留学をして


【イリノイ大学体験レポート】 柳 潤子
簡単な自己紹介
一橋大学法学部法律学科 イリノイ大学留学前までは法科大学院志望だったが、帰国後進路変更し現在就職活動中

留学しようと思ったきっかけ
高校一年生の時から、将来は弁護士になると決めていたため、多くの弁護士が社会の様々な分野で活躍しているアメリカへ実際に行って、自分自身がどういった弁護士になれるのかを考えてみようと思ったのが一番大きな理由だと思います。大学一年生の時から学生NGOに所属し、日本に住む外国に背景を持つ子どもたちへの教育支援を行っていたため、アメリカで移民問題やNGO、学生団体の運営について学んでみたいとも思いました。また、この先海外の大学院へ行こうと思ったときや、海外へ仕事の分野を広げたいと感じたときに、学部生時代に一年間海外で学生生活をすることが、将来の可能性や選択肢を広げてくれるのではないかと思い、応募いたしました。

イリノイ大学における学生生活
大学進学のために親元を離れ東京で一人暮らしをしていた私にとって、寮での生活が新鮮でとても楽しかったです。ルームメートと1つの部屋を共有することが最初は不安だったのですが、家族のように心を開いて話ができるようになり、同じフロアには仲のいい友人が何人もでき、夜中に友人の部屋へ行っておしゃべりをしたり、週末には一緒に遊びに出かけたりと毎日本当に人に恵まれた生活を送っていました。アメリカ留学中の冬休みにはイリノイ大学のプログラムを通して、奨学金付きのイスラエル留学をさせていただくなど、一年限りの大学生ではなく、イリノイ大学生としてイリノイ大学の職員の方々にも本当に大切に扱っていただきました。社会問題に触れる機会も多く、移民問題やジェンダー問題に携わるグループにメンバーとして参加させていただき、多くの刺激も受けました。また授業で英語がわからず苦労したことや肌で感じた自分知識不足・見識不足の点については、これからの人生における新しい課題をいただいたと思って学び続けていくつもりです。

これから小山八郎記念奨学制度に応募する方へのメッセージ
将来は弁護士になる!と決意しての留学でしたが、このイリノイ留学が大きなターニング・ポイントとなり私は就職することにしました。それは、アメリカで民族や宗教の違う人々が一緒に暮らす難しさと奥深さ、日本の豊かさが決して当たり前ではないこと、さまざまな角度から社会問題、政治問題に取り組む友人たちの姿を見て、日本で弁護士になるのではなく、もっと国際的に社会に貢献できる人になりたいと思ったからです。留学準備、留学中、帰国後とイリノイ大学同窓会の方々には本当に多くのアドバイスや支援をしていただきました。一年間日本で在籍していた大学を休学してのイリノイ大学留学だったのですがお釣りどころかそれ以上の経験をさせていただいたと思っています。さまざまな留学の形がありますがアメリカ・イリノイ留学は、チャンレンジしてみたいと思ったら、どんなふうにでも充実させることができる機会だと思っています。是非応募してみてください。

鈴木博達さんの帰国後奨学生レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか?遅くなってしまいましたが最終の留学レポートを報告させていただきます。今回は留学期間の終わりと、今になって振り返った感想を書かせていただきたいと思います。

留学期間を終えて

5月にテスト期間の終わりは同時に、イリノイ大学での留学生活の終わりでもありました。最後のテストが終わるとすぐに、1年間でたまった荷物をまとめ、小さな引越しの準備が始まりました。もっともアメリカの学生も夏休みには実家に帰るので、彼らにとっても引越しのシーズンであり、キャンパスには大量の荷物を積んだ大型車があふれていました。

5月15日にキャンパスを後にし、数日間友人の家で過ごした後、ニューヨークのニューアーク国際空港を発ち、アメリカを後にしたときには、やはり感慨深いものがありました。幸い最後の日まで携帯電話は使えたので、空港のセキュリティゾーンから友人たちに電話していたのを覚えています。

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シカゴの町並み; 出発前

ヨーロッパ旅行

アメリカを後にしてからは、かねてから行ってみたかったヨーロッパをじっくり回ろうと思い、1ヶ月以上かけてヨーロッパの10カ国以上を周遊しました。実は留学に行く際、このヨーロッパ旅行のことも考えて世界一周旅行券を買っていたのです。アメリカで大量の食事に慣れていたせいで、心なしかレストランでの食事が少なめに感じました。

ヨーロッパ旅行の中で、スペインに立ち寄り、そこでは昔のルームメートと再会することができました。彼には彼の友人とバレンシアを案内してもらうことができ、家に泊めてもらったうえにパエリアまでご馳走になりました。1年学んだだけの私のスペイン語では、彼の友人や家族とはなかなか意思疎通が困難なこともありましたが、非常に楽しい時間をすごすことができると共に、やはり留学してよかったな、と感じました。

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バレンシアでのルームメートとの再会

始まりとしての留学

そんなわけで私の海外での10ヶ月間(と、その後のヨーロッパでの1ヶ月間)に終わりを告げるときがやってきて、7月1日の夕方に飛行機は成田空港に到着しました。うれしく思ったことは、イリノイ大学の留学をきっかけに出会った友人と今でも交流があることです。JICの総会をはじめとして、夏休みの間に何度もイリノイ大学であった友人と会い、共にイリノイ大学を懐かしみました。また近いうちに再び、イリノイ大学の友人たちを訪れるだろうと思います。

経験を通して得たもの

10ヶ月間の留学を終えた今、その経験を振り返ると、一番変わったのは、自国文化以外に「日常」を感じることができるようになったことだろうと思います。大学への留学というものは、海外でその国の社会の一部として暮らすという点において、海外赴任や語学学校への留学などとは異なります。私は2007年にフィリピンで1ヶ月間語学学校に通いましたが、そのときには当然「外国人としてどれだけ英語が話せるようになるか」ということで評価をされました。しかしイリノイ大学にいる期間は、「文化・言語等の背景は別として、イリノイ大学の学生として、どれだけ授業内容が理解できているか」が問われました。両者のステータスの違いを考えればまったく当然のことではありますが、一時でも他の文化圏の構成員として生活したことで、「外国」というものが「非日常」ではなくなりました。

この留学を始める前から、大学生活を通して海外を旅しその土地の文化に触れてきましたが、それはあくまでも「非日常」を体験することで、その文化を外から眺めるのが目的でした。先に書いた通り、イリノイでの留学生活が終わった後、ヨーロッパを1ヶ月間強旅行しましたが、そこでもその文化に浸ったわけではなく、やはり「どんなものだろうか?」とそれを覗いていたような気がします。自国文化の外の文化に「浸かる」には、同じ土地に一定期間滞在し、その土地の人と同じように扱われることが不可欠なのでしょう。

「その土地の人と同じように扱われる」ということは、留学のような機会以外になく、それはキャリアを形成していく上で徐々に困難になっていくでしょう。旅行や出張で海外に行ってホテルに泊まる機会はこれからもきっとありますが、イリノイ大学の寮で大学の友人と雑魚寝するような機会は少ないと思うのです。この10ヶ月間はそれだけ貴重だったのだな、と今改めて実感するとともに、そのような機会を与えてくれたJICの皆様に、改めてお礼申し上げ、レポートを締めくくらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

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ウィスコンシン到着時の様子

中川貴史さんの帰国後奨学生レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。2009年奨学生の中川です。6月に帰国して早4か月、就職活動・期末試験・引っ越し・ベンチャー事業立ち上げ等々と慌しい日々を送ってきました。ちょうど素敵な夢から醒め突如現実に引き戻されたかのような感覚で、ゆっくりと勉強や友達付き合いに集中できたイリノイでの生活が益々懐かしく感じられます。来年3月に卒業を控え、イリノイでの経験を経てどことなく成長した自分自身と共に、「日本での自分の人生に新たなスタートを切るんだ」、そういう期待感やプレッシャーを日々感じつつ毎日充実した生活を送っています。
頻繁にイリノイの友人とスカイプ上で話をするのですが、今年の奨学生の皆さんがイリノイで楽しく留学生活を送っている様子を聞くにつけ、大変嬉しく思うと同時に、ワクワクしてイリノイで学生生活を始めた頃の自分自身を思い出し懐かしい気持ちになります。振り返ってみると、イリノイでの一年間は、日々驚き・学び・成長に溢れ、数えきれない程沢山の楽しい思い出に彩られ、沢山の大切な仲間達との出会いがあった一年間でした。こんなにも素敵な経験をする機会を頂けたことへの感謝の気持ちと共に、ここにイリノイでの最後の1月程と留学生活の総括をご報告させて頂きます。

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(写真1)

*ファイナル
4月の後半に入るといよいよファイナルの時期が近づき、大量のレポートと差し迫ってくる期末試験に慌しい日々を送ることになりました。総計30頁以上にもなるレポート群を仕上げた後は、安堵する暇もなく期末試験対策に追われました。law and communicationのクラスでは、自らの不勉強が原因で溜りに溜まった未読判例が、試験前日の時点で1000頁を超えるという大ピンチを招き、30時間不眠不休で勉強するという強硬策で何とか試験を乗り越えることになりました。
思い起こしてみると、英語の文章やウェブサイトを見ると身構えてしまっていた一年前からは信じられない程、今では自然に英語を書き・話していることに気付きます。こう思うと大量のレポートをこなし、大量の教科書・判例を読み通したことも、最終的には自分の力になっているのだと実感します。もちろん言語として英語を捉えるとき、英語はそういう意味においてはコミュニケーションの媒体でしかないのですが、さらに一歩進んで、英語で意思疎通を試みることからは、より深い学びがあったように思います。というのは、自分の拙い英語で相手を説得し心を動かすには、第一に究極的な意味で相手が何を言いたいのか理解し相手の気持ちを汲み取ることが必要で、第二に自分の言いたいことを論理的に構成し相手が納得するような形でうまく伝える必要があります。こうして日本語では何となく誤魔化していたものに真っ直ぐ向き合うことで、本当の意味でのコミュニケーション能力や論理的思考力を培うことができたように思えます。
大ピンチの期末試験を何とか終えると、すぐに大事な仲間達との別れが待っていました。その後のニューヨーク行きの予定を調整して4日程シャンペーンで時間を取り、時間を惜しんで友人達とシャンペーン最後のひと時を過ごしました。いつものように友人と会うと、今から帰国するのだという事実が信じられず、そしてまた、また来学期からも同じようなシャンペーンの生活が待っているような気がしてなりませんでした。
多くの掛け替えのない友人に助けられ、楽しみ、鼓舞し合い、切磋琢磨できた私の留学生活は本当に幸せなものでした。思い起こしてみると、JICの奨学制度の面接の際、「人との出会いは人の人生を変える、お互いに影響し合い切磋琢磨する関係を築きたい」と語った記憶があります。今は、シャンペーンで沢山のものをくれた友人達に感謝の気持ちでいっぱいです。願わくは、私自身も彼らの中に何か重要なものを残すことができていたら本当に素敵なことだと思います。
夏にはイリノイから多くの友人が日本へと遊びに来てくれ、今月には台湾・香港で多くの友人に温かく迎えられ、イリノイでの築いた友好関係は私にとって掛け替えのない財産となっています。

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(写真2)

*NY&帰国後
シャンペーンを離れてからは、以前の私の大学で交換留学生であった友人とニューヨークで待ち合わせ、楽しいひと時を過ごしました。ニューヨークは、シカゴとやや趣を異にし、またドラマでみるような高層ビル街というイメージとも違って、汚い雑居ビルと荘厳な高層ビルが入り乱れる、まさにアメリカという国を貫いてきた主義・価値観を体現する場所のように感じられました。
1週間ほどニューヨークで過ごした後、日本に帰国し、アメリカでは先送りしてきた進路の選択という大きな決断を迫られることになりました。弁護士資格を取得するか、就職を選ぶか、さらには起業で生きていくか…、どれを選んでも上手くいく保証などなく、何が自分の将来にとって最善の選択かを判断することは不可能で、文字通り苦渋の決断となりました。起業家として「社会を大きく変える存在になる」という自分の夢に真っ直ぐに向き合おう、そう思い切って決断を下した結果、特別に配慮を頂いて大手外資系コンサルティング会社から合格を頂き、現在は自分の本来の目的だったベンチャー事業立ち上げに集中できています。日米の優秀なチームを統率し、スピーディに決断を下しながらビジネス展開させていくのは、決して他では味わえないエキサイティングなものです。

*一年間を振り返って
「逆カルチャーショックはあったか?」とか「イリノイで学んだものは何か?」などとよく聞かれることがあります。もちろん、「多様なバックグラウンドを持った友人との付き合いから自分の視野や価値観を広げられた」とか、「リベラルな考えに触れることで日本的な既成概念を客観的に眺められるようになった」とか、それなりに語ることはできますが、そう語ってしまうとイリノイでの経験が急に陳腐なものに成り下がってしまう気がします。イリノイ留学を決断した最大の理由は、「自分自身を人間的にひと回り成長させたい」ということでした。帰国して、突然世界が違う色で見えるということはありませんが、イリノイでの日々の経験を通して、少しばかりではあっても確実に人間的に成長できたという感触があります。詩的な表現を逃れませんが、イリノイでの経験は私の一部となって、言語化し得ない学び・成長になったように思えます。
この一年間は、毎日楽しくて仕方がなく、活気に満ち、充実した日々で、驚き・学びの連続でした。この一年間は私の今後の人生を形創る上で、間違いなく掛け替えのない経験になりました。この本当に貴重な機会を頂けたことに誠に感謝しております。また、私達奨学生の留学を色んな方面から支え・助けて頂いたJICの皆様には本当に感謝の意を表し切れません。本当にありがとうございました。
微力ではありますが、私にできますことがありましたら、JICのさらなる発展のため少しでもお手伝いできたらと思っております。また今後ともJICの皆様にご支援頂くこともあるかと存じますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

写真1.日本での友人との再会
写真2.台湾にて友人との再会

2009年奨学生中川貴史

柳潤子さんの帰国後奨学生レポート

JICの皆様こんにちは。アメリカから帰国して5カ月近くたち、日本の生活にも慣れ、10月からは日本の大学に復学いたしました。帰国後から日本の大学が始まるまでの長い夏休みには、アメリカから友人が遊びに来てくれたり、アメリカで学んで興味を持った活動に飛び込んでみたりとイリノイ大学での経験は日本に戻ってきてもずっとずっと生きているものなのだと感じております。咋年の自分で書いたレポートを読んでみるとそのとき何を自分が考えていたか、どんな活動をしていたのかがわかり、JICの皆様、家族、友人に読んでいただくだけではなく自分の振り返りのためにも非常に大切な機会になっていたように思います。今回でレポートは最終回なのですが、日本での生活に戻って改めてイリノイ大学留学を通じて学んだことやこれからの自分がやってみたいことなのについて書いてみたいと思います。
1.一年間の留学で学んだこと
*人とのコミュニケーションの重要さと大変さ*
今回の留学は、私にとって初めて英語のネイティブスピーカーと英語でたくさん話す機会でした。日本にいるときにはTOEFLの勉強もしており英語にも多少の自信はあり、そして英語の力よりも伝える内容や気持ちがあれば大丈夫とも思っていました。しかし、実際には英語の発音に問題があり、自分の本質的に伝えたいことが通じず、また、相手の細かい話や背景がわからず、周りにうまく馴染めないことや新しく知り合った人と仲良くなれないこともたくさんありました。
アメリカ留学して初めのころ、友人の知り合いと話した後に、友人を通じて、私との英語の会話は論点や質問と応答が少しずれることがあり、わからないことはきちんとその場で確かめて会話をしないと相手は真剣な議論をしてくれなくなるから気をつけたほうがよいのとの指摘を受けました。確かに英語の表現でわからないことをしつこく聞くと面倒くさそうに説明する人もいたので、適当に会話の中でわからないことも流しておいた方がいいのかもしれないと感じたこともありました。しかし、自分が英語の会話の中で相手の発言の意図がわからないときには質問をして、相手の意図をくみ取ろうという姿勢を見せることは相手を尊重する態度にもつながり、最終的には人とよいコミュニケーションがとれるのではないかと考えました。指摘してくれた知人もまた留学生で、英語のコミュニケーションにおいてアメリカで苦労したことがたくさんあり、私がアメリカでの生活でうまく人間関係を築けるようにそういったアドバイスをくれたそうです。
そういった伝えにくいようなアドバイスを伝えてくれた知人に非常に感謝しましたし、その後、英語の意味がわからずに何度も聞き返す私に例を交えながら気長に説明してくれた友人たちや私の伝えようとすることに一生懸命耳を傾けてくれた友人にも感謝でした。最後まで英語の会話については満足することはありませんでしたが、英語を使って多くの人とよい関係が築けたことにはとても嬉しかったです。

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写真1 おなじ寮のフロアに住んでいた仲良しの友人とカフェテリアで

*新しいことに向かっていく情熱*
イリノイ大学ではWomen’s Resources Centerと La Colectivaで主に活動しました。Women’s Resources Centerは非常に新しくできた大学のセンターの一つでジェンダーに関わるイベントや活動を行っていました。ディレクターは私より一つ年上くらいでイリノイ大学を卒業してこの職につき、様々な本などでジェンダーに関わるイベントのアイディアを集めて、常に新しいことイベントの企画していました。また移民法改正を訴えるラテンアメリカ系政治団体のLa Colectivaでは例年のイベント内容にとらわれることなく、常に活動をより多くの人たちに広げていこうと切磋琢磨する姿が見られました。ワシントンで行われる移民法改正を訴えるナショナルラリーに向けて、募金と参加者を集めバスを借りて参加するなど新しい試みに挑戦していました。今学期は地域の人たちとの交流を深めて移民問題への理解を広げる活動をしていくと話していたのでどういった活動になっているのか非常に楽しみです。アメリカでは日本と比較して新しいイベントや試みについては称賛されることや、興味を持たれることは多いとは思うのですが、まだまだ理解されない部分もありました。Women’s Resources Centerのイベントでは「ジェンダーの問題は女性の問題である」という認識から、ゲストの依頼を男性にしたところそれを一笑されたり、La Colectivaの移民法改正については反対意見を持つ学生もおりエスニック・グループの壁を超えて活動を広げていくのは難しい現実もありました。自分の信念を多くの人の前で表示することは非常に勇気がいることですが、信念に向かって多くの人の認識を変えていこうとするイリノイ大学で出会った人たちが印象的でした。

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写真2 Women’s Resources Center ディレクターのRachelがWomen’s Resources Centerの内装だけでなくイベントのポスターなどもすべてデザインしていました。

*国際的な人間関係を築く上で必要な感性と知識*
アメリカ留学しはじめのころ、シンガポール出身のルームメートが他のクラスメートにシンガポールは中国の都市の一部であるのかという質問を受け自身の出身国がないがしろにされているように感じて怒っていたこともありました。アメリカではアジアについてあまりよく知らない人もいたのですが、相手の国の状況や背景をきちんと理解せずに発言することは意図的ではなくとも非常に相手を不快にさせることもあるのだと感じました。私はアメリカでPolitical Scienceの授業を受講していたとき、あまりに世界のニュースを知らずに非常に恥ずかしい思いをしたのですが、様々な国の人と関わるときにはある程度の国際的な知識や感覚を持っていないと、決してその意図がなくとも、配慮が足りない人間となってしまうのだと感じました。
また、日本で私が当たり前と感じていた、時間を守ることや食事の仕方など生活習慣に関わることが根底から覆されることもたくさんあり多くの人と関わる中で柔軟に対応する必要がありました。アメリカでは時間についてはきっちり守るときと守らないときの格差が激しく、場合によってはパーティに行くのに2時間くらい待たされることもあったのですが、そういった時間に周りの人と楽しい時間を過ごすことができるのかが楽しく友好関係を深められるのかどうかに関わるのだと感じました。
自分の性格上どうしても柔軟に対応できない場合(酔った16歳の少年の運転する車で家に帰ろうと提案される、買い物をした後2時間くらい平気で歩かされる、中国人の友人とのアメリカ旅行中、中国料理しか食べたくないと言われるなど)にはあらかじめ伝えておくとそれなりの対応はしてくれるので、自分が強いストレスを感じることなく快適に過ごすためにはどうしても受け入れられないことは把握していく必要があることも学びました。

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写真3 ルームメートと毎日おしゃべりをしていた部屋

2.日本での生活について
*日本での国際人権問題NGOでの活動*
イリノイ大学での留学制度を利用して冬休みにイスラエルに行った際、民族問題に非常に興味を持ちました。その後春学期にはEthnic Conflictを受講して世界の民族問題がどういった理由で起きるのか、どういった解決が考えられるのかについて学びました。そのときAmnesty Internationalなど国際NGOの発表している報告書が各国で起きている人権侵害などについて詳しく書かれており自分の書くレポートに多く引用していました。
帰国後そういった報告書を書く側になって多くの世界の情勢について伝えることがしたいとの思いから、東京に事務所がある国際人権NGO ヒューマンライツ・ナウでリサーチインターンをさせていただきました。実際には国際人権法などの知識がないことから報告書の核となるような政府に対する提言や国際法上の問題点などを書くことはほとんどなかったのですがインタビューのまとめや会員向けのイベント報告を作らせていただくなど貴重な経験をさせていただきました。
またイリノイ大学で受講していたEthnic Conflictの授業では特にビルマ(ミャンマー)における少数民族に対する人権侵害について詳しくリサーチをしていたのですが、9月にはこのヒューマンライツ・ナウを通して、タイに位置するビルマから来た少数民族の人たちが法律を学ぶ学校へ行く機会もいただきました。ビルマのいくつかの少数民族から選抜された学生たちが豊かな自然の中でのびのびと学習しており、私はティーチング・アシスタントとして4日間活動しました。休暇があっても安全上の理由から旅行ができず、ビルマに住む家族と連絡を取ると、家族が軍事政権から目をつけられる可能性があるため連絡ができない状況があるのですが、それぞれの民族団体から代表として法律学校で学習できることに誇りと責任を持っていました。特に今回の滞在中はビルマ総選挙が迫る時期であったため、テレビでビルマの民主系のニュース番組(DVB, Democratic Voice of Burma)を真剣にみる姿もあり、彼らが実際にどういったことを考えているかについて学べるいい機会でした。しかし、ビルマ情勢がなかなか好転しない中、自分では何もできずにまた日本に戻って自由な生活をすることしかできないことに、もどかしさも感じました。
大学が始まることもあってしばらくインターンはお休みとなるのですがまたイリノイ大学で広げた視野を生かした新しい活動をしていけたらと思っております。

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写真4 タイにあるビルマ難民の人のための法律学校でケースを説明する。お互いに英語が第二言語のためディスカッションが思うようにいかないこともありました。
イリノイ大学での一年は、私の人生にとって、視野を広げて、新しい環境や考えに触れる本当に大きなチャンスだったように思います。このチャンスを自分だけのものにするのではなく、多くの人に広げられるような人になりたいと思いました。このチャンスを下さり留学中支えてくださったイリノイ大学同窓会の皆様、応援してくれた家族や知り合い、友人たちそしてイリノイ大学で出会った大切な友人たちや指導してくださった教官の方に感謝をこめてレポートを終わりたいと思います。ありがとうございました。
柳 潤子

針谷彩花さんの帰国後奨学生レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。2009年度JIC奨学生の針谷彩花です。7月1日に帰国してから、早くも3か月が過ぎました。10月1日からは大学に復学し、徐々に私の本分を再認識しつつあるところです。
今回の留学は、私にとって二度目の留学になります。高校生の時にも約10か月間、アメリカ・イリノイ州に交換留学しました。その頃から英語が好きで、「将来は英語の先生になりたい」という夢を持っていた私は、喜び勇んで親元を離れ、生まれて初めて日本を飛び出したのです。しかし、現実は厳しく、最初はホストファミリーや学校の先生、友人との意思疎通もままならず、実は寂しさや辛さから何度も日本に逃げ帰りたいと思っていました。結局、なんとか途中帰国はせずに約10か月間の留学を終えたものの、帰国した私の中には「もう二度とあんな思いはしたくない。留学なんて金輪際絶対しない」という強い決意がありました。
そんな私が二度目の留学に挑戦しようと思えたのは、ひとえに大学の先生方の勧めや、両親の「やってみないとわからない」という力強い励ましや、「寂しくなるけど、私もがんばるから彩花もがんばって!」という友人たちの温かい応援があったからです。そして運良くJICの選考試験に合格し、嬉しくも思いましたが、やはりいつもどこかで「受からなければよかったんじゃないか」という後悔と「本当にやっていけるのか」という不安がつきまとっていたように思います。
しかし、出発前の後悔や不安はほどなくして霧散しました。4年前の最初の留学の時とは私の英語力も心構えも、周囲の環境もまったく違っていたためでしょう。すんなり馴染めたとは言えないまでも、毎日の授業は新しい発見の連続でしたし、周囲の人々はバックグラウンドも考え方も一人として同じ人は存在せず、日々の生活はそれまで私が経験したことのない生活でした。一日一日がキラキラ輝いていました。もちろん、楽しいことばかりではなく、苦しいこともありました。日本ではまず絶対にありえない量の宿題を出され、図書館で夜を徹して勉強したこと。ルームメイトや友人と意見が合わず、泣きながら衝突したこと。けれど、きっとそれも留学を良い思い出として記憶するためには必要なのでしょう。2度の留学を経た今なら、留学とは楽しいことばかりではなく、苦しいこともあるから、楽しかった記憶がより強調されて「留学してよかった」と言えるのだろうなと思います。そして2度目の留学から帰国した今、今度こそ私も「留学してよかった」と言えます。当初の不安通り苦しい思いもしたけれど、それ以上の収穫がありました。
今回の留学は、私にとって新たな知識や経験や友人を授けてくれただけでなく、前回の留学の嫌な記憶を払拭してくれ、さらに改めて「夢を持ち、その実現に向けて邁進することの大切さ」を教えてくれました。辛い時、教育実習の最終日に生徒たちと一緒に撮った写真を眺めては「がんばってください」と言ってくれた生徒たちを思い出して「もう一度がんばろう」と自分を奮い立たせることができたからです。「先生になりたい」という夢を最初に抱いたのは、14歳の時でした。その頃から変わらずに「先生になりたい」と思い続けていますが、「どんな先生になりたいか」ときかれたら答えに窮していました。けれど、今回の経験を通して、私は「生徒に『夢を持つことって素晴らしいんだよ。それだけでいつだって前向きに生きる気力が湧いてくるんだよ』と伝えられる先生、そして生徒が夢を追いかけることを隣で応援できる先生になりたい」と強く思いました。
このような素晴らしい経験をさせてくださったJICの皆様方、両親、友人たち、そして大学の先生方には、感謝してもしきれません。これからは「先生になる」という夢を追いつつ、JICの活動にも積極的に参加していきたいです。皆様、本当にどうもありがとうございました。これからもどうぞ宜しく御願い致します。

2009年度JIC奨学生
群馬県立女子大学 国際コミュニケーション学部 4年
針谷 彩花

針谷彩花さんの2010年4月分奨学生レポート

JICの皆さま、いかがお過ごしでしょうか。2009年度奨学生の針谷彩花です。イリノイでは8月にここに来た時のような陽気を思い出す天気が続いています。留学生活も残すところあと僅かとなり、この10か月のまとめの時期となりました。それでは、第3回目のレポートをお届け致します。

【学習編】
(1)EIL422 – English Grammar for ESL Teachers
今学期、一番苦労した科目です。400番台の科目の難しさは前学期に身に沁みていたはずなのですが、内容がとても興味深かったので履修しました。授業の内容自体は高校で受けた英文法の授業と日本の大学で履修した統語論の授業を合わせたようなものだったのですが、実際にGrammar Tutoring Sessionがあったのが大変でした。私のTuteeはIEIに通う日本人の女の子で、そのため日本人英語学習者がおかしやすい文法ミスなども指摘しやすかったのですが、授業計画はいつも試行錯誤の連続でした。昨年6月に日本の中学校で行なった教育実習で、指導教諭に教案を見て頂く度に「この授業(活動)の目標は何?」「その目標を達成するためにどんな活動が有効だと思う?」と聞かれたことを思い出し、教える対象について指導者側が深く理解していないと学習者を支援できないことを改めて実感しました。

(2)LING225 – Elements of Psycholinguistics
このクラスでは言語心理学の様々な分野について勉強したのですが、特に記憶に残っているエピソードがあります。この科目のレクチャーは韓国人の院生が行なっていたのですが、「ノンネイティブスピーカーとネイティブスピーカーの違いは何だと思う?」という質問に対して、ネイティブスピーカーの学生が「発音」とぼそっと言ったこと、そしてその学生の隣に座っていた学生がくすくす笑っていたことです。発音によってネイティブスピーカーかそうでないか判断できるのはわかるのですが、それに対して笑う学生がいることについて、ノンネイティブスピーカーとしてはなんだか差別されたような気がし、少し嫌な気持ちになりました。

【日常編】
(1)誕生日
3月10日で21歳になり、アメリカでいう成人の年ということで、盛大にお祝いしてもらいました。中でもホールケーキに21本のロウソクを立ててもらったことはとても記憶に残っています。まさかこんなことをしてもらえるとは思っていなかったので、とても感激しました。また、友達からもらったバースデーカードは表面に21の褒め言葉が書いてあるもので、「このカードがぴったりだと思ったの」と言ってもらい、こんな風に私のことを評価してくれる友達がいることに対して感謝し、いつまでもこのように評価してもらえる自分でいたいと思わされた一日でした。

(2)Spring Break
春休みにはシカゴにある友人の家にお邪魔することになっていたのですが、不運なことに風邪を引いてしまい、結局キャンセルしてキャンパスで養生していました。余談になりますが、イリノイの冬の寒さは二度目で慣れていたはずなのですが、実は今回は体調を崩すことが多く、体調を崩せばいつだって心配してくれる家族の存在のありがたさを身に沁みて実感しました。

10か月の留学は楽しいことばかりではなく、辛いこともありましたが、日本の大学では学べないことを学べ、人間としてもより大きく成長できました。10か月間、私を支え続けてくださった家族や友人、そしてJICの皆様には感謝してもしきれません。7月4日の総会では胸を張って私の10か月の留学の成果を御披露できるよう、アメリカを発つ日まで精進したいと思います。

群馬県立女子大学 国際コミュニケーション学部 4年
針谷彩花

鈴木博達さんの2010年4月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。こちらはイリノイの厳冬も終わり、毎日清清しい天気の中、残りほとんどないキャンパスでの日々をすごしております。前回のレポートよりかなり時間がたってしまいましたが、その間の出来事を中心にご報告させていただきます。

【春学期の授業】
春学期の授業は、Globalization and Workers, Personal Finance, Intermediate Spanish, Intro to Japanese Cultureと4つの授業を履修しました。

最初の2つの授業は、専門である経済に関連した授業ということで受講を決めました。
Globalization and Workersはグローバル化が進む中での多国籍企業と労働者の関係の変化を
中心に扱うもので、教授は中国とイギリスを行き来しているので授業自体はオンラインで行われました。オンラインで行われるディスカッションのレベルはかなり高く、各々の学生と教授が、様々な観点からGlobalizationの影響を論じていました。内容もさることながら、自分の意見を論理的かつ端的にまとめるという点においても、大変勉強になりました。

College of Business で開講される授業は、通常は交換留学生は受講できないのですが、Personal Financeだけは留学生にも受講が許可されていたので、この授業を受講することに決めました。Personal Financeは個人の合理的な経済活動をテーマにしており、具体的には税金の管理や、401(k)を使った投資活動など、かなり実践的な内容を学習しました。課税体系や現在割引価値の算出について日本でも少しは学んでいましたが、米国の課税体系は個人が確定申告を行うことを前提にしている点で多少異なり、両者の比較が興味深かったと感じています。

Introduction to Japanese Cultureでは、日本の近代史と現状について主に文化的な側面から学習しました。アメリカから見た日本、ということで、日本で通常習う内容とは異なった観点からそれらを学習できました。例えば女性の権利の進展についてより重きが置かれており、戦後女性が参政権を得る前に、大正時代にもそれに向けた動きがあり、実際に衆議院ではその法案が可決していたことなどを新たに習いました。

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春の気候の中のIllini Union

【2月週末と春休み】
留学も後半ということで、2月の週末と春休みを使って、メキシコシティやラスベガス、シカゴを訪問しました。春休みにはシカゴで初のDeep Plate Pizzaを体験し、楽しいリラックスした時間を過ごすことができました。

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シカゴスタイル・Deep Plate Pizza

【Japan House】
4月にオープンハウスがあったため、日本館にも再度お伺いすることができました。小山八郎氏が送られたという枝垂桜がちょうど花咲いており、アメリカに滞在していることが信じられないくらい日本を感じられる雰囲気でした。オープンハウス前日の前祝いでは、Personal Financeを担当されている教授の方にもお目にかかりました。そのほかにも様々な日本館を支援してくださってる方にお会いしました。将来自分も何らかの形で日本館やイリノイ大学に貢献できることを願っております。

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花咲く枝垂桜と記念碑

【Vernon氏のご家庭訪問】
また今学期には、小山八郎氏の記念文集の原稿を執筆する関係でお世話になった、Alice Vernon氏のご家庭を訪問する機会をいただきました。Alice Vernon氏はとても気さくな方で、ご家庭でも大変親切にさまざまな話を聞かせてくださり、夕食までご馳走になりました。ご主人のEd. Vernon氏には、ボートで家に面した湖を見せていただき、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。

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Vernon氏のご家庭訪問時の様子

【留学生活の最後】
そんなイベントがたくさんあり、今学期は先学期にも増してあっという間に時が過ぎたような気がしています。イベントが一通り終わると、休む間もなく期末試験開始となりました。荷物を詰めている自分が信じられない気分でいます。そのような充実した時を過ごさせていただいたイリノイの大学関係者と友人、そしてJICの皆様には改めて感謝しております。

柳潤子さんの2010年4月分奨学生レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。2009年度JIC生の柳 潤子です。イリノイでは少しずつ暖かくなり、日によってはTシャツでも大丈夫なほどです。昨年の8月からイリノイ大学に留学させていただきましたが、早いもので、あと少しで春学期が終わろうとしています。今回は春学期の始まりからスプリング・ブレイク、授業のまとめまで書かせていただきたいと思います。たくさん書くことになってしまいましたが、楽しんで読んでいただければ幸いです。

1.    授業について
今学期は
PS 322 Law and Public Policy
PS 357 Ethnic Conflict
PSYC 238 Abnormal Psychology
GLBL 296 Ethics & The Debate Over Immigration Reform
CHIN 409 Social Science Readings Chinese
SPAN 103 Intermediate Spanish
の6つの授業を受講しております。2つのPolitical Scienceのクラスが非常に課題も多く内容も難しく大変ですが、今までとったことのなかったPsychologyのクラスやGlobal Studyの移民問題についてのディベートのクラスもありとても充実しております。

*PS 322 Law and Public Policy
アメリカの法律にかかわる授業をとりたいという思いからこちらの授業を受講しました。毎回非常に充実したReading Assignmentsに、Reading Assignments を基としたエッセイを3つ、Term Paper としてこれまでの授業で学んだアメリカのLegal Systemの知識を応用して実際の判例について分析するという課題と期末テストで構成された授業でした。大変良くない学生の例の如く、毎回の授業に課されるReading Assignmentsをきちんとやらずに、エッセイを書くときになって大慌てでReading Assignmentsを読み始めるということを3回繰り返しました。課題が多い分、得られるものも多い授業にもかかわらず、課題について行くことが必至で最低限度のことしかこなせなかったことが残念でした。この授業を受講するまではアメリカのPublic Policyがアメリカに住む人々の意見や要望をかなえるようなイメージを抱いており、それに関わる弁護士の仕事に対しても大きな憧れを持っていました。実際に学んでみると、当然ながらその問題点を学ぶことになり、訴訟社会と呼ばれるアメリカの今までは、知らなかった面を知ることになったことがこの授業での大きな収穫だったように思います。

*PS 357 Ethnic Conflict
冬休みにさせていただいたイスラエル留学の影響から、民族や宗教の問題を学んでみたいと思い授業しました。中間テストと期末テストの2つのテストに、3つのエッセイと計4回オンライン上で出されたディスカッションと、教授の情熱を感じる授業でした。授業では、まず、学生が教授の選んだ民族紛争の可能性のある世界の国名リストの中から他の学生とかぶらないように1つの国を選びます。授業の中でethnic identityはどのように作られるのか?どのようなconflictsがあるのか?どういった解決策があるのか?などについて学び、その知識を応用する形で自分の選んだ国をリサーチしてエッセイを書きあげていくというものです。教授の選んだ国名リストはアフリカや旧社会主義国、ラテンアメリカなどが中心で私にとってはほとんど馴染みがなく、アウン・サー・スー・チーさんを知っているというそれだけの理由でミャンマー(Burma)を選びました。ミャンマー(Burma)についての基礎となるような知識を持っていなかったために、テーマに沿ったことを1から英語の文献を当たってリサーチするのには非常に手間がかかりました。この授業が大変であった理由として分析してみると1.Political Science の授業そのものの基礎を受けたことがなかったため、エッセイやディスカッションで求められるようなPoliticizeするという視点がなかなか理解できず、鋭い分析や意見を言うことが難しかったこと。2.英語力の問題として、リサーチを行う際に筆者の明白には述べられてはいないが暗示しているような意見を拾い読むことが難しく、また自分自身も説得力のあるような論理的な文章を書くことができず、結果としてエッセイの課題を通して学習を深めることができなかったこと。3.これまで民族問題を身近に感じたこともなく、普通にアメリカに住んでいれば、当然に感じたり、知っているような民族・宗教問題の知識がなかったこと。があげられるような気がします。しかし、授業で学んだことは自分にとっては非常に興味深く、これからこの分野に関わることを広げていけたらいいと思うようになりました。

*PSYC 238 Abnormal Psychology
私の在籍する日本の大学には教育学部がないために、心理学の授業があまり多くは開講されていません。日本では学べない、新しい分野の勉強を始めてみるのも面白いだろうと思い受講をすることにしました。Eating disorderやPersonality Disorderなどもともと知識として知っているものも多く、楽しく授業を受けることができました。新しいacademic term(病気の名前など)を覚えるのもやはりネイティブの人たちと比べると不利な部分があることや、テストでの英文をきちんと読みとって答える部分が苦手であること、エッセイの課題にしても、文章力を他のネイティブの人たちと同じ水準で評価されることから、課題やテストについては思ったようにスコアをとることができず、悔しい思いもしました。ただし、JIC生の特典のようなものでGPAが将来にわたって自分の成績に影響を与えないということから、興味の赴くままに授業に参加させていただきました。MajorとしてPsychologyの授業に挑んでいる学生の気迫や情熱にかなわないと思う一方で、高いGPAを維持するために中間テスト後に多くの学生が授業をとることをやめてしまう姿をみると私のような交換留学生にはわからないアメリカの大学生の苦労もあるのだと感じました。

*GLBL 296 Ethics & The Debate Over Immigration Reform
もともとアメリカの移民問題に興味があったため、知識を広げられたらという思いで受講したのですが、いかに自分の意見を論理的に組み立て、ディベートを行うかということがメインになり、その議論のトピックとしてアメリカではhotな話題であるImmigration Reformが使われているという印象の受ける授業でした。私の所属している団体(La Colectiva)ではDream Actというundocumentedの学生にU.S.citizenshipを認めるための法律の制定のために活動する団体のため、当然Immigration Reformについては移民側に立った考えを基に活動をしています。私自身も日本でも移民の子どもにかかわる活動をし、アメリカでもラテンアメリカ系の学生が中心の政治団体に所属していることから当然にそうなっていましたが、授業では様々なバックグラウンドを持つ人がいるため、自分の考えとは対立する意見や考え方を知るとてもいいきっかけとなりました。

*CHIN 409 Social Science Readings Chinese
先学期に引き続き中国語の授業を受講しました。他の授業の課題が割と大変だったため、週5回(言語の授業は毎日行われるものが多いです)ではなく週2回のものを選びました。私を含めて4人の学生でクラスが構成されたため、中国語を話す機会は増えたように思いますが、やはり自分の意見を自由に発言できるようになるのは、なかなか難しい課題のようです。これまでの中国語の授業では中国語の学習用のテキストを使っていたのですが、この授業では中国の清代の探偵小説や中国政府文書を利用した授業であったため、中国語を使用して、中国の法社会の在り方について学ぶという新鮮なものでした。毎週中国語で、それぞれの学生がNewsを発表するという課題も出され、日常的とまではいかないまでも定期的に生の中国語に触れる習慣ができたように思います。私以外の3人の学生は家族の中では中国語を話して育ってきた人たちであったため、レベルの差もあり、先生には別の課題を出してもらって補う部分もありましたが、新しい興味が広がった授業でした。中国語はまだまだ学習を深めていきたいと思っています。

*SPAN 103 Intermediate Spanish
スペイン語は先学期に引き続き受講しました。先学期はどちらかというと新しいボキャブラリーが多く単語の面で苦労する部分があったのですが、今学期は新しいボキャブラリーに加えて文法事項が増え、授業についていけてないと感じるときも多くありました。インストラクターが楽しく授業を進める方で、先学期と同様オンラインでの課題も非常に良いものだっただけに十分に言語習得に向けて時間やエネルギーを割いたとは言えないのが残念でした。テキストの内容は大変良いものなので、日本に持ち帰って復習をしたいと思っています。

先学期とは比べものにならないほど授業で忙しく、課題に追われる毎日だったのですが、自分の興味のあることが思う存分に勉強できました。インストラクターには丁寧にご指導いただいて最後まで授業を続けることもでき満足しております。ただ、それぞれの授業の課題が非常に多いため、じっくりと与えられたものに挑み、授業で求められるレベルに達したかという面は非常に怪しい気がします。英語力が足りないために悔しい思いをすることも多かったのですが、そのことも含めて、新しい興味や自分にとっての課題を見つけることのできた学期になったと思っています。

2.    La Colectivaの活動について
先学期に引き続き活動に加わっています。今学期はミーティングに参加する以外の活動にも参加するということが目標でしたが、YMCAでLa Colectivaを代表して2人のメンバーとともにDream Actというundocumentedの学生にU.S.citizenshipを認めるための法律についてプレゼンテーションをさせていただきました。先学期のPublic Speechの授業ではDream Actについて何度かSpeechをしたためそのときに作成したスライドも利用して発表しました。どうしても多くの人の前で話すと私の英語が通じにくいこともあるため自分がこの役を進んで引き受けることには抵抗があったのですが、ラテンアメリカ系の学生が中心となるこういった活動の中で、アジアから来た学生としてLa Colectivaに参加し、Dream Actに賛同していると主張することは重要なことだと感じて引き受けさせていただきました。ランチタイムにYMCAで行われたイベントだったのですが、同じLa Colectivaのメンバーも駆けつけてくれ、和やかなムードの中で温かく見守られながらプレゼンテーションを行うことができました。
そしてまた、La Colectivaの活動として、寄付と人を集めて、ワシントンで行われるImmigration Reformのナショナルラリーに参加しようというものがありました。通常、イリノイからワシントンまでのバスは100ドルなのですが、寄付を集めて少しでも費用を抑え多くの人を呼んで参加するというものでした。最初にミーティングで話が出たときには本当に実現できるのかと思ったのですが、Fundraising Partyを企画したり、教授やLatino Studyに関わる人たちからのdonationを集めたりで、実際には60人近くの人を集めて一人40ドルの予算でワシントンへのラリーに参加することができました。Women’s Resources Centerでの活動なども見ていて思うのですが、日本での活動に比べてアメリカでのイベントの企画は非常に大雑把でありながら新しいこと、ユニークなこと、大きなことをやろうという意思が強いように思います。また、イベントを楽しむ側としても小さな不手際には目をつむり、イベントをやっているそのこと自体を評価するようにも感じました。Fundraising Partyの場合には、食べ物以外に何を売ろうかという話になったときに、オークションをしたらいいのではないか、という話になりました。ところがオークションで売るようなものがたくさんは手に入らないという状況で、La Colectivaのメンバーの中で得意なこと、ダンスのレッスンやDJなどのパフォーマンス、さらには一日デートをオークションでかけようと話が出、実際にオークションにかけられました。うまくいくかを考えることを二の次にして一見冗談に見えことを、堂々とやってしまうところがラテンアメリカ系の団体の強さなのかなとも感じました。私はドームに住んでいるためFundraising Partyで売るための料理も作れず、恥ずかしがって自分のデートのオークションにも参加しなかったのですが、当日スタッフとして会場で少し働かせてもらいました。
実際のワシントンで行われたImmigration Reformのナショナルラリーにはラテンアメリカ系の人が中心にはなっているものの、韓国系の人やアフリカン系の人たちも参加し、今まで見たことがないくらい多くの人が集まって大変な盛り上がりでした。日本でラリーに参加するということはかなり、ハードルの高いことのように感じますが、アメリカでは、家族や友人と参加することもありえるような親しみのあるイベントのようでもありました。

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写真1 Immigration Reformのナショナルラリー

3.    スプリング・ブレイクについて
スプリング・ブレイクの始まりはLa Colectivaでのワシントンでのラリーでした。その後、ワシントンに3日間滞在したのちにニューヨークへ行きました。もともとアメリカに来る前は東京で一人暮らしをしていたためか、ニューヨークの都会が心地よく感じました。ワシントンでもニューヨークでもホステルに泊まっての一人旅行だったため、観光というよりも自分の興味のある、美術館や博物館に行き、普段はできない買い物を楽しんで帰って来ました。ワシントンではUnited States Holocaust Memorial Museumへ行き、ニューヨークではThe Jewish Museum、Tenement Museum、The Metropolitan Museum of Artに行ってきました。それぞれのミュージアムにはそれぞれ個性があって非常に面白く、それぞれのミュージアムショップではガイド本まで買ってくるほど充実したものであったので、紹介を載せておきます。

*United States Holocaust Memorial Museum
http://www.ushmm.org/
イリノイ大学の留学制度を利用して、冬休みに行かせていただいたイスラエルでホロコーストミュージアムに行ったのですが、時間が十分になくもう少し見たかったため、ワシントンのホロコーストミュージアムに行ってみようと思いました。当然と言えば当然なのですが、イスラエルのホロコーストミュージアムが、ユダヤ人側の迫害の歴史を中心に展示がしてあるのに比べ、アメリカのホロコーストミュージアムはアメリカの外交政策と織り交ぜて展示がしてあるのが印象的でした。さらにナチスがいかにユダヤ人迫害をかきたてるようなプロパガンダを行ってきたか、ナチスの迫害からアメリカに亡命してきたユダヤ人の話などもありました。ワシントンにホロコーストミュージアムを設立するときには本当にアメリカにとってこのミュージアムが必要であるのか議論があったようですが、実際には学生も含めて、とても多くの人が訪れ、アメリカ外交の反省点などにも言及してあることから、アメリカにとって非常に意義のあるミュージアムのように思われました。

*The Jewish Museum
http://www.thejewishmuseum.org/
こちらのミュージアムに行こうと思ったのも、冬休みに行ったイスラエルの影響が非常に大きいと思います。世界の様々な地域に移住することになったユダヤ人がいかに自分たちのアイデンティティを保ちながら、それぞれの国で生きてきたか、差別やホロコーストなどの出来事をいかに乗り越えてきたのかについて語られていました。ミュージアム内の短いツアーにも参加したのですが、ガイドの方が “We”を使いながら説明をしていくなど非常にユダヤ人の結束の強さを感じたミュージアムでもありました。働いていらっしゃる何人かの方にはユダヤ人でない人もいたのですが、来館者の中でユダヤ人でない人はほぼおらず、子ども連れで来てのんびりと時間を過ごしているのを見ると、アメリカに住むユダヤ人にとってのコミュニティのような場所でもあるように思いました。

*Tenement Museum
http://www.tenement.org/
こちらのミュージアムはインターネットでたまたま見つけたのですが、非常にユニークで私の興味とも重なり非常に楽しく過ごすことができました。ミュージアムそのものの建物があるのではなく、ツアー・チケットを買い、Manhattan’s Lower East Sideに1863年に建てられたアパートメントの1室を見学しながら、実際にそこに住んでいた移民の家族の話を、ガイドの方から聞くというものです。Lower East Side は1840年代から政治や経済の理由からドイツやアイルランドから多くの人々が移民し、労働者として過ごしてきた場所です。当時はガスや水道がアパートの部屋まで通っておらず、水を手に入れるために一日に何回も女性が一番下の階までの往復を繰り返しながら家事をしていたことや、衛生状態が非常に悪かったこと、また質の悪いミルクで子どもが死んでしまったことなどが語られました。アイルランドからの移民に対しては宗教的な差別もあり、非常に苦労しながら懸命に家族で助け合いながら生活していた様子が目に浮かびました。

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写真2 Lower East Side

*The Metropolitan Museum of Art
http://www.metmuseum.org/
メトロポリタンミュージアムは非常に大きなミュージアムでニューヨークに旅行を決めたときから非常に楽しみにしていました。期待通りに非常に大きなミュージアムで、普段、日本ではあまり見る機会のなかった、アフリカやオーストラリアの原住民のアートや、中国の絵画、現代アートなども楽しむことができました。なるべく今まで見たことのないような展示品を中心に回っていたのですが、どうしても時間がなく、次にニューヨークに行く機会があったときにはまた行ってみたいと思いました。

4.    最後に
アメリカで過ごした留学生活は、日本での今までの生活を離れ、たくさんの人たちに恵まれ、また充実した授業を受けることができ、これからの自分自身の人生にとってかけがえのないものとなりました。その分、驚くことや考えもつかなかった出来事にも遭遇した期間でもあり、うまくいかなかったり悩んだりしたことも多く、アメリカでの生活はカウンセリングの通いながらのものでもありました。日本を発つときにはこういったことを想像しなかったため、カウンセリングに通っていること自体に対して不安になることや、辛いこともあったのですが、最後までうまくいくようにと努力し続けたことが、アメリカで頑張ったことの1つなのだと今は感じています。信頼のおけるカウンセリングの先生に出会えたことも、その先生との信頼関係をきちんと築くことができたこと、たくさんのアメリカでの出来事をカウンセリングでもシャアすることができたこともアメリカで得たものだと感じています。日本で離れて暮らしている家族や友人たちには大変心配をかけ、アメリカで出会った友人たちにも随分とお世話になりましたが、振り返ってみると、そのときには乗り越えることができるとは思えなかった1つ1つの出来事をちゃんと乗り越えて、素敵な留学生活が送れ、本当にアメリカに来てよかったという気持ちです。

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写真3 カウンセラーの先生と

JICの皆様にも大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。あと少しの帰国までの時間を大切に過ごす毎日ですが、この留学は今までの人生の中で一番充実し、一番成長した期間だと思っております。

中川貴史さんの2010年4月分奨学生レポート

 JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。2009年 度奨学生の中川貴史です。こちらシャンペーンでは極寒の冬も遂に明け、暖かい心地よい陽気の日が続いています。クワッドでは多くの生徒が芝生の上で寝転が り日光浴をする姿が見受けられます。早いもので帰国まで1月余り、時の経過の早さに驚かされます。期待と不安に満ち溢れてこちらに到着した時がつい昨日の ように感じられ、飛行機のチケットを目の前にしながら1月後には日本にいるということが未だに実感を持てずにいます。これまでの日々を振り返ると、沢山の 掛替えのない思い出が次々と浮かんできます。その中でも、今学期の初めから今に至るまでの3か月程の出来事の幾つかをご報告させて頂きたいと思います。

*授業について
今学期は法律系の授業及び、先学期学習して興味深かった日本に関する授業を軸に授業計画を組み立てることとしました。先学期に比較すると、300番台400番台の授業の数が増えやや負担が多いものの、その分学ぶことも多い充実した授業計画となりました。

JOUR411 Law and Communication
EALC227 Modern Japanese History
EALC306 Japanese Literature Translation Ⅱ
ATMS100 Introduction to Meteorology

今学期は以上のような12単位を履修しています。教授に頼み込み履修制限を外してなんとか履修することができたLaw and Communication のクラスでは、アメリカ憲法修正1条 の言論の自由に関する判例研究を行っています。毎回の授業で二・三の判例を扱い、事前抑制の禁止やプライバシー権との関わりなど一定のテーマについて判例 がどのような時代背景の中でどのような変遷をしてきたか比較研究しています。とりわけ興味深いのは、アメリカ憲法に拠るところが多い日本国憲法においては 判例・学説上もアメリカ判例と多くの共通点があることで、また逆に共通点が多いだけに差異がある点が際立つことです。例えば違憲審査基準という点では多く の共通点が見られ、日本でも学説上は違憲審査基準として確立されつつある「明白かつ現在の基準」についてアメリカ憲法判例の中でいかなる背景の下構築され てきたのか考察した授業は興味深いものがありました。また、メディアへの反論権に関する判例では、日米判例ともに言論の自由に対する間接的な抑止になると いう点を主な理由に挙げ反論権を否定しているものの、多様な学説・要素を考慮に入れながら違憲判決を下しているアメリカの判決文は印象的です。
Modern Japanese History の クラスでは、政治的な側面な側面のみならず、日本の歴史学習ではやや見逃されがちな衣食といった側面も当時の資料を読み解きながら学習しています。日本で は伝統的な学部の区分の中で法学部や文学部などに分かれ個別に研究されている歴史学ですが、歴史学部として独立した学問領域として確立されているこちらで は、学部レベルでも様々なアプローチから歴史研究がなされており興味深いものがあります。また、高校の授業や大学受験などでは鋭い視点から扱われることが 少ない第二次大戦後の歴史についても、アメリカとの関係性の中から日本の位置を捉え直すことで面白い視点を獲得することができました。Japanese Literature のクラスでは、江戸期から現代に至るまでの日本文学を検討・討論しています。生徒それぞれ異なった文化的背景を持っており、日本という文化を共有しない生徒達から出される意見は新鮮で、毎回の授業が楽しみとなっています。

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(写真1)エド&アリスさんのお宅にて

*日本館オープンハウスなど
先日は、郡司先生の方から日本館オープンハウス及び前日のレセプションパーティの方にお招き頂きました。レセプションパーティでは日本館の多くの支援者の方とお話しする機会に恵まれ、JICの 方々をはじめとして多くの人に支えられる日本館の貴重さについて再認識される機会となりました。また同じ週には、こちらで開かれている琴の授業のコンサー トがあり、こちらの学生が琴の演奏を楽しむ姿に心温まる思いがしました。加えて先日には、小野坂先生主催で日本語の授業を履修している学生をはじめとした 学期末のレセプションパーティがあり、今年から日本へと旅立つ大学院生や教授と会話を楽しみ、ぜひ日本で再会しようなどと盛り上がることができました。こ うしてこちらで築いた関係を今後も大切にしていければと思っています。
その後には、故小山先生がイリノイ大学にいらっしゃった頃から懇意にされていた方からディナーにお招き頂きました。美しい池の湖畔に佇むお家で10品 以上もあるフルコースのディナーを頂きながら、小山先生や日本での思い出を語って頂き、素敵なひと時を過ごすことができました。大変温かいおもてなしに言 葉で表せない程感激するとともに、小山先生のお人柄や寛大さを少しばかりか思いを馳せ、改めてこちらに留学生としていられることの貴重さを考えさせられま した。

*セントパトリックデイ&スプリングブレイク
3月 の上旬には毎年アンオフィシャルセントパトリックスデーという名目で学生達が飲みに行くという大規模イベントがあります。良い意味でも悪い意味でも、こち らの学生の勉強と遊びのメリハリにはいつも驚かされますが、アンオフィシャルデーはとりわけ大変面白い経験となりました。前日から24時 間寝ずに飲むぞと気合の入っている友達にお酒の買い出しに付き合わされ、当日のクラスではやや少ない出席者の中にやけに「楽しげ」な学生が混ざっていたり と印象的な光景を目撃することができました。日本では大学生全員が同じ格好をする機会などあり得ないので、学生達はみな緑のTシャツに身を包み、緑のビールを飲むという光景には圧倒されました。普段からイリノイのオレンジTシャ ツは人気がありますが、こういう形で愛校心ないし共同体意識が涵養されているのだと思うと興味深いものがあります。服装という点では日本の大学生は比較的 おしゃれな学生が多いという要因もあるため簡単に結論付けられないものの、日本の大学生よりもずっと誇らしげに自校のことを語る学生達の様子には、こちら の学生の愛校心の強さを感じさせられます。
春休みには、沢山のレポートを何とか仕上げるのとちょっとした休憩を兼ねてシカゴの友人宅にお世話になることとなりました。何度も訪れたことのあるシカゴですが、今回は初めて訪れたMuseum of Contemporary Artの作品の数々には心動かされました。紙や布、瓦礫などを使い創意を尽くして創られた作品はどれも日常性や時空といった深いテーマを表象しており、夢中になるあまり気が付くと丸一日を美術館の中で過ごしてしまいました。

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(写真2)友人宅にて

レポートと期末試験が迫り勉強に追われる日々ですが、残り少ないこちらでの時間を噛み締めながら過ごしていきたいと思っています。
中川貴史

柳潤子さんの2010年1月分奨学生レポート

JICの皆様、お無沙汰しております、2009年度JIC生の柳 潤子です。最初、課題の多さに戸惑い、ついていけるか不安だった秋学期の授業、冬休みが終わり再びシャンペーンにもどっての春学期が始まりました。気がつけばもう日本を発ってから5カ月が過ぎていることになります。あっという間に感じる時間の中に、考えられないような豊かな経験や出会いがあることを実感する日々です。サンクスギビングのあたりから春学期までのことについて書かせていただきたいと思います。少し長くなってしまったのですが、お時間があるときに、楽しみながら読んでいただければ幸いです。

1.    サンクスギビング
サンクスギビングは中国人の友人7人とともに、フロリダ・シカゴを旅行しました。彼ら7人は中国から渡米したばかりのフレッシュマンで、1人がドームの同じフロアに住んでいたため今回の旅行に誘ってもらったのがきっかけです。私はホテルの予約やお金の計算まですべてお任せしていた上に、参加のためにレジュメを書いていたボストンキャリアフォーラムがフロリダ・シカゴ旅行に被っていることに後から気付き、航空券の変更をお願することにまでなってしまいました。いくら相手が中国語で旅行のスケジュールを立てているため、参加しようにも言語の壁があるとはいえ、ここまで頼るのは申し訳ないと思っていたところ、シカゴ滞在予定のホテルにフレッシュマンの彼らの年齢では予約ができず、私のパスポートが必要なことが1週間の旅行で一度だけありました。最初、彼らは私を彼らと同じようなフレッシュマンであると思っており、ホテルの予約ができずに困っていたようで、私の年齢を知ると、驚くとともに「よかった~」と言われ、一度でも私(のパスポート)が役に立つことがあって私自身もよかったと感じました。高校卒業後すぐに親元を離れ、中国から言語・文化の違う国へ来て、自分たちで旅行の計画を立て実際に観光をし、ブラック・フライディというサンクスギビング中に行われるバーゲンのイベントで家族へのプレゼントを一生懸命選ぶ姿は大変頼もしく思いました。

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写真1 フロリダのビーチで(一番気を利かせて旅行の取りまとめをしてくれている旅行メンバーの一人が撮影したため、彼が写っていないのが残念です)

2.    秋学期の授業について
ネイティブのアメリカン人に交じって、スピーチをするのが非常に心配だったCMN321 Persuasive Speakingは、いざクラスメートの前に立って発言すると緊張から流暢にスピーチができず、練習の割にはうまくできたり、準備に時間をかけたにもかかわらずうまくいかなかったりでした。それぞれの興味も専攻も様々のクラスメートが持ち寄るスピーチのテーマは非常に面白く、また、インストラクターの方も「こんなに良いクラスが持てて今学期は本当にラッキーだ」とおっしゃられるくらいアットホームな雰囲気で授業そのものを楽しむことができました。授業の中では、本番のスピーチのための練習として、クラスメートの前で、即興で内容を考えて短いスピーチをする機会もありました。クラスメートが、まったく躊躇することなく、積極的に手を上げてあたかも本当であるかのよう(即興のスピーチでは、話し方の練習のため、本番のスピーチには欠かせない自分の主張を裏付けるデータや記事を勝手に捏造して話すため、内容もジョークがあったりして面白い。)にスピーチをする姿も見られ、ただ圧倒されるばかりでした。あともう少しアメリカの文化と英語力があればもっと理解できるのにと思うこともしばしばありましたが、毎回刺激的で楽しい授業に出会えたことが非常に嬉しかったです。LLS220 Mexican & Latin Am Migrationもまたクラスメートに恵まれた授業でした。この授業では10ページほどのレポート課題が出ました。私は、日本で所属していたNGOの活動で移民の子どもをみていたことから、この授業への興味が始まったため、日本とアメリカでの移民の人々のアイデンティティやコミュニティの違いなどについて書きました。日本についての文献を英語で探すのが非常に苦労しましたのが印象的でした。2つの言語の授業、SPAN122 Elementary SpanishとCHIN305 Advanced Chinese Ⅰでは日本での典型的な言語の学習とは違い、学生側にかなり積極的なクラスへの参加が求められ、speakingやcommunicationが重要視されていたように思います。CHIN305 Advanced Chinese Ⅰは毎日授業があり、中国語に触れる機会が多く持つことができ、授業の内容も中国人の友人と話すときの共通の話題になるようなよいトピックを、先生が選んでくださっており充実しておりました。日本の大学で中国語を学んでいたときには感じなかったのですが、自分自身が日本語のネイティブであることが中国語学習においては大変大きなアドバンテージとなって、テストなどが他の言語がネイティブである学生と比較してはるかに負担が少なく感じました。その分、毎日授業がある割には中国語に接する時間が少なく、結局のところあまり中国語の能力が向上したとは感じられず、そのあたりは今学期の課題ではないかと感じております。

3.    iDream & Women’s Resources Center
Dream Act
前回のレポートでDream Actという移民のための新しい法律について書かせていただいたのですが、その後、la corectivaのメンバーとしてDream Act制定を促すためのRallyやla corectivaの活動をより多くの人たちに伝えるための活動にかかわっています。週一度のミーティングに出席しているのですが、これまでこういた政治団体に所属したことがなかったことと、そもそもイリノイ大学の他の組織のことをよく知らないため議論の内容についていくのさえかなり危うい感じです。私が初めてRallyを見たときにはメンバーの中心が移民問題と直接かかわっているような人たちだったため、日本から来たあまりアメリカの移民問題とは直接関係のない留学生の自分が仲間として活動に参加できるのか不安だったのですが、かなりオープンで歓迎していただき、本当に嬉しく思っています。サンクスギビング前に大変忙しくしばらくミーティングに行けないときもあったのですが、その後に行ったRallyにはメンバーとして参加させていただきました。今学期はもう少し議論に加わり、活動にももっと積極的に参加できたらいいなと思っています。

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写真2 Rallyの後でla corectiva の記念写真

Women’s Resources Center
Women’s Resources Centerは昨年の初めにイリノイ大学の中に、新しくできた組織で、偶然ボランティアとインターンを募集しているということで、秋学期はボランティアとして、今学期はインターンとして活動に参加させていただいております。日本の大学でジェンダーの授業を受講したことがあり、ジェンダーの問題に大変興味があったので、実際に活動に参加させていただけることを大変幸運に思っています。またボランティアの担当の方がとても温かく迎えてくださるので、Women’s Resources Centerに行くことそのものがとても楽しみになっています。アメリカに来る前、Women’s Resources Centerを訪ねる前まではアメリカは日本よりもかなりジェンダーについては進んでいると思っていたのですが、実際に活動してみるとまだまだ不十分なところもたくさんあるのだと感じています。一度Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender Resource Center (LGBT)のメンバーである友人に誘われて、セクシャル・マイノリティーの人たちの話を聞くイベントに参加したとき、実際に話を聞いてみると、想像していたよりもずっと難しい周りの環境との問題があるのだと感じました。特にアメリカの場合、大学で寮やフラタニティーなどに入るときや教会と関係の中で問題が生じてくるようです。思い返してみると私たちが普通に生活している前提として異性を恋愛対象にするということが多くあり、そうでない人たちにとっては随分と住みにくい環境であると思いました。
Women’s Resources Centerはできたばかりなのですが、セクシャル・マイノリティーの問題から女性の差別問題、その他の人権問題に関わる様々なイベントがあり、今学期はWomen’s Resources Centerの存在やイベントを多くの人に知ってもらえるような活動ができたらと思っております。

4.    冬休み
冬休みには、メキシコに住む友人の妹の15歳の誕生日パーティに出席するためメキシコに1週間滞在し、その後イリノイ大学の留学制度を利用し3週間イスラエルに留学をいたました。
メキシコ
メキシコの友人とは2年前にカナダで知り合いました。その後、私のイリノイ留学が決まった際、再び会おうということで、今年の夏イリノイに来る前に彼女のメキシコにあるおうちに2週間滞在させていただきました。そのときに彼女の妹の15歳の誕生日パーティが12月にあるということで、再び招待を受け、メキシコに行くことになりました。メキシコでは女の子の15歳の誕生日パーティはQuinceañeraといい、大人になる節目の年とされ、結婚披露宴のような豪華なパーティが催されます。家族にとっても親戚にとっても、もちろん本人にとっても人生の中の大切なイベントで、私が夏に友人の家に滞在したときにはパーティ会場の予約もされ、当日着るドレスも大切に保管されていました。私の友人のほうは、彼女が15歳だったときパーティよりも旅行が好きであったためQuinceañeraは開かれず、ヨーロッパ旅行をしたそうです。そのため妹のパーティは家族にとって最初で最後のQuinceañeraでした。そんな大切な家族のイベントに参加させていただき、友人と一緒に妹のQuinceañeraを祝えたことが本当に嬉しかったです。夏にお世話になった友人の親戚や一緒に遊んだ友人の友人とも久しぶりの再会をしました。またクリスマスが近かったため、メキシコの伝統的なクリスマスも味わうことができました。友人や友人の家族とイリノイ大学での出来事やお互いの文化についてのんびり話し、おいしいメキシコ料理を食べてリラックスしとても楽しいメキシコ滞在となりました。アメリカに留学していると、日本に簡単に帰ることはできないのですが、このように家族のような存在が近くにあるのは本当に心強く、感謝しています。

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写真3 メキシコにてパーティの主役である友人の妹と

イスラエル留学
イスラエルへはイリノイ大学のcourse abroadというプログラムを利用して留学させていただきました。イスラエルの大学に留学するわけではなく、イリノイ大学の授業がイスラエルで行われるというイメージの方が近いと思います。秋学期の後半8週間、週1回1時間の授業が実施され、イスラエルの移民問題や民族問題などについての基本的な事柄を学びました。そして、冬休みにはイスラエルへ行き、実際にそこに住む人たちや移民問題に関わる人の話を直接聞き、ホロコースト博物館やアラブ人の住む街、モスクや教会を見学し、それぞれのプロジェクトを進めるといった内容でした。学習方法として非常に面白かったのは、イスラエルで異なる3つの場所でobservationという課題が出たことです。これは街や人々の雰囲気を観察して、そしてイスラエルの人に実際にインタビューをするものです。次の日にはクラスの中で何を見て何を考えたかを発言し、先生がそれに対して現在イスラエルで問題になっていることなどを話してくださるというものでした。初めに何に着目するかがほとんど伝えられず、かなり自由な課題だったのですが、以前に来たことのある場所であったとしてもobservationとなると新しい発見があるのが非常に面白く感じました。イスラエルは“ユダヤ人の国”というイメージが強く、政府側も率先して海外に住むユダヤ人をイスラエルへの移住を促すような政策をとっているのですが、人口の20%アラブ人となっています。同じ国に住みながら、それぞれが離れた地域に住んでいるため接触が少なく、宗教の違い、歴史的背景も加わって、理解し合えないような状況が見られました。その一方で今回の留学では、イスラエル唯一のアラブ人の村にある、アラブ人とユダヤ人が一緒に通う学校の見学もさせていただきました(マイノリティーであるアラブ人がユダヤ人の学校に通うことは見られますが、マジョリティであるユダヤ人がアラブ人の住む地域の学校へ行くということは普通、起こりません)。こちらの学校では、全てのクラスにアラブ人とユダヤ人の先生が配置され、ユダヤ人の言語であるヘブライ語とアラブ人の言語であるアラブ語の両方が平等に使われるように考慮してありました。アラブ人とユダヤ人の子どもがお互いに理解が深めあえるようにそれぞれの家を訪ねるような宿題が出され、それぞれの聖書の中でストーリーが共通している部分については一緒に宗教の勉強をする時間もあるそうです。この学校は幼稚園から小学校くらいまでの6年間の学校なのですが、どんなにプログラムを組んでも、子どもは大きくなるにつれてどうしても同じオリジナリティーを持つ友人と遊ぶようになるそうです。中学校や高校の設立について計画はあるもののうまくいかないかもしれないと校長先生がおっしゃられておりましたが、理想通りにはいかない現実も見た気がしました。
最後の週末には先生のご家族の住むおうちに招待していただきました。先生のご家族はアルゼンチンから移住してきており、アルゼンチン・バーベキューをごちそうになりました。秋学期の後半に行われた全8回のクラスでは一度もクラスメートと親しく話すこともなく、3週間、18人のアメリカ人の中のたった1人の留学生としてうまくすごすことができるか非常に不安に思っていました。そんな不安な気持ちを抱えオヘア空港へ行き、飛行機を待っていると大雪のために飛行機はキャンセルとなりイスラエルへは2日後に出発することが伝えられました。簡単にキャンパスのドームに戻ることができない私は、そのまま、それまで一度も話したことのなかった1人のクラスメートのおうちに2泊することになりました。突然、2日間滞在することになったにもかかわらず、クラスメートの家族には、映画に連れて行ってもらい、クリスマスの残りのクラッカーを一緒に楽しみ、最後には空港で食べるスナックの心配までしていただくなど、本当に温かく迎えていただきました。イスラエルにいる間はかなり自由時間があったため、それぞれがグループになって観光をしたりする機会が多くありました。ときどきコミュニケーションがうまくいかずにじれったく思うこともあったのですが、自分が興味のあるときにはくっついて行って、疲れたときにはそれを伝え部屋で休めばいいんだ!という結論に達すると意外と気楽にクラスメートとhang outしながら楽しく過ごせたように思います。また、イスラエル人の先生と2人のときには、先生自身がアメリカに留学したときの話をしてくださり、自分のアメリカ留学を通して感じたことと重なる部分もあって興味深かったです。

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写真4 イスラエル (見る景色全てがとても新鮮でした。)

このイスラエルへ留学するにあたっては留学するメンバー全員が特別の奨学金をいただきました。アメリカのcitizenshipを持たない私が奨学金を受け取るにあたっては他の学生とは異なるプロセスが必要であったのですが、丁寧に対応していただき、また、visaの問題についても先生やstudy abroad officeの方に気にかけていただきました。1年間の留学プログラムで来ているにもかかわらず、他の学生に交じって、こうして第三国に留学できるのは本当に幸せなことだと感じております。こういったことができるのもJICの方々が今まで築いてこられたイリノイ大学との関係からと思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。いつもありがとうございます。

いよいよ折り返し地点に来たと思うと、なんだかまだまだやりたいことがたくさんあって毎日毎日が非常にもったいなく思っています。今学期は日本での自分の専攻にかかわりのある授業や、また、アメリカに来て興味の出てきた分野の授業もとることにしているのでさらに充実した学習ができるのではないかと期待しています。また前学期に新しく知り合った人たちとさらによい関係が築いていけたらと思っています。

柳 潤子