未知の世界ですから今から恐ろしいです。おそらくディスカッションが含まれると思うのですが、教科書が告知されているのみで未だにシラバスも更新されていません。それでも、日本にいるときから受けたいと考えていた数少ない講義の一つです。私の大学のカリキュラムにはなかった内容だけにとても楽しみにしています。次回のレポートでご報告ができればと思います。

・ART103           Painting for non-major

イリノイ大学では芸術専攻でない学生のためのArtの講義がいくつかあって、教養学部の学生も履修できるようになっています。この授業のほかにも、DrawingやSculptureもあるのですがいずれも人数が各講義あたり20人程度と限られており余剰も認めていないので例年大変人気で、待機者リストに多くの人が登録し空きを待っている状況です。私たち交換留学生の履修登録開始は他の学生たちと比較してかなり遅いので履修は絶望的でした。しかし先ほど述べたとおりこの時期の私は常にスケジュールをチェックしていたので、ほんの一瞬出来た空席に滑り込む形で登録することができました。

医学部では解剖学でのスケッチや外科実習での手術記録など、ときに芸術的な能力を問われることがあります。絵がうまい程良いというわけではないのですが、私は純粋に絵が好きで、その度毎に描くことの面白さを感じトレーニングを受けてみたいと思っていました。ちなみに解剖学の歴史的名著”Atlas of Human Anatomy”の著者、Frank H. Netter(1906-1991)は外科医であったとともに芸術学校で学んだ画家でもありました。外科医として務めたのち医学専門画家として現代でも医学生や専門家に支持される解剖学アトラスの元となるスケッチを多く残しました。私には画家になろうなどという大それた魂胆はありませんが、日本では芸術大学に行かないと学べないような内容を、素晴らしい先生から直接教わることができる機会に、今しかないという思いでこの講義を選びました。授業では主に油絵を学んでいます。補色などといった色彩学や、限られた絵具を使った混色の訓練など基本的な所からスタートし、今は静物スケッチをしています。不思議なもので一生懸命仕上げた作品にはかなりの愛着があり、先生から褒められた作品だったらここでお披露目してもいいかもしれないという身の程もわきまえない危険な願望もあるのですが、理性に従ってやめておきます。数年後(いや数日後かもしれません)自分がこの報告書を見返し、赤面するのが容易に想像できます。

・ESL115           Principle of Academic Writing

以前の奨学生の方の報告書を参考に選択した講義です。理路整然とした構造で、適切な単語、接続、引用、注釈を用いて学術的文章を書く方法を学びます。現在は授業の初日に診断課題として書いた文章を10のステップに分けて検証、更正していく作業を進めています。学期末にかけてデータ収集、ポートフォリオ・注釈付き目録を作成し、最終的にひとつのResearch paperを作り上げていきます。教官の文章チェックが授業ごと(週3回)にあるのでかなり綿密なreflectionを得られています。Speakingや将来の論文・CVの作成に活かせればと思って受講したものの、目からうろこの知識が多くこちらでの生活全般において大変役に立っています。他の講義の課題すべてに応用が利くので今のタイミングでとってよかったと感じています。きちんとしたルールにのっとった文章を書く訓練をしていると、恥ずかしながら私の今までの英語ライティングというのはほぼ自己流であったことに気づかされます。しっかりと身につけておきたいと思わされる内容です。

 

<課外活動>

これらの講義以外に参加している課外活動をご紹介いたします。

少しでもこれからの生活で自由で闊達な表現をできるようになりたいと考え、このひと月は特に語学・コミュニケーションに力を入れました。以下は語学に関する活動です。

・International Hospitality Committeeによる週2回の英語クラス

・UIUC the Center for Writing Studies による週一回のWriting Workshop

・Chinese Conversation Table

・French Conversation Table

それぞれ詳しくはまたご報告できればと思います。語学のみならず、アンテナを張ってさえいれば学びたいことを無料で学べる機会が周囲に存在するという環境はこの大学の持つ強みだと思います。この点に関しては学部4年間をこの場所で過ごすことができるのを心から羨ましく思います。

・医学

寮で偶然知り合ったMedical Schoolの学生に今度彼らの勉強会に誘ってもらえそうなので、そちらのほうの勉強へ徐々に力を入れていきたいと思っています。

・病院実習

この秋休みはClevelandのCase Medical Centerで実習させていただくことが決まりました。現地の病院で実習をすることが私にとってこの留学における大きな挑戦のうちのひとつです。Thanks Giving Holidaysの短い期間ですが、貴重な機会に感謝し精いっぱい学んでまいります。このことをイリノイ大学Japan HouseのDeanのJenniferさんに伝えると、Case Wester Universityのお知り合いを3名もご紹介いただきました。現地での不思議な出会いに驚き、感謝しています。Jenniferさんにいわせるとこのようなserendipityはこの地では日常茶飯事だそうで、それを実感する毎日です。

 

<番外編>

・アメリカで眼鏡をつくる

こちらにきて最初に困ったのは眼鏡を失くしてしまったことです。日本から持ってきた眼鏡は西海岸、サンディエゴのビーチではしゃいだ際に、なんと海に落としそのまま波にさらわれ返らぬものとなってしまいました。

 

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(サンディエゴの海より空より、いちばんブルーな私の背中)

結論としてお金はかかるとは聞いてはいましたが、眼鏡を1日で作ることができました。案の定相当な出費になりましたが、敢えて良かった点を挙げるとするとアメリカで眼鏡を購入するという経験ができたこと、友人と彼のガールフレンドに選んでもらったので良い思い出になったことです。

シャンペーンにきて最初に友人に半ば泣きつきながらお願いし連れて行ってもらったのは付近の大きなショッピングセンター、マイヤーに併設する眼鏡ショップでした。彼は電話で検眼医の在籍を確認しその日に現物受取ができるか確認してくれました。アメリカでは眼鏡やコンタクトの購入には、資格を持った眼科医もしくは検眼医による処方箋(Prescription)が必要です。眼鏡を販売するのみのお店ではこの検眼医がおらず、あらかじめ眼科で検査を受け処方箋をもらっておく必要があります。当然病院に行くことになるので予約が必要で時間がかかってしまいますが、今回のように資格者がいる眼科に行けば即日で検査、購入が可能です。

よい機会なのでアメリカにおける眼に関する職業(①Ophthalmologist ②Optometrist ③Optician)の違いを簡単にご紹介します。

  • Ophthalmologist: 眼科医、いわゆるEye M.D.は4年制大学ののちmedical schoolを卒業、さらに8年以上のトレーニングのすえ眼科専門医を取得した医師で、検査はもちろん診断や外科手術を含む治療を行います。日本の眼科医と同じといっていいと思います。(ちなみに眼科専門医はアメリカ医師資格の中でも放射線科と共に断トツに人気の高い科のひとつなので取得には大変優秀な成績、研究成果が必要です。)
  • Optometrist: 検眼医、D.は3年制以上の大学を卒業後、専門大学(optometry school, 4年制)を卒業して得られる資格です。3~4年で自立し、基本的なアイケアの提供を行う医療専門職です。日本でいう医師ではありません。眼鏡・コンタクトの処方のための眼科検査・処方箋発行と、特定の疾患には治療も行います。
  • Optician: 眼鏡屋、眼鏡師さん。フレームやレンズのデザイン、作成を行います。検査や処方箋を出すことはできません。

流れとしては受付を済ませた後、検眼医による一連の検査(視野、視力、眼圧、乱視、色覚など日本での項目より若干多かった印象です)を受け、結果の説明ののち処方箋を取得。それに基づいてレンズを決定。店内で好きなフレームを選んでから30分ほど待機し受け取りました。ここまで1時間強。料金は検査費用(70ドル)に加えてレンズ・フレーム代金(物によりますが日本より割高)という具合です。友人はネットで買ったほうが安いといっていました。また、加入している保険の種類によって検査費や眼鏡代金がカバーされるということもあるようです。

強調したいのは、最初から最後までサービスが行き届いていて懇切丁寧であったということです。眼鏡ショップの奥に眼科検査室があり、そこで検眼医による検査が行われました。検査結果の説明はプライバシーの確保された小奇麗な個室で、医師がしっかりと対応してくれました。最後に眼鏡師の方がフレームの歪みをコンピュータを駆使して調整してくれました。どの方もここは果たしてアメリカなのだろうかと困惑するほど対応がよく正直驚きました。単に私が今まで体験した「理にかなっていて余計なことをしないアメリカ」とは少し趣が異なっていたというだけのことなのですが、この大国の新たな一面を垣間見た気がいたします。日本でいつも低価格眼鏡を購入しているせいでしょうか、今までで一番満足度が高く「しっかりした」眼鏡ができあがったと思っています。

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(自分史上最高の眼鏡:アメリカで作った思い出の品。ただしmade in Chinaです)

 

<所感>

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(禅語と浮世絵:フィラデルフィア美術館収蔵の鈴木春信の浮世絵写しはフリーマーケットでなんと1ドル!)

私の部屋の一番目立つ棚に、禅語が書かれた色紙があります。これは留学の決まった折に、お茶を教わっている先生から直筆で贈っていただいたものです。観音経の一説なのでご存知の方も多いと思ますが(じげんじしゅじょう)と読みます。「思いやりの眼を持った物事の見方によってたくさんの幸福が海のように集まるだろう」という言葉の一部です。

現在の環境下では、多くの出会いや未知の出来事に出くわします。今までにない多様な文化や考え方を目の前にしたとき、困難な場面に遭遇したとき、私たちはともすれば自分の狭い良識に囚われた批判的な思考に陥りがちです。私のような未熟な学生など尚更で、ときに自分の凝り固まった価値観に気づかされることがあります。そのような状況でまずは「慈眼」をもって相手の言動や人間を敬い、前向きに思考する癖をつけたいです。これは私なりの解釈ですが、この癖が建設的な人間関係や素早く柔軟な問題解決につながるという実感があります。この言葉を自分自身への戒めの言葉として肝に銘じ、残りの日々を過ごしてまいりたいと思います。アメリカの持つ良い側面を見習い吸収したいと思うと同時に、日本の持つ思想の寛大さ、素晴らしさを再確認する日々です。

これをもってご支援・ご協力いただいている皆様やJICの皆様へむけてのご報告とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

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(友人たちとDowntownにて)

2015年9月25日、シャンペーン