はじめに
皆さまお世話になっております。41期の深見真優です。
アメリカから帰国して2か月と10日が経ちました。自分がイリノイ大学に10か月留学していたことが、遠い昔話のようです。本当に私は留学していたのかな?と思うほどです。帰国して2日後から通常のフローに乗って就職活動をしていました。炎天下の中リクルートスーツに身を包み、日本語しか聞こえない電車に乗り、分刻みで面接に向かう。余韻に浸りながら少しずつ体を慣らすという感覚は一切なく、半ば力づくで時差ボケの体を就職活動の渦にねじ込んでいったような感覚でした。目まぐるしい就職活動を終え、リユニオンで皆様と42期にお会いし、日本の友人や家族と話す中で、落ち着きを取り戻し、漸く私の留学が一区切りしたように思います。こうしてレポートを書くことも最後になりますので、ゆっくりと振り返りをしたいと思います。
1:この留学を通して印象的だった授業
2:留学を経てこれから挑戦したいこと
3:第41期小山八郎記念奨学生として留学できて良かったこと
1:この留学を通して印象的だった授業
第3回目のレポートで私が受講していた授業の概要を書いたので、この1年間で特に印象的だった授業を前期と後期から1つずつ振り返りたいと思います。
Medical Sociology(前期)
医療社会学の授業を前期に履修しました。私が留学前に頭の中にぼんやりとあった「こんなことを勉強してみたい」という漠然としたイメージにピッタリな科目でした。将来、健康促進に携わりたいという思いが芽生えたものの、医療の道を志している訳ではない私が、どの様に健康に携わることができるのかがわかりませんでした。しかし、この授業を通して「病気にしない環境作り」「情報伝達技術を利用した健康管理」などの重要性に気づくことが出来ました。「健康=病院」という一辺倒な考え方ではなく、「健康」というキーワードに対して、文化的背景、地域行政、ビッグデータ、、、と、今までは気にしてこなかった要素が頭の中を駆け巡る感覚を覚えた授業でした。文系の私でも健康促進に携わることができるかもしれない、という前向きな考え方を得ることが出来ました。授業を一緒に履修していたクラスメートの希望する進路が様々なのも印象的でした。お医者さま、セラピスト、WHO、生命保険業界、、、。日本にいると中々受講する機会のなかった医療に関する授業を、社会学的観点から、多様な進路選択をする学生と受けられました。それによって、様々な方面から健康を支える視点を得られ、私の将来に新たな選択肢を加えることが出来たと思います。
Foundation of Health Behavior (後期)
前期に抽選漏れをしてしまい、後期にウェイティングリストに名前を載せ幸運にも受講することができた授業であり受講が始まった直後はワクワクした気持ちでいっぱいでした。しかし、後期の中盤には「大変な科目を履修してしまった、、、」と何度も心折れかけた科目でもありました。この授業は、健康習慣を変えることがいかに困難であるかを一人一人の学生が身をもって体験することが目的でした。一人一人が実験台となり、自らの生活習慣を一つ、一学期丸々かけて変える取り組みを行います。どのような形で健康促進に関わるとしても、言うは易く行うは難し、を常に心に留めることが大切であるという教授の教えのもと、一人ひとりの学生が自らに課題を課し、それをContractとして教授に誓いを立てます。結果としては私は当初の目標(週3回ジムに通い運動習慣を身に着ける)は未達成という情けない結果で終わってしまいました。この授業が大変だった理由は2つあります。1つは自らが立てた週3回ジムに習慣的に通うという目標は運動習慣のほとんど無かった私には急すぎたため、2つ目は目標を達成しなかった経緯について学んだ理論をもとに論理的に説明することが「未経験」のことであったため苦労しました。当初、授業を通して感じたいと思った「言うは易し行うは難し」を痛感したことはもちろん、お恥ずかしながら初めて、文献を読み漁り、理論とデータを照らし合わせながら少しずつ論文を書き上げていく、という作業を経験したように思いました。未熟な論文ながらも、表紙をつけて分厚い論文を提出した日の「やっとできた、、、」という達成感は忘れられません。
(写真1:「週3ジム」を守りサーシーでの運動に励んでいた時期の私)
2:留学を経てこれから挑戦したいこと
①第3言語の習得にチャレンジ!
たかが言語、されど言語。英語もままならない私が留学中に何度も感じたことでした。世界共通語の英語をより流暢に話すことが私の長年の目標でした。今まで、留学生のサポート活動を通して数か国語を自在に操る学生と何人も遭遇する度に、「英語もろくにできない私には無理無理、関係ない話。まずは英語」と割り切ってきました。しかしイリノイでの留学を通して少し感情に変化が起こりました。「無理かもしれないけど、やってみたい」、そう思えるようになりました。完璧に意思疎通を図れなくとも、その国を知っている、行ったことがある、言語を知っているというのは、初対面の人との心の距離をグンと近づけることを実感しました。英語を少し話せるようになっただけで広がった世界がありました。自分には無理だと敬遠せずに、出会えなかった人に出会えるかもしれない手段として、少しずつ挑戦したいと思います!韓国語、中国語、スペイン語、特に理由はありませんが、好きになれそうな、そして話せるようになってみたいと思うこの3つから1つを選んで一番楽しめる言語を学んでみたいと思います。
(写真2:英語、韓国語、日本語、中国語、スペイン語で各々からかわれてるのも気づかず笑、それでも笑いの絶えなかったみんなとの一枚)
②これが好きだ!と言えるものを作る
「趣味は何?」という質問は国内外問わず私が困ってしまう質問の一つです。「食べること~旅行すること~」と言って今までごまかしてきました。留学中に初対面の人に会った時、相手の自己紹介を聞いて、私は自分について語ることが無いことに気づきました。芸は身を助ける、と言いますが留学中はまさにそれを痛感しました。勉強だけではなく、音楽でもスポーツでも自分の好きなことがある人は男女問わず魅力的に感じられました。小さい頃からやらないと何事も身につかない、と思い込んで諦めていましたが、意外と大学生になってからギターを猛特訓した、昨年から茶道を初めてみた、今年初めてダンスに挑戦する、、、などなど、最近新しいことを始めた人に多く出会った気がします。「やりたいならやればいいじゃん?」という言葉は、出国前には他人事のように聞こえていましたが、そんな彼らに言われると、スッと心の中に入り込んできました。昔から憧れていた茶道にひょんなことからシャンペーンで出会えたので、これからも日本で続けていきたいと思います。また、アメリカで続かなかったジムに通い、以前かじったボクササイズに本格的に挑戦してみたいと思います(今日手続きを済ませてきました笑)。この先、趣味を通して新たな人々に出会ったり、辛いことを乗り越える活力を得ることが楽しみでワクワクします。
3:第41期小山八郎記念奨学生として留学できて良かったこと
この奨学金制度を知るまでは、大学の交換留学制度での留学を考えていました。しかし、出願先を決める上でこれといった決め手がなくモヤモヤしていました。そんな中で小山八郎記念奨学制度を知り、「これしかない」と思い応募をしました。大学の交換留学では中々挑戦することが難しい分野横断型の授業履修が可能なことはとても魅力的でした。政治経済学部では継続的に履修することができなかった公衆衛生学や国際保健といった授業を通して、「医療」という興味はあったけれど遠い存在であった分野に社会学や政治学など、自分が学んできた視点を掛け合わせて学べたことはとても刺激的でした。
また学習面以外では、日本館での活動に携われたことで留学前には気づけなかったような日本を見る視点を得られたと思います。日本に22年間生きてきて、気づかなかったこと、または気にしてこなかったことに向き合ったのはイリノイでの1年間だったと思います。訪れたことの無い日本の文化に興味を寄せ、生まれ育った国の風習とは全く違う日本の文化をキラキラしたまなざしで学ぶ学生や地域の方々には、多文化に興味を持ち学ぶ姿勢の素晴らしさを学びました。日本からきた日本人の私たちに、「浴衣と着物の違いは?」「箸を使うときの決まりは?」と素直に質問を投げかけてくれるものの、ごめんわからないや、調べてくるね、、、と苦笑いを浮かべるしかない自分に情けない思いを抱きました。日本に生まれ日本で育てば日本人、と疑いもしなかった自分ですが、自国のことをあまりにも知らなすぎる自分に直面しました。イリノイ大学での留学を通して更に外の世界に興味を持つとともに、生まれ育った国である日本のことについてより知りたくなった1年でした。
最後に
イリノイにいる間は1年間本当に目まぐるしい日々でした。日々の授業、試験、グループワーク、日本館での活動、就職活動、友人たちとの交流、、、。カラオケも遊園地もデパートもないトウモロコシ畑の真ん中で、目まぐるしい毎日を送っていました。朝起きてその日の流れを確認し、寝る前にも翌日の動きを思い浮かべる。日本でも動き回っているつもりではありましたが、イリノイでの1年間ではそれまでとは比にならない位、1日1日が濃かったように思います。最初の3か月は「異国での1年間てとてつもなく長い、、、」と凹んでいた時期もありましたが、少しずつ自分のリズムを掴みだしてからは瞬く間に時が過ぎ、今となっては夢のような1年でした。この1年間で自分のどんなところが変わったのか、正直自分ではまだわかりません。しかし、これから1年後、10年後、20年後に長い人生の中で振り返った時に、「イリノイでの経験が今に繋がっているんだ」と思える日が来るのが楽しみです。
(写真3:思い出沢山のクワッドでイリノイ大学を卒業した風の1枚)
現地では中々忙しくて3人で集うことは頻回にはありませんでしたが、それでも守崎さんと内倉君と3人で41期小山八郎記念奨学生としてイリノイ大学に留学したことは私の中で大きな意義があったと、留学前以上に強く感じております。自分の将来から逃げることなく、じっくりと向き合う二人の姿に、背筋の伸びる思いをしたことが何度もありました。私の変化にも敏感に気づいて声をかけてくれた守崎さん。男の子1人で肩身の狭い思いをさせてしまったかもしれませんが、いつも遊びも真面目な話し合いも積極的にリードしてくれた内倉君。面と向かっていうのは中々照れてしまうのでこちらで改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとう。
(写真4:朝食イベントを終えホッとした1枚)
そして最後に。いつも事後報告の私に呆れながらも支えてくれた両親、1年という時を全く感じさせない友人、イリノイで常に傍らで見守って下さった日本館の皆さま、そして未熟者の私に素晴らしい機会を与えて下さったJICの皆さまには言い尽くしきれない感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
これからは、42期、未来の奨学生、そしてJICの皆さまのお力になれるよう、非力ですがJICの一員として活動してまいりますのでご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。
第41期小山八郎記念奨学生
深見真優