2008年度奨学生レポート(森本 なずな)

JICの皆様、ご無沙汰しております。2008年度奨学生、神戸大学国際文化学部3年の森本なずなです。先日のリユニオンパーティーでは、楽しい時間をありがとうございました。6月30日にイリノイから帰国し、早くも1ヶ月が経とうとしています。現在は実家で、イリノイではあんなに懐かしんだ山々を目の前に日々を過ごしております。10月からは神戸大学に復学し、本格的に始まる就職活動に備えたいと思います。

小さい頃からの夢であった留学を終えた今、自分の中で一つの目標が達成されたなと思う一方、その貴重な1年間を私は自分の夢を達成したと言えるほど、有意義に使えたのかという思いもあります。しかし、この留学で何かを学んだことは間違いないので、今はイリノイでの日々を思い返し、一つ一つ整理しているところです。

さて、この最終レポートでは4月から帰国するまでの日々と留学のまとめについてご報告させていただこうと思います。

* 学業 *
4月になるとすべての授業においてまとめの時期に入り、プレゼンやテストが始まりました。メディアの中のジェンダーを考える授業では、有名なゴシップブログにコメントを書き込むというユニークな課題が出されましたが、拙い英語で寄せたコメントに反論が寄せられるなどのやり取りがとてもおもしろく感じられました。またChild Psychologyの授業では、初めて受講した心理学の授業ということもあり、アメリカの学生が好むという選択問題形式のテストに、私は大苦戦し、何回もTAのところに通い質問するということもありました。しかしこれらの授業や、秋学期にとった様々な女性学の授業から、多くの刺激を受け、たくさんのことを学びました。授業中にためらうことなく、女性について意見をいい、議論を展開する学生の態度からは、女性学の先駆者としてのアメリカの姿を学びました。また秋学期、春学期の授業を通して、私なりに、アメリカの目指すフェミニズムへの疑問も浮かびました。これらはどれも日本にいてはできなかったことですし、まだまだ学ぶ点はありますが、女性学を学ぶ上での自分自身の意見を明確にできることができ、本当に貴重な経験であったと思います。

* Japanese Coffee Hour *
4月16日に私の住んでいたコスモポリタンハウスで、日本について紹介する機会を得ました。手伝ってくれるメンバーを呼びかけたところ、イリノイ大学にいる日本人から日本に興味のあるアメリカ人まで、かなりたくさんの人が手伝ってくれました。みな忙しかったこともあり、準備期間が限られ、また十分な大きさの炊飯器もないため、何回もご飯を炊かなくてはいけなかったり、実際の料理が予定通りできなかったり、また借りてきたプロジェクターが動かないため、せっかく作ったパワーポイントを大きく映しだせなかったりと、トラブルがたくさんおきました。しかし、みんなで一生懸命どうしたらよいか考え、協力し合い、なんとか本番を迎えることができました。本番はあわただしく過ぎていってしまいましたが、会場に来ていただいたお客さんには大変喜ばれ、苦労が一気に吹き飛びました。その後片付けは大変でしたが、みんな掃除まできちんと手伝ってくれて、目立つところだけではなく、すべてのことについて協力して助け合えるところが、日本人の心を持つことのよさだなと思いました。特に、コスモに住んでいる私が取り仕切って行わなければいけないところを、時間を割いて私に代わって作業をし、手伝ってくれたJICの奨学生のみんなには心から感謝しています。

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* 春学期が終了してから *
授業がすべて終わりを迎えると、私はイリノイ大学に来たときからやってみたいと思っていた、キャンパス中央に広がるQuadの芝生の上での日光浴を実行しました。夏の始まりを感じさせる日差しはとても気持ちよく、イリノイの空の広さをしみじみと感じました。また、アバーナの閑静な住宅街を散策したり、近くの公園に行ってたくさんの蛍に感動させられたりなど、シャンペーン、アバーナを満喫しました。その他にも、テネシーで行われるBonnarooという音楽祭に車で8時間かけて出かけ、イリノイとは違うアメリカ南部の文化や、アメリカの若者の活気を感じました。

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しかし学期の終了は、同時に友人との別れを意味するものでもあり、テストが終わり次々に帰ってしまう友人や、一緒にコスモで暮らしたハウスメイトとの別れはとても辛いものでした。特にコスモポリタンハウスで毎日のように仲良く、家族のように暮らした仲間との別れは悲しく、様々な思いがこみ上げてきました。彼らとの、毎日冗談を言い、からかい合い、励まし合う、あのような共同生活はもうできないのかと思うととてもさびしくてたまりません。国も文化も違う個性あふれる人々が集まって、一緒に暮らすコスモポリタンハウスは、私にたくさんの出会いをもたらしました。あのメンバーで、あのキッチンで、みんなで談笑した時間はもう戻ってきませんが、彼らのような仲間に出会えたことは私の誇りであり、いつかまた彼らに会えたらと願うばかりです。

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* 留学を振り返って *
留学していた1年間は私にとって大学でのExtra year であり、常に何かに追われていた日本での生活とは異なり、ゆっくりと自分や友人と向かい合うとてもいい機会となりました。
最初は自分の英語力のなさを痛感し、また、慣れない土地での生活に戸惑うこともありましたが、私が誇れることは、1度も日本に帰りたいと思ったり、イリノイでの生活を苦だと思ったことがないことです。私は、イリノイで自分らしく楽しんで生活することができ、また私を支えてくれる多くの友人にめぐり合えたことを、誇りに思い、それらを自分の自信へとつなげたいと思います。留学が私の視野を広げたことは間違いなく、また自分という人間について問い直す機会も与えてくれました。日本に帰国した今は、留学を通して変わった自分や、自分の持つ意見、周囲への感じ方などを、日々体感し、その意義について問い、自分の中で整理している最中です。このような貴重な留学という経験は、私という人間をより豊かなものにしたと信じております。今後はこの経験を様々な面で活かし、頑張っていきたいと思います。

最後になりましたが、JICの皆様、私にこのようなすばらしい機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。今後はこのすばらしい機会を絶やさぬように、JICの運営をお手伝いさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。

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森本なずな

写真解説
1、Coffee Hourの準備
2、Quadの芝生の上からUnionを撮影
3、お世話になったハウスメイトの卒業式
4、コスモのみんなで記念撮影

2008年度奨学生レポート(椿 晴香)

JICの皆様、1年間大変お世話になりました。早いもので8月にイリノイに来てから9か月が経ち、Spring semesterも終わり、とうとう帰国となりました。奇しくもイリノイを発った5月は昨年イリノイに来た8月とカレンダーが全く同じで、期末試験も終わった13日水曜日には出発日かつ到着日の8月13日水曜日のことを思い出しました。案外早くキャンパスの地理に慣れて安心していたのは昨年の8月のこと、イリノイ最後の1週間に仲のよい友人とGreen & Wright の交差点を通った時は、何とも言えない郷愁の念でいっぱいになりました。
しかし、このように出発前のことに思いを馳せるようになったのは、5月になってからのことです。それまでは引き続き無我夢中、最後の2ヶ月弱も盛りだくさんで過ごすことができました。まず、その様子をご報告させていただきます。

☆Know your audience.
教養学部生としては東京大学での教養時代も含めて最後の学期、それも終わりに近づきました。自分にとって全く新しい学問分野を学ぶことは結果的にしませんでしたが、異国の地で学ぶだけあり、新しい発見がありました。Soil Chemistryは学期中も楽しんでいましたが、帰国後の卒業論文テーマ決めに本当に役立っています。西洋史の授業では、日本でそれほど強調されないホロコーストがフランス革命と同じくらいのコマを割いて扱われました。以下のクラスでは、実践的な体験をすることができました。

“Crop Science483 Outreach Education Skills”
大学のExtension(Crop Scienceの授業の中での定義は、地元の農家や一般市民へ大学で調査研究した農学系の知識を伝えること)専門職の方のオムニバス講義でした。私の専門の地球科学では、子ども向け事業を催し、質問の電話を受けるExtension Centerのような施設は私の知る限り日本の大学にはありません。しかし、かねてから自分たちの研究を多くの人に伝えたいと考えており、この組織の取り組みは参考になりました。授業ではパワーポイントを用いた発表の仕方といった基本的なことからラジオ番組やpodcastを使ったextensionの例まで、幅広く学びました。アメリカならではのextensionの仕組みを知り、アメリカのland-grant universityと日本の法人化された国公立大学の比較を考える機会ともなりました。

“プレゼンテーション”
学期末は口頭発表が3つのクラスでひとつずつ、3週連続でありました。パワーポイントを背景にしてしゃべること自体は日本で経験を積んできましたが、英語となると準備もひと手間多くかかりますし、アドリブに期待することはできません。しかし、先学期の2回で多少自信をつけ、今学期の内容も高度になった発表に臨みました。3回のうち、残念ながら失敗もありましたが、二つ目の「リンの環境への影響」の発表では、一つ目の反省をふまえて聞き手を引き込むような冒頭からの流れを作り、練習を重ねた結果、自分でも話していて楽しい発表になりました。履修した中で一番授業の作り方が面白いと思っていたこの地球科学のクラスの先生からProfessional, Outstandingと最高の評価を頂き、とても嬉しかったです。
イリノイで1年の間学生をしていて目に見える一番の収穫は、英語でもためらいなく発表ができるようになったことでしょう。自分の英語での発表に生かすという意味も含めて、時間を見ては週1・2回大学院のセミナーに参加していました。外部の研究者を招いての専門の話だったため、内容も完全に理解できたとは言えませんが、初めて聞く発表者の英語のアクセントに早く慣れ、目的通り英語での発表の仕方を見て学ぶ機会にもなりました。

Outreach Education Skillsの授業と一連の口頭発表を通して、さらには長い間外国語の中で暮らして、人と話すときは相手の立場に立つことが大切なのだと実感し、練習の機会も持つことができました。これは日本でも繰り返し言われてきたことではありますが、なかなか実行できないでいました。自分と同じ専門知識のない人にも楽しんでもらえる成果発表をし、言葉を習いたての人には単語を選び、その上で熱意をもって話すこと。これから日本でも大学院に進学すると留学生や海外の研究者と接する機会も増えるようです。帰国してすぐに、学んだことが生かせそうで楽しみです。

☆外国語
“エスペラント”
もうすぐ終わりという時期になってもまだやり足りないことだらけで、面白そうなことを見つけては参加し続けていました。4月の第1週のエスペラント語クラブ1週間集中講座から始め、5月まで活動に通いました。単語を覚えるときは知っている限りの諸西欧語の語彙を総動員し、訳を考えるときは日本語の品詞分解のような考え方が使えるのが面白いです。テキストの輪読をしていて、慣れないエスペラント語を音読した後は、英語の解説の音読が私にも(あくまで比較的ですが)すらすらできているように感じ、感動しました。ほとんどが日本語やアラビア語を履修しているような、外国語学習が好きなメンバーに出会えたのが何よりの収穫でした。私はエスペラントどころではなく、訳の英単語の微妙な使い分けも教えてもらうこともありましたが、彼らの日本語の疑問にも答えることができました。英語で世界じゅうの人々と話せるのに、敢えて国際語として作られたエスペラント語を学んでいるアメリカ人には、非常に親しみがわきました。

“German 101”
102(中級クラス)を履修するほどドイツ語に慣れてはいなかったものの日本でドイツ語を2年間学んできたため、春学期最初の頃はリスニング・スピーキングの訓練にこそなれ、新しい知識はサングラスといったアメリカらしい単語くらいしかなく、物足りないと感じたことも正直ありました。しかし、振り返ってみるとネイティブのスピードのビデオや比較的最近流行った歌も教材となり、英語の文法用語も学べたのでよかったです。
先生は言語学専攻のアメリカ出身の大学院生でした。ドイツ語以外にも数カ国語学んだ経験があり、外国語初学者のつまずきやすいところを熟知していました。私に小テストを返す時は「ハルカはどこ?」と、中国からの留学生にはなにやら中国語で語りかけ、片言でも(英語・ドイツ語以外に)言葉を共有していることは嬉しいことなのだと思いました。一方、東京大学での教養課程のドイツ語はドイツ文学などを専門とする教員によるもので、読解が中心でした。それなりに私は大変楽しんだのですが、日本の授業では会話の学習でなくカフカを読んだのよと言ったらドイツ系の友人にげらげら笑われました。先生・生徒共にまとまった時間を要する外国語習得には、忙しい学者と比較的学部生に近い大学院生と、どちらのタイプの教え方がよいのかなと思いました。
学生同士の会話練習も毎回のようにあり、クラスの皆とも仲良くなりました。ドイツ語の授業で留学生の友だちが増えるという、予期せぬこともありました。また、この先生自身大変気さくな方で、学期末にクラスの学生を集めてバレーボールをしようということにもなり、試験週間であったにもかかわらず楽しい晩を過ごしました(写真:GER101)。

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“嘘”
そして、ドイツ語の先生など言語学専攻の学生に限らず、多くのアメリカ人と話すうちに、スペイン語を副専攻にしている人も多いことに気付きました。イリノイ大学にある多様な外国語のクラスを時間割で眺めつつも、趣味の外国語学習はしばらくおあずけかなと残念に思っていたところで、似た人に会えたのは幸運なことでした。思えば、寮で一番仲良くなったアメリカ人も言語学専攻でした。 ”What do you call someone who speaks three languages? Trilingual. Two languages? Bilingual. One language? American.”というジョークがあります。イリノイに来るまでは、移民でもない限りアメリカ人は英語しか知らないのかなと思っており、自分はAmericanを話すのだと豪語した人も現にいたのですが、それはどうやらusonano(エスペラント語でアメリカ人)でした。

☆Researchers are like detectives.
一学年は、留学させていただくには長い期間ですが、なかなかやりきれず悔しい思いをしたこともありました。研究室に入ることは、イリノイに来る前から決めていて8月の授業が始まる前にご挨拶に行ったほどでした。しかし、初回の打ち合わせが悪かったのか目的意識が足りなかったのか、実際にしたのは「自分の研究」ではありませんでした。学年末には学部生の研究発表会がありましたが、該当しないかとあきらめてしまいました。しかし実際には同じ研究室で私と同じ作業をしていた他の4年生も出展しており、私も挑戦してみればよかったと、相談すらしなかったことをこの上なく悔しく思いました。

持ち帰れる成果はありませんが、昨年8月から5月の授業終了後まで続けてきて、湖一つ分の堆積物コアを処理し終えました。単純作業の繰り返しではありましたが、最後の日に担当の大学生によい仕事をしたわねと言われ、その時始めて達成感を感じました。日本で所属する学科では研究されていない分野であり、今振り返ると珍しい経験です。

第2回のレポートでも述べたように研究室内の大学院生の様子からも、見て学ぶことも多くありました。生物学の基礎のクラスのTAをしていた一人は、忙しい研究の合間のoffice hourに、授業の復習や試験前の勉強会を実験室の片隅で毎週開いていました。教育熱心であった彼は研究でも他の院生たちから慕われていています。ある時そんな彼が質問に来た学生に研究の様子を聞かれ、大変だけれど探偵のようで面白いと言いました。これから私は本格的に卒業研究にとりかかります。他にも隣で度々耳にした彼の名言も、その過程で理解できたらと思います。
最後には一緒に働いていて5月に卒業した学部生たちとともに送別会バーベキューをしてくださいました。(写真:Hu lab)学部生のうちに海外に知り合いの研究者ができたのも貴重なことでした。

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☆ボランティア
もう最後と思い、学期末課題であまり時間もなかった中、様々なボランティア活動をしました。半日程度で終わり、よい気晴らしになりました。4月末にはシャンペーンの小学校で放課後のお祭りのスタッフをしました。アメリカのお祭りでは定番なのか、フェイスペインティングや簡単なゲームなどは冬休みのASBボランティアでも経験しています。アメリカ文化が身に着いてきたのを感じ、嬉しくなりました。5月に入ってからは、ホームレスのための食事施設2か所で1回ずつですがお手伝いをさせていただきました。こちらは、あきれたほど飽食のアメリカに、ある程度きちんと余分な食品を福祉施設にまわすシステムがあることを知り、安心しました。

留学生ビザの都合上手続きが厄介だったこと、また英語にも自信がなくアルバイトはしませんでしたが、その代わりに日本ではないほど多様なボランティア活動ができました。ボランティアと名前がついていなくても、後述の日本紹介を初めとして様々な活動をしました。小さなことでも助けてくださった周りの方々に直接お返しすることは難しいものの、ボランティアで多少なりともアメリカ社会に何かできていたらと思います。それ以上に、アメリカの社会のもう一面を見るよい機会でした。

☆出国
このように、相変わらず課外活動にも積極的に参加しつつ、授業も最終課題や試験を迎え、春学期も終わってしまいました。寮に入った8月17日からちょうど9か月の5月16日に退寮、慌ただしく出てしまいましたが、私の生活を守ってくれた寮には思い出が詰まっています。試験後にまだ残っていたレポートと並行して丸3日ほどかけて部屋の片づけをし、寮が閉まった後は長期休みごとにお世話になっていた友人宅で過ごしました。ここでは一緒に公園で遊んだり料理をしたりと楽しい時間でした。最後は日誌形式とします。

(5月18日)
最後にキャンパスに行き、既に夏休み期間になっていたにも関わらず、久しぶりの友人に何人も会うことができました。そして、研究室でやり残しの仕事を片付けご挨拶。

(5月19日)
この期に及んでどうしてもアメリカで見たいものがありました。そこで、朝はキャンパスの南にあるIllinois State Water Surveyに、気象観測装置を見に行きました。雨量計など観測装置には国際基準がなく、その土地の気候や目的に応じて異なります。雪の降るイリノイならではの工夫があり、興味深かったです。しかし、この見学は、日程を合わせてくださった案内の方や送迎をしてくれた友人たち無しには実現しませんでした。改めてお世話になった周りの方々にありがたく思います。
見学後すぐにシカゴから同じく20日に飛ぶ大学院生の友人とともにAmtrakでシャンペーンを発ち、その晩はシカゴ郊外に住む共通の友人の知り合いのお宅に泊めて頂きました。ちょっとしたご縁があっただけの方々なのに、外国人の私まで温かく迎えてくれた彼らには感謝しきれません。最後の晩にアメリカ人の暖かさに触れられて幸せでした。

(5月20日)
早朝空港に向かい、9ヶ月間のアメリカ生活がとうとう終わりました。
(写真:Turkey Run)

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その後はアメリカ滞在期間を振り返り、色々と考えにふけることが多くなりました。その一部をご報告いたします。

☆日本人であるということ
日本では、理系の大学生であるという以前に女子学生と特殊扱いをされることも多く、それが嫌でした。ところがイリノイに来て、たいていのクラスで男女ほぼ半々、他の集まりでは女性の方が多い時もしばしばあったため、あまり性別を気にすることはありませんでした。その代りに目立つのが、アジア出身、日本人であるということでした。初めは鏡を見ても自分の出身を意識することはありませんでしたが、人がたくさんいる中でアジア系の人がいると何となく仲間意識を感じる自分に気づきました。それは相手にとっても同じようで、初対面の白人同士はよそよそしくしている場面でも、きっとアジア系だからという理由で話しかけられたこともありました。

そして、まわりの人から見ると私はやはり日本人なのでした。日本に興味を持っている人、sushiが好きな人は予想以上に多く、私の知らない日本の漫画キャラクターを知っている人、それが高じて神式結婚式をするのだという人もいました。そんな彼らは、私が日本人と知るといろいろ話しかけてきてくれました。4・5月は特に日本紹介の機会が多く、太巻きや天ぷらの作り方を教えたり、外国について調べて発表をする課題があるので話を聞きたいという中学生と話したりしました。同時に、自分はやはり日本が好きで、帰るのが待ち遠しいとも思い始めました。初めの頃はアメリカ風の料理を作ったものでしたが、4月にCosmopolitan Clubで開いたCoffee Hourをきっかけにその後のpot luckにはおにぎりを作っていくようになりました。思えば子どもの頃から英語が好きで、外国にあこがれていたようなところもありましたが、大人になるにつれ日本の美しい文化や自然に触れ、少しずつその良さを解するようになってきました。こうして長い間日本を離れると、よりいっそう日本の良さが見えました。アメリカが嫌いになったわけでもありませんが、自分の根本にあるものを客観的に見ることができました。

一方、9ヶ月間アメリカで暮らし、多少なりともアメリカの文化を知ることができました。日本の英語の時間にも西欧の年中行事や音楽に触れる機会はありますが、やはり長期間その文化の中で暮らして初めてわかることもありました。アメリカ人に囲まれての寮生活で、学生の日常生活を見ました。これもまた日常的に毎週木曜日には軍服で登校する学生がいる他、友だちが軍に入ろうと考えているらしいという話も聞きました。娯楽の面では、寮のシャワー室で流れていたラジオから流行りの歌を覚えました。初めは自分でクラシックのチャンネルに変えたものですが、後半は流行歌でも構わなくなりました。おかげで、帰りの飛行機のオーディオで楽しめるチャンネルの数が増えました。そして、Alternative Spring Break (ASB)のボランティアキャンプを通してpop musicに合わせて踊る楽しみがわかるようになりました。日本の友人に私も踊れると言ったら驚かれることでしょう。秋口に、最後にはreal Americanになれるわよ、と予告されたことを思い出しました。果たしてどうでしょうか。

☆ふるさと
悩みの多かった春にJIC2006年奨学生の西村さんが夏目漱石の『私の個人主義』を紹介してくださいました。それを機に、帰国後は漱石ばかり読みました。以前は気にもとめませんでしたが、漱石も留学帰りで、まず親近感を感じました。しかし、比較するにも畏れ多い明治の文豪たちの留学と私の1年は随分と異なります。最も違和感のあった一節、「体力能力ともにわれわれよりも旺盛な西洋人」(夏目漱石『現代文明の開化』)と思ったことはありません。イリノイに来る前は体格が違い、衣類の買い増しができないかと心配していましたが、日本人の若い女性より小柄な女子学生にも人種によらずたくさん会いました。通学通勤にかかる日々の運動量からすると、体力はわかりません。能力はそれこそ個人差がありました。
それどころか、学術的なメリットは感じながらも、もしかしたらとフロッピーディスクを日本から持って行ったほど産業先進国に留学しに行くという実感は全くありませんでした。それに対して、アジアからの留学生たちは、うちは貧しく発展途上の国だからこうしてアメリカに来て勉強するの、今の政府高官もUIUC出身が多いのだ、と留学に対する意気込みも違いました。

学期が終わった後、日本に帰る前に数年来の旧友たちに会いに、バンクーバー(カナダ)と台北に行きました。バンクーバーはシャンペーンよりずっと大きい街ですが、街並みや商店の様子は似ていました。そして、台北および友人の通う台北より少し離れた大学のまわりは、何となく日本の首都圏及び郊外に似ていました。

台北では、私が中国語に一瞬戸惑ったと思った瞬間に英語で応対してくれました。一方、北米の店頭ではヒスパニック他で困っている客に対して頑として英語でしか対応できないという情景を何度も目にしました。台湾では少しくらい田舎に行ってもICカードでバスや電車に乗ることができますが、シカゴ、バンクーバー他、私が見た北米の大都市では未だに磁気カードでした。日本や台湾では相当大都市から離れてもきちんとゴミの分別がなされていますが、シャンペーン市では分別回収はしていませんし、リサイクルでないゴミは全部land fill行きと聞きました。これは私が見たアメリカの一部に過ぎず、北米の方が進んでいるところもあるのでしょう。しかし、日本に十分自信を持っていいと改めてわかりました。(写真:cherry)

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☆ 最後に
5月も8月も31日ある大の月で、昨年9月と今年の6月も同じカレンダーになり、6月は日にちを見ながら新しい生活へ適応していった過程を思い出しました。イリノイに来てひと月と少し経った9月の最後の週には、すっかりMTD(キャンパスバス)を乗りこなして、中間試験第一弾の合間に各種イベント・講演会に参加していました。帰って来て約ひと月経った今、6月の最後の週、すっかり日本に慣れたように思います。帰ってすぐは自宅からの景色に高層ビルが増えたこと、学校の廊下や洗面所の照明が節電型になっていたことに驚き、何より一学年進んだ友人たちに圧倒されていました。しかし、また以前のような学生生活に戻り、新しい学年の人たちとも親しくなりました。嬉しいことに、家族だけでなく同じ学科の友人たちや先生方、大学1年の時以来の友だちまでが、歓迎してくれました。これだけ私のことを大切にしてくれる人たちから離れて行った留学、自分にとってどんな意味があったのかは、まだはっきりとは見えません。しかし、見守ってくださった周りの方、そして自分の将来のことを考えると決して「失われた一年」ではない、いや、そうしてはいけません。イリノイで学んだことをこれからの人生でじっくり生かして参ります。

アメリカはhappy countryである、Everyone is happy.とパキスタン出身の研究員さんに言われました。本当かなと思うほど1年間苦しいこと、しかしもちろん楽しいこと、いろいろなことがありました。今までの人生で最も異色な一年です。同時に人生の中で転換期となるような気がします。これは規模、包容力ともに大きいイリノイ大学であったからこそです。支援してくださったJICの皆様、本当にありがとうございました。

東京大学理学部地球惑星環境学科4年 椿晴香

写真の説明
GER101:キャンパスのバレーボールコートでドイツ語クラスのメンバーでバレーボールをしました。(この科目の口頭試験が終わった夕方)
Hu Lab:研究室の皆と
Turkey run:地球科学の授業で巡検に行きました。中西部も平坦なところばかりではありません。
cherry:見慣れたような春の花(イリノイ大学構内)

2008年度奨学生レポート(本間 奈菜)

Japan Illini Clubの皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?一橋大学法学部4年の本間奈菜です。日本に帰国して、はやくも一カ月が経とうとしています。振り返ると、シャンペーンで過ごした9カ月は、本当に矢のように過ぎてしまいました。今回が、私の最後の奨学生レポートになりますが、春学期後半の様子と留学を通して学んだことをお伝えしようと思います。

 Japanese Coffee Hour
Cosmopolitan Clubにすむ同期の森本さんを中心に、今年も4月にJapanese Coffee Hourを開きました。日本に興味のあるアメリカ人や日本人の友人に手伝ってもらい、2日がかりで100人分の料理を用意しました。私は事前の宣伝を担当したのですが、当日は開始時間前からたくさんの人が来てくれ、30分ほどでなくなってしまった料理のお皿を見て、とても嬉しかったのを覚えています。森本さんを中心に行ったクイズを含む日本についてもプレゼンテーションも大変盛り上がり、準備は大変でしたが、先輩方のレポートにもあった通り、やってよかったなと思いました。

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 Final Week~帰国
春休みのワシントンDC,ニューヨーク旅行から帰ってきた後は、二回目の中間試験やペーパーを経て、キャンパス全体が期末に向けての追い込み勉強モードに突入しました。私は試験に関しては、幸い全てcumulativeではなかったので、そこまでの負担はなかったのですが、今学期は大きなペーパーを書き上げなければならない授業が4つあり、そのうち3つは期末の時期に集中し、さらにそのうち2つは統計プログラムを用いた研究を前提にしたresearch paperでした。なるべく早いうちから進めようとはしたものの、締め切り直前は書きあがるかわからない焦燥感でいっぱいでしたが、教授やTAの助けでなんとか乗り越えることができました。統計の手法など無知な状態から始めたresearch paperでしたが、この経験は、日本に帰ってからも、スキルの面でも、意識の面でも大きな影響を与えると思っています。一橋大学での卒業論文も、同じようにできたらなと思います。
また、今学期学業に関してもうひとつ嬉しかったことは、期末ペーパーも試験もない、Global Studies 296 Understanding Global Water Issuesで良い評価をいただけたことです。この授業では、水にまつわる問題を様々な視点から―アメリカ国内の問題から世界の各地域の開発途上国での問題、技術的な問題から、経済的な問題、政治的、社会的な問題―を議論します。評価基準の大きな割合を占めるのが、期末にあるディスカッションにむけての準備でした。ディスカッションというのは、クラス内で似た問題意識を持つ数人でグループを作り、模擬NGOとして自らの団体のmission statementや事業内容を策定し、模擬NGO間のディスカッションを通して一つの政策に集約していく、というものでした。私は2人の学生とともに、アジア諸国に安全な水を供給するという使命の下、技術の普及と水問題への注目を集める啓蒙活動を行うNGOを作りました。ディスカッション自体にはほかのメンバーが参加し発言したものの、元来途上国支援に興味を持っていた私は、ミーティングの際に、実際に援助事業として行われているプロジェクト等を紹介する等、自分たちのNGOのメインアイデア形成に貢献しました。2回の授業時間を使って行われたディスカッションの結果、投票で私たちのNGOがthe best NGOに選ばれたのですが、本当に嬉しかったです。

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帰国を意識しだしたのもこのころでした。キャンパス内で誰かに会うと、決まってWhen are you going back Japan?と聞きます。期限付きの留学であることも理解はしていたものの、友人たちともう簡単に会えないことを考えると、もっと長くいらたらいいのに…と毎日のように考えていました。簡単には会えなくなってしまう前にと、仲の良い友人たちとは、一緒に過ごす意識的に時間をとるようにしていました。
さらに加えて帰国の準備もあり、学期末は一年で最も慌ただしかったことを覚えています。Global Crossroadのmoving outは特に印象的で、試験週間が終わった金曜日から土曜日にかけて、どの部屋も、荷物を運び出したり、物を捨てたりと大騒ぎでした。当初、いらなくなったもの(服や文房具、家電など)をロビーに置き、ほしい人が貰って行く、という”Take Free!” のシステムをResident Assistantが作ったのですが、土曜日には残念ながらロビーはものが溢れた混沌と化し、皆で、「あの狭い部屋からどうしてこんなにものが出てくるんだろう…???」と不思議がりあいました。
なんとか時間までに荷物をまとめ(帰国する留学生の場合は荷物の重さも考慮しなければならないので、さらに大変です)、同期の森本さんのCosmopolitan Clubの部屋に一週間泊めてもらいました。帰国まではGreen Streetをぶらぶらしたり、シカゴまで日帰りで遊びに行ったり、のんびりと充電期間のように過ごし、シャンペーンでの濃い9カ月を振り返る時間が持てました。成田空港行きの飛行機に乗るまで、帰国する実感がまったくなかったのですが、帰ってみると、アメリカと日本の遠さを思い知り、向こうの友人を思うと寂しくなります。

 留学を振り返って
アメリカで、そしてイリノイ大学で学んだことは、もちろんたくさんありますが、大きく3つに分けられると思います。
一つ目が、「無力」な自分と向き合うこと。授業は、課題ひとつ満足に終えられないところからのスタートでした。時には、英語が不自由なことで、一人前として扱われない(と感じる)こともありました。何度も悔しい思いをしましたが、いつからか、逆に一つ一つ、やればやるだけ、自分に力が付いていくことを実感できるようになっていました。この達成感は、日本では得られないものかも知れません。失敗や後退を恐れてトライすることをためらうのは、ここでは無意味だと感じ、興味を持ったものはとりあえず挑戦してみる、だめだったらだめでいい、というスタンスで取り組めたことは、私にとっては大きな変化です。その結果アメリカでやり遂げられた経験は私に自信をもたらしましたし、それを今後にもつなげていきたいと考えています。
二つ目に、自分が当たり前だと思っていることに固執しないこと。自分ができないことのほうが多いように、人にも、当たり前のこととして何かを期待をする場合、自分のほうが不適切であるかもしれないと学びました。「こうでなければならない」という固定的な考えから離れた途端、楽しんでできるものが一気に増えました。今までと違うもの、新しいものに対する好奇心が、シャンペーンにいる間にはぐくまれたと感じます。
最後に人との出会いの大切さです。日本でも、私は人と話すのが好きでしたが、シャンペーンに来て、日本語であっても英語であっても、言葉に不自由していても、それは変わらないのだと気づかされました。正直に言って、アメリカ人同士が話すスピードや情報量の多さを目の当たりにすると、自分がいくら頑張っても、彼らのようにはコミュニケーションはとれない、と何度も落ち込みました。それでも、何人かの友人は、”Because it’s you Nana. It’s not the skill.”と言って、励ましてくれました。上記の二つの点も含めて、私が留学で学んだことはすべて、私が留学で出会った人たちを通して学んだのだと思います。もうなかなか会うことができない人もたくさんいますが、彼らへの感謝を常に持ち続けたいと思います。

感謝をするべきなのは、アメリカで出会った人たちばかりではありません。日本からいつも支えてくれた友人や家族、そしてなにより、このような機会を与えてくださり、そしていつも温かく応援してくださっているJICの皆様には本当に感謝してもしきれません。素晴らしい経験をさせてくれたイリノイ大学は、私にとって大切な第二の母校です。これからは、JIC小山八郎奨学金奨学生OGとして、後輩の支えとなり、またJICの活動をお手伝いさせていただきたいと考えております。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

本間奈菜
一橋大学法学部4年

写真解説
1.Japanese Coffee Hourにて
2.Alma Materの前にて

2008年度奨学生レポート(武友 浩貴)

イリノイ大学での留学生活を終えて約2週間が経ちました。あっという間の1年でしたが、僕がこの留学生活を通じて得たものは計り知れません。アメリカを出る直前は悲しさも混じり、非常に感慨深いものになりました。1年間の総括そしてスプリングブレイク以降の生活についてレポートさせて頂きます。

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<スプリングブレイクからファイナルまで>
スプリングブレイク後は、もうすぐ帰国だという現実が自分の中で大きくなってきました。それ以前はわかってはいるもののなるべくそれには目を向けずにいた自分がいました。しかし残り2ヶ月をきったくらいから、残された留学生活を出来る限り満喫したいという気持ちは願望から、義務のようなものに変化した気がします。そのため昼間は図書館で思い切り勉強しました。というのも論文の締め切りが4月の終わりに迫っていたにも関わらず、まだ10ページ以上書かなくてはならなかったですし、他のクラスもファイナルへ向けホームワークが増え、非常に忙しくなったためです。特にコンクリートデザインのコースはファイナル直前の週に教授が30ページ以上の宿題を出し、私たち学生は苦笑いでした。学べるだけ学ぼうという姿勢でファイナルまでは頑張って追い込みをかけました。論文のほうは締め切りに何とか間に合い、提出することができました。教授からもいい評価を頂き、初めてで未熟ながら少し満足の行くものが仕上がったと感じています。論文提出後はファイナルに向けての勉強を開始しました。ファイナルがあったのはコンクリートデザインのクラスと、構造分析の2つだけでしたが、どちらも内容が複雑ですのでかなりの勉強量を要求されました。しかしずっと勉強ばかりしていたわけではなく、毎日ジムに行き、プールで泳いだり、ウェイトトレーニング、ランニングもしていました。ARCというすばらしい運動施設が大学にはあるのですが、学生は無料で利用可能ですので、1年を通じて本当によく通いました。また友人たちともなるべく一緒に食事などともに過ごす時間を持ちました。特にSherman Hallの友人たちとはともに勉強したり、ディナーを食べたりと残された時間を存分に過ごせるよう努めました。ちなみにキャンパスに新しくSushi Rockと呼ばれる日本食レストランがオープンしました。ヨーロッパから来た友人たちはあまり日本食を食べたことが無かったので、みんなで行こうということになりました。みんなお箸の使い方はぎこちなかったですが、みんな日本食はおいしいと言って喜んでくれたのでよかったです。ファイナルはともに三時間の試験でした。最終日のコンクリートデザインの試験を受けた直後に僕はシャンペーンを出ました。最後の日は僕の人生で最悪の天候と言ってよいほど、雷と豪雨でした。シャンペーンでの最後の日がこれかと、心の中で微笑していた自分を今でも思い出します。1年という短い期間でしたが、シャンペーンでは多くの人に出会い、多くを学ぶことができました。出発する瞬間は本当に感無量でした。

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<ファイナル後から帰国まで>
シャンペーンを出てから僕はセントルイスに向かいました。ここではWashington University in St.louisにいる友人たちの卒業式に出席しました。アメリカの大学の卒業式に出席したことは非常によい経験になりました。また著名人たちからのスピーチも非常にすばらしいものでした。著名人の中の一人に、Teach for Americaというアメリカではとても有名な慈善団体の創設者がきていました。女性にして、プリンストン大学卒業と同時にこのTeach for Americaを設立したという敏腕リーダーとして世界的に有名です。簡単にTeach for Americaについて説明すると、有能な教師を育成し国内の貧しい地域に彼らを送り、そこで子供たちに学業を教えるということを目的にした団体です。このプログラムに参加することは非常に難易度が高く、選ばれることはとても名誉なことです。彼女が何のために、そして如何にこの団体を造り上げ、成功を導いたかということについてスピーチをしたのですが、僕を含めほとんどの学生が非常に感銘を受けたと思います。この留学生活ではWashington Universityで過ごした時間も非常に長かったため、この大学に別れを告げるのも少し淋しい感じがしました。卒業式終了後は、シカゴ大学、そしてノースウェスタン大学の友人を訪れるためにシカゴへ向かいました。シカゴ大学には以前も泊めて頂いたことがあるため今回が二回目の訪問になります。シカゴ大学、そしてノースウェスタン大学はセメスター制ではなくクオーター制ですので彼らの卒業式は少し遅い6月半ばということになります。そのため友人たちも授業があったのですが、幸いなことに僕と出発前の最後の時間をともに過ごしてくれました。友人が僕のためにわざわざ自転車を用意してくれたので、アメリカ出国の前日に、シカゴ大学からダウンタウン、そしてミシガン湖沿いを通り、北部にあるノースウェスタン大学まで行ってきました。途中シカゴ大学のビジネススクール、そしてノースウェスタン大学ケロッグビジネススクールへ案内してくれるなど本当に充実したサイクリングでした。天候も快晴で、シャンペーン最後の日とは全く対照的なすばらしい天気でした。ノースウェスタン大学では友人たちが僕のためにバーベキューをしてくれるなど、本当に楽しかったです。その日の最後に一つ貴重な経験をしました。その日は少し帰るのが遅くなってしまったため、友人がいわゆるスラム街、つまり少し治安の悪い場所を通って帰らなくていけなと言いました。シカゴ大学の周辺は治安のよくない場所がおよそ2ブロックくらい先にあります。そのスラムを自転車で通過するのは本当に恐怖でした。とくに何も起きませんでしたが、ひたすら前をみて自転車をこぎ続けました。そして5月21日、友人たちに別れを告げ、O’Hare空港に向けて朝早く出発しました。アメリカを出るという現実に対し、あまり実感も持てず、きっとまたすぐに戻って来られるというように考えることで淋しさから逃れようとしていた自分を今でも思い出します。しかし日本に帰って友人や家族に会うことを楽しみにもしていました。とにかくいよいよ帰るんだと思って搭乗した飛行機でしたが、アメリカは僕を返したくはないようでした。というのも飛行機が24時間、つまり丸一日延期されたのです。その理由は、最初は機械に不備があるということでしたが、二回目に搭乗した時はファーストクラスの食事が上手く用意できなかったといういかにもアメリカの航空会社らしい理由でキャンセルになりました。僕も含め他の乗客も不満を爆発させていました。しかししょうがないとあきらめ、航空会社が手配したホテルに1日滞在しました。次の日の朝は、前日に同じ不幸にあったアメリカ人老夫婦たちと朝食をともにしました。わざわざお金まで払ってくれたので、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。翌日は予定通り飛行機が出発し、無事日本に帰国しました。

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最後まで色々なことがありましたが、沢山の人に出会い、色々な文化や風土を感じ、あらゆることにチャレンジしたすばらしい留学生活でした。これはJICのみなさんを初め、家族、友人たちのおかげです。本当に感謝しております。日本に帰ってもこの留学生活で学んだことを忘れず、日々学ぶ姿勢で精進して行きたいと考えております。最後になりましたが、このようなすばらしい留学のチャンスを与えて下さったJICのみなさまに感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。

武友 浩貴

写真1枚目と2枚目:イリノイ大学友人たちとQuadにて
写真3枚目:ノースウェスタン大学の友人たちと、ノースウェスタン大学のキャンパスにて

2008年度奨学生レポート(森本 なずな)

JICの皆様、お元気でしょうか?日本はもう桜が咲き終わってしまうころでしょう。こちらはだいぶ暖かくなり10度を下まわるような日も少なくなってきました。外に出て空気を吸うたびに春が来ているなと感じます。それと同時に日本に帰る日がどんどん近づいてくるのだと思うととても切なくなります。残りの日々を大切に、悔いが残らないように過ごしたいと思います。さて、今回のレポートでは授業、日々の生活での出来事、春休みについてご報告させていただこうと思います。
①授業について
今学期はESL115(writing)、Child Psychology、Gender and Women’s Studies in The Social Sciences(GWS260)、Sex and Gender in Popular Media(MS356)の4コースを履修しています。中でもメディアのコースは今まで取ったことなかったのでとても興味深い授業となっています。授業では毎週のテーマに沿って、週の初めの授業でフィルムを見て、ジェンダーを中心にクラスや、文化、人種についての描写を議論します。毎週使うフィルムは映画やドキュメンタリー、またYoutubeやMTVからコマーシャルやミュージックビデオといった最近の映像も取り入れられているのでとてもおもしろいです。こういうフィルムを使った授業は本当にアメリカでは進んでいるなといつもとても感心します。また、先学期のジェンダーの授業は政治を中心に学び文献も難しく、初めてジェンダーの授業を本格的にとる私にとっては本当に大変でしたが、今回のMS356では日々私たちの触れるメディアでどのようにジェンダーやその他の社会的概念がつくられて行くかを学ぶので、毎日テレビや映画を見るたびにその映像について何らかのコメントを見つけられ、とても興味深い授業となっています。アメリカ人の学生の中でもジェンダーについての意見は本当にいろいろ分かれていて毎回の授業で自分の意見にそってのコメントを発言するので、人それぞれの個性がみえる授業となっています。

②日々の生活
今学期はとてもゆったりとしたスケジュールになっているので、先学期のように毎日勉強に追われているということはありません。実を言うと、先学期のジェンダーの授業がとても大変だったので今回はジェンダーから2つもとるからあまり授業を取らないでおこうと考えたのですが、課題の量や質は先学期ほどではなく後でもう少し頑張ればよかったと後悔しました。しかし、日々ルームメイトや仲のいい友達と時間をつくり、会って話すことができるので、本当に生活をEnjoyしています。その中でもセイントパトリックのUnofficial Dayとコスモが主催者の一部となったInternational Dinner Partyはとても思い出に残りました。

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そのUnofficial Dayは、3月6日の金曜日で私はお昼からテストがあったので、夜中に勉強して遅めに起きようと考えていたのですが、朝の8時には通りと隣のアパートメントからの騒ぎで起こされてしまったほど、学生はみな朝から飲んでよっていました。授業に行く道では本当にみんなといっていいほど緑のTシャツを着ていたり、緑のペインティングを顔にほどこしたりしていてお祭り騒ぎでした。私の授業はテストだったのでさすがに酔ってからくる生徒はいませんでしたが、キャンパス内には酔った生徒がたくさんいるといった状態でした。その日は特にとても暖かく半そでで十分という気候だったのでバルコニーやポーチ、いたるところでみんなパーティーをしていました。私も友達とテストのあとバーに繰り出しましたが、さすがにセイントパトリックデーにちなんだ緑のビールは飲む気がしませんでした。このような行事は日本ではないので本当に貴重な体験となりました。

International Dinnerは3月15日にYMCAで行われました。これは私の住んでいるコスモが他の組織と共同でチャリティーのために料理を振る舞い、またショーなども行われました。私たちこすものメンバーは料理を作ったりサーブするのを担当しました。私も日本料理を作らないかと誘われたので、その日は3時から買出しに行き、4時から料理を作り、5時から浴衣を着て6時にYMCAにいくという大変なスケジュールでした。悩んだ結果お好み焼きとゆかりご飯を作りましたが、大量な料理をたくさん作るのは本当に大変でした。しかしおいしかったといってもらえとても嬉しく、また久しぶりに浴衣を来てとても気分がよかったです。4月16日にはコスモでJapanese Coffee Hourがあるのでそれのためのいい経験となりました。

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③春休み
3月21日から29日までの春休みは以前から仲のいい友人とNew Yorkに行きました。NYでは美術館に行ったりショッピングをしたり、ショーを見たり本当に盛りだくさんの日々を過ごしました。その中でもブロードウェーショーは本当にすばらしく、さすがだなあという感じでした。私たちはオペラ座の怪人を見たのですが、舞台の細工は一刻として同じことはないというほど考え抜かれ洗練されており、またショーの衣装は豪華で美しく見事でした。また、ワールドトレードセンターの跡地も訪れ、ビルが迫って建っているビジネス街にぽかんと広大な土地が開いており、ここで世界を大きく変えるような出来事が起こったのかと思いしばらく呆然としてしまいました。このほかにもCentral Parkから眺めるNew Yorkの町並みが美しかったり、美術館やギャラリーの芸術がすばらしかったりと心動かされることばかりでした。

これからはグループワークの発表やFinal Examが待っています。どれも早く終わらせてしまいたいことばかりですが、これら一つ一つのことを終えるごとに帰る日が近づいてきてしまいます。一日一日を大切に、アメリカで過ごせる残り少ない日々をすべて思い出に残せるように内容の濃い日々を送りたいと思います。

神戸大学4回生
森本なずな

写真解説
1、International Dinnerにて
2、Coffee Hourにて

2008年度奨学生レポート(武友 浩貴)

JICの皆様ご無沙汰しております。シャンペーンは少しずつではありますが暖かくなってきております。いろんな意味で刺激的だった留学生活も6週間余りとなりました。春学期開始からスプリングブレイクまでの近況報告をさせて頂きます。

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<春学期>
今学期は自分の専攻の中でもとくに、専門分野に近い授業を多くとることにしため、とっている授業全てが構造に関する授業になっています。CEE470はStructural Analysisという授業で、構造分析に関する理論を徹底的に学びます。この授業の良い点は、実際に紙とペンを使って構造を分析するということは勿論のこと、それと平行してMATLABというコンピュータプログラムを用いることで、授業で学んだ理論が実際にどのように応用されるかということを学ぶことができます。毎週のホームワークは結構なボリュームですが非常にやりがいのあるコースです。ちなみにMATLABはイリノイ大学の学生であればただでライセンスをもらうことができ、自分のコンピュータにインストールすることが可能です。

CEE360はStructural Engineering で、実はCEE470を受講するための必須科目なのですが、同時に両方とることが可能だったので、今学期に受講することにしました。実際は日本で学んだ構造力学の授業の内容とほとんど同じだったのですが、内容がとても濃く、新しく学ぶことも非常に多いです。このコースもとてもやることが多く、忙しいですがCEE470と同時にとることで構造力学に関する理解が相乗的に深まります。

CEE461はReinforced Concrete というクラスです。このクラスではReinforced Concreteのデザインのやり方や、その性質を学びます。このクラスの教授は非常にユニークな人で、授業中にYoutubeを使って彼のチームが行ったコンクリートの破壊試験をいくつか見せてくれました。彼はテキスト以外のことも詳細に教えてくれるので非常にわかりやすいです。ちなみにオバマ大統領の就任式が行われた日、授業中にも関わらず、教授がスピーチをオンラインで見せてくれたことはとても印象的でした。CEE461のもう一つ興味深い点は、ノートの提出を求められるということです。春学期の最後に各自をノート提出しどのように要点をまとめ、どれほどの内容を自分でカバーしたのかということがチェックされ、採点されます。ノートが全体の成績の20%を占めるため、きちんと整理されたノートをつくることが重要です。これらの科目は中間試験が二回以上あり、休む暇がありません。しかしハードなコースは非常に学ぶことが多いため後悔はしておりません。

最後にCEE498というコースを紹介します。これはIndependent studyと呼ばれており、担当の先生に指導してもらい論文を書くと言うコースです。僕の場合、自分の決めたテーマについて約35ページの論文を書きます。アメリカの大学では論文を書くことは卒業要件ではないことが多いのですが、僕はぜひこちらでリサーチをしてみたかったため、受講しました。論文のテーマは”Financial analysis of construction companies and economic research on construction industry” です。Civil Engineeringに直接関係するトピックではないのですが、担当の教授が認めてくれたため実現しました。内容は米国における金融危機がアメリカの企業にどのような影響を与えたか、そしてこれからの展望についてのリサーチです。企業のバリュエーション方法は金融に関するテキストを用いて独学しています。国際的経済危機にまで発展したこの金融危機ですが、本論文ではアメリカのローカルな経済問題にフォーカスしています。よってCaterpillar (本社はイリノイ州のPeoria という街にある)などローカルな雇用問題に直接関係する大建設会社をメインに分析し、よりローカルレベルでの経済分析ができればいいと考えています。4月末が締め切りですのでこれから忙しい日々が続きそうです。第一回の中間試験が一段落したころ、友人にあうためにシカゴに二度目の訪問をしました。今回はArt Institute of Chicago という美術館に行ってきました。以前から一度は是非行きたいを思っていたのですが、以前のシカゴ訪問では行きそびれていました。今回は多くのすばらしいヨーロッパ近代絵画を見ることができ非常に満足しました。

<スプリングブレイク>
今回のスプリングブレイクは特に旅行をしたわけではなく、セントルイスにあるWashington University で論文の執筆などに勤しんでおりました。Washington University ではRelay for Life というボランティアに参加しました。このイベントはガンに関する知識を広めるため、よりよい治療法のためにボランティアを集い、夜6時から朝の6時までグランドを歩き続けるというイベントです。僕の友人がイベントのリーダーをしていたこともあり参加したイベントでしたが、ガンに関する知識や、それがもたらす恐ろしさや悲しさを学ぶことができとてもいい経験でした。

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これからファイナルまでは論文や中間試験であっという間だと思いますが、最後まで精一杯頑張りたいと思います。JICの皆様、友人、そして家族への感謝の気持ちを忘れずにこれからも精進していきたいと考えております。

武友 浩貴

写真解説
1、シカゴにて
2、Relay for life のキャンドル点火の写真

2008年度奨学生レポート(椿 晴香)

JICの皆さま、日本では年度変わりのお忙しい頃と存じますがいかがお過ごしでしょうか。研究室の4℃の冷蔵室に入った時に暖かく感じたほど外が寒かった1月からあっという間に花が咲き始め、3月も終わりになってしまいました。帰国後の計画を本格的に考えなくてはならなかったり、春休みはどうするの?に加えて、学期が終わったらどうするの?という会話が出てき始めたりと、残り時間を意識するようになりました。今回は留学期間もまだ半分あると思っていた春学期前半から春休みまでのできごとをご報告致します。

☆授業

春学期の授業も半ばを過ぎました。今学期はGEOL 333 Earth Material and Environment、GER 101 Beginning German 1、GER 199 Undergraduate Open Seminar (German Choir)、CPSC 483 Outreach Education Skills、NRES 487 Soil Chemistry、HIST 142 Western Civilization since 1660を履修しています。週1回2時間しかないクラスも二つあり、科目数の見た目よりはコマの数は少ないのですが、研究室での作業も引き続き続けているためなかなか忙しくなってしまいました。さらに、高学年向けの授業が多くなり、西洋史の講義以外は6~20人程度の少人数クラスになったため、毎週の小テストがマーク式でなく記述になったり、各先生方が名前で学生を覚えて下さったりと、真面目に取り組まざるを得ない環境になったので、ますます大変です。

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復学後は研究に没頭することになると思うと事実上最後の学部の授業になるので、専門の科目やイリノイで深めたいと思った土壌学の他に、日本の大学の教養課程の時に学びきれていなかったものを学びたいと、ドイツ語をやり直し、近現代史を履修することにしました。特に、西洋史の授業は20世紀世界史が面白いという旧友の勧めだけでなく、11月の大統領選の時に研究室の先輩と日本の人はアメリカのことが嫌いなのかしら、という話をしたことがありアメリカ人の歴史観に触れてみたいという意図がありました。中間試験も終わったにも関わらず慣れない科目もありますが、どこか発見があり考えさせられる授業は面白いです。

忙しい中、息抜きになっているのがGerman Choirです。これは正式な科目の一つとして加わったのですが大学生のメンバーは私一人、他は社会人で合唱のベテランの方々ばかりでした。しかし、たった一人の学生でしかもアジア人の私を温かく迎えてくださいました。このメンバーの良いところは、お子さんの就職状況などの話が出てくるなど大学生との会話ではわからない社会情勢が少し見えるところです。高校まで音楽が比較的盛んな学校に通っていたため、ドイツ語だけでなくラテン語の宗教曲が出てきても幸いにしてそう困らず、初めての混声合唱を純粋に楽しんでいます。2時間のまとまった練習も英語での歌の指導も経験がなかったので慣れるまでは少し戸惑いましたが、大きな声でソプラノの高い音を歌うと気分がすっきりします。4月末の発表会を楽しみに練習しています。

☆新学期徒然

春学期が始まり、1月後半はこれもまた体験と思いつつ、どういうわけだか娯楽の多い日々を過ごしました。Super Ball(アメリカンフットボールの年1回の大きな試合)をテレビで見ながらトランプをするパーティーをし、アカデミー賞発表の前だからか今までにないほど友人たちに誘われて1月だけで4回(そのうち冬休み後の2週間で3本)映画を見るなど。この間に見た映画の一つ『Yes Man』には、留学を希望する前から今までの自分の姿勢を振り返させられました。どんな機会も逃さずとりあえず「Yes」と答え、いろいろなことに挑戦することが果たして最もよいことなのか。もちろん、私の場合はそんな主人公とは異なり自分なりに考えた上で選んできたことですが、「挑戦」と「無難な道」との間の選択で、後悔していないかどうか。高校時代に芸術家の岡本太郎さんの言葉を聞きました。「私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。」、そして「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ」と。結論は留学期間が終わるまで持ち越しかもしれませんが、この冬は改めて今までの選択を振り返る時となりました。

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日本で言うところの四月病(新学期にやる気になりすぎること)、五月病でもないでしょうに、1月末から2月前半は何となく憂鬱な日々になってしまいました。きれいですらあった雪は数日の南風で融け、道は水浸し。雪どけ水は地球をめぐる水循環の大切な一要素とは思えど、実際に体験するとちっとも気持ちのよいものではありません。また、日本の同級生たちは卒業論文を仕上げて春には次の道を歩もうとしているときに私はまだ授業を受けるのみの学部生。それでも精一杯学ぼうと楽しみにしていた時間割なのにどこか日本で聞いた話ばかりで充実感がなく、イリノイに来てもう半年になるのに未だに先生やTAの英語が日によってはさっぱりわからず、やはり日本で勉強をつづけた方がよかったかと思うことさえありました。アメリカ風バレンタインデーについて話していた人たちにはたまたまアメリカ人留学生に関わらず家族と同居している人が目立ち、親族が恋しくもなりました。一時帰国をさえ考えましたが授業や宿題を休まずに帰省するのは難しく断念せざるを得ませんでした。そんな時に構内でばったり同期奨学生の本間さんに会いました。忙しい中、昼食がてら日本語でのおしゃべりにつきあってくれ、それだけで気分が随分変わりました。心からありがたかったです。親しい人との日本語での会話が、こんなにも助けになるとは想像だにしていませんでした。新たに日本人の友人を増やすほど社交的でもない私にとっての数少ない仲間、JICの仲間と一緒に留学していて本当によかったです。

その後は雪のなく汚らしい景色にも授業にも慣れ、落ち着いた日々を過ごすことができました。日本で習得した偏光顕微鏡を使って岩石を鑑定する実習も、またかとつまらなく思うのではなく、ペアの子がわからないと言った瞬間に英語で説明できると快感、私でなく後ろの子に聞き始めると、もっと上手い説明はないかと考えるなど、前向きに考えることができるようにもなりました。ちょうどこの頃から、言語学専攻でドイツ語と日本語ができるかねてからの友だちと3カ国語でおしゃべりをするようになり、他愛もない談笑が何とも楽しかったです。悩みは絶えそうにありませんが、自分で選んだ留学という無難ではない選択肢を楽しんで過ごすことができたらと思います。JICの方々を初め、たくさんの人たちのお世話になっているということも励みにし、日々を大切に生きていきたいです。

☆課外活動

今学期も寮のMA(Multicultural Advocate)さんやRA(Resident Assistant)さんが各種イベントを主催しています。彼女たちの人格によるところも多いのですが、私と年齢が近いこともあり日ごろから親しくしているので、都合がつく限り参加してみました。参加者はあまり多くなかったのですが、小正月のお祝いやダンス教室(写真Busey3)はよい気晴らしになりました。

土曜日には隔週で地元のUrbana Park Districtが自然公園の整備のボランティアを募集しています。もとからそのような活動が好きだったのと11月に参加して楽しかったため、宿題や試験勉強が少ない日には行くことにしました。作業中の気温が華氏10度台(摂氏-10℃ほど)のような寒すぎる日には中止になりましたが、0℃前後の日に外で2時間働くのは楽とは言えません。体を動かすとはいえ、息が切れるほどは動かないので。しかし、地元の自然のことを知り外来種駆除に少しでも加わる機会があるのは、一般の住民にとってもよいことだと思いました。2月に参加したときには草原にもともと生えていない種類の木を公園の係の人が切り、私たちボランティアは切り出した丸太をひたすら運びました。次の整備の時に野焼をするとのことでした。(写真:Weaver Park)

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春休みには、冬休みにも参加したAlternative Spring Breakという団体でオハイオ州のエリー湖の畔にある公園整備のボランティア旅行に参加しました。公園整備ということだったので上記のUrbanaの活動の拡大版かと想像していましたが、実際はスキー場の貸靴の片づけ・ビジターセンターの部屋の模様替え・砂浜の流木を取り除くなどレクリエーション施設の整備が主な仕事でした。その他には農場で果樹園の剪定のお手伝いが私にとってはアメリカでの初の農作業で新鮮でした。イリノイとあまり変わらず外仕事がつらい気温ではありませんでしたが、終日となると大仕事をした気分になりました。しかし、フリスビーのコースを新設するための試行と称して半日は実質遊んでいたり、仕事後に森に連れて行って下さったり、掃除をした湖で貸しカヤックを無料で使わせてくださったり(写真:Lake Erie)、半日の休みには近くのCleveland観光に行ったりと、気候のよいところや実家に遊びの旅行に行った学生たちをうらやましく思わないほど遊ぶ時間もありました。

このボランティアは普段の大学生活では知りあわないような学生に出会えることが大きな魅力です。アメリカ人と寝食を共にする点は、ルームメイトと暮らす日々と大して変わりませんが、一緒に活動をすることで今までのアメリカ人に対するイメージが少し変わりました。女子寮で暮らし、冬休みの旅行も女子ばかりだったのに対し、今回は男子学生も多かったこともあるかもしれません。私にはとても真似のできない人格者なのに身だしなみもお行儀も日本の知り合いと比べてまるでなっていない人がいるかと思えば、普段は愉快なのに公園のベンチに土足で上がってはいけないと思うと真顔で言う人がいるなど。適当な人ばかりではないことがわかりました。

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この2ケ月の活動のどれも、日本で忙しい大学生活をしていた頃にはできなかったことばかりで、授業以外のことにもこれだけ精を出すことができるのは幸せなことだと思います。残りの1ヶ月は、最終発表ラッシュで、学業中心の日々になりそうです。ぼんやりしているとあっという間に過ぎ去ってしまいそうな短い間ですが、やり足りないことに挑戦し有終の美と言えるようなひと月にしていきたいです。JICの方々、また他の関係者の方々、引き続きお世話になりますがよろしくお願いいたします。

東京大学理学部地球惑星環境学科4年 椿晴香

写真解説
1、Quadの小型除雪車です。
2、Busey Hall(寮)の3階の住人たちでダンス教室に行きました。
3、Weaver Parkです。球戯場として開発する計画もありましたが、遊水池にもなる公園として保存することにしたそうです。
4、ASBのメンバーとエリー湖でカヤックに乗りました。私は中央寄りの黄色のボートに乗っています。

2008年度奨学生レポート(本間 奈菜)

Japan Illini Clubの皆様、いかがお過ごしでしょうか?一橋大学法学部4年の本間奈菜です。このたび、3回目の奨学生レポートをお送りします。長いシャンペーンの冬も終わり、ときおり寒い日もあるものの、晴れの日にはQuadで勉強する学生も増えてきました。と同時に、私たち2008年度JIC奨学生の留学期間も、残すところ2か月弱となりました。今回は、今学期の授業や課外活動の様子(ボランティア、春休みのワシントンDC~ニューヨーク旅行)、そしてこちらで仲よくしている友人たちについてご紹介したいと思います。

<Spring Semester の授業>
前回のレポートでも軽く触れましたが、今学期履修している授業は、”Political Science 230 Introduction to Political Research”, “Political Science 241 Comparative Politics in Developing Nations”, “Political Science 358 Comparative Political Behavior”, “Global Studies 296 Understanding Global Water Issues”, “Global Studies 296 Citizens and Citizenship in the Era of Globalization”, “ESL 110 Pronunciation” の6クラスです。先学期よりもクラス数も多く、また授業自体が積極的な参加が求められるものや毎回課題がある授業が多く、必然的に今学期は勉強中心の生活になっています。

PS241は、私の住んでいる大学寮Pennsylvania Avenue Residenceで開講されている授業で、Mohandus Gandhi の孫であるRajmohan Gandhi教授が教えてくださいます。授業自体は、板書もハンドアウトもなく進行するので留学生には難しいですが、先生はフレンドリーで学生の意見を積極的に授業に反映してくださいます。受講している学生も、約半数は、私と同じGlobal Crossroadに住んでいるので、中間テスト前は、連日皆でラウンジで勉強会を開きました。私は皆に教えてもらうばかりになるかと思ったのですが、日本で受けてきた授業等の知識で皆を逆に助けてあげることもでき、study groupに貢献できたことは自信になりました。

PS230は、今学期で一番難しい授業です。 統計データを政治学の論文に用いるための「初歩的な」(教授曰く)ソフトウェアの使い方を習うのですが、毎回の課題をこなすのが本当に大変で、他の学生といつも苦労話が絶えません。私にとっては英語とコンピュータ言語の二重苦ですが、アメリカ人の学生でも、政治学専攻で統計を使った経験のない人がほとんどなので、ここでもあまり気後れせず、グループワークでは同等に働くことができ、難しいですが充実しています。やりたいことを思うようにソフトウェアで表現できるようになったときの達成感はなんともいえませんし、教授もTAも手助けしてくれるので、最終課題のリサーチペーパーも頑張って書き上げたいと思います。

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<Spring Semesterの課外活動>
☆ボランティア
忙しい授業の合間に気分転換のよい機会となっているのが、Krannert Center Student Associationで今学期始めたusheringの ボランティアです。これは、Krannert Center for the Performing Artsで行われる様々なパフォーマンスに、座席案内の係員としてボランティアをする代わりに無料で鑑賞できるというものです。もともと、人を案内したりもてなしたりする仕事が好きなので、パフォーマンスを見に来るアーバナやシャンペーンのコミュニティの方と交流できることも大変面白く感じていますが、なにより、今までも行きたいと思いつつなかなか行く機会のなかったクラナートセンターでは、本当に様々な公演が組まれており、改めてイリノイ大学の恵まれた施設と、提供されている機会の幅広さに感動しました。先月は、アクロバットと無声演劇を組み合わせたカナダのサーカス団のパフォーマンスで見ることができ、満員のお客さんと一緒についショーに見入ってしまいました。

☆旅行
先週21日から今日29日まで、イリノイ大学は春休みでした。私は、一人でワシントンDCにて二日間過ごした後、長距離バスでニューヨークに向かい、日本から訪ねてくれた友人と合流し、しばし学業とも静かなシャンペーンとも切り離された生活を楽しみました。
DCでは、国会議事堂やホワイトハウスなどアメリカの行政を担う機関や、アメリカ国会図書館、スミソニアン博物館と総合して呼ばれる、巨大な博物館群や歴代アメリカ大統領の記念の建物などを訪れました。驚いたことに、DCにある博物館の入場料や、国会議事堂等の内部見学ツアーはすべて無料です。DCのどこにいてもアメリカという国の歴史や精神を感じることができ、素晴らしい二日間でした。特に、博物館でのリンカーン特集やリンカーン記念館は、イリノイ大学に学びなんとなくですが親近感があるため、大変興味深く見ることができました。
NYでは、観光スポットに加え、国際連合本部と世界貿易センタービル跡地を訪れたことが、この旅行で最も印象深いことの一つです。同行した友人も、同じく一橋大学で国際関係論を学んでいたので、こうした機会を通して多くのことを考えさせられ、アメリカで感じること、日本に対して考えることなどの議論にも発展しました。しかしやはり、ニューヨークは、シャンペーンともシカゴとも違い、夜遅くまで通りが賑やかで、交通手段もお店も便利でやはり大都会は違うなと思いました(笑)当初はどんな犯罪に巻き込まれるかわからない、とかなりびくびくしていたのですが、堂々としていれば却って危なくないのだと気付き、積極的に歩き回ったり人と話したりしました。3日4日と過ごすうちに、静かで集中できるシャンペーンが恋しくなりましたが(笑)、残り2か月を充実させるための、良い充電期間になりました。

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もともとの旅行の目的であった大学院訪問も、国際政治で有名なGeorgetown University, Columbia University など、二都市合計で4か所行くことができました。百聞は一見にしかずといいますが、授業の様子や学生の雰囲気など直に見ることができ、自然と大学院への意欲が高まりました。

<U of Iの友人たち>
最後に、こちらで仲良くしてもらっている友人たちについてお話したいと思います。最近よく感じることなのですが、私はこちらイリノイに来ても友人に恵まれており、彼らにいつも助けられています。香港や中国などから来ている留学生の友人たちは、授業や英語やアメリカでの暮らしなどに関する私の悩みを聞いてよく理解してくれますし、アメリカ人の友人は、Nanaが外国で、外国語で頑張っていること自体がgood tryだよと、いつもポジティブにはげましてくれます。授業の合間に彼らとおしゃべりをして過ごすのが、今の私にとって一番のリラックス方法です。政治学専攻以外の友人が多いのですが、みなそれぞれ違う将来へのビジョンを持って勉強に取り組んでいる姿勢から、学ぶことはたくさんあります。

また、日本に対して深く理解してくれていたり、よく知らなくても興味を示してくれる人がたくさんあり、それが接点となって友人が増え、大変うれしく思っています。半年私がこちらで過ごす間に、私や他の友人に影響され、日本語を習い始めた友人は片手では数え切れません。イリノイ大学での留学期間自体はあと2か月弱で終了してしまいますが、ここで得た一番の財産である、人とのつながりは、それ以降も持続させたいと強く思います。日本に留学や旅行にくる予定の友人も多いので、こちらで私が助けられた分、今度は私が彼らの力になりたいなと思います。

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最後になりましたが、イリノイでの友人だけではなく、日本から送り出してくれた友人や家族、そしてなにより、このような機会を与えてくださり、そしていつも温かく応援してくださっているJICの皆様には本当に感謝してもしきれません。大学内で過ごしていても、旅行の際などに大学の外に出てみても感じるのは、イリノイ大学という素晴らしいチャンスの宝庫に学ばせていただけることの貴重さです。ひとつも心残りのないくらい、残りの期間を120%のつもりで充実させていきたいと思います。

本間奈菜
一橋大学法学部4年

写真解説
1、バスケの試合を見に行きました!
2、NY、国連本部総会議場にて
3、Global Crossroadのパーティにて。真中にいる中国人の女の子とは、日本のドラマで盛り上がり、勉強を励ましあう仲です(笑)

2008年度奨学生レポート(本間 奈菜)

Japan Illini Clubのみなさま、ご無沙汰しております。2008年度奨学生の本間奈菜です。イリノイ大学での初めての学期はあっという間に過ぎ、冬休みを挟んで早くも春学期が始まりました。10月に初雪が降って以来(今年は例年より早いそうです)、シャンペーンは常に雪に包まれ、日中での氷点下の日が珍しくありません。実は、春学期が始まる直前まで中米コスタリカという国に行っていたため、シャンペーンに帰ってきた際に余りの気温差で風邪を引いてしまいました。そのため提出が遅れてしまって申し訳ありませんでしたが、第二回目の奨学生レポートをお送りします。今回は、主に秋学期の振り返りと、秋休み・冬休みの様子、また始まったばかりの春学期についても少しだけお伝えします。

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【Fall Semesterの授業】
学期初めは、アメリカ人学生に交じっての授業についていけるか不安なうえに、膨大な量のリーディングと毎回の授業中のディスカッションに圧倒されていました。しかし、教授方のサポートもあり、慣れていくうちに、授業中はなかなか難しくとも、プレゼンテーションやレポート課題の中で自分の意見を展開することができ、いくらか自信もつきました。

Sociology160 Global Inequalities and Social Changesという授業では、「グローバリゼーションが私たちの身近な生活にどう関係しているか」をテーマに、各々が実際にBest Buyなどの量販店におもむいて、生産国や企業情報を集めて集計・分析するという変わった課題が出されたのですが、このように自分でリサーチを行い、自分の言葉でまとめるというのは、アメリカの授業らしいなあと感じました。また、この学期で一番印象深いのは、Political Science240 Introduction to Comparative Politicsという授業です。主に途上国を研究対象にして、民主主義や独裁体制などの国家体制の違いがどのような効果を国家にもたらすのかについて一連の講義が行われたのですが、学生向けの教科書ではなく、学術誌に掲載されている論文を毎回読むのでかなり苦戦させられました。しかし、トピックとして大変興味深く、以前からの研究関心にも接点がある分野なので、春学期には比較政治学をもうすこし掘り下げてみようと考えています。

【Fall Semesterの課外活動など】
日本ではこじんまりした大学に通っていたため、イリノイ大学の学生活動の幅広さには、学期初めのQuad Dayで本当に圧倒されました。せっかくの機会ですので、秋学期は授業だけでなく、そのような学生活動を含め交流の場を広げることにも心がけました。また、第一回のレポートにも書いたように、私の住む寮は国際理解がコンセプトであるせいか、住人はとてもフレンドリーな人ばかりなので、授業から疲れて帰ってきても、みんなとおしゃべりして過ごすことがうまく息抜きになっています。

多くの先輩方も行かれたBoston Career Forumに参加したため、残念ながら秋の楽しいイベント、ハロウィーンは逃すことになってしまいました。しかし、BCFでは企業からも、一橋・イリノイの友人やボストンで作った友人からも多くのことを学びました。単純に、一人で旅行をする度胸も付きました。実は、シカゴに向かう際ボストン空港で、普段から持ち歩いており、ボストンにも何気なく持ってきてしまった護身用のペッパースプレイが安全検査に引っ掛かり、警備員に尋問に近い対応をされてしまいました。全く知らなかったのですが、マサチューセッツ州法ではペッパースプレイは所持が禁止されているそうです。。。スーパーでライセンスも何もなしに購入したと説明しても警備員さんは半信半疑で、IDを見せ、留学生だと説明しやっと罰金は免除してもらえました(結局没収はされてしまいましたが…)。予想もしないところでアメリカの連邦制度を体感することになりました。

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11月頭には、アメリカ大統領選の本選挙が行われ、この日はキャンパス全体が選挙に話題で持ちきりでした。残念ながら投票に参加することはできませんでしたが(苦笑)、テレビのある寮のラウンジで友人たちと開票速報に張り付いていました。夜遅くにオバマ氏の当選確実が報道されると、PARと、向かい合っているFARからはものすごい歓声が聞こえてきました。マケイン氏の敗北宣言とオバマ氏の勝利宣言を見たあと、Quadに出かけたのですが、QuadとGreen Streetには興奮した学生が詰めかけ、皆で“Yes We Can!!”と叫んで盛り上がりました。大統領を直接投票で選び、その結果に熱狂して外で大騒ぎするなど、日本では考えられないことですので、この日にアメリカに居合わせられたことを思うと、この年に留学できて本当によかったなぁと思います。しかも今回の選挙は、アメリカ人にとって4年に一度という以上の意味を持つものでしたし、何よりイリノイ州はオバマ氏の地盤であることもあって、皆の喜びようは特に大きかったのだと思います。しかし一方で、やはり最近は日本と同様、アメリカでも若者の政治・選挙離れが進んでいるそうです。大変注目されていた今回の選挙でも、この傾向が完全に覆されたわけではありませんでした。それを題材にESLの授業でレポートを書いたのですが、政治学専攻として、熱狂から一歩引いた冷静な視点からの、アメリカ社会の検討の面白さを感じました。

Fall Breakには、Alternative Spring BreakというプログラムでNew Orleansに行き、ハリケーン被害からのコミュニティの復興のためのボランティア活動を行いました。ASBはイリノイ大学のUniversity YMCAが主催するプログラムで、New Orleansグループは14人でした。旅行前はほとんど面識のなかった他の学生とも、片道12時間のドライブでうちとけるようになり、5日間はあっという間に過ぎてしまいました。ボランティアは具体的には、ハリケーン以降放置された空き家の清掃や、中古の家具を安く提供しているNGOの倉庫整理、被災された方のお宅のペンキ塗りをしたのですが、ペンキ塗りの後に、家の方からハリケーンの直後や現在の苦労を実際に聞けたことが印象に残っています。また、私にとっては、同行したアメリカ人学生のボランティアに対する見方、アメリカ社会に対する見方を身近で観察することができたことも、大きな収穫でした。

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【コスタリカ旅行】
12月のあわただしいfinal weekをなんとか乗り切り、クリスマスはシャンペーンに滞在した後、年末にはコスタリカに旅立ちました。Quad Dayで見つけた、Registered Student Organizationの一つであるInternational Impactという団体に申込み、コスタリカチームの一員としてボランティア旅行に参加することになりました。チームは私を含め9人です。合計で3週間滞在したのですが、コスタリカは比較的小さな国なので、コスタリカ中をめぐることができました。

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最初の一週間は、ウミガメの保護プロジェクトに参加するため、首都から5時間の太平洋側の町に行きました。私たちが滞在したキャンプは、さらに町からも離れており(橋がかかっていない川を自力で渡らないと着きません)、個室も熱いシャワーも、電気もインターネットもありませんでしたが、その分自然の美しさは格別でした。夕日やたくさんの流れ星、波の音など、一生の記憶に残る場所でした。プロジェクトの仕事は、毎夜孵化する赤ちゃんガメを観察し、海に返しに行くことなのですが、これも、自然と命の偉大さを感じ、本当に感動しました。その後、首都を起点に活火山の噴火の様子を見に行ったり、熱帯雨林の中でジップライニングやラフティングをやったり、太平洋と反対側のカリブ海側を訪れたりしました。ジャングルに分け入って、先住民族Bri Briの家を訪ねたのは、ものすごい量の蚊に刺された甲斐がありました。最後の一週間は、首都の貧しい地域にある幼稚園で半日子供の遊び相手をし、午後はスペイン語のレッスンを受けたり首都を散策したりしました。幼稚園では、スペイン語が話せなかったためなかなかコミュニケーションがとれませんでしたが、それでもかわいい子供たちと一緒に園内を走り回ったり、折り紙を教えたりして、楽しく過ごすことができました。

しかし、このコスタリカ旅行では、改めてカルチャーショックに直面したり、英語の通じない悔しさに泣いたり、一緒に笑って踊ったり…と、アメリカ人と大半の時間を過ごしたことで、タフさと文化の違うことへの寛容さが身に付いたことが何より私にとって大きなことでした。理不尽だと思ったことには、自分が少数派であっても、意見を声に出して伝えることが大切なのだと学びましたし、逆に、小さなことにこだわりすぎて、楽しく過ごせないのはもったいないとも思えるようになりました。実は、旅行前は3週間という長さに怖気づいて、行くかどうか迷っていたのですが、英語力の面でも、精神面でもすごく鍛えられたコスタリカ旅行は、行ってみて本当によかったと思います。他のメンバーとも後半は打ち解けられ、O’Hare空港で解散するのは、大学でまた会うとわかっていても寂しかったです。

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【春学期の予定など】
さて、今学期はアメリカでの最後の学期となります。欲張りな私は心残りの無いよう、できるだけいろいろな授業を取りたいと思っているため、今学期は先学期よりも挑戦的な時間割になっています。また、日常生活では苦労することが減ってきた反面、授業を受ける上ではまだまだ英語力が足りないと感じているため、授業中の発言やプレゼンなど、それぞれの授業でもっと存在感を出すことが目標です。

軽く先述したように、政治学の中でも、一橋大学では学べない比較政治学やそれに必要な実際的なスキルを学ぶため、Political Science 241 Comparative Politics of Developing Countries, PS 356 Comparative Political Behavior, PS 358 Comparative Political Economy, PS 230 Introduction to Political Researchを履修します。また、GLBL 296 Global Seminarでは、グローバル化社会における特定の問題を多面的に扱う姿勢が興味深いと思い、Understanding Global Water IssueとCitizens and Citizenship in the Era of Globalization の二つを履修します。特にcitizenshipに関するコースは、アメリカで様々なバックグラウンドを持つ人々に出会ったことで興味を引かれた分野です。日本の比較的閉ざされた社会の中では気付かなかった、移民という、グローバリゼーションの重要な議論の一つへの視点を養うことが目的です。

最近、Nanaはいつ日本に帰るの?と友人や周りの人によく聞かれるのですが、まだまだやりたいことはたくさんあるし、もっと伸ばしたいものもたくさんあるのに、これが最後の学期だと思うと必要以上に焦ってしまいます。しかし、コスタリカに行って感じたことなのですが、人との出会いも、チャンスとのめぐり会いも、結局は一期一会です。あと○か月、○日、など後ろ向きに数えるよりも、今を新しいスタートと捉えて自然体ですべてに取り組んでいきたいと思います。

最後になりましたが、このような貴重な機会を与えてくださり、そしていつも温かく応援してくださっているJICの皆様には本当に感謝してもしきれません。JIC奨学生として、数少ない日本人留学生として、私がもらっているものの大きさには敵いませんが、イリノイ大学にもプラスのインパクトを残せたら、と考えております。

一橋大学法学部4年 本間奈菜

≪写真解説≫
①部屋の外から見える景色です。雪まみれ…
②ハロウィン当日はシャンペーンを離れていましたが、ハロウィン前のPumpkin Curvingは参加しました!意外と簡単でしたー
③ニューオーリンズでは、みんなで自炊しました
④ウミガメ保護のキャンプからすぐのビーチにて
⑤幼稚園の子供たちに折り紙を教えました!

2008年度奨学生レポート(森本 なずな)

JICの皆様、ご無沙汰しております。2008年度奨学生の森本なずなです。こちらにきて早くも5ヶ月が過ぎ、留学も半分が終わってしまったのかと思うと少し悲しくもあります。こちらは来る前から聞いていた通りの寒さで毎日震えながら学校に通う日々です。この寒さに関連したエピソードを一つ語るとすれば、私の誕生日である12月2日に家の前で派手に転んでしまったことです。外は本当にもうつるつるで歩くのも大変です。でも友人からは“地球からのHappy Birthdayだ”と言われなんとか納得しました。さて、今回のレポートではサンクスギビングからWinter Breakまでのことをお伝えしたいと思います。

【サンクスギビングからFinalまで】
サンクスギビングの1週間ほど前に私の家であるCosmopoilitan HouseでFundraisingをかねたサンクスギビングディナーをふるまうパーティーをしました。このディナーのために、コスモのみんなで前日からターキーを調理しました。大量のたまねぎや、セロリをハウスメイトとわいわい言いながら作るのがとっても楽しかったです。当日も60人ほどの来客があり、みんなとってもおいしいと言いながら食べてくれていて、Fundraisingとしても大成功に終わりました。

さて、今年はサンクスギビング休暇が1週間ほどあったのですが、私はまず前半の休みにYMCAが提供しているAlternative Spring Brreakに参加し、Kansas Cityに行って来ました。ここでは託児所のようなところに行き、小さい子どもたちの面倒をみたり、夜にはDinnerのDonationを手伝ったりしました。私が担当したのは5歳児の子ども達だったのですが、本当にみんなかわいくてとってもいい経験をしました。彼らから英語を学ぶことも多々あり、本当に楽しむことができました。そして、一緒にいったメンバーとは夜にみんなで映画に行ったり、ゲームをしたりととってもいい時間を過ごすことができました。ASBの後のサンクスギビング当日には、本間さんとの共通の友人であるEmilyのおうちにお邪魔させてもらい、一緒にThanksgiving Dinnerをご馳走になりました。彼女の家族はとても温かくたくさん話をしたり写真をとるなど、本当にすばらしい時間となりました。そして、最後にハウスメイトと一緒にKentuckyにあるMammoth Caveに行きました。行き帰り合わせて10時間のドライブとなりましたが、そのCaveは本当に壮大で、今まで見たことのない景色に圧倒されるばかりでした。このようなNational Parkに訪れることができハウスメイトにはとても感謝しています。

そしてサンクスギビングのあとはすぐにFinalに取り掛かることとなりました。私はテストのあるクラスを1つしかとっていなかったのと、誕生日を向かえお酒が飲めるようになったことで、Finalの時期に相当だらけてしまいました。しかしいつもとは違って課題に追われることもなく自分でスケジュールを決めることができたので、自分としてはとってもいい時間だったと思います。

そして、Finalが終わるとまずはハウスメイトとFinalの時期に一緒に時間を過ごせなかったので、ハウスメイト達とゆっくりとしたLazyな時間を過ごしました。いい経験となったのは、ハウスメイトの一人であるイタリア人のDavideのMaster DegreeのGraduation Ceremonyに参加できたことです。みな、よく写真で見る様なローブをまとい喜びをかみしめて式に臨む姿はとても輝いていて、私もいつかこんな風に卒業できたらなと思いました。そして、ハウスメイトとクリスマスプレゼントを交換するなど、本当にいい時間を過ごしました。

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【クリスマス】
22日からはいよいよ旅行に出発しました。私はまず、12月22日から26日まではカリフォルニアのLAの近くのパッセディーナに住んでいる友人のPatricia家にお邪魔させてもらいました。LAはChampaignとは違い温かく、また景色も全く違い緑をたくさん見ることができました。彼女の家では本当に伝統的なアメリカのクリスマスを過ごすことができました。クリスマスの前日からは料理作りを手伝ったりクリスマス当日に歌う歌を一緒に練習したりしました。クリスマスイブはまず彼女の家族と一緒にDinnerを食べ、その後クリスマスプログラムにうつりました。これはPatriciaの姉妹がみんなで企画したもので、みな一人ずつ何か披露し、そしてみんなでたくさんのクリスマスソングを歌いました。またクリスマスには朝からプレゼントをあけたり、教会でPatriciaの家族と一緒に練習した歌をみんなの前で披露しました。実はこの旅行では当初22日だけPatriciaの家に滞在する予定だったのですが、私の計画不足で出発前にかなり予定を変更しなくてはならず、急遽彼女の家にお邪魔することになりました。しかし彼女の家族はとても温かく本当にいい時間を過ごすことができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

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【友人との旅行】
彼女の家を去った後は、ここイリノイ大学で一番仲良くしている中国人のHohoとLAとSanta Monicaを旅行しました。彼女とも当初は一緒に旅行する予定ではなかったのですが、急遽会いたい!!ということになりそこからは彼女と旅行することになりました。彼女とはいつも通りとっても楽しい、リラックスした日々を過ごすことができました。もちろんいつも通りショッピングばかりの日々になりましたが・・・このように本当にいつでも時間をすごせるような友達がこっちでできるとは思っていなかったので、本当によかったです。そして、最後の2日間は1人でサンフランシスコに旅行しました。1人で行くことにかなり緊張していましたが、行ってみれば、ホステルで友人をつくることができたり、サンフランシスコの人々と気兼ねなく話すことができたりと、いい経験をすることができました。

この2週間の旅行のあとはひとまずChampaignに帰りそしてまたTexasとMexicoへの旅に参加しました。この旅行へは私の大学の友達で今はメリーランド大学に留学している友達と行きました。まず最初の3日間ほどはTexasにいる私の友達の友人の家にStayさせてもらいました。テキサスもまたとても暖かく、みんなでKorean Townに行っておいしいものを食べたり、たこ焼きパーティーをしたり、日本のバラエティーを見て笑ったりと、久しぶりに日本な時間を過ごして、とってもリラックスできました。そしてその後は友人とメキシコのカンクーンに行きました。ここはリゾート地ということもあり、本当に美しい場所でした。銀世界のChampaignとは違いここは海の青、緑の植物、多くの花に囲まれたほっとできる世界でした。また、マヤ遺跡のツアーに参加して、遺跡に触れたりと盛りだくさんな日々を過ごしました。海にも入ることができ本当にリゾートを満喫しました。

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この1ヶ月に渡る旅は私にとって新たなアメリカを知るとてもいい機会となりました。勉強ばかりの学期中とは違い、勉強から解放された本当に自由な時間でした。でもこの旅行で学んだことは、私はやはりここイリノイが好きだということです。旅行中なんどコスモに帰りたい、ハウスメイトに会いたいと思ったかわかりません。今は学校も始まり、コスモにもいつもの活気が戻りまたみんなでわいわいと過ごす日々に戻りました。そのことが本当に今は嬉です。すぐに学校も忙しくなり、大変になると思いますが、1日のリズムがきちんと決まった規則正しい日々を過ごすのはとても楽です。残り後半分となってしまい、本当に帰りたくないという気持ちが強くなる一方ですが、残りの時間を大切に、前学期よりもっと多くのことを吸収して楽しい日々を過ごしていきたいと思います。

最後になりましたが、いつも応援してくださっているJICの皆様には本当に日々感謝しています。皆様も風邪などひかれぬようくれぐれもお気をつけ下さい。また次回のレポートで報告させていただきたいと思います。

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神戸大学国際文化学部3回生 森本なずな

(写真1:Graduation Ceremony にて)
(写真2:カリフォルニアの友達の家族と)
(写真3:カンクーン(メキシコ)で)
(写真4:ハロウィンパーティーで)