吉川慶彦さんの2015年7月分奨学生レポート

4回奨学生レポート(20156月)

 

JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、いつも温かいご支援を賜り感謝申し上げます。皆様のおかげで、無事に約1年間にわたる留学生活を終えることができ、日本に帰国することができました。今回は最終レポートということで、春学期の後半について、そして留学生活全体の総括を報告いたします。

 

1.春学期の授業について(後半戦)

春学期の後半は留学生活の終わりが常に意識され、毎日を大事に生きようとしていました。来た当初は娯楽がなく、閉鎖的な空間であると思っていたシャンペーン・アーバナの地も、滞在が残り数ヶ月を切ると途端に愛おしく感じられ、授業後に意味もなく自転車で散策していました。キャンパスから一歩出ると、レンガづくりの道、一戸建ての家々、カラフルな花や木々、と絵本に出てきそうな世界が広がっています。5月になるとようやく暖かくなり、春を一気に飛ばして夏のような日々も続きました。

 

さて、そんな春学期ですが、生活の中心のひとつは授業です。6コース18単位を毎日の予習や課題に追われながらこなしたことはひとつの自信になりました。英語文献を読むスピードは相変わらず遅いのですが、それでも効率よくポイントを掴むようにすると意外と時間に余裕はあります。

期末試験期間も騒がれているほど大変ではなく、むしろその一週間前の授業最終週の方が、レポートの締め切りが重なり慌ただしさのレベルは格段に上でした。今学期は毎週何かしらのペーパーを書いており、この最終週ではそれらのまとめとして期末ペーパー(5〜30ページ)を提出しました(・・・と書くとすごそうに聞こえますが、実際は学期中を通して段階的に書くように設計されている授業が多く、これまたそれほど大変ではありません)。

 

印象深い授業をピックアップして紹介します。

 

・GLBL328 First Person Global (1 hours)

学期の後半のみ、2時間の授業が週に1回という、変わった構成の授業です。履修の要件が「過去に留学経験のあること」であるこの授業では、毎週あるテーマに沿ってその留学経験の一部を切り取った小エッセイを書いていきます。

出されるお題は、「留学先に対する来る前の印象と実際に来たあとの印象の違い」といった直接的なものから、「留学先で出会った印象深い人について」といったピンポイントのものまで多岐にわたっていました。また履修していた学生は10人ほどですが、変わった人が多く(留学した人に面白い人が多い?!)、ノンフィクションライター志望の学生や、休学して中国をずっと放浪していた30歳の学部生、そして日本人(=私)と様々でした。

ネイティヴの学生に比べると私の文章は毎回小学生の日記みたいで、授業中に読み上げてシェアするのは中々苦痛でしたが、先生は他の生徒と比べるというよりは、毎週の私の中の変化を見てくれていたように感じます。余談ですが、アメリカでは一般的に人のことをほめることが多いように感じました。他の生徒も私のエッセイにも何か良いところを毎回見つけてくれ、コメントをしてくれます。留学生は私ともう一人しかいなかったので、毎週アメリカ生活の感想を聞かれ、改めて考えを整理する機会にもなりました。最終回ではみんなで留学先や母国の「お茶」を持ち寄り、自分もインスタントの緑茶を持って行って、グローバルティーパーティーを開きました。純粋に毎週通うことが楽しい授業でした。

この授業の一番の効用として、日々の生活の中でも「エッセイに書けることはないか」という視点を持つようになり、あらゆることに意識的になったことがあります。本レポート冒頭のアーバナの風景に関しても、この視点が養われたからこそ記憶に残っているのだと思います。

 

・CLCV222 The Tragic Spirit (3 hours)

あまり良いことばかりを書いていても仕方がないので、辛かった経験も書いておきます。この授業ではギリシャ悲劇を英訳で読んでいくという授業なのですが、悲劇を説明する手法として「現代アメリカポップカルチャー」のアナロジーが多く、一旦それが始まってしまうとほとんど理解することができませんでした。「現代アメリカポップカルチャー」といっても、ディズニー映画や『Game of Thrones』といった大人気TVドラマのことで、観ていない私の方が悪いと言われればそれまでなのですが、それでも毎回毎回こういったものに基づいて話が行われるのでかなり辟易していました。そして授業内のグループワークも多く、古典学専攻の学生にはこういうポップカルチャーに異様に詳しい人が多く、毎回こっそりとGoogleに頼ってあらすじを調べたり、素直に諦めたりして何とかついていっていました。

レポートが学期中に6回あり、授業で発言等少ない分頑張って書いたのですが、あまり成績も芳しくなく、なんだかなーといった授業でした。もう少し悲劇の読み方を体系的に教わりたかったですが、こればっかりは学期が始まってみないと分からないので、何かしら自分で方策を考えるしかありませんでした。

 

・・・とネガティヴなことも書きましたが、総じて満足度の高い授業が多く、英語面からも知識面からも伸びを感じられました。成績もこの最後の授業以外は満足のいくものでした。

 

 

2.課外活動について(後半戦)

春学期に入りいくつか新しい活動を始めたことは、前回もお伝えした通りなのですが、中でも一番力を入れたのはICDIです。ICDIについての詳しい説明は前回のレポートを参照してください。

 

学期末にはRetreatと称して2日がかりのイベントを行いました。私も運営の一部を担い、ゲスト・ホストの両方の点から楽しみました。ホストとしてはこうしたイベントの運営面でいくつか気付きがありました。イベントでは昼食・夕食をどうするかという問題があったのですが、準備を進める中で「レストランにスポンサーしてもらおう」ということになりました。私はてっきりメールでも送るのかな、と思っていたらそんなことはなく、手分けしてレストランに訪問して声を掛けていくということになりびっくりしました。そして実際に中国人の学生が中華料理屋から30人前のチキンを調達したりするので、更にびっくりしました。これがアメリカならではなのか、キャンパスタウンならではなのかは分かりませんが、なかなか無い発想です。

 

ゲストとして印象深いのは初日の夜に行った企画です。これは、参加者が質問を紙に書き、それを誰が書いたか分からないようにして一つずつ読み上げていく、そして答えられそうな人が答える、という単純な企画なのですが、日本関連の質問が多く、日本人は私しかいなかったので、必然的に色々と答えることになりました。日本の恋愛事情、靴下事情(なぜ?)などはスラスラと適当なことを答えたのですが、「第二次世界大戦についてどう思うか」という質問には詰まりました。どう答えたか明確に覚えていないのですが、加害者意識・被害者意識の両方があって被害者意識の方が強いかもしれない、学校で習うことはあまりなく普段こういった話もしない、というような旨を伝えたように思います。良い意味でも悪い意味でも日本が注目されていること、それに対して日本がプロモーションを十分にできていないのではないか、ということを考えさせられた夜でした。

 

課外活動ではないのですが、留学生活が終わりに近付くにつれて、キャンパスや近くで行われるイベントに沢山顔を出すようにしました。『Into the Woods』や『Legally Blonde』といったミュージカルの学生上演や、Holi Festivalというインド発祥の色のついた粉をかけあうイベントにも遊びに行きました。

しかしこういった楽しいイベントを遥かに上回ったのが、Ebertfestという映画祭です。ここになんと私が先学期にハマりにハマったドラマ『How I Met Your Mother』に出演していたJason Segelが来たのです!このドラマで英語表現を勉強したといっても過言ではないほどじっくり見ていたので(全9シーズン)、何としてでも生でMarshall EriksenもといJasonを見たい!とミーハー心丸出しで、参加方法を探しました。前日にFacebookの友人の投稿で知ったので当然チケットは売り切れ、スタッフをしている友人にも尋ねたのですが、結局当日券を目指して並ぶことに。100人くらいは並んでいたと思うのですが、たまたま横になった蚊の研究をしている博士課程の学生と仲良く1階席に入れることになりました。Jasonが出演している新しい映画も面白く、その後のインタビューも聞けて大満足でした。(他にはキャンパスにラクダや副大統領が来ていました。それも同じ日にです。)

非常に充実した2学期目後半戦でした。

 

3.思ったこと

留学生活の中で思ったことをいくつか書きます。

 

まずは日本について。「日本から来た」というと、誰も「それどこ?」とはならず、むしろ好意的な返答をしてもらえることが多く、これは偏に先人たちの努力による賜物であるなあと思っていたのですが、実際のプレゼンスはかなり下がっているように感じました。東アジアと言えば中国。留学生数も(もちろん人口も多いわけですが)中国語を勉強する学生の数も到底かないません。だからなんだ、日本のプレゼンスを上げようじゃないか、とはあまりならないのですが、頭ではどれだけ分かっていても日本にいてはやはり自己中心的になってしまい、分からない感覚でした。アニメファンでもなく、日本に全く興味のない学生と話すときに、どこまで自分が魅力的になれるかは今後の課題です。

 

そしてアメリカという国について。ここで初めて私のルームメイトを紹介したいと思います。ルームメイトは黒人アメリカ人で、親はスーダンの出身、そしてムスリムということで、かなりマイノリティである意識が強く、それがゆえに日本から来た私に対しても親切に接してくれる優しいヤツでした。滞在中、アメリカでは黒人が不当に暴力を受けたり、(別の大学でですが)ムスリムの学生が殺されたりする事件があり、マイノリティの不満がかなり高まっており、そういう話をよくしました。私の「なぜ最近こういう事件が多いのか」という質問に彼は「こうした事件は最近SNSが発達して拡散が可能になっただけで、昔からずっと起こってきたこと。それが顕在化されて我慢できないレベルに達している」というものでした。「America is NOT the greatest country anymore」という動画(『Newsroom』というドラマのワンシーン)も流行りましたが、確かに内外に沢山問題を抱えており、多人種・多文化の共生というのは難しいのだとヒシヒシと感じました。皆がアメリカがナンバーワンだと思って生きている訳ではなく、複雑な思いを持っている人も多いです。当たり前のことですが。

 

とはいえ、やはりダイバーシティの魅力がアメリカにはあります。色々な人がいて色々な生き方をしていて、畢竟自分の人生は自分の人生だ、ということを実感できた留学でした。中国人のある友人はアメリカでの就職を目標に修士のコースにやってきました。国際関係論を専攻するアメリカ人の友人は日本語に加えポルトガル語を勉強しています。エクアドル人の友人の作るパンは絶品です。私のルームメイトはアラビア語を解し、フロアにいるレバノン人とよく内容の分からない話をしています。そしてルームメイトは朝6時に起き部屋で祈り、レバノン人は同じ時間にジムに行きます。取り止めようもなく書いてしまいましたが、そんな中で自分は生活をし、諦念にも近いような、しかし前向きな実感を得ました。こんな人たちと比べても仕方がない。

日本に帰国して早一ヶ月、すっかり日本人に戻りましたが(いや、向こうでも日本人でしたが)、やはりどこかフィットしないような感覚は残ります。今回はたった一年間、しかもイリノイという一地域での滞在でした。どのような形かは分かりませんが、必ずアメリカという面白く広い国にまた戻りたいと思います。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。この度は、皆様のご支援のお陰で奨学生として留学をさせていただきました。改めて感謝の気持ちを申し上げます。向こうでの体験は出来るだけ誠実にレポートでお伝えしようと心がけたつもりですが、まだまだ咀嚼しきれない部分もあります。今後はこのJapan Illini Clubという素晴らしいコミュニティに返していく形でそれを還元したいと思います。皆様どうもありがとうございました。

 

2015年6月

小山八郎記念奨学制度

39期奨学生 吉川慶彦

田中洋子さんの2015年7月分奨学生レポート

【奨学生レポート第4回】

田中洋子

皆さんこんにちは。5月半ばに留学生活を終え、無事日本に帰ってまいりました。最後の奨学生レポートとなる今回は、春学期に履修していた授業の報告と、留学生活全体の振り返りを書かせていただきたいと思います。

 

<授業振り返り>

○CMN 368 Sexual Communication

ひょんなことから取ることになった授業でしたが、非常に中身が濃く、学ぶことが多い授業でした。履修登録をした時は、科目名のユニークさに日本では履修出来なさそうな授業だと興味をそそられた部分が大きく、授業内容を詳細に把握していたわけではなかったのですが、コミュニケーションというものを軸にカバーされるトピックは想像以上に広く、期待以上の内容でした。授業後半で特に関心を持って勉強したのが性教育について。Sexual Communication の授業が教育に結びつくとは思っていなかったので、嬉しい誤算でした。アメリカでは州の権限が強力であるため、性教育の方針も州ごとに大きく異なります。性に関することは最小限しか教えず、ひたすら婚前性交渉の禁止を刷り込む州がある一方で、性に関する事柄も人間生活の正常な一部としてオープンに教え、避妊方法の選択肢やパートナーとのコミュニケーションの取り方など包括的な内容の性教育を実施する州もあります。教育に関心があるとはいえ、それまで性教育という分野にはほとんど目を向けておらず、この授業をきっかけにその重要性に気付き、関心が深まったのは非常に有意義なことだったと思います。今後は日本における性教育の現状や問題点、議論などについても学んでいきたいと考えています。

授業後半でもう一つ印象に残っているのは前回のレポートでも触れた性に関する専門家になりきって誰かの相談に回答するという形式のレポート執筆です。私に与えられたテーマはflirting。辞書を見てもあまりしっくりくる訳が見つからずなかなか説明しづらいのですが、本格的な恋愛関係に発展する前の段階の男女間のコミュニケーションとでもいいましょうか(ナンパはこのflirtingの一例だと言えます)。テーマがテーマだけに信頼性のある学術的な情報を厳選するのが難しく、また主観を排除して回答を練り上げていくのは骨の折れる作業でしたが、最終的には納得のいくものが書きあげられ、評価も満点をいただくことが出来ました(いくらなんでも評価が甘すぎると思いましたが・・。何年か続いているこの授業でもこのレポート出題は初めての試みだったそうで、まだ勝手がわからず全員に甘い評価がなされたものと思われます)。この課題を通して感じたのは、TAの存在の大きさです。ちゃんとレポートを書けるか大きな不安を抱えていた私は、オフィスアワーを積極的に利用してTAの方によく相談をさせていただいており、これが本当に大きな支えになりました。レポート以外にも、試験の振り返りを一緒にしていただいたり、授業後の質問に対応してくださったり、懇切丁寧に対応していただきました。私の担当だった人はTAの中でも特に優れた人だったのだと思いますが、日本で通っている大学ではTA制度が定着しておらず、教授一人対学生何百人で学習上のサポートは基本的に無しという状態なので、学生の自立が求められているというような見方も可能かとは思いますが、イリノイ大学のような体制を取り入れてみるのも良い方策なのではないかと感じました。

 

○MACS100 Intro to Popular TV and Movies

前半は映画について学びましたが、後半はテレビについて学びました。映画編で使用されていた教科書と比べるとテレビ編の教科書は内容が高度で、また映画と比べてアメリカのテレビ番組にはなじみが薄かったので、授業についていくのが少々大変でした。毎週火曜日の夜には上映会があるのですが、ドラマを観ていても、ほかの学生がなぜ今笑ったのかが理解できず後でアメリカの友人に説明してもらったりすることもしばしばで、その国で育っていないと獲得が難しい社会的・文化的背景というものの存在をあらためて実感したりしていました。英語を勉強するだけがコミュニケーション能力の向上につながるわけではないのですね。

春休み後はグループ課題の短編映画撮影も頑張りました。班によってはメンバーが協力的ではなく問題が起こったりもしていたようなのですが、私の班は全員責任感があり、仕事もうまく分担しながら作業を進めることが出来ました。課題は、ステレオタイプを覆すような内容の3分程度の映画の制作。私たちは、男女に対する偏見とアスリートに対する偏見の双方に焦点を当てようと、女の子らしいと一般的にされている趣味を持つ男子バスケットボール部のエースを主人公とした作品を作りました。テイラー・スウィフトを好んで聴き、スタバでは流行りのパンプキン・モカとピンクのドーナツを注文、彼女との家デートでは「君に読む物語」や「ミーン・ガールズ」などのいわゆる chick flick と呼ばれる女性向けの映画を観ようと言い出す、実は運動能力ではなく学力を評価され奨学金を授与されたバスケットボール選手。素人感満載の作品でしたが、みんなでアイディアを出し合いながら映画を撮るのは楽しかったですし、自分もちょこっとだけ出演出来て嬉しかったです。期末試験最終日に全作品がリンカーン・ホールという大きな教室で上映され、私も数学が苦手なアジア人学生として(これは現実の私そのままなのですが、アメリカではアジア人は数学が得意であるというステレオタイプが存在するので、ステレオタイプを覆すという課題に対して一定の意味を持った役柄です)スクリーン・デビューを果たしました(出演時間約10秒)。

田中写真1

*写真1:よく足を運んでいたフローズンヨーグルト屋さんです。イリノイ最後の晩も食べに行きました。私のおすすめメニューはパイナップルアイスクリーム+マンゴーです。

 

○MACS262 Survey of World Cinema

後半一番力を入れたのは、1965~1995年に公開された映画をどれか一つ選び、それがどのように宣伝されたかを分析するというレポートです。人と被りそうになく、実際に自分も好きで、かつそれなりの量の資料が見つかりそうな映画ということで最終的に選んだのが、1968年に公開された”Yellow Submarine” です。アニメ映画を選ぶのは面白い試みに思えましたし、ほとんど映画の制作には関わっていないビートルズ(4人の声はほかの声優によって演じられました)が映画の宣伝の上で非常に大きな働きをしたという点が、ほかの映画にはなかなか見られない特異な点であり、そこに光を当てて分析をすれば教授の目にも留まるのではないかと考えたのです。

今回のレポートで難しかったのは、当時の資料を使わなければならないという点です。ネットでYellow Submarine と検索すれば、多くの批評や記事が出てきますが、それらはほとんど最近になってから書かれたもので、資料としては使用できません。いくら有名な作品であるからと言って、レポートを書くのに最適な内容がまとまったような本が都合よく存在するということもなく、図書館の新聞・雑誌記事のデータベースを利用して、デジタル化された過去の記事を遡るほか、デジタル資料が存在しない場合は、実際に図書館に出向き、記事の目録から書庫にある縮刷版にあたるという地道な作業もおこないました。昔の学生はこれが当たり前だったわけですが、ネット世代の私はこうした調べものをした経験が乏しかったため、今回とても良い勉強になりました。また、図書館学の教授でもある司書の方が非常に親切で、学生の勉強を支える人的リソースの充実にここでも感動しました。ちなみにこの教授は私が以前日本映画上映会のために「ウォーターボーイズ」の購入を図書館に希望した際に対応してくださった方なのですが、なんと私が名前を告げると「あの時の学生さんかな?」と覚えていてくださり、日本映画の話でしばし盛り上がるという嬉しい出来事もありました。

田中写真2

*写真2: Krannert Center for the Performing Arts へ“Into the Woods” というミュージカルを観に行った時の写真です。学生なら格安料金で良質な芸術作品が楽しめます。非常に立派な作りの大規模演劇施設で、ぜひ一度訪れてみることをおすすめします。

 

○MACS464 Film Festivals

おそらく私が今学期一番力を注いだ授業だと思います。春休みが終わるといよいよ映画祭本番まで1か月ほどとなり、週1回授業時間内に割り当てられている作業日だけではとてもやるべきこと全ては片付かず、ほぼ毎日映画祭関連の仕事をしていました。深夜に迅速に判断を下さなければならない議題が浮上し、夜中まで100通を超えるメールのやり取りがあったことも・・・。あくまで履修している授業の一つにすぎないのだからどこかで線引きはしてほかのことが犠牲にならないようにしなければならないとは思いつつ、常にメールを確認しておかないと「チームに貢献していない」と批判されそうで、なかなか苦しかったです。もう少しコミュニケーションの取り方に関しては改善の余地があったように思います。ほかにも、ほかのメンバーに意見を言わせる隙を与えずどんどんと話を進めてしまうリーダーや、自分から仕事を探すことをせず授業にもたまにしか来ないメンバー、重要事項を抱えているのにもかかわらず締め切りを把握していない人など、私が所属していたプログラム班はメンバーが「多彩」でした(かくいう私も、反省すべき点は多々あったと思います)。5人中4人留学生というメンバー構成も、残りの1人にとってはあまり快適ではなかったかもしれません。応募されてきた作品があるメンバーのミスでリストから抜け落ちていたことが選考の途中で判明したり、受賞作品が審査員との連絡に問題があり当日の朝まで決まっていなかったり、私たちの班では常に何か問題が起きていて正直ほかの班にしておけばよかったかもしれない、なんて考えが頭をかすめたこともありましたが、そんなこと今さら考えたところで仕方がないし、途中で抜けたりしたら大迷惑だから絶対にそれだけはすべきではないと、何とか最後まで頑張りました。

作業を進める中で気付いたのは、自分は割と裏方が向いているのではないかということです。何十本もある応募作品の細かいデータをまとめたり、パネルディスカッションの原稿作りをしたり、名札のスペルチェックをしたり、地味な仕事にはリーダーが「誰かやりたい人?」と尋ねても進んで手を挙げる人はいません。やはり、有名なゲストスピーカーとの連絡窓口になったり、司会をしたりという仕事の方が人気があります。でも私は、誰もやりたくない仕事をすれば班に貢献出来る良い機会だと捉えて、積極的にそういった仕事を引き受けていました。全ての作業を授業内でやっていない以上、裏方の仕事ばかりやっていれば先生の目に留まりづらく、打算的に考えれば授業評価の上では多少不利になる気もします。ある程度自分の貢献をアピールするのも必要な能力でしょう(クラスのほかの人たちは良い意味でこうした能力に長けているように感じました)。しかし、班に貢献するチャンスだから、逆に言えばそれくらいしか貢献出来そうなことがないという自信の無さの表れの結果だったとしても、そういう不利な面をあまり気にせず、自分がやっていることが全体に良い結果をもたらすのであれば満足と思える性格であるらしいことが分かりました。チームで何かする時、重要なのは自分がどのような役割を果たせばチームとしての成果が最大化されるということを見極めるということだと思います。そのためにはまず、自分の適性を知る必要があります。その意味で、今回ある種自分の適性らしきものに気付けたのは一つ収穫だったように思います。

広報活動が十分とは言えない状態で迎えた本番でしたが、予想以上に多くの人が足を運んでくれ、また特にトラブルが起きることもなく、良い映画祭になりました。演劇関係者の労働組合のシカゴ支部代表の女優さんがパネルディスカッションに参加してくださったり、以前授業でお話ししていただいたこともある映画監督のカンヌ出展作品を特別上映が実現したり、当初の予想をはるかに上回る豪華さでした。本当に小規模な映画祭でしたが、参加してくれた学生にとっては自分の作品を上映し、またほかの学生監督と交流する貴重な機会となったようで、「参加してよかった」と皆さん口をそろえて言ってくれました。途中で抜けたり、手を抜いたりしていたら味わえなかった達成感。最後の日に、やはりこの授業を取ってみてよかったと思えました。

Illinifest のホームページはこちらから→http://illinifest.illinois.edu/

田中写真3

*写真3: 映画祭スタッフのTシャツを作りました。

 

<留学生活全体の振り返り>

今レポートを書いている時点で、帰国してちょうど4週間が経ちました。私は帰国後すぐに大学の授業に戻り、期末試験に向けて休んでいた授業の遅れを取り戻さなければならないこともありかなり忙しく、帰ってきてからあまりゆっくりと自分と向き合う時間が取れていないのですが、このままきちんと留学生活を振り返らずにいたら、残るものも残らなくなってしまいますし、ここで一度振り返りをしてみたいと思います。

帰国してから、「留学どうだった?」と頻繁に聞かれるのですが、これがなかなか簡単に答えられる質問ではありません。なにしろ、9ヶ月もアメリカで暮らしていたのです。本当にいろいろなことがあり、それを一言にまとめるのは不可能です。「楽しかったよ!」と言うのも、もちろん楽しいことはたくさんありましたがそれだけではなかったですし、よくある「価値観が変わりました」という答えも自分にはちょっと嘘っぽく(正直なところ、自分の根本的な部分はそうそう簡単にひっくり返るものではないと思います)、結局「う~ん、いろいろあってなんて言ったらいいか・・・」と曖昧な答えになってしまいます。

今、あらためてその問いに考えを巡らせてふと浮かんできたのが、「人生に対する度胸がついた」という答え。ちょっと大げさな響きがしますが、私が留学先で何を学んだか、またそれによってどう変わったかを語る上でなかなか良い要約であるような気がします。

留学を決心する前の私は、自分の性格をマイペースだと言いながら、一定の枠を越えることを躊躇していました。より具体的には、留学への興味は抱きつつ、大学を休学するという大多数の人とは異なる選択をすることに対して、今思えば必要以上の不安を感じていたのです。それでも、「やった後悔よりやらなかった後悔の方が大きい」という言葉が頭を離れず、応募してみた当奨学金。幸いなことに合格にしていただき、その貴重な切符を手に飛び込んでみたイリノイ大学での生活では、これまでのレポートでも報告してきたように、多くの学びがあり、貴重な体験もあり、そして本当にたくさんの素敵な人たちとの出会いに恵まれました。もしあの時、大多数の人とは違った道を選ぶことを否定していたら・・・。もしもタイムマシンがあったら、悩んでいた頃の私の元へ飛んで行って、「興味があるなら挑戦しなさい!ほかの人のことなんて気にする必要ない!」と説得しに行くでしょう。

日本の大学にもいろいろな人はいますが、さすがは世界中から学生を惹きつけるアメリカの大学というだけあって、イリノイ大学には実に様々な経歴の人がいました。一度働いてから戻ってきている人も普通に見かけましたし、専攻を変えて4年以上かけて学部を卒業することも大して珍しくありません。将来どこの国で働くか決めていないという人と話した時は、「こんな自由な感じでいいんだ」となんだか感心してしまいました。日本人の方にも何人かお会いしましたが、皆さん挑戦する意欲が強い。私だったら異国の大学で博士号を取ろうなんて人生を賭けるようで怖いなと思ってしまう、と話しても、「でも、自分のやりたいことだから」。リスクを取る責任は覚悟しなければならないけれど、別に周囲と違う道を進んでも問題はないし、そういう生き方の方が楽しそうだ、決められたルート通りに行かなければという強迫観念を捨てれば、これからの人生で何か予期せぬことやちょっとした遅れが生じても焦らずに済みそうだ、そんな気付きを得ることが出来ました。

恥をかくことへの抵抗感の薄れというのも、留学を通して得られた成長だったと思います。いくら頑張って英語を勉強しても、やはりネイティブスピーカーのように話すのは難しく、留学当初は訛りのある英語で発言することをとても恥ずかしく感じており、そのせいで発言が消極的になってしまうこともありました。何か発言しても、クラスの人たちが私の発言内容を理解してくれたか、変な外国人がしゃべっているなどと思われていないか、など必要以上に考えを巡らせて落ち込んだりもしていました。でも実際のところ、彼らは私の英語のことなんてほとんど気にしていないと思います。その場では少し聞きづらいと感じたとしても、晩ごはんを食べる頃にはそんなこと頭から消え去っています。100点満点ではいかなくて当たり前、そしてそれをいちいち気にする必要もないと悟った時、すっと気持ちが楽になり、どうせならどんどん壁にぶつかっていこうと思えるようになりました。今後何かに挑戦して恥ずかしい思いをしても、「留学先でさんざん恥はかいたし、こんなの慣れたもの。挑戦してみただけえらい」くらいの心持でいられたなと思います。

ただ、難しいのは開き直って向上心を失ってしまうこととの線引きです。全てうまくはいかないことが想定の範囲内であっても、少しでもうまく出来るように成長するための努力は怠るべきではありません。あくまで、建設的な失敗をずるずる引きずる必要はないということです。

チャンスは手を伸ばせば思っている以上に与えられるものだというのも一つ大きな学びでした。留学前は、転がってきたチャンスは逃さないようにという考えだったのですが、別にチャンスがやってくるのを必ずしも待つ必要はなく、自分から探しに行くことも出来るということに気付いたのです。留学中に経験したインターンや企業訪問、勉強会企画などは元々何か募集がかかっていたわけではなく、まずは連絡先を調べるところから始めて最終的に実現に至ったものです。もちろん、全ての場合でうまくいくわけではなく、むしろ期待通りには事が運ばないことの方が多かったですが、それでも最初からどうせだめだろうと諦めるのではなくとりあえず声を上げてみると、案外大きなことへと発展していくこともあるのです。既存の選択肢からやりたいことを選んだり、解決策を探したりするのではなく、自ら新たな選択肢を作ることも出来る、このような考え方が身に着いたのは自分にとって大きな成長でした。

自分が決心したなら一般的な道を外れてもいいし、恥をかいたりしてもいちいち気にしない、チャンスは自分から作り出すことも可能―実際はここまでパワフルな精神力を身に着けられているか分からないのですが、「人生に対する度胸がついた」というのはいわばこういう考え方が内面化された(されつつある)ということです。

 

最後にあらためまして、今回私に留学の機会を与えてくださり、また私を支えてくださった全ての方に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

田中写真4

*写真4: 広々とした芝生。晴れている日は友達とフリスビーで遊んだり、お昼寝をしたりしました。写真の右側には、卒業を控えた4年生が記念撮影をしている様子が写っています。

勝田梨聖さんの2015年7月分奨学生レポート

JICの皆さま、本レポートを読んでくださっている方々、ご無沙汰しています。小山八郎記念奨学制度第39期の勝田梨聖です。

後ろ髪を引かれる思いでシャンペーンを後にし、日本に帰国してから早一か月が経過しましたが、今回は(1)春学期の授業、(2)課外活動・休暇、(3)留学全体を通しての振り返りについてお話ししたいと思います。

 

(1)春学期の授業

 

繰り返しになりますが、春学期には以下の授業を受講しました。

GLBL350  Poverty in a Global Context (Prof. Brian Dill)

MACS (/PS)389  International Communications (Prof. Luzhou Li)

PS 282  Governing Globalization (Prof. Konstantinos Kourtikakis)

PS 280  Intro to International Relations (Prof. Ryan Hendrickson)

EPY199  Leadership in Global Engagement (Prof. Jenn Raskauskas)

 

GLBL350  Poverty in a Global Context (Prof. Brian Dill)

このコースでは貧困や国際開発について学んでいますが、後半部ではとりわけ資源の呪いや食料安全保障、エネルギー貧困を扱いました。受講人数が25人ほどの比較的小さなクラスで、毎授業リーディングを基にディスカッションを繰り広げますが、教授もお手上げの白熱した議論を交わすこともあります。全コースを通して様々な側面から一つの国の貧困状況を考察するproject paperが4回課されましたが、立てていた仮定が立証されなかったときなどは思わず大きな溜息をついて立ち止まるなど、ひどく根気が必要な作業でした。しかし適切かつ詳細にデータを用いて分析して考察に導くスキルが体得でき、その集大成であるfinal paperではその国の貧困プロファイルと生活水準向上のための提案をまとめて、満点を取ることができました。またもう一つの期末課題として、スライド一枚につき20秒×全20枚がルールのPechakucha Presentationがありました。日本でも名が知れたプレゼン方式で、特に非ネイティブ話者にとっては20秒で詳細に、またシンプルに纏めるには随分と策を練る必要がありましたが、それぞれクラスメートがピックアップした国々のPechakuchaプレゼンはどれも観点が多様で非常に興味深かったです。

 

MACS (/PS)389  International Communications (Prof. Luzhou Li)

この講義では、メディアが国際社会や政治において果たす役割について学びました。毎週金曜日は映画やドキュメンタリーを鑑賞し、翌週それを基にディスカッションを進めます。なかでも面白かったテーマは、ドラマや映画での人種・ジェンダーの描写や、第三世界から情報を発信するAl JazeeraとBBCやCNNとの比較、そして政治権力者によるメディア検閲です。特にジェンダーや検閲については、アジアとりわけ日本人としての意見を求められることも多くありました。期末課題はFinal PaperとGroup Video Projectで、Final Paperは’mobile Health’という携帯電話機能を利用した保健サービスがアフリカのAID/HIDSに与える影響について、Group Video Projectでは各国のメディアへの検閲状況をテーマに作成しました。比較的一方向のレクチャー、平均ベースの成績評価という所謂アジアスタイルの授業のため戸惑っている学生が多くいましたが、個人的には教授へのアクセスが一番良く、授業後の話し合いも楽しめました。

 

PS 282  Governing Globalization (Prof. Konstantinos Kourtikakis)

このコースでは、国家、国際機関、市民社会、多国籍企業などのアクターの役割に焦点を置いてグローバル化を分析しています。トピックは人権、環境保護、開発、貿易など多岐にわたっていましたが、特に米国・EUなどの大国と途上国グループの利害対立構造のなかでどのような公式・非公式のルールが成り立っているのかという観点で講義が繰り広げられていました。Advanced Writing ClassのためFinal Research Paperの量も今期のクラスの中で最も多かったものの、草稿段階でのフィードバックも細かいため最終目的地までは辿り着きやすかったです。

 

PS 280  Intro to International Relations (Prof. Ryan Hendrickson)

この講義では、PS282よりも米国を基軸にして安全保障政策や貧困、感染病に対する海外援助、人権保護などのテーマを解説しています。テロ対策や軍事政策、核兵器についても扱っていますが、米国と中国、EUとの政治経済・軍事関係も詳細な数字のデータを用いながら教授が解説します。毎週金曜日は講義内容に関連したトピックのリーディングを基にTAとディスカッションをしますが、ただ著者の主張を理解するだけでなく自分自身はそれに賛成か反対か、またその理由までも明確にしないと議論に参加できなかったので、ある物事の背景知識をまず正しく理解するところから始めなければいけない点に苦労しました。

 

EPY199  Leadership in Global Engagement (Prof. Jenn Raskauskas)

このコースでは、澳門大学からの交換留学生11人と異文化間コミュニケーションを学んでいます。同じ寮の建物にある教室で、お菓子をつまみながらプレゼンを聴いたりアクティビティをしたりと、とてもリラックスした雰囲気の授業です。4月にはUndergraduate Research Symposiumがあり、私のグループはアメリカとアジアでの礼儀や対人関係に対する異なる観念から生じる挨拶の違いについて発表しました。グループのメンバーは全員同じ寮に住んでいたので、おしゃべりも交えながら晩遅くまで一緒に作業したのは良い思い出です。シンポジアム当日はリサーチ内容について多くの質問を受け、終了する頃には皆ぐったりとしていましたが、このような場で発表できる機会はめったにないので貴重な経験をすることができました。

 

 

(2)課外活動・休暇

 

<春休み>

3月下旬に一週間ほどの春休みがあったので、在籍大学の友達が複数人留学しているシアトルへ旅行に行きました。シアトルは海と湖と森に囲まれた自然豊かな土地で、全米で最も住みやすい都市にも選ばれているそうです。誕生日に友人との数か月ぶりの再会ができ、留学の思い出や苦労話をしながら、(ちょうど合法になったばかりの)お酒片手に美味しい魚介類を堪能しました。ワシントン大学やチョコレート工場見学、市場、スターバックス第一号店など、シアトルには見どころがたくさんあり、わずか数日間でしたが非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。

 

勝田写真1

(写真1. シアトルでは天気にも恵まれました。)

 

<アジア系イベント>

アジア人の人口が多いからか、イリノイ大学にはアジア系団体が主催するイベントがたくさんあります。例えばインドやネパールで有名なヒンドゥー教の春祭である「ホーリー」というイベントがあり、キャンパスの芝生グラウンドに集まった学生が誰彼構わず ’’Happy Holi!!” と色粉を塗り付けます。おかげで顔や髪の毛は赤、青、ピンク、紫、黄色に見事に染まり、完全に落とすには5回程洗わなければなりませんでした…笑

 

またアジア系の学生団体の多くが出展するAsia Festival というお祭りもあり、自国の文化を紹介したり、ステージで踊りや音楽を披露したりもしていました。(個人的にはインド舞踏が大好きなため、このフェスティバルや他のイベントでも数回目にすることができ満足です。)

このフェスティバルの日は、日本館もこどもの日のイベントを開催しており、夜にはマレーシアや台湾の団体もそれぞれ屋台を出していたので、(迫っている試験や課題をひとまず寝かせて)友人と声が枯れるほど一日中遊んでいました。

 

<寮生活>

私は一年間、Living Learning Community(LLC)に属していたので、寮内でのイベントはたくさんあり、同階に住む友人と関わる機会も多かったように思います。春学期はイベントの勢いこそ衰えていきましたが、それでも部屋に帰る途中に出会った友達とラウンジでお喋りしたのは、授業の疲れが吹っ飛ぶように楽しい時間でした。帰国後も特に仲の良かった友人とは連絡を取り合っています。大きなベッドマットをわざわざ部屋からひっぱり出し、ラウンジでオールナイトの映画鑑賞パーティー(withフロア中のポップコーンの匂い)を開催する友人にはさすがに若さを感じましたが、秋学期のオハイオ州・インディアナ州への旅行をはじめ、このLLCで出会った友人と多くの貴重な経験できてよかったと思っています。

 

フロアメイトの多くはシカゴ周辺に家があるため、期末試験終了後に延泊届を出して残ったのはなんと私とルームメイトだけでした。寮内は普段ではあり得ないほど閑散としていましたが、最後に彼女と一年間の思い出話をしてイリノイ大学での生活に幕を閉じました。学業に非常に熱心に取り組むルームメイトは私の刺激にもなり、くだらない話から少し真面目な話までよく盛り上がったのを思い出します。一年で一番腕を磨いたのは、部屋に出現した虫を二人で退治する連携プレーでしょうか。

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(写真2. スタジアムでのCommencement (卒業式)の様子)

 

<帰国前日のシカゴ観光>

早朝にキャンパスを離れ、友人とシカゴで一日観光することが出来ました。11月下旬に一度シカゴを訪れていましたが、酷寒だったその頃と比較するとはるかに心地よい天気で、子ども達も元気よく公園を駆け回っていました。かの有名なMillennium ParkのBeanや噴水、ユニークな建築スタイルのビル街などを散策したほかに、高さ10cmはあるようなチーズケーキや、名物のDeep Dish Pizzaに舌鼓を打ち、(久しぶりに)食も楽しむことができました。

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(写真3. シカゴ大火に端を発したシカゴ派建築)

 

(3) 留学全体を通しての振り返り

 

帰国後に再会した友人たちに必ず聞かれるのは、「…で、どうだった?」という質問です。しかしこの九か月間を一言で表す言葉はなかなか思い浮かびません。色々思いめぐらせて話しているうちに、なんだか雰囲気を湿っぽくしてしまうなんてこともあります。というのも、このイリノイ大学への留学は、自分がいかに「井の中の蛙」であったかを思い知った挫折だったからです。

 

① 自分の立ち位置、力量を知るものさしを手に入れて

留学前は、自分が一回り大きくなって帰ってくると思っていましたが、結果的には「小さく」なってしまいました。例えるならば、ズーム機能で拡大されていた自分が縮小されて小さくなった、といった感じでしょうか。それは、イリノイ大学で同分野や全く異なる学問を勉強する学生に出会い、私よりも明らかにはるか上を進んで行っているのを目の当たりにしたからです。生半可ではなくしっかりと腰を据えて勉学と向き合える教育環境下で、身近なものを次々と成長のチャンスに変えていく友人たちの話を聞いていると、「私も負けていられない」と思うと同時に、このようにして同年代の学生が今後あらゆる分野の最先端でどんどん世界を変えていくのだということを身に染みて感じました。世界での私の立ち位置に気が付いたことは一つの収穫ですが、それだけで終わらず、自分の立ち位置や力量を測るものさしを手にした今は、いかにして私の今後目指すポジションを築きあげていくかが取り組むべき課題です。

 

②薄れる、快適な環境から飛び出した「私」の存在感

もう一つの挫折として、自分が心地よいと感じる場所から全く新しい環境へ飛び出した時に「私」が消えてしまいそうになったことでした。「こいつは誰だ」と思われるにはまず、相手に興味を持ってもらわないと始まりません。しかし、自分から進んで主張していかないことには「不在」とみなされ、居場所を見出すことはできません。全員が私を全く知らない状況で、英語という言語を使いながら表現していくには勇気も必要で、特に秋学期前半の授業ではそれに苦労しました。全く未知の環境での自己表現は徐々に慣れていきましたが、それでももう少し努力すべきだったというのが本音です。

 

 

これら二つが私の直面した「挫折」であり、私の弱さでした。もちろん言語面で苦労したこともありましたが、それ以上にじわじわと苦しめるような壁でした。…と、やはり湿っぽい話を展開してしまいましたが、一つお伝えしたいのはこの人生最大の挫折の経験が、私のみる世界を豊かにしてくれたということです。この挫折なしでは、いつまでたっても狭い世界に生きていることすら気づかずに暮らしていたでしょうし、今の自分に必要なものを知ることもなかったと思います。イリノイ大学で9か月間ひたすら興味のある学問を追求し、「私」について考え悩んだからこそ、帰国した今はまた新たにスタート地点に立つことができました。そしてこれからは学んだことを生かして、目指す先へまた一歩ずつ歩んでまいりたいと思います。

 

最後になりましたが、イリノイ大学への留学という貴重な機会を与えてくださったJICの皆さまには深く感謝申し上げます。また私を支え、励ましてくれた両親や友人にも感謝の想いでいっぱいです。本当にありがとうございました。

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(写真4. 桜も綺麗に咲き、私を送り出してくれました。)

小松尚太さんの2015年7月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。帰国してから約1ヶ月を経て、このレポートを書き始めます。

以下、春学期の授業を簡単に振り返り、留学の総括を行います。

 

 

■今学期の授業について

 

ACE 310 Natural Resource Economics

森林・鉱物・漁獲などの資源について、経済学的側面から理解を深めました。時間を通じた資源配分が大事であること、そして「コモンズ」と呼ばれる資源が搾取を防ぐべくどうマネジメントするかが主な論点でした。負担は重くないものの、毎週小テストや課題があり、尚且つ3回に渡ってテストが行われました。留学前はこの形式を見ると、拒絶反応を示していました。しかし実際に受けてみると、試験一発勝負に比べて失敗するリスクが小さく、頑張った分だけ評価されるシステムだと実感しました。当然、試験一発勝負と積み上げ型の評価形式は両者一長一短があります。一発勝負にめっぽう弱い私にとっては、アメリカのシステムが合っているのかもしれません。…そう信じたいです。

 

ACE 451 Agriculture in International Development

農業が経済発展においてどのように貢献するのか、私の関心が一致した授業でした。授業は農業を中心として、新興国の開発問題を広く扱う内容でした。貧困を測定方法から始まり、産業構造の転換、人的資本の重要性、農業市場の制度整備、支援のあり方など…。アフリカのマラウィの農家に対する肥料の補助金政策について、世界銀行のコンサルタントとして、どう評価しどういった代替案を出すかという政策メモを書く課題もありました。農業と開発について総合的に理解を深めることができた授業であり、勉強して一番ためになった科目に違いありません。

 

ECON 471 Introduction to Applied Econometrics, ACE 261 Applied Statistical Methods

これまでの不勉強ゆえ避けてきた統計を、アメリカに渡り性根を入れて勉強し直しました。実際にプログラミングを回してデータを分析する課題が多く出され、統計解析ソフトRを独学で必死に体得しました。理論・実践両面で統計分析の理解を深められたのは、大きな収穫でした。実際に数字を弾き出し、そこからどのような経済学的示唆を得られるのか。正しく計算することはもちろん、データの解釈も重要であることは言うまでもありません。そうした力を伸ばす上で良い授業でした。

 

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写真1: 当初は飽々しながら食べていた食堂の食べ物も、最後の方は呼吸をするように食べていました。郷に入りては郷に従え、食生活もすっかりアメリカに馴染んでしまいました。

 

■留学を終えて思うこと

 

日本に降り立った直後は、日本人のみの同質的な空間に違和感を覚えていました。帰国から1ヶ月経た今も、日本にいながら違和感もしくは焦りを感じる瞬間があります。日本が心地良すぎる故にその環境に甘えてしまい、日々成長できていないのではないかと。留学先では、言葉は通じない、人間関係も一から構築せねばならない、授業への不安など、居心地の悪い空間だったことは間違いありません。その状況は、留学をまさに終えようとしていた5月でも変わりませんでした。しかし、そうした負荷のある環境の方が学ぶことが多いのではないのか。色々と物事を考えることができるのではないか。日本にいながら、毎日そう思います。

 

英語については、出国当初よりは上達したのは間違いないでしょう。とは言え、完璧には程遠く、話せるようになったのではなく、聞き取れない話せないことに慣れた、と言う方が正しい気がします。留学当初は「全部聞き取らなきゃ!正しい英語喋らなきゃ!」と気張っていました。…それは続きませんでした。水は低きに流れるという言葉通り、最後の方は「だいたいこんなこと言ってるんだろう」「とりあえず言いたいこと簡単に言ってしまおう。ま、こんなもんで通じてるんじゃないかな」と横着するようになりました。とはいえ、英語に関してはこれで満足という水準はありません。現時点の私の英語の実力については不満しかありません。今後日本に軸足を置きながらどう英語を伸ばすかが課題です。私の場合、英語の力をkeepするのではなく、improveし続けなければなりません。

 

英語について、加えて思うことがありました。英語ができないことを自分自身の勉強不足の言い訳にしていなかったか、ということです。以前シアトルでホームステイ中に、アベノミクスについてどう考えるかと聞かれたことがありました。このとき、経済学を学んでいるにも関わらず満足いく説明ができず、歯がゆい思いをしました。同時に、何か頭を打たれたような衝撃を覚えました。これは、日本語でも決して説明できない話題であると。「英語ができない」というのは、自分の不勉強の言い訳として機能していたのだなと。己の勉強不足を恥じました。言語に関係なく、あらゆることについて学ばなければならない。当たり前のことですが、このことに気づいていませんでした。仮に気づいていたとしても、頭で分かっていることと実践できていることの間には大きな壁があります。

 

日本に帰国し、日本語を話す機会が圧倒的に増えました。母国語ですから、日本語で話をするのは楽です。その心地よさを享受する一方、話の中で「これは英語でもちゃんと話すことができるのだろうか?外国の人に伝えることができるのだろうか?」というのはいつも意識せざるを得ません。

 

最後にも書きますが、留学を終え今後の過ごし方が決定的に重要であると日々実感しています。居心地の悪い環境はないか、求めている自分がいるようです。

 

ひとまず今は、留学から帰ってきたという名分を使い様々な人と会う約束をし、話に花を咲かせることができています。これは非常に楽しく、有意義です。大学5年生として、勉学にこれまで以上に励むことはもちろん、アンテナを張りフットワークを軽くして色々な活動に参加してみます。

 

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写真2: 1年間住んだ寮の部屋。汚くて恐縮です。ルームメイトと写真を撮るのをすっかり忘れてました。彼とここでひたすら話をしていました。

 

■果たして留学をしてよかったのか

 

「なぜかよくわからないが、とにかく留学しよう」と2年前に決意しました。果たして、今回イリノイ大学へと留学したことは良かったのでしょうか。自身の人生にどのような意味を持つのでしょうか。この問に対しては、現時点では答えることができません。留学をして半年経ち、1年経ち、5年経ち、10年経った後振り返ってみて、初めて評価できると思います。

 

このように書くと、なんだ今回の留学は失敗だったと感じているのか、そのための言い訳を並べているのか、と指摘されるかもしれません。現実は、多くの人の縁に恵まれました。普通に留学していては味わうことができない体験も数多くありました。日本にいるときの倍以上は勉強しましたし、物思いにふける贅沢な時間も沢山ありました。自身の留学へ行きたいという意志は間違っていなかったと信じたいのです。アメリカで経験したことはかけがえのない財産であったと信じたいのです。

 

今回の留学が良かったと言い切るためには、今後も継続的な努力は欠かせません。留学を通じて多少はましになった英語 (しかし完璧にはあまりにも程遠い…) の向上はもちろん、自分の専門性、そして人格全体としてさらに成熟していかなければなりません。そうしなければ、イリノイ大学への留学を推挙していただいたJICのみなさん、家族、なにより自分自身への説明がつきません。「留学に送り出したはいいものの、結局大成しなかったな」と後々言われるのはとても、とても悔しい。数年経って初めて今回の留学を評価できると書いたのは、今後の精進を怠らない決意表明のためでもあります。

 

「言うは易し、行うは難し」です。文面による決意表明はここまでにして、今後は自身のレベルアップのため、実践あるのみです。「小松を留学に送り出してよかったかどうか」は、数年後の私自身から発せられる言葉ではなく、どういうキャリアを歩み、どういった成果をあげ、そしてどういった雰囲気がにじみ出ているかを見て、判断していただきたく思います。

 

改めまして、JICのみなさま、そして家族には本当にお世話になりました。この留学を通じて受けた恩を今後何らかの形で、少しずつ返していきます。本当にありがとうございました。

 

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写真3: イリノイ大学を去るバスに乗る前に撮影した、朝方のQuad。じんわりと感動した記憶があります。