留学報告書4 (00.03)
東京大学法学部
イリノイ大学での専攻:経済学
田村 篤司
こちらに来てからもう少しで7ヶ月になります。特に4ヶ月を越えてからは、時間が飛ぶように過ぎて行くような感覚を覚えるようになりました。そして、やや淡々と毎日の生活を送っている気がします。
とはいえ、今学期に入って一つ大きな楽しみがありました。それはインドアサッカーの大会に参加したことです。サッカーは自分の最も好きなスポーツで、東京でもチームに所属しているのですが、こちらではこれまでプレイする機会がなかったので特に楽しむことができました。
さて、今回は少し日本とアメリカを比較しながら、最近の話題で自分が考えていたこと、友達と話していたことを(あくまで個人的な感覚によるものでしかないのですが)書こうと思います。
最近、東京都の石原知事が都議会に提出した大手銀行への外形標準課税導入問題が世間を騒がせています。この課税案についての妥当性についてはいろいろと問題を含んでいますが(たとえば税法上の「公平性」をめぐる議論等)、ここで意見することはいたしません。
ただ、彼のような政治家は日本では珍しく、やや「硬直的」とも言われる政治システムになにかしら新しい風を吹き込むことんになるのではと興味深く思っています。
現代日本は、強いリーダーシップが発揮できにくい政治風土を持つといわれていますが、「権力」の中心にいる幹部層の発言力は極めて強いというのがその民主主義の特徴のように個人的には感じています。
そ れに対して、アメリカでは大統領が絶大な権力を持っているように見えることもありますが、実際には、議会は大統領の政策をあからさまに却下することが度々 ありますし(日本ではこれは考えられない)、また、その地域的分権性も手伝って、全体として極めて分権的な政治風土をもっています。社会からの支持が大統 領の権力の源であるとも言われ、そうであるから常に社会に対して意見を投げかけ、支持を得ようとします。
石原知事も、今回の件で 中央政府に言い分があるなら公の場で討論をしたいと言い、古臭い密室での根回し政治を批判していました。そのやり方は一見独裁的なようで、実際には討論と 決定の場を公にすることによって、民主的な意思形成が行われる契機をより含んでいるようにもとらえられます。そして、この意味において、これはアメリカの 民主制により近いものではないかと。そう個人的には思っています。
もちろん、アメリカの政治システムと日本の政治システムは異なるもので(優劣が あるというのではなく)、アメリカの民主制に似ているから「良い」システムだということでは全くありません。ただ(ここで多くを語ることはできないのです が)、多くの人が日本の政治には実質的議論の空間が欠けていること、あるいはそれが透明になされていないことを指摘していることに個人的には問題意識を もっています。
一方、市民の側の言説を見てみると、極端にふれる議論が通ってしまう雰囲気があるように感じています。今回の課税問題でも 都民には賛成派が多いようですが、その中には高い給料をもらいながら金融危機を招き、公的資金(税金)の注入を受けるなど「甘やかされている」銀行相手に よくやったという「懲罰的」(けしからんから課税する)雰囲気を感じています(説明は省きますがそれは妥当ではない)。他に例をあげれば、オウムの移転問 題でも「国民総村八部状態」ともいえる雰囲気が生まれそうで、彼等の信教の自由あるいは移転の自由という基本的人権との衡量が十分に行われていないように も感じられます。
もちろん、その一方で各種出版物に見られるように国際比較的にも日本では高いレベルでの意見が市民の側から投げられているように感じています。ただ、それをどう政治決定のレベルに結実させるかは制度的にも多くの問題を抱えているように感じています。
こ の長い不況と改革の波の中で、日本社会は「民主主義」「資本主義」「自由主義(個人主義)」といった基本的な原理のあり方から議論がなされています。この 契機を無駄にせず(少しずつなのでしょうが)、新しいよりよい日本の形をしっかり築きあげることができるか、大きな歴史の転換点にあると認識しています。