後藤直樹さん2011年最終レポート

JICのみなさま、レポートを読んでくださっているみなさま、こんにちは。

帰国してから5ヶ月が経とうとしています。ちょうど二年前の今頃は、小山八郎記念奨学金への応募を本格的に準備していた頃だと思います。過去の奨学生レポートを何度も何度も読んでいろいろと逡巡していたあの頃を、ふと思い出しました。こんなすごい経験自分に出来るのだろうか。そんな資格自分にあるのだろうか。当時の自分にとっては、応募するということ自体、容易に踏み出せない一歩でした。

二年間経って今、あの頃の自分から、すこしは変われただろうか。強くなれただろうか。たぶん、とは言える気がします。少なくとも二年前の悩んでいたあの時の自分に、やっぱり君の選択は正しかったよ、とそのことを迷わず伝えられるのは確かです。かつての自分と同じように、逡巡しながらも留学に興味を持ってこのHPを読んでいる誰かに何かを伝えられたらいいな、と思いながら、この最後の奨学生レポートを書かせていただいています。

日本に帰ってきて半年、「留学どうだった?よかった?」と、久しぶりな誰かに会うたびに聞かれます。「良かったです。また行きたいです。」迷わず応えています。その言葉に嘘はないし、美化しているわけでもありません。でもふと冷静にこの留学を振り返ると、自分からそういう言葉が出てくるのが不思議に思える時があります。

思えばイリノイに居た9ヶ月間、そんなに楽しい事ばかりではありませんでした。むしろ割合から言えば、しんどい事の方が多かったかもしれません。いつもプレッシャーに追いかけられていました。普通にやったら終わらないようなアサインメント。数日後の課題がちらちらと頭をよぎり、寝れなくなる事もしばしばでした。不眠症になったのは、人生で初めてだったように思います。しょっちゅうおなかを壊していたような気がするし(脂っこい中華のせいですね!)、40度以上の高熱を出して寝込んだのも二度三度ありました。要領という存在に気付いて楽になったのは、ずっとずっと後でした。

ああ、自分はなんてタフじゃないんだ。もっと力を抜いてやれば良いのに、なんでそんなに肩肘張ってるのさ?と、何度も何度も思った気がします。それでも今、こうして確かに大きなものを学び取って帰ってきた、と確信しているのは、こんな情けない自分と向き合いながらも、少しずつそれを乗り越えて行ったからだと思っています。

一つ、本当に大きな転機になったと思っている事があります。Fall Semesterも中頃を過ぎた頃、津波が東北の町を飲み込んで行く俄には受け止め難いニュースが、1万キロ離れたイリノイにも届きました。こんなにも離れているのに、ニュースが届くのは一瞬でした。物理的な被害は一切受けていないのに、家族も無事なのに、大きなショックを受けている自分。授業やアサインメントにも手がつかなくなる。身体は大丈夫なんだから、少なくとも今やるべき事をやらなければならない。頭では分かっていながらも、どうにも動けない。大丈夫なはずの自分が心底、情けなく思えました。

幸いなことにちょうどそのすぐに後、大学は一週間の春休みに入りました。このままじゃ駄目だ、と思いました。どうにか態勢を立て直さないと。悩んでいても仕方ないし身体を動かそうか。そう思い、ARCという大学のジムのCombatルームで一人、ワークアウトを始めました。アメリカでも振ろうと日本から持ってきた木刀で、数ヶ月ぶりに習っていた古武道の練習を始めました。懐かしい感じがしました。汗を流した後、ああこれだ、と思ったのを覚えています。

授業が再開されてからも、毎日ARCに通い続けました。どんなにアサインメントに追われていようと、それを途中でほったらかしてでも、一日一時間は身体を動かすようにしました。好きなことは続くものです。結局、それから帰国までずっと、ほとんど毎日ARCに通いつづけました。不思議な事に、今まで感じていたプレッシャーや、夜寝られなくなるという事が、運動するにつれだんだんなくなって行き、むしろ前よりずっと効率的に勉強に向かえるようになって行きました。

本当に些細なことですし、当たり前と言えばそうかもしれません。けれど、個人的にはとても大きなことだと思っています。自分がタフじゃない、ということは昔から良く分かっていました。でもだからしょうがない、ということでそんな自分をあたりまえとして受け止めたくはありませんでした。そういう自分であるということは認めながらも、どうにか努力でそこを補えたらと思っていたのです。

後から振り返って思うのは、このときに私はその為の小さな可能性を見つけられたのではないか、ということです。自分は自分で立て直すことが出来る。自分に自分から働きかけることが出来る。その気付きは私が一生の中で得たものの中でも有数の、心強い確信として、これからもずっと共にあるような気がします。

留学というoptionが開く可能性のようなものは、ほとんど無限にあります。いま振り返ってみて、もっと出来たのでは、そんな風に思えることはたくさんあります。けれど私は此所で種のようなものを貰ってきたのであって、それはむしろ今から、大切に育てていかなければならない可能性のようなものだと思っています。

二年前の自分へ、もし何かできることがあるのなら、君がしようとしていることは良い選択だと思うよ、とそっと声をかけるだろうと思います。小さなことに悩んでるなぁ、と思うかもしれません。けれど元気に一回り大きくなって帰ってくることを(体重ではなくて)切に願うだろうと思います。

二年前にタイムマシンで帰る訳には行きませんから、代わりにかつての自分のようにいま、悩みながらも留学や何かいろいろな選択を決断しようとしている人に、同じ言葉をかけれたらな、と思います。成長は個人的なものであって、あらかじめその形を予測する必要はないと思います。可能性を限らずにいれば、本当に価値があると思うものに出会えると、信じています。

最後に、この留学はたくさんの人の支えがあってこその物でした。本当にそうでした。何かの可能性にかけて奨学生に選んで頂いたJICの皆様、後押しをしてくれた叔父、支えてくれた家族、お帰りと迎えてくれた研究室のみんな、本当にありがとうございました。嬉しかったです。また、何より他の同期の奨学生の三人、ありがとう。本当にこの三人が同期で良かったな、とつくづく思います。一人一人が僕の中で強烈な印象を残しています。そして最後にもう一人、9ヶ月間いつも助けてくれていた友人に、この上ない感謝を。どれほど助けられたことか。本当にありがとう。

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後藤直樹さん2011年5月分レポート

JICのみなさま、レポートを読んでくださっているみなさま、こんにちは。今、日本に向かうこの機内で、第三回目の奨学生レポートを書いています。空っぽになった寮の部屋を見たときも、LEXバスに乗りキャンパスを発ったときも、いまいちわかなかった寂しさが、機内で撮りためた写真をスクロールしているうちに、今更になって押し寄せて来ています。

前回のレポートでは、Spring Semesterの始まりまで書きました。こちらに来て半年が過ぎた今期は、英語にも生活にもなれ、以前より余裕を持って時間を過ごせた時期になったと思っています。まず今回は印象に残った授業を二つ、ご紹介したいと思います。

 Media Ethics

授業を担当していたProf.Christiansはとても個性的で魅力的な教授でした。大分お年を召された白髪の先生で、しゃべるスピードはゆっくり、でも話し方に緩急があり、不思議な存在感がありました。生徒のことを本当に良く見ている先生で、30人近くの生徒の名前をすぐに覚え、顔だけを見て出席をつけていました。前回居なかった生徒が授業にくると、そっとその生徒に近づいて行ってプリントを手渡す姿を何度も見ましたが、今思い返してみると凄いことです。

授業自身もとても印象的なものでした。Media Ethicsという名の通り、Journalismにおける倫理が授業のテーマだったのですが、いままで抽象的にのみ論じられて来た倫理を、どのように現実的な問題に応用するかというのが彼のやっていた試みでした。

授業では毎回ケーススタディが取り上げられ、例えばある授業の回では、ホテルルワンダという映画が題材になりました。ルワンダで起こったフツ族過によるツチ族の大虐殺の最中に、あるホテルで起こった史実をモデルに作られた映画ですが、授業ではそこに描かれているジャーナリストたちにフォーカスが置かれます。

虐殺が起こる前から、ホテルルワンダには多くのジャーナリストたちが宿泊していました。映画では虐殺が起こり始めた後、危険をさけ帰国するジャーナリストと、それを引き止める難民の姿が描かれています。自らの命を守る義務と、現地で起こっていることを報道する責務という、二つの異なる義務にジャーナリストたちが引き裂かれる時、彼らはどう行動することが一番よいのか。

ここで教授が取り上げるのはアリストテレスの中庸の倫理です。中庸の倫理というと大げさですが、簡単に言えば行き過ぎでも過小でもなく、その中間のどこかに一番の美徳が存在するという考え方です。この理論をこのケースに当てはめるなら、何もせずその場を離れる選択も、命の危険を顧みずその場に残る選択もどちらも最善ではなく、その中間あたり、例えば一時的にその場を離れるにしても国境付近で取材を続ける、などという選択が最善ではないかという示唆が得られます。

いくつかのEthical Principlesがあり、それぞれのケースについて一番妥当なprincipleが存在し、それを適用すれば一番妥当な行為かが決まる。もちろんここまではっきりとしたことは言ってませんでしたが、そうした白黒をつけるきらいがこの授業にはありました。授業を受けている間、そんなに簡単に良いこと悪いことが決まる物なのか、という疑問はずっと消えなかったのですが、途中から少し考えを改めることにしました。

現実世界では、良い選択という抽象的なものがどこかに浮いているのではなく、常に決断と実行が隣り合わせで進んで行っているのだということを、アメリカに来てからことさら強く感じる様になりました。Principleを用意するということは、それが凝り固まった原理になるということではなく、少しでも良い選択を、迅速に、実際に、実行に移すために、基準を用意するということではないかと今では思っています。Journalismとはもともと日々の記録という意味を持っています。そこまで遡るまでもなく、Journalismが要求するのは、日々刻々と変化する現実のなかで、その都度決断をして行くことであるのは明らかです。

深く考えることと迅速に動くことの二つを両立することの難しさと、それにしっかりと向き合うことがアメリカでの生活に与えられて課題だとおもっています。答えは出ていませんが、この授業は考えることと行動することを両立するために自分の中にPrincipleを用意すること、その大切さを教えてくれたように思っています。

History of Anthropology

一番心に残った授業です。この授業を担当したProf. Ortaの授業は先学期にも取っていて、その人柄と充実した授業に惹かれて今期も受講しました。先学期と比べ10人ちょっとのクラスで人数も少なく、先生との距離も生徒同士の距離もぐっと近くなりました。

授業の内容はHistory of Anthropologyという名の通り、人類学の学説史です。シラバスには明確にこの授業の目的が書かれていて、そこには現代の人類学の研究成果を歴史的な視点で読み込めるようになること、とあります。

文化人類学や社会学、経済学は社会科学として19世紀に誕生しました。この授業で特に感じたのは、このルーツを知ることの大切さです。19世紀は自然科学の発展がドラスティックに社会を変化させ、科学や発展ということに対する信頼が強かった時代です。こうした時代の中、自然と同じように社会も科学的な分析が出来るという信仰のもと、社会学や経済学といった学問は、社会”科学”として出発しました。今まで当たり前に受け入れていた社会学における見方や区別も、遡ればある時代のある特定の見方に端を発していることを再確認しました。

なぜ学説史をやるのが重要なのか、その感じた所をきちんと言葉にするには難しいところがあります。単純にこの授業のReadingが面白かったということもありますし、圧縮した形で積み重ねられて来た成果を学ぶことが出来るという利点もあります。自然科学と違い人文科学の研究成果は、必ずしも新しいものが以前の物を乗り越えているとは言い切れない所があります。学説史を学ぶことによって、いま注目を浴びている考え方が、ある特定の時代、文脈に於いて光を浴びているに過ぎないということを念頭に置きながら、最新の文献を読む視点を与えられました。

僕自身の専攻は社会学ですが、人類学の授業で社会学の古典を読むことになったように、人類学と社会学はとても近いところにある学問です。でもUIUCの授業にはHistory of Anthropologyはあっても、History of Sociologyはありませんでした。これはたぶんUIUCに限らず社会学全体の傾向ではないかと思っています。こちらで社会学の授業をざっと見て感じたのは、この分野での領域の細分化でした。家族社会学、科学社会学、政治社会学、犯罪社会学・・・いくつもの分野に枝分かれをしながら、では社会学全体としてのIdentityはどこにあるのか、という質問にはどうも答えを得られそうにありません。逆に人類学はかろうじてその学問としての全体性を維持できていることを知れたことは、大きな意味があったように思います。

アメリカと日本の大学

一番初回のレポートで日本の大学教育とアメリカの教育の違いについてこれからも考えて行きたいと書きました。あの時感じたことと少し考えも変わっていますが、今もう一度ここで日米の教育の違いについて少しだけ考えを書いておこうと思っています。もちろん僕が経験して来たアカデミックな教育は人文社会科学に限られますし、大学もUIUCと京大だけなので当然一般化することは出来ません。でもその限られた経験の範囲内で二学期に渡る授業を終えて思ったのは、どっちが良いという以前に、両方経験できてほんとうに良かったなという実感です。

京大では、君は好きなことをやりなさい、私も好きなことを話すから、徹頭徹尾そういうスタイルで全てが進んで行きました。僕はこの雰囲気が好きでした。好きなことをやっている方がモチベーションもあがります。UIUCでは逆に、これをやりなさい。これくらい知っとかないと恥をかくよ、とその分野の常識を叩き込まれた気がします。教授はその分野における常識を生徒に伝えるために、じっくりとシラバスを練り、効率的にその分野において知っておかなければならないことを教えてくれました。こちらではやらなければいけない物が押し付けられるので、モチベーションを保つのには苦労することがあります。その時に教授やTAとの個人的な繋がりが、モチベーションの維持に繋がったことは前にも書いたように思います。僕に取っては、このどちらのタイプも経験したことが自分の糧になったと思います。

教育は意図された通りに働く訳ではなく、ほんとうに劣悪な環境がかえって人の成長に役立つというのはよくある話です。だから良い教育とはなにか、という大風呂敷を広げた議論は困難なのだと思います。でも個人のレベルではそんな難しい話ではないと思っています。この留学を終えた今確かに言えることは、両方経験してみるということが一番良いということです。アメリカにいる最中は、こんな大変な授業は一年で良いや、これを四年やり抜く留学生はすごい、なんて思っていましたが、終わってみればもっと続けたい気持ちが湧いて来たりします。

「どっちが食べたい?」「両方!」って言うのがいちばんおいしい体験であったりするように、今回の留学は二つの世界を教えてくれたという意味でほんとうに貴重な体験だったと思っています。そして両方選択することの出来た環境に置かせて頂いた自分は本当に恵まれていたんだと今、思い返しています。

まじめな話ばかりになってしまいましたが、今回の留学を無事終えることが出来、たくさんの気付きを頂けたのも、この留学を支えてくださったJICのみなさま、家族、友人、先生方の存在があってのことです。再び感謝の気持ちを記して、第三回目の奨学生レポートを終わらせて頂きたいと思います。

後藤直樹さん2011年1月分奨学生レポート

JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、こんにちは。第二回目の奨学生レポートを送らせていただきます。

一月末の猛吹雪以来、(日本でもニュースになったかもしれません)冬らしい寒さが戻っていたキャンパスですが、ここ一週間は暖かい日が続き、雪解け水がキャンパスの至る所に水たまりを作っています。春の到来を期待するのはまだ早いかもしれませんが、とても気持ちのよい天気の中、いま、このレポートを書いています。

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写真1:リス(NewYork育ち)

先学期の授業について

振り返ってみて、未だに強く印象に残っているのは、Globalizationの授業です。前回のレポートでは国家の地理的な境界を超えて市場、生産面、両方でビジネスを展開する企業が、TNCs(trans national corporations)として概念化されていることについて書いたように思います。授業ではその後、80年代以降にIMFやWorld Bankを通して広められた新自由主義的な経済政策の、主に途上国に対する影響や、こうしたGlobalizationの否定的な側面に対抗する社会運動などが取り上げられました。網羅的に関連するトピックを扱う授業で、特に個々のトピックについて深く掘り下げられた訳ではありませんが、これからいろいろな機会にここで学んだことを思い出す予感がします。

面白いことに別に受講している人類学の授業でも、グローバリゼーションが重要な背景になっているエスノグラフィーを、授業の後半に読むことになりました。エクアドルのindigenous communitiesが、自治を求める社会運動を形成する過程でコミュニティ間の違いや対立を乗り越える必要に迫られ、それがかえって広い範囲でのコミュニティ意識を再形成するというテーマのエスノグラフィーです。

二つの授業を通して興味深かったのは、 共に別々の領域の学問であるにも関わらず、 グローバリゼーションというトピックがここで論じられる際に、少なくともこの両者の間には、ある一定の共通知識が 共有されているように思えたことです。これからいろいろなフィールドで物事を考える際に、グローバリゼーションという視角は非常に重要な切り口になると思いますが、その時分野を超えてベースとなる前提知識を、この授業では学べたように思います。

余談になりますが、アメリカに来てから、知らなければならない、と感じる情報が格段に増えたような気がします。 グローバリゼーションの授業や、日本の外で生活している、ということが影響しているのかも知れません。今まではドメスティックな範囲内で考えていたことでも、もっと広く深い文脈でとらえ直さなければならないように感じることが多くなりました。

情報技術の発達で、地理的に離れた場所の出来事が、世界に影響を与えるスピードが早くなりました。同時に個々人がアクセスできる情報も増え、手に入りうる情報は増え続けています。けれど情報にアクセスできるということと、それを把握できるということは当然別で、こちらに来てからその限界を感じる瞬間が多くなったように思います。 アメリカに来てから、世界が変わっていくスピードがはやくなったように感じるようになったのは、僕自身の感じ方が変わったからでしょうか。

一方でこうした情報の洪水の中で、どうしたら流されずぶれない思考が出来るのか、本当に知らなければならないことはなんなのか、そんなことを最近少し考えるようになりました。答えはまだ見つかっていませんが、留学をしていなければ、こうして真剣に考えている問題にすらなっていなかっただろうと思います。

サンクスギビング&ウィンターブレイク

写真2:セントラルパークから

写真2:セントラルパークから

サンクスギビングが始まると、まずNew Yorkに向かいました。かなり出不精な僕は、実はそれまでシャンペーン以外に町というものを知らず(シカゴもまだその時は行っていませんでした)、まるでどこかの地方から上京してきた学生のように、NYの「都会さ」にただ興奮するばかりでした。

ニューヨークという街には至る所に歴史が刻まれています。泊まっていたホテル(というかアパート?)が築100年以上経っているのに気付いたり(そして、そのせいでトイレが詰まったり)、 ふらっと入った教会の美しさに、心やすらいだりしました。東京も京都もNYもChicagoも、そしてその後行くDCも、どれも大都市ですが、それぞれに建物の色や種類、街に流れる空気が違って、そうした違いを各々に感じれただけで貴重な経験でした。

NYを満喫した後は、WashingtonDCに向かいました。実は義理の叔母のお兄さん夫妻(Kenny&Donna)がDCに住んでいて、渡米前から、サンクスギビングの時には是非来るようにと、声をかけていただいていたのです。

NYを発ったのは丁度サンクスギビングデイの日でした。その日は、Kenny&Donnaそして従兄弟と一緒に、Baltimoreに住む親戚のディナーに招かれていて、DCではなくまずそちらに向かうことになりました。親戚同士の集まりに、一人英語の喋れない日本人がいる訳ですが、とにかく温かく接してもらい、居心地の悪さは全く感じませんでした。

ディナーが始まると、二十人くらいが真ん中に蠟燭が立てられたテーブルを囲み、伝統的なサンクスギビングの食事と会話を楽しみます。会話の内容はあまり理解できなかったのですが、共通の祖父母の思い出話などに花を咲かせているようで、終始とても温かい雰囲気が流れてたように思います。彼らにとって、この日はとても大切な日なんだな、ということが肌で感じられる一日でした。

KennyとDonnaは、両方とも料理が大好きで、毎日のように手作りのお菓子を焼いてくれます。美味しかったのは言うまでもありません。この居心地の良さのせいか、クリスマスにも滞在させてもらったのですが、その際にDonnaから「はじめての時はGuestだけど、二回目からは家族の一員だからね」と言われ、とてもうれしかったのを覚えています。アメリカの家族のように思えました。

実は、Kenny&Donnaのお隣の方は、ご夫妻ともにIlliniで、一度挨拶に訪れイリノイ大学に留学中だと話すととても喜んでくださいました。君は僕らの誇りだよ、とおっしゃってくださり、話している途中に、あれ、ご主人がいなくなったな、と思ってしばらくすると、どこからか見つけてきたのか、イリノイのすこしくたびれたオレンジのキャップをうれしそうな顔でかぶって戻ってこられました。一年だけの留学ですが、それでもイリノイ大学で勉強していたということが、これからもいろんなところで、思いもよらぬ共通点を見つけるきっかけになっていくのだと思います。

写真3:Kenny&Donnaとお土産の箸と

写真3:Kenny&Donnaとお土産の箸と

今期の授業について

今期の授業は以下のものを履修しています。

HIST142    Wester Civilization Since 1660

PHIL203    Ancient Philosophy

ANTH430   History of Anthropology

MS410       Media Ethics

今回の授業のテーマは(後づけですが)、「西洋の歴史」だと思います。歴史という学問には、どこか自分のことを知りたい、という社会の自意識があるように思います。まだセメスターがはじまって一ヶ月ですが、最初の三つの授業を通して、西洋世界の自意識に朧げながら触れているように感じています。

とりわけ、人類学の歴史の授業は、平行して専攻である社会学の歴史も取り扱っており、自分が専攻してる社会学という学問が、ある特定の社会の特定の時代的背景から萌芽したものであるということを、強く意識し直すきっかけになっています。

この授業では、社会学の基礎を築いたとされる泰斗二人(ウェーバーとデュルケーム)の代表作を読むことになり、社会学専攻なのにその文献を実は読んだことのない僕は、恥ずかしいことに英語ではじめてそれを読むことになりました。

社会学という学問は、いったい何をやっているのですか、と聞かれる確率の非常に高い学問です。僕は今まで一度も満足に答えられた試しがなかったのですが、この二人の社会学者はそれを定義すること(しかもかなり違った形で)からはじめています。人類学の授業ですが、この授業には、日本に帰ってからやらなければならない課題をたくさん残されたように思います。

とりとめのない内容になってしまいましたが、今回のレポートは以上です。課題はたくさんあるのに、たいしてなにも出来ていない自分がときに情けなく思えますが、それでもそれを見つけれただけ幸せなことだと思います。こちらでの生活は、思い返せば、後ろ向き7割前向き3割程度ですが、奨学生レポートは前向きな時に書いています。ただ、とても貴重な経験をいましているのは確かで、このような有意義な機会を支えてくださっている、JICのみなさま、両親、同じ奨学生のみんな、友人に感謝の意を述べて、第二回目の奨学生レポートを終えさせて頂きたいと思います。

写真4:冬のユニオン

写真4:冬のユニオン

後藤直樹さんの2010年10月分レポート

JICの皆様、こんにちは。気がつけば8月15日にシャンペーンに着いてから、もう二ヶ月半の時が過ぎようとしています。

こちらについた日のことで今でも鮮明に覚えているのは、キャンパスへ向かうLEXバスから見た一面に広がるコーン畑です。ちょうど日が沈む時間帯のバスに乗ったため、沈む夕日にコーン畑が紅く染められていく瞬間を見ることができました。その時まで地平線なんてテレビの中以外で見た記憶がありませんでした。素朴な風景でしたが、ここが紛れもない異国の地だということの確証を得たようで、なぜかとても自由を感じたのを覚えています。

写真1:リス(NewYork育ち)

1.地平線ってこんな感じです(夕焼けはご想像ください)

<生活編>

もちろん、そんな自由もほんの束の間の話で、キャンパスに着いたあとしばらくは、とにかく生活に馴れるのに必死でした。奨学生の仲間や、ルームメイトに助けられてようやくちゃんと生きていけるかもと思えたのは、数週間たったころでしょうか。

思えばルームメイトのzeeには随分と助けられました。テキサスからの19歳、transfer studentと経歴だけ聞いて想像していた人物とは全然違い、まったく19歳には見えない彼は、着いた日の深夜に初めて会ったその足で、僕をWalmartに連れて行ってくれました。睡眠不足でもうろうとした頭で、車を運転する彼を見ながら、日本帰ったら免許取ろうと固く決心したような気がします。

そんな怒濤の数週間もあっという間に過ぎ、はじめ全然聞き取れなかったルームメイトの英語も、はじめ全然聞き取って貰えなかった僕の英語も(特にSUBWAYの注文!)、時が経つにつれなんとかなるようになっていきました。あれほど頼りに思えたルームメイトも、部屋は常にmessy、土日は夕方の六時まで寝ているなど、実は相当lazyなことも分かり、気がつけば僕は散らかったゴミを捨て、ゴミ箱のゴミを替え、洗濯物が臨界点に達した時は、”Zee, its time to do the laundry”なんて言い、いつの間にかまるで息子の面倒を見る母親になっていました。

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2.RoommateのZee。みんなでアイスを食べにいくところ

実はそのあと、僕はSherman Hallという寮の一人部屋に移り、いろいろな事情があって彼もテキサスに帰る事になり、実際に一緒に居たのは一ヶ月半ほどだったのですが、思えばいろんな経験をさせて貰えました。寮を移る時、”I am worrying about my son’s future life after I move to Sherman”と言うと、”If you are not an exchange student from Japan, I’ll say ‘fuck you’”みたいな事を笑いながら言われたのを覚えています。それでも母は息子のことがやはり心配で、今でも時々大丈夫かな、と思い出したりします。

生活に落ち着いたのも束の間、授業が始まると課題に追われる日々が続いて、あまりいろいろな事をする余裕がない日々が続いています。ただ日本に居る時から聞いていた通り、このキャンパスには本当にいろんなResourceがあるんだなということは朧げながら実感することが多いです。

Krannert CenterやArt Museumでは毎日いろんなコンサートやイベントをやっていますし、ボブ・ディランやイツァーク・パールマンなどの大物がさりげなく来ていてびっくりすることもしばしばです。出不精な性格も手伝って、こんなすばらしいResourceもまだ全然活用できていないのですが、次回の奨学生レポートまでにはこんなResourceをもっとたくさん発掘して、ご紹介したいと思います。

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3.夜のKrannert Art Museum

<講義編>

噂に聞いていた通り、アメリカの授業は本当に大変なものでした。授業が始まったばかりのころは単位が取れなくて日本に強制送還になるのでは、と本当に心配になるほどでしたが、二ヶ月たった今は、少し余裕を持って授業のことを振り返る事もできるようになったかと思います。これをよい機会に、いろんな部分で日本の大学とは大きく異なっているこちらの授業について、少し思っている事を書かせていただきました。

・SOC 364 Impacts of Globalization

こちらに来て本当に取ってよかったなと思える授業です。僕の個人的な印象ですが、日本ではグローバリゼーションと言うと、なんにでも使えるマジックワードとして機能するか(とりあえずグローバリゼーション)、抽象的な理論として語られることが多いように思うのですが、Prof. Dillの授業はずっと具体的な事例を軸にして講義が組み立てられています。

例えば国をまたがって経済活動を行う、TNCs(Trans National Corporations)がどのように個々の国家の政策を利用して経済活動を行っているのか、世界中に広がったCommodity Chain(下請け企業の連なり)をどのようにコントロールしているのか、このCommodity Chainが途上国の発展や人々の生活にどのような影響を与えているか、などが授業の素材になっています。国家レベルの政策で企業をコントロールすることが難しくなってきている、という事はよく言われることですが、具体例を通してそれを強く実感する機会となりました。

Prof. Dillは、講義自体が上手いのはもちろん、緻密な授業計画や、生徒の名前を全員覚えているなど、本気で講義に関わっていることがひしひしと伝わってくる教授です。とりわけ、セメスターで4回出されるリアクション・ペーパーという課題は、授業のreading課題を読み、それを要約、批判的検討、そして自分の考えを述べるというかなりしんどい課題ですが、これがある回はやはり内容の理解が深まっていることを感じられ、よい仕組みだなと感じています。

もう一つこの授業をとってよかったな、と思えるのは、クラスの中で友達ができたことです。隣に座っていた、よく発言するなぁと思っていた友人に、ある日ペン貸して、と言われて貸したのが仲良くなるきっかけでした。授業後、彼は僕にペンを借りた事を忘れて熱心に教授に質問しているので、僕はそれが終わるまで待っていたのですが、そのおかげで、なんとはなしにご飯いこうかということになり、それから連絡を取り合う仲になりました。ちょうどその頃、アメリカ人の友達全然出来ないなぁ、授業全然わからないなぁ、と打ちのめされていた時だったので、彼の登場には本当にすくわれました。彼のことは、またいつかのレポートで報告できたらと思います。

・ANTH 230 Sociocultural Anthropology

もう一つお気に入りの授業は、この人類学の授業です。ですが講義の面白さが分かるようになったのは、講義が大分進んでからでした。

はじめEthnographyを読む授業との事で興味を持ち受講を決めたのですが、授業の初回から人類学の学説史の講義がはじまり、その時は取る授業を間違えたのかと思いました。退屈な学説史は数回続き、一瞬ドッロプしようかと迷った時すらありましたが、そのあとethnographyの読解が始まると、教授がなにを思って授業を組み立てているのか分かるようになり、それ以降、講義自体がずっと面白く感じられるようになってきました。

この講義では全部で三冊のethnographyを読むのですが、あの退屈な学説史はそのethnographyを読む上でのcontextとして必要なものなのでした。単純にethnographyを読むだけでなく、そのethnographyが書かれた時期ににどんな理論的問題や葛藤があり、それがそのethnographyにどんな影響を与えているかを踏まえて読んでいこうというのが、Prof. Ortaの狙いのようでした。そういう計画を事前に練っている緻密さを見ると、やはりがんばろうという気になります。

この授業では、TAにもいろいろと助けてもらい、それがモチベーションにもなっています。ディスカッションのクラスではTAのすぐ側に座り、助けてオーラを出していたのが功を奏したのかも知れません。実際、どの授業も前の方に座る事にしていますが、前に座ると教授もTAもすぐに存在を認知してくれるので、いいことがたくさんあるように思います。

・こちらでの授業の特徴

Prof. DillもProf. Ortaもそうですが、こちらの授業ではシラバスがかなり重要で、それが緻密に練ってある授業は良い物が多いのではという印象を抱いています。

実は、セメスターの最初の頃、Population Issuesという授業を取っていたのですが、その講義はDropし代わりに別の授業をとるという選択をすることがありました。その授業をDropした理由は、スライドが一切ない、授業内容がかなりランダム、などと留学生にはきついだろうと思えるいろんな理由があったからなのですが、今思えばこの授業では授業計画もmidtermの前までの物しか配られることがありませんでした。

シラバスはその教授の授業へのスタンスが如実に現れるもので、実は熟読吟味する価値のあるものではないかと最近思っています。講義でのReading Assignmentをどこから選ぶかという点だけ見てみても、テキストブックを中心に出す物から、広範囲の文献から細かくpick upしているものまで講義により様々です。一概には言えませんが、テキストブックを一つ簡単に選ぶのよりも、さまざまな文献から拾い集める方が、ずっと時間も労力もかかるでしょうから、ここからも教授の講義へのスタンスが見て取れるように思います。

こうして振り返ってみると、様々なところで自分が親しんできた日本の大学教育とこちらでの教育の違いに気づきます。どちらが良い悪いかではなく、この違い自体に面白さを感じています。日本にいる頃は、日本の教育は出鱈目でよろしくない、アメリカの方がずっと良い、とよく言われましたし、僕もそんな風にずっと思っていました。表面上は(課題量の多さ、シラバスの細かさ)確かにそうかもしれないのですが、決して一概にそうとは言えないとだろういう事もこちらに来て感じるようになりました。

この日米の教育のスタンスの違いは、もちろんごくごく狭い経験の幅の中からしか語れない物ですが、この留学を通して自分なりに考え続け、レポートの中でも少しずつ書いていけたらと思っています。

<最後に>

こちらアーバンナ・シャンペーンでは、嘘のように暖かい日が続いていたのですが、ここ数日はめっきりと冷え込み、昨日の夜には早くも氷点下を記録いたしました。ただ寒いのは嫌いですが、冬の朝の凛とした空気は好きなので、実はキャンパスの冬をすごく楽しみにしています。

この奨学生レポートを書きながら、ふと一年前のことを思い出しました。ちょうど一年前のこのころ、過去の奨学生レポートを読みながら僕は、その経験談に憧れつつも、どちらかというとむしろ圧倒され、奨学金に応募する事すらためらっていたのを覚えています。実際こちらに来てからも、こうでありたい自分と、日本にいたころからの相変わらずの自分のギャップに、落ち込む日々が続いていました。

けれど、そんな日に限って、話したことのないクラスの友達が話しかけてくれたり、TAや教授が話しかけてくれたりして、たったそれだけのことで随分と救われたりしました。こちらの教授やTAは、みんなフレンドリーで、例えそれがマックのお姉さんの笑顔とおんなじで、僕にだけ向けられた愛ではないにしても、積極的に勘違いして喜ぶようにしています。まだ留学生活は四分の一しか過ぎていない中、総括する段階には全くありませんが、それでもこのキャンパスとここでの生活が少しずつ好きになってきている事だけは、ここでご報告させて頂きたいと思います。

このような素敵な機会を戴けたことを、JICのみなさまに感謝するとともに、後押しをしてくれた両親と叔父、暖かく送り出してくれた研究室とサークルの友人たち、マックの笑顔はできなくともうれしいメッセージをくださった指導教官、何処の者とも知れぬ学生に一筆書いてくださったある尊敬する先生に、感謝の気持ちを述べさせて頂き、第一回目の奨学生レポートを終えたいと思います。

4.Quad。冬のQuadも必ず撮ります

4.Quad。冬のQuadも必ず撮ります
2010年10月30日

京都大学人間環境学研究科 修士一回

後藤 直樹