1月の奨学生レポート第3弾は川崎藍さんです。
体調を崩すなどの不運にもめげず、アメリカ大陸を鉄道で旅行したり、新しい交友関係をどんどん開拓したりと積極的に留学生活に挑む川崎さんのレポートをお楽しみください。
異例の寒さを記録した日本の冬とは対照的に、今年に入ってからというもののシャンペーンは比較的穏やかな気候が続いています。12月の、寒いを通り越して 痛いという表現がぴったりなあの天気が嘘のようです。寒さが本格的になると聞いていた1月も終わり、このままではせっかく準備したスノーブーツや帽子が活 躍しないまま春になってしまうのかと思うと少し寂しい気もします。
さて、今回のレポートでは、先学期から冬休みにかけて起こった、精神的そしてそれを取り巻く環境の大きな転換を中心にお伝えしたいと思います。
*前学期を振り返って*
前回のレポート後、thanksgivingが終わるとファイナルの準備に突入し、相変わらず毎日が慌しく過ぎ ていきました。そしてこの期間は、私にとって勉強に限らず苦しいことの多い時期でもありました。というのも、視野を広げるという目的のもと、こちらに着い てからとにかく手当たり次第手を出してきたのですが、なかなかペースをつかめずに、自分がここで何をしたいのかを見つけるのにとても苦戦しました。今振り 返ってみると、こうして自分自身を見つめなおし、本当にやりたいことは何なのかを真剣に考えるいい機会だったのですが。10月のはじめ頃に体調を崩してし まったのもペースが崩れてしまった原因のひとつです。休んで早く治さなくてはという気持ちと、一方で課題は容赦なくたまっていき焦る気持ち。体が資本とは このことだとまさに身をもって実感しました。ちなみに当初日本から持ってきた風邪薬を飲んでいたのですが、一週間たっても症状は改善しません。おかしいな と思いMcKinley(学校の保健センター)に行ったところウィルス性の風邪とのことで、抗生物質を処方してもらいなんとか回復しました。(この頃キャ ンパス内でも風邪が大流行していて、McKinleyの予約は二日先までいっぱいになるほどでした。ユニオンでは風邪薬キットが配布されるほど!)日本に いるときは安静にしていれば治るような風邪でも、環境も違い、思っている以上に体がストレスを感じていることもあるので(もしかしたらウィルスの種類も違 うかも?)、無理せずに早めに診察してもらうことをお勧めします。アメリカの薬は強すぎるといいますが、服用頻度下げることで私には特に問題はありません でした。
そんな状態でも友達や家族に支えられ、なんとか無事にファイナルを終えることができました。そしてその後迎えた冬休みは、私に とって貴重な期間となりました。ひとつには、旅のほとんどを自分で計画したことがあります。これまで全て友達任せにしていたので、ホテルや交通手段の予約 や交渉などを一人でやることで英語力と行動力に自信がつきました。さらに、その後日本に帰ったことで常にどこか張り詰めていた緊張感から開放されたのも大 きな要因だったのでしょう。冬休みがあけてキャンパスに戻ってみると、確実に英語力がついていることを実感しました。特にリスニング力は驚くほど上がり、 先学期の後半になってもまだ半分しか聞き取れずに焦っていた講義も、今学期にはほぼ理解できるようになりました。
*冬休み~アムトラックの旅~*
上に述べたようにとても充実した冬休みを過ごすことができました。ファイナルが終了したその日に中根さん とメキシコに発ち(写真1:パレンケ遺跡)、その後はサンフランシスコ(写真2)、シカゴ、とかなり盛りだくさんです。その中でも特にお伝えしたいのはな んといってもアムトラック(長距離列車)での旅。就職を控え学生生活最後の旅行となる友達と、せっかくだから何かしようということになり、サンフランシス コ~シカゴ間はアムトラックの中でも絶景との言葉に惹かれこれしかない!と迷わずに決定しました。地図をお持ちの方はお気づきかと思いますが、サンフラン シスコからシカゴまではその間ロッキー山脈を越えアメリカ国土の三分の二を横断することになります。しかも寝台車ではなく、普通車で二泊三日の旅ですか ら、誰に言っても「そんなのcrazyだ」という反応がかえってきました。が、実際乗ってみると意外と快適で(というのもアメリカサイズの座席は、日本人 の小さな体にとってはファーストクラスのシート並みに大きいのです)、その景色の壮大さは、飛行機では味わえないものがあります。出発地はあいにくの雨で したが、数時間すると雲の隙間から青空がのぞき、小さな丘と緑の平原が広がります。一日に数駅、しかも10分程度しか停車しないため、一日に進む距離も長 く、雪山から乾いた荒野、赤土のいかにもロッキー山脈といった岩の連なりと、景色が次から次へと変化します(写真3)。そのどれをとっても、さえぎるもの が何も無くとにかく果てしなく広いのです。一面の窓から景色を望める展望車には、常に人が集まります。キャンパス内で会うのは何かとアカデミックな分野に 関係のある人ばかりだったので、さまざまなバックグランドを持つ人たちと話すのはとても新鮮でした。なかでも、アムトラックの歴史(ゴールドラッシュ時に 建設されたこの列車にはさまざまな歴史があります)を通して移民やネイティブアメリカンの問題などを話してくれたAllenさんとの出会いによって、この 旅はとても印象深いものになりました。何も知らなければ広大な平野にただ感動していただけですが、そこに追いやられる形で貧しい生活をしている人たちがい ることを知ってからでは、感じるものは全く違ってきます。このように人と出会い交流できるのもアムトラックの旅の魅力のひとつです。冬の景色は雪や枯葉の 色で少し寂しかったですが、春から夏にかけてはもっと素晴らしい景色が望めるそうなので、ぜひお勧めしたいと思います。
*Housing問題と交渉*
先学期にさかのぼりますが、寮を決める際に留学生は他の生徒よりも申し込み開始が遅く、直前までどの寮に入 れるかもめたうえ、結局学部生の寮に入ることは出来ませんでした。そこで今学期は他の寮に移ろうと決めていたのですが、ここにきてまたもやトラブルが。例 のごとく引越しの二週間前になってもなんの音沙汰もなく、連絡してみたところ「Sharman(希望していた寮)には空きがないから」と勝手に他の寮に移 されていたのです。しかも、契約をキャンセルするにはお金($1000!)払えとのこと。ここに着た当初の私なら、あきらめて寮に入っていたでしょう。し かしここは自己主張の国アメリカ。この数ヶ月で、納得いかないこと、困っていることがあればとにかく納得の行くまで交渉する術を身に着けました。いちいち 確認しないと対応がいい加減なことも多いのです。逆に言えば、多くの場合交渉の余地が残されているということ。働きかければその分のサポートが返って来 る、これは授業や留学生へのサポート体制などこちらの生活全般に言えることだと思います。
*Sutton Place*
そ んなわけで、無事に寮のキャンセルもでき、今学期からはSutton Placeというところに住むことになりました。ここは甲田さんの住むコスモの隣に位置し、同じく20人ほどがキッチンやリビングなどはシェアして共同生 活をしています。違うところといえば、教会の運営している家なのでハウスメートのほとんどがクリスチャンということでしょうか。もちろん私の様にクリス チャンでなくても温かく迎えてくれます。正直、アメリカに来るまで、宗教という言葉にあまりいいイメージを抱いていなかったのですが(日本で宗教が取り上 げられるのは何か事件が起きたときが多い、というのも一因です。このことについてはまたの機会にお話したいと思います)、そんな心配も杞憂に終わり快適な 毎日を送っています。先日は大掃除ということで、人生初のペンキ塗りに挑戦しました。いろいろペンキまみれになりながらも、担当である天井を無事仕上げ満 足です。いまどき業者に頼まず自分たちの手で家のメンテナンスをするなんて、素敵だなぁと思います。ハウスディナーでは毎週誰かが夕食を作ってみんなで食 べ、時間があるときは映画をみたり、ケーキを焼いたり、とてもアットホームな環境です。引っ越してまだ二週間ですがすっかり仲良くなれました。前回の寮は ほとんどが一二年生だったのに比べ、こちらは院生や社会人も多く、進路の話を聞くことができたり、勉強を教えてもらえたりというありがたい(!)特典もあ ります。前回お話したChicago Weekendで出会った仲間のうち何人かは先学期で留学を終えてそれぞれ帰ってしまい(写真4:thanksgiving@ Harvard University)、寂しいこともありますが、ハウスメートに恵まれたおかげで楽しくやっています。
このように、授業や生活にも余裕 ができ、いい形でのスタートをきることができました。次回は今学期履修している授業の話などをお伝えしたいと思います。この五ヶ月は、新しい体験と共に、 これまでにないほど自分を見つめなおすことができました。年も改まり、心新たに残りの4ヶ月間を満喫したいと思います。遅くなってはしまいましたが、今年 度もどうぞよろしくお願いいたします。