甲田小百合さんの最終奨学生レポート

去年の夏にイリノイに行き、5月に帰国し現在は就職活動中の甲田さんから留学生活を総括する最終レポートが届きました。

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皆様いつも大変お世話になっております。先日の総会で再び皆さんにお会いすることができ、とても嬉しかったです。総会に参加して、ちょうど一年前、期待と 不安でいっぱいだった自分の姿を思い出しました。そして一年がたち、留学中に達成したかった目標をすべてやり遂げ、様々な自信を胸に帰国しそれを皆さんに ご報告できたことをとても嬉しく思いました。
私は現在は希望の職業に就けるよう日々就職活動に精を入れて頑張っております。まだ結果は出ていない のですが、ようやく少し落ち着きましたので、大変遅くなってしまって恐縮なのですが、私の留学生活最後のレポートをお送りさせていただきます。前回のレ ポートでは、アメリカでの授業を通じて考えたことを中心にお話させていただきましたので、今回はクラスメイトとのシカゴ旅行やカナダへの一人旅、そして中 学校でのボランティアを通じて得たものを簡単にまとめ、私の留学生活の総括とさせていただきたいと思っています。

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1、 クラスメイトとのシカゴ旅行
前回少しお伝えいたしましたが、政治学の授業でとても仲の良い友達ができました。一人はシンガポール人の女性 で、もう一人はアメリカ人の男性です。いつも授業の後は質問をし合い、レポート提出前は3人で集まって一緒に勉強をしたりした仲です。そんなわけで、日ご ろから話をする機会が多く、だんだんと授業とは関係ない時でも、映画を一緒に観たりご飯を一緒に食べたりするようになりました。私にとって、たった9ヶ月 の留学生活の中で、(住んでいたコスモ以外で)このような友達が作れたのは本当に嬉しいことで、またとても心強かったです。
そして何より嬉しかっ たのが、2人が3月の春休み期間中にシカゴに遊びに行くのに私を誘ってくれたことでした。しかも、そのアメリカ人の彼の実家に泊めてくれたのです。この機 会を通じて、実際のアメリカ人の生活の一部分を垣間見ることができ、とても貴重な経験をすることができました。その友達の実家は本当にとても大きな家で、 部屋が10部屋以上あり、暖炉もあり、地下に映画を鑑賞できる大きな部屋もあり、そしてとっても広い庭もついていました。まさにテレビによく出てくる「ア メリカの上流(中流)階級の家」といった感じでしょうか。もちろんこれはアメリカの家庭像の一部分を見られたに過ぎませんし、私はお客としての立場でしか 接することができなかったので、どこまで実際の生活が見られたのか疑問は残りますが、それでも今回の留学中host familyを持っていなかった私にとって、この旅行中彼の自宅にお邪魔させてもらえたことは、非常に良い経験となりました。
これは余談ですが、 もうすぐシャンペーンへ行かれる次期奨学生の皆さんにもし一言付け加えさせていただくならば、もし機会があればぜひhost familyを見つけてみてはいかがでしょうか?私の留学生活を振り返りますと、目標をすべて達成できとても充実していたとは思っているのですが、どれだ けアメリカ人の日常生活を知ることができたか、という点はやや疑問です。というのも、留学生という立場は、どうしても他国からの留学生と仲良くなりやすい 傾向にあり、実際のアメリカ人の生活を見るチャンスというものが意外と少なく感じたからです。せっかくアメリカにいたのに、普段のアメリカ人の暮らしに 「家族の一員」として触れられなかったのは残念だったなと思います。サークルの一つにhost familyを紹介してくれる団体があったと思いますので、ぜひお時間があれば挑戦してみてはいかがかな、と思います。
なお、写真はアメリカ人の友達のシカゴの家で撮ったものを添付いたしました。

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2、恩師に会いに・・・カナダへの一人旅
4月の中旬、アメリカでの生活も残り一ヶ月となったところで、カナダのロンドンという街に行ってきました。というのも、そこに高校のALTの恩師(カナダ 人)が住んでいらっしゃるからです。彼女が2年間のJETプログラムを終えて私達の高校を去る時、「必ず高校を卒業したらカナダに遊びに行くから!!」と 言って涙ながらに別れてから早5年。ついにその約束を実現することができました。
ナイアガラの滝を見に行ったり、Canadian slangやカナダのイースターの伝統的お祝いの方法を教えてもらったり、とカナダの文化に触れる一方で、彼女が日本に来る前に通っていた大学等にも連れ ていってもらいました。自分の恩師の歴史をたどっていくことで、改めて彼女と出会えたことの偶然性と今もその交流が続いていることの継続性に感動しまし た。
そしてこれは留学中に出会った人たちとの関係にもあてはまります。いろいろな国からの様々な文化的・歴史的背景を持った人たちと出会うことができ、私の価 値観は大きく広がりました。しかし、この出会いをここで終わりにしてしまうのではなく、可能な限りその関係をずっと続けていきたいと思っています。そうす ることで、さらに私の視野が広がるだけでなく、私も彼らの価値観に何らかの形で影響を与えられるかもしれないからです。留学を通じて、国籍を問わず様々な 背景を持つ人たちと触れ合うことは、自分自身を見直す良いきっかけとなり、さらなる自己の成長を目指す良い刺激になると強く感じました。せっかく頂いた貴 重な留学経験を無駄にしないためにも、この9ヶ月間で築き上げた友情はずっと大切にしていきたいと思っています。実際、6月にアメリカで仲良くなった台湾 人の友達が日本に旅行に来ており、二日間だけでしたが、東京観光に付き添いました。私も台湾に行く機会があればぜひ彼にコーディネイトをお願いしようと 思っています(笑)。
なお、写真は恩師と行ったナイアガラの滝で撮ったものと、恩師のご家族です。

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3、中学校でのボランティア
最後になりますが、留学以前から希望していた中学校でのボランティアについてお伝えしたいと思います。私は一年間を通して、毎週金曜日に地元の Urbana Middle Schoolという公立中学校に訪れ、ESLのクラスでボランティアをしていました。主な活動は、両親の仕事の事情で中国からアメリカに渡ってきた中国人 生徒の授業の補佐をするというものでした。彼の場合、新学期が始まった9月の時点で英語はほとんど理解できていませんでした。一方私はというと、大学で数 年中国語の勉強をしたことがあるとはいえ、文法と読解重視の授業だったため会話をすることはほとんど不可能。こんな状態でスタートしたボランティア活動。 9月末から、毎週金曜日は私と彼との不可思議なコミュニケーションが始まったのです。
とにかく彼は相手が誰であれ、わからないことがあれば中国語 で話しかけてきます。一方私は、彼の言うことを理解しようと努力するもののそのスピードについていけず、まったくお互いの気持ちが通じ合いません。最初の 頃は、質問しても何も答えてくれないボランティアの私にかなり幻滅していたのではないかと思います。授業の理解を助けるためにそばにいるのに、実際このボ ランティアは何の役にも立ってないじゃないか、と。事実、これは私が感じていたことでした。自分の力のなさが情けなく、どうすればいいのか途方にくれてし まったこともあります。しかし、途中で投げ出したくはありませんでしたから、わからないなりにも一生懸命相手の目を見て言葉を聞き、私もできる限り簡単な 英語と知っている限りの中国語を使い、そしてどうしてもだめなら辞書を片手に漢字を書いて筆談で会話をするようにしました。初めは、このようなやり方がど れだけ彼の助けになっているのかわかりませんでした。しかし回数を重ねていくうちに、徐々に生徒とのコミュニケーションがとれるようになり、信頼関係が生 まれていったのです。留学が終わる5月には、彼の英語力と私の中国語力が向上してきたこともあいまって、授業以外の話もできるようになりました(例えば、 日本の漫画の話や、ひらがな・かたかなの書き方など)。
この経験は日本で普通に大学に通っていたのではなかなかできなかったのではないかと思います。言葉の持つ力を改めて感じると同時に、言葉以上に、お互いのわかりあいたいという気持ちがどれだけ大切かということを学びました。
この現地の学校でのボランティアは私が留学を始める前からやりたいと思っていたことの一つでした。最終レポートでこのボランティアについて書くことができとても嬉しく思います。

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以上、シカゴ旅行、カナダ旅行、中学校でのボランティアを通じて学んだこと、考えたことを簡単にまとめてみました。振り返ってみると、9ヶ月の留学生活は 本当にあっという間でしたが、そこで学んだことは計り知れません。日本について、外国の事情について、自分自身について、様々なことを考えることができま した。数回にわたってレポートを書かせていただきましたが、ここで書けたことは学んだことのほんの一部であるように思います。本当にこのような貴重な機会 を授けてくださったJICの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。今後は、この留学中に養った力、経験を生かして、仕事に 励むとともに、JICの活動に積極的に参加し、少しでも恩返しができたらというふうに考えております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

なお、余談ですが、総会のときに、甲田=卓球という形で記憶をしてくださっている方が多く、非常に嬉しかったのを覚えています(笑)。賛同してくれる方がいればの話ですが、スキー同好会と並行して卓球同好会も開けたらなぁと密かに思っております(笑)。

白水美佳さんの最終奨学生レポート

2005年度奨学生の白水美佳さんからレポートが届きました!!

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JICの皆様、ご無沙汰しております。大変遅ればせながら、最終のレポートをお届けしようと思います。年次総会にご出席の皆様には、稚拙なビデオレターで 失礼してご挨拶させていただいたとおり、私は8月に入った今も、まだイリノイに滞在しています。5月、UIUCの学期を終了して即始めたインターンシップ も残りあと1ヶ月未満。Color Change Corporationという会社で、毎日、その名のとおり温度によって色が変わるインクの研究開発をして働いています。

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<近況報告>
せっかくこうしてまだアメリカにいるので、まずはキャンパスを離れてのインターン生活について触れてみたいと思います。現在住んでい るのはSchaumburgという市で、住環境のよさではシカゴ郊外地域の中でも有名なのだそうです。前回のレポートでご紹介したように、私はそこでホー ムステイのような形で、普通のご家庭に一部屋を借りて暮らしています。3人の子供たちもすぐにすっかりなじんでくれて、家にいる間はとにかく ’Mika,Mika,Mika,Mika!!!’ 始終遊び相手に借り出されてしまいます。

休日には、ダウンタウンシカゴにもよく行く ようになりました。シャンペーンからだと、近いといいつつ3時間のドライブ、まして車のない私は前もってシャトルバスを予約して、と、やはりいくとなれば 一仕事という感じでした。それが今では電車で40分。往復5ドルもそれなりにリーズナブルです。東京で同じくらいの時間をかけて毎日大学に通っていた経験 のある私は、これくらいなら近いと感じてしまいます。やはりシカゴは大都市だけあって面白いイベントも多く、あるいはUIUCにはシカゴ郊外出身の学生も 多かったため、何人かとは会ったりもできました。

この一年、私には「アメリカにいるのだからアメリカらしく暮らしたい」という思いが何と はなくありました。イリノイ大学でも、常に「留学生」ではなくあくまで「UIUCの一学生」としてありたいと思っていました。典型的学部寮生活を満喫し、 更にアメリカ人の育つ典型的環境ともいえる郊外住宅地域での暮らしにもすっかりとけ込んで、それは十分達成できたように思います。

Host mother(?)のRobiさん自身、大学卒業後日本(静岡市役所)で数年間働いていた際、関根さんという方のところにホームステイしていたのだそうで す。それから10年近くになる今も、その家族の方々が折につけ訪ねてきたり、誕生日にはカードを交換したりなどしているそうで、子供たちも関根さんを「お ばあちゃん」と呼んでいるのがほほえましく思えます。その逆の立場で、今度は私とRobiさん家族が、この縁をこの先も長く続けていけそうなことを、本当 に幸運だと思います。実際一年半後のお正月に一家が東京の私と静岡の関根さんを訪ねに日本に来る、というプランがもう出来上がっています。育ち盛りの 1,3,5歳の子供のこと、どれだけ大きくなっているかみるのが今から楽しみです。

先々月、Glenさん(Host father?)方の親戚一同が集まってパーティがあるというので、一家に同行してミネソタまで週末旅行をしてきました。一日がかりのドライブの末 Glenさんのお姉さんのお宅にようやく到着。その時、用意された客室で眠りに落ちながら、ふと不思議な感慨を覚えたものです。いろいろな「縁」が重なら なければ、イリノイから更に離れたミネソタで、私はちなみにミネソタまで足を伸ばしたのはそれが初めてでした、車のドアを開けた途端に(つまり名乗ったり もする前に)’Hi,Mika!!’と迎えてくれる人があるなんていうことが、どうしてあったでしょうか。この森と湖に囲まれたミネソタの、この suburb areaの、このご家庭を訪れて、その一室で眠るというようなことが、私の一生でどうしてあったでしょうか。多くのめぐり合わせに支えられて今私がここに いるのだと、漠然と思ったことでした。

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<インターンシップ>
インターンシップを通して思ったこと:
1. 化学者は化学だけしているのではない
2. 仕事はそううまくいかない
3. それでもやはり私は研究職につきたい

1. これは会社に入ってすぐに実感したことでした。役職が’Research Chemist’ だったので、毎日白衣を着て実験、というようなものを想像していたのですが、実際はその段階に行き着く前にしなければいけないことが山 ほどあるのでした。考えてみれば当然なのですが、一つ試験実験をしようと思えば、まずプランをたて、必要な試薬は取り扱っている化学会社を探して、価格や パッケージサイズをききに電話をかけることから始めなければいけません。ガラス器具一つにしても、普段のプロダクションに使わないものは裏にしまってある ので、積まれた箱の中からまるで宝探しのように探し出さなくてはならないのです(数十Lの反応フラスコや奇妙な蒸留装置など、面白いものが次々出てくるの は確かに楽しかったのですが。)試薬が整然と棚に並び、器具も設備もそこにある、という今までの大学の環境が、むしろ特別に恵まれた環境なのだと、初めて しみじみと思いました。
2. 実際仕事を始めてみると、frustratingなことが本当に多いのです。実験してみて思うような結果が得られない、というようなら「それがなぜか」と 考えることはむしろ面白いのですが、慣れていないために最初は稚拙なプランしかたてられなくて「話にならない」とつき返されたり、プロバイダにコンタクト を取ろうとすれば「調べてから返事をします」といっておいてそのまま連絡が途絶え、それが私の仕事能率の低さになってしまったり。よく言われるように「能 力社会のアメリカ」だからかどうかは、日本での経験はないのでわかりませんが、働いて稼ぐということがいかにシビアなものか、身をもって感じました。最初 他に二人いたUIUC化学工学科のサマーインターンはわずか2週間程度で’poor work’といって解雇されてしまいましたし、私も仕事のquality とquantityによってサラリーが加減されるのです。例えば大学の試験で多 少成績が振るわなかったからといって、多少落ち込むとしても「まあ仕方ない、次は頑張ろう」という気がしますが、給料が少しでも下がったら、働いているの も自活しているのも一時的なもので、まだ「学生」という特権的な(と思います)身分を持ち合わせている自分でさえ、言い難いショックを覚えます。それがも し自分が家族を養っていたりしたら、と考えたりします。自分の能力をこうもダイレクトに評価されることは、経験してみなければわからなかったと思います。
3. そんなことがいろいろありつつも、私はやはりR&D、研究職、に就きたい、ということがこのインターンを通じて確認できました。自分はもとからそれを志望 していましたが、現場で他のいろいろな職種を見、人手の足りないときは手伝ったりもして、なおかつ研究職がいいと思うのだから、向いているのだろうと思う のです。一つのプロジェクトを任されると、そこに論理的な筋道を自分で立てることが出来て、目標に向かって前進している実感がわきやすいからというのもあ ります。そして何より、前述のような長いプロセスを経て、実際の試験をしている時、データをまとめている時、そしてそこから何かの発見があった時、純粋に 楽しいと思えるのです。オファーを取るの自体も難しかった状況の中、希望する職種のインターンをすることが出来て、本当に幸運だったと思います。

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<留学生活の総括>
キャンパスにいたのは5月まで、「随分前のことに思える」だけでなく実際随分前になってしまいました。「いい経験でした」とまとめるのは簡単ですが、具体的に何をどう学べたのか、自分なりに留学した意義を再確認する意味でも、振り返ってみたいと思います。

1. Career Decision
私 がまず挙げたいのは、この一年で、自分が将来キャリアとして何をしたいのか、確信を持って方向性をつかむことが出来たということです。私にとって、JIC プログラムの最大の魅力は、自由に学ぶ科目を選べたことでした。私は東京大学で理学部化学科を選びましたが、それは主に学ぶ分に化学が好きだったからで、 職として化学者になりたいのかどうか、見定められずに迷っていました。それで、いろいろな分野を見聞きして、その上で本当に興味のある分野を決めたいと 思ったのです。そうして、実際様々な科目に手を出したイリノイでの9ヶ月。特に食品科学には興味をひかれて、重点をおいて勉強してみました。
そし て、結論として。自分は別に「食品」にこだわるわけではなく、単に応用的・実用的な化学の研究がしたいのだというところに行き着きました。具体的には、廃 食油をディーゼル燃料に利用するなどの研究にひかれたことから発端して、もともと人口増加に伴う食料危機・エネルギー危機がテクニカルに何とかしなければ ならない問題だと思っていたこともあって、いわゆる「循環型社会」に必要な技術を開発できれば、と思ったりしています。あまりエンジニアには向いていない ような気がするので化学工学とも少し違うのですが。当初言っていた食品科学者とは違うじゃないか、と、はたから見ればそうなのですが、リサーチアシスタン トや大学院セミナーや学部の授業を通してかじってみなければ、いまだに迷っていたかもしれないのですから、それらの経験の意義はいずれにせよ大きかったと 思っています。
こうして探していた進路が見えて、次の目標が見えた今の私は、またそこに向かって走り出したい気持ちです。道筋としてはもちろん、 何よりまず化学科に戻ったら化学を本気で勉強して、学ぶべきことを学んで学部を卒業することだと思うので、インターンで手がけているプロジェクトにめどを つけたいのが先ではありますが、そろそろ’Now, it’s time to go back’という気がしてきています。得たかったものが大方得られたら、それ以上一所にとどまっていたいとは思わない性質なのかもしれません。その後はお そらく大学院に進むと思いますが、どこに行くかについては慎重に調べる必要がありそうです。アメリカの学生の本当に熱心に勉強する姿にも意識の高さにもタ フさにも刺激を受けた今なら、何にせよこれまで以上に頑張れる気がします。

<行動力、実行力、計画性>
一年の留学生活で、全般的 に、「行動力」と「実行力」が磨かれたと思います。行動力というのは、何かやってみよう、挑戦してみよう、と積極的に思うこと。例えば冬休みのメキシコへ の留学も、いろいろな場所への旅行も、自分から興味を持ってしたことです。実行力というのは、それを実現するためにどんなステップが必要か、自分で調べて 着実に処理すること。旅行の例なら情報収集に始まって飛行機やホテルを予約したり、一緒に行く友人と打ち合わせしたり。当然のことのように今なら思えるそ れも、留学前にはそう簡単に出来ていなかったことも事実です。外国を数週間一人旅してきたという友人が、「大変なことを一人でやっている」というように思 えていました。
そして、自分のこれからの課題は「計画性」を身につけることだと思っています。上記二つとも関連して、積極的なのはよいのですが、 私はとかくやりたいことが見えて大方の道筋が見えると、すぐに行動したくなってしまうのです。いわゆる「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがい い」というものに近いかもしれません。やってみて、どうにもうまくいかなかったらその時点でまた立ち止まって修正すればいい、というようなところがありま した。それがうまくいくときもありますが、それだけではだめだ、と、これは主にインターンシップを通して学んだことです。やってみて修正するというので は、ビジネスになりません。何をするにもコストがかかっているのですから、自分の知りえる範囲で「これならうまくいくはず」という確信の持てるプランでな いと、実行に移してはならないのです。行動力、実行力は、そうしたプラン(方向性)がなければ、逆に大きな危険因子になってしまいます。一方で機を逃さず に行動するのも大切なので、まとめると、あらゆる可能性を事前に考え、ベストなプランを短時間に提案する計画能力が必要なのだと思います。今後様々な面で 心がけ、それを伸ばしていきたいと思っています。

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思 うことをつづっているうちに例を見ない程長いレポートになってしまいました。しかし実際、一年を振り返るとまだまだ思い出されることはたくさんあり、本当 にユニークな経験をしてきたことだと思います。帰国後、またの機会にぜひ皆様にお会いし、改めて感謝とご報告を出来ますことを楽しみにしております。
それでは、あと三週間、イリノイで頑張ってきますので、日本もすっかり暑いことと思いますが、おかわりなくお過ごしください。

一年間支えてくださった全ての方々に感謝して、

2006年8月6日
2005年度JIC奨学生 東京大学理学部化学科
白水 美佳

<写真>
1. インターンシップ
2&3.UIUC大学院生の友人と数週間前にグランドキャニオンとラスベガスに旅行してきた時の写真です。
4. Independence Dayに、Taste of ChicagoというイベントにUIUCのドームメイトとでかけ、毎年恒例という花火を見てきました。