守埼美佳さんの2017年7月分奨学生レポート

みなさまご無沙汰しております。第41期奨学生の守崎美佳です。帰国後1ヶ月以上が経ち、留学前の経験が懐かしく思い出されるこの時期にレポートを書いています。

 

1,帰国後の所感

思えば留学前に掲げた目標の一つに、「 アメリカの組織から合理的な運営体制の秘訣を学び、日本の組織に貢献する」という目標を掲げました。

私は今、幸運なことに会社でインターンをさせていただいておりますが、留学中やその直後の理想と、環境に合わせるという現実の乖離に、少し戸惑いを覚えています。

1−1 アメリカ型組織と日本型組織の違い

一言で言えば、サークル型と部活型と言えるでしょう。どちらも1つの目的を達成する上で人が集まって組織を作っている点は同じです。ただ、アメリカは自由・平等を大切にし、互いに敬意を持ちながらも互いに友好的に接します。大きく地位が異なっていても、互いに世間話、家族の話はもちろん、雑談をする機会なども与えられるようです。一方日本では地位の違いはより強く出ます。会社の上司の言うことに逆らったりフレンドリーに接したりすることは仕事の場だけでなくプライベートの場でも推奨されないような気がします。

それではこの職場環境を簡単に変えることはできるでしょうか。現時点では、あまりそうは思いません。新人としては、常に自分が職場で評価されている状態にあります。そのため、自分の目上の人が「こうあるべき」という態度で接することが求められます。上司が上下関係のはっきりした接し方を好む場合、こちら側がフレンドリーに接することは、「空気が読めない」「常識がない」という評価をくだされがちです。そのため、少なくとも組織の下の位にいる間は、その組織の文化に自分を合わせることになります。

ただし、例えば上下関係に対してもどかしさを感じた時、「このやり方だけが唯一の組織文化ではなくて、例えばアメリカではもっと違うやり方があって。」という思いを常に自分の中に留めておくと、心の中の逃げ道になるかもしれません。

ただし、必要な場合には自己主張ができるということは、日本の組織の中でも必要とされ、留学経験者であればより容易にできる点だと思います。確立されたやり方が存在する組織の中では、そうしたやり方に従うことが必要ですが、いつ何時でも「先例に従うこと」「上の指示に従うこと」を行動原則にせず、十分な証拠と考察を得た上で自分が正しいと考える点については恐れずに質問をし、議論をすることが、最終的にはよりよい結果になることは多分にあります。そうした場面に出会った時、留学を通じて立場を越えて議論をする文化に慣れていれば、臆せずに自分の意見を主張できるのではないでしょうか。

1−2 英語

企業にもよりますが、これば確実に留学の成果の一つです。資料の和訳案件や英語でのやり取りは多く、それらがスムーズにできれば情報伝達の速さと正確さが補償されるので、確実にプラスです。ただし、使う英語はビジネス英語であるため、帰国後の就職を見据えている場合は、日常会話の英語を学ぶことで満足するのではなく、ビジネス英語を学ぶことを視野に入れるとよいでしょう。

 

2,今後の留学生の方へのアドバイス

 

老婆心ながら、今後の留学に行かれる方のために、自分の経験と反省を踏まえて幾つかアドバイスをさせていただきます。

 

  1. 現地でコミュニティを見つけましょう。
    授業だけではインタラクティブな交流は少ないためです。できれば自分が完全にアウエーの立場であるコミュニティに入るといいかなと思います。

  2. 達成したかどうかがわかる目標を作りましょう。
    これは留学中に限りませんが、せっかく時間と費用を割いて貴重な経験をしているので、それが無駄にならないようにもそうするといいと思います。初めに明確な目標を設定し、帰国前まで定期的にそれを評価すれば、「楽しかったー」という感想だけで終わる留学になることを避けられます。

  3. 留学の目的と、その目的を達成する上で留学が本当にいいのかを、留学を決める前にもう一度考え直しましょう。
    とりわけ、学びたい学問があって留学に行く場合は、英語の情報伝達であることによって学ぶことのできる量が減ってしまうことを予め想定しておくべきだと思います。

  4. シャンペーン・アーバナという地
    知っている人は知っているかもしれませんが、シャンペーン・アーバナという地はシカゴから3時間離れた田舎にあります。そのため、同じ「アメリカ留学」と言っても、大都市にある学校に行くのとでは環境も得られる経験も異なります。例えば、シャンペーンでは自然に囲まれてアジア人も多く混ざる環境で勉強に集中することはできます。キャンパスの中ではアルバイトなど多様な経験もあります。ただし、キャンパスの外で得られる経験はあまり多くありません。こういった点を加味し、自分の留学の目的を達成する上でこの大学が最も良いのか、比較対象がある場合には情報収集などもした上で判断するといいでしょう。

 

生まれて初めての留学生活は私にとって間違いなく貴重な経験となりました。少しでも多くの方が、この機会を利用して有意義な時間を過ごされることをお祈りします。

写真:帰国後直前の旅行先の湖の浜辺で。

守埼美佳さんの2017年4月分奨学生レポート

みなさんご無沙汰しております。第41期奨学生の守崎美佳です。いよいよアメリカで書く最後のレポートとなりました。アメリカではさくらが見られないものかと思っていましたが、日本館の周りにはきれいなソメイヨシノが咲き、もう少しすると枝垂れ桜も咲き始めるとのことです。多分この場所で、色とりどりの花が咲き乱れる木々に囲まれた小道を歩き、ふと気に入ったところで立ち止まり、春の香りと程よい暖かさを感じる瞬間はもうないのだろうなと思うと、今この瞬間が愛おしく思えてならない今日このごろです。

-photo1 さくら

日本館の庭にはギースもいて、水の中を泳いだり、外に出てきて水かきと羽を休めたり。彼らも人が集まり賑やかなのは嫌いじゃないのか、こっちをじっと見つめるので、カメラを向けると、半ばカメラ目線のギースの写真が取れました。

-photo2 かも

1、履修した授業

STAT410
・先学期に履修したSTAT400に引き続き、確率論の授業を履修しました。授業形態は週3回の講義、また週1回の宿題で構成されています。基本的な確率分布について学習をした先学期に引き続き、今学期は2変数の確率分布や推定の方法、推定したパラメーターの妥当性の確認を学習しました。

MATH241
・微分積分の授業でした。授業形態は週3回のレクチャーと2回のディスカッション、毎週WEBで提出をする宿題と、毎学期3回の試験で構成されています。教授がレクチャーを担当し、TAがディスカッションを担当します。多くの学生がエンジニアになるこの大学の風潮を反映してか、学習する内容が教科書のカリキュラムに準拠したシステマティックなものになっており、基本的な公式の運用方法を効率よく習得できる反面、深い思考をさせる工程は少ないように思いました。

MATH415
・線形代数の授業です。数学の割にボキャブラリーが多くて大変です。オンラインシステムを利用して生徒が質問をし、TAや教授がそれに答えるという形態が便利です。また、チュータリングルームの制度が充実しており、週3回〜4回、毎回3時間ほど、学生が自由にTAに質問をする事のできる機会が整っています。

CS105
・コンピューターサイエンスの授業です。内容は、Scratchという、プログラミングのピースを組み合わせるパズルから、Excel、Java Script という順番で、全くパソコンの前提知識のない人でも親しみながらプログラミング言語の作りを学んで行くことのできる構成になっています。
この大学がコンピューターサイエンスの分野で有名であるとはもともと聞いていましたが、そのような結果が出せているのはファカルティが採択している教育制度にも原因がありそうです。毎回授業開始2時間前までが〆切になっているアクティビティは授業のための準備を促進させるでしょうし、学生がノートをとってシェアする制度は担当者にも他の学生にとってもウインウインです。学生にインセンティブを与えることにって学生がより多くを学ぶための態度や行動を促進することが教育の原理であることを考えれば、それらを「学生の自主性」に任せるだけでなく、制度化できる部分は制度化することによってより高い結果を生み出すことに成功しているのだろうなと思います。

まとめ
振り返って見れば、高校3年生で文系を選択して以来避けてきた分野に入り込んだ今学期でした。高校の時よりは分野への理解が進んだ自負はあったものの、やはり他の人より達成度が低く、更に自分の努力量も足りなかった。この分野で将来組織の中で貢献しようと思うのであれば、さらに勉強をすすめる必要があるというのが、今の率直な感想です。
また、成績を取ることと原理を学ぶことのトレードオフ関係についても考えさせられました。成績を取るために重要なのは、期限内に決められた課題をなるべく高い完成度で提出すること。しかしそのためには、分からない点をスキップして時間内に終わらせることを最優先する必要があることがあります。しかしそれでは自分のわからなかった所がいつまでたってもわからないままです。結局、直前に焦ることのないように早く課題を始めること、分からない事があったときはその場で解決するまで質問をすること、単位時間での学習量を上げること、など、とても基本的な習慣を自分に内在化させることが大切なのだろうなと再確認した学期でした。

2、小山記念奨学制度を存続させることの意味

私は自分自身が小山記念奨学制度を利用させていただいて留学をし、奨学生の一人として文化発信事業にかかわらせていただく中で、「なぜこの留学制度を存続させたいのか」ということをずっと考えさせられました。現在より多くの交換留学制度が提携される中で、大学側としては、限られた予算を適切に配分する必要もあるのだろうと思います。しかし、本留学制度を1年間継続して利用した今、この留学制度を継続することの価値を確信するようになりました。
ダイバーシティ
人が進路選択をする理由は様々です。留学に際しては、はじめからそれを見越して進路選択をする人もいれば、他の人より遅れたある時期に突然留学を心に決める人もいるでしょう。だけれども、途中から留学を心に決めた学生の意志が、より早い時期から留学を心に決めていた人の留学の意志よりも軽視される理由はありません。また、将来的にどちらが社会に多くの利益を残すことになるのかは一概には判断できません。そのため、より多くの留学希望者に対して機会提供がなされるべきです。現状、UIUCのような米国の大規模な大学との交換留学を提携している大学は、日本国内では一部限られています。 しかしそれでは、当然この大学への留学の機会はある一定の人に限られてしまいます。日本全国の大学の学生を対象にする本奨学制度は、より広い層の学生に対して留学の機会を提供する制度であると言えます。
人のつながり
他の交換留学の制度に決してない小山奨学制度の宝の一つは、40年を越えて築かれた人のつながりであろうと言えます。先輩方はもちろん、日本館の方々、またその他産業に携わる方々や、大学関係者の方々、そう言った方々との信頼関係が長い期間を経て構築されていることは、小山奨学制度の大きなメリットの一つです。私は留学中、 日本館の方々と関わる中で、日常を豊かにする「文化」の意味を日本館の方々からは学ぶとともに、自分だけではつながりを作りにくい現地の学生と交流する機会をたくさんいただきました。さらに、ボランティアを通じて、自分の力で他の人の役に立つ喜びを再認識し、自分の将来に対する確実な指針ができました。

もちろん、奨学制度を継続させる以上、本奨学制度がUIUC側に対しても利益を提供できることが理想でしょう。日本館を通じて学生がアメリカへの日本文化の発信に携わることは、大学に対してメリットを提供するといえます。もちろん文化発信それ自体は、短期的に目に見えやすいメリットをもたらすものではありません。しかし、日本文化のような「文化」は、人類が長い歴史を経て知恵を出し合った気づいてきた営みです。四季を愛で、一杯の茶を芸術にまで仕立て上げる精神がもたらす「豊かさ」は、それだけで生活を豊かにすると同時に、効率化、大量生産・大量消費をよしとする社会にあってはは決して気づくことの出来ないものの一つでしょう。
私はこちらに来る前まで、なぜアメリカ中西部の大学に、遠くはなれた日本という国の文化を受け継ぐ施設が このように長く存在し人々に受け入れられてきたのか、 不思議でなりませんでした。現地に来て、自分が予想していた以上に、地元の方々が日本文化に対して興味を示してくれていたことに驚きました。日本館の人気を支えるのは、単なる物珍しさ以上に、日本文化に内包される中で感じる心地よさが有り、それに一度訪れた人が気づいているからに違いありません。そこには日本文化自身の価値と、それを受け継ぎ広めて行く方々の存在があるのでしょう。
現在イリノイ州は財政難であり、本大学の財政も大部分が工学部によって保たれていると聞きました。多くの資金集め、多くの従業員を養い、多くの学生を受け入れる必要のある中で、実利的な面に重点が置かれることは理解できます。ただし、大学は本来「知」を想像し受け継いでゆく機関です。である以上、広い視野と長い時間軸で社会を捉えた時、少なくとも、幅広い「知」と「豊かさ」の価値を認め、何が大切なのかを見失うことのない大学でいてほしいものと思います。

私は留学中は周囲の人に比べればそれほど遠くには行きませんでしたが、シャンペーンアーバナという小さな日常空間から一歩外に出て未知の場所を歩く経験というのはやはりいいもので、一歩離れたインディアナポリスのカナル沿いに歩き、夕暮れ時に、日光が川の表面をなぞるこの瞬間は、シャッターに収めるととても可愛らしく見えます。

-photo3 インディアナポリス

留学中の新しい刺激に心踊る瞬間は、こうして新しい場所で新しい物を見るだけでも得られるのでしょうが、長い時間を一人で過ごし、自分の人生について再考する、いわゆる「自分の軸」を再確認する時間を得られたことには感謝せざるを得ません。全く異なる空間で、異なるものを「よい」とする人の波に飲まれると、少しは自分もそちらに流されそうになります。だけれどもふと一人になって自省すると、そうやって少しぶれたとしても、自分が大切にしたいものや向かいたい大きな方向はやっぱり変わりません。新しい環境で、新しいことを学ぶことは、自分が向かいたい方向をより明確にしそこに近づくための道具を少しでも多く手に入れて行くことなのでしょう。だけれども、最後にそこにたどり着くことができるのか、得た道具を自分の理想を実現するために使うことができるのかは、自分の意志と行動(と偶然性に頼る部分が大きい外部要因)の結果にほかならず、自分の人生には結局自分で責任を持つしかないのだという感覚は、改めて自分に緊張感をもたらしてくれます。

守埼美佳さんの2017年1月分奨学生レポート

みなさまいかがお過ごしでしょうか。第41期小山八郎記念奨学生の守崎美佳です。日本では年が明け、アメリカではまだ前の年のままというこの不思議な時間の節目に、二つ目の奨学生レポートを書いています。

 

1、授業

 

先学期にとった授業で何を学んだのかを概観したいと思います。

 

・PSYC311 Behavioral Neuroscience Lab

この授業は学部生に研究を垣間見させるための授業で、講義、論文購読、論文執筆、研究テーマ制定と発表、試験と、多くの種類の作業から構成される授業でした。内容は羊の脳の解剖、ラットを用いた不安行動における性差の検証やアルコールが空間記憶能力に与える影響に関する実験が主でした。最終発表では、授業で扱った行動モデルを自分の研究に組み込む練習をすることを目的に、 自分で研究テーマを決め、仮説構築・研究手法・結果・考察を含めてまとめて発表するという一連の課題だったのですが、 不慣れなことに、仮説を裏付ける実験データを自分で仮想して発表に組み込むことが課せられたのしでした。実験を計画し実装する前に結果を予測することは研究に必要なスキルなのかもしれないと思う反面、本来仮説を検証するために行う実験が空想のままでは結論を導き出せないではないかと、学部の授業の限界を感じずにはいられませんでした。

 

・Stat 400 確率論から統計の授業までを履修する講義。

様々な分布や検定の方法を、理論から応用まで学びました。授業は講義とグループディスカッションを通じた問題演習、個人で行う問題演習の宿題。数学は抽象的な理論と具体的な事例を交互に学ぶという形が効率的だと聞きましたが、それが授業に実装されています。理論に忠実な分、 私のように数学的基礎に不安があり基礎から学びたいという学生には適した授業です。ただし、最終目標が試験問題を解くという事でした。実際にある事象がどの確率分布で表されるのか、実際のデータを分析して仮説を検証するにはどうすればよいか、ということまでを行うことはできないので、これは自分で行うか、あるいは次の授業を探すか、ということになりそうです。

 

・Psyc 453 Cognitive Psychology of Vision

扱う内容は、視覚の原理と視覚異常について。この分野での研究が進んでいないのか、または基礎から教えることを目的としていたのかわかりませんが、扱った論文がほぼ1950年代〜1980年代のものであったことが気になりました。また脳に原因を発する視覚異常は、「ああこういう人もいるのか」と思う程度で、実際の人口は多くないように直感的に感じたため、どうしても学びがおろそかになってしまったように思います。ただし、Psyc311と併せて、様々な脳部位の機能を学ぶことができた点は評価します。

 

CHLH474 Principle of Epidemiology

・この授業では、アメリカで過去に行われた疫学的調査事例のうち、CDC ( Center for Disease prevention and Control)に記録が残されている事例を、ケースワークとして扱いました。授業の携帯は理論に関する講義と、グループワークを用いたケーススタディ、そして試験。扱うケースは実例であるということもあり興味深かったのですが、なにせ情報が足りず、実際の調査に参加をしたいという思いを強くされられました。この形態の教育はやはり「体験」に留まってしまい、現場で学べることのほうがはるかに多いに違いないという思いを強くします。

 

春学期の授業については、次回のレポートに記載したいと思います。

 

2、主なイベントなど

 

2-1:クリスマスのシカゴ

 

シカゴのミレニアム・パークには大きなクリスマスツリーが飾られていました。一度は海外のクリスマスを経験してみたいとずっと考えていたので、とてもよい機会でした。写真は、クリスマスツリーの下と、友人が連れて行ってくれたシカゴ1人気らしいのディープディッシュピザのお店で。

 

 

 

2-2:畳プロジェクト

 

現在の日本館が20周年を迎える節目に、日本から渡米した職人の方々が畳張替えをする際のお手伝いをさせて頂くという貴重な機会をいただきました。写真は、大学の門の前で、新しいユニフォームを来た職人のみなさんとの集合写真、張替え後に行われたワークショップのお手伝いをさせていただいた際の一コマ、そして終了後にキャンパスにあるジェニファー館長お気に入りののディープディッシュのお店で。

 

 

 

 

3、その他 留学を通じた学び

 

3−1:人の力を借りること。

 

今学期の留学での学びの一つはこれです。そもそも周囲と同じスタートラインにすら立てていないという環境の中で、何かに挑戦するには、自分だけでは上手くいかないことも多いと痛感。私は今回、授業でお世話になったTAさんに研究室に所属したいという話をした所、関連分野の研究室を丁寧にまとめてくださりました。またそれらの研究室に連絡を出した所、何のスキルもない学部学生を受け入れてくれる研究室は実際にありました。また、アメリカでのレジュメの書き方を丁寧に教えてくれた友人、シカゴまでの移動時間を英会話レッスンの時間にしてくれた友人など、あまりに多くの人の助けを借りることができました。周囲に助けを借り、私も周囲の人に力を貸し、互いの互恵的な行動が社会により多くの益を生み出していくのだろうなと痛感しました。

 

3−2:今の自分より一歩上の自分になろうとすること。

 

日本は島社会であり社会から逸脱しないことが最善課題だったために謙虚さを敬う文化が残ったというのはよく聞く考察ですが、他の国から熱意あふれる学生が多く来るここアメリカでは自分を実際よりも小さく見せることは全くプラスに働かないように感じます。強いていえば、人々との付き合いの中で波風を立てないことに貢献する程度。ここでは、今までの生活より一歩上を行こうとする人々がたくさん集まり、恥ずかしさなど全く見せずに自己主張・質問・競争をしています。周囲の人がより努力すれば自分もさらに努力をする必要があり、個人にとってむしろ好成績を取るのはより困難にはなりますが、社会全体としては、より大きな益を生み出す結果になっているのだろうなと思います。特に経済的に豊かでない中国人・インド人の熱心さには目をみはるものがあります。私の出会った友人は「常に今までの自分よりよい自分になっているべきだと思う」という信念と向上心を行動の原動力にしながら、 自分の利益にならなくとも友人を助けるような純粋さも持ち合わせていました。日本を始めとする先進国では多くの人が今の生活に充足感を覚え、ハングリー精神などは時に毛嫌いされるようにも思いますが、それは決して世界標準ではない。世界各国のGDP成長のスピードがよく議論されており、それらは国・自治体・組織レベルの構造的な要因が多く関係するだろうとは思いますが、その根底にはこうした個人の態度が関連しているのではないかと思うのです。

 

3−3:自分で学ぶことと、考えることのバランス〜この度の選挙によせて〜

 

 私が今までの大学教育から学んだことは、第三者の言説を盲信せず、自分の観測した情報から結論を導き出す思考力を身につけることであり、今回の留学生活でもそれを意識し行動していました。しかし今回のアメリカ選挙でその信念は更に修正されました。

 ここシャンペーン・アーバナには、トランプ支持者がまずいないどころか、トランプ支持であることを公言することさえはばかられるような風潮がありました。そのため、マスコミの騒ぎはトランプの一時的な煽動に違いない、実際の選挙ではみな合理的に判断し、その結果ヒラリー・クリントン側に票を入れるに違いない、と、うっすら感じていました。そして結果が今回の投票結果。私がいたこのイリノイ州は最後の「青い島」で、アメリカという国を決して代表していません。大学は社会的には、最もリベラルで、高水準の教育を受けている層に属するかもしれないこと。それらをサンプルとして全体に敷衍することは「サンプルバイアス」意外のなんでもないということ。そうした様々なことに、一気に気付かされた瞬間でした。

 私達は私達の支持した候補者の掲げる政策が「正しい」と言ってのけ、”Those uneducated voted for Trump”なんていう結論に達しますが、そもそも政治は個人の利害調整であり、私達と異なる社会階層にいる人達にとっての「合理性」は私達のものとは全く異なります。私は日本人留学生であり、大学生であり、中流階級に属し、私のいるリベラルかつ高等教育を受けた人の集まる自治体は社会的には裕福な層であるのでしょう。このような自分のいる社会を相対的位置を理解し、それとは異なる人々の行動原理とそれを取り囲む環境を理解していれば、今回の現象をもうすこし正しく予測することができたでしょう。そして実際の観測可能な情報にはもちろん制限があるのだから、そう言った場合には他の媒体や情報源に頼る必要があります。それこそが、広く学ぶことの意味だろうと思います。

 多くの人にとってこのようなことはさも当たり前かもしれず、ここにこうして大仰に書くことすら不勉強を露呈させるようで恥ずかしくはあるのですが、統計学を勉強していた最中ということもありとても印象深いできごとでしたので、こうして書くことにします。

 

守埼美佳さんの2016年9月分奨学生レポート

月日が経つのは本当に早く、昨日シカゴはO’Hareの空港についたばかりだと思っていたのに、もう最初の留学レポートを書くことになりました。この留学レポートは、留学を支えてくださった方々へのご報告、次の代の奨学生の留学準備の参考資料、留学をする可能性が少しでもある方への情報提供の、3つの目的を意識して書こうと思います。

8月14日早朝にシカゴのオヘア空港に到着。留学生の多くはこの日にシカゴに到着し、バスで大学に向かいました。バスの中ではアジア人が多く、窓の外に目をやる人もいれば、学期開始1週間前だというのに完璧に組まれた時間割を最終確認している人まで。特に中国人の多くはより高い教育水準や生活環境、仕事を求めて、高い競争率の中、尋常ならぬ努力をして国外で学ぶ機会を獲得するといいますが、その一面を垣間見たようで、少し緊張感を覚えました。

履修している授業の中で代表的なもの

・PSYC311
Behavioral Neuroscience Lab
動物の行動を脳から理解するための実験実習です。脳の部位についての講義や、羊の脳の解剖、ラットを扱う練習をしています。ただの講義形式ではなく、自分で考え知識を蓄える授業を取りたい、と思い、履修をしました。

・Stat 400
確率論から統計の授業までを履修する講義。
内容は日本の高校数学の確率から大学初期で学ぶ統計を合わせたものです。数学は日本語をほぼ直訳すれば大体意味を理解できる授業のため、言語のハンディキャップが少ないと言えます。そのためか、授業の主導権は中国人とインド人に握られています。日本と異なるのは、グループディスカッションがあるということ。機械的に計算をして正解を導くのではなく、答えが用意されない状態で少しでも正解に近づく過程が重視されているように感じます。そして、グループで討議をすると高い確率で間違いが淘汰され、正解だけが昇華されて残るところがとっても不思議です。

Psyc 453
視覚の構造について、例えば、自然界に存在する光を、人間はなぜ今見ているような「色」として見ることができるのかを、脳や神経系の構造から明らかにしていきます。講義とゼミの掛けあわせのスタイルです。余談ですが、講義をする先生が授業中に糖分補給としてM&Mをつまんだり、プレゼンを担当する学生が堂々と水筒を教壇に持参する点に、アメリカらしさを感じるのでした。

授業全般のまとめ
私が日本で所属していた大学は「研究機関」としての色が濃かったことに比べ、ここイリノイ大学はむしろ「教育機関」としての色が濃い印象を受けます。その理由としては、第一に、試験や課題の量が膨大です。大体の授業では、一学期に3回の試験、少なくとも2週に一度の課題の達成度合いから、成績評価がなされます。第二に、充実したITシステムを全学的に導入し全ての授業で活用していることも、特筆すべきです。大学に共通IDシステムがついており、授業のスライドや講義録、課題などは全てそちらにアップロードされます。このシステムには授業を担当する教授の連絡先なども全て記載されています。学生は授業の復習、教授への連絡、課題の復習、また課題に関する質問や議論をこのITシステム上で行うことができます。

交換留学生は必修科目がなく、好きな授業を履修できます。ただ、交換留学生にもアドバイザーがついており、履修した授業の難易度を個人個人に対して教えてくれます。授業の履修は自由ですが、自分が所属する学部以外の学部で開講されている授業の履修には当該学部への連絡など複雑な手続きが発生することもあるので注意が必要です。

日本でも聞いていたことではありますが、日本の講義が教授から学生に一方通行であるのに対し、アメリカの授業は教授と学生との対話にほかなりません。学生は教授の講義が途中であっても、疑問点があると手も挙げずに質問をし、教授もそれに対して回答をします。しかも大教室であっても、学生の声が教授に届く範囲なら、この形が維持されます。

アメリカの大学は授業料が高いという評判は本当で、ここイリノイ大学も州立大学であるにも関わらず、学生は日本と比較にならない額の授業料を支払っています。ただしその分、大学として学生に提供するリソースが大変多い。学生寮や食堂、交通機関、スポーツジムといったハード面はもちろん、各種催しや学習・就職のサポートなどのソフト面での支援も大変手厚いと感じます。高い授業料はこうした施設費や職員の雇用に還元されているのだろうと思います。

所感
渡米して数週間ですが、大雑把な日米比較をしてみたいと思います。
非常に大雑把ではありますが、日本は「型」を重視し和を維持する傾向が強く、それが「周囲の迷惑にならない、授業の進行を妨げないように静かに授業を聞く』講義のスタイルや、「多くの挨拶文を伴うe-mail」に顕著にあらわれているように思います。一方アメリカは「無駄をそぎ落とし、全体の効用を上げる行為」が賞賛される用に思います。それが、「疑問があったら全体の前やオンライン上で質問する」授業形態や、「必要最低限の内容のみが記載されたメール」にあらわれているように思うのです。
これらは質的な違いであり、一方がよくもう一方が悪いという判断を下すべきものではありません。ただし、ある目的や条件のもとでは、一方の手段がもう一方の手段より優っている場合がありそうです。例えば、授業は学生の学習効率を高めることを目的としています。その中で、もしも全ての生徒が、教授の講義を、全てその場で完璧に把握できると考えるなら、日本の大学のように、授業で質問をしない方が、50分の講義の中で多くの情報量を持った授業をすることができます。しかし、多くの学生は講義の内容に対して無知であるため、往々にして講義のどこかでつまずいています。また、学習は内容の入力だけでなく、思考の出力とそれに対するフィードバックとしての入力の繰り返しにより進むように思います。そうであるなら、不明な点をその場で解消することが学生の理解をより促進するものであり、ある学生が質問をした場合、その学生の疑問点が解消されることはもちろん、他の同一の内容で躓いていた学生に対しても益があるため、その授業はより多くの人に益をもたらす「良い授業」と呼べることになります。

アメリカは人種のるつぼ、とは中学校の地理の試験答案に繰り返し書いた記憶があります。当時は試験のために覚えたこの言葉ですが、実際にアメリカに来てみると、まさにその通り。普段人と話していても、英語のほかに中国語、韓国語、スペイン語などもう一カ国の言葉を話す人が大変多い。ゆくゆく話を聞くと、「私はABC(American Born Chinese)なんだ」「両親がチリの出身なんだ」というバックグラウンドを持つ人ばかり。歴史を紐解けば何の不思議もないことですが、実際にその世界に巻き込まれると感動は一潮です。
この環境の中にいて一つよいことは、他人と同じであることを強要されない「マイノリティ」にとって住みやすい国である、ということ。肌や髪の色、体格、ファッション、生活形態、全てが異なるものから構成され、多数派や少数派という概念は薄弱です。
ただもう一つ直視をしなければならない現実は、それぞれの民族にとってのcozy zoneは確実に存在するということです。多様性を尊重「すべき」という理念を共有していても、言語が通じ同じ生活習慣を共有し価値観の合う人々といるほうが楽なのは確実。中国人は中国人同士で、欧米人は欧米人同士で、インド人はインド人同士で友人や恋人関係を形成するのがまだまだ普通なように思います。

アメリカに来れば多様な人々が瞬時に共生できるというのは理想論なのかもしれません。渡米したばかりの興奮も次第に冷め、言語や人間関係、授業などで様々な壁が見え始めてきたこの頃、今後如何にこれらの壁を突破していこうか、考える余地はたくさん有りそうです。

 

2016年9月24日(土)
第41期小山八郎記念奨学生 守崎美佳

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本奨学制度に深いかかわりのあるAlice Vernonさんとそのお友達とディナーテーブルを囲んで。