内倉悠さんの2017年7月分奨学生レポート

0.   はじめに

JICの皆様ご無沙汰しております。41期奨学生の内倉悠です。イリノイ大学での留学を終え5月末に帰国してから、早くも約2ヶ月が経ちました。帰国後、間髪をあけずに場所を広島へ移し、設計事務所でのインターンを経て、先日約1年ぶりに東京の実家へと戻って参りました。ようやく少し身を落ち着かせ、イリノイで過ごした日々を思い返しながら、この留学が自分にとってどんな意味を持ったものだったのか、ゆっくりと向き合い始めております。

(写真1)ちょうど一年前、イリノイ大学に到着した日に撮影したクアッドの風景

  1.  カコと留学

今振り返ってみると、自分にとって『留学』というものは昔から割りと身近な存在だったように思えます。5年前、兄が同奨学制度の第36期としてイリノイ大学へ行かせていただいたこともあり、家族の中で『留学』に関する話題が上ることはしばしばありました。それでも当時高校2年生だった僕は、何よりも友達と遊ぶこと、文化祭で盛り上がることしか頭になく、何気なく耳にしていた留学の話は他人事だと割り切っていたように思います。

そんなこんなで、特にアクションを起こすことなく周りと同じ受験の流れに乗って、幼い頃から興味があった建築という分野を学ぶために東京大学へと進学するに至りました。入学時から専攻したい分野が決まっていたため、教養学部の必修授業には全く熱が入らず、選択科目では建築や都市、空間に関する授業ばかりを履修していました。教養学部というのは本当に必要なのだろうか。これは単なるモラトリアムに過ぎないのではないか。何度もそんな思いを抱いていたのを今でも覚えています。

 

 その後、2年次の後期にあった進路振り分けを経て、かねてより希望していた建築学科へと進学することとなったのですが、そこでの生活が留学を志望した大きな転機となりました。建築学科には設計製図という学科のメインとなる授業があり、課題締め切り前には製図室に何日も泊り込んで作業をします。そうなると自然と同期の人たちとも距離が近くなります。最初は「みなで頑張ろう」という+の効果があったのですが、時にその仲の良さが裏目に出て、全体のスピードを緩めているなとも感じていました。自分にとって建築学科は非常に心地よい場所でしたし、楽しい大学生活を送っていたように思います。それでもどこか、後ろめたさのような、何か物足りなさを感じていたのも事実です。「このままやっても、周りの人と同じこと、もしくはそれ以下のことしかできないだろうな」というあせりは、個性を必要とする建築家にとって終わりを意味するものだと、日を追うごとに不安が募っていきました。これが留学を志した一つ目の理由です。

 

 もう1つは、より広い視点から建築を見たときに、建築という職業がとても閉鎖的なコミュニティに見えたことです。本屋に行くと、建築思想に関連する本がいかに沢山出版されているかが分かります。建築学生の間では、本を読んでそれに対して自分の考えを批評することで面子を保つような風潮がちらほら見受けられます。それ自体はすごく糧になることですし、自身の考え方を触発してくれるいい学びだと思います。しかしどうも難しい単語や思想で、建築家が他を寄せ付けないようにしている、建築家がそういう言葉で武装しているようにも思えたのです。「建築家の言うことはよく分からないけど、あの先生が言うことなら正しいのだろう。」という雰囲気があったのですが、捻くれモノの僕は、「言ってることはまぁ分からなくはないけど、できた建築が素敵だとは全く思わない。」と心の中で思っていました。よくわからない建築家の思想にお金が出されるというイイ時代はとっくに終わっているのに、その時代に書かれた本を読んでも仕方が無いじゃないか、と。

建築家は建築家以外の人と対話できなければなりませんし、いまの建築家の職能は、昔の作るだけの職業とは大きく変わってきています。建築学科という狭いコミュニティにいるだけでは、いつまで経っても一流の建築家にはなれないだろうなと、隈研吾さんへのインタビューを通して確信しました。これが留学を志した二つ目の理由です。

(写真2)昨年、留学前に行った隈研吾さんへのインタビュー

2.   ミライと留学

広島では、三分一博志さんという瀬戸内を中心にご活躍される建築家の方のもとで、帰国後約二ヶ月間お世話になりました。三分一さんは風・水・太陽という古来から存在した“動く素材“に注目し、歴史の中で人がそれらとどのように関わってきたのか、一年以上に及ぶ綿密なリサーチを行いながら紐解いてゆき、その場所にしかない、その場所の魅力を一番に引き出してくれる建築を創るという思想を掲げています。科学的リサーチに裏付けられた設計は観念的なコンセプトのみの曖昧さを打ち消し、世界中のどこでも展開することのできるこの思想は、国家や行政といった既存の枠組み・システムを超越して場所と場所をダイレクトに繋ぐことのできる、非常に魅力的なものだと感じました。広島と海外がスカイプを介してあっさりと繋がる様子には、思わず笑ってしまうような感動を覚えます。建築にはこういう風に世界を軽やかに繋いでいけるような魅力があるんだと、肌身で感じた瞬間でした。

(写真3)おりづるタワーから広島の街並みを望む

 

建築家として「世の中を変えたい」と思うときの「世の中」の射程は、世界全体かもしれないですし、小さな村かもしれない、もしくは自分の周りの人たちかもしれません。でも、いずれにしても「世の中」が建築以外の分野の人たちから構成されることは間違いないと思いますし、その場所は世界のどこにでもなりうると思います。そういう職業だからこそ、大学生という多感な時期に、comfort zoneを出て世界を少しでも感じることができた今回の経験は、今後、自分が建築家としてのどのように社会と関わっていくか、その可能性を大きく広げてくれるものだったと思います。留学で得た学問的な学びはもちろんのこと、この留学を通して多様なバックグラウンドをもった人たちと繋がることができたのは、今後自身の生き方や考え方を見つめなおす上で大きな刺激になると確信しています。同じ第41期として、留学という特別な期間を一緒に過ごした深見さんと守崎さんとは、学年も専攻もみなバラバラでしたが、それゆえに感じる面白さや難しさは、良い意味で非常に刺激的なものでした。

(写真4)日本館での朝食イベント後、41期3人で

 

この後も8月は東京で、9月はイタリアで建築関係のインターンさせていただけることになっております。これら全ての選択が、イリノイでの留学経験とリンクし、バラバラだったパズルがカチッと組み合わさっていくような充足感を覚えます。一年前は想像もしていなかったようなことが次から次へと起き、まだ日本の大学に復学する心構えが十分にできていないような気もしますが、与えていただいた機会を確実にものにし、今後ともしっかりと地に足をつけて精進して参りたいと思います。

 

 最後になりましたが、この場をお借りして、この一年間大変お世話になりました小峰会長、矢部先生はじめ、JICの皆様に心より感謝申し上げまして、結びの言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。

2017.07.31

第41期小山八郎記念奨学生

内倉 悠

内倉悠さんの2017年4月分奨学生レポート

 JICの皆さま、ご無沙汰しております。第41期奨学生の内倉悠です。4月も後半にさしかかり、今期の奨学生の留学期間も残すところあと数週間となりました。イリノイでは早くも初夏のような心地よい陽気に恵まれ、夜まで半袖で過ごす日も増えている一方で、時折、昨年の夏に初めてこの地に来た時と同じような草木の匂いがすると、「あぁ、終わってしまうのか。。。」と寂しさも感じております。今回のレポートでは、春休みを利用して参加したメキシコでのワークショップ、日本からシェフ榎本さんをお迎えして行った一連の食に関するイベント、そして留学終盤に差し掛かって感じていることの3点に関して書かせていただこうと思います。

RAW Real Architecture Workshop

 RAWは「建築を専攻する学生に、設計スタジオでの架空の設計だけではなく、実際に設計し施工するところまで体験することで、建築設計を違う視点から見る機会を与える」というコンセプトのもと、全米各地から10名前後の学生が集まり、数人のインストラクター、現地の人びとのサポートを受けながら、自分たちの力でデザインから施工まで行うというワークショップです。毎年様々な国や場所で開催されているのですが、今年はメキシコはOaxaca(オアハカ)という街の外れにあるeco tourismを推進する村に屋外イベント(BBQなど)用の簡易施設をつくりました。ちなみに、普段の設計スタジオは約2ヶ月程かけて一つの建築物を設計するのですが、今回は施工も含めてわずか10日間という、規模は小さいといえどハード(というより、ほとんど不可能に近い)なスケジュールでした。

 建築を専攻する学生はいい意味でも悪い意味でも、みな自分の設計が一番いいと思っているところがあるので(笑)、デザインを決めるのは非常に困難な作業でした。正直なところ、初日は周りの学生に圧倒され、ほとんど口を挟めずに終わるという苦い経験をしました。初日の夜、「まずい、このままじゃデザイン段階で存在価値ゼロのままただの労働力になる。。。」と猛省し、二日目から押されつつも、言葉だけでなくスケッチなども交えながら違うと思ったことは違うと主張するようにしました。(寸法などやたら数字を出すとみな考え始めるので、その間にこちらは英語で主張を組立てるという作戦でなんとか応戦しました。)

 そんな調子でデザイン期間だけであっという間に3日間が経過し、4日目からはついに施工に取り掛かりました。前段階で、既に現地で調達できる資材(木材、モルタルなど)を確認してデザインを決めたため、滑り出しはすこぶる順調でした。さりげないことではありますが、このような山奥だと建築用資材を調達するだけでも一苦労。主な資材は近場で採れた木と使われずに残っていたモルタルで、とうぜん当初のデザイン案とは資材の長さや量がマッチせず、それも考慮して少しずつ(エッセンスは残しながら)デザインを変えるという要領で徐々に完成形に近づけていきます。この状況は、実際の現場では多々あることですが(新国立競技場のザハ案(前案)はその最たる例として挙げられます)、大学の設計スタジオでは基本的に材料・資金は無限にあることを前提に設計するため、なかなかこういった経験をすることはできません。これもワークショップで体験できるひとつの醍醐味です。でも実はこういう風に試行錯誤することで、よりよい案が出てくることも多くあります。”足るを知る”と今まで気付かなかったことがおのずと見えてくるようになるのかもしれません。

 途中何度か意見の相違から口論になるところもありましたが、振り返ってみるとあっとい間、中身の詰まった10日間でした。思ったことを全て吐き出して議論すると最終的にはみんな笑顔で終えることができる、シンプルですが”日本人”の自分にはなかなかできない、新しい価値観だったと思います。それともうひとつ、日本人だから~といってもてはやされるのはもう古いのかもしれません。戦後、国際社会の中で地位を確立してきたからこそ、改めて対等に立ち振舞う必要がある。日本人というアイデンティティは実はただ日本人の親から生まれたことで受動的に受け取ったラベルなんだというこということをふと考えさせられた瞬間でした。国籍などの”何者か”というラベルよりも、”何をやっているか”という内面を重んじるのがアメリカという国なのかもしれません。そもそも”建築”という、国家の枠組みを超えた人類の根源的な欲求を満たす行為において、国籍の話を持ち出すこと自体がナンセンスなのでしょう。アメリカという国が、そして”建築する”という行為が、より一層魅力的に思えた瞬間でした。


(写真1)最終日はみんな笑顔

Enomoto-san Event & Interview 2016.4.23

 一昨年、2015年度に日本館で行われた日本食懐石イベントに引き続き、約2年ぶり2度目の開催となった今回のイベント。日本より榎本鈴子シェフをお迎えして日本館協力のもと行われた一連のイベントに、通訳としてお手伝いさせていただきました。2度目の開催となった今年は、日本館でのopen houseに加え、Downtown ChampaignにあるカフェCream & Flutterと創作フレンチレストランBacaroでのコラボレーションイベントも企画され、日本館だけではなくシャンペーンのlocal community全体との直接的な交流が図られました。41期の奨学生三人でそれぞれ分担してイベント通訳を担当し、僕は4月23日にカフェCream & Flutterで行われたCafé Ozanのプロモーションイベントのお手伝いをさせていただきました。

 本番までプレゼンテーションの内容が分からず台本も無かったため、正直なところ「これは、通訳大丈夫かな、、、」とかなりナーバスになりながら本番前のセッティングのお手伝いに行くと、「実は私もよく分からないのよね~」とあっさり笑う榎本さんにお会いし、拍子抜けしました。「あぁ、このスタンスがプロなんだろうな。」とあっけにとられながらも、隣で通訳をしながら、同時に一人の聴衆として、一人のファンとして、純粋にイベントを楽しませていただきました。「この人はビジネスでこのイベントをやっているわけじゃない、売ろうと思って宣伝しているわけじゃない、純粋に自分の好きなこと・情熱を注ぐものを他の人々と共有しようとしてるだけなんだ。」そう直感的に思わせる、素敵な方でした。ひとつひとつ丁寧に作り込まれたラスクはまさにそんな榎本さんを象徴するかのような“作品“で、プレゼンテーションを聞いた後に頂いたお菓子からは、榎本さんの人生が練り込まれたような、魂の乗り移ったような感慨深さを感じました。”モノに記憶が乗り移ったとき、モノはモノであることから解放される”という感覚を体感した瞬間でした。

 留学前、JICの活動の一環として“住“のプロ、建築家の隈研吾さんにインタビューさせていただきました。今回は“食“のプロ、榎本鈴子さんとイベントをご一緒させていただきました。どことなく似たような温和な雰囲気を纏い、周囲を魅了するお二人。二人のプロエッショナルは共に、それぞれの道を究め、溢れんばかりの情熱をエネルギーに走り続ける「夢追人」でした。

(榎本さんインタビューの詳細は別途、インタビュー記事にて掲載させていただきます。)

(写真2)Café Ozanの一つ一つ丁寧に作られたラスク

“幸せ“とは何か

 今年は様々な場所を訪れ、様々な方にお会いする中で、多くの価値観に触れることができた一年間だったと感じています。自分の周囲の環境がいかに特異なものであったか、自分の価値観がいかに偏ったものであったかを痛感しました。

 冬休みを利用して訪れたユタでは、5年前にショートステイでお世話になった家族のもとで再び一緒の時間を過ごしました。ユタ州の州都ソルトレイクシティには敬虔なキリスト教の一派であるモルモン教の総本山があります。それゆえ、お世話になった家族をはじめ、その地域に住む人々はそのほとんどがモルモン教徒そして生粋の白人家系でした。お酒、タバコ、夜遊びは一切無し、毎週日曜日は家族で教会に赴く、食事の前・寝る前には必ずお祈りをするという教訓が生活の一部になっています。教会は祈りの場であると同時に、人々の交流の場になり、5年前に行ったときのことを覚えてくれていた友達に会うなど、改めてローカルな繋がりの魅力を感じました。家族の中心は母親。母親がyesといえばyes、noといえばno、それもいわゆる“かかあ天下“とは全く違った心地よい家族関係でした。家族というもののあり方が日本とは根本的に違う。そうなると、家のあり方もおのずと変わってきます。住宅を設計するとき、この”家族のあり方“というものが非常に重要なテーマになるのですが、自分の価値観は極めて日本的な、局所的で偏った考え方なんだというのを感じました。ほとんどが白人家系の地域にも関わらず外部からの人に対しても非常にオープンな雰囲気は、かつて西部開拓の最前線として人々が移住してきた頃からの名残なのでしょうか。ふと、アメリカという国の記憶に触れたような、そんな気持ちになりました。ここには高層ビルもコンビニも無く、娯楽施設といえば街外れにあるトランポリン場くらい。それでもここの人たちは笑顔が絶えない。あえてこの地に住み続けることを選んでいる人たちです。

(写真3)雄大な自然に囲まれたユタ州

 この留学期間中、合計して約1ヶ月弱を隣国メキシコで過ごしました。特に春休みに行ったオアハカという町はスペイン植民地時代の色が色濃く残る一方で、かつてその場で栄えていた古代文明の名残もしっかりと継承された“文化”の感じられる街です。オアハカは“死者の祭“(映画「007」最新作の冒頭シーンで有名になりました。)発祥の地として知られた現在メキシコシティについで第2の人口規模を誇る街です。”死”をもって、初めて人生が始まるという独特の世界観を持ったこの街では、毎日のように何かのパレードが行われます。結婚式、出産、そして別れの時など、人生の節目を祝って地域の人々が街を練り歩きます。“死“というものを終わりではなく、一つの節目ととらえる。どこか仏教における輪廻転生/解脱の思想と似たところがあります。死の後に真の人生を迎えるという思想ゆえ、死に対する考え方が違うからなのか、街の人からは老若男女問わず非常におおらかな印象を受けました。日本やアメリカに比べると、決して住みやすいとは言えない小さな街です。インフラ設備も整っていなければ、町には野良犬がうろつき、道路は車でごった返しています。それでも天からは眩しい陽射しが降り注ぎ、周囲を山々に囲まれたこの街から活気が尽きることはありません。「死ぬために生きる」、この表現が適切かどうかはわかりませんが、ここでもまた、いままでの価値観と大きく異なるものに触れることができました。Oaxaca(オアハカ)、機会があればぜひ皆さんにも訪れていただいたい街です。

(写真4)オアハカのパレード

 こうして振り返ってみると、果たして“幸せ”とは何なのだろうと考えさせられます。異なる文化、異なる価値観では当然そのものさしも変わってくる。自分にとっての“幸せ”もきっと多くあるものさしうちの1つに過ぎないのでしょう。そう考えると、功利主義における「最大多数の最大幸福」という概念は、資本主義のような一義的な考えでは当然満たすことのできないものだ、という意見にも納得できる気がします。近年のAlter-Globalizationな風潮を見ていると、この幸せのものさしの違いにこそ、これからの世の中のあり方に関わるヒントが隠されている気がします。

内倉悠さんの2017年1月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。41期奨学生の内倉悠です。留学生活も後半に差し掛かり、流れる時間の早さを実感しています。二月に入り冬の寒さも少し和らいだことで、キャンパス近辺を歩く機会も増えてきました。こちらに来た当初は気付かなかったシャンペーンのさりげない日常の風景を目に焼き付けながら、残されたイリノイでの生活を楽しんでおります。今回の奨学生レポートでは①冬期休暇、②今期履修中の授業の二点に関してご報告させていただきたいとおもいます。少々冗長になってしまいましたが、目を通していただけると幸いです。

(写真1)夕暮れ時、真っ赤に染まったシャンペーン

冬季休暇

約一ヶ月の冬季休暇を利用し、中高同期の友人と共に、かねてよりぜひ訪れてみたかったメキシコに行って参りました。首都メキシコシティ、町全体が世界遺産の地方都市グアナファト、そして言わずと知れた中米屈指のリゾート地カンクンの3都市を約2週間かけて周りました。

首都メキシコシティに着くやいなや、予想以上に英語が通じないことに動揺しつつも、Uberで中心部に借りたアパートへ。40分ほどの距離もわずか$5と物価の安さにも動揺が隠しきれません。次の日から早速市街地散策へ繰り出します。メキシコシティは観光地というよりlocalな居住地、商業地という印象が強く、食事も朝は朝市のタコスを、昼は屋台のタコスを、夜はレストランのタコスをとMexiconizeに余念がありません。もはやここまでくると英語を喋る方が恥ずかしくなり、スペイン語風のスペイン語(?)でウェイターをまくし立てるところまでやれば、気分はもうメキシコ人です。

居住区内は家々が所狭しと密集しており、自身のテリトリーを主張するかのように灰色に薄汚れたコンクリート塀が張り巡らされています。無機質なモダン建築が立ち並ぶ中、スペイン植民地時代の影響か色鮮やかに彩られた家も散見されました。

メキシコは建築史的に見ても独特な変遷を遂げた国と言えます。20世紀になりModernismの波が到来すると、それまでのコロニアル様式とモダニズムを融合させたような色鮮やかな独自のモダニズム建築が開花します。それと前後するようにメキシコ革命、またそれに伴ったメキシコ壁画運動が興りました。その結果、モダニズムのinternational styleの中にもメキシコ人としての土着の文化が色濃く見られる建築が生まれたのです。

 世界遺産の街、グアナファトではスペイン植民地時代の影響が色濃く残る町並みを堪能することができます。Luis Barragan(建築家)やDiego Rivera(壁画アーティスト)といったメキシコを代表する芸術家の多くは、この都市を訪れインスパイアを受けたと言われています。かつて銀山の採掘場として栄えたこの都市には、無数の地下道が張り巡らされており、カラフルに彩られた家々と共に、ヒューマンスケールで温かみのある街並みを形成しています。「陸のベニス」といったところでしょうか。もし機会がありましたら、ぜひ訪れていただきたい都市のひとつです。

 その後飛行機にてカンクンへ。メキシコ国内では高速バスが発達しているほか、LCC競合各社による熾烈な価格競争のおかげで、格安航空券を見つけることができます。ユカタン半島の先端に位置するカンクンは、はるか昔にはマヤ文明が繁栄し、ここ数十年で急激に観光地化が進んだリゾート地です。溶岩の基盤の上に形成された砂州が主要ホテルエリアとなっており、現在も多くのホテルが軒を争うように建設されていました。ホテルエリアから少し離れたダウンタウン周辺にアパートを借り滞在していると、観光業がいかにlocalの人々の生活を支え、しかし一方で隅に追いやり影を落としているか身を持って感じることができます。中心地からバスに3時間ほど揺られ、マヤ文明を象徴するチチェンイツァ遺跡を訪れました。ここもテーマパークのような観光地化が進んでおり、遺跡敷地内は観光客で溢れていました。一歩外に出ると、何の変哲もなく地元の人々の生活が営まれているのに。入り口付近で物憂げそうに手作りの木製面を売る若者の何ともいえない目付きが今でも忘れられません。この観光地化は果たして本当に”正しい”のだろうか。

旅の途中、まさかの食中毒にかかり、飛行場では飛行機を乗り過ごし、手荷物検査で全てのお土産を没収されるなど、少々ハプニングに見舞われたものの、なんとか無事生きて帰って参りました。共に二週間を過ごした同期は、中高時代の部活動で共に汗を流していた仲間。現在は日本、アメリカ、カナダとみなバラバラの地で、それぞれの専門科目を探求しています。旅行中、通算4回というかなりの口論を重ねながらも、お互いの現状を確認しあい、今後の目標も共有することができ、非常に有意義な時間となりました。隈研吾さんの言葉をお借りするならば、「他分野を追求する仲間に常にアンテナを張ること」。建築家になる上で重要な敏感さを刺激してくれる良き友たちです。

P.S. 春休みを利用し、メキシコで行われる建築ワークショップに参加する予定です。冬休みに引き続き再度メキシコへ。どうやらご縁があるようです。笑

(写真2)世界遺産の街グアナファト、コロニアル様式の街並みが特徴的

履修中の授業

ARCH374 Arch Design and the City (5 credit)

前期に引き続き、設計スタジオを履修しています。今学期は「都市の中における建築のあり方」がテーマとなっており(都市といってもDowntown Champaignですが。笑)、学期を通してDowntown Champaign内の敷地に、職住近接の建築をデザインするというものです。

設計スタジオの課題は前もって学校側が決めるものですが、東京大学とUIUCではその内容も大きく違っています。これは単に学校の方針の差だけではなく、大学の位置する場所、ひいては国の違いにも起因するものだと感じています。東京大学での設計スタジオでは、建築・空間の持つ意味について深く考えさせられるのに対し、こちらでは緻密なanalysisからニーズを特定し設計するという、よりpracticalな設計方法を教わっています。これは東京大学がアカデミアよりの建築の真理を追究する教育方針をとっている一方で、UIUCでは州立大学としてより実践的な教育方針をとっているゆえの違いなのかもしれません。

今期の課題では、初めの約一ヶ月ほどが敷地周辺のリサーチに費やされます。Scale, Material, Detailなどの建築的な要素はもちろん、周辺の土地利用、交通機関、人口(推移)・性別・年齢、主要産業、歴史的変化など、考えられる全ての変数要素をリサーチします。イメージとしては設計というより、もはやマーケティングに近いです。(笑)しかしこの緻密なリサーチが、後に生まれる自身の設計を論理的に説明し、それを必然たらしめることに繋がるように思えます。

ART310 Design Thinking (3 credit)

なぜデザインが生まれたのか、デザインの存在意義とは何なのかを学び、その上でデザインを自身の専門分野と融合させる方法を考える授業です。初回の授業で、教授に“Design is the tool to organize the information.“と言われ、衝撃を受けたのを覚えています。専門分野柄、これまで幾度となくデザインとアートの本質は何かと考えさせられることがありましたが、これほどまでにシンプルかつ明快にデザインを言い表すことができるとは思いもよりませんでした。

せっかくですので、この表現に対する自分なりの解釈を掲載させていただこうと思います。まずこの文を”Design is the tool”と”the tool to organize the information”の2節に分けて考えます。1節目の”Design is the tool”から、デザインは、ちょうどはさみなどの道具と同じように、何らかの需要に応じる形で生まれるものということが分かります、この点で、能動的な創作活動としてのアートとの違いがよく表されていると思います。次に2節目の”the tool to organize the information”では、肝となるデザインの意図が示されています。世界最古のデザインが人々の生活を記録するための壁画に施されたことを考えると、情報を効率的に伝達することがデザインの本質であるというのにも納得できます。また、デザインがinformationに追従する道具だということから、デザインはinformationの形態によって変化しうるものだとも言えます。つまり、informationが文字なのか、オブジェクトなのか、音なのか、、、それによってデザインのあり方も大きく変わってくるということを暗示しているように思えます。いずれにせよ、一句一句の選び方が絶妙で、何度聞いても鳥肌が立ちます。

BADM395 Foundation of Business (3 credit)

College of Fine and Applied Artsの学生のみを対象に開講されているCollege of Businessの授業で、オムニバス形式で毎週ゲストスピーカーを呼び、自身の持つcreativityをどのようにしてビジネスと結び付けていくかを考える授業です。College of Fine and Applied ArtsとCollege of Businessの協働により昨年度から始まったばかりの新たな試みで、僕がこの留学で目標としていた“interdisciplinaryな学び“をまさに具現化したような授業です。(実際、まだ5回目ですが既にinterdisciplinaryというワードを10回以上は耳にしています。笑)

 ビジネスといっても、marketingからfinance、はたまた3D printingまで、様々な分野を専門とした教授が各々の分野のperspectiveを紹介し、学生のinterdisciplinary thoughtを刺激する授業です。毎授業後、講義のtopicを自身の分野に応用した場合の可能性に関するレポートが課され、毎度のように頭を捻りながら考えさせられることで、非常に良い刺激を受けております。今学期終了までに、今後の建築設計の指針となるような何らかのperspectiveを形成することができたらと思っています。

余談ですが、UIUCにはMakersLabというものが存在し、学生が利用することのできる3D printerが20台も設置されています。この規模のLabは全米の中でも特筆すべき施設で、日本ではまずありえないと思います。面白いのは、この施設、なぜかBIF(Business Instructional Facility)というCollege of Businessの所有する建物内に設置されているところ。3D printerを使って模型を作ろうとする建築学生はわざわざ寒い中BIFまで歩かなくてはなりません。同じスタジオの友人に「なんでBIFにあるの?!」と聞いてみても、誰もその理由が分からないとのこと。。。不思議に思っていたところ、この授業の第2回目でMakersLabの所長さんが登壇され、初めてその理由を知ることができました。

3D printerを革命的発明たらしめる所以は、それによって、全ての物理的なmassを持ったobjectがcodeによって書き換えられる点だとのこと。生産者はcodeさえ書くことができれば、特殊な加工技術など必要なく、あらゆるものをobject化することができます。これは生産効率を上げるだけでなく、prototypeの作成や修正効率をも大幅に引き上げます。また一方で消費者側の視点では、code dataさえ入手することができれば3D printerを使うことで、どこでもobjectを入手することが可能です。これによってモノの移動に関する物理的な障壁は一切取り払われます。これらの結果、今までのモノを扱ってきたビジネスの在り方が大きく変わる、という視点から3D printerはビジネスと密接に関連するものとして捉えられ、ゆえにBIF内にMakersLabが設置されているそうです。

ちょうど、Industrial RevolutionによりBusinessが大きく変化した時と同様に、3D printerを含めた近年のDigital Revolutionによって、今後Businessの様相がさらに大きく変化するのはもう確実とのこと。MakrersLab、非常に価値のあるリソースだと思うので、UIUCを訪れる機会がありましたら、ぜひお立ち寄りください。

(写真3)3D printer越しに未来の話をする教授と生徒

SOC364 Impacts of Globalization (3 credit)

名前の通り、Globalizationの影響とその反響としてのLocalizationを考え、さらにその先にあるAlter-Globalizationを自身の専門分野で定義することを目的とした授業です。トランプ政権が誕生し、イギリスのEU離脱が決まったこのタイミングで、Globalizationをリードしてきたここアメリカの地で、この授業を履修できたことは非常に貴重な経験になると思っています。もっぱら建築だけを専門としてきた人間だったので、Globalizationに関しての知識はニュースで耳にすること以外、全くの無知でした。それゆえ毎週、おそらく日本語で書かれていても分からないであろう英論文の解読に追われていますが、毎週新たなトピックに関する新たな知識が得られ、自分の視野が確実に広がりつつあるのを感じています。

現在、授業と平行して、シリアからドイツ国内に移動してきた難民のためのMarketをデザインするコンペティションに参加していることもあり、Globalizationは自身の中でも非常にhotなテーマとなっています。

イリノイに来てもう既に6ヶ月弱が経とうとしています。課題に追われる傍ら、留学修了後のことについて考える機会も多くなってきました。この経験をどのような形で次に繋げるべきか、幸せだなぁと思いつつ悩んでおります。ここでの生活も残り三ヶ月。やり残すことのないよう、精進して参りたいと思います。

(写真4)雪の後の日本館にて

2017. 2. 7

第41期小山八郎記念奨学生   内倉 悠

内倉悠さんの2016年9月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。41期奨学生の内倉悠です。9月も終盤にさしかかり、夏の終わりと共に少し肌寒い秋の始まりを感じております。新学期が始まって約一ヶ月が経ち、こちらの生活にもようやく慣れて参りました。今回のレポートでは

・履修中の授業

・課外活動

の2点について書かせていただこうと思います。

 

履修中の授業

ART105 Visual Design for Non-Majors (3credit)

日常生活の中に溢れているデザインを発見し、考察するという内容の授業です。20人ほどの少人数クラスで毎週、デザインのボキャブラリーとして”Line”や”Space”などのお題が与えられ、それに関連した写真と考察を持ち寄ってdiscussionするという、100番台の割りにはかなりハードな授業だと感じております。好きなデザインを発見することは容易なのですが、なぜそれが美しいのか、という理由を語ることは容易いことではない、ましてやそれを英語でなんて、と打ちのめされそうですが、毎週少しずつ言葉が出てくるようになっているのを励みに、引き続き精進しようと思います。

 

ART153 Digital Photography Seminar (2credit)

毎週アーバナ郊外にある動物保護センターに行き、ホームページ掲載用に保護されている動物のプロフィール写真を撮影するという授業です。7人だけの超少人数クラスで、教授との距離が非常に近くアメリカの教育の質の高さを感じております。この授業では、デジタルカメラの基本的な操作方法からLighting、学期終盤には撮影後のPhoto Editingまで教わることができ、息抜きとして非常に楽しい授業です。ただ、教授からかならず撮影した写真の意図を問われ、その意図にあった技術の正しい運用が求められます。カメラはあくまでも”Tool”であり、撮影者自身がどのような意図を持って撮影するのかという部分が最も大切にされるべきところである、というのを痛感しております。

 

ARCH471 Twentieth-Century Architecture (3credit)

20世紀の建築を軸に、世界の建築がどのような潮流・コンテクストの中で発展していったかを考察する授業です。今学期の履修科目の中で唯一のレクチャー形式の授業で、毎回120枚ほどのスライドをバックに80分間しゃべり続ける教授に圧倒されながら、何とかしがみ付いていこうと必死です。単に時系列順に歴史をたどるのではなく、たとえば曲線やガラスのデザインがどう発達し、当時の社会状況の中でどのような意味を持ったか、といったようなデザインやマテリアルを軸にした建築思想史の解釈を試みる授業で、非常に魅力的な内容です。社会背景を考慮すると同時に形態デザインにも重きを置く、こちらの建築学部の理念が垣間見られる授業だと思います。

 

ARCH373 Arch Design and the Landscape (5credit)

この留学生活で核となる授業で、Semesterにつき2個の設計課題が課され、実在する敷地に架空の建築を設計するというものです。生徒数は全体で約100名、7つのセクションに分かれて各セクション16人ほどの規模で教授とcritiqueを重ねながら設計します。なによりもまず、トウモロコシ畑に囲まれた大学に、世界中から実に多様な国籍の人が集まって来ていることに驚かされました。Exchange Studentは僕だけでしたが、Transferで編入してきた人が数人おり、さらにinternationalということもあって、来る前に抱えていた「馴染めないのではないか」という不安はスタジオ初日に吹き飛びました。スタジオは非常にオープンな雰囲気で、教授ともソファに座りながらおしゃべりをするくらい距離が近いです。課題提出前にはみな泊り込みで作業をするため、他の学生と仲良くなる機会も多く、さまざまな国の人と繋がることができ非常に有意義な時間を過ごしています。こちらでは、批評は先生だけでなく生徒全員で行い、相手が誰であろうとお構いなしに良いと思うところは褒め、不明瞭なところは徹底的に問いただします。変な遠慮なしに互いに意見を交し合う姿勢が、オープンな雰囲気を作り出している所以なのだと思います。

先日一つ目の課題が終了し、こちらに来て初のreviewを経験しました。幸運なことに上位6選に選んでいただき、生徒・教授含め総勢約120名ほどの前でプレゼンテーションをする機会をいただきました。いきなりの英語でのプレゼンテーションで緊張しましたが、自分が何をしたかったのかということだけはなんとしても伝えてやろうと思い、なぜか開き直って挑みました。結果、持ち時間内での発表はなんとか切り抜けられたのですが、質疑応答でクライアント・教授陣にタコ殴りにされるという苦い経験をしました。単語の持つほんの少しのニュアンスの違いで大きな誤解を招きうる、デザインプロセスにおける言語コミュニケーションの難しさを痛感しました。しかし一方で、一枚のスケッチ、一枚のCG画像の持つ影響力の大きさを感じられた瞬間でもありました。

こちらではデザインのプロセスに重きを置くと共に、プレゼンテーションを含めデザインのアウトプットも同じくらい重要視します。教授にかけられた言葉で一番印象に残っているのは、「言葉よりも強力なCGを描け。」というものです。その言葉通り、他の発表者を見てもプレゼンテーションボードにはほとんど文字が見られず、とにかく視覚に直接訴えるようなものが多かったです。そしてなによりみなプレゼンテーションのスキルが高く、やはり話術では圧倒されました。今できることは、ただひたすら他の人のプレゼンテーションを聞き、どのような言い回し、表現、ジェスチャを利用しているのか盗み取ることだけだと感じております。一回目からかなり収穫のある内容でした。

東京大学での設計スタジオには日本人しかおらず、図らずとも少々煮詰まった雰囲気になってしまうことがありました。(相当仲がよいということでもあるのですが。)しかしながら、実際に社会に出て建築の仕事をする上では、さまざまなbackgroundを持った人々と協働することがほとんどで、ここにいるとその縮図のような、適度な緊張感を保ちながらも互いに相手を尊重し、切磋琢磨し合える環境を体感できるように思います。

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写真 1 プレゼンテーションの様子

 

 

課外活動

Lecture : Musturo Sasaki

2016年9月16日、イリノイ大学建築学部にて建築構造家の佐々木睦朗氏による特別レクチャーがありました。(参照ホームページ: http://www.arch.illinois.edu/node/516)

佐々木睦朗氏は建築構造家として伊東豊雄さんやSANAAなどの著名建築家の作品を数多く手がけられ、世界的に著名な自由曲面構造研究の権威でもあります。

佐々木教授が伊東豊雄さんと手がけられた作品の一つに大田区休養村とうぶという大田区の所有する宿泊施設があります。僕は10歳の時に偶然修学旅行でこの建物を訪れたのですが、この建物がきっかけとなり建築家を志すようになりました。僕自身もまさか日本から遠く離れたイリノイの地で、自分の人生の転機となった方にお会いできるとは夢にも思っていませんでした。

レクチャーに先立って、日本館で佐々木教授をおもてなしする特別なtea ceremonyがあったのですが、日本館の館長であるジェニファーさんのご好意で僕も参加させていただき、佐々木教授と直にお話する機会をいただきました。英語で”serendipitous encounter”と表現するように、この奇跡のような素敵な出会いは、留学生活の忘れられない経験となりました。

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写真2 Japan House Tea Ceremonyにて、佐々木教授を囲んで(最前列右から二番目が佐々木睦朗氏)

 

Part-time

上記の佐々木教授のレクチャーに関連して行われた佐々木教授のインタビューを翻訳し、和英のスクリプトを作成した後にインタビュー動画を編集し作成するというものです。tea ceremonyの時に偶然お会いした建築学部の教授が日英対訳のアシスタントとしてジェニファーさんを通してオファーして下さいました。教授のそばで経験を積めるだけでなく、自分の尊敬する方のインタビューを翻訳し見聞を深めることができ、その上おこづかいもいただけるなんて、本当に幸運に恵まれ夢を見ているかのような思いです。来月より本格的に始まるので、与えていただいたチャンスを充分に生かし勉学と両立できるよう励んで参りたいと思います。

 

Competition

設計スタジオをとる傍ら、現地の4年次に在籍する日本人学生とともに一般応募の設計コンペに応募しています。締め切りが10月30日と迫ってきており、mid-termと重なるためハードワークが予想されますが、実際の設計業務でもマルチタスクをこなすことが求められるため、よい練習だと考えております。もちろん学問優先ではありますが、決して妥協のないよう貫き通したいと思います。

(Japan Houseで行われたMatsuriに関する記事は奨学生定期レポートにも書かせていただいたので、ここでは割愛させていただきたいと思います。)

 

 

上記、現状報告に関して長々と書かせていただきましたが、書いていく中で自身のこれまでの留学生活を見つめ直すと、いかに幸運に恵まれ、周囲の方々に助けられてきたかということを痛感しております。留学前から現在にかけて、多くの方々にお会いし、お話を聞く機会を頂きました。勉学もそうですが、それ以上に多くの人から様々な影響を受け、自身を省み、これからの進路を考えさせられる毎日が続いております。それは決して著名な方や教授といった方々だけでなく、イリノイに来て出会った友人を含め全ての人です。

日本にいるときには、ある種自分の“居場所”のようなものがあり、アイデンティティが確立されていたため、ここまで他人から影響を受けることはなかったように思います。日本を離れ、自身の居場所を捨て、ゼロからイリノイの地で自分の在り方を模索する必要に駆られたことで、より敏感なアンテナを周囲に向けることができているように思えます。“Keep moving”という精神を大切にし、常に周囲に敏感であり、自分の在り方を模索し続けたいと思っております。

そして最後に、この場をお借りして、このような貴重な機会を頂いたJIC関係者の皆様に心より感謝申しあげます。

 

2016年9月25日

第41期小山八郎記念奨学生 内倉 悠