乾 弘哲さんの最終レポート

皆様、お久しぶりです。2012年度奨学生の乾弘哲です。早いものでもう留学が終わって2か月近くが過ぎました。帰国後はすぐに就職活動に突入して留学をじっくり振り返る余裕がなかったのですが、このレポートを機にこの9か月について考えてみたいと思います。

 まず、留学をして学んだことのうち、勉学に関することを一言でまとめるならcritical thinkingだと思います。具体的に言えば、何かの見解に対して、それをそのまま鵜呑みにせず、その見解の持つメリット・デメリットを常に考える癖が身に付きました。イリノイでの授業は、与えられた課題のリーディングに対して批判を加えることが頻繁に求められました。その結果、discussionは揚げ足取りになりがちな部分も否めないのですが、これを繰り返し叩き込まれることで、日々接する情報に対してもその妥当性を常に問うような思考方法が身についたと思います。
また、それに関連することですが、こうした訓練に加えて、異国で生活したことで自分の考え方や価値観も、批判的に再検討するようになりました。自分が大事だと思うこと、考え方は果たして日本を離れても受け入れられるものか、受け入れられないとすればそれはどういう前提を共有しないといけないのかということを、頻繁に考えるようになったのです。日本に暮らしていると、ある程度同じような前提で話が通じるために見落としがちですが、最近よく耳にする「国際化」、「国際人」といった概念を支えているのは、こうした考え方の違いに敏感になることなのではないでしょうか。

日本館の桜と池。日本を思い出させる風景でした。

これまでのレポートでは触れてこなかったのですが、この留学を振り返るにあたって、1年を通してルームメイトだったDwayneについてお話しします。彼はシカゴの郊外出身のfreshmanで、engineerを目指して勉強していました。彼との出会いは、私の住んでいたintersections LLCのオリエンテーションの席で、会って早々の挨拶がハグだったのが驚いた記憶があります。
渡米前からすでにFacebookを通じてメッセージのやり取りはしていたのですが、実際に会ってみるとかなりやんちゃなところもある若者でした。最初のうちはおとなしくしていた彼ですが、やがて大学1年生らしくさまざまな遊びに手をだし、毎晩深夜遅くに帰ってきては、朝の早い私に起こされてかろうじて次の日の授業に出るといった時期もありました。ちなみに、春学期には時間割上私が起きる時間のほうが遅くなり、彼が遅刻する回数が増えていたように思います。
そんな具合で、まるで私が保護者のような関係でしたが、一方で、この太平洋を越えてきた留学生を彼なりに相当気遣ってくれていたのでしょう。一番印象に残っているのが、夜、唐突に彼が話しかけてきて、日本やアメリカの文化、宗教、さらにはお互いの人生観など数時間にわたって話し続けたことです。今から思えば、私の英語の拙さとそれに加えてそもそも知識不足もあり、私の言ったことが彼にどれほど伝わったかは疑問ではありますが、そんな私の言うことに真剣に耳を傾けてくれた彼の姿勢は、感謝するほかありません。さらに、ともすれば課題の忙しさから部屋に引きこもりがちだった私を外に引っ張り出し、友達に紹介してくれたのもいい思い出です。

春学期が終わる直前、フロアメイトとのお別れパーティ。中華のバイキングに連れて行ってくれたのですが、それまで食べたアメリカの食事のなかで一番の味でした。

学期が終わり、私がアーバナ・シャンペーンを発つ前日に、彼も実家へ帰っていきましたが、その帰りの車の中から、最後の長文の別れのメッセージを送ってくれました。さらに、その後のFacebookのやり取りでは、きっと日本に行くよ!とも言ってくれました。こうしたつながりが、イリノイで得た一番の財産として残っていくのでしょう。

 

 

 

5月上旬に期末試験が終わり、京都での就活説明会に参加すべく、その2日後にはあわただしくオヘア空港から旅立ち、長いようで短かったアメリカ暮らしは幕を閉じました。帰国が一週間ほどに迫った期末試験の最中から、これまで見慣れていた、そして何とも感じなかったアーバナ・シャンペーンの風景のすべてが、懐かしく、名残惜しく感じるようになりました。帰国が近づいて、もっとこんなこともしておけばよかったという後悔が山のように押し寄せてきて、1日1日を本当に貴重なものとして過ごしたように思います。

冬休みにも一度帰国はしていましたが、改めて日本に住み始めると、これまで常識と思っていたことがそうでもないのではないかと感じることがしばしばあります。たとえば、これは帰国してからつくづくと感じたことですが、日本におけるサービスの品質は素晴らしいものがあると実感しました。例えば日本で外食に行ったとすると、1000円未満で驚くほどの高品質の食事が出され、またサービスもチップも払っていないのに笑顔で迎えてくれます。こういったもてなしの心というのは世界に誇るべきと思う一方、少なくともアメリカと比べてサービスを供給する側の負担で支えられている部分が大きいように思われます。
このレポートを書いていて思うのですが、日本に帰国してからというもの、日々の生活の中のふとした瞬間に、自分の中の変化に気づくことがしばしばあります。この留学が自分にもたらしてくれたものというのは、率直に言ってまだ把握しきれていない気がするのですが、既に自覚している変化だけでも相当な数に上っています。
留学はどうだったかと人にきかれれば、楽しかったと答える前に、辛いことも多かったという答えが自分にはしっくりくると思います。語学の面では、やはり最後までネイティブスピーカーの言うことは聞き取れないこともままありましたし、文化というか、考え方、生活の仕方の違いに慣れたかと言われればなじめきれないところもありました。しかし、言ってよかったかと聞かれれば、確実に素晴らしかった、多くのことを学んだと答えますし、また機会があればまたチャレンジしたいことはたくさんあります。この、楽しいことばかりではなかったという自覚が、ある意味ではこれからの自分を駆り立てる力になっていくのでしょう。
もし、留学に悩んでいる人がいたら、もし少しでも行きたいという気があるならぜひ行くべきだというと思います。もちろん、実際にネガティブなことはたくさん起こりますし、留学の途中で心が折れそうになることも多々あるでしょう。だからその意味で、日本人の友達や、日本の友達とのつながりなどセーフティーネットを維持することは絶対に重要です。しかし、折れそうになる心を建て直し、留学を終えてみると、確実に一回り大きくなった自分を再発見するのだと思います。

最後になりますが、このような数えきれない経験を積むきっかけをいただいたすべての方、何かにつけてお世話になったJICの皆様、現地の日本人会の皆様、そしてさまざまな面で支えてくれた同期の奨学生の皆にこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

ユニオン近くの植え込み。シャンペーんの美しさを思い出す一枚です。

 

 

 

 

2013年7月12日
京都大学法学部4年生
乾 弘哲

佐藤香織さんの最終レポート

皆さま、ご無沙汰しております。2012年度奨学生の佐藤香織です。留学を終えて日本に帰国してから早1カ月が経ち、帰国当初は久しぶりの日本での生活に違和感を感じていましたが、今ではまた、もとの日本での生活に落ち着いています。
今回のレポートでは、前回のレポートに引き続き、①春学期の期末試験、②ボランティア旅行・シカゴ観光について最初に触れてから、最後にこの1年の留学を振り返りたいと思います。

(1)期末期間
前回のレポートを書いてからおよそ1週間後の5月1日に、春学期最後の授業がありました。周りの正規の学生たちは、期末テストが近づいていることを嘆いたり、また、その後に待っている夏休みを楽しみにしていました。しかし、私にとってはイリノイ生活最後の授業であり、終わった後は、「ここでもう授業を受けることはないのか」、と思って無性に寂しさがこみ上げてきたほどでした。夏が近づくのを感じさせる、からっと晴れた日だったので、賑やかなQuadの周りを歩きながら、渡米当初にSpeechの授業や小テスト等に悪戦苦闘していたときの出来事を思い出して懐かしくなりました。また、今ではこうしてイリノイの学生として学業や課外活動等に自然に溶け込めている自分を見て、この一年で少しは成長できたのかな、と感じたりもしました。

友人の卒業式に出席

期末期間の課題・試験としては、期末試験が3つ、期末レポートが3つありました。期末試験は、定期的な中間試験と同じような内容であったため、文献を読み、Review sessionに参加することで対応しました。一方で苦戦したのが期末レポートでした。ひとつあたり10ページ程度のレポートが課され、ライティングの授業で教わった論文テーマのリサーチをしたり、決まった書き方を細かく実践するのにとても時間・労力がかかり、どれも締め切り間際の提出となってしまいました。しかし、どれも様々な文献を参照できたこと、構成の整った、首尾一貫した論理展開ができたことなど、様々な点でライティング能力の向上がみられ、満足しています。特に、ライティングのクラスで書いた「学生の妊娠問題」について扱ったエッセイは、クラスの優秀作品として、来期以降の授業で模範エッセイとして参照されることになり、嬉しく感じています。

授業最終日のQuadの様子

(2)ボランティア旅行
5月10日にすべての試験を終えた後は、急いでパッキングを済ませ、12日から1週間、Alternative Spring Breakと呼ばれる学生ボランティア団体の主催するボランティア旅行に参加しました。旅行先がいくつかあった中で、私はワシントン州オリンピアに行き、“GRuB”という現地のボランティア団体の活動(農業を通じたコミュニティ支援、貧しい学生の支援)に加わる旅行に参加することにしました。

Alternative Spring Breakのボランティア旅行

Alternative Spring Breakのボランティア旅行のユニークな点は、旅行先まで車でドライブして行き、現地では、シェアハウスや借り家で生活し、グループメンバーで分担して自炊をすることです。私の行ったワシントン州は数あるAlternative Spring Breakの旅行先の中でも最も遠い場所のひとつで、片道2199マイル(3500km以上)の道のりを車で約40時間かけて向かいました。正直、現地でのボランティア作業よりも、行き帰りのドライブの方が体力的に辛かったです。(笑)
現地では、先ほど説明したGRuBという団体のもとで、花壇の種まきや簡単な花壇づくり、畑のメンテナンス等を、現地の低所得の家庭の学生たちと一緒に行いました。彼らは夏休みを利用して、このようなGRuBの主催する農業プログラムに参加し、学校で取得できなかった代わりの単位取得を目指しています。どの学生もとても意欲的で、花壇づくりなどについて何も分からない私たちに親切にやり方を教えてくれたり、一緒にゲームをしながら作業をするなかで、様々な交流ができました。
また、Kitchen Garden Projectと呼ばれるGRuBが主催する、地元の家庭を訪れて、庭に花壇をつくる手伝いをする作業があり、私は2日間、別々の家庭を訪問し、そこでの花壇づくりに参加しました。その中でとても印象的だったのは、「周りの貧しい家庭に自宅の花壇で栽培した野菜やフルーツを無料で配るために、今回花壇を作ることを決心した」、というご主人のお話です。オリンピアは、イリノイに比べて人口も少ない小さなコミュニティの分、コミュニティ内の交流や助け合いが盛んで、このようなお話をはじめ、ボランティア活動やシェアハウスで知り合った様々な人から心温まるお話をたくさん聞くことができました。
この1週間のボランティア旅行はあっという間でしたが、ボランティアの経験だけでなく、40時間のドライブ、メンバーとの自炊生活、オリンピア観光やハイキング等、本当にたくさんの貴重な経験を帰国前に体験することができて、とても有意義な時間が送ることができたと感じています。

(3)シカゴ観光

シカゴ名物のジャズバー

ボランティアからシャンペーンに戻った後は、数日シャンペーンでのんびりした後、すぐにシカゴに移り4日間観光しました。実はこれまで、サンクスギビング休暇時にシカゴでショッピングした以外に、あまりシカゴをじっくり観光する機会がありませんでした。今回は、じっくりシカゴを満喫したいと思い、まるまる4日間を観光に費やしました。シカゴ美術館、近代美術館をはじめとした有名な美術館で芸術を鑑賞したり、ミシガン湖のビーチを訪れたり、ルームメートやイリノイ大学の友人と会って最後に一緒に遊んだりすることができ、とても良い思い出になりました。また、日本の友人向けに大量にお土産を買うため、アメリカらしいお菓子や、ギャレットポップコーンと呼ばれる、日本にも昨年原宿に1号店がオープンし、反響を呼んでいるシカゴ名物のポップコーンを買いました。ギャレットポップコーンはChicago Mixと呼ばれるキャラメル味とチーズ味のポップコーンがミックスされたメニューが一番人気らしく、私もお土産に1ガロンも購入したのですが、キャラメルもチーズもとても濃厚な味がしておいしかったです。
シカゴでの4日間もあっという間でしたが、帰国前最後にこうしてゆっくり観光することができて良かったと思っていますし、また、機会があれば是非戻ってきたいと思っています。

ルームメートと最後にシカゴ観光したときです!

(4)最後に…振り返り
現在、帰国して1カ月が経ち、これまでのイリノイ大学の留学生活を振り返ってみると、本当に色々な面で成長できたと感じますし、また、今後どのようなことに取り組んでゆけばいいのか、という指針を知る大きなきっかけになったと感じています。
もともと留学といった、海外に出ることに対する憧れ、興味はあったものの、ろくに外人と話したこともない私にとってアメリカでの生活は未知でした。そのため、留学前も明確な目標や理想像を思い描けず、とりあえず外国での生活に慣れて、大学の授業についてゆく、ということしか正直最初は頭にありませんでした。それでも、今振り返ると、日本では想像もできなかったような体験をたくさん得ることができたと思っています。実際のアメリカの学生たちが会話をするスピードに驚き焦る一方で、日本で学んできた英語がちゃんと通じるんだなぁ、としみじみ嬉しく思ったり、また、授業でアメリカ人がジョークを交えたスピーチを言っても自分にはよく分からずショックを受ける一方で、それでもしっかり宿題をこなすことで満足のゆく成績を取れて達成感を味わう、というような何とも言えない相反する感情が共存する感覚はとても新鮮でした。きっと、日本にいたままでは、英語がネイティブのように話せない悔しさや屈辱感も、また反対にそんな環境でもしっかり成果を出せたことへの達成感や充実感もこれほど大きく味わうことは出来なかったと思います。そのような点で、本当にこの留学は私にとってかけがえのない貴重な経験でしたし、上で述べた、留学中に感じた悔しさは今後のモチベーションに、そして達成感は今後の自信に繋がってゆく、自分を大きく変えてゆくものとなりました。

最後になってしまいましたが、このような満足のゆく留学は、本当にたくさんの方々の応援、支えがあったからこそのものだと強く思っています。留学前から帰国まで様々な面で支えていただいたJICの方々、日本から連絡をくれたり、休暇中に遊びに来てくれた友人、そして留学中にお互い支えあい、刺激し合えたJICの同期メンバーには本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。

第37期奨学生
佐藤 香織

奥谷聡子さんの最終レポート

日本は梅雨も明け、紫陽花が大輪の花を咲かせる季節となりました。
5月21日に無事、約一年間の留学生活を終え、 シャンペーンから日本に帰国して参りました。

帰国直後は、まるで竜宮城から戻った浦島太郎になったかのような不思議な感覚で、この一年は本当に起きたのかと自分を疑ってしまうほどでした。確かめるかのように、ふと下を見るとイリノイ大学で打ち込んだアイスホッケー部のスウェットに背番号の8番が刻まれているのを見て、少し安心感と切なさを覚えたのは今でも忘れません。あれから数週間が経った今、ようやくこうして最終回となる奨学生レポートに正面から向き合う心の準備ができました。

帰国日のウィラード空港。はじめてAlmaMaterに会えました。笑

長年親しみのあった東横線渋谷駅も、新たな首相への政権交代も、留学中は好都合だった円高経済も、卒業して4月から社会人となった同期も、帰国してみたら多くのことが変化していました。その一方で見慣れた環境や集団の中に戻ってみても、なんだか腑に落ちず 、その理由をじっくり考えたら、この一年で変わったのは周囲の環境だけでなく、自分自身だからだと気付きました。
最終レポートでは、出発前、留学中、帰国を通して感じてきた偏見や疑問に自分なりの考えをまとめ、帰国間際の数週間について、自由に書き散らしたいと思います。

⒈.留学の3つのウソ
2.期末試験と引っ越し
3.困難と挑戦

1.留学 〜3つのウソ〜
其の一【留学をすれば英語が自然と上手くなる】
海外へ行き、異国の地に身を置けば、語学力は自然と身に付くとのことをしばし耳にしますが、その考えは誤りだと思います。海外へ行っても、日本人同士で常に固まっていたら英語力は上達しませんし、極端な話、最低限の英語だけで生活していくことは容易にできます。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校は全米大学では2位、州立大学では1位の留学生数を誇り、国際的なキャンパスとして有名ですが、私が目にした実態は想像と少し異なり、この矛盾に悩むことが多々ありました。確かに、学生の20%は留学生で、中でもアジアからの留学生は多く、人種構成も多様です。しかし、キャンパスは人種のるつぼというより、綺麗に詰められたお弁当箱のような感じで、現地の学生と留学生、人種間には見えない壁がありました。 例えば、アジア人はアジア人同士で固まり、白人は白人同士、黒人は黒人同士、ヒスパニック同士などとそれぞれの集団間の混ざり合いや交流を見かけることは残念ながら少なかったです。キャンパスは世界中の学生が融合された縮図というよりも、人種がグループを成して分散していました。 同じアメリカ人同士であっても白人と黒人がそれぞれのコミュニティと文化があるように、同じ国籍や人種の空間を心地よく感じるのはごく自然なことだと思います。だからこそ、敢えて居心地の良い領域から一歩踏み出し、自ら外部へ働きかける行動力がなければ内部のコミュニティに入って行くことは難しく感じました。そういう意味で、体育会アイスホッケー部に入部し、 敢えて自らを現地の学生と協力しなければならない環境に置いたことが、その見えない壁を乗り越えるための最善の決断だったと思います。

:Illini Women’s Hockey Farewell Banquet 卒業生に素敵なプレゼントが贈呈されました

其の二【海外の学生は優秀である】
出発前は一般的に聞いていた噂から、海外の学生はレベルが高く、優秀であるとのイメージを漠然と抱いていました。ですが、実際には学生や教育内容のレベルという意味では、日本と変わらない、むしろ日本の方が高度だと感じることもしばしありました。しかし、決定的に違うのは大学の教育システムと卒業後の進路システムです。確かに海外の学生は日本の大学生と比べて圧倒的に勉強量が多いです。College Life Triangleとはアメリカの大学生活を表す三角形で、そのうち二つしか頂点を選ぶことができないのが実によくその様子を物語っています。イリノイ大での ドロップアウト率は50%と卒業までの道のりは険しく、競争も激しいです。しかし、なぜアメリカの大学生はこれほど勉強するのかと言えば、第一に卒業後の就職や進学にはGPAが重要視されているということ、第二に大学教育の密度が高く、職員や教授が学生の指導に熱心であるということが挙げられます。こうしたシステムが教育を変え、大学を変え、そして学生の意欲を高めているのだと思います。競争の激しい環境の中で一年間学び、日本の大学教育との密度の格差に危機感を覚えられずにはいられませんでした。

其の三【外国人は日本に関心がある】
留学生の数が全米2位に入るイリノイ大学へ行き、驚いたのがキャンパスでの日本人の存在感の薄さでした。大学が公表している2013年春統計によるところ、留学生の数では1位が中国(3,693名)、2位韓国(1,303名)、三位インド(874名)。。。下ること15位に日本がわずか61名でした。世界第三位の経済大国とはいえ、今や世界の関心は中国、文化面では特に韓国へ移り、キャンパスにいる留学生の数の上でも日本の存在感は非常に薄かったです。特に、中国や韓国からはエンジニアとして将来アメリカで働くチャンスを求めて留学する学生が増える一方で、日本人留学生は大幅に減少傾向にあり、グローバル化と叫ばれる反面、就職システムが学生の考え方を内向的にさせ、世界の波から日本は遠ざかっているように感じました。逆に、アメリカ人学生は外向的なのかと言えば、そうでもなく、むしろ世界中の人がアメリカに流入してくるので、彼らは海外へ行く必要性をあまり感じていませんでした。内陸部の大学だから尚更、イリノイ大のStudy Abroad Officeは内向的な国内の学生の目を海外へ向けることに苦労しているようでした。しかし、日本のアニメや文化が好きで、日本に興味を持ってくれる学生もいました。中でも中国人や韓国人などアジア人に多かったです。日本国内にいた時は、あくまでも私のアイデンティティは日本人でしたが、海外では私はアジア人であり、その中の日本人として見られることが多く、いつの間にかそんな二重アイデンティティが自分の中で芽生えていました。だからこそ、とりわけ日本の文化や日本の歴史に興味を持ってもらえるということは有り難く、この一年間、日本にもともと関心を持っている学生とそうで無かった学生に対しても自ら働きかけることに努めてきました。寮の日本語教室でカルタ大会をやったり、アイスホッケーの友人と日本館のティーセレモニーに行ったり、ポットラックパーティーで特訓した巻き寿司を振る舞って盛り上がったり。ちっぽけな一学生ではありますが、私の日本の伝え方や行動一つで日本に対する印象は大きく変わりますし、この一年で私が出会った周囲の人たちの印象を少しでも変えられたなら幸いです。

寮の日本語教室の模様

2.期末試験と引っ越し
今学期は期末ペーパーが3つと期末試験が3つ有り、試験期間初日から最終日までと嫌らしいスケジュールでした。なぜ嫌らしいかと言えば、期末期間終盤までには大多数の学生は試験を終え、続々と引っ越して出て行き、残された学生は打ち上げパーティーに行くか、ガラーンとしたキャンパスでひたむきに試験勉強に取り組み続けなければならないためです。(笑;)最終日の期末試験は2時間半の長丁場で、試験を終え、鉛筆を下に置いたときには拳の裏が真っ黒でした。試験をようやく終えた夕方4時には、嬉しいと感じるどころか、急いで寮に戻って夕方6時までに引っ越す準備を始めねばなりませんでした。少しずつパッキングはしていたものの、期末期間中はほとんどできず、寮での最後の二時間は忘れもしないパッキング作業との激闘でした。引っ越し間際まで試験勉強やパッキングに忙殺され、一年間お世話になった友人一人一人、特にルームメイトとじっくりお別れもする時間がない状況に悲しくなり、パッキングを必死にしながら涙が出てきました。すると、ルームメイトをはじめ、残った寮のフロアメイトたちが全員私の部屋まで集まってくれて、「私も手伝うよ!」と総動員でパッキング作業を開始しました。どこの引っ越し業者かと思うような光景でしたが(笑)、友人たちが手伝ってくれたおかげで、お世話になった友人たち一人一人と涙の別れを惜しむことができました。ルームメイトのアレックスをはじめ、寮の友人はこの一年間で私の家族となり、最後まで本当に彼らに助けられました。ありがとう。

引っ越し〜寮の友人たちとの別れ〜 中央はルームメイト

 

 

Global Crossroads寮のお別れパーティーでの集合写真

3.困難と挑戦
この一年を振り返ると、様々なハプニングや危機に直面し、海外ではその都度自分で考え、自分でなんとかしなければならない場面が多々ありました。その一方で、時に人の優しさや親切に救われることもありました。

冬期南米ペルーの海外研修を終え、リマからアメリカに戻る時のことでした。アメリカ人の教授とクラスメイトたちはスムーズに入国審査を通過できたのですが、日本人の私は入国審査に2時間かかったため、クラスメイトとの団体飛行機に乗り遅れ、ただ一人フロリダに取り残されたことがありました。どうしたらいいのかも分からず、取り残されてしまったのでまずは航空会社のカウンターで事情を説明し、キャンセル待ちの振替便でようやく四時間後に飛行機に乗れました。あの時は、さすがに心細かったですが、まずは冷静に考え、自分でなんとかしなければとの気持ち一心でその危機を乗り越えることができました。

またある時は、ボストンからシャンペーンまでの飛行機が途中で急にキャンセルになり、シカゴで塞き止められてしまったことがありました。航空会社のカウンターで他の乗客と共に抗議をしましたが、天候が理由で振替便の手配も無く、残された手段はLEXバスという悪名高いバス会社だけでした。飛行機のキャンセルで流れてくる乗客をいいことに、普段より割高の値段でシャンペーンまでの席を販売していました。翌日は中間試験もあり、絶対に帰らなければならない状況でしたが、バス会社は現金しか受け付けないとのことで、中には私を含め、現金が手元に無い学生が多く、バスに乗れずに困っていました。「これだと中間試験までに帰れない」と途方にくれていたところ、その場にいた人たちが幸いにもとても親切で、「あなたたち現金が手元にないなら、私が立て替えるわよ!払うのは着いてからで良いから。」といって数人のおばさんたちと学生が力を合わせて助け合い、なんとか全員バスに乗れました。シャンペーンという中西部出身の人たちだからなのでしょうか、あの時は彼らの親切に救われました。

こうして直面した様々な困難も、留学中の素晴らしい経験も、日本イリノイ同窓会をはじめ、両親の支援があってこそ可能だったのであり、その多大なご支援と温かいサポートを常に実感しました。留学の閉幕が切なく感じるのは、留学先で出会った友人や教授が私を変えるかけがえのない一部となったからなのだと思います。JICへの応募がイリノイ大学への留学という新たな扉を開けてくれたように、今後はUIUCでの留学経験を新たな挑戦へのステップにしていきたいと思います。
留学を通して大変お世話になりました日本イリノイ同窓会の皆様と両親にこの場を借りて感謝申し上げ、最終レポートの報告とさせていただきます。