河手賢太郎さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生7月分レポートの第1弾は河手賢太郎さんです。アメリカで学んだキリスト教の伝統を日本でも実行し、またイリノイで出会った友人とも ずっとコンタクトを保つことはとてもすばらしいことですね。これからもイリノイで出会った友人を大切にしていってください。

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IC 関係者の皆様

ご無沙汰しております

イリノイから帰ってきてからもう2カ月半経ちました。

ファイナルが終わった直後の5月第二週に日本に帰って来た私は、余韻に浸る余裕もなく、すぐに日本の大学に復学しました。授業の遅れを取り戻すのに必死で、なかなか留学全体を振り返る時間がとれませんでした。

ようやく落ち着いてきたのは6月30日のJIC総会の頃です。
帰国後も精力的に将来を模索し動き回る2006年度の奨学生の姿に元気づけられました。

次年度の奨学生のキラキラと輝く目に昨年の自分を思い出し、イリノイでの1年間がどれほど強烈に自分を変えたかを改めて実感しました。

帰国直前のファイナルに入る1週間前に、お世話になった友人に別れを告げて周りました。
忙しいなかおなじ寮のフロアに住む友人が送別会を開いてくれて、私もふくめ日中韓オリジンの約15名と共に円陣を組みお互いのファイナルの健闘を祈りました。

イリノイ大学で出会った約百数十人の友人。「もう一生会わない人もいるかもしれない。」と思うだけで悲しくなりますが、人生は旅。

縁があればまた何処かで会うことになるのでしょう。

帰国後すぐに、私は東大YMCA寮に移りました。

吉 祥寺の実家から寮に移ったのは、東大前駅の真上にあるという地の利もそうですが、イリノイでの寮生活に慣れ、帰国してからもこの寮生活で身につけた習慣を 継続したかったからです。そして何よりキリスト教的世界観に魅せられた私は信仰を保っていく拠り所が欲しかったという事情もあります。現在寮生は約20 人。賄いの方が料理をしてくれる以外は、寮内の清掃、会計、備品の調達、そして毎週ある行事の運営ほぼすべての寮生によって行われます。寮生が起居を共に し、コミュニティーを作り上げ維持していく生活は、まさしくイリノイ大学にあったFraternityです。GREEK に相当する3つのギリシャ文字はありませんが、あえて作れば、yμχαというところでしょうか(笑)。

120年の歴史をもつ東大YMCA寮は、1888年に片山哲、吉野作造、藤田逸男を含む9人により設立されました。この寮が輩出した人のなかには『夕鶴』の木下順二や森有正もいます。驚いたのは、1898年から始まった早祷日誌がいまでものこっていることです。

私はこの寮の一員として、伝統を守りつつも、イリノイのChristian Fellowshipでの活動を通して身につけたコミュニティー・ビルディングのノウハウをつかって、東大YMCA寮生の間の結束力を高めていこうと日々模索しています。

5月下旬には、イリノイでお世話になった友人BenとClaudiaが日本にやってきました。

昨年のサンクスギビングの時に実家に招待し てくれたこともあり、2人を私の家に招くことができたのは幸いでした。遠方からの友人を家に招き、地元で案内をするというのは不思議な感覚があります。井 の頭公園を歩き、伊勢谷の焼き鳥を食べ、商店街を練り歩くという、定番のコース。1年間のアーバナシャンペンでの自分と二十数年間の吉祥寺での自分とを結 びつける特別な時間でした。

また、浅草で御神輿を見て、歌舞伎座の團菊祭に行き、東大の五月祭に行きました。旬のイベントを楽しんでもらえたと思います。

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こうして奨学金申込の身上書に書いた“マニフェスト”が小さな形ではあれ実現できました。これからも決して終わらない私とアメリカとの関わりの序幕がこれでようやく降ります。
ここまでやってこられたのはすべてJICの皆様のおかげです。
どうもありがとうございました。

今後はJICの活動に積極的に関わっていきますので、どうぞよろしくお願い致します。

東京大学法学部4年
河手賢太郎

川島今日子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生7月分レポートの第2弾は川島今日子さんです。ビジネスコンサルティングなどのmock meetingを通して、机上だけではなく実際のビジネス体験もできたようです。また地域と一緒に作る大学、大学が作って行く地域の面白さは、イリノイ大 学でしかできない体験だと言えますね。

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JICの皆様、こんにちは。私は、矢のような速さで過ぎたイリノイ大学での9ヶ月を終えて、5月末に帰国しました。6月の総会では簡単な帰国報告をいたしましたが、この最終レポートでは春学期の授業の様子とイリノイ生活のまとめを書きたいと思います。

*春学期*

課題の多さにも慣れた春学期は、勉強のペースを掴み、余裕を持って生活することができました。組織コミュニケーションのクラスでは、グループワークがあ り、最終授業でのプレゼンテーションが課せられました。これは、実在の企業の経営問題について企業内のコミュニケーションに焦点を当てて改善策を提示する という、ビジネスコンサルティングのシミュレーションのような課題でした。秋学期も複数のグループワークがあり、その時は話し合いを重ねるうちグループが 仲良くなり、ピザを食べたりしながら楽しく議論を交わせたのですが、今回は少し違いました。特定の3人しかミーティングに集まらなかったり、役割分担がス ムーズに決まらなかったりとうまく話し合いが進みませんでした。原因は仕事をもつグループメンバーに時間的制約があることや、メンバーのモチベーションに 差があることでした。しかし、やる気のある者ばかりが焦りを感じても、グループの士気は上がりません。そこで、メールや電話で密に連絡をとり、授業前後の 時間で小規模のミーティングを重ねました。最後にはグループの雰囲気が盛り上がり、夜の図書館でわいわいとプレゼン準備をしました。この授業で面白かった のは、実際のビジネス現場でのクライアントに対するプレゼンテーションを想定して、会社名やロゴを創り、全員スーツを着て、プロフェッショナルな振る舞い を心掛けるという点でした。私のグループは、クラスにリラックスして聞いてもらうためにコーヒーとドーナツを用意し、要点を整理して伝えるためにプレゼン の内容をまとめたパンフレットを配りました。結果的に私達のプレゼンテーションは成功し、教授からも最高の評価をもらいました。この課題を通して、グルー プコミュニケーションの難しさと楽しさを教科書の理論よりも実体験として学んだように思います。

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また、私がこの一年とても楽しんだクラスはタップダンスでした。タップダンスってなんだか面白そうという軽い気持ちで始めましたが、ダンスだけでなくその 歴史的背景や著名なダンサーについても学び、今ではアメリカにおけるタップの歴史・文化・芸術的価値を認識するようになりました。先学期は基本スキルとダ イナミックとソフトの2つのダンスをじっくり練習し、今学期は重心を下においた力強いシカゴスタイルを中心に新しいステップやダンスをたくさん教わりまし た。クラスメートのほとんどが経験者で、初心者の私は苦労しましたが、みんなが親切にサポートがしてくれて仲良くなれたことが大きな喜びでした。授業のま とめとしてインフォーマルパフォーマンスを行い、個人パートも全員ダンスもうまくいって、クラスの一体感を感じることができました。インストラクターは優 しく魅力的な女性で、私をいつも気にかけてくれました。最後に挨拶に行くと、「あなたが最初のクラスに来た日を思い出すわ。1年間すごく頑張って上達した ね」とおっしゃって、Big Hugでお別れしました。せっかくアメリカで触れたタップという文化を忘れないように、日本でも続けたいと思います。

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*キャンパスタウンの面白さ*

イリノイ大学と日本の大学では何が違うかと聞かれれば、私は「イリノイ大学は住んで学ぶ大学、日本の大学は通って学ぶ大学」と答えます。そして、私は大学 と都市機能が合わさったこのキャンパスタウンがとても好きになりました。学生がみなキャンパスに住んでいるということは、授業以外の時間もキャンパスで過 ごすということであり、学生が一緒に何かする機会が多くなります。学期末の図書館はグループワークや試験勉強に取り組む学生で溢れているし、キャンパスの バーは大きなビールジョッキを片手に話し込む学生で一杯です。大学のホールでミュージカルを観賞する人もいれば、カフェで甘いケーキをほおばる人もいま す。私はいつも学生で賑わっているキャンパスタウンの雰囲気が気に入り、今は授業後にそれぞれ電車で自宅に帰ってしまう日本の大学を物足りなく感じます。

また、キャンパスタウンではいろいろなイベントが催されていて、飽きることがありませんでした。大学のStudy Abroad Officeや各学生寮、様々な学生団体がいろいろなイベントを企画し、私たち学生はメールやチラシで情報を得て、興味のあるものに参加します。前回のレ ポートで書いたスカイダイビングもこのようなイベントの一つでした。他にもハロウィンにカボチャ畑に出掛けたり、スケートイベントに参加したりと、シャン ペーンにいる限り週末の予定が無いなどということありませんでした。それに加えて私的なホームパーティもあります。私はそこで新たな友人に出会ったり、初 めての体験をしたり、アメリカ文化を肌で感じたりと、有意義な時間を過ごしました。大学もそこに住む学生も、仲間と何か面白いことをしたい・新たな人と出 会いたいと考えて、積極的に行動します。このような無数の公的・私的なイベントを通してキャンパスタウンに活力が生まれているのだと感じました。

*アメリカの”まだらな”文化*

イリノイ大学には、そしてアメリカという国には、様々なバックグラウンドを持つ人々が一緒に生活しています。一口にアメリカ人と言っても、外見は千差万 別、各々の故郷も違います。みなが互いを100%好いている訳ではないでしょう。あるインド系アメリカ人の友人は、「僕の父は白人があまり好きじゃないん だ」と言いました。でも、この国のまだら模様の文化は、自分と異なる他者をたとえ好きとまではいかなくでも、受け入れる、または気にせずに共存する文化で す。東京では地下鉄に乗る外国人をそれとなく異質な目で見てしまうことがありますが、イリノイでは私のような日本人が一人キャンパスを歩いていても外国人 であるかアメリカ人であるかは意識されません。顔見知りになってから3週間も経ってから、「Kyoko, 日本人なんだ。知らなかったよ」と言った友人もいました。日本人として接してもらうことも嬉しいのですが、一人の学生として受け入れられることも、まだら 模様に馴染んだようで嬉しいと感じました。アメリカに暮らす人々の大らかな許容の精神は、私達も見習うところがあると感じました。イリノイで生活した9ヶ 月間は、私が日本人である自覚と、他の多様な文化の面白さと、文化を超えた人の交流の素晴らしさを教えてくれました。

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*イリノイ生活のまとめ*

帰国後、再会した旧友は、「アメリカの大学に行って何か変わったかなと思ったけれど、今日子は何も変わっていないね」と言いました。私自身、イリノイ大学 での経験を通して自分がどのように変わったのかとよく考えます。その友人の目に変わらないように映った様に、特別な変化はありません。でも、イリノイ大学 に行ったからこそ、アメリカ中西部の典型的なキャンパスタウンを知りました。英語で課せられるレポートを(ウーンと唸りながらも)こなせるようになりまし た。バーで注文するお酒の名前を覚えました。クリスマスカードを送りたい相手が増えました。こうした小さな変化の積み重ねは、私の視野を広げました。私は 留学以前から「海外に住む」ことに強い関心を抱いていましたが、「海外で勉強した」経験から、遠くない将来「海外で働きたい」と希望するようになりまし た。どこでどんな仕事をするかは、現在模索中です。

私は9ヶ月間のイリノイ生活で数え切れないほどの写真を撮りました。それは本当に友人にあきれられたほどです(笑) それらの写真は、鮮やかなキャンパス の四季と、友人と過ごした時間を思い起こさせてくれます。今イリノイ生活を振り返って感じるのは、人との繋がりがどれほど私を支えてくれたかということで す。「アメリカの学生らしいシャンペーンの楽しみ方」を教えてくれた友人達に感謝しています。涙で別れた世界中の留学生にまた会いたいと思います。一緒に スポーツをした仲間に、家族のように接してくれたイリノイのホストファミリーに、ウィーンの短期留学や個人的相談に対応してくれたStudy Abroad Officeの方々に、刺激を与えてくれたJIC奨学生の仲間に、感謝しています。イリノイで培ったたくさんの人との繋がりが、これからも切れることな く、また新たな出会いに繋がっていくことを願っています。

そして何より、いつも温かく応援してくれた家族と、この留学の機会を与えて下さったJICの方々に心から感謝しています。有難うございました。JICの多 くの皆さんにとってそうであるように、あのコーンフィールドの真ん中の美しいキャンパスで毎日を過ごした経験が、人生の大きなターニングポイントとなるよ う、しっかり将来に活かしていきたいと思います。

写真

1.グループワーク
2.タップダンスのパフォーマンス
3.キャンパスのバーにて
4.ダウンタウンのバーにて
5.快晴のQuadにて

西村崇さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート第3弾は西村さんです。春休み前の忙しいファイナルや、Krannert Centerでのコンサートなど、シャンペーンの風景が懐かしく思い出されるAllumniの方々も多いではないでしょうか。

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JICの皆様、ご無沙汰しております。先日の総会では久しぶりに皆様とお話させていただき、大変嬉しく思いました。私は5月の半ばに帰国し、現在は大学院 進学を念頭において日々の生活を送っています。シャンペーンでの夢のような生活を終えてから2ヶ月、留学生活への不安を感じながら日々を過ごしていた去年 の夏ももはや1年前のことであると思うと、時の流れの早さを感じずにはいられません。最後のレポートでは、留学生活最後の1ヶ月の日々と留学生活全体の総 括についてお伝えしたいと思います。

<最後の1ヶ月>

(学期編)

私が今学期に登録した全ての授業 は、Final Weekの1週間前に全ての課題が終わるようにスケジュールが組まれていました。そのため、春休みが過ぎてからは一般的な学生より早く準備をしなければな らず、学業以外の活動との折り合いをつけるのが大変な日々を過ごしました。2007年度以降の奨学生の方々への参考の意味も含めて、ある1日の生活をここ で披露したいと思います。

4月14日(土)

朝の8時30分に起床。週末のためPARの住人はまだ誰も起きていないようだが、ラウンジで次週に期限の課題に関連した文献を読み込む。

11時30分頃、この時間ぐらいになるとフロアメイトも起き出して来るので、友人を誘って昼食へ。お喋りをしながらの食事だと、1、2時間はあっという間に過ぎていく。

午後は再び課題に取り組む。パソコンに向かって、ひたすらレポートの打ち込み。日常生活を詳細に描写した調査報告書を書くのに苦労しっぱなし・・・

夕食後は、奨学生同期の佐藤さんも参加しているBlack Chorusが7時30分からあったので、フロアメイトとKrannert Centerへ。今まで見たことのあるコンサート・演劇の中でもベストテンに入るくらいの、パワフルなステージに圧倒される。

コンサート終了後、佐藤さんや他の友人も交えてGreen St.沿いのカフェでお喋り。午前1時に店が閉まった後も、Sherman Hall、次いでPARに移動してひたすら話し込む。

結局は徹夜。朝の7時45分には、Illini Union前で別のグループと集合して人生初のSkydivingへ。

寮に戻ってきたのは夕方頃。夕食を手短に切り上げて、宿題を再開。必死の思いでパソコンにレポートの続きを打ち込み続ける・・・

さ すがに春学期最後の1週間はほとんどの時間を勉強に割いていましたが、そのことも含めてイリノイ大学では1年間を通して本当に密度の濃い生活を送ることが 出来ました。4月末には髪に白髪が数本混じっているのを発見したので、体には結構な負担をかけていたようですが(笑)

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旅行編)

全ての課題が終わり、授業からも日々の大量の宿題から解放されて晴れて自由の身になった後は、Boston、 Washington、Niagara Fallsをめぐる約1週間の旅に出かけました。Bostonでは幸運にも入手できたボストン・レッドソックスVSシアトル・マリナーズの試合を観戦して 日本人メジャーリガーの活躍に勇気付けられ、Washingtonではアーリントン国立墓地や連邦議会議事堂の厳粛さに心を打たれ、Niagara Fallsでは自然の雄大さに改めて感嘆し…と旅行中に訪れた場所一つ一つについて語り始めたらいくらスペースがあっても足りないのではないかと思うぐら いに、どこも素晴らしい場所でした。Final Weekに向けた勉強で忙しくしている友人達に多少の申し訳なさを感じましたが、1年間頑張った自分へのご褒美ということで、日々を思い切り満喫していま した。

また、単に観光地巡りとして楽しんだというだけでなくアメリカの社会に住んでいるということ実感する上でいくつか貴重な経験も ありました。例えば、Niagara Fallsを訪れた時には、国境がもつ意味の重さを痛感させられました。Niagara Fallsはアメリカとカナダの国境沿いに位置しており、どちらの国側からも滝を見ることが出来ますが、滝の全体を見渡すことが出来るカナダ側からの眺め のほうがよいとされています。私もその眺めを楽しみにしていましたが、結局カナダ側には渡りませんでした。なぜなら留学生用のVisaの一部を寮に置いて きてしまったために、短時間といえどもカナダ側に越境すればアメリカ国内に戻れない可能性があったからです。たった一枚の紙を忘れてきたがために、徒歩で 10分もかからない距離を進むことが出来ない。自分がこの国では外国人であることを改めて思い知らされる出来事でした。(留学生活最後の1週間)

旅 行から帰ってくると寮の友人の一人が既に帰国しており、他のフロアメイトも退寮に向けて荷物の整理を始めているなど、UIUCでの生活が終わりに近づいて いることを実感しました。それからの数日間は、キャンパス中の写真をとったり友人達との雑談に時間をあてたりして、ここでの生活に思い残しが無いように日 々を過ごしました。そのおかげで部屋の整理はズルズルと先延ばしになり、退寮期限の最終日にはまだ半数ほど残っていたフロアメイトの一人として徹夜明けの 体で部屋の整理をしていました(笑)全ての荷物の整理が終わりガランとした部屋―PARに自分が入居した時とまったく変わらない姿を見せているその部屋を 見たときには、過ぎ去った時間が二度と戻ってこないことを思い、非常に寂しいものがありました。

退寮後は友人の院生寮に一晩泊めさせ てもらい、翌朝オヘア空港に出発しました。空港でクリスマスの時にもお世話になった寮の友人Coryとその家族に大きな荷物を預かってもらい、冬休みの短 期留学中に仲良くなったDerekの家を訪ねるため、コロラド州Grand Junctionという町に必要最低限の荷物を持って向かいました。そして、そこでもまた素晴らしい日々を過ごしました。アメリカを発つ前にGrand Canyonのような内陸の自然美に恵まれた地に一度は行きたいと考えていた自分にとっては、東側を緑豊かなロッキー山脈に、西側をMonument Valleyを中心とした砂漠地帯に囲まれたGrand Junctionはまさにうってつけの街でした。ドライバー兼ガイドとして滞在中ずっと付き添ってくれた友人の助力もあり、帰国前にいい思い出をつくるこ とができました。

Grand Junctionを離れてシカゴに戻った帰国前日は、再びCoryの家に一晩泊めてもらい、彼と散歩をしたり夜遅くまで語り合ったりして過ごしました。寮 の一番の友人であった彼とUIUCの一年間を振り返りながら過ごしたその時間は、心地よい感覚と同時に、明日帰国するのだなということを実感させる時間で もありました。翌日は彼の父親にオヘア空港まで送ってもらい、私の留学生活はようやく終わることとなりました

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<留学の総括>

一言で言えば、今までの人生で最高の10ヶ月でした。その理由は沢山ありますが、以下の3つに集約されると思います。

(出会い)

留学中は様々な人々、特に日本で過ごしていたらまず会うことのなかっただろう人々に沢山出会いました。特に、人種も国籍も多様な多くの友人達に恵まれたことを嬉しく思います。

Freshman ながら分厚い歴史書を愛読するなど熱心な勉強家であったCory、多少皮肉屋ながらRA(寮のフロア長)としてフロアメイトの尊敬を集めていたJin、物 理学と国際開発学のどちらでも才能を発揮したDerek、敬虔なイスラム教徒で様々な社会問題に対して常に真剣に憂いていたShazani、日本文化を深 く愛し誰よりも誠実であったNik、日本の一流大学を中退して単身渡米し、将来の夢を実現すべく頑張っているNao…、お互いに助け合い刺激しあった奨学 生同期のみんな…スペースの都合上全ての友人達を紹介することができないことを残念に思うくらいに、みな魅力に溢れた友人達でした。この中の友人達の幾人 かとは、残念ながらもう二度と会うことがないかもしれません。しかし、今もアメリカで、あるいは地球のどこかで彼らが自分の夢に向かって頑張っていると思 うと、それだけで十分に励まされるし、自分も負けていられないなと思います。

(「広さ」を知る)

精神的な面でも空間的な面でも、世の中の「広さ」を知る。これが二つ目の貴重な経験でした。

精神的な面としては、上に述べた多様な人々と交流していくなかで自分のものの見方・考え方が一面的なものでしかないことを知らされました。このことに関して、10月のある週末にJinと話した時の内容を今でも覚えています。

そ の日は珍しく彼にサシ飲みに誘われ、二人でキャンパス街の中では比較的静かなBarで飲んでいました。私が日本人、彼が韓国人というであったせいか、東ア ジアの国々の現状や将来といった話に自然とトピックが移っていったのですが、そこで日本の話が出てきた時のことです。社会学という学問を専攻している者の 性質上、私は日本の現状に対して批判的な意見を披露しました。しかし、彼はその意見に対して「それでも日本は大国じゃないか」ということを言ったのです。 彼が言うには、機会とお金さえあればさっさと海外に出て行きたいと多くの人々が願っている韓国は、世界に通用する大学や企業がいくつもあり、貧富の格差も まだ小さい日本には到底かなわず、これからのアジアを率いる可能性があるのは中国ではなく日本だろうとさえ述べたのでした。日本に対してこれ程までに肯定 的な見方が日本人の口から出たのではなく、日本をライバル視することの多い国から来た友人から発せられたことに大変衝撃を受けました。寮に帰った後で彼の 発言を改めて振り返り、そしてあることに気がつきました。それは、日本に対してネガティブな印象を抱きがちだった自分にとっては、世界から見た場合の日本 の姿という視点が欠けていたことでした。彼の意見が韓国人一般の意見だとは思いませんが、自分の考えが内向きであったことに気がつかせてくれた友人に今で も感謝しています。

この他にもキリスト教徒やイスラム教徒の世の中の見方、繁栄を享受する一方で多くの人が貧困に苦しむという先進国 アメリカの現実、母国のため・自身の成功のため雪崩を打って海外に進出するアジア人達の現状など、自分の世界観を広げる上で文字通り「体感」する機会を多 く得られたことを嬉しく思います。

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空間的な面とは、単純に、「世界はまだまだ広い!!」と実感したことでした。Derekと共に登ったMt.Garfieldの頂上では、それまで見たこと も想像したこともない光景が広がっていました。何も遮るものがない澄み渡った青空の下、眼前には広大な砂漠と赤茶色の地肌をむき出しにした険しい山々が、 そのすぐ脇には青々とした畑が広がり、後方には雄大なロッキー山脈がひかえている…言葉で言い尽くせないほどのその雄大さは、無論自分の人生で一番見事な 景色でした。この景色を目にするまでは、休暇の時間の多くを割いてアメリカ国内を出来る限り周遊してきたつもりだったので、まだまだ引き出しの多いアメリ カという国の広大さを帰国直前にして改めて思い知らされました。加えて、今まで滞在してきたアメリカという国も、更に自分がこれまで旅してきた地域を加算 しても、世界の中ではたった一部分にしか過ぎないことを、Mt.Garfieldの頂上から遥かに広がる地平線を眺めながら実感していました。「自分は、 これからの人生で一体どれだけの地域を訪れることが出来るのだろうか?」そう自問自答したうえで、まだまだ多くの可能性があることを思うとわくわくしま す。

(自分を再発見する)

今回の留学生活は、自分の特徴や可能性を知る上で最適な機会でした。

留 学中は「一分一秒たりとも無駄にしない」をモットーに活動していました。そうした生活を10ヶ月続けていくなかで、「自分」という人間に対しての再発見が 何度もありました。例えば、睡眠時間に関して。留学前は、健康維持に必要な睡眠時間は最低でも一日平均6時間で、徹夜なんて滅多にするものではないと思っ ていました。ですが、今では平均5時間以下でも何とかなると思っています(笑)大量の課題の処理と課外活動を両立させるために留学中は徐々に睡眠時間を 削っていったのですが、その内に好奇心さえ満たされていれば自分の体が動くということに気がつきました。このように、今まで限界だと思っていた事柄のいく つかに関しては、実際の自分は思っていた以上にタフだということに気がつきました。更に、多くの多様な経験をすることで、自分がどういう人間であるかとい うことが以前以上にはっきり分かるようになりました。このことが、帰国後にどんな進路に進んでいくかを真剣に再考していくなかで大いに役立っています。

<最後に>

現在では、多くの時間を自宅での勉強に費やす生活しています。刺激的な出来事にほぼ毎日遭遇していたイリノイ大学での生活に比べれば、単調な生活の中で全ての予定を自律的に立てなければならない分、精神的負担が少なくない日々を送っています。

し かし一方で、留学生活によって自分という人間に対して自信をー本当にささやかな自信ですがー得られたことで、留学前は夢のままで終わらせようと思っていた 大きな目標に対して実際にアプローチする方法を考えるようになりました。これから苦しい日々が続くと予想していますが、前途に対してあまり悲観視はしてい ません。イリノイでの留学生活を『人生最高の2年間』ではなく『人生を最高にする「ための」2年間』にすべく、これからも勉強にその他の活動に励んでいき たいと思います。

最後に、奨学生選考合格後から留学生活終了までに関わった全ての人々に、特に2006年度JIC奨学生に多大な支援 をくださったJICの方々に感謝の意を込めて最後の奨学生レポートを終えたいと思います。今まで本当にありがとうございました!そして、これからもよろし くお願いいたします。

2007年7月21日

西村崇
東京大学文学部
行動文化学科社会学専修課程4年

<写真>

1、Illinois Japanese Association(IJA)のポットラックパーティーにて
2、ロッキー山脈にて
3、全ての片づけが終わった後の寮の自室
4、Mt.Garfieldにて

佐藤真莉子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート最後を飾るのは佐藤真莉子さんです。佐藤さんは授業やクラブ活動など多くのことに大胆に挑戦し、たくさん学び得てきたようです。貴重な留学経験を生かし、日本でもがんばってくださいね。

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ICの皆様、ご無沙汰しております。
ついに1年間の留学を終え、無事日本に帰国いたしました。
これが最後のレポートかと思うと、1年間は本当にあっという間だなぁ、と再確認しているところです。
それでは、1年間の総まとめ、さとうまりこ最後のレポートの始まりです☆

①Dance for Darful

前回のレポートでお伝えした、バレエの友達と一緒に始めたDarfulのための
寄付金を集めるダンスステージを、無事に終えることができました。
直前にはほぼ毎日どこかに集まり、かなりハードな練習をしていました。
私はクラシックバレエは小さい頃から続けていたのですが、今回は
コンテンポラリーとモダンバレエがまざったような踊りで、バレエとは
体の使い方も動きも全く違います。
型があるバレエに対して、コンテンポラリーやモダンバレエは
もっと体を自由に使い、型にははまらない不思議な動きをします。
自分自身、新しい分野への挑戦でしたが、基本的には友達が振りを考え、
進めていくうちにみんなで意見を出し合って振り付けをする、という感じでした。
みんな完全にアメリカ人で、そのなかに一人アジア人の、しかも留学生の私が
仲間に入れてもらえたこと自体、奇跡のようだと思います。
でもせっかくもらったチャンス、どんなに練習が大変でも、彼女たちと一緒に
時間を過ごせることが嬉しくて、一度も練習を休んだことがありませんでした。
あーだこーだ、と振りを考えながら練習する時間も楽しかったのですが、
みんなでご飯を食べに行ったり、衣装を見つけにTARGETやWALMARTまで
車で行ったり、CRCE(大学のジム)までおしゃべりしながら歩いたり・・・
という時間の一つ一つがとても楽しかったです。

なんとなくお昼を食べている時に、メンバーの一人に「日本人はアメリカ人に対して
どう思ってるの?」と突然聞かれてびっくりしたこともありました。
その子自身は、お母さんと日本に行ったことがあり、とても楽しい思い出が
あって、みんな親切で、また行きたい、と思ったそうなのですが、その子の友達は
日本に言った時、アメリカ人だから、と言われて嫌な思いをしたことがあったそうです。
私は、今がチャンス、と思い、それまで自分が思っていたアメリカ人に対する
思いを話しました。
もちろんアメリカのエンターテイメントやカルチャーはすごいと思うし、私はやっぱり
国際人として生きていくために英語をしゃべりたい、アメリカの文化、世界の文化を
学びたいと思っているし、オープンで陽気なアメリカの雰囲気は大好き。
だけど、その反面、Arrogantな部分もあって、自分たちは世界の中心だと
言わんばかりの行動をいっぱいしているし、英語さえ話せればどこでも生きていけると
思っている人もたくさんいるし、環境問題に対しては興味が薄いし、という
ネガティブな部分もあるよね、という話をしました。
そうしたらメンバーはみなとっても納得してくれて、あー、こういうお互いの理解から
「和」が生まれるんだな、ということを実感しました。
彼女が持っている日本人に対してのイメージを素直に話してくれたことに
とても感謝をしています。

ステージ自体は、全体で$400以上の寄付金を集めることができました。
私たちのダンス意外に、アイリッシュダンス、インディアンダンス、アルゼンチンタンゴなど
さまざまなところから学生に協力してもらい、全部で50人くらいの方に見ていただくことが
できました。
決して大きなイベントではなかったけれども、少しでも私たちの思いが届いたらいいな
と思っています、
でも、こうしたイベントを開く時に、本当にアイリッシュの子とか、インド出身の子とか、
アルゼンチン出身の子とか、学生のレベルで本場の人が集まるところは、
アメリカのすごいところだまな、と思いました。
日本では、大学生の学園祭レベルでも、現地の人を集めるのは至難の業だと思います。
そこはさすがアメリカ、人種の坩堝といわれるだけあるなぁ、と思いました。

実は、最初は本当にステージが開けるのかとても不安でした。
有志の企画だったので、強制でもなんでもなく、場所を借りたり照明を借りたり、
練習場所を確保したり・・・と、小さな問題が山積みで、ステージを開くところまで
こぎつけるかどうか正直わかりませんでした。
でも、最後はきちんと笑って終えることができたので、本当に良かったです。

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②最後の授業

[Reporting]

一番頑張っていたこの授業、最後は自分で書いたラジオ原稿を、大学のテレビ局内にある
ラジオのスタジオで収録し、CDにする、というものでした。
ニュースの構成から文章から、全て自分で考えるというもので、何度も教授と
やり取りをして、何回も公正してもらい、本番を迎えました。

実は本番の前、教授の書いた原稿で読む練習をしたのですが、そのときになんと
Excellent!といわれました。
私はもちろんネイティブの子のようなスピードでは読めないし、発音もどんなに頑張っても
ネイティブの子のようには行かない部分もあり、まさかExcellentといわれるとは
思っていなかったので、素直に嬉しかったです。
何がExcellentかというと、声がきちんとでていることだそうです。
中高6年間をミュージカルの部活に捧げ、留学直前までBSフジでキャスターを
やらせていただいた経験が、こんなところで役に立つとは!!!笑

でも、教授が面白いことを発見してくれました。
それは、私が英語でニュース原稿を読むと、文末が全て下がっていることです。
日本語では、文章の終わりは、必ずトーンを下げて読みます。
文章の出だしが一番音が大きく高さも高く、文末に行くに従って、
音も高さも下がるのです。
しかし、英語ではたとえ文末や「、」の前でも、流れによっては上がったり下がったりします。
英語のニュースなどを聞いていればわかると思うのですが、確かに、
Tonight, it’s gonna be sunny, 65 dgree, and it’s gonna be cloudy tomorrow all day.
という文章があった場合、英語ではDegreeのあとは上げて読み、Dayのあとで下げます。
しかし、これがもし日本語だったら、
「今夜は晴れるでしょう。そして明日は一日中曇り空となりそうです。」
となり、「でしょう」のあとも、「なりそうです」の後もイントネーションは下げます。
言葉っておもしろいなぁ、と改めて感じました。

そしてもう一つ、私の読み方はトーンが落ち着いていてPBSのようだ、といわれました。
なるほど、思い返してみれば、私はよくBBC World NewsやPBSのラジオニュースを
インターネットを通して聞いていたのです。
さすが教授、なんでもお見通しなんですね!!

忙しい時間の間を縫って何度も私の原稿を校正してくださったり、練習をみてくださった教授に、
収録を終えた後、隣の部屋からガラス越しに親指をたてて「Good Job!」と言われた時には
とても嬉しかったです。
この半年、がんばってよかったな、と思いました。
この授業ではインタビューを通して体当たりしたり、ラジオの収録をしたり、
子供を育てながら教授やラジオのパーソナリティー、新聞のコラムニスト、テレビのアンカーまで
努めるスーパーママである教授に出会えたり・・・と、本当に多くのことを学びました。

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[Public Speaking]

みんながいい、というならば取ってみよう、そんな軽い気持ちではじめたSPCM101。
最初は私以外全員ネイティブだからどんなに頑張っても彼らと同じようにはスピーチできない
と勝手に理由をつけて、どうせスピーチなんて覚えようと思っても覚えられないや、と
どこかで諦めている部分がありました。
日本に帰ったら就職活動をするんだなぁ、BS以来、人前でしゃべることをしていないなぁ、
これはきっと人前で何かを話す練習になるだろう、くらいの気持ちだったので、今思うと
最初は特にあまり真剣に打ち込もうとはしていなかったように思います。
しかし、1回だけ、友達とペアを組んで、Arguableなトピックについて反対の意見を
スピーチする、という回がありました。
そこで私がペアになったのは、Seniorの子で、普段のスピーチもとても上手な子でした。
こりゃ真剣にやらないとまずい、こんなうまい子と一緒にやったら余計に下手さが目立つし、
第一こんなにできる子とやるのならばトピックを決め原稿を書く時点でしっかりやらなきゃ
申し訳ないし相方として認めてもらえない!と思い、火がつきました。
とにかくひたすらストップウォッチをもって何度も繰り返して読み、覚えてすんなりと
口から出てくるくらいまで練習しました。
なめられちゃいけない、うまくいかなかったら申し訳ない、という切羽詰った思いから
必死に練習した結果、それまでの3回のスピーチとは比べ物にならないくらい、
自分でも納得のいくスピーチができました。
そこで味をしめた私は、「なーんだ、私もやればできるじゃん。英語だって覚えられるじゃん♪」
と調子に乗り、最後のスピーチも完璧に練習し、納得のいくスピーチを終えることが
できました。
ダンスの練習、バレーボールの試合、Black Chorusの練習、Murphy’s…と
やることに追われていましたが、そのなかでも納得のいくスピーチができたことは
英語に対しても人前で話すことに対しても、自身につながりました。
そしてそして、嬉しいことに、Best Improved Speker Awardをいただきました!
わーい!!!
TAが賞状まで作ってくれて、今も部屋に飾ってあります。
これからはこの授業で経験した度胸で、いろいろな場面を乗り切りたいと思います。

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[Black Chorus]

これは、この1年の留学の中で一番心に残る授業でした。
授業を通り越して、生活の一部になっていました。
前回のレポートでお伝えしたMom’s Day Concertで最後のステージを無事におえ、
これでBCメンバーも解散。残るはSocialでした。いわゆる打ち上げです。
PARの目の前にあるIllini GroveでBBQをしました。
料理やスイーツを作って来てくれた子もいて、とってもおいしくて楽しい会になりました。
私はそこで、みんなとビーチバレーをしました。
砂の中のバレーボールコートにみんなで裸足で入っていって、はちゃめちゃに騒ぎました。
みんな、「Mariko~Come on!!!」などといって盛り上げてくれたり、本当にあったかくて、
BCの一員になれてよかった、と心から思いました。
彼らと仲良くなることで、Blackの歴史やいまだに残る差別の問題、彼らのバックグラウンドである
アフリカでの貧困、飢餓、紛争の問題にも興味を持ち、それが実際とても身近な問題に
感じられるようになりました。
彼らに対する差別はいまだにあからさまな部分があり、それを見るたびに
日本ではほとんどが日本人だから差別なんて感じなかった、アメリカはやっぱり
すごいところなんだなぁ、などと思っていました。
でも、それは実は私が気づいていないだけで、日本でも差別は残っているのかもしれません。
アメリカのようにあからさまではないかもしれないけれど、逆に日本では隠されていて
触れられていないだけで、気づかないだけで、残っている問題なのかもしれません。
そのようなことに気づくことができたのも、そしてDarfulのためといって始めたステージを
開くことができたのも、このBlack Chorusをとったからだと思います。
人を、友達を介することで、今まで見えてこなかったもの、他人事だと思っていたことが
とても身近に感じ、様々な問題見出し、解決する方法を考えるきっかけができました。
BCに関わる全ての方たちに感謝です。

そして、卒業式に当たるCommencementでもBCのメンバーとして2曲ほど歌ってきました。
Assembly Hallで最後に歌えたことは、いい思い出です。
Seniorの友達が多く、このCommencementで卒業する友達もたくさんいたので
しみじみしてしまいました。
しかし、そのあとはその感動を忘れるくらいパッキングが終わらず、かなり苦労しましたが・・・笑

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[ClassicBallet]

この授業でも、最後の授業に小さな発表会をしました。
私は友達5人と、Beatlesの「Hello, Good Bye」という曲に合わせて振り付けし、
発表しました。
これも仲間と一緒に何か一つのことに打ち込み、最後に形にできたことを嬉しく思います。

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③Cosmopolitan House

ついに別れの日がやってきました。
去年の暮れ、そして今学期の終わりも、私はいつも送る側でした。
それがついに、私が送られる側になりました。

感動の涙、かと思いきや・・・
部屋をまるまるあける、ということを実は経験したことのなかった私。
日本を出る時も、適当に必要なものだけつめて、あとは親に持ってきてもらう、という
形をとったので、部屋の中のものを全てつめる、ということをしたことがありませんでした。
旅行に行っても、特技はパッキング。
1日あればなんとかなる、と思って甘く見ていました。
ところが、1年で膨れ上がった荷物は山のよう!とてもとても3つのスーツケース(!)には
入らず、仕方なく冬物などはダンボールで送ることにしました。
それも出発ぎりぎりまでやっていた私、シカゴの友達の家まで一緒に連れて行ってもらう
予定で、友達のご両親がシャンペーンまで来るまできてくださっていたので、
パッキングが終わるかどうかハラハラしました。
でもなんとか荷物をまとめ、いざ出発。
Cosmoを出た時には、Young Jaeにとってのラストディナーになるということで
みんなが食事に出てしまっていました。
でも、やっぱり最後にお別れを言いたい、と思い、みんながいるレストランに行きました。
するとちょうどCosmoのみんなも帰るところで、大撮影大会。
最初は、こんな古い家、住めるのかなぁ・・・とか、Kitchen duty嫌だなぁ、とか、
掃除当番って私はちゃんとやってるけどみんな果たしてやってるのだろうか、などと
いろいろ不安や不満に思ったこともありました。
しかし、いざ別れるとなると、とってもとっても寂しくて、涙、涙、そしてまた涙、という感じで
涙が止まりませんでした。
一緒に暮らすって、こんなにすごいことなんだ、と改めてハウスメイトの存在を
Preciousだと感じました。
最初についた日から、何もわからない私をGrocery storeに連れて行ってくれたり、
一緒にHelloween partyやMurphy’sに行ったり、一緒にTVを見たり卓球をしたり
ご飯を作ったり食べたり・・・本当にいろいろな思い出がよみがえってきました。
私は兄弟もいないので大勢で一緒に住むということを経験したことがなかったのですが
Cosmoでの経験は本当に貴重で、みんなが兄弟のような、同志のような、
不思議な感覚でした。
1年の留学生活のうち、やはり一番長くいた場所。
Cosmoのみなさま、ありがとうございました。

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④シカゴ→メキシコ→ナイアガラ→NYC→日本→サンディエゴ→日本

シャンペーンを出てから、まずはシカゴの友達の家に泊めてもらいました。
この子は今年の夏から日本の甲南大学に留学する子で、日本語を教えたり
一緒にドラマを見たりしていました。
家族はTaiwaneseなので、お母さんが毎日中華料理やスイーツを作ってくれました。
おいしかったです☆

そこから今度はメキシコへ。
去年U of Iに留学していたメキシコ人の友達の家にお邪魔しました。
空港に着くと、お花と「Vienvenida Mariko」という紙を持って待っていてくれました。
彼女はMonterreyというところに住んでいて、メキシコの中ではUSボーダーに近く、
山の麓も都市なので、比較的涼しかったです。
彼女の運転でMuseumや大学などを案内してもらい、本当に地元のメキシカンの
生活を味わうことができました。
彼女の卒業式も間近だったので、彼女の友達の家に行ったり、みんなで
クラブに踊りにいき、朝の5時まで踊り、そのあとはタコスを食べ、7時くらいに家に帰る
という、まさにメキシカンな体験もできました。
彼女意外はほとんど英語は話さずスペイン語なのですが、毎食メキシコ料理を
ふるまってくださって、本当にあったかかったです。
でも、朝食が11時、お昼が4時、夕食が夜中の11時くらいになるのには驚きました(笑)
そしてテキーラのショットをがんがん飲んでしまう彼らにも驚きました。
そしてなにより、その彼らと一緒に飲んで踊っていた私自身の秘められた能力にも
驚きました(笑)感しました。

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そこから今度はナイアガラの滝へひとっとび。
初めて行ったので、スケールの大きさに感動しました。
街自体は観光地化されていて、うーん・・・と思うところもあるのですが、滝の力はすごいです。
夜ついて、次の日は朝から滝をカナダ側からもアメリカ側からも満喫しました。
カナダ側から船に乗って滝の側まで行き、その音と水しぶきの白さに感動しました。
アメリカ側では、滝のすぐ下まで歩いていけるツアーに参加しました。
サンダルとビニール合羽を配られるのですが、滝の下までいけば全く効果なし!
まさに滝に打たれてきました。
滝の水は冷たくて、勢いがあって、本当に威力がすごかったです。
自然はおっきいなぁ、と改めて感動しました。
滝を体全体で感じたい方には、アメリカ側のツアーはかなりオススメです。
ただし、パンツまでびしょびしょになる覚悟がある方のみですが・・・笑

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アメリカStay最終地はニューヨーク、マンハッタン。
実は予定ではメキシコから直接NYCに入り、3日間のステイのはずだったのですが、
急遽ナイアガラにいき、2日早くNYCに入ったので、最初の二日はJFK空港の近くの
ホテルに泊まりました。
そのJFKのホテルからマンハッタンのホテルまでの移動、かかったお金はたったの$5!!
タクシーに乗ったら$50以上かかるところを、たったの$5におさえました。
それは、必死の努力によるAir Trainと地下鉄での移動。
本来ならば地下鉄に乗り換えるところで駅を出るのに$5、地下鉄に乗るのに$2
かかるのですが、あまりに荷物が多かったため、わざわざ扉を開けてもらったら、
メトロカードをもっていたにもかかわらず、お兄さん、面倒くさくなったのか
お金を請求されませんでした。ラッキー☆
ということで、スーツケースとバックパックをもちながらマンハッタンの街中を
ホテルまで歩いたのです。学生だからできた荒業です。
こちらのほうはあまりオススメしません笑。

NYでは、Legally Blond、Tarzanというミュージカルを見たり、American Ballet Theaterの
公演を見たりして、舞台好きの私にはたまらない日々を満喫しました。
NYYankees VS Sattle Marinersという松井VSイチローという試合も見に行きました。
そして初めてハーレムにも行き、教会に行きました。
BCの授業が懐かしかったです。

そしてアメリカ生活最後の夜は、なんとクルーズでした。
実はどこに連れて行かれるか知らずに着いた場所はハーバー。
マンハッタンの夜景を見ながらのディナークルーズでした。
こんなイキな計らい、感謝です。
ツインタワーのなくなったマンハッタン、その夜景を眺めながら、あぁ、ついに
私の1年間に渡るアメリカ生活も幕を閉じるのだなぁ、と実感しました。

1年ぶりの日本は、やっぱり日本語が飛び交っていて、日本人が多くて、
日本の大学生はアメリカの学生と違って大学に行く時もおしゃれをしていて、
街中を歩いている人もどことなくオシャレで、家に帰ったら家がものすごく小さく感じて、
コップやらお皿やらも全てが小さく感じました。
あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ、と実感です。
帰ってきた日にはお寿司とすき焼きを食べ、日本食ってやっぱりおいしい、と感動しました。
5日間ほどのステイの間に、インターンシップのインタビューや野球の早慶戦など
いろいろなことがあり、あれよあれよという間に一時帰国を終えました。

サンディエゴでは、イリノイの先輩にあたる小助川さんのConferenceのお手伝いを
させていただきました。
イリノイの留学を終えてからも、こうしたつながりが持てることを嬉しく思います。
JICを通じて、もっとたくさんの方々と出会い、つながりをもてたらいいな、と思います。
ニュースレターを読んでくださり、コメントなどをいただいた時も、とても嬉しく、
がんばろう、という励みになりました。

そして2007年6月10日、とうとう日本への最終帰国を果たしました。

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[まとめ]

1年を振り返ってみると、この留学生活を通し、確実に自分なりに成長できたと思います。
勉強についてはもちろんですが、素直にいつもお世話になっている人、
私を支えてくれる人への感謝の気持ちが伝えられるようになった気がします。
私は日本ですら一人暮らしをしたことがないのに、初めて長期で親元を離れるのが
イリノイへの留学、というかなり大胆な決断でした。
一人で飛び込んだ異国の地では、風邪を引いても、どんなに忙しくても、
自分の面倒を見られるのは自分です。
当たり前のことですが、日本ではあまりに日常のことすぎて忘れがちな
その当たり前のことに気づき、感謝できるようになったことは、大きな変化だと思います。
朝起きたら朝ごはんがある喜び、気づいたら洗濯物がたたんで
自分の部屋に置かれている喜び、その当たり前のことがどれだけ嬉しいことで、
どれだけ愛情を必要とするもので、どれだけ私が幸せ者なのかを実感することが
できました。

人との出会い、世界中にたくさんの友達ができたことも、私の財産です。
旅行に行くにしても、そこに現地の友達がいる、家に泊めてくれる友達がいる、
ということは、ものすごいことだと思います。
そこまで深い友達がたくさんできたことを嬉しく思います。
何億人といる人々の中で、イリノイ大学という限られた空間でであった人たち。
今でもチャットやメールをしたり、Facebookでつながっている友達、これからも
ずっとずっと、つながっていたいと思います。

最後になりましたが、1年間支えてくださった両親、友達、そしてJICの皆様に
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。
この1年で、自分と向き合う時間が増え、自分がなにをしたいのか、どのような人間に
なりたいのか、という方向性が見えてきたように思います。
この1年は、自分の人生を決める上でもとても大きな1年になりました。
イリノイ大学への留学生活を通して得た経験を生かし、これからの人生を
しっかりと、自分の足で、マイペースに生きていこうと思います。

1年間の総まとめということで長くなりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。私のつたないレポートを読んでくださった方々、
まとめてくださった中山さん、一緒にがんばったきょうこ、にしくん、けんたろう、
そして私を支えてくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。

慶應義塾大学3年
佐藤 真莉子

川島今日子さんの2007年4月奨学生レポート

2006年度奨学生4月分レポートの第一弾は川島さんです。川島さんはイリノイでの毎日を、その自然や人々に溶け込みながら楽しみ、また北はカナダ、南はジャマイカまで足を伸ばしてきたようです。本当に日々学び、楽しむ貴重なすばらしい留学経験をしてきたようです。

JICの皆様、お久しぶりです。イリノイでは例年より春の訪れが遅いようで、3月に一度暖かくなったものの、4月に入ってからは冬に逆戻りしたような寒さ が続いています。それでも、咲き始めた花々のやわらかなピンクや、芝生の目に染みるような緑にすぐそこまで来ている春を感じます。もう少し暖かくなったら 外に飛び出して、友人と一緒にQuadの芝生で昼寝を楽しもうと思っています。

今回のレポートでは、Snow Day、Japanese Coffee Hour、Spring Break、授業とスポーツの4つについてご報告いたします。 (写真:キャンパスの木に咲く花)

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*Snow Day*

今年の2月13、14日はイリノイ大学で珍しいことが起きました!Snow Stormにより全学が2日間完全休校になったのです。大学の休校は1979年以来28年振りの出来事ということでした。積雪は約12インチで、風が強 く、まさに横殴りの雪。しかし、家でじっとしてはいられず、膝まで埋まるほどの雪を掻き分けてQuadへ行きました。そこでは解放感に溢れたたくさんの学 生が、それぞれにこの思いがけない雪の休日を満喫していました。私もSnowball Fightに参加してぐしょぐしょになり、雪に仰向けに倒れ込み手足をバタバタさせてSnow Angelを作り、最後はふかふかの新雪に飛び込んで全身雪まみれになりました。これ以上ないくらいに雪遊びを満喫した後は、みんなでコーヒーショップに 移動して温かいコーヒーを手にいつまでも話し込みました。

さて、イリノイは雪がたくさん降りますが、同時にどこまでも平坦な大地なのでなかなかスノースポーツができません。私はスノーボードが好きで、是非アメリ カでもやりたいと考えていたところ、嬉しいことに友人が声をかけてくれたので、台湾人と日本人の友人の5人でウィスコンシン州まで日帰りスノーボードに行 きました。小さなスキー場でしたが、山の上からの景色はきれいで溜息が出ました。初めてスキーを体験したという台湾人の友人もスキーは楽しいと嬉しそうに 話していて、とても充実した一日でした。私は実はこのスノーボード中に右膝を怪我してしまったのですが、McKinley Health Centerとその付属機関であるSports Wellness Centerから十分なケアを受け、早期に回復することができました。特にリハビリがしっかりしており、イリノイ大学の学生の健康に対する質の高いケアに 感心しました。 (写真:雪の日のQuadにて)
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*Japanese Coffee Hour*

今年もコスモポリタンクラブのJapanese Coffee Hourがありました。佐藤さん達もレポートの中で報告してくれると思いますが、少し触れておきたいと思います。事前に数人のアメリカ人学生から、「去年 のCoffee Hourはとても良かった。今年も期待しているよ」とプレッシャーをかけられ、今年もいい日本紹介ができるよう頑張ろうと思いました。

私たち奨学生以外の友人にも声をかけ、前日から佐藤さんを中心にみんなで料理を作りました。メニューは、おにぎり・雑炊・肉じゃが(ベジタリアンポットも 用意)・いんげんの胡麻和え・大福・麦茶です。佐藤さんと私は日本から持参した浴衣を着て配膳し、料理も衣装も好評でした!プレゼンは佐藤さん・西村君・ 私の3人で担当し、地理など基本情報、自然、文化に根付いた独特の宗教、伝統文化と現代文化などをテーマに話しました。会場では、日本の音楽を流したり、 国土交通省のVisit Japan Campaignのポスター掲示と資料配布をしたり、河手君が持参した書道セットを利用して書道体験コーナーを設けたりしました。書道コーナーは大盛況 で、外国人の学生に漢字名をプレゼントするととても喜んでもらえました。今年もJapanese Coffee Hourは大成功に終わりました。 (Japanese Coffee Hour)

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*Spring Break*

3月半ばの春休みには、日本から訪ねて来た母と一緒に、シカゴを基点に北と南を旅行しました。北はカナダのケベックシティ、南はカリブ海に浮かぶ国ジャマ イカです。ケベックシティはカナダの一部でありながらフランス語が公に話されることで有名ですが、街並みがとてもきれいで、通りに並ぶアパートのベランダ はまるでパリのそれのようでした。カナダは国旗にメープルの葉が描かれているように、メープルシロップの産地として有名です。今回の旅行はちょうどメープ ルシロップの収穫期に当たり、雪の上に煮詰めたメープルシロップを落として水飴のようにして食べるという有名なアトラクションを体験しました。飴が甘くて おいしかったのはもちろん、そこで出会ったフランス語を話すおじいさんと英語を話す私が、違う言語を話しながらも不思議とコミュニケーションをとれたこと が印象的でした。ジャマイカは想像した通り、明るくて陽気な人々の国でした。ジャマイカでは”No Problem!”が合言葉です。みんなニコニコして明るい太陽と豊かな自然に囲まれて楽しく生活しているという印象を受けました。ここでの有名なアトラ クションは「ダンリバーの滝登り」で、全長約180メートルの緩やかな滝を30人ほどのグループで一列に手を繋いで登るというものです。知らない人とも手 を繋いで助け合えば友達のようなもので、みなワーキャー叫びながらびしょ濡れになって登りました。日本からはあまり行かないような土地で新たな体験がで き、大変楽しい休暇となりました。 (写真:Quebec Cityにて)

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*授業とスポーツ*

今学期は5クラス履修しています。Media of Public Discourse, Intro to Organizational Communication, Economic Systems in Africa, Home Horticulture, Tap Dance2です。学期の初めに様々な授業を見学し吟味して履修登録したので、どれも興味深い授業です。特に、Economic Systems in Africaは、私の発展途上国の経済に対する関心と合致する部分が多く、毎回の授業で学ぶことが多いと感じます。また、前回のレポートで、授業の中で客 観的な質問・意見を出せるようにという目標を掲げましたが、Media of Public Discourseの授業にディスカッションセクションがあり、そこで実践中です。授業に積極的に参加しているとTAとも親しくなれるので、授業後も話が 弾んだり、課題について相談したりできることが嬉しいです。

先学期はスポーツと呼べるものはタップダンスの授業でしたが、今学期はそれに加えて週末にチームを作ってサッカーをしています。私は今までサッカーの経験 はなかったのですが、始めて本当に良かったと思います。授業や課題の気分転換になるということもあるのですが、なによりもスポーツを通した人との出会いが あります。新しい友人がたくさんでき、チームの戦術について真剣に話したり、他愛無い話に花が咲いたりするうちに、とても仲良くなりました。2月~3月に 行われた男女混合のIntramural Indoor Soccer Tournamentでは、みんなでひとつになって勝ちを目指し、結果こそ振るわなかったものの、とても良い思い出ができました。

スポーツと言えばもう一つ、私には去年の8月からどうしてもやりたいスポーツがありました。それは、スカイダイビングです。3月の末についにチャンスが訪 れて、イリノイの空高くから思い切って飛びました!からだ一つで空を飛ぶという、おそらく人生に一度の夢のような体験でした。着陸したのは、もちろんコー ンフィールドの真ん中です!

日々実りある体験をしているうちに、気づけばもう授業も残り一ヶ月となりました。春学期は秋学期の2倍のスピードで過ぎていくように感じられます。残りの時間でどれだけ多くを吸収できるか、自分に挑戦するつもりで頑張ります。 (写真:スカイダイビング)

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佐藤真莉子さんの2007年4月奨学生レポート

4月分レポート第二弾は佐藤真莉子さんです。佐藤さんはCosmopolitan HouseのCoffee Hourで積極的に日本のアピールをしたり、またダンスやバレーボール、ブラックコーラスなどパワフルに課外活動をしています。インタビューの取り方など 学校では学べないものも、実際にアッタクしていろんなことを学んでいるようです。残りの1ヶ月も十分に思い出を作ってほしいですね。

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JICの皆様ご無沙汰しております、佐藤真莉子です。今学期は先学期より1コマ授業を減らし、よりイリノイでの生活に“Involve”されることをモッ トーに生活しています。イリノイでの留学も残りわずかとなりましたが、今学期のイリノイでの生活について近況をお伝えしたいと思います。

1.Japanese Coffee Hour

2月22日、私の住んでいるCosmopolitan Houseで恒例のJapanese Coffee Hourを開きました。先学期のうちから何をしようかと企画を練っていたものの、皆忙しくなかなか本格的に準備ができず、かなりのドタバタになってしまいました。

プレゼンは西村君、川島さんと私の3人で担当し、料理は川島さんと私が中心となり、他の日本からの留学生などに手伝ってもらって作りました。当日は河手君も駆けつけてくれて、部屋の装飾や書道スペースの設置などを手伝ってくれました。

直前になってプロジェクターがないということに気づき、私の準備不足でみんなをハラハラさせてしまったことは大変反省していますが、Engineeringメジャーの友達に頼み込んでプロジェクターを借りてもらい、なんとか無事にプレゼンをすることができました。

料理は日本の家庭料理を味わってもらおうということになり、かつおぶしとゆかりのおにぎり、肉じゃが、いんげんの胡麻和え、サラダを振舞いました。 AMKOで買い物をした時、ダメもとで「Japanese Coffee Hourで日本料理を作るので何かDonationしていただけますか?」とお 店のオーナーに聞いたところ、なんとあんこの入ったお餅を4パックも寄付してくださいました!日本ではお店に無料で寄付してもらうことなんてとてもできな いだろうな、と思い、ちょっと感動しました。小さいコミュニティーならではなのか、アメリカ中部ならではなのか、アメリカ人の温かみを感じた瞬間でした。

実は私はCoffee Hourの次の日にNYで開かれるCareer Forumに参加したいと思っており、直前までCoffee Hourに参加する かどうかとても迷っていました。将来に関わることなのでキャリアフォーラムには絶対参加したかったのですが、Cosmoに住んでいる身としてやはり Coffee HourをOrganizeしないというわけにはいかない、ということで相当悩みましたが、周りの友達が支えてくれると言ってくれたので、 結果としてはちょっと無理してでも両方がんばろう、という結論に達しました。体力的にも精神的にも追い込まれており、かなりいっぱいいっぱいになっていま したが、両方やる、という決意のとおり両方やってみて、本当によかったと思います。こんな私を支えてくれたたくさんの友達に感謝の気持ちでいっぱいです。

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2.International Dinner

次のイベントはYMCAで開かれるInternational Dinnerでした。 このイベントはYMCAとCosmopolitan Houseが共催しているイベントで、各国の料理を振る舞い、ステージではパフォーマンスをする、と いうものです。私はCosmoのOrganizerのAndreaから、「ステージで歌を歌わない?」といわれ、調子に乗って「Yes」と答えてしまった ため、なんとなんと100人以上の前で歌を歌うというビッグイベントになりました。

一曲目はハウスメイトのZhongNingと一緒 に、アラジンより“A Whole New World”を、2曲目は一青窈さんの“ハナミズキ”を日本語で歌いました。ピアノ伴奏は同じくハウスメイト のYoungJae。“Far East3人組”などと冗談を言いながら練習をしていました。練習中はなかなかうまくいかなかったりして3人でかなり焦っ たり言い争いのようになったりもしましたが、本番前は緊張していた私を二人が和ませてくれたりして、無事に歌い終えることができました。

実はこのInternational Dinnerの様子がCBSの地元ローカル局、WCIAで放送されて、2秒くらいですがなんと私の歌っている様子が流れたのです!!わーい!!アメリカデビュー!!!!!笑

このイベントにはほとんどのハウスメイトがなんらかの形で関わっており、MCはYoungJaeとMichelle、ZNとYJと私は歌を披露、 Daniella、Inaki、Anna、Gabi、Sharylは各国の料理を作って振舞いました。Cosmo総動員でのイベントは去年の Thanksgiving Dinner以来だったので、とても楽しかったです。ハウスメイトが一体となって何かするというのはやはりつながりを感じられ て、とても良い思い出となりました。

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3.春休み

春休みは、ここでよく一緒に遊んでいるDanielsに住んでいる友達と一緒に一週間まるまるカナダのバンクーバーに行き ました。そのなかの一人Naviがカナダに住んでいるということで、彼の家にお邪魔させていただきました。彼はカナダで生まれたのですが家族は皆インド 人。私たちの滞在中は毎日お母さんがインド料理を振舞ってくださいました。

彼の家はバンクーバーから車で45分ほど離れたところにあり、とても静かな住宅街です。彼はArtitectureメジャーで、なんと彼の実家は彼が全て設計したそうです!!とても広くておしゃれな家で、「こんなところに住みたい!!!」と思いました。

毎日昼頃起きてご飯を食べ、観光をして夜はみんなで飲みに行く、というなんとも休みらしい休みを過ごしました。Thanksgivingはとにかく観光の連続でしたが、今回はゆったりしつつも観光できて、いいリフレッシュになりました。

初日に彼の友達の友達の結婚式の披露宴にお邪魔したのですが、なんとその披露宴が豪華なこと!インドのパンジャーブ地方出身の友達の結婚式で、まさに食べ る、飲む、踊る、という3拍子そろったドンちゃん騒ぎの結婚式でした。アペタイザーといって出てくる料理がすでにとても豪華だったのですが、そのあと ビュッフェがオープンして食べ放題、というなんとも豪華な結婚式。さらにお酒も飲み放題ということで、みんなかなり飲んでいました。でもインドの文化で、 飲むのは基本的に男性。女性は人前では飲まないというのが礼儀だそうです。なので女性は皆友達の男の子にお酒を頼んで飲んでいました。国や宗教が違うと文 化も違うんだなぁ、と再確認です。

旅の終わりには、ウィスラーにスキーに行きました。多くの友達が暖かい海を求めてフロリダやカリフォ ルニアに行く中、わざわざ北へ来た私の目的はスキー!!スキー大好きっこの私は、とにかくこのスキーを楽しみにしていました。山の下のほうは雨だったので すが、上のほうは雪で、景色はいまいちでしたがスキーをするコンディションとしては新雪だったので最高のコンディションでした。Vermont出身の友達 とひたすら滑りまくり、ウィスラーを満喫しました。

この旅を通して、一緒に旅行をしたNavi、Kevin、Dimitrios、 Vilas、GoEunとは本当に仲良くなれました。実は旅の途中にはいろいろと揉め事もあり、私ともGoEunが大泣きするというハプニングもあったの ですが、本心をさらけ出したことで本当に仲良くなれた気がします。

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4.Dance for Darful

以前のレポートでお伝えしたと思うのですが、先学期バレエの授業を一緒にとった友達と一緒に新 しくダンスグループを作り、パフォーマンスを開くためにがんばっています。きっかけとなったのはダルフールでのジェノサイド。そのためのファンドレイジン グとして何かできないか、ということで、私たちがダンスパフォーマンスをして、そのチケット代をダルフールに寄付しようということで始まりました。

一緒のグループにいるのは私以外全員アメリカ人!!!奇跡です(笑)ダンスをやっていたことにこんなに感謝したことはありません。文化は言葉を超えま す!!!このダンスは全て自分たちで振り付けをしたのですが、種類としてはモダンダンス。私はクラシックバレエをずっと続けていたのでモダンはほとんど 踊ったことがないのですが、友達に教えてもらいながら練習しています。パフォーマンスが来週の日曜日に迫っているので、今はなんと5日連続で踊るというか なりハードなスケジュールですが、成功させるために残り一週間、みっちり練習したいと思います。

5.Volleyball

先学期に引き続き、今学期もバレーボールのチームを作って試合をしています。今回は全員女の子のチームです。メンバーはこれもまた私以外ほとんどがアメリ カ人。まさにSorority Girlという雰囲気をかもし出している子が半分くらいいて、最初は声をかけるのもとてもドキドキしていましたが、何回か 練習を重ねるうちにだんだん打ち解けることができました。今のところチームは2連勝!これからも練習と試合を通してもっと仲良くなりたいと思います。

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6.Black Chorus

つい昨日のことですが、今学期最後のBlack Chorusのパフォーマンスを終えました。今回はMom‘s Day Concertということでチ ケットはほぼ完売!一年の中でも一大イベントでした。コンサートの最中、Dr.Davisがスピーチの中で「今学期で卒業するSeniorと Exchange studentのContributionは忘れられない」といってくれた時は本当に感動しました。歌っているとき、卒業する Seniorだけでなく、なんと私にも握手をしてくれました!Dr.Davisの目には涙が浮かんでいて、涙もろい私は感情を抑えることができず思わず ちょっと泣いてしまいました。

一回2時間半、週に2回の夜遅くまでの練習は大変だったし、Blackという未知の世界に飛び込むことはかなりの勇気が必要でしたが、この1年Black  Chorusのメンバーとして練習とパフォーマンスを重ねることで、新しい自分が見つけられた気がします。今回のパフォーマンスには多くの友達が見に来 てくれて、「よかったよー」と言ってくれるのがとても嬉しかったです。西村君は本当に感動してくれたようで、パンフレットをぐちゃぐちゃに曲げてしまうほ ど興奮してくれたみたいです。Black Chorusの一員であることを誇りに思います。

7.授業

今 学期の授業で一番楽しいのはやはりReportingの授業です。Broadcastingのクラスなので、一番大事なのは音!自分でトピックを決めて ニュースの原稿を書く、という宿題がメインで、そのためにインタビューをするのですが、毎回インタビュー前にはものすごく緊張しています。でも、思い切っ てアタックしてみると意外ととてもいいインタビューが取れたりして、なんでもまずはアタックすることが大事だな、と毎回勉強になっています。

今はSmoke-free LawがUrbana-Champaignだけではなくイリノイ州全体で施行されることが決定したことについてのニュースを書 いています。そう、ちょっとしたイリノイ情報ですが、今ここUrbana-Champaignでは、全てのPublic spaceでの喫煙が禁止されて います!バーも例外ではなく、今はどこのバーに行っても禁煙です。

新聞ではなくラジオのための原稿なので、インタビューは全てテープに 録音しなくてはなりません。この間は初めて電話でのインタビューに挑戦しました。電話だと相手の反応もわかりにくいし、ボディーランゲージを使えないとい うことでかなり緊張しましたが、何回か失敗を重ねた後、とてもいいインタビューがとれたときには感動しました。ここで学んでいるのはAcademicな知 識よりむしろ度胸のような気がします。

⑧最後に・・・

イリノイでも生活も残り1ヶ月を切りました。あと1ヶ月しかないですが、でもまだあと1ヶ月あります。JICの皆様の支えがあってこその留学生活、最後まで悔いのない様に毎日思い切り充実した日々を過ごしたいと思います。

河手賢太郎さんの2007年4月奨学生レポート

4月分レポートの第3弾は河手賢太郎さんです。裁判所に足を運んだり、ホームレスや子供たちと触れ合うボランティアに参加したりと、盛んにコミュニティに参加しています。この経験を是非将来生かしていただきたいですね。

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JIC関係者の皆様
ご無沙汰しております。
JIC奨学生の河手賢太郎です。

体験レポートも第三回目となりました。
一人でも多くの人にみてもらえることが何よりの喜びです。
読者を意識すると良い意味で緊張感も沸いてきます。

イリノイ大学への留学もあと残すところ1ヶ月弱となりました。
体験レポートを書いていると、春学期が始まって以降に起こったことすべてが思い出と共に目に浮かびます。

さ て、前回のレポートでも書きましたが、私は2月中旬から8~9回程、裁判所に足を運び法廷を見学してきました。幸運にもChampaign County Courthouseと Federal district Courtがキャンパスからバスで3分の位置にあり、アクセスに不自由はありませんでした。

County Courthouseでは飲酒運転に関する否認事件の陪審裁判を何件か見学しました。私が見学したのは陪審裁判Jury trialと裁判官による裁判Bench Trialでした。手続きは罪状認否手続arraignmentから始まります。拘留されている被疑者は、裁判所に行き罪状の認・否認をします。公開の法 廷で行われるこの手続きは、裁判官が「Plea guiltyをしますか?」と被疑者に聞き、認plea guiltyか否認 plea not guiltyをするわけです。傍聴席には被疑者の家族らしき人々が法廷を見守っていました。一度に4人の被疑者が法廷に呼ばれます。皆囚人服を着、手錠を はめられたままで、非常にリアルな場面でした。

裁判はまず陪審員選びから始まります。選挙人名簿に登録された一般市民が courthouseに呼ばれます。期日当日、30人程度の市民のなかから12人の陪審員が選ばれます。これがjury selectionという名の手続きで、公開の法廷で行われます。裁判官、検察官、被告代理人が陪審員候補者に次から次へと質問をし、当該候補者が公正な 事実認定ができるか否かを探ります。特に、私が傍聴した飲酒運転のあるケースでは証言台に立ったのが検察によって呼ばれた警察ただ一人だった事情もあり、 警察の証言をバイアスなしに評価できる陪審員を検察側はもとめているようでした。

「かつて身内に飲酒運転でつかまったことがあります か?」「身内が逮捕されたことはありますか」「あなたあるいは身内で飲酒運転の事故に巻き込まれた人はいますか。」「犯罪被害に遭われたことはあります か?」プライベートでセンシティブな質問にも答えなければなりません。「身内に犯罪者がいました」と答えた陪審員は、不快感がふっと顔に表れたのが記憶に 残っています。こうして12人の陪審員が選ばれ、いよいよ裁判のスタートです。両当事者がopening statementで争点を明確にし、その後証人尋問がありました。お昼休み休憩中、証人として呼ばれていた警察官に話しかけると気前よく答えてくれまし た。彼が小さいころから警察官に憧れていたこと、その日は公務中ではないことなどを教えてくれました。公務中でないのに制服を来てしかも銃まで腰に下げて 証言台に立っていたのは、おそらく陪審員に対する心理的な効果を期待したのかもしれません。

その裁判の評決は有罪guiltyでした。被 告人が身体検査を拒絶し、結局運転をしていたときに飲酒運転が成立する要件physically impairedがあったかどうかは客観的には明らかでなかったものの、結局beyond reasonable doubtと判断されました。

その時は「そんなもんか」と思いましたが、歯にものがひっかかったような感覚はいつまでものこりました。「市民社会ってけっこう不確実で脆いものなんだな。」というのが率直な感想です。

私 が裁判所に足しげく通っていたちょうどその頃、Law and PsychologyとSociology of Law の授業では陪審員の心理学というテーマで授業をやっていました。目撃証言などの正確性や証言の陪審による認識のされ方、性別あるいは人種による陪審の偏見 等の文献をいくつか読んでいたこともあり、法廷傍聴は非常に意義深かったです。

さらに幸運だったのは、ロースクールで行われた刑事事 件の模擬裁判の陪審員に選ばれたことです。裁判において陪審員が評決を下す前にする評議deliberationは非公開で、外からは伺い知ることができ ません。模擬裁判とはいえその陪審員の一人として評議の内部にもぐり込めたのは幸運でした。結局評議の大部分は、証言の信頼性とreasonable doubtの基準についての話し合いで占められました。私は「Reasonable doubtの基準についてはなかなか合意には至らないだろう」と当初思っていました。しかし、陪審員のなかにロースクールの学生がおり、彼が「うちの教授 がreasonable doubtは90%の疑わしさだ。」と言ったとたん、皆さん争わなくなりました。実際はそんなに高い基準の運用がなされているとは思えないのに、一留学生 の発言よりも現役ロースクールの学生の発言の方が説得的だったのでしょう。その他にも、自分が当事者になってはじめて「なるほど」とわかることが多く、非 常に有意義な体験でした。

授業の話しがつづいて恐縮ですが、

法社会学の授業が非常に面白いです。かつて体験 レポートにも書きましたが、法解釈中心の実弟法学とは離れて実際に法律が社会の中でどのように機能しているのかありは機能していないのかについて勉強した くてアメリカに来たという背景があります。今学期の法社会学の授業では様々なテーマを扱いました。以下に例をあげますと、紛争が発生する過程、学会・実務 家・裁判所の間の利害関係、アメリカ人の訴訟好きという日本にすら流布しているイメージがどのように形作られていったのかの過程、不法行為法における改革 におけるシンクタンクの役割、離婚問題における弁護士とクライアントとのやりとりの傾向、法律における性差別や人種差別の温存構造、などなどです。

授業の話しばかりで大変恐縮ですが、これで最後です。

Law and Psychology の授業では、社会調査や統計が判決に与える影響についてケースブックを使い学びました。商標侵害訴訟における侵害の程度、表現の自由訴訟における猥褻性の 程度、別学訴訟における人種別学や性別学の子どもに与える影響、刑事事件における心神喪失の程度等を判断するために、社会調査・社会が重要な証拠として訴 訟において取り上げられます。抽象的な何々standard をそのまま適用するのではなく、つまり法文の質的分析だけでなく社会統計的な量的考慮が判決に直接影響を与えるのには目を開かせます。

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アメリカにおける法社会学は、「学」内にとじこもらずに、それが判決に大きな影響を与えていています。裁判官による原理原則の恣意的な適用を、統計でヘッ ジする態度は、本音(社会統計)と建前(法律の条文なり原理原則)との距離を小さくしていこうとする努力の現れなのだと感じました。

春 休み中、私はシカゴで ボランティア活動をしていました。教会の施設に寝泊まりしながら、地域の小学校で子どもたちと遊んだり、ホームレスのシェルターに言って話し相手になった りしました。教会が位置するCentral 通り、Washington通りはシカゴではドラッグの取引が行われる最も治安の悪いことで有名な場所だそうです。

C.U.Pは春休 みにある5日間のコミュニティー・サービスプログラムで、イリノイ州の大学約5校から100人ぐらいの学生が教会の近くのアパートに寝泊まりする合宿形式 のプログラムです。春休みは留学期の最後の長い休みでもあり、これまでのイリノイ大学留学で授業の内外で学んだことを咀嚼・消化し振り返り、次にどのよう につなげていくかを考える貴重な時間でした。プログラムのテーマは社会正義。都市部における貧富の格差を肌で体験し、絶えない人種的偏見に対して市民とし てどう対応するのかを考えさせるプログラムでした。5日間のプログラムは3つの柱から構成されていました。第一に、social worker として活動しているスピーカーを招くことです。第二に、自分の社会経済的・人種民族的背景を見つめなおしアイデンティティを再構築することです。第三の柱 はコミュニティーサービスです。実際にシカゴのダウンタウンに出て、ボランティア活動をしました。

私の班はwarming center というホームレスの人が日中シェルターが閉まっている間に身を寄せられるコミュニティーセンターに行き、そこにやってきた人々との会話を楽しみました。

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今Chicago Urban Projectを振り返ってみると、ボランティアとは言っても、ほんの短い期間で実際のニーズは現地でホームレスとかかわっている人、地域の小学校の関係 者が痛いくらいわかっていて、それを3日間しかいない学生がやってきも何もわかりっこない。要は、大学が休みの期間に見学しにいったお客さんのようでし た。「誰かを助けようと自発的に行動する」volunteerというよりも「学ばせてもらう」という意識の方が正確かもしれません。こう考えて行動する方 がはるかに気持も楽でしたしもっと謙虚に人々のお話も聞けました。

Chicago Urban Projectが終わった後は一緒に参加したRyanの家に学校が始まるまでステイさせてもらいました。彼の家があるシカゴ郊外は、ダウンタウンとはうっ てかわって閑静で綺麗な住宅街でした。あまりのギャップに戸惑いました。もともと東京のど真ん中でこれまでの人生の大半を送ってきた自分にとって、 suburb – inner cityの二分法に渦巻く感情を理解できないでいました。しかし今回、大都市に住むよりも、都市の中心から自動車で4,50分離れた郊外に一戸建てを建 て、犬を飼い、広い庭を持つことを夢とするアメリカ人のものの考え方の一端を垣間見ることができました。

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復活祭Easterは毎年、春分の日の後にくる満月後の最初の日曜日にあります。2007年のイースターは4月8日でした。私は4月6日の金曜日から Easterにかけて、Chicago Urban Projectで知り合ったBethの家族と共に過ごしました。彼女の実家はO’ Fallonというイリノイ州南西部のセントルイスに近い町にあります。彼女の両親はかつて日本に住んでいたことがありました。父親のBob Vaughnさんはアメリカ空軍の元軍人として沖縄、東京の米軍基地にいた経験があるそうで、当時のことを思いで深く語ってくれました。Sueさんも大の 日本好きで、2人がもつ日本の伝統工芸品のコレクションや絵画のコレクションを見せてもらいました。国境を超えて渡ってきた文化との思いがけない再会で、 私も興奮してしまいました。

4月7日の土曜日はVaughn さん一家と共にセントルイスへと足をのばしました。早朝マーケットで買い物をすませた後、グランドアーチというモニュメントに行きました。このアーチは由 来がありまして、セントルイスはミシシッピ西岸に位置し、古くは西部開拓の前哨基地でした。1960年に入るとセントルイスのアメリカ史におけるかつての 位置づけを物語るようなモニュメントを作ろうという話が持ち上がり、西部開拓へのゲートウェイという意味を込めて、巨大なアーチがつくられるに至りまし た。帰宅後Sueさんが自慢の日本料理を振る舞って下さいました。牛肉も餃子の中身たりえる、と知ったのはその時です。

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日曜日の朝は家族全員と教会の礼拝につれて行ってもらいました。ベス曰く「Easterはクリスチャンにとってクリスマスと並ぶ、いやそれ以上に重要な日 なの」と言っていました。日本ではクリスマスを“祝う”習慣はありますが、イースターは祝いません。アメリカでは他の国では祝わない感謝祭thanks giving がありますし、南欧のある国では子ども達がプレゼントをもらうのはサンタクロースからではなく1月6日の東方の三博士Three Kingsからです。こうしてみると、日本も含め、キリスト教の受容のされ方の多様性を考えさせられます。

2月上旬より治療済みの歯が再び痛み始め、授業の負荷を減らし1週間~2週間日本に帰国するというトラブルもありましたが、

最後の一ヶ月を勉強も課外活動も思いっきり取り組んできます!

JICの皆様、これからも宜しくお願いいたします。

西村崇さんの2007年4月奨学生レポート

006年度奨学生4月レポートの第4弾は西村崇さんです。西村さんは日常の出来事からアメリカという社会について深く考えたり、アメリカの特徴ある場所を訪れたりしています。とても興味深い西村さんのレポートを、どうぞお楽しみください。

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陽春の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。JICの皆様はいかがお過ごしでしょうか。ここアーバナ・シャンペーンでもようやく春が訪れ・・・ と言いたいところですが、3月中旬~下旬に2週間ほど暖かくて天気のいい日々があったのを最後に、どんよりとした雲空と最高気温10度以下の日々が続いて 冬に逆戻りしたような気分です。この帰国までの短い日々の中で、ここの澄み渡った青空を見る機会があまりないのだなと考えるのは少々憂鬱です。しかし、そ の寒空の下では先学期にも増して充実した日々が過ごせているという自信があります。

今回のレポートでは、春学期の日々の生活から、春休みのアメリカ国内旅行についてお話していきたいと思います。

<授業>

今 学期は、SOC226 Political Sociology, SOC367 Globalization Dynamics Debates, SOC 380 Social Research Method, SPCM323 Argumentationの4つのクラスをとっています。今学期は授業以外の活動に時間を使いたいと思い、クラスのレベルを上げる代わりに授業数を減ら して金曜日を完全休日にしました。先学期に勉強に集中して取り組んだ分だけ、同じ時間で処理できる課題の量が以前に比べて大幅にアップした感覚があり、少 ない勉強時間で成績を維持することが出来ています。もっとも勉強以外に費やす時間が大幅に増えているので、相変わらず睡眠不足の日々は続いています が・・・さて、上の授業の中からお気に入りの授業2つについて紹介したいと思います。

・SOC367 Globalization Dynamics Debates

冬 休み中に参加したドミニカ共和国での短期プログラムの影響で、Globalizationという現象が世界各地にどういう影響を与えているのだろうかとい うことに興味を持ち始めていたので、またせっかく留学しているのだからアメリカ人や海外の大学生とひとつのテーマについて討論する機会を持ちたいと思い、 今までほとんど縁の無かった分野の授業をとってみることにしました。そして結果的に、この一年で一番面白い授業に幸運にもめぐり合うことが出来ました。教 官はイラン革命に参加したこともある中東出身の方で、せいぜい20世紀後半ぐらいから、あるいは先進国の視点から語られがちなGlobalization という現象やそれが及ぼした影響を、歴史的な観点からあるいは発展途上国などの視点から批判的に捉えなおしていくという講義をしてくださいます。授業のタ イトルの”Debate”の意味は「研究者・識者間の論争」というもので、残念ながら授業中に学生同士が議論するという機会があるわけではないのですが、 それでもなお、これからの世界を考えていくうえで、あるいは日本国内の問題(例えば、フィリピン人看護士受け入れ問題)を考察していくうえでも貴重な視点 が得られているという心地よさがあります。また、単に講義の内容だけでなく教官が授業中にしばしば発するジョークも冴え渡っていることも、この授業をより 魅力的なものしてくれています。ちなみに一番の私のお気に入りのジョークは、多国籍企業や先進国がどういう場所に投資するかというトピックについて講義し ていた時に、イラク問題に関連させて教官がおっしゃったものです;”You know, people do not want invest their money in unstable places because of the fear of losing money. Or, you should be Dick Cheney”

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・SPCM323 Argumentation

先学期に履修したSPCM101 Public Speakingの授業が、英語のスピーチの練習をするうえでもどのようにスピーチを書いていくかを学ぶ上でも役にたったことから、今学期も何かしら Speech Communicationの授業をとりたいと思いましたそこで自分がどちらかといえば苦手としている議論のやり方などを学べればよいと思い、上記の授業 を履修しました。授業が始まる前は、ディベートなどの口頭での議論を練習していく授業を想定していたのですが、実際に始まってみると、媒体を問わずいかに して有意味な議論をつくりだしていくかということに主眼が置かれ、課題の内容も、新聞への投書作成から巷で論議を呼んでいる話題について紹介するプレゼン テーション、「トールミンモデル」と呼ばれる議論の形式に関する理論を用いて先日アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画『不都合な真 実』(“Inconvenient Truth”)を批評する課題、ディベートなど多岐にわたり、様々な切り口から議論の深め方について学んでいけてとても楽しいです。人生で初めて出した投 書がシカゴ・トリビューン紙のWebサイトに掲載されたことは、ちょっとした記念になりました(笑)

また、この授業を履修していて印象深 い点は、決して単なるスキルの修得に終始していないことです。文献課題の大半は修辞学などの分野での主要な論文で、”Argumentation”の定 義・適用範囲や過去と現在を比較して議論画タイプ別に社会に対してどのような影響を与えうるのかといったトピックを扱っています。これらの文献課題を読ん でも、上手な議論の進め方が分かったり説得力のある文章を書くためのヒントを得られたりというように直接的な利益があるわけではありません。ただ、このよ うな作業を通していくことで、表面的なスキルを修得するだけでなく良質な議論の受容者、発信者になることを目指していくという授業の方針は、アメリカの大 学での授業はとにかく実践的なものが多いというステレオタイプを持っていた私には少なからず衝撃的なものでした。それと同時に、日本の現状に対しても若干 危機感を覚えるものでした。単純に言ってしまえば、日本の風潮として、実践的なことを学ぶことばかりが奨励されて、理論的なものが軽視されていると個人的 に感じています。しかし、もし理論と実践の両方をこなしてきた者が競争相手となったのなら―そして振り返ってみれば、UIUCで受けた授業の大半は両方こ なすことを求められていましたが―、(大げさに言って)日本人は果たしてこれからも立ち向かうことが出来るのだろうかと疑問に感じています。この点につい ては、できれば最終レポートで考察を深めたいと思います。

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<課外活動>

上の方でも述べましたが、今学期はなるべく授業以外のことにも時間を割こうと思い、時間を見つけては外に出て何らかのプログ ラムに参加したり、寮の友人達と様々なトピックで話をしたりしています。今回のレポートでは、その中からIllinois Leadership Center主催の”Insight”というプログラムについてご紹介したいと思います。

・”Insight”プログラム

イ リノイ大学では、”Illinois Leadership”というなるものを大学の一つの誇りとしていて、学部の授業としてはアメリカでもこの大学独自の授業といわれている ”Introduction to Leadership”という授業もあるなど、Leadership教育を充実させています。その教育の中心にあるのがIllinois Leadership Centerという機関で、学生に対して様々なプログラムやインターンシップの機会などを提供しています。メインプログラムとしては全部で5つあるのです が、その全てが大学の卒業生や民間企業による寄付金で賄われているため、驚くべきことにホテルへの宿泊を含むプログラムですら参加費用は全て無料です。そ のため学生の間での人気も非常に高く、参加者の募集が始まるとすぐにFullになってしまうほどです。このプログラムの存在を知って以来、自分も参加する 機会を伺っていましたが、先日ようやくその願いを実現することができました。

私の参加したプログラム”Insight”は、グループワー クやワークシートへの作業を通じていわゆる自己分析を1泊2日かけて行うものです。JICの奨学生に選出されるまで就職活動をしていた者としては、残念な がらプログラムの内容自体には目新しいものを感じませんでしたが、プログラムの充実度には感心しました。会場までは高速バスをチャーターして、一泊数十ド ルはするだろう中級ホテルを何十室も借り切って宿泊し、食事・軽食なども無料、性格診断なども受けさせてもらえて、最終的には参加者全員がプログラム参加 記念の写真立てをプレゼントされるというように、いったいどれほどのお金と時間が準備と実行に費やされているのだろうと思います。これだけのプログラムな のに参加費用は無料ということに、イリノイ大学の学生はいかにめぐまれた環境で生活を送っているのだろうということを改めて知らされました(もちろん、そ の分学費も高いわけですが…)

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<春休み>

春休みは、一緒に旅行を計画していた相手が直前になって遠出ができなくなってしまったために、残念ながら一人でコロラド州とネ バダ州を旅行していました。いかにもアメリカらしい場所を回りたいという単純な理由から、ロッキー山脈があるデンバーと世界最大の歓楽街のひとつであるラ スベガスにそれぞれ2日間ずつ滞在し、今は寂れてしまった町で金鉱山の歴史を誇らしげに説明する元鉱山労働者がいる一方で、途上国数ヶ国に相当するエネル ギーを消費しているのではないかと思われる街が共存しているという現実を前に、この国の幅広さを体感しました。

ただ、この旅行で一番興味 深かった時間を過ごせたのは、ある日本人女性の方と話した時のことでした。デンバーには、「さくらやスクエア」というデンバーに住む日本人コミュニティに よって運営されている共同施設や小売店が集まっている地域があるのですが、そこにある中古書店兼レンタルビデオ屋を興味本位で訪ねたところアルバイトをし ている中年女性の方とたまたま出会い、しばしお話させていただきました。その方は70年代前半にアメリカ人男性と結婚して渡米して以来、現在に至るまでの ほとんどの時間をアメリカ人で過ごされてきた方で、デンバーには80年代半ばから住んでいるそうです。長期滞在者から見た日本、バブル期に絶頂を迎えたデ ンバーの日本人コミュニティ、それに関連して日本人が起こした不名誉な事件と東洋人への偏見、そして近年の韓国人・中国人コミュニティの進出と日本人コ ミュニティの衰退、デンバーで深刻化する富裕層と貧困層の棲み分け問題・・・淡々な彼女の口調とは逆に、語られる話はどれも生々しくかつ刺激に富むもので した。お話しした時間はたった1時間ぐらいだったと思いますが、この1時間があっただけでも旅行した甲斐があったと感じさせてくれる時間でした。

以 上、春学期の生活とアメリカ国内旅行についてお伝えいたしました。奨学生の先輩方からは、春学期は時間が過ぎていくのが早く感じるとお聞きしていました が、本当にそのように思います。残り1ヶ月、授業だけならば2週間を切りましたが、アメリカを離れる最後の瞬間まで最大限に満喫して留学生活を終えたいと 思います。次回のレポートを書く頃には、既にこの留学を終えて日本に帰国している頃でしょう。次回には、留学の総括についてお送りしたいと思います。

最後になりましたが、私達の留学を支援してくださっているJICの皆様方、東京大学関係者各位、日本にいる家族や友人、そしてここで出会った全ての友人達に、この場を借りて心から感謝いたします。
2007年4月20日

西村崇

東京大学文学部
行動文化学科社会学専修課程4年

<写真>
1、気温が氷点下だった日の深夜にもかかわらず雪と戯れた後、友人達と
2、ロッキー山脈
3、ラスベガス
4、ドミニカプログラムの友人達とバーにて

2006年度奨学生レポート 特別編「奨学生座談会」

「JIC留学生による座談会」

2006年度奨学生の方から座談会を行ったというお知らせが届きました。これから留学なさる方などは是非参考にしてみてください。

昨 年の12月9日にJIC奨学生4人(佐藤茉莉子、河手賢太郎、西村崇、川島今日子)で集まり座談会を開きました。アメリカへの到着時のエピソードや寮での 生活を中心に話しました。私たちの生活ぶりが少しでも皆様に伝えられれば幸いです。また、今後留学する人たちが役立てくれればと思います。

質問:渡米後最初のご飯はどこで食べましたか?

佐藤:夜ご飯をスキップして寝ちゃったの。夕方についてすぐに買い物に連れていってもらったんだけど。最初の日ですでにコスモ の人の良さに感動したかな。でも夜ご飯食べる元気はなくてそのまま寝ちゃった。

川島・西村:初日から買い物に連れて行ってもらえるなんて、さすがコスモ(笑)

西村:僕 は、みんなよりかなり早くシャンペーンに到着したよね。8月12日の夕方には着いていて、ISRという寮にしばらく滞在していました。最初の夕食は、グ リーンストリート沿いの、Zorbasというお店でギリシャ式のサンドイッチを食べました。最初に食べた時からそのお店は気に入っていて、今でもちょく ちょく通ってます。

河手:ユニオンに泊まろうとしたけれども部屋がいっぱいで、とりあえず途方に暮れました(笑)。
結局深夜0時ころタクシーを使って郊外にあるホテルに行き、45ドルも払って1泊しました。翌日はホテルの近くにあるレストランでご飯を食べました。目玉焼きとベーコンエッグとコーヒーおかわり付き。シンプルなアメリカン・ブレクファストでした。

川島:私はウィラード空港で韓国人のミンさんという女性に話しかけられて、車でキャンパスへ連れてきてもらい、グリーンストリートの韓国料理ドルカスでお喋りしながら食べたのが初めての食事です。

川島:ところで西村君、学部寮には到着した日から入れるの?

西村:ISRと言う寮にはtemoprary housingという制度があって、学期休み中でも予約すると泊まれます。

川島:いつ頃自分の寮に移動できたの?

西村:8月15日のオリエンテーションの日に移動しました。

佐藤:私は部屋を探すのが面倒くさかったから、コスモにしたのも結構あるかも。去年の人が大変だったって言ってたから。しかも私ドームフード食べたくない、太りたくないって思ってたし。

川島:コスモは住みやすそうね。

佐藤:本当にびっくりするくらい古いけどね(笑)

川島:創設約100周年だね。一階の壁に飾ってある写真も相当古い。

佐藤:部屋が広いのはいい。授業でバレエを取ってるから、毎日部屋でストレッチしている。

西村:寮の部屋だとストレッチする程のスペースがないよね・・・

河手:寮だと、ラウンジがあるじゃん。そこでストレッチしなよ。

川島:西村君がラウンジで黙々とストレッチねぇ…(想像してみる)。近づきたくないよね。

佐藤:ひどーい(笑)

河手:ブリッジなんてしていたらさらにひきますね。

佐藤:ところで河手君や西村君も最初コスモに入ろうとしてなかった?

河手:うん、考えていたよ。「昨年度はJIC奨学生4人がなかなか学部寮に入れずにいて、住まい探しに苦労した」って聞いていたからね。

西村:僕も河手君と同じ事を思っていました。ただ、コスモに入ろうか入るまいか躊躇しているうちに、佐藤さんに先んじられてしまって・・・(笑)

川島:私もコスモは良さそうだと思ったけれど、他のオプションも考えて迷っていたな。

西村:ただ、コスモに住むとなると自炊しないといけなかったからね。あんまり料理や食材の買出しに時間をとられたくないと思っていたので、正直僕も迷っていました。

佐藤:私にとっては自炊できるのが一番の理由で、とりあえずアメリカへ来て太りたくないと思ってたから(笑)。自炊できるところで、すごい安くて、しかも部屋が広いって前の年の奨学生の方が言っていたし、ついてすぐテンポラリーハウジングを探すのが嫌だったんだよね。

河手:なるほどね。それに昨年のJIC奨学生の甲田さんが強調していたけど、コスモに住むといろんな国の人と知り合いになれるよね。

佐藤:で もね、最初の頃全然人と出会わなくて・・・15人いるはずだったのに全然で出会わなくて、すごく寂しかったんだよ。基本みんなGradStudentだか ら生活の時間帯が合わなくて、みんな何してるの?どこにいるの?って思ってた。最近はみんなと仲良くなっていっしょにぶらぶらしてるけど。そうそう今は学 部生はミシェルと私の二人だけだよ。

西村:それにしても、3人が躊躇してる間に、佐藤さんにはいっと手を挙げられたから(笑)。僕ら3人はコスモはあきらめざるを得なかったよ。

川島:うん、誰かが手を挙げるかな、と思っていた。

河手:僕は「誰か住みたいだろうなぁ」と思って、結局、いちばん最後に残った選択肢でいいや、と思っていた(笑)

1: コスモとは「コスモポリタン・クラブ」の略で、毎年JIC奨学生から1人はお世話になっているアパートです。世界各国からの留学生と一緒に暮らせ、かつ校舎からも近いという点からJIC留学生から根強い人気を得ています。

佐藤:河手君が今住んでいるFARは最初から希望していたんじゃないの?

河手:FARに決めたのは、もともとJIC奨学生が作成したアドバイス集にFARが紹介されていたから、じゃFARにしようということで決めたんだ。すごくシンプル。結局、住居についてはこだわらなかったなぁ。とにかく住めればいいや、って(笑)。

佐藤:それにしても西村君はすごいよね。いつも下調べをして。

西村:住 む場所は特に大事だと思っていたので。寮に住むことはすぐに決めたんだけど、学部寮にするか院生寮にするかで散々悩みました。ここに来る前は、アメリカの Freshmanに対して、全員がparty好きでとにかくやかましいというように、今から考えれば偏見に満ちたイメージを持っていたので、自分の性格を 考えた時に、そういうところに混じってやっていけるのかどうか、ということが不安だったので。かといって、院生寮だと部屋に閉じこもってしまいそうだとも 思ってもいました。学部寮の中でも、特にLiving Learinig Communityというのは特殊なプログラムがあるということで色々見ていて、過去の奨学生の古川さんという人のレポートを読んでみても、開放的な雰囲 気で一番いいかなと思い、結果的にGlobal Crossroad(以下 “GC”)に決めました。

川島:Living Learinig Communityではどういうことをするの?

西村:ニュー スレターにも書いたけれども、要は文字通り「住みながら学ぶ」ということです。それぞれのコミュニティにはテーマがあって、Global Crossroadは国際交流がテーマです。他には例えば、Six packのGregoryにはLeadsというコミュニティがあって、そこにはリーダーシップを学びたい学生が集まってきます。また、コミュニティの人だ けが受講できる特別なプログラムもあって、例えばGlobal Crossroad(以下、GC)の学生が優先的に受けられる国際関係論入門があったり、あとは寮のSocial Eventが多かったりと、一般的な寮よりも充実した生活が送れていると思いますね。

佐藤:アパートに住んでいる川島さんは、どうしてアパートシェアをしようと思ったの?

川島:寮ではなくアパートを選んだ理由は、自炊がしたかったのと、去年の奨学生が秋学期は希望した寮に入れなかったと聞いて大学寮に対して不安があったから。キャンパスから遠いOrchard Downに住むことになったら、車が無いので困ると思って。

西村:それはやっぱり懸念したよね。去年のJIC奨学生の白水さんの場合は、最初Orchardを割り当てられたらしいし。それはないだろうということで、Illini Towerに変えたらしいので。

川島:一 人の空間も欲しかったから院生寮のSherman Hallも考えたけれど、部屋がとても狭いと聞いていたので躊躇。学部寮に関しては、年の若いFreshmanが多く賑やかでもあり騒々しくもあると聞い て、自分に合うかな?と考えて。アパートシェアは日本ではあまりやらないし、アメリカらしい経験ができると思ってアパートを選択しました。

佐藤:コスモは一人部屋だからいいなー、って思ってたよ。

川島:ア パート探しは、UIUCのStudy Abroad Officeウェブサイトの掲示板を利用したよ。これは部屋を貸したい人と借りたい人が連絡をとるための掲示板。「一年間のルームシェアを探しています」 というメッセージを出し、何人かとe-mailで交渉して決めました。今はグリーンストリートの少し北のアパートを3人でシェアしていて、個人のベッド ルームがあり、キッチン・バス・トイレが共同。大学寮もイベントがあって楽しそうなので、来学期に移ることも考えたけれど、アパートをサブリースする相手 を探すタイミングを逃してしまって。でも、「住めば都」で落ち着いてきたので、この選択も良かったかなと思っています。

佐藤:それにしてもイリノイ大学に来るまでどの寮がいいかとかイメージが全く分からなかったよね。どの寮がどこにあるかとかも、地図を見ても見当が付かないよね。

川島:私 は、ハウジングについて、事前にもう少し詳しい情報を集めるべきだったと思う。例えば各大学寮の特徴や利点、おおまかな地理関係など。工学部の授業は Quadの北、自然科学系ではQuadの東や南、人文系ではQuadの南が多いよね。もちろん必ずしもそうでないこともあるけれど、授業のある建物や自分 がよく利用する建物と住まいが近いと、特に寒い冬は助かる。私は最近CRCEをよく利用するので、目の前にある学部寮のAllen Hallが羨ましい!そういう情報は過去のJIC奨学生に聞けば快く教えてくれるはず。

質問:みなさんは来年住むならどこに住みたいですか?

佐藤:次に住むとしたら、やっぱりコスモだな。インド料理食べたし、タイ人とタイカレーを作ったし、アメリカ人に教えてもらいながら、キャロットケーキを作ったり、インド人と一緒に映画を見たりとか。コーヒーアワー もあるし。

西村:GCの場合は時間帯にもよるけれども、会話をせずにどこかに行くことが不可能というくらい、誰かと顔をあわせるかな。

佐藤:そういうところがいいよね。コスモはみんな自立してるから。喋ろうと思えば喋れるけど。

西村:英 語の練習という点から言うと、瞬発性が鍛えられるのは、GCかな。もしこの一年間を経た後でまた住みたいかと聞かれたら、多少考えるけれども、(英語の運 用能力などが)去年と同じ状態で部屋探しをしろと言われたら、やはりGC になるだろうね。と言うのも、今学期とった社会学のAdvacnced Classでは毎週2,3本の論文を読まなければならなくて、他の授業でももちろん大量の宿題があったから、どちらかといえば部屋に閉じこもる時間が多 かったわけです。でもそういう中でも、誰かと話すちょっとしたきっかけが作れる環境に住んでいたのは、とてもありがたいことだと思ったから。 Sherman Hallの廊下を見たことがあるけれども、気軽に人と交流していくのは少し難しいかなと思ったし。学部寮には食堂もあるから、誰かを誘って食事にいくこと もできるしね。ちなみに、ダイニングホールのご飯はすごくおいしいと思います。ただ、さすがに朝食は飽きてきたけど(笑)。

河手:食堂はバイキング形式なので、「肉料理はあまり食べないようにしよう」とか「野菜中心の献立にしよう」とか自分で決めることができる。つまり自分の体を自分でケアできる。そこがいい!

西村:そうだね。アメリカへ来て思ったことのひとつとしては、こちらではベジタリアンが多いということ。だから、食堂では野菜がしっかり揃っているよね。

河手:寮での食事の利点は、食事を作る手間が省けることと友人と一緒にご飯を食べられることに尽きる。買い物に行かなくてもいいし。時間が節約できれば、その分はアサインメントをこなしたり、ソーシャルライフを楽しめるよね。

佐藤:コスモでは住んでいる人の国籍が違うから、一緒に買い物に行くときはみんな違うものを買ってそれがおもしろい。インド人の棚にはいろんなスパイスがあるんだよ。アフリカ人の人とかも結構ご飯を作っていてびっくりした。ご飯はアジアのものだと思ってたから。

西村:川島さんは来年住むとしたら、どこに住む?

川島:コ スモやGCで住みながら知り合いを増やせるのは魅力的。アパートではネットワークが広がらないので。または仲の良い友達と4・5人でアパートをシェアする のも楽しいと思う。同じアパートの4階に住む友達は、女の子5人で住んでいて、遊びに行ったら賑やかですごく楽しそうだった。

佐藤:私は、グレゴリードライブにあるアパートに1回行ったことがあるんだけど、すごくきれいで、住みたいと思った。だから1年いて、来年も住むんだったら、仲が良い子ときれいなアパートに住みたいな。

川島:こ ちらに住んでいればきれいでリーズナブルなアパートを見つけるのは可能だけど、私のように日本からインターネットに頼ってそれを探すのはとても難しい。実 際に部屋を見ないと様子が分からないから。私のアパートは入居当初は掃除が必要な状態で、日本から持ってきた雑巾が活躍しました。

佐藤:私は甲田さんが残していってくれた掃除道具を使ったよ。でもあとから親に掃除機買ってもらったけど(笑)。来年来る人にコスモポリタンなら薦めるけど空きがあるか分からない。

河手:僕 はFARを薦めるね。FARは共通のロビーをもつ二つ大きなビルで構成されていて、一つの階に約40部屋。一つの部屋に二人は入っているから、一つの階に 80人前後はいる。そして二つの建物にはそれぞれ12フロアあるから、合計でFARだけで約1920人の学生が住んでいる。朝授業へ行くとき、夕方寮に 戻ってくるとき、1階にある食堂に行くときなど、一日のうちで何度も通るロビーでは毎日一人か二人の友人とは顔を合わせるよね。そして知り合いが知り合い を生んでいくから、ロビーに行けば話し相手が必ずいるよね。待ち合わせ場所にもぴったりだし。
他の寮見れば分かるんだけれども、例えばSix Pack。1500人~2000人は住んでいると思うけど、共通のロビーがなくて、2階建てくらいの一つ一つの建物の廊下が直接外に通じているから、FARのようにはいかないだろうね。

佐藤:自炊もすごい楽しいよ。

2: コーヒーアワーとは、コスモで毎週木曜夜に催されるソーシャルイベントのことです。ある国をテーマにその国に関するプレゼンや料理を楽しむことができます。

質問:ルームメイトとの関係は?

河手:人によると思うけれども、僕の場合はルームメイト以上に、同じフロアの友人と一緒に過ごすことが多いよ。

西村:僕 の場合も、(ルームメイトはただの)共同生活者という感じですね。僕のルームメイトはオランダからの交換留学生でEelcoという名前なのだけど、 Outgoingなタイプの人間なので、そもそも一緒にいる時間もないので会話もあまりありません。最近は、特に感謝祭休みが終わってからは、彼女をほぼ 毎日連れてきては一緒に映画を見たりいちゃいちゃしてたので、さすがにこの前に堪忍袋の緒が切れて、散々文句を言いました。まあ、半ば予想していた通り、 彼はI did not know you were frustratedと言ってくれましたが。文化の違いを感じて、いい経験でした(苦笑)。

佐藤:そ うそう、関係ないけどさ笑、あたしブラックコーラスでできた友達とfacebookでけっこうつながってるのね。そしたら一緒に住んでるドイツ人の女の子 から「まりこはすごいね」って言われたの。珍しいのかなぁ、これって。でも確かに、黒人の子とは、ブラックコーラスを取ってなかったら友達にならなかった かもしれない。

西村:僕も黒人の友達はあまりない。

河手:黒人の友人なら授業や課外活動を通して知り合う機会が多いね。意識的に作った方がいいと思うよ。黒人はお互いbrotherhoodとも呼べるような固い紐帯でむすばれているみたいで、一人と友達になればどんどんネットワークが広がっていく。

川島:私は、履修した授業のせいか、比較的黒人の学生と出会う機会が少ないかもしれない。

佐藤:分かんないけど、なんとなくアジア人との方が交流しやすくない?

西村:アジア人かどうかではなくて、要は気が合うかどうか、という気がする。アジア人はアジア人で固まってるけど、黒人は黒人で固まっている。一人と友達になれば広がっていく気がする。

川島今日子さんの2007年1月奨学生レポート

今イリノイ大学に留学中の川島今日子さんから、2回目の奨学生レポートが届きました。川島さんはフロリダ半島でサンクスギビングを過ごしたり、ウィーンへの短期留学もしたりと、留学を字存分に楽しみ、そして成長しています。その活躍ぶりをご覧ください。

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ICの皆様こんにちは。この冬は例年に比べて暖かいと言われているイリノイですが、12月以降雪の降る回数も多くなり、今朝も窓の外は真っ白です。1月半 ばから”春”学期がスタートしましたが、うららかな春はまだ先で、しばらくは厚いコートに帽子と手袋の季節が続きそうです。

今回のレポートでは、<サンクスギビング休暇>、<学期末試験と友達との別れ>、<ウィーンへの短期留学>についてご報告いたします。

*サンクスギビング休暇*

11 月末のサンクスギビング休暇を利用して、フロリダへ旅行しました。まずマイアミとキーウェストを自分で観光し、その後タンパに住む友人を訪ねました。マイ アミでは、白い砂浜のビーチで昼寝をしたり、アールデコ地区のパステルカラーの町並みを見たりとのんびり過ごしました。滞在したユースホステルでメキシ コ・ロンドン・カリフォルニアなどから来ている女の子達と出会いました。ロンドンからの2人組の女の子は長期休みを利用して1ヶ月以上かけてアメリカ全土 を旅しているそうで、大きなバックパックが逞しく、たくさんの美しい風景を見たと聞いて羨ましく思いました。アメリカ本土最南端の島キーウェストへは、大 西洋とメキシコ湾とを二分するオーバーシーズハイウェイで行くのですが、その道中の楽園への架け橋と言われるセブンマイルブリッジが印象的でした。島では キーウェストを愛した作家アーネスト・ヘミングウェイの家へ行ったり、海辺のレストランのテラスで名物のカキフライサンドイッチを食べたりと、南国の雰囲 気を満喫しました。

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タンパでは2005年の夏に英国・ケンブリッジ大学のサマーコースで知り合った、フィリピン系アメリカ人の女の子Vanessaの家にお世話になりまし た。この港町はNYヤンキースのキャンプ地としても知られています。タンパに着いた日の夜は、Vanessaが「キョウコのために用意したサプライズ」と 言って、同じくケンブリッジで知り合った男子学生のTonyとのディナーをセッティングしてくれていました。3人で再会を喜び、近況を報告し合いました。 11月23日のサンクスギビングデイ当日は、Vanessaの親戚が一同に介して、ターキー・ハム・マッシュドポテトをはじめ、フィリピンの伝統的なヌー ドルなど、食べきれないほどの料理を囲んで賑やかにお祝いをしました。初対面の私のことを「日本からの特別なゲスト」と言って、家族のように歓迎してくれ ました。フロリダの明るい太陽と親切な人々に触れて、気力を満タンに充電して帰ってきました。

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*学期末試験と友人との別れ*

サンクスギビングが終わると、もう学期末が迫っており、期末レポート・試験の準備で寝る間もないほどでし た。中でも、International Communicationの授業のグループワークにかなりの時間を割きました。「地球温暖化に関する各国の報道比較」がテーマで、他の6人の学生と図書 館やUnionに連日集まって何時間も議論を交わしました。このグループワークを通して、真にアメリカ人の学生と議論することができ、また長い時間を共に 過ごしたのでメンバーとは大変仲良くなりました。満足いくプレゼンテーションとレポートが仕上がったのですが、全て終わったときは皆嬉しいと同時に少し淋 しい気持ちさえ感じていました。

さらに、親しくなった留学生の中には学期末で帰国してしまう友人が何人もいて、別れの時は本当に淋しかっ たです。たった4ヶ月間ですが、笑い合ったり、悩みを聞いたり、一緒にパーティに行ったり、時には愚痴をこぼし合ったりと、随分といろいろなことを話して きた友人です。UIUCで一緒に過ごしたことを忘れず、お互いの国を訪ね合おうと約束しました。外国に友達ができると今まで”外の”国だったその国がぐん と身近に感じられます。こうして、私の中で世界がまた少し小さくなりました。

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さて、冬休みにはイリノイ大学の短期留学プログラムのひとつに参加し、オーストリア・ウィーンで約3週間勉強しました。これは勉強という意味でも新たな体験という意味でも、予想以上に貴重な体験になりました。

私 のコースのテーマは、「ウィーンの文化的多様性・統一性とグローバリゼーション」で、中欧の歴史、国際社会におけるオーストリアの役割(EUや国連)、現 代オーストリアの移民問題、またこれらとグローバリゼーションの関わりなどでした。ただ歴史をなぞるのではなく、過去の事例から現代の私達が何を学べるか に重点が置かれ、昨今のイラク戦争とイラクにおける国づくりの話題も議論されました。午前は授業、午後はコーステーマに関連したエクスカーションまたは自 由時間に当てられます。エクスカーションでは、教会・宮殿・国会・難民生活支援施設・国連などを訪れました。また週末にモーツァルトの故郷ザルツブルグへ 行きました。これもただの観光ではなく、ザルツブルグセミナーと呼ばれる、世界各国の学生が集まって1週間毎に様々なテーマについて勉強する施設を訪れ、 刺激を受けました。ウィーンでの自由時間には、美術館やカフェでウィーンの文化を感じたり、市場や蚤の市で買い物をしたり、友人とオペラを観に行ったり (立ち見は3.5ユーロという安さ!)しました。そして、年越しもまた特別でした。日本で紅白歌合戦が放送されている頃はアルプスの麓でのハイキングを楽 しみ、夜には中心街でのシルベスターという年越しイベントに出向いて、たくさん出ている屋台で温かいワインを飲みつつ新年を迎えました。

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今回の短期留学では、大学1~2年時に学んだドイツ語を役立てることができました。というのも、オーストリアでは予想に反して英語の通じないことが多かっ たのです。私の拙いドイツ語でも、カフェでの注文や市場での値段交渉などの場面でコミュニケーションツールとして役立ち、嬉しく思いました。

私のグループは26人の学生とウィーン在住の教官でしたが、3週間のあいだにとても仲良くなりました。いつもアメリカ人の学生と行動するので、真に英語漬 けの環境の中で、英語力も向上しました。また、アメリカの外で「外国人としてのアメリカ人」がどんなことを考えるのかを知ることができ興味深く思いまし た。友人達は初めのうち、食べ物が違う、英語が通じない、支払いの仕組みがわからない(チップの小銭をテーブルに置いてしまい、笑われたことがありまし た)など習慣の違いに戸惑っているようでした。ある日ついにマクドナルドへ行った時、友人達は慣れたアメリカンフードを前にとても嬉しそうでした。教官は 学生のことをよく理解してくれる素敵な先生で、学生は皆教官が好きになりました。最終日には全員で木箱に入ったウィーンの有名なケーキ・ザッハートルテに サインをして、翌日が誕生日であった教官にプレゼントしました!日本語と英語で名前をサインしたら、友人達にすごーいと感心され、教官も漢字のサインに目 をとめて「ありがとう」と言ってくれました。

歴史に重点をおいた国際関係の授業は初めてで、出発前の11月・12月にも、また現地でも読まねばならない文献や提出課題が多く大変でしたが、一方で新しい分野に興味をもつことができとても充実した時間でした。

私 の留学生活も早いものでもう半分が過ぎました。先学期の始まりは右も左も分からない手探りの日々でしたが(本当にキャンパスマップは手放せませんでし た!)、今学期は英語・授業を含めイリノイ生活全般に慣れ、気持ちに余裕があるように思います。冬休みが明けて、キャンパスですれ違う友人達と「久しぶ り!冬休みはどうだった?また一緒にご飯食べようね」と声をかけ合う時、私はもう5ヶ月前のStrangerではなく、イリノイ大学というコミュニティの 一員なのだと実感します。今学期の目標は、授業を受けるだけでなく、より主体的に参加することです。先学期は授業内容を理解することで満足してしまう傾向 がありましたが、もう一段階進んで客観的な質問や意見を出せるようにしたいと思います。この機会に是非、アメリカで重要視されるCritical Thinkingのスキルを身に付けたいです。

残りの4ヶ月もあっという間に過ぎていきそうですが、毎日を充実させるよう頑張っていきます。JICの皆様、これからも宜しくお願いいたします。