JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、こんにちは。第二回目の奨学生レポートを送らせていただきます。
一月末の猛吹雪以来、(日本でもニュースになったかもしれません)冬らしい寒さが戻っていたキャンパスですが、ここ一週間は暖かい日が続き、雪解け水がキャンパスの至る所に水たまりを作っています。春の到来を期待するのはまだ早いかもしれませんが、とても気持ちのよい天気の中、いま、このレポートを書いています。
写真1:リス(NewYork育ち)
先学期の授業について
振り返ってみて、未だに強く印象に残っているのは、Globalizationの授業です。前回のレポートでは国家の地理的な境界を超えて市場、生産面、両方でビジネスを展開する企業が、TNCs(trans national corporations)として概念化されていることについて書いたように思います。授業ではその後、80年代以降にIMFやWorld Bankを通して広められた新自由主義的な経済政策の、主に途上国に対する影響や、こうしたGlobalizationの否定的な側面に対抗する社会運動などが取り上げられました。網羅的に関連するトピックを扱う授業で、特に個々のトピックについて深く掘り下げられた訳ではありませんが、これからいろいろな機会にここで学んだことを思い出す予感がします。
面白いことに別に受講している人類学の授業でも、グローバリゼーションが重要な背景になっているエスノグラフィーを、授業の後半に読むことになりました。エクアドルのindigenous communitiesが、自治を求める社会運動を形成する過程でコミュニティ間の違いや対立を乗り越える必要に迫られ、それがかえって広い範囲でのコミュニティ意識を再形成するというテーマのエスノグラフィーです。
二つの授業を通して興味深かったのは、 共に別々の領域の学問であるにも関わらず、 グローバリゼーションというトピックがここで論じられる際に、少なくともこの両者の間には、ある一定の共通知識が 共有されているように思えたことです。これからいろいろなフィールドで物事を考える際に、グローバリゼーションという視角は非常に重要な切り口になると思いますが、その時分野を超えてベースとなる前提知識を、この授業では学べたように思います。
余談になりますが、アメリカに来てから、知らなければならない、と感じる情報が格段に増えたような気がします。 グローバリゼーションの授業や、日本の外で生活している、ということが影響しているのかも知れません。今まではドメスティックな範囲内で考えていたことでも、もっと広く深い文脈でとらえ直さなければならないように感じることが多くなりました。
情報技術の発達で、地理的に離れた場所の出来事が、世界に影響を与えるスピードが早くなりました。同時に個々人がアクセスできる情報も増え、手に入りうる情報は増え続けています。けれど情報にアクセスできるということと、それを把握できるということは当然別で、こちらに来てからその限界を感じる瞬間が多くなったように思います。 アメリカに来てから、世界が変わっていくスピードがはやくなったように感じるようになったのは、僕自身の感じ方が変わったからでしょうか。
一方でこうした情報の洪水の中で、どうしたら流されずぶれない思考が出来るのか、本当に知らなければならないことはなんなのか、そんなことを最近少し考えるようになりました。答えはまだ見つかっていませんが、留学をしていなければ、こうして真剣に考えている問題にすらなっていなかっただろうと思います。
サンクスギビング&ウィンターブレイク
写真2:セントラルパークから
サンクスギビングが始まると、まずNew Yorkに向かいました。かなり出不精な僕は、実はそれまでシャンペーン以外に町というものを知らず(シカゴもまだその時は行っていませんでした)、まるでどこかの地方から上京してきた学生のように、NYの「都会さ」にただ興奮するばかりでした。
ニューヨークという街には至る所に歴史が刻まれています。泊まっていたホテル(というかアパート?)が築100年以上経っているのに気付いたり(そして、そのせいでトイレが詰まったり)、 ふらっと入った教会の美しさに、心やすらいだりしました。東京も京都もNYもChicagoも、そしてその後行くDCも、どれも大都市ですが、それぞれに建物の色や種類、街に流れる空気が違って、そうした違いを各々に感じれただけで貴重な経験でした。
NYを満喫した後は、WashingtonDCに向かいました。実は義理の叔母のお兄さん夫妻(Kenny&Donna)がDCに住んでいて、渡米前から、サンクスギビングの時には是非来るようにと、声をかけていただいていたのです。
NYを発ったのは丁度サンクスギビングデイの日でした。その日は、Kenny&Donnaそして従兄弟と一緒に、Baltimoreに住む親戚のディナーに招かれていて、DCではなくまずそちらに向かうことになりました。親戚同士の集まりに、一人英語の喋れない日本人がいる訳ですが、とにかく温かく接してもらい、居心地の悪さは全く感じませんでした。
ディナーが始まると、二十人くらいが真ん中に蠟燭が立てられたテーブルを囲み、伝統的なサンクスギビングの食事と会話を楽しみます。会話の内容はあまり理解できなかったのですが、共通の祖父母の思い出話などに花を咲かせているようで、終始とても温かい雰囲気が流れてたように思います。彼らにとって、この日はとても大切な日なんだな、ということが肌で感じられる一日でした。
KennyとDonnaは、両方とも料理が大好きで、毎日のように手作りのお菓子を焼いてくれます。美味しかったのは言うまでもありません。この居心地の良さのせいか、クリスマスにも滞在させてもらったのですが、その際にDonnaから「はじめての時はGuestだけど、二回目からは家族の一員だからね」と言われ、とてもうれしかったのを覚えています。アメリカの家族のように思えました。
実は、Kenny&Donnaのお隣の方は、ご夫妻ともにIlliniで、一度挨拶に訪れイリノイ大学に留学中だと話すととても喜んでくださいました。君は僕らの誇りだよ、とおっしゃってくださり、話している途中に、あれ、ご主人がいなくなったな、と思ってしばらくすると、どこからか見つけてきたのか、イリノイのすこしくたびれたオレンジのキャップをうれしそうな顔でかぶって戻ってこられました。一年だけの留学ですが、それでもイリノイ大学で勉強していたということが、これからもいろんなところで、思いもよらぬ共通点を見つけるきっかけになっていくのだと思います。
写真3:Kenny&Donnaとお土産の箸と
今期の授業について
今期の授業は以下のものを履修しています。
HIST142 Wester Civilization Since 1660
PHIL203 Ancient Philosophy
ANTH430 History of Anthropology
MS410 Media Ethics
今回の授業のテーマは(後づけですが)、「西洋の歴史」だと思います。歴史という学問には、どこか自分のことを知りたい、という社会の自意識があるように思います。まだセメスターがはじまって一ヶ月ですが、最初の三つの授業を通して、西洋世界の自意識に朧げながら触れているように感じています。
とりわけ、人類学の歴史の授業は、平行して専攻である社会学の歴史も取り扱っており、自分が専攻してる社会学という学問が、ある特定の社会の特定の時代的背景から萌芽したものであるということを、強く意識し直すきっかけになっています。
この授業では、社会学の基礎を築いたとされる泰斗二人(ウェーバーとデュルケーム)の代表作を読むことになり、社会学専攻なのにその文献を実は読んだことのない僕は、恥ずかしいことに英語ではじめてそれを読むことになりました。
社会学という学問は、いったい何をやっているのですか、と聞かれる確率の非常に高い学問です。僕は今まで一度も満足に答えられた試しがなかったのですが、この二人の社会学者はそれを定義すること(しかもかなり違った形で)からはじめています。人類学の授業ですが、この授業には、日本に帰ってからやらなければならない課題をたくさん残されたように思います。
とりとめのない内容になってしまいましたが、今回のレポートは以上です。課題はたくさんあるのに、たいしてなにも出来ていない自分がときに情けなく思えますが、それでもそれを見つけれただけ幸せなことだと思います。こちらでの生活は、思い返せば、後ろ向き7割前向き3割程度ですが、奨学生レポートは前向きな時に書いています。ただ、とても貴重な経験をいましているのは確かで、このような有意義な機会を支えてくださっている、JICのみなさま、両親、同じ奨学生のみんな、友人に感謝の意を述べて、第二回目の奨学生レポートを終えさせて頂きたいと思います。
写真4:冬のユニオン