40期奨学生の喬博軒(きょうひろき)です。
はじめにこのような貴重な機会を与えていただけたこと、その過程で素晴らしい方々にお会いできたことに心から感謝申し上げます。関係者の皆様方、本当にありがとうございます。
私はこのキャンパスに来る以前、西海岸にある別の大学のSummer Sessionに参加していたので、このレポートを書いている現在(9月中旬)で日本を発ってすでに2ヶ月が過ぎようとしています。広く青い空、つやつやと輝く草木、至る所で遭遇する小動物たちに囲まれ、美しく巨大なキャンパスを、私は嬉々として歩き回っています。

(初めてのQuad:皆が掲載する写真かもしれません。ここに到着した日のことはやはり印象に残っているものです。)
さて、こうして作成している私の報告書が今年度のホームページに掲載されることを考えるとどこか懐かしく幸福な気持ちになります。私自身奨学制度応募の際、歴代の方々の報告書を何年分も読み漁りました。奨学生達が何を学んでいるのか、学部留学とはどのようなものなのか、1年を通してどのような心境の変化があるのか夢中で追っていきながら、ついにはこの制度への応募を決意していました。人生における大きな決断のきっかけとなったのです。それから約1年経った今、大げさにいえば小さい頃から読んでいた図鑑に私の見つけた新種の植物を載せていただけるような、そんな温かくも誇らしい気持ちです。このレポートが枝葉を広げどなたかの心に留まり、その方の中で当時の私のように行動するきっかけとなって欲しいし、誰しもがそうであった学生時代を懐かしく思えるものであって欲しいと願っています。また、これがこれまでの先輩方の言葉とともに記録の一部となって歴史に留まることをとても光栄に思います。40年前の留学生はどのような思いでこの地に立っていたのだろうかと独りよがりに空想し、少しだけ背中を押されるような気になります。彼らの喜怒哀楽をここにくる以前よりも少しだけ輪郭を持って想像できます。そのとき芽吹いた感情はその後の彼らの人生にどのような変化を与えたのでしょうか。そのとき抱いた思いは今も萌えているのでしょうか。それは本人にしかわかりません。翻って、ここでの日々は私の人生にどのように根付くのでしょうか、あるいは今の私を根絶やしにしてしまう(文字通り)外来種となるのかもしれません。全く見当もつきません。恐ろしくも楽しみに思います。どのような結果になろうとも、それは成功や失敗だとか、点的な概念や客観的な指標で測れるものではありません。私だけの事実を伴った経験として、私の中に凛とあり続けるのだろうという確信があります。
このように時を越え未来に過去に思いを馳せながらつづっていると、目の前のことで精一杯になっていたこれまでの自分自身を振り返る貴重な機会になります。ここでの生活や講義、その他課外活動について、できるだけ自分の言葉でお伝えできればと思います。どうか暖かく見守ってくだされば幸いです。
<生活について>
寮はSherman Hallという院生用の寮のシングルルームに住んでいます。シングルといっても扉があり区切られているというだけで、バス・トイレを3名の学生でシェアする形です。他の学部寮に比べると自分で勉強できる静かな時間が取れるという反面、現地の学生との関係が希薄になってしまうかもしれない恐れを抱いていましたが、寮の内外で友人に囲まれ楽しく過ごしています。壁は薄いので、口笛を吹いていると隣のスペインからきている院生の友人が口笛で応答してくれます。以前、私の部屋で「探偵物語」(薬師丸ひろ子)を流していて、そのメロディを彼が扉の外からハミングしているのが聞こえたときには、ついニヤついてしまいました。とても粋な友人です。また、これは来てから気づいたのですがSherman Hallは冷蔵庫や電子レンジなどアメニティが揃っている以外にも、立地がとても良いというところが大変気に入っています。大学の中心であるUnionや講義のある建物に大変近く、Main Library、Under Graduate Library、Grainger Engineering Libraryという3つの主要図書館にいずれも10分ほどで通える距離にあります。また、大学街のメインストリートであるGreen streetにもすぐに行けるため、Panera(無農薬野菜などを使ったヘルシー志向のサラダ、ベーグルのお店)やStarbucks coffee、Murphy’s Pub(文字通り学生ばかりのPub)に気軽に出かけることができます。朝食を外でとるのが好きな人やコーヒーショップで勉強する人、バーに通いたい人にはたまらないでしょう。私は数ある図書館の中でもGraingerが、またPaneraの朝食が好きなので早起きして通うようにしています。

(Grainger Library、1992年築)
<講義ついて>
現在履修している講義は以下の通りです。
MCB426 Bacterial Pathogenesis
CMLH415 International Health
ART103 Painting for non-major
ESL115 Principle of Academic Writing
このような最終形態になったものの、その過程では様々な葛藤がありました。受講してみたかった講義が本当に多かったのですが、結果的に勉強会、英語学習、課外活動を含めて総合的に決定しました。
秋学期の最初の2週間は講義登録に持ちうる限りの時間を費やしました。「講義は出てみなければわからない」という信念のもと、もともと日本から履修したいと考えていた講義のほかに多くの選択肢を検討しました。このように言ってしまうと簡単に聞こえますが、今思えばこの履修登録期間は想像していた以上に消耗させられました。第一にキャンパスが巨大でどこに何があるのかほとんどわからない状態です。大学のホームページで建物名を検索、それをGoogle Mapに入力し、慣れないバスで周回するという作業を繰り返しました。また、大学院や他学部の講義を聴講するには教授やTAの許可が必要なのでメールで連絡を取るのですが、そこから履修登録に反映されるのにブランクがあり数日後にやっと参加することができるといった具合で、これが複数になってくるとなかなか大変でした。講義の時間が重なってしまったときは、取れない講義を別の時間帯に調整したり、その場合すでに登録した講義の履修を一旦解除する旨をTAに伝えねばならなかったり、常に日替わりのスケジュールとにらめっこをする日々でした。出ようと思っていた講演会をすっかり忘れてしまったこともありました。この時期は様々なオリエンテーションや新入生歓迎イベントが毎日のように行われ、それを取捨選択する中で本来の目的を忘れ、こんなにもたくさんの講義に出て自分は何をしたいのだと思い悩むこともありました。しかし、今考えるとこの期間に得たものは大きかったと考えています。様々な授業で沢山の友人ができました。彼らに勧められた講義はご多分に漏れず良かったので大変助けになりました。また、最終的に履修しなかった講義の友人と今でも縁があるのは本当にありがたいことです。
・MCB426 Bacterial Pathogenesis
別の微生物学の講義を聴講していた時にPre-Medの学生(medical school進学を準備している学生)から教えてもらったクラスです。MCB(Molecular Cellular Biology)のクラスの中でもかなり応用的な授業で、シラバスの最初の行に「このクラスはadvancedである」と明言してあります。内容は一言でいうと病原性微生物がヒト・動物に感染を起こす機序についてです。免疫学、微生物学、生化学、遺伝学の知識が前提となってはじめて受講できるクラスであり、また過去15年ほどの試験が閲覧できるのですが、ケーススタディ形式になっていて微生物学・医学の知識を総合的に論述する訓練にもってこいだと判断し履修しました。私が大学で学んだ微生物学・感染症学は治療を目的としていたので視点は根本的に異なっているのですが、こちらではより深く考える基礎分野の面白さを感じています。試験が特に特徴的で、実際にアメリカであった事例から検査結果の推察や考察を問われます。他のMCBのクラスと決定的に違い一問一答や選択肢がなく、加えて解答も様々ときているので、正しく知識を応用できているかや、いかに解答が論理的に組み立てられているかが問われます。これが留学生にとってはなかなか大変ですが、専門用語を実践的に用いる訓練になっています。
また、この講義を通して知り合った韓国からPhDできている友人とは本当に親しくさせてもらっていて、週一回2時間の勉強会だけでなく、車で日用品の買い物に連れて行ってもらったり、韓国料理を食べに行ったり(おいしいほかほか白ごはんが食べられる数少ないチャンスです)、最近は熱く研究の素晴らしさを語られたりしています。(彼は山中伸也が大好きで彼のハングル版自伝本を持ってきて見せてくれました。)
・CMHL415 International Health
秋学期の後期から始まる国際保健のクラスです。教授を訪ね、履修したい旨を伝えると快く参加を許可してくださいましたが、400番台なうえに授業時間が2時間50分というのは全く未知の世界ですから今から恐ろしいです。おそらくディスカッションが含まれると思うのですが、教科書が告知されているのみで未だにシラバスも更新されていません。それでも、日本にいるときから受けたいと考えていた数少ない講義の一つです。私の大学のカリキュラムにはなかった内容だけにとても楽しみにしています。次回のレポートでご報告ができればと思います。
・ART103 Painting for non-major
イリノイ大学では芸術専攻でない学生のためのArtの講義がいくつかあって、教養学部の学生も履修できるようになっています。この授業のほかにも、DrawingやSculptureもあるのですがいずれも人数が各講義あたり20人程度と限られており余剰も認めていないので例年大変人気で、待機者リストに多くの人が登録し空きを待っている状況です。私たち交換留学生の履修登録開始は他の学生たちと比較してかなり遅いので履修は絶望的でした。しかし先ほど述べたとおりこの時期の私は常にスケジュールをチェックしていたので、ほんの一瞬出来た空席に滑り込む形で登録することができました。
医学部では解剖学でのスケッチや外科実習での手術記録など、ときに芸術的な能力を問われることがあります。絵がうまい程良いというわけではないのですが、私は純粋に絵が好きで、その度毎に描くことの面白さを感じトレーニングを受けてみたいと思っていました。ちなみに解剖学の歴史的名著”Atlas of Human Anatomy”の著者、Frank H. Netter(1906-1991)は外科医であったとともに芸術学校で学んだ画家でもありました。外科医として務めたのち医学専門画家として現代でも医学生や専門家に支持される解剖学アトラスの元となるスケッチを多く残しました。私には画家になろうなどという大それた魂胆はありませんが、日本では芸術大学に行かないと学べないような内容を、素晴らしい先生から直接教わることができる機会に、今しかないという思いでこの講義を選びました。授業では主に油絵を学んでいます。補色などといった色彩学や、限られた絵具を使った混色の訓練など基本的な所からスタートし、今は静物スケッチをしています。不思議なもので一生懸命仕上げた作品にはかなりの愛着があり、先生から褒められた作品だったらここでお披露目してもいいかもしれないという身の程もわきまえない危険な願望もあるのですが、理性に従ってやめておきます。数年後(いや数日後かもしれません)自分がこの報告書を見返し、赤面するのが容易に想像できます。
・ESL115 Principle of Academic Writing
以前の奨学生の方の報告書を参考に選択した講義です。理路整然とした構造で、適切な単語、接続、引用、注釈を用いて学術的文章を書く方法を学びます。現在は授業の初日に診断課題として書いた文章を10のステップに分けて検証、更正していく作業を進めています。学期末にかけてデータ収集、ポートフォリオ・注釈付き目録を作成し、最終的にひとつのResearch paperを作り上げていきます。教官の文章チェックが授業ごと(週3回)にあるのでかなり綿密なreflectionを得られています。Speakingや将来の論文・CVの作成に活かせればと思って受講したものの、目からうろこの知識が多くこちらでの生活全般において大変役に立っています。他の講義の課題すべてに応用が利くので今のタイミングでとってよかったと感じています。きちんとしたルールにのっとった文章を書く訓練をしていると、恥ずかしながら私の今までの英語ライティングというのはほぼ自己流であったことに気づかされます。しっかりと身につけておきたいと思わされる内容です。
<課外活動>
これらの講義以外に参加している課外活動をご紹介いたします。
少しでもこれからの生活で自由で闊達な表現をできるようになりたいと考え、このひと月は特に語学・コミュニケーションに力を入れました。以下は語学に関する活動です。
・International Hospitality Committeeによる週2回の英語クラス
・UIUC the Center for Writing Studies による週一回のWriting Workshop
・Chinese Conversation Table
・French Conversation Table
それぞれ詳しくはまたご報告できればと思います。語学のみならず、アンテナを張ってさえいれば学びたいことを無料で学べる機会が周囲に存在するという環境はこの大学の持つ強みだと思います。この点に関しては学部4年間をこの場所で過ごすことができるのを心から羨ましく思います。
・医学
寮で偶然知り合ったMedical Schoolの学生に今度彼らの勉強会に誘ってもらえそうなので、そちらのほうの勉強へ徐々に力を入れていきたいと思っています。
・病院実習
この秋休みはClevelandのCase Medical Centerで実習させていただくことが決まりました。現地の病院で実習をすることが私にとってこの留学における大きな挑戦のうちのひとつです。Thanks Giving Holidaysの短い期間ですが、貴重な機会に感謝し精いっぱい学んでまいります。このことをイリノイ大学Japan HouseのDeanのJenniferさんに伝えると、Case Wester Universityのお知り合いを3名もご紹介いただきました。現地での不思議な出会いに驚き、感謝しています。Jenniferさんにいわせるとこのようなserendipityはこの地では日常茶飯事だそうで、それを実感する毎日です。
<番外編>
・アメリカで眼鏡をつくる
こちらにきて最初に困ったのは眼鏡を失くしてしまったことです。日本から持ってきた眼鏡は西海岸、サンディエゴのビーチではしゃいだ際に、なんと海に落としそのまま波にさらわれ返らぬものとなってしまいました。

(サンディエゴの海より空より、いちばんブルーな私の背中)
結論としてお金はかかるとは聞いてはいましたが、眼鏡を1日で作ることができました。案の定相当な出費になりましたが、敢えて良かった点を挙げるとするとアメリカで眼鏡を購入するという経験ができたこと、友人と彼のガールフレンドに選んでもらったので良い思い出になったことです。
シャンペーンにきて最初に友人に半ば泣きつきながらお願いし連れて行ってもらったのは付近の大きなショッピングセンター、マイヤーに併設する眼鏡ショップでした。彼は電話で検眼医の在籍を確認しその日に現物受取ができるか確認してくれました。アメリカでは眼鏡やコンタクトの購入には、資格を持った眼科医もしくは検眼医による処方箋(Prescription)が必要です。眼鏡を販売するのみのお店ではこの検眼医がおらず、あらかじめ眼科で検査を受け処方箋をもらっておく必要があります。当然病院に行くことになるので予約が必要で時間がかかってしまいますが、今回のように資格者がいる眼科に行けば即日で検査、購入が可能です。
よい機会なのでアメリカにおける眼に関する職業(①Ophthalmologist ②Optometrist ③Optician)の違いを簡単にご紹介します。
- Ophthalmologist: 眼科医、いわゆるEye M.D.は4年制大学ののちmedical schoolを卒業、さらに8年以上のトレーニングのすえ眼科専門医を取得した医師で、検査はもちろん診断や外科手術を含む治療を行います。日本の眼科医と同じといっていいと思います。(ちなみに眼科専門医はアメリカ医師資格の中でも放射線科と共に断トツに人気の高い科のひとつなので取得には大変優秀な成績、研究成果が必要です。)
- Optometrist: 検眼医、D.は3年制以上の大学を卒業後、専門大学(optometry school, 4年制)を卒業して得られる資格です。3~4年で自立し、基本的なアイケアの提供を行う医療専門職です。日本でいう医師ではありません。眼鏡・コンタクトの処方のための眼科検査・処方箋発行と、特定の疾患には治療も行います。
- Optician: 眼鏡屋、眼鏡師さん。フレームやレンズのデザイン、作成を行います。検査や処方箋を出すことはできません。
流れとしては受付を済ませた後、検眼医による一連の検査(視野、視力、眼圧、乱視、色覚など日本での項目より若干多かった印象です)を受け、結果の説明ののち処方箋を取得。それに基づいてレンズを決定。店内で好きなフレームを選んでから30分ほど待機し受け取りました。ここまで1時間強。料金は検査費用(70ドル)に加えてレンズ・フレーム代金(物によりますが日本より割高)という具合です。友人はネットで買ったほうが安いといっていました。また、加入している保険の種類によって検査費や眼鏡代金がカバーされるということもあるようです。
強調したいのは、最初から最後までサービスが行き届いていて懇切丁寧であったということです。眼鏡ショップの奥に眼科検査室があり、そこで検眼医による検査が行われました。検査結果の説明はプライバシーの確保された小奇麗な個室で、医師がしっかりと対応してくれました。最後に眼鏡師の方がフレームの歪みをコンピュータを駆使して調整してくれました。どの方もここは果たしてアメリカなのだろうかと困惑するほど対応がよく正直驚きました。単に私が今まで体験した「理にかなっていて余計なことをしないアメリカ」とは少し趣が異なっていたというだけのことなのですが、この大国の新たな一面を垣間見た気がいたします。日本でいつも低価格眼鏡を購入しているせいでしょうか、今までで一番満足度が高く「しっかりした」眼鏡ができあがったと思っています。

(自分史上最高の眼鏡:アメリカで作った思い出の品。ただしmade in Chinaです)
<所感>

(禅語と浮世絵:フィラデルフィア美術館収蔵の鈴木春信の浮世絵写しはフリーマーケットでなんと1ドル!)
私の部屋の一番目立つ棚に、禅語が書かれた色紙があります。これは留学の決まった折に、お茶を教わっている先生から直筆で贈っていただいたものです。観音経の一説なのでご存知の方も多いと思ますが(じげんじしゅじょう)と読みます。「思いやりの眼を持った物事の見方によってたくさんの幸福が海のように集まるだろう」という言葉の一部です。
現在の環境下では、多くの出会いや未知の出来事に出くわします。今までにない多様な文化や考え方を目の前にしたとき、困難な場面に遭遇したとき、私たちはともすれば自分の狭い良識に囚われた批判的な思考に陥りがちです。私のような未熟な学生など尚更で、ときに自分の凝り固まった価値観に気づかされることがあります。そのような状況でまずは「慈眼」をもって相手の言動や人間を敬い、前向きに思考する癖をつけたいです。これは私なりの解釈ですが、この癖が建設的な人間関係や素早く柔軟な問題解決につながるという実感があります。この言葉を自分自身への戒めの言葉として肝に銘じ、残りの日々を過ごしてまいりたいと思います。アメリカの持つ良い側面を見習い吸収したいと思うと同時に、日本の持つ思想の寛大さ、素晴らしさを再確認する日々です。
これをもってご支援・ご協力いただいている皆様やJICの皆様へむけてのご報告とさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。

(友人たちとDowntownにて)
2015年9月25日、シャンペーン