深見真優さんの2017年7月分奨学生レポート

はじめに

皆さまお世話になっております。41期の深見真優です。

アメリカから帰国して2か月と10日が経ちました。自分がイリノイ大学に10か月留学していたことが、遠い昔話のようです。本当に私は留学していたのかな?と思うほどです。帰国して2日後から通常のフローに乗って就職活動をしていました。炎天下の中リクルートスーツに身を包み、日本語しか聞こえない電車に乗り、分刻みで面接に向かう。余韻に浸りながら少しずつ体を慣らすという感覚は一切なく、半ば力づくで時差ボケの体を就職活動の渦にねじ込んでいったような感覚でした。目まぐるしい就職活動を終え、リユニオンで皆様と42期にお会いし、日本の友人や家族と話す中で、落ち着きを取り戻し、漸く私の留学が一区切りしたように思います。こうしてレポートを書くことも最後になりますので、ゆっくりと振り返りをしたいと思います。

 

1:この留学を通して印象的だった授業

2:留学を経てこれから挑戦したいこと

3:第41期小山八郎記念奨学生として留学できて良かったこと

 

1:この留学を通して印象的だった授業

第3回目のレポートで私が受講していた授業の概要を書いたので、この1年間で特に印象的だった授業を前期と後期から1つずつ振り返りたいと思います。

Medical Sociology(前期)

医療社会学の授業を前期に履修しました。私が留学前に頭の中にぼんやりとあった「こんなことを勉強してみたい」という漠然としたイメージにピッタリな科目でした。将来、健康促進に携わりたいという思いが芽生えたものの、医療の道を志している訳ではない私が、どの様に健康に携わることができるのかがわかりませんでした。しかし、この授業を通して「病気にしない環境作り」「情報伝達技術を利用した健康管理」などの重要性に気づくことが出来ました。「健康=病院」という一辺倒な考え方ではなく、「健康」というキーワードに対して、文化的背景、地域行政、ビッグデータ、、、と、今までは気にしてこなかった要素が頭の中を駆け巡る感覚を覚えた授業でした。文系の私でも健康促進に携わることができるかもしれない、という前向きな考え方を得ることが出来ました。授業を一緒に履修していたクラスメートの希望する進路が様々なのも印象的でした。お医者さま、セラピスト、WHO、生命保険業界、、、。日本にいると中々受講する機会のなかった医療に関する授業を、社会学的観点から、多様な進路選択をする学生と受けられました。それによって、様々な方面から健康を支える視点を得られ、私の将来に新たな選択肢を加えることが出来たと思います。

Foundation of Health Behavior (後期)

前期に抽選漏れをしてしまい、後期にウェイティングリストに名前を載せ幸運にも受講することができた授業であり受講が始まった直後はワクワクした気持ちでいっぱいでした。しかし、後期の中盤には「大変な科目を履修してしまった、、、」と何度も心折れかけた科目でもありました。この授業は、健康習慣を変えることがいかに困難であるかを一人一人の学生が身をもって体験することが目的でした。一人一人が実験台となり、自らの生活習慣を一つ、一学期丸々かけて変える取り組みを行います。どのような形で健康促進に関わるとしても、言うは易く行うは難し、を常に心に留めることが大切であるという教授の教えのもと、一人ひとりの学生が自らに課題を課し、それをContractとして教授に誓いを立てます。結果としては私は当初の目標(週3回ジムに通い運動習慣を身に着ける)は未達成という情けない結果で終わってしまいました。この授業が大変だった理由は2つあります。1つは自らが立てた週3回ジムに習慣的に通うという目標は運動習慣のほとんど無かった私には急すぎたため、2つ目は目標を達成しなかった経緯について学んだ理論をもとに論理的に説明することが「未経験」のことであったため苦労しました。当初、授業を通して感じたいと思った「言うは易し行うは難し」を痛感したことはもちろん、お恥ずかしながら初めて、文献を読み漁り、理論とデータを照らし合わせながら少しずつ論文を書き上げていく、という作業を経験したように思いました。未熟な論文ながらも、表紙をつけて分厚い論文を提出した日の「やっとできた、、、」という達成感は忘れられません。

(写真1:「週3ジム」を守りサーシーでの運動に励んでいた時期の私)

 

2:留学を経てこれから挑戦したいこと

①第3言語の習得にチャレンジ!

たかが言語、されど言語。英語もままならない私が留学中に何度も感じたことでした。世界共通語の英語をより流暢に話すことが私の長年の目標でした。今まで、留学生のサポート活動を通して数か国語を自在に操る学生と何人も遭遇する度に、「英語もろくにできない私には無理無理、関係ない話。まずは英語」と割り切ってきました。しかしイリノイでの留学を通して少し感情に変化が起こりました。「無理かもしれないけど、やってみたい」、そう思えるようになりました。完璧に意思疎通を図れなくとも、その国を知っている、行ったことがある、言語を知っているというのは、初対面の人との心の距離をグンと近づけることを実感しました。英語を少し話せるようになっただけで広がった世界がありました。自分には無理だと敬遠せずに、出会えなかった人に出会えるかもしれない手段として、少しずつ挑戦したいと思います!韓国語、中国語、スペイン語、特に理由はありませんが、好きになれそうな、そして話せるようになってみたいと思うこの3つから1つを選んで一番楽しめる言語を学んでみたいと思います。

(写真2:英語、韓国語、日本語、中国語、スペイン語で各々からかわれてるのも気づかず笑、それでも笑いの絶えなかったみんなとの一枚)

 

②これが好きだ!と言えるものを作る

「趣味は何?」という質問は国内外問わず私が困ってしまう質問の一つです。「食べること~旅行すること~」と言って今までごまかしてきました。留学中に初対面の人に会った時、相手の自己紹介を聞いて、私は自分について語ることが無いことに気づきました。芸は身を助ける、と言いますが留学中はまさにそれを痛感しました。勉強だけではなく、音楽でもスポーツでも自分の好きなことがある人は男女問わず魅力的に感じられました。小さい頃からやらないと何事も身につかない、と思い込んで諦めていましたが、意外と大学生になってからギターを猛特訓した、昨年から茶道を初めてみた、今年初めてダンスに挑戦する、、、などなど、最近新しいことを始めた人に多く出会った気がします。「やりたいならやればいいじゃん?」という言葉は、出国前には他人事のように聞こえていましたが、そんな彼らに言われると、スッと心の中に入り込んできました。昔から憧れていた茶道にひょんなことからシャンペーンで出会えたので、これからも日本で続けていきたいと思います。また、アメリカで続かなかったジムに通い、以前かじったボクササイズに本格的に挑戦してみたいと思います(今日手続きを済ませてきました笑)。この先、趣味を通して新たな人々に出会ったり、辛いことを乗り越える活力を得ることが楽しみでワクワクします。

 

3:第41期小山八郎記念奨学生として留学できて良かったこと

この奨学金制度を知るまでは、大学の交換留学制度での留学を考えていました。しかし、出願先を決める上でこれといった決め手がなくモヤモヤしていました。そんな中で小山八郎記念奨学制度を知り、「これしかない」と思い応募をしました。大学の交換留学では中々挑戦することが難しい分野横断型の授業履修が可能なことはとても魅力的でした。政治経済学部では継続的に履修することができなかった公衆衛生学や国際保健といった授業を通して、「医療」という興味はあったけれど遠い存在であった分野に社会学や政治学など、自分が学んできた視点を掛け合わせて学べたことはとても刺激的でした。

 

また学習面以外では、日本館での活動に携われたことで留学前には気づけなかったような日本を見る視点を得られたと思います。日本に22年間生きてきて、気づかなかったこと、または気にしてこなかったことに向き合ったのはイリノイでの1年間だったと思います。訪れたことの無い日本の文化に興味を寄せ、生まれ育った国の風習とは全く違う日本の文化をキラキラしたまなざしで学ぶ学生や地域の方々には、多文化に興味を持ち学ぶ姿勢の素晴らしさを学びました。日本からきた日本人の私たちに、「浴衣と着物の違いは?」「箸を使うときの決まりは?」と素直に質問を投げかけてくれるものの、ごめんわからないや、調べてくるね、、、と苦笑いを浮かべるしかない自分に情けない思いを抱きました。日本に生まれ日本で育てば日本人、と疑いもしなかった自分ですが、自国のことをあまりにも知らなすぎる自分に直面しました。イリノイ大学での留学を通して更に外の世界に興味を持つとともに、生まれ育った国である日本のことについてより知りたくなった1年でした。

 

最後に

イリノイにいる間は1年間本当に目まぐるしい日々でした。日々の授業、試験、グループワーク、日本館での活動、就職活動、友人たちとの交流、、、。カラオケも遊園地もデパートもないトウモロコシ畑の真ん中で、目まぐるしい毎日を送っていました。朝起きてその日の流れを確認し、寝る前にも翌日の動きを思い浮かべる。日本でも動き回っているつもりではありましたが、イリノイでの1年間ではそれまでとは比にならない位、1日1日が濃かったように思います。最初の3か月は「異国での1年間てとてつもなく長い、、、」と凹んでいた時期もありましたが、少しずつ自分のリズムを掴みだしてからは瞬く間に時が過ぎ、今となっては夢のような1年でした。この1年間で自分のどんなところが変わったのか、正直自分ではまだわかりません。しかし、これから1年後、10年後、20年後に長い人生の中で振り返った時に、「イリノイでの経験が今に繋がっているんだ」と思える日が来るのが楽しみです。

(写真3:思い出沢山のクワッドでイリノイ大学を卒業した風の1枚)

 

現地では中々忙しくて3人で集うことは頻回にはありませんでしたが、それでも守崎さんと内倉君と3人で41期小山八郎記念奨学生としてイリノイ大学に留学したことは私の中で大きな意義があったと、留学前以上に強く感じております。自分の将来から逃げることなく、じっくりと向き合う二人の姿に、背筋の伸びる思いをしたことが何度もありました。私の変化にも敏感に気づいて声をかけてくれた守崎さん。男の子1人で肩身の狭い思いをさせてしまったかもしれませんが、いつも遊びも真面目な話し合いも積極的にリードしてくれた内倉君。面と向かっていうのは中々照れてしまうのでこちらで改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとう。

(写真4:朝食イベントを終えホッとした1枚)

 

そして最後に。いつも事後報告の私に呆れながらも支えてくれた両親、1年という時を全く感じさせない友人、イリノイで常に傍らで見守って下さった日本館の皆さま、そして未熟者の私に素晴らしい機会を与えて下さったJICの皆さまには言い尽くしきれない感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

これからは、42期、未来の奨学生、そしてJICの皆さまのお力になれるよう、非力ですがJICの一員として活動してまいりますのでご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。

 

第41期小山八郎記念奨学生

深見真優

守埼美佳さんの2017年7月分奨学生レポート

みなさまご無沙汰しております。第41期奨学生の守崎美佳です。帰国後1ヶ月以上が経ち、留学前の経験が懐かしく思い出されるこの時期にレポートを書いています。

 

1,帰国後の所感

思えば留学前に掲げた目標の一つに、「 アメリカの組織から合理的な運営体制の秘訣を学び、日本の組織に貢献する」という目標を掲げました。

私は今、幸運なことに会社でインターンをさせていただいておりますが、留学中やその直後の理想と、環境に合わせるという現実の乖離に、少し戸惑いを覚えています。

1−1 アメリカ型組織と日本型組織の違い

一言で言えば、サークル型と部活型と言えるでしょう。どちらも1つの目的を達成する上で人が集まって組織を作っている点は同じです。ただ、アメリカは自由・平等を大切にし、互いに敬意を持ちながらも互いに友好的に接します。大きく地位が異なっていても、互いに世間話、家族の話はもちろん、雑談をする機会なども与えられるようです。一方日本では地位の違いはより強く出ます。会社の上司の言うことに逆らったりフレンドリーに接したりすることは仕事の場だけでなくプライベートの場でも推奨されないような気がします。

それではこの職場環境を簡単に変えることはできるでしょうか。現時点では、あまりそうは思いません。新人としては、常に自分が職場で評価されている状態にあります。そのため、自分の目上の人が「こうあるべき」という態度で接することが求められます。上司が上下関係のはっきりした接し方を好む場合、こちら側がフレンドリーに接することは、「空気が読めない」「常識がない」という評価をくだされがちです。そのため、少なくとも組織の下の位にいる間は、その組織の文化に自分を合わせることになります。

ただし、例えば上下関係に対してもどかしさを感じた時、「このやり方だけが唯一の組織文化ではなくて、例えばアメリカではもっと違うやり方があって。」という思いを常に自分の中に留めておくと、心の中の逃げ道になるかもしれません。

ただし、必要な場合には自己主張ができるということは、日本の組織の中でも必要とされ、留学経験者であればより容易にできる点だと思います。確立されたやり方が存在する組織の中では、そうしたやり方に従うことが必要ですが、いつ何時でも「先例に従うこと」「上の指示に従うこと」を行動原則にせず、十分な証拠と考察を得た上で自分が正しいと考える点については恐れずに質問をし、議論をすることが、最終的にはよりよい結果になることは多分にあります。そうした場面に出会った時、留学を通じて立場を越えて議論をする文化に慣れていれば、臆せずに自分の意見を主張できるのではないでしょうか。

1−2 英語

企業にもよりますが、これば確実に留学の成果の一つです。資料の和訳案件や英語でのやり取りは多く、それらがスムーズにできれば情報伝達の速さと正確さが補償されるので、確実にプラスです。ただし、使う英語はビジネス英語であるため、帰国後の就職を見据えている場合は、日常会話の英語を学ぶことで満足するのではなく、ビジネス英語を学ぶことを視野に入れるとよいでしょう。

 

2,今後の留学生の方へのアドバイス

 

老婆心ながら、今後の留学に行かれる方のために、自分の経験と反省を踏まえて幾つかアドバイスをさせていただきます。

 

  1. 現地でコミュニティを見つけましょう。
    授業だけではインタラクティブな交流は少ないためです。できれば自分が完全にアウエーの立場であるコミュニティに入るといいかなと思います。

  2. 達成したかどうかがわかる目標を作りましょう。
    これは留学中に限りませんが、せっかく時間と費用を割いて貴重な経験をしているので、それが無駄にならないようにもそうするといいと思います。初めに明確な目標を設定し、帰国前まで定期的にそれを評価すれば、「楽しかったー」という感想だけで終わる留学になることを避けられます。

  3. 留学の目的と、その目的を達成する上で留学が本当にいいのかを、留学を決める前にもう一度考え直しましょう。
    とりわけ、学びたい学問があって留学に行く場合は、英語の情報伝達であることによって学ぶことのできる量が減ってしまうことを予め想定しておくべきだと思います。

  4. シャンペーン・アーバナという地
    知っている人は知っているかもしれませんが、シャンペーン・アーバナという地はシカゴから3時間離れた田舎にあります。そのため、同じ「アメリカ留学」と言っても、大都市にある学校に行くのとでは環境も得られる経験も異なります。例えば、シャンペーンでは自然に囲まれてアジア人も多く混ざる環境で勉強に集中することはできます。キャンパスの中ではアルバイトなど多様な経験もあります。ただし、キャンパスの外で得られる経験はあまり多くありません。こういった点を加味し、自分の留学の目的を達成する上でこの大学が最も良いのか、比較対象がある場合には情報収集などもした上で判断するといいでしょう。

 

生まれて初めての留学生活は私にとって間違いなく貴重な経験となりました。少しでも多くの方が、この機会を利用して有意義な時間を過ごされることをお祈りします。

写真:帰国後直前の旅行先の湖の浜辺で。

内倉悠さんの2017年4月分奨学生レポート

 JICの皆さま、ご無沙汰しております。第41期奨学生の内倉悠です。4月も後半にさしかかり、今期の奨学生の留学期間も残すところあと数週間となりました。イリノイでは早くも初夏のような心地よい陽気に恵まれ、夜まで半袖で過ごす日も増えている一方で、時折、昨年の夏に初めてこの地に来た時と同じような草木の匂いがすると、「あぁ、終わってしまうのか。。。」と寂しさも感じております。今回のレポートでは、春休みを利用して参加したメキシコでのワークショップ、日本からシェフ榎本さんをお迎えして行った一連の食に関するイベント、そして留学終盤に差し掛かって感じていることの3点に関して書かせていただこうと思います。

RAW Real Architecture Workshop

 RAWは「建築を専攻する学生に、設計スタジオでの架空の設計だけではなく、実際に設計し施工するところまで体験することで、建築設計を違う視点から見る機会を与える」というコンセプトのもと、全米各地から10名前後の学生が集まり、数人のインストラクター、現地の人びとのサポートを受けながら、自分たちの力でデザインから施工まで行うというワークショップです。毎年様々な国や場所で開催されているのですが、今年はメキシコはOaxaca(オアハカ)という街の外れにあるeco tourismを推進する村に屋外イベント(BBQなど)用の簡易施設をつくりました。ちなみに、普段の設計スタジオは約2ヶ月程かけて一つの建築物を設計するのですが、今回は施工も含めてわずか10日間という、規模は小さいといえどハード(というより、ほとんど不可能に近い)なスケジュールでした。

 建築を専攻する学生はいい意味でも悪い意味でも、みな自分の設計が一番いいと思っているところがあるので(笑)、デザインを決めるのは非常に困難な作業でした。正直なところ、初日は周りの学生に圧倒され、ほとんど口を挟めずに終わるという苦い経験をしました。初日の夜、「まずい、このままじゃデザイン段階で存在価値ゼロのままただの労働力になる。。。」と猛省し、二日目から押されつつも、言葉だけでなくスケッチなども交えながら違うと思ったことは違うと主張するようにしました。(寸法などやたら数字を出すとみな考え始めるので、その間にこちらは英語で主張を組立てるという作戦でなんとか応戦しました。)

 そんな調子でデザイン期間だけであっという間に3日間が経過し、4日目からはついに施工に取り掛かりました。前段階で、既に現地で調達できる資材(木材、モルタルなど)を確認してデザインを決めたため、滑り出しはすこぶる順調でした。さりげないことではありますが、このような山奥だと建築用資材を調達するだけでも一苦労。主な資材は近場で採れた木と使われずに残っていたモルタルで、とうぜん当初のデザイン案とは資材の長さや量がマッチせず、それも考慮して少しずつ(エッセンスは残しながら)デザインを変えるという要領で徐々に完成形に近づけていきます。この状況は、実際の現場では多々あることですが(新国立競技場のザハ案(前案)はその最たる例として挙げられます)、大学の設計スタジオでは基本的に材料・資金は無限にあることを前提に設計するため、なかなかこういった経験をすることはできません。これもワークショップで体験できるひとつの醍醐味です。でも実はこういう風に試行錯誤することで、よりよい案が出てくることも多くあります。”足るを知る”と今まで気付かなかったことがおのずと見えてくるようになるのかもしれません。

 途中何度か意見の相違から口論になるところもありましたが、振り返ってみるとあっとい間、中身の詰まった10日間でした。思ったことを全て吐き出して議論すると最終的にはみんな笑顔で終えることができる、シンプルですが”日本人”の自分にはなかなかできない、新しい価値観だったと思います。それともうひとつ、日本人だから~といってもてはやされるのはもう古いのかもしれません。戦後、国際社会の中で地位を確立してきたからこそ、改めて対等に立ち振舞う必要がある。日本人というアイデンティティは実はただ日本人の親から生まれたことで受動的に受け取ったラベルなんだというこということをふと考えさせられた瞬間でした。国籍などの”何者か”というラベルよりも、”何をやっているか”という内面を重んじるのがアメリカという国なのかもしれません。そもそも”建築”という、国家の枠組みを超えた人類の根源的な欲求を満たす行為において、国籍の話を持ち出すこと自体がナンセンスなのでしょう。アメリカという国が、そして”建築する”という行為が、より一層魅力的に思えた瞬間でした。


(写真1)最終日はみんな笑顔

Enomoto-san Event & Interview 2016.4.23

 一昨年、2015年度に日本館で行われた日本食懐石イベントに引き続き、約2年ぶり2度目の開催となった今回のイベント。日本より榎本鈴子シェフをお迎えして日本館協力のもと行われた一連のイベントに、通訳としてお手伝いさせていただきました。2度目の開催となった今年は、日本館でのopen houseに加え、Downtown ChampaignにあるカフェCream & Flutterと創作フレンチレストランBacaroでのコラボレーションイベントも企画され、日本館だけではなくシャンペーンのlocal community全体との直接的な交流が図られました。41期の奨学生三人でそれぞれ分担してイベント通訳を担当し、僕は4月23日にカフェCream & Flutterで行われたCafé Ozanのプロモーションイベントのお手伝いをさせていただきました。

 本番までプレゼンテーションの内容が分からず台本も無かったため、正直なところ「これは、通訳大丈夫かな、、、」とかなりナーバスになりながら本番前のセッティングのお手伝いに行くと、「実は私もよく分からないのよね~」とあっさり笑う榎本さんにお会いし、拍子抜けしました。「あぁ、このスタンスがプロなんだろうな。」とあっけにとられながらも、隣で通訳をしながら、同時に一人の聴衆として、一人のファンとして、純粋にイベントを楽しませていただきました。「この人はビジネスでこのイベントをやっているわけじゃない、売ろうと思って宣伝しているわけじゃない、純粋に自分の好きなこと・情熱を注ぐものを他の人々と共有しようとしてるだけなんだ。」そう直感的に思わせる、素敵な方でした。ひとつひとつ丁寧に作り込まれたラスクはまさにそんな榎本さんを象徴するかのような“作品“で、プレゼンテーションを聞いた後に頂いたお菓子からは、榎本さんの人生が練り込まれたような、魂の乗り移ったような感慨深さを感じました。”モノに記憶が乗り移ったとき、モノはモノであることから解放される”という感覚を体感した瞬間でした。

 留学前、JICの活動の一環として“住“のプロ、建築家の隈研吾さんにインタビューさせていただきました。今回は“食“のプロ、榎本鈴子さんとイベントをご一緒させていただきました。どことなく似たような温和な雰囲気を纏い、周囲を魅了するお二人。二人のプロエッショナルは共に、それぞれの道を究め、溢れんばかりの情熱をエネルギーに走り続ける「夢追人」でした。

(榎本さんインタビューの詳細は別途、インタビュー記事にて掲載させていただきます。)

(写真2)Café Ozanの一つ一つ丁寧に作られたラスク

“幸せ“とは何か

 今年は様々な場所を訪れ、様々な方にお会いする中で、多くの価値観に触れることができた一年間だったと感じています。自分の周囲の環境がいかに特異なものであったか、自分の価値観がいかに偏ったものであったかを痛感しました。

 冬休みを利用して訪れたユタでは、5年前にショートステイでお世話になった家族のもとで再び一緒の時間を過ごしました。ユタ州の州都ソルトレイクシティには敬虔なキリスト教の一派であるモルモン教の総本山があります。それゆえ、お世話になった家族をはじめ、その地域に住む人々はそのほとんどがモルモン教徒そして生粋の白人家系でした。お酒、タバコ、夜遊びは一切無し、毎週日曜日は家族で教会に赴く、食事の前・寝る前には必ずお祈りをするという教訓が生活の一部になっています。教会は祈りの場であると同時に、人々の交流の場になり、5年前に行ったときのことを覚えてくれていた友達に会うなど、改めてローカルな繋がりの魅力を感じました。家族の中心は母親。母親がyesといえばyes、noといえばno、それもいわゆる“かかあ天下“とは全く違った心地よい家族関係でした。家族というもののあり方が日本とは根本的に違う。そうなると、家のあり方もおのずと変わってきます。住宅を設計するとき、この”家族のあり方“というものが非常に重要なテーマになるのですが、自分の価値観は極めて日本的な、局所的で偏った考え方なんだというのを感じました。ほとんどが白人家系の地域にも関わらず外部からの人に対しても非常にオープンな雰囲気は、かつて西部開拓の最前線として人々が移住してきた頃からの名残なのでしょうか。ふと、アメリカという国の記憶に触れたような、そんな気持ちになりました。ここには高層ビルもコンビニも無く、娯楽施設といえば街外れにあるトランポリン場くらい。それでもここの人たちは笑顔が絶えない。あえてこの地に住み続けることを選んでいる人たちです。

(写真3)雄大な自然に囲まれたユタ州

 この留学期間中、合計して約1ヶ月弱を隣国メキシコで過ごしました。特に春休みに行ったオアハカという町はスペイン植民地時代の色が色濃く残る一方で、かつてその場で栄えていた古代文明の名残もしっかりと継承された“文化”の感じられる街です。オアハカは“死者の祭“(映画「007」最新作の冒頭シーンで有名になりました。)発祥の地として知られた現在メキシコシティについで第2の人口規模を誇る街です。”死”をもって、初めて人生が始まるという独特の世界観を持ったこの街では、毎日のように何かのパレードが行われます。結婚式、出産、そして別れの時など、人生の節目を祝って地域の人々が街を練り歩きます。“死“というものを終わりではなく、一つの節目ととらえる。どこか仏教における輪廻転生/解脱の思想と似たところがあります。死の後に真の人生を迎えるという思想ゆえ、死に対する考え方が違うからなのか、街の人からは老若男女問わず非常におおらかな印象を受けました。日本やアメリカに比べると、決して住みやすいとは言えない小さな街です。インフラ設備も整っていなければ、町には野良犬がうろつき、道路は車でごった返しています。それでも天からは眩しい陽射しが降り注ぎ、周囲を山々に囲まれたこの街から活気が尽きることはありません。「死ぬために生きる」、この表現が適切かどうかはわかりませんが、ここでもまた、いままでの価値観と大きく異なるものに触れることができました。Oaxaca(オアハカ)、機会があればぜひ皆さんにも訪れていただいたい街です。

(写真4)オアハカのパレード

 こうして振り返ってみると、果たして“幸せ”とは何なのだろうと考えさせられます。異なる文化、異なる価値観では当然そのものさしも変わってくる。自分にとっての“幸せ”もきっと多くあるものさしうちの1つに過ぎないのでしょう。そう考えると、功利主義における「最大多数の最大幸福」という概念は、資本主義のような一義的な考えでは当然満たすことのできないものだ、という意見にも納得できる気がします。近年のAlter-Globalizationな風潮を見ていると、この幸せのものさしの違いにこそ、これからの世の中のあり方に関わるヒントが隠されている気がします。