後藤直樹さん2011年最終レポート

JICのみなさま、レポートを読んでくださっているみなさま、こんにちは。

帰国してから5ヶ月が経とうとしています。ちょうど二年前の今頃は、小山八郎記念奨学金への応募を本格的に準備していた頃だと思います。過去の奨学生レポートを何度も何度も読んでいろいろと逡巡していたあの頃を、ふと思い出しました。こんなすごい経験自分に出来るのだろうか。そんな資格自分にあるのだろうか。当時の自分にとっては、応募するということ自体、容易に踏み出せない一歩でした。

二年間経って今、あの頃の自分から、すこしは変われただろうか。強くなれただろうか。たぶん、とは言える気がします。少なくとも二年前の悩んでいたあの時の自分に、やっぱり君の選択は正しかったよ、とそのことを迷わず伝えられるのは確かです。かつての自分と同じように、逡巡しながらも留学に興味を持ってこのHPを読んでいる誰かに何かを伝えられたらいいな、と思いながら、この最後の奨学生レポートを書かせていただいています。

日本に帰ってきて半年、「留学どうだった?よかった?」と、久しぶりな誰かに会うたびに聞かれます。「良かったです。また行きたいです。」迷わず応えています。その言葉に嘘はないし、美化しているわけでもありません。でもふと冷静にこの留学を振り返ると、自分からそういう言葉が出てくるのが不思議に思える時があります。

思えばイリノイに居た9ヶ月間、そんなに楽しい事ばかりではありませんでした。むしろ割合から言えば、しんどい事の方が多かったかもしれません。いつもプレッシャーに追いかけられていました。普通にやったら終わらないようなアサインメント。数日後の課題がちらちらと頭をよぎり、寝れなくなる事もしばしばでした。不眠症になったのは、人生で初めてだったように思います。しょっちゅうおなかを壊していたような気がするし(脂っこい中華のせいですね!)、40度以上の高熱を出して寝込んだのも二度三度ありました。要領という存在に気付いて楽になったのは、ずっとずっと後でした。

ああ、自分はなんてタフじゃないんだ。もっと力を抜いてやれば良いのに、なんでそんなに肩肘張ってるのさ?と、何度も何度も思った気がします。それでも今、こうして確かに大きなものを学び取って帰ってきた、と確信しているのは、こんな情けない自分と向き合いながらも、少しずつそれを乗り越えて行ったからだと思っています。

一つ、本当に大きな転機になったと思っている事があります。Fall Semesterも中頃を過ぎた頃、津波が東北の町を飲み込んで行く俄には受け止め難いニュースが、1万キロ離れたイリノイにも届きました。こんなにも離れているのに、ニュースが届くのは一瞬でした。物理的な被害は一切受けていないのに、家族も無事なのに、大きなショックを受けている自分。授業やアサインメントにも手がつかなくなる。身体は大丈夫なんだから、少なくとも今やるべき事をやらなければならない。頭では分かっていながらも、どうにも動けない。大丈夫なはずの自分が心底、情けなく思えました。

幸いなことにちょうどそのすぐに後、大学は一週間の春休みに入りました。このままじゃ駄目だ、と思いました。どうにか態勢を立て直さないと。悩んでいても仕方ないし身体を動かそうか。そう思い、ARCという大学のジムのCombatルームで一人、ワークアウトを始めました。アメリカでも振ろうと日本から持ってきた木刀で、数ヶ月ぶりに習っていた古武道の練習を始めました。懐かしい感じがしました。汗を流した後、ああこれだ、と思ったのを覚えています。

授業が再開されてからも、毎日ARCに通い続けました。どんなにアサインメントに追われていようと、それを途中でほったらかしてでも、一日一時間は身体を動かすようにしました。好きなことは続くものです。結局、それから帰国までずっと、ほとんど毎日ARCに通いつづけました。不思議な事に、今まで感じていたプレッシャーや、夜寝られなくなるという事が、運動するにつれだんだんなくなって行き、むしろ前よりずっと効率的に勉強に向かえるようになって行きました。

本当に些細なことですし、当たり前と言えばそうかもしれません。けれど、個人的にはとても大きなことだと思っています。自分がタフじゃない、ということは昔から良く分かっていました。でもだからしょうがない、ということでそんな自分をあたりまえとして受け止めたくはありませんでした。そういう自分であるということは認めながらも、どうにか努力でそこを補えたらと思っていたのです。

後から振り返って思うのは、このときに私はその為の小さな可能性を見つけられたのではないか、ということです。自分は自分で立て直すことが出来る。自分に自分から働きかけることが出来る。その気付きは私が一生の中で得たものの中でも有数の、心強い確信として、これからもずっと共にあるような気がします。

留学というoptionが開く可能性のようなものは、ほとんど無限にあります。いま振り返ってみて、もっと出来たのでは、そんな風に思えることはたくさんあります。けれど私は此所で種のようなものを貰ってきたのであって、それはむしろ今から、大切に育てていかなければならない可能性のようなものだと思っています。

二年前の自分へ、もし何かできることがあるのなら、君がしようとしていることは良い選択だと思うよ、とそっと声をかけるだろうと思います。小さなことに悩んでるなぁ、と思うかもしれません。けれど元気に一回り大きくなって帰ってくることを(体重ではなくて)切に願うだろうと思います。

二年前にタイムマシンで帰る訳には行きませんから、代わりにかつての自分のようにいま、悩みながらも留学や何かいろいろな選択を決断しようとしている人に、同じ言葉をかけれたらな、と思います。成長は個人的なものであって、あらかじめその形を予測する必要はないと思います。可能性を限らずにいれば、本当に価値があると思うものに出会えると、信じています。

最後に、この留学はたくさんの人の支えがあってこその物でした。本当にそうでした。何かの可能性にかけて奨学生に選んで頂いたJICの皆様、後押しをしてくれた叔父、支えてくれた家族、お帰りと迎えてくれた研究室のみんな、本当にありがとうございました。嬉しかったです。また、何より他の同期の奨学生の三人、ありがとう。本当にこの三人が同期で良かったな、とつくづく思います。一人一人が僕の中で強烈な印象を残しています。そして最後にもう一人、9ヶ月間いつも助けてくれていた友人に、この上ない感謝を。どれほど助けられたことか。本当にありがとう。

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近藤千鈴さん2011年最終レポート

JICの皆様、こんにちは。2010年度奨学生の近藤千鈴です。日本に帰国し、総会で留学のご報告をしてから、早三か月が経とうとしています。一年ぶりの授業に馴染めるだろうか、と多少不安を覚えながら、先月大学にも復学いたしました。

奨学生レポートも今回で最後になりますので、留学を終えてからの振り返りを書きたいと思います。

Final Week前~学期後

徐々に期末試験に向けて授業が大詰めを迎えた4月は、AAS258 Muslims in Americaの最終課題であるresearch paperの準備に、多くの時間を費やしていました。この課題は大学でのインタビュー調査が前提になっているのですが、私は短い準備期間の中とにかくデータを集めたかったので、ムスリムの学生が、どのように大学で宗教的な食生活(教義上食べることを許されている食事)を保っているのか、また実践の度合い、宗教的な解釈の個人差はどのように生まれるのか、という比較的シンプルなテーマを設定しました。調査期間中は、とにかく毎日色々な所に出向き、参加者を募ってはインタビューを行う、の繰り返しでした。ラッキーだったことは、インタビューと称して国籍もバックグラウンドも様々なムスリムの学生と話す機会が持てたことです。図らずとも、この授業のテーマである「アメリカのムスリム」の多義性を肌で感じることができました。インタビュー調査についても、予想以上に面白いデータがとれ、教授やクラスメートからも非常に好意的な評価をもらうことができました。

5月に入ると、いよいよ学期末試験に向けて忙しくなりました。案の定いくつかのレポートは提出期限ぎりぎりに書き始めることになってしまい、ファイナルを終えた友人が実家に帰った後も、ひたすら一人コンピューター室で課題に取り組み、別れの感傷に浸る暇もありませんでした。時間的に余裕をもって終わらせた課題については、LibraryでのWriter’s Workshopという添削のアドバイスを受けることができたのですが、そうではない課題は一気に書き上げたため、出来上がったペーパーを見てもどこか違和感のある箇所がありました。イリノイにいた9か月間で、今までにない量のwritingをこなしたとは言え、やはり適切な語彙を使い、英語話者の視点で無理のないロジカルな文章を書けるようになるには、まだまだ練習が必要だと感じています。

学期後は残りの海外生活を惜しむように、1か月ほどヨーロッパを旅しました。まともな旅行鞄もなかった私は、リュックと2つの肩掛けバックを持って移動する、という極めて不細工な恰好ではありましたが、大きなトラブルもなく一人旅を満喫しました。ドイツで新型の食中毒が流行っているときに、何も知らず前の晩の残り物を食べてしまい、その後は懲りて、文字通りパンとソーセージのみで過ごしたのもいい思い出です。

旅先では、アメリカ人に出会うこともしばしばあったのですが、彼らとシカゴやイリノイの話を過去形で話していることに、ああ、もう自分の留学も終わったのだな、と強く感じたことを覚えています。思えば、道中でも何かと日本に帰るのだ、ということを意識させられ、日本の生活に戻る心の準備をしているような旅でした。

留学を振り返って

もともと留学への興味はありましたが、私がイリノイ大学への留学を強く希望したのは、日本で所属する大学の講義や、「あれもこれも」といった広く浅く型のカリキュラムの内容に不満を覚えていたことが大きかったと思います。そのため、留学先では自分の大学で学びきれない分野、具体的には文化人類学を一から勉強してみたい、と考えていました。そういった意味で、私は自分の専門分野における知識や経験の蓄積が、他の留学生と比べて少ないところからのスタートだったと思います。イリノイで学生と議論する中でも、彼らと十分に張り合うには自分に絶対的な強みがないということを痛感することが多く、苦い思いをしました。ただ、それで萎縮してしまうのではなく、切り替えて目の前の課題に取り組み続けたことは、私の自信につながっています。

振り返ると、向こうで新たな興味の対象を見つけ、深めることができたことは大きな収穫でした。もちろん、まだまだ学ぶべきことはありますが、大まかな導入を学び、多くのケーススタディを経たことで、日本で勉強を続けていくだけの土台はできたように思います。

それに加え私が留学の目標として考えていたものには、アカデミックな英語に慣れ、学部で通用する程度まで上達させること、単純に海外経験を積むことで、異文化の中でのストレスに対処して生活していけるだけの基礎体力のようなものを身につけたい、ということでした。英語に関しては9か月の留学の間に慣れはしましたが、多くの奨学生が言うように、学期中は目の前の課題をこなすことに時間を追われ、あまり集中的に英語の勉強ができませんでした。帰国後こそ、地道な勉強を続けなければと実感しています。

最後になりましたが、JICの皆様、先輩方には、一年を通してたくさんの励ましを頂きました。出発前から留学を終えるまでの節目には、JICの方からの支えがあったことを思い返します。今後は自分にできることで、JICに恩返しができればと考えています。ありがとうございました。

田中豪さん2011年最終レポート

JICの皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。田中豪です。日本に戻ってきてから4カ月以上が経ちました。一年間の留学生活を振り返りながら、最後のレポートをお届けいたします。

これまでの3回のレポートでは、授業や旅行などについて詳しく書いてきましたが、今回のレポートでは、趣向を変えて、1年間のイリノイでの経験を踏まえて、留学前に聞いた2つの噂とも仮説とも言えるような言説を検証しながら、留学の総括としたいと思います。

仮説1:アメリカの大学生は、日本の大学生よりもよく勉強する。留学すれば勉強できる。

渡米直前、僕は期待に胸を 大きくふくらませていました。というのも、様々な人から、「アメリカの学生はよく勉強する」という話をよく耳にし、留学経験者が口をそろえて、「留学中は よく勉強した」と話していたからです。そんなわけで、アメリカの学生はみんな勉強が大好きで、僕もそんな環境で毎日刺激を受けることができるのだ、と勝手 に思いこんでいました。しかし、結論から言えば、たしかにアメリカの大学生の方が、日本の学生よりも机に座っている時間が長いとは思いますが(日々の課題 の絶対量が多いため)、アメリカのすべての生徒が「学問」に対する高い意識と尊敬を持っているとは限らないですし、留学したからといって勉強できるもので もありませんでした。

日本の学生は、卒業に重きを置いているので、基準が「単位を取るか、落とすか」であるのに対し、アメリカの学生にとっては、成績が重要なので、基準が「Aか、それ以下か」です。つまり、アメリカの学生は、日本の学生より成績上のハードルを高く設定しているだけで、評価のために勉強しているという点で、日本の学生もアメリカの学生と本質的には何も変わらないと思います。前回のレポートでも触れたように、PS310というクラスでは、学生が徒党を組んで教授に抗議し、コミットメントが少なくてすむように、ペーパーから期末テストに変更されました。すべてのアメリカの学生が、知へのあくなき探求心を持っているわけではありません。

また、たしかに、日常的に課題があり、毎週のリーディングアサインメントの負担も軽くありません。それでも、宿題をこなさないと教授に怒られるわけでもないですし、テスト直前に風邪を引いたといってヘルスセンターか病院に駆け込めば、簡単にMake up examの場が用意されます。日本にいたときと同じように、勉強も簡単にさぼることができます。

ですから、アメリカに行っ ただけで学問ができる、というのは幻想であって、その点で、アメリカに行きさえすれば、そこには最高の環境があり、高い意識を持つことなく勉強できるとい う僕の考えは、大きな甘えでありました。結局は、個人がどれだけ自分を追い込んで勉強できるか、によるのだと思います。日本では不真面目だった自分が、留 学すれば大学に通って、日々の課題にも真面目に取り組むようになるだろうと、アメリカ留学という言葉だけに甘えていた自分がいました。勉強するか、しない のか、それは本人の意志の問題で、それ以上でもそれ以下でもなく、留学してもしていなくても同じだと思います。

そんなあたりまえのことに 当初は気付かず、あるいは気付かないふりをしてしまっていたという点で、悔いが残ります。それでも、日本でも、アメリカでも、どんな環境であっても、最後 は自分次第ということを身をもって感じられたのは、僕にとっては大きな収穫でした。これからの人生、環境のせいにするのではなく、どんな場所でも、腐るこ となく精進していこうと思います。

ただ、いくら日本の学生も アメリカの学生も五十歩百歩だと言っても、また、本人の意志の問題だといっても、大学側の学生へのサポート、アクセスには違いがあると思います。アメリカ では、オフィスアワーも制度化されていますし、少人数の授業も多いです。また、(どの程度の実効的な影響力があるかは不明ですが)学生が教授を評価するシ ステムが少なくとも存在し、教授が好き放題に、自分の研究を話すというよりは、学生のニーズにあった授業を心がけ、学生が興味を持ちやすいような課題を目 指している、という学生に対する温かい姿はあると思います。あえて二分論をとれば、日本の大学は、意識の高い学生しか活躍できないけれど、アメリカの大学 は、やる気のない学生にやる気を出させるようなシステムがより制度化されている、ということは言えると思います。

仮説2:留学すれば、英語が上達する

現地で1年間生活するわけですから、当然、英語が上達するだろうと思うわけですが、振り返ってみれば、その場に滞在するだけに甘んじていれば、語学もたいして上達しないという反省があります。

たとえば、授業ですが、日本に比べれば、授業は双方向的かもしれません。それでも、自分が話す時間は、1時間当たり数分。授業が1日に3時間程度であるとすれば、授業では、トータルで1日あたり10分話すかどうかです。課題が忙しいから、睡眠不足が続いたから、と理由をつけ、サークルにも参加せず、友達と出かける誘いも断っていると、スピーキングが上達する機会はほとんどなかったと思います。

ライティングについても、 ペーパーの提出がない授業だけをとれば、長い文章を書かずにすみます。また、たとえペーパーを提出しても、そのペーパーが添削してもらえるかは採点者次第 であって、ライティングの授業でなければ、細かい文法や表現は訂正されずに、内容面だけが評価されることがほとんどだと思います。つまり、間違った表現を 間違ったまま使い続けるわけで、正しい英語を身につけるには、自分で添削をネイティブスピーカーに頼む必要があります。

語彙力についても同様です。現地で漫然と生活しているだけでも、たしかに英会話能力は多少上達するかもしれませんが、New York TimesやThe Economistに出てくるような表現は、机に座って、難しい単語を紙に書いて覚えるような作業をしない限り、身に付かなさそうです。上でも書きましたが、「留学」というかっこいい響きに甘えて、地道な努力を留学中に積み重ねていくことができなかったと思います。

語学についてのこれらの点は、もう留学は終わってしまいましたが、日本でこれからこつこつと頑張っていこうと思います。

自分のこうした反省を踏まえて、もし、僕がもう1回交換留学できるとしたら、心がけることを、次回以降の留学生の参考になれば、と書くことにします。

  1. 学問が好きな学生が集まる授業(General Educationの該当授業はおすすめしない)をなるべく選択する。少人数授業の方がベター。授業やオフィスアワーで教授やTAと積極的にコミュニケーションを取り、できるだけ刺激を受ける。
  2. 個別のLanguage Tutorを学内で見つけて、ペーパーのフィードバックを必ずもらい、書きっぱなしにしない。また、細かい発音のクセや間違った口語表現などを直してもらう。お互いにResponsibilityが発生する、Language Exchangeかお金を払うTutorialの方がより真剣に勉強できるのでいい。
  3. 授業外のアクティビティに積極的に参加する。とくに、定期的にあつまる組織に所属する。趣味のサークルでも、まじめな勉強系のサークルでも、毎週同じ人と顔を合わせて、存在感をアピールできるようになることが重要。

1年間を振り返ってみる と、辛いこともありましたし、それなりには努力できたとは思います。少なくとも、日本にいたときよりは、はるかにまじめに勉強に取り組んだはずです。一方 で、ルーティーンをこなすのに精いっぱいで、自分の努力が、自分の目標に本当に結びついているのか、一番効率的な方法なのか、と振り返る余裕もなく、現状 に満足することなく、よりよい方法を探すような一歩引いた視点が足りなかったと思います。

私事になりますが、5年前後で海外留学する職場に決まりました。今のところは、アメリカの大学院修士課程に留学することを考えています。実際に仕事を始めてみると志望する留学先も変わるかもしれませんが、今回の経験を次回の留学に必ずつなげていこうと思います。

こうして、留学生活を振り 返ってみると、迷える子羊状態であった留学前の自分が信じられません。現在も将来に対する不安はありますが、この留学は、自分に自信をつけてくれました。 最後に頼りになるのも、決断するのも自分。その責任も自分。その他のあらゆることは言い訳にすぎないと分かったのは、この奨学金プログラムのおかげです。 本当にありがとうございます。

そんなJICにいろいろな形で恩返しをしていけるように、今後もお手伝いしていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2011年10月7日
東京大学 法学部 4年
田中 豪

田中豪君の2011年6月分レポート

JICの皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。田中豪です。現在は既に学期も終わっているのですが、学期中のことを思い出しながら、第3回レポートをお届けいたします。

今学期は、この奨学生レポートに書けるほどの面白い課外活動を経験していないこと、また、僕自身も、奨学金の応募の際だけでなく、アメリカに来て授業の選択を考える際に、過去の奨学生のレポートを参考にしたという理由から、未来の奨学生の参考になればという思いをこめて、先学期のレポート以上に、授業について具体的に書いていこうと思います。

春学期は、以下の7つの授業を受講しました。アメリカでの授業に慣れてきたこともあり、夏学期よりも授業の数を増やし、かつレベルも少し上げてみました。その分、大変なことも多かったですが、間違いなく勉強は先学期よりも充実していたと思います。

1. PS 230: Introduction to Statistics for Political Science Majors
2. PS 318: Interest Groups & Social Movements
3. PS 410: Neighborhoods & Politics
4. LLS 238: Latina/o Social Movements
5. GLBL 296: Critical Human Rights in Global Perspective
6. LAS 490: Translation in European Union
7. LAS 490: UN Terminology and Procedures (3-day Seminar)

1. PS 230: Introduction to Statistics for Political Science Majors

Rという統計ソフトを使って、政治のデータを分析する授業です。New York Timesがこのソフトウェアを特集した記事(2009年1月6日)の中でも書いているように、アメリカでも使用する人が徐々に増えているようです(参考:http://www.nytimes.com/2009/01/07/technology/business-computing/07program.html)。

せっかくなので、ここで、日本とアメリカの政治学科で学部生が勉強できる内容での違いについて、僕が感じたことを2点触れようと思います。僕が日本で所属している東京大学法学部は、法律学科に加えて政治学科を含んでいるのですが、政治の授業としては、国際政治や比較政治(地域研究)、政治哲学が一般的です。日本政治、ヨーロッパ政治史、アジア政治外交史、発展途上国の政治、政治学史などが授業の名前になり、歴史をベースにした、地域研究、あるいは西洋政治哲学の授業がメインになっていると思います。

一方で、イリノイでのPolitical Scienceの授業は、日本で開講されているような比較政治や哲学的な議論に加えて、CongressだったりInterest Groupだったりと、(民主)政治現象を国境に関係なくNeutralに観察して、その政治の主体や現象面を中心に扱う授業も少なくありません。先学期に僕が受講したReligion and Politicsや、今学期のInterest Groups &Social movementsもその一例だと思います。

そして、もうひとつの違いが、定量分析です。授業で読む論文の中には、経済の論文ほどではありませんが、数式が書かれていたりします。統計データを解析するようなものもあります。アメリカのPolitical Scienceの流れとして、とくにAcademicな領域では、数学的な、統計的な分野の開拓が進んでいるようです。ただ、アメリカでも、学部レベルでこうした定量分析を教える授業は少ないようで、UIUCでもこの授業だけです(もちろん、統計学科には、統計の授業はたくさんあります)。ということで、この授業を受講しています。ちなみに、政治学科のある教授は、Political Scienceの学部生教育と大学院教育の断絶を嘆いていました。アメリカの大多数のPolitical Scienceの学生にとっては、目標とする大学院は、政治学のPh. D ではなく、Law school (J.D.)であるようで、Lawを目指す学生の多い学部レベルでは、定量分析のニーズは小さいことが、その背景にあるようです。
さて、このPS 230という授業では、SyllabusにComputer Scienceの知識を持っていることが好ましいと書かれてあっただけに、データをソフトに読み込んだ後は、自分でCodeを入力してCommandを指定しながら、データを加工していきます。そして、最終的には一つを独立変数に、もう一を従属変数として、二つの変数をy=ax+bの形で表すことで、両者の関係を説明します(回帰分析)。

日本では、統計の基礎すら勉強したことがなかったので、はじめはMeanやMedianの違いを学ぶことからスタートし、統計という考え方自体に戸惑い、係数の大小で関係性の強さを評価するという定量分析的な手法に違和感がありました。それでも、自分が高校までそれなりに数学を勉強していたこともあって、そんなに苦労することなく授業にはついていける一方で、クラスメートのアメリカ人たちが苦労していたので、これこそが僕の生き残る道だと思って、授業にはまじめに取り組みました。笑 個人的には、大学入試のために勉強した微分や積分といった関数の問題のほうが数学的には、ずっと難しいような気がします。クラスメートのアメリカ人による教授やTAへの質問を聞いていると、一次関数の基本すら分かっていないのではないかと思うことも多く、日本の普通の学生であれば、大きなアドバンテージがあると、一般的に言えるのかもしれません。

週2回の授業と週1回のTAによる補講で構成され、授業では、毎回自分のPCを持ち込み、与えられた課題をこなします。TAと教授が教室の中を歩き回るので、分からないことがあれば、その場で質問できることになっています。毎回、新たなデータセットが与えられ、教授が作った質問に答えていきます。1学期の間に、アメリカの大統領選挙のデータ、1945年以降の全世界の紛争・戦争のデータ、アメリカの貧富の格差のデータ、世界の民主化度合を比較したデータ、など様々なデータセットに触れ合うことができ、定量分析を切り口に、政治学の様々なトピックをかじることができたのはラッキーでした。金曜日に行われていた、TAによる補講では、その週の復習がメインになります。

評価は、毎回の出席と課題の提出、学期末のFinal Paperによる合算です。教科書は結構難しく、予習には苦労しましたが、授業の課題は、教授やTAによる丁寧な誘導に何度となく助かりました。余談ですが、TAの方は、日本人のPh. Dの女性の方で、僕の大学の先輩でもあり、オフィスアワーでは、授業のことだけでなく、アメリカでの生活や、日本人としてアメリカの大学院に出願することの苦労など、色々なことを学ぶことができました。

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2. PS 318: Interest Groups & Social Movements

GPAとこれまでの取得単位数が一定以上でないと選択できないクラスだったのですが、Political ScienceのDepartment Officeに行って、留学生である旨を伝えたところ、履修することができました。成績によって足切りを行っている理由の一つは、クラスの目的の一つが、研究であることです。毎学期、Political Scienceのうちの二つの授業がこのカテゴリに入れられ、学生と教授が細かく相談できる環境が用意されています。人数は15人以下で(実際は10人程度)、かなり面倒見のいいクラスになっています。教授の丁寧なアドバイスを受けながら論文を書いてみたいという人にとっては、おすすめなので、各学期、どの授業がこのシステムの指定を受けているか探してみるとよいと思います。

評価は、2回のテストと学期末のPaperのはずでしたが、2回の中間テストが非常に簡単だったため、アメリカ人の学生が徒党を組んで、学生はテストを希望すると教授に直訴し、無記名のクラス投票を行ったところ1人を除いて全員が、テストを選んだので、最終的にPaperとテストの選択になりました。ちなみに、その1人は僕でした。笑 研究すること(Paperを書くこと)が主目的の授業でありながら、学生の抗議によってその主目的が曲げられてしまうことに驚きましたが、Final Projectに取り組んだ学生が僕一人だったこともあり、教授もすごく目をかけてくれ、文字通り、マンツーマンで指導を受けることができました。リサーチに行き詰ってメールすると、その日のうちに返信があり、オフィスアワーに関係なく、次の授業までに必ず面談の時間をもらうことができました。先学期は、オフィスアワーに顔を出した経験も数えるほどしかなかったのですが、この授業では、教授とのInteractionがすごく有意義だったので、恥ずかしがっているだけでは何も得るものはなく、教授に自分のやる気を見せつけて、かわいがってもらうことが重要なのだと痛感しました。

3. PS 410: Neighborhoods & Politics

大学周辺のNeighborhoodを調査対象にした授業で、大学院生との合同になっています。教室では、都市計画、政治学、社会学などのJournalや本を学際的に読んでいきます。回帰分析を用いて書かれた論文を授業内で数多く読まされたのですが、PS230で学んだ知識が役に立ちました。アメリカで政治学を勉強したいのであれば、自分でモデルを作って数値を出すことはできずとも、論文を理解するくらいの統計の知識はあったほうがよさそうです。

授業内では、人々が集まれる場所の存在が、人々の政治参加促すという理論(Robert Putnam)であったり、小さい犯罪を放置することが、治安悪化を招くという理論(Fixing Broken windows)であったりを学び、そういった一般的な理論が本当に大学周辺でもあてはまるかどうかを確かめることが授業の最終目的になっています。教室の外での活動として、数人のグループを作り、割り当てられた大学周辺のエリアを調査し、学期末のPaperを書く際の素材となりそうなデータ(道の形や住んでいる人の様子、インタビューなど)を集めました。政治学を日本で勉強していましたが、自分の足で実際にデータを集めながら調査を進めていく社会調査のようなことはしたことがなかったので、とても興味深く取り組むことができました。

4. LLS 238: Latina/o Social Movements

LLSはLatino Latina Studiesの略で、この授業では、アメリカにおけるラテン系移民の社会運動の歴史を学びました。先生はもちろん、学生もほとんどがLatino/Latinaだったのが最大の特徴だったと思います。African American Studiesの授業に顔を出せば、黒人の学生が多く、こうしたEthnicな授業は、自分のIdentityを見つけるために勉強している人も多いのではないかというのが僕の推測です。

そして、もう一つの理由は、こうした学部が、Main streamから抑圧された自分たちの歴史を学びながら、差別をいかに是正し、社会を変革するかを真剣に考える環境となっていることが挙げられると思います。たとえば、この授業ではSocial Movementが授業のTitleに入っているように、Latino/Latinaの中でも、組織を作り、実際に活動している人がほとんどでした。おそらく、大学で最大の問題となっているのは、Undocumentedと呼ばれる、市民権を持たない移民の学生です。イリノイ州は伝統的に移民に寛容であるため、市民権を持たなくても州民としての学費を払うだけで通学することができますが、Undocumentedである限りは、Social Security Numberをもらうことができず、自動車免許を取得したり大企業で働いたりすることは、困難になっています。こうした現状を変えるために、立ち上がっている学生が、僕のクラスには多く、4月には、僕のクラスメートの1人でもあったAndrea Rosales(大学四年生の女の子)が、ジョージア州で座り込みを行ったために拘留され、教室から姿を消しました。その様子は、CNNをはじめとするテレビやニュースメディアにも大きく取り上げられ、自分のクラスメートがJanne Da Arcのように扱われている様子に驚きました(参考:http://www.iyjl.org/?p=2073)。

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5. GLBL 296: Critical Human Rights in Global Perspective

春休みまでの、半学期で1単位の授業でした。政治学では国内的なことばかり勉強していたので、アメリカ人が国際問題をどうとらえているのかも知りたくなって、Global Studiesの授業を受講しました。

教授からのLectureという意味での授業はなく、毎回が個人や各グループの発表会で、学生同士の意見交換に大きな比重が置かれていたと思います。僕がおもしろいと思ったのは、異なるバックグラウンドを持ったアメリカ人同士の鋭い意見の対立です。ボランティアなどにも積極的にかかわり、南米の人権系NPOなどでインターンした経験のある学生も多く、世界各国で起こっている人権侵害に共感する人も多い(ほとんどが女性)一方で、イラクのAbu GhuraybやキューバのGuantanamoの基地での虐待や拷問がトピックになると、ROTCとして軍の訓練を受けながら勉強もしている学生や、大学に行く前には従軍し前線に派遣されたことのある学生(ほとんど男性)からは、アメリカの正義と安全保障を理由に、テロリストとアメリカ国民にまったく同じ人権を保障することへの違和感、すなわち、拷問の一部を正当化する意見も提起され、もはや埋めようのない意見の対立がありました。

この授業からは、アカデミックな意味では、特に深く得るものもありませんでしたが、アメリカ人とプレゼン資料を作るときに、パワーポイントでは、事実の適示にとどめ、それぞれの価値観に触れるような表現を避けようと心がけていましたが、たとえば、アジアでの南京大虐殺をめぐる議論のように、ときには事実を統一することも難しく、この授業の準備でも苦労する場面は多かったです。また、安全保障と人権を比較したときに、安全保障のほうがはるかに大切だと明言するアメリカ人クラスメートが、外交官を目指して勉強しているのを見て、アメリカと世界の将来に少し不安を覚えたことも思い出です。

6. LAS 490: Translation in European Union

以下のLAS 490の二つの授業はTranslation Studiesという学科で開講されている授業です。英語とスペイン語の通訳や翻訳といった、該当する二か国語が流暢でないと履修できなさそうな極めて実践的な授業から、通訳の理論や研究を学ぶアカデミック寄りの授業まで、ある程度の幅を持った講座がこの学科では提供されています。

春学期の最初の半分で、GLBL296が終わってしまい、別の授業を取りたいと思ったので、春休み後から開講され、空席もあったこの授業を受講しました。特別にTranslationへの関心が高かったわけではありませんが、複数言語を話すアメリカ人たちをこのクラスでは発見することができました。一般的に、アメリカ人は英語しか話すことができないと揶揄されることも多く、僕の寮でも、自分のethnicityとは異なる外国語をまじめに勉強している学生を見つけることはほとんどなかったのですが、ここでは、クラスメートのほとんどが、英語以外に2か国語を話すTrilingualやそれを超えたMultilingualばかりで衝撃を受けました。その中でも、Alphabet言語を3つという組み合わせではなく、日本語・アラビア語・中国語といった非ヨーロッパ言語とスペイン語、フランス語、イタリア語などのヨーロッパ言語の組み合わせの人が半分以上で、自分の知らなかったアメリカを見つけることができました。

授業では、EU域内での通訳・翻訳ビジネスの現状や将来予測を学習したり、域内の言語に起因する社会問題を扱ったりしました。授業はあまり練られておらず、場当たり的な講義が多かったですが、学生の多くはプロの通訳や外交官を目指していて、授業にまじめに取り組んでいたのが印象的でした。

7. LAS 490: UN Terminology and Procedures (3-day Seminar)

上の授業とセットで取るとよいとすすめられた講座でした。金曜夕方、土・日は朝から夕方までの3日間コースで、国連でフランス語とロシア語を英語に通訳していた人のセミナーでした。国連の文書の中でどういう単語や表現が使われているかを学ぶことがセミナーの目的で、30人のクラスが10人×3グループに分けられて、それぞれのグループに異なるポジションを与えられます。そのポジションに基づき、議論を通じて、一つの共同提案にまとめ上げるというのがセミナーでした。今回のセミナーでは、大学の学費を下げるというテーマのもとで、過激なこと(学長の解任など)を主張するチームから穏健派まで、3つのグループが、3日間かけて、一つの合意を作り上げました。議論の中では、合意を作るために、強い単語は弱い単語に、あっきりした表現はあいまいな表現に変わっていきます。

僕自身は、Nativeではなく、表現の強弱や明瞭さという観点でアメリカ人と英語で議論を戦わせることができるほど英語を流暢に話せるわけではないので、細かい表現の違いがよく分からず、蚊帳の外に置かれたような気分を感じたことは何度かありました。と同時に、チームに何らかの形で貢献しないと貴重な3日間が無駄になると思い、2日目に(勇気を振り絞って)隣に座っていたアメリカ人の女の子をランチに誘って友達になり、常に隣の席を確保して、僕の主張を、休憩中であれば口頭で、議論中であれば筆談で伝え、僕の代わりにその子に流暢に説明してもらうことで、僕の意見を最終合意にねじこんでもらったりしました。

全体的な話をすると、春学期は、クラスでの英語での議論にも慣れてきて、言語で苦労する場面は少なくなっていただけに、英語の表現でこの授業で苦労したことはいい薬になったと思います。すこし過激な言い方をすれば、「英語なんてコミュニケーションのツールなのだから通じさえすればいい」というのは、非ネイティブの負け惜しみであって、妥協せずに、英語そのものをまだまだ勉強しないといけないと強く感じています。

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以上が、授業のまとめです。次回で最後となるレポートでは、この1年間を通じて、僕が学んだ内容を、具体例よりも一段階上の視点から振り返ることで、留学全体の総括としたいと考えています。

2011年6月17日
東京大学 法学部 4年
田中 豪

近藤千鈴さん2011年5月分レポート

JICの皆様、こんにちは。2010年度奨学生の近藤千鈴です。
このレポートを書いている現在は既に学期も終わっているのですが、今学期のことを思い出しながら、第三回目のレポートをお届けしたいと思います。
まずは、今学期に履修した授業のファイナルまでの総括をお話しします。

繰り返しになりますが、今学期に履修した授業は以下の通りです。

  • AAS258 Muslims in America
  • AAS315 War, Memory, and Cinema
  • ANTH363 Anthropology of Dance/Movement
  • ART191 Experimental Photography
  • UP204 Chicago: Planning Urban Life

AAS258 Muslims in America

今 学期、非常に楽しんだ授業のひとつです。授業への参加、2回のプレゼンテーション、2回の持ち帰り試験、そして最終課題で評価が決まります。この授業で は、教授が意識的にテーマも調査方法も違う文献を、課題として取り入れているのが印象的でした。具体的には、歴史学者が書いた、奴隷貿易時代にアメリカに 連れて来られたムスリムが、新大陸での生活に適応するまでの研究、同じ奴隷貿易時代に関する文献でも、社会学者によるムスリムのアイデンティティーの問題 を扱った研究、また人類学者の9.11後の女性のムスリムの現状を調査したエスノグラフィーなどです。おかげで、授業内でムスリムに関する様々な研究を幅広く学ぶことができました。
9.11のテロは、世界中のムスリム研究の流れを完全に変えました。そういった意味で、ムスリム研究というのは、今非常にHotで、重要な分野と言えます。9.11後の文脈の中、研究の中心地とも言えるアメリカで、現地の学生と議論し、学ぶ機会が持てたということは、私にとってとても意義のあることでした。

AAS315 War, Memory, and Cinema

当初の印象通り、discussionに重点が置かれた授業でした。出席、授業中の発言、プレゼンテーション、毎回の宿題や映画に関する提出課題が評価対象です。300番台、400番台にdiscussion中 心の授業は数多くありますが、生徒の議論への参加度、また全体としてのディスカッションの充実度、という意味ではこの授業は非常に質が高かったです。基本 的に、履修している40人ほどの全ての学生が、一回の授業で少なくとも2-3回は発言の機会を与えられます(というより、発言させられます笑)。当初は、 リスニング面の不安から、議論の細かい内容が把握できず、教授に”Kondo?”と発言を促されるのを戦々恐々たる気持ちで待っていることもありました。それでも回を追うごとに、他の学生の議論に対する疑問を元々の自分の解釈に加え、授業で発言していく、という良い循環が作れたように思います。
授業で扱ったのは、広島を舞台に、戦争の記憶と忘却を描く仏映Hiroshima, Mon Amour、アルジェリア独立運動の思想的指導者であるファノンの著作と、独立戦争を基にした映画、ポルポト政権時にアメリカに逃れたカンボジア難民のその後の強制的な国外追放を扱ったドキュメンタリー等、どれも興味深いものばかりでした。

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1.授業で観たカンボジア難民のドキュメンタリー”Sentenced Home”

ANTH363 Anthropology of Dance/Movement

今学期、唯一履修した文化人類学の授業です。評価基準は、授業の出席、課題の文献をまとめる計10回の課題、それに期末試験です。授業は、フィールドワークやエスノグラフィーといった人類学の方法論の再考から始まり、どのようにダンスなどの人の「動き」を記録するのかという問題、また教授の専門分野であるアメリカの先住民Nakotaの人々の使うPST (Plain Sign Talk)という言葉とジェスチャーが混ざり合った会話法などを学びました。2週間に一度のペースで提出する課題があるのですが、もともとの指示に加え、教授が毎回文法・内容にともに細かい添削をして返してくれるので、評価基準が分かりやすかったのは助かりました。
興 味深かったのは、ダンスや手話を初めとする身体文化が比較的研究されてこなかった背景には、西洋の二元論的な考えがある、ということです。つまり、概念や 理論の形成といった精神の活動こそが高次的で重要なものであり、それに対し身体というのは一段低い、研究対象として取るに足らないものと見なされてきたと いうことです。より概念的で抽象的な主題の方が人気がある、ということは他の授業でも感じていたことだったので、そういった従来とは違う視点から切り込む この分野は、ある意味チャレンジングでまだまだ可能性がある研究だと思いました。

ART191 Experimental Photography

今学期、予想以上に準備と課題に時間を費やした授業です。一週間にフィルム1本のペースで撮影し、暗室でフィルムを現像、最終のプリントまで行ってくる、というのが典型的な一週間の課題でしたが、十分な時間を割かないと、授業前の週末に困り果てることになりました。
カメラは主にDianaと いうトイカメラを使い、白黒写真を撮りました。プラスチック製のレンズを使い、作りは非常に原始的で単純ですが、光の加減をちゃんと調整することさえでき れば、十分良い写真を撮ることができます。この授業では、いかに写真を撮るか、ということ以上に現像段階での技術を学ぶことが重視されました。最終のプリ ントで得られるコントラストの強さや、影の部分の濃淡、明るさの違う二つの被写体などを、自分でどのように調節するかということですが、これがなかなか難 しく、半日以上暗室に籠もって作業することも度々ありました。最終の成績を決めるのは、二回のポートフォリオと生徒の自己評価のエッセイです。

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2.FollettsBookstoreの一角を借りて行った写真展

UP204 Chicago: Planning Urban Life

都市計画というものは、私にとって未知の分野だったのですが、シラバスを見てよく計画された授業だという印象を受け、受講しました。毎週のデータ解析や地図 作製ソフトを使ったちょっとした課題やレポート、ディスカッションへの参加、中間テストと学期末のレポートが評価対象です。
シ カゴをケーススタディとして、街の成立から水上・陸上輸送の要地としての発展、現在の街の原型を作った19世紀の大火後の都市の再建や、それに続く都市問 題、さらには戦後の人口流出に伴う危機をどう乗り越えたか、という街の発展において重要な契機を、時間軸に沿って学びました。さらに、シカゴを通してアメ リカの都市の抱える課題を考察することも授業の目標でした。
授業は毎回興味のある内容というわけではなく、週一回のディスカッションの授業も正直あまり助けにはなりませんでしたが、カリキュラムがよく練られしっか りしていたので、一学期の間に重要なトピックを包括的に学べたと思います。個人的にはアメリカの都市と郊外の発展、それに伴うスプロール現象、その後の衰 退と問題の顕在化までの背景が学べたことが収穫でした。

東 日本大震災に際して私は友人からのメールで第一報を受け取り、その直後はわけがわからず、ただ流れてくるニュース映像に圧倒され、驚愕し、自分の無力さを 感じるばかりでした。その後の1週間は、友人や教授を含め、会う人会う人に家族や友人は大丈夫なのかと聞かれました。海外にいると、私の他に日本人の知り 合いがいない周囲の友人にとって、私はある意味日本そのもののようで、彼らは私を通して日本のことを考え、話をしているところもあったのだと思います。彼 らの心遣いや素朴な見舞いの言葉をありがたく感じると同時に、私は幸いながら地震で被害を受けた身内や友人などはいませんでしたが、このように繰り返し聞 かれるのは、知り合いが被災された人にはつらいだろうとも思いました。
地 震の発生直後の学校新聞の記事では、募金をしようと考えている人が全体的には非常に少ないということでしたが、日本人学生が中心となって行った募金活動 や、日本館の献茶のイベントでは多くの人が集まって募金しているのを目にし、アメリカに根付くチャリティー精神を感じました。

今学期は最後の学期でもあるので、授業以外では、色々な機会を逃したくないと授業の合間をぬって、イリノイ大卒業生でもある著名な映画評論家Roger Ebertの主催する映画祭に友人と出向いたり、先学期から顔を出していた写真部の展覧会に参加したりしました。また今学期は写真の授業のために、被写体を求め当てもなくシャンペーン・アーバナ地区を歩き回ったので、町の様々な場所を発掘したように思います。
そ の一方で、授業が忙しくなればなるほど個々の友人と会って話す、ということが億劫に感じることがありました。そういう意味で寮の友人は、別段会おうと努力 しなくても顔を合わせ、一緒にご飯を食べて雑談ができる、貴重な存在でした。人と話すのは苦ではなくても、慣れてうち解けるには時間のかかる性分なので、 正直もう少し時間をかければ、もっと多くの友人と良い関係を築けた気もしますが、イリノイで特に親しくしていた友人とはこれからも連絡を取っていきたいと 思います。

授業が中心の内容になりましたが、今回のレポートは以上です。次回のレポートではファイナルや留学のまとめなどをお伝えできればと思います。

最後に、留学の間遠い日本から応援してくれた家族と友人達、そして貴重な機会を与えて下さったJICの皆様にもう一度感謝の気持ちを述べて、第三回のレポートを締めくくりたいと思います。

後藤直樹さん2011年5月分レポート

JICのみなさま、レポートを読んでくださっているみなさま、こんにちは。今、日本に向かうこの機内で、第三回目の奨学生レポートを書いています。空っぽになった寮の部屋を見たときも、LEXバスに乗りキャンパスを発ったときも、いまいちわかなかった寂しさが、機内で撮りためた写真をスクロールしているうちに、今更になって押し寄せて来ています。

前回のレポートでは、Spring Semesterの始まりまで書きました。こちらに来て半年が過ぎた今期は、英語にも生活にもなれ、以前より余裕を持って時間を過ごせた時期になったと思っています。まず今回は印象に残った授業を二つ、ご紹介したいと思います。

 Media Ethics

授業を担当していたProf.Christiansはとても個性的で魅力的な教授でした。大分お年を召された白髪の先生で、しゃべるスピードはゆっくり、でも話し方に緩急があり、不思議な存在感がありました。生徒のことを本当に良く見ている先生で、30人近くの生徒の名前をすぐに覚え、顔だけを見て出席をつけていました。前回居なかった生徒が授業にくると、そっとその生徒に近づいて行ってプリントを手渡す姿を何度も見ましたが、今思い返してみると凄いことです。

授業自身もとても印象的なものでした。Media Ethicsという名の通り、Journalismにおける倫理が授業のテーマだったのですが、いままで抽象的にのみ論じられて来た倫理を、どのように現実的な問題に応用するかというのが彼のやっていた試みでした。

授業では毎回ケーススタディが取り上げられ、例えばある授業の回では、ホテルルワンダという映画が題材になりました。ルワンダで起こったフツ族過によるツチ族の大虐殺の最中に、あるホテルで起こった史実をモデルに作られた映画ですが、授業ではそこに描かれているジャーナリストたちにフォーカスが置かれます。

虐殺が起こる前から、ホテルルワンダには多くのジャーナリストたちが宿泊していました。映画では虐殺が起こり始めた後、危険をさけ帰国するジャーナリストと、それを引き止める難民の姿が描かれています。自らの命を守る義務と、現地で起こっていることを報道する責務という、二つの異なる義務にジャーナリストたちが引き裂かれる時、彼らはどう行動することが一番よいのか。

ここで教授が取り上げるのはアリストテレスの中庸の倫理です。中庸の倫理というと大げさですが、簡単に言えば行き過ぎでも過小でもなく、その中間のどこかに一番の美徳が存在するという考え方です。この理論をこのケースに当てはめるなら、何もせずその場を離れる選択も、命の危険を顧みずその場に残る選択もどちらも最善ではなく、その中間あたり、例えば一時的にその場を離れるにしても国境付近で取材を続ける、などという選択が最善ではないかという示唆が得られます。

いくつかのEthical Principlesがあり、それぞれのケースについて一番妥当なprincipleが存在し、それを適用すれば一番妥当な行為かが決まる。もちろんここまではっきりとしたことは言ってませんでしたが、そうした白黒をつけるきらいがこの授業にはありました。授業を受けている間、そんなに簡単に良いこと悪いことが決まる物なのか、という疑問はずっと消えなかったのですが、途中から少し考えを改めることにしました。

現実世界では、良い選択という抽象的なものがどこかに浮いているのではなく、常に決断と実行が隣り合わせで進んで行っているのだということを、アメリカに来てからことさら強く感じる様になりました。Principleを用意するということは、それが凝り固まった原理になるということではなく、少しでも良い選択を、迅速に、実際に、実行に移すために、基準を用意するということではないかと今では思っています。Journalismとはもともと日々の記録という意味を持っています。そこまで遡るまでもなく、Journalismが要求するのは、日々刻々と変化する現実のなかで、その都度決断をして行くことであるのは明らかです。

深く考えることと迅速に動くことの二つを両立することの難しさと、それにしっかりと向き合うことがアメリカでの生活に与えられて課題だとおもっています。答えは出ていませんが、この授業は考えることと行動することを両立するために自分の中にPrincipleを用意すること、その大切さを教えてくれたように思っています。

History of Anthropology

一番心に残った授業です。この授業を担当したProf. Ortaの授業は先学期にも取っていて、その人柄と充実した授業に惹かれて今期も受講しました。先学期と比べ10人ちょっとのクラスで人数も少なく、先生との距離も生徒同士の距離もぐっと近くなりました。

授業の内容はHistory of Anthropologyという名の通り、人類学の学説史です。シラバスには明確にこの授業の目的が書かれていて、そこには現代の人類学の研究成果を歴史的な視点で読み込めるようになること、とあります。

文化人類学や社会学、経済学は社会科学として19世紀に誕生しました。この授業で特に感じたのは、このルーツを知ることの大切さです。19世紀は自然科学の発展がドラスティックに社会を変化させ、科学や発展ということに対する信頼が強かった時代です。こうした時代の中、自然と同じように社会も科学的な分析が出来るという信仰のもと、社会学や経済学といった学問は、社会”科学”として出発しました。今まで当たり前に受け入れていた社会学における見方や区別も、遡ればある時代のある特定の見方に端を発していることを再確認しました。

なぜ学説史をやるのが重要なのか、その感じた所をきちんと言葉にするには難しいところがあります。単純にこの授業のReadingが面白かったということもありますし、圧縮した形で積み重ねられて来た成果を学ぶことが出来るという利点もあります。自然科学と違い人文科学の研究成果は、必ずしも新しいものが以前の物を乗り越えているとは言い切れない所があります。学説史を学ぶことによって、いま注目を浴びている考え方が、ある特定の時代、文脈に於いて光を浴びているに過ぎないということを念頭に置きながら、最新の文献を読む視点を与えられました。

僕自身の専攻は社会学ですが、人類学の授業で社会学の古典を読むことになったように、人類学と社会学はとても近いところにある学問です。でもUIUCの授業にはHistory of Anthropologyはあっても、History of Sociologyはありませんでした。これはたぶんUIUCに限らず社会学全体の傾向ではないかと思っています。こちらで社会学の授業をざっと見て感じたのは、この分野での領域の細分化でした。家族社会学、科学社会学、政治社会学、犯罪社会学・・・いくつもの分野に枝分かれをしながら、では社会学全体としてのIdentityはどこにあるのか、という質問にはどうも答えを得られそうにありません。逆に人類学はかろうじてその学問としての全体性を維持できていることを知れたことは、大きな意味があったように思います。

アメリカと日本の大学

一番初回のレポートで日本の大学教育とアメリカの教育の違いについてこれからも考えて行きたいと書きました。あの時感じたことと少し考えも変わっていますが、今もう一度ここで日米の教育の違いについて少しだけ考えを書いておこうと思っています。もちろん僕が経験して来たアカデミックな教育は人文社会科学に限られますし、大学もUIUCと京大だけなので当然一般化することは出来ません。でもその限られた経験の範囲内で二学期に渡る授業を終えて思ったのは、どっちが良いという以前に、両方経験できてほんとうに良かったなという実感です。

京大では、君は好きなことをやりなさい、私も好きなことを話すから、徹頭徹尾そういうスタイルで全てが進んで行きました。僕はこの雰囲気が好きでした。好きなことをやっている方がモチベーションもあがります。UIUCでは逆に、これをやりなさい。これくらい知っとかないと恥をかくよ、とその分野の常識を叩き込まれた気がします。教授はその分野における常識を生徒に伝えるために、じっくりとシラバスを練り、効率的にその分野において知っておかなければならないことを教えてくれました。こちらではやらなければいけない物が押し付けられるので、モチベーションを保つのには苦労することがあります。その時に教授やTAとの個人的な繋がりが、モチベーションの維持に繋がったことは前にも書いたように思います。僕に取っては、このどちらのタイプも経験したことが自分の糧になったと思います。

教育は意図された通りに働く訳ではなく、ほんとうに劣悪な環境がかえって人の成長に役立つというのはよくある話です。だから良い教育とはなにか、という大風呂敷を広げた議論は困難なのだと思います。でも個人のレベルではそんな難しい話ではないと思っています。この留学を終えた今確かに言えることは、両方経験してみるということが一番良いということです。アメリカにいる最中は、こんな大変な授業は一年で良いや、これを四年やり抜く留学生はすごい、なんて思っていましたが、終わってみればもっと続けたい気持ちが湧いて来たりします。

「どっちが食べたい?」「両方!」って言うのがいちばんおいしい体験であったりするように、今回の留学は二つの世界を教えてくれたという意味でほんとうに貴重な体験だったと思っています。そして両方選択することの出来た環境に置かせて頂いた自分は本当に恵まれていたんだと今、思い返しています。

まじめな話ばかりになってしまいましたが、今回の留学を無事終えることが出来、たくさんの気付きを頂けたのも、この留学を支えてくださったJICのみなさま、家族、友人、先生方の存在があってのことです。再び感謝の気持ちを記して、第三回目の奨学生レポートを終わらせて頂きたいと思います。

池谷香子さん2011年1月分奨学生レポート

JICの皆さま、こんにちは。2010年度奨学生の池谷香子です。

一面真っ白だったQuadから鮮やかな緑が顔を出し、シャンぺーンもようやく春の様相です。暖かさに気持ちが緩むと同時に、留学生活も残り少なくなってきたことに焦りや寂しさも感じはじめています。まだまだ先は長いと思っていた先学期や冬休みを思い出しながら、今回のレポートをお届けします。

まずは先学期の授業でとてもアメリカらしいな、と思ったことがあったのでお伝えします。

SAME133 Introduction to the World of Islamという授業での話です。この授業では、中世のイスラム国家建設から、現代のアメリカにおけるムスリム移民までの世界的規模でのムスリムの拡大がテーマであり、週2回のレクチャーと週1回のディスカッションによって構成されていました。毎回の課題図書の量も多く、内容の非常に細かいアカデミックな授業でした。ところが、シラバスではペーパーとされていた期末課題が、直前になって教場試験に変更されたことにより、一部の学生の反感を買ってしまいました。これは受講生の出席率の悪さに対する教授の対抗策だったようですが、期末試験前日になって受講生のメーリングリストが、シラバスの変更は許されるべきではないと学部長に抗議をするという話でもちきりになりました。試験前日にもかかわらず、署名を集める方法、抗議する内容などについてのメールがひっきりなしに流れ、こんなことをする時間があるなら勉強すればいいのに…と思いながらもアメリカの学生の行動力に感心し、私もメールを確認せずにはいられませんでした。そして、抗議に反対し教授を擁護する学生がいることにも驚きました。日本では、急なシラバスの変更があっても学生は多少文句を言うくらいだと思います。ましてや、多くの学生が教授を批判するなか、反対の意見を述べることはなかなかできないでしょう。結局は試験がそこまで難しくなかったこともあり、ごく一部の学生が陳情を述べただけで終わったのですが、さすが自分の意見を主張することが当たり前の国だ、と感じた面白い経験でした。

また、JICの先輩方も多数受講されている、CMN101 Public Speakingも記憶に残る授業となりました。スピーチの原稿の書き方、スピーチ中の振る舞いを学び、実際にクラスメートを前にしていくつもスピーチをこなす授業です。アメリカ人の学生ばかりの中に一人入ってしまい、最初の頃は他の学生の話す内容が全く理解できず、自分のスピーチの前日は緊張のあまり、突然高熱が出て授業を休めないだろうかと毎回考えるほどでした。話すスピードが明らかに遅く、その分内容も少なくなってしまうため評価が下がるのではないかと心配でしたが、スピーチのフォーマットの指示がとても細かく、指示通りに内容を埋め、しっかりと暗記して授業に臨めば評価されるという採点システムに救われました。そして他の学生がフィードバックを紙一面にぎっしりと書き、励ましてくれることも助けになりました。学期末には、学生が投票で決めるMost Improved Personにも選ばれ、今となっては受講してよかったと思っています。

サンクスギビングと冬休みは、アメリカを西へ東へと大満喫しました。

サンクスギビングはカリフォルニアへ行ったのですが、シャンぺーンから乗り換えのためダラスへと向かう飛行機でアクシデントに見舞われました。離陸後30分ほど経ってから機長によるアナウンスで、機器の故障により高度を上げられないので、シャンぺーン空港に戻ると言われたのです。万が一に備えて着陸前に燃料を使い切らないといけない、ということでシャンぺーン上空を猛スピードで旋回したうえ、後部座席の赤ちゃんが大声で泣き叫ぶので、このまま帰れなくなるのではないかと狼狽してしまいました。そんな状況でも、いつものことのように平然としており、寝ている人までいるのに驚きました。後でわかったことによると、原因は整備不良だったようです。着陸は成功し、今こうしてレポートを書くことができているわけですが、それ以来アメリカの国内線に対する不信感・恐怖感が消えることはありません。

冬休みはまるまる一カ月シャンぺーンを空けてニューヨーク、ワシントンDC、フロリダを回ってきました。ニューヨーク滞在中には、空港や電車が完全にストップする大吹雪に見舞われるなど、またトラブルの絶えない旅でしたが、年越しをディズニーワールドで迎えるなど大いに楽しみ、秋学期の疲れを取ることができました。

そして冬休みは、留学とは切っても切れない「別れ」の季節でもありました。

1学期のみの交換留学生、冬卒業の学生、そしてイリノイ大学から海外へ留学する学生が皆シャンぺーンを離れてしまいました。

私のルームメイトも台湾からの1学期間の留学生だったため、12月末に帰国してしまいました。彼女は電気電子工学科の4年生で、日本のアニメが大好きで日本語を勉強していたため、私とルームメイトになったことをとても喜んでくれたようです。むしろ私の方が知らないことが多く、アメリカで台湾人から日本のアニメについて教わるという面白い寮生活でした。毎日お互いに日本語・中国語を1文ずつ教え合ったり、一緒にカラオケに行ったりと仲良くしていたため、彼女の帰国後部屋がとても寂しくなってしまいました。しかし、帰国後も連絡を取り合っており、日本と台湾で会う計画も立てています。

このように、他の国からの留学生と仲良くなれたことも、留学で得た大きな収穫です。それぞれの国でトップレベルの大学から来ている学生も多く、世界中にネットワークを築くことができるということが留学の意義の1つであると思います。イリノイで過ごした仲間は、帰国後、大学卒業後も大切な宝物になることでしょう。

今学期はHIST472 Immigrant AmericaやLLS281 Construction of Race in Americaなど、アメリカにおける移民や人種問題に関する授業を中心に受けています。未だにディスカッションの授業で発言がなかなか出来ず、もどかしい思いもしますが、先学期に比べて確実に授業の内容の理解や授業への参加が深まっていると感じます。

春学期は休みも少なく大変ですが、残り少ないイリノイ生活を悔いなく過ごせるよう、ますます授業に遊びにと充実した日々を送っていきたいと思います。

田中豪さん2011年1月分奨学生レポート

 JICの皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。田中豪です。

時が経つのも早く、早くも二回目のレポートの時期になってしまいました。今回は、サンクスギビング、秋学期のまとめ、冬休みの旅行を中心にお届けいたします。

学 期の前半は、気温が高かったこともあり、放課後に友人と外でサッカーをしたり、日本館の周りのクロスカントリーコースを走ったり、学内のトライアスロンの レースに参加したりと、アウトドアな生活を送れていたのですが、11月を過ぎると、一気に冷え込んで、もっぱら屋内での生活が続いています。

そ んな寒いイリノイから離れるために、サンクスギビングはアラバマの友人宅を訪れました。現在は、日本で働いているのですが、休暇を利用して両親に会うため にアメリカに戻っていたところでした。シカゴ大学の卒業生なので、イリノイの寒い気候もよく分かっていて、暖かいところでサンクスギビングの家庭料理を食 べないかと誘ってもらいました。ターキー、マカロニ&チーズ、コールスロー、そしてパイ。はじめて口にする料理ばかりでしたが、おいしかったです。そし て、友人本人しか知らなかったにもかかわらず、家族の輪に入れてもらうことができて、南部のホスピタリティを感じました。

ア ラバマでは、彼の実家だけでなく、ヘレンケラーの生家やHuntsvilleにあるSpace & Rocket Centerに連れていってもらいました。宇宙センターというと、フロリダにあるKennedy Space Centerしか僕は知らなかったのですが、この博物館もアメリカでは有名なようです。周辺には、宇宙に関連する産業の工場が集積していました。
ロケット

今学期の授業のまとめを書いておきます(各授業の中身に関しては、前回のレポートで詳しく書いたので、今回は割愛します)。

1. CMN111: Oral and Written Communication I
学 期の前半は、毎回のWritingの課題をこなすのが本当に大変で、毎回前日に徹夜をして、なんとか提出するというスタイルが続き、評価も芳しくなかった のですが、後半に入ってからは、提出前に公開されている評価基準を細かくチェックすることで、無駄な減点をなるべく減らすようにしました。
文 法や表現で減点されることが少なくなると、Freshmanであるクラスメートたちは構成自体に苦労している一方で、で、僕は日本では大学4年生にあたる わけで、レポートを書いた経験があり、Organizaingや内容面で高い評価をもらえるようになりました。8月に提出した一番最初の課題では70点 だったのですが、最終的な成績評価では、Aをもらうことができました。表現の流暢さはこちらの学生に遠く及びませんが、構成さえしっかり練られればアメリ カの大学で何とかやっていけそうだと少しの自信になりました。

2. HIST 274: The United States and the World Since 1917
面 倒見のいいTAにめぐり合うことができて、課題の提出前に毎回フィードバックがもらうようにしていました。Book Reviewでは、課題の本が分厚かったこともあり、数週間前からメモを取りながら読み始めて、Reviewを書き始める前に、内容をほとんど頭に入れる ことができていたのがよかったのだと思います。読むスピードが遅くても、テキストの理解力が悪くても、こつこつやれば、一夜漬けのアメリカ人よりずっと内 容のあるReviewが書けると分かったのは、やっぱり自信につながります。2回のBook Reviewと3回のテストすべてでAをそろえることができました。
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3. PS 202: Religion and Politics in the U.S.
2 回のテストとタームペーパーで評価が決まります。教科書が4冊指定され、リーディングの課題が膨大で、毎回の授業の予習では、ほぼ半分しかこなせていませ んでした。大人数授業で、授業のディスカッションにもなかなかついていけず、クラスの中で友達をいなかったので、テスト勉強は、もっぱらホームページに アップされる簡単なパワーポイントだけが便りでした。タームペーパーも、締め切りに追われ、自室からアクセスできるE journalだけを参照して書いた、なんともお粗末なPaperになりました。結局、評価はB。いくら勉強しても、しっかりした授業ノートで内容を理解 できていないとAは取れないと分かったのは収穫です。
授業では、統計データを頻繁に参照していたのが印象的でした。統計やデータ解析のバックグラウンドがなく、その意味がよく分からなかったので、来学期は統計関連のことも勉強しようと思います。

4. PS 222: Ethics and Public Policy
3 回のShort Essayと期末試験で評価が決まります。授業の内容もよく分からず、英語で書かれた哲学書の理解も不十分で、公開されるPowerpointもシンプル すぎてまったく役に立たないということで、毎回、自分でも意味の分からないEssayを提出し続け、教室に通うこと自体が拷問に思えた授業でした。
難 しいテキストを読み続ければ、そのうち分かるようになるという希望を胸に、Dropはしなかったのですがその日はついにやってきませんでした。笑 ギリシ ア哲学はまだ良かったのですが、Kantなどの近代哲学になると、何回テキストを読んでも、意味が分からず、限界を感じました。こうしたテキストを読める ようになることが、自分の今後の目標です。評価は最終的にB-。なんとか踏みとどまったという感じでしょうか。

5. DANC 120: Tap Dance I
最 終的にB-取ったPS 222以上に落ちこぼれていたのが、この授業です。毎回の授業に欠かさず参加はしていたものの、足が思い通りに動かず、自分のイメージと現実のギャップが 辛いです。日本でダンスをならったことがなかったのでこの授業を取ったわけですが、人前で見せられるようになるには、さらなる練習が必要です。来学期に は、Tap Dance 2を受講するか検討中です。

振り返ってみると、成績については、自分が力を注げた量に相応する評価をもらったというところです。来学期への目標としては、前回でのレポートでも書いたことですが、300-400番台の授業とグループワークのある、あるいは少人数の授業を中心に取ろうと思っています。

冬 休みは、クリスマスイブにColorado Denverに飛び、アメリカ人の友人と二人でDenverとBoulderの二都市を拠点にしながら、Winter sportsを楽しみました。DenverがMile High Cityと呼ばれているように、市内の標高が既に高いので、スキー場では麓であっても少しクロスカントリーをするだけで息が上がってしまいました。リフト で山を登っていくと、目の前の尾根が、富士山よりも高かったりして、晴れた日の景色は最高でした。ちなみに、吹雪の日は、まつ毛が凍ります。車を借りて日 帰りで市内から通ったので、VailやWinter parkと入った山奥にある大箱のスキー場には行けなかったのですが、Arapahoe Basin、Love land、Eldoraなど、毎日違うゲレンデで滑ることができました。合計で、四日ほどスキーを楽しみ、それ以外は付近の山をトレッキングしたり、市内 を観光したりしました。
alapahoe
1 月4日にシャンペーンに戻り、数日をのんびりと過ごしてから、New Orleansに車で向かいました。NOLA Reliefというイリノイ大学の団体のメンバーとして、Operation Helping Hands(OHH)のボランティア活動に参加するためです。

CCANO

OHH は、Hurricane Katrinaで壊されたままの家(おもに障害も持っていたり貧しかったりする人の家)を修復するキリスト教系のボランティア組 織で、僕も、教会に泊まりながら、1週間ほど、家の修復作業を手伝いました。ペンキ塗り、タイル貼り、壁の張替え…など一通りの大工作業は経験しました。 地震がなく、強度を気にしなくていい場所での建築作業では、それなりの戦力になるぐらいのテクニックが身についたのではないか、と勝手に思っています。笑
全 部で15人ほどのグループで、僕以外は全員イリノイ州内の学生でした。僕が唯一の留学生ということで、みんなに興味を持ってもらえて、積極的に話しかけて もらうことができ、コミュニケーションに苦労しなかったのは本当に助かりました。また、夕方に作業が終わってからは、毎夜市内まで車を走らせ、お酒を片手 にJazzを深夜まで聞いていました。早朝から作業が始まるので、朝は辛かったですが、いい思い出になりました。また、ニューオーリンズは、魚介が
おいしく、カキやガンボスープ、ジャンバラヤ、ザリガニなどを食べました。どれもおいしかったです。
秋 学期は、放課後は留学生と外にでかけることが多く、なかなかアメリカ人の友達が出来ずにいました。語学の壁やや文化の違いを勝手に感じて、地元の学生の輪 に入れないことが多かっただけに、New Orleansのボランティアを通じて、アメリカの学生たちに溶け込めたと実感できた瞬間は、すごく嬉しかったです。
ち なみに、NOLA Reliefという団体は、大学から援助をもらっているということで、交通費・宿泊費・食費・参加費はかかりません。今年は、1月にボランティアしました が、年によっては、春や秋の休暇にNew Orleansに行くこともあるようです。アメリカ人の友人に囲まれて1週間を過ごすことができること、実際に体を動かすボランティアができること、費用 がかからないこと、ニューオーリンズの食事と音楽が最高…という理由で、来年度以降の留学生にもぜひおすすめしたい休み期間中の活動です。

NOLA
以上が、秋学期~冬休みの生活のまとめです。

最後に、春学期の履修予定の授業を書いておきます。
1. PS 230: Introduction to Statistics for Political Science Majors
2. PS 318: Interest Groups & Social Movements
3. PS 410: Neighborhoods & Politics
4. LLS 238: Latina/o Social Movements
5. GLBL 296: Critical Human Rights in Global Perspective
6. LAS 490: Translation in European Union
7. LAS 490: UN Terminology and Procedures (3-day Seminar)

次回のレポートで授業の中身や感想を書いていこうと思います。春学期は、秋学期以上に充実した学期にしようと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2010年3月29日
東京大学 法学部 4年
田中 豪

後藤直樹さん2011年1月分奨学生レポート

JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、こんにちは。第二回目の奨学生レポートを送らせていただきます。

一月末の猛吹雪以来、(日本でもニュースになったかもしれません)冬らしい寒さが戻っていたキャンパスですが、ここ一週間は暖かい日が続き、雪解け水がキャンパスの至る所に水たまりを作っています。春の到来を期待するのはまだ早いかもしれませんが、とても気持ちのよい天気の中、いま、このレポートを書いています。

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写真1:リス(NewYork育ち)

先学期の授業について

振り返ってみて、未だに強く印象に残っているのは、Globalizationの授業です。前回のレポートでは国家の地理的な境界を超えて市場、生産面、両方でビジネスを展開する企業が、TNCs(trans national corporations)として概念化されていることについて書いたように思います。授業ではその後、80年代以降にIMFやWorld Bankを通して広められた新自由主義的な経済政策の、主に途上国に対する影響や、こうしたGlobalizationの否定的な側面に対抗する社会運動などが取り上げられました。網羅的に関連するトピックを扱う授業で、特に個々のトピックについて深く掘り下げられた訳ではありませんが、これからいろいろな機会にここで学んだことを思い出す予感がします。

面白いことに別に受講している人類学の授業でも、グローバリゼーションが重要な背景になっているエスノグラフィーを、授業の後半に読むことになりました。エクアドルのindigenous communitiesが、自治を求める社会運動を形成する過程でコミュニティ間の違いや対立を乗り越える必要に迫られ、それがかえって広い範囲でのコミュニティ意識を再形成するというテーマのエスノグラフィーです。

二つの授業を通して興味深かったのは、 共に別々の領域の学問であるにも関わらず、 グローバリゼーションというトピックがここで論じられる際に、少なくともこの両者の間には、ある一定の共通知識が 共有されているように思えたことです。これからいろいろなフィールドで物事を考える際に、グローバリゼーションという視角は非常に重要な切り口になると思いますが、その時分野を超えてベースとなる前提知識を、この授業では学べたように思います。

余談になりますが、アメリカに来てから、知らなければならない、と感じる情報が格段に増えたような気がします。 グローバリゼーションの授業や、日本の外で生活している、ということが影響しているのかも知れません。今まではドメスティックな範囲内で考えていたことでも、もっと広く深い文脈でとらえ直さなければならないように感じることが多くなりました。

情報技術の発達で、地理的に離れた場所の出来事が、世界に影響を与えるスピードが早くなりました。同時に個々人がアクセスできる情報も増え、手に入りうる情報は増え続けています。けれど情報にアクセスできるということと、それを把握できるということは当然別で、こちらに来てからその限界を感じる瞬間が多くなったように思います。 アメリカに来てから、世界が変わっていくスピードがはやくなったように感じるようになったのは、僕自身の感じ方が変わったからでしょうか。

一方でこうした情報の洪水の中で、どうしたら流されずぶれない思考が出来るのか、本当に知らなければならないことはなんなのか、そんなことを最近少し考えるようになりました。答えはまだ見つかっていませんが、留学をしていなければ、こうして真剣に考えている問題にすらなっていなかっただろうと思います。

サンクスギビング&ウィンターブレイク

写真2:セントラルパークから

写真2:セントラルパークから

サンクスギビングが始まると、まずNew Yorkに向かいました。かなり出不精な僕は、実はそれまでシャンペーン以外に町というものを知らず(シカゴもまだその時は行っていませんでした)、まるでどこかの地方から上京してきた学生のように、NYの「都会さ」にただ興奮するばかりでした。

ニューヨークという街には至る所に歴史が刻まれています。泊まっていたホテル(というかアパート?)が築100年以上経っているのに気付いたり(そして、そのせいでトイレが詰まったり)、 ふらっと入った教会の美しさに、心やすらいだりしました。東京も京都もNYもChicagoも、そしてその後行くDCも、どれも大都市ですが、それぞれに建物の色や種類、街に流れる空気が違って、そうした違いを各々に感じれただけで貴重な経験でした。

NYを満喫した後は、WashingtonDCに向かいました。実は義理の叔母のお兄さん夫妻(Kenny&Donna)がDCに住んでいて、渡米前から、サンクスギビングの時には是非来るようにと、声をかけていただいていたのです。

NYを発ったのは丁度サンクスギビングデイの日でした。その日は、Kenny&Donnaそして従兄弟と一緒に、Baltimoreに住む親戚のディナーに招かれていて、DCではなくまずそちらに向かうことになりました。親戚同士の集まりに、一人英語の喋れない日本人がいる訳ですが、とにかく温かく接してもらい、居心地の悪さは全く感じませんでした。

ディナーが始まると、二十人くらいが真ん中に蠟燭が立てられたテーブルを囲み、伝統的なサンクスギビングの食事と会話を楽しみます。会話の内容はあまり理解できなかったのですが、共通の祖父母の思い出話などに花を咲かせているようで、終始とても温かい雰囲気が流れてたように思います。彼らにとって、この日はとても大切な日なんだな、ということが肌で感じられる一日でした。

KennyとDonnaは、両方とも料理が大好きで、毎日のように手作りのお菓子を焼いてくれます。美味しかったのは言うまでもありません。この居心地の良さのせいか、クリスマスにも滞在させてもらったのですが、その際にDonnaから「はじめての時はGuestだけど、二回目からは家族の一員だからね」と言われ、とてもうれしかったのを覚えています。アメリカの家族のように思えました。

実は、Kenny&Donnaのお隣の方は、ご夫妻ともにIlliniで、一度挨拶に訪れイリノイ大学に留学中だと話すととても喜んでくださいました。君は僕らの誇りだよ、とおっしゃってくださり、話している途中に、あれ、ご主人がいなくなったな、と思ってしばらくすると、どこからか見つけてきたのか、イリノイのすこしくたびれたオレンジのキャップをうれしそうな顔でかぶって戻ってこられました。一年だけの留学ですが、それでもイリノイ大学で勉強していたということが、これからもいろんなところで、思いもよらぬ共通点を見つけるきっかけになっていくのだと思います。

写真3:Kenny&Donnaとお土産の箸と

写真3:Kenny&Donnaとお土産の箸と

今期の授業について

今期の授業は以下のものを履修しています。

HIST142    Wester Civilization Since 1660

PHIL203    Ancient Philosophy

ANTH430   History of Anthropology

MS410       Media Ethics

今回の授業のテーマは(後づけですが)、「西洋の歴史」だと思います。歴史という学問には、どこか自分のことを知りたい、という社会の自意識があるように思います。まだセメスターがはじまって一ヶ月ですが、最初の三つの授業を通して、西洋世界の自意識に朧げながら触れているように感じています。

とりわけ、人類学の歴史の授業は、平行して専攻である社会学の歴史も取り扱っており、自分が専攻してる社会学という学問が、ある特定の社会の特定の時代的背景から萌芽したものであるということを、強く意識し直すきっかけになっています。

この授業では、社会学の基礎を築いたとされる泰斗二人(ウェーバーとデュルケーム)の代表作を読むことになり、社会学専攻なのにその文献を実は読んだことのない僕は、恥ずかしいことに英語ではじめてそれを読むことになりました。

社会学という学問は、いったい何をやっているのですか、と聞かれる確率の非常に高い学問です。僕は今まで一度も満足に答えられた試しがなかったのですが、この二人の社会学者はそれを定義すること(しかもかなり違った形で)からはじめています。人類学の授業ですが、この授業には、日本に帰ってからやらなければならない課題をたくさん残されたように思います。

とりとめのない内容になってしまいましたが、今回のレポートは以上です。課題はたくさんあるのに、たいしてなにも出来ていない自分がときに情けなく思えますが、それでもそれを見つけれただけ幸せなことだと思います。こちらでの生活は、思い返せば、後ろ向き7割前向き3割程度ですが、奨学生レポートは前向きな時に書いています。ただ、とても貴重な経験をいましているのは確かで、このような有意義な機会を支えてくださっている、JICのみなさま、両親、同じ奨学生のみんな、友人に感謝の意を述べて、第二回目の奨学生レポートを終えさせて頂きたいと思います。

写真4:冬のユニオン

写真4:冬のユニオン

近藤千鈴さん2011年1月分奨学生レポート

JICの皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。2010年度JIC奨学生の近藤千鈴です。

早いもので、もう第二回目のレポートの時期になってしまいました。考えてみると、もうこちらに来て5ヶ月も経ったことになります。日本に居た時は半期の留学は短すぎる、と思っていましたが、今は1年(実質10ヶ月程ですが)でも、あっと言う間だと実感しています。残りの滞在期間を考えて、焦りを感じないと言えば嘘になりますが、今は(当たり前のことですが)一日一日を大事にしていくしかない、と思っています。

それでは、第二回レポートをお届けしたいと思います。

まずは、以前のレポートでご紹介できなかった先学期のTheaterの授業について少しお話ししたいと思います。
私がとっていたTHEA170 Fundamentals Of Actingは、Theaterメ ジャー以外の人向けに開講されているものです。割と人気があるらしく、今学期私の友人も何人か履修しています。私の通う神戸市外国語大学では毎年語劇祭な るものがあり、それに以前から興味を持っていたことが、この授業を取る理由となりました。専攻以外の人向けとは言え、講師の授業への意識や生徒に対する期 待は高く、モノローグなどでは毎回非常に細かい要求をされましたが、そのぶんやりがいがありました。
こちらでは日常から、演劇の敷居が低いな、と思うことが多いです。演劇部もいくつかありますし、一部の学生達による自主公演などもさかんです。この授業を 取った時も、「自分のスピーチスキルを上げたいから」など、「劇に夢中」ではない学生が全く別の目的や、興味本位やから授業をとっていることが多く、面白 いなと思いました。

休暇
前回のレポート以降、サンクスギビング、冬休みと、2つの休暇をはさみました。休暇中、PAR, ISR, Sherman, Daniel 以外の寮はすべて閉まってしまうので、多くの留学生は早めに計画を立てて、どこで休暇を過ごすかを考えなければなりません。(キャンパスにとどまることも可能ですが、上記以外の寮の生徒は余分に滞在費を支払う必要があります。)
私はサンクスギビングはNYと、その後Chicagoに行きました。NYでは自由の女神はそっちのけで、街をひたすら歩き回り巨大なNYの街の雰囲気を満喫しました。反対に何度か訪れて少し慣れてきたChicagoでは友人と会ったりして、のんびり過ごしました。ちなみに10月ごろにChicagoに行った際には、Broadwayの劇場でビリーエリオット(邦題はリトルダンサー)を観る機会があったのですが、素晴らしかったです。ChicagoにBroadwayがあることはあまり知られていないのですが、小さな劇場がいくつかある通りがあり、Chicagoのお気に入りの地区になりました。

NYのタイムズスクエア
写真1:NYのタイムズスクエア

シカゴの劇場にて

写真2:シカゴの劇場にて

冬休みはイリノイから離れ、主にLAの友人を訪ねたりしました。滞在がクリスマスの時期だったこともあって、家族や友人の集まりにも参加させてもらい、暖かいLAで 楽しいひとときを過ごすことができました。この二つの休暇ではどちらもでも、友人の家に滞在させてもらう機会があったのですが、アメリカの家庭が垣間みれ てとても興味深かったです。子供に対する接し方、親戚などの集まりから、客人に対するホスピタリティやはたまた定番の夕食など、ほんの少しの間とは言え、 生活を共にすることで見えてくることも多かったです。
サンクスギビングは学期も中盤になり、モチベーションを保つのが難しくなっていた頃だったので、本当に良い息抜きになりましたし、冬休みは一度リフレッシュして前期を振り返る機会になりました。アメリカの大学では一旦授業が始まると、とてもintenseな生活になるので、こういった中休みや長期休暇は大事だな、と実感しました。
今学期の授業
今学期は、以下の科目を履修しています.

  • AAS258 Muslims in America
  • AAS315 War, Memory, and Cinema
  • ANTH363 Anthropology of Dance/Movement
  • ART191 Experimental Photography
  • UP204 Chicago: Planning& Urban Life

今期はAnthropologyにあまり取りたい授業がなかったことから、とにかく色々な学部のコースを探しました。とはいえ、授業中に人類学者が書いた文献を読むことも多いですし、以前は考えもしなかった学部の面白いコースが履修できたので結果的に良かったと思います。その中で、今回はAASと写真の授業についてお話したいと思います。
AAS258 Muslims in Americaは、Religious Studies, Latino Studiesを含めた3つのMajorに またがって開講されているものです。奴隷貿易時代に始まり、アメリカ史の中で常に重要なファクターであり続けた「ムスリム」がどのような歴史的変遷を経 て、なぜ今のような形で認識される(具体的に言えば、ムスリム=アラブ人、など)に至ったのか、ということを読み解くことが授業のテーマです。学期末のUrbana& Champaignでのフィールドワークを元にしたresearch paperが主要なプロジェクトですが、それ以外にもエッセイや、授業内でのプレゼンテーションなどが多く盛り込まれた授業なので、大変ではありますが、色々学べるのではないかと考えています。
AAS315 War, Memory, and Cinemaも、Cinema Studies, General Women Studiesにまたがって開講されている授業です。3時間の授業なので映画を観るのかと思いきや、基本的に全ての時間をその日の課題の映画/Readingに関するDiscussionに 費やします。そんな長時間の授業にも関わらず、とても活発な議論ができているのは、ひとえに教授のおかげです。非常にパワフルかつユーモラスな教授で、生 徒の意見を素早くくみあげフィードバックを返し、それ以前に出たトピックと関連づけ、議論を導いて行く様には圧倒されます。他にも、グループプレゼンテー ションが多々あるなど、この授業はとにかくPublic Speaking色が強い授業なので、そういった授業をあまり取っていない私には良い訓練になるかと思っています。
ART191 Experimental Photographyは、私の住むアレンの寮生のみを対象に開かれている授業です。
Art Major の 学生が多く住むアレンでは、楽器の練習室はもちろん、写真を現像する暗室や、陶芸室などが寮の地下にあります。この設備を使わない手はないだろう!と思 い、先学期に友人の助けを借りて暗室で現像を学ぼうと思ったのですが、写真の授業を取っていない、しかも過去に暗室を使った経験のない学生は使えません、 とすげなく断られてしまいました。それ以来ずっと後ろ髪をひかれていたのですが、今学期が最後の機会、ということで履修することにしました。日本ではそれ こそ、写真学校かセミナーに通うかしないとなかなか学べない技術なので、本当に貴重な機会だと思っています。

先学期にとった授業の反省として、課題の内容があまり充実していない、そのため評価基準も上手く分散されていない、ということがあったので、今回はその点を意識して授業を選ぶようにしました。その結果、日常的に、Readingに関するエッセイや課題、またプレゼンテーションなどがある授業をバランスよく取れたのではないかと思っています。また全体としてDiscussion形式の授業が多くなっているので、ひとつひとつの課題をこなしていくと同時に、授業中のDiscussionにどうやって関わり、理解を深めていくのかが、今学期の当面の目標/課題となりそうです。

2月現在のSouth Quad

写真3:2月現在のSouth Quad

明日にはもう2月 に暦が変わります。今年のシャンペーンの冬は友人に言わせると「ここ数年で一番まし」だそうですが、今日はずっと雪が降りつづけており、明日は冷え込みそ うです。次のレポートを書くころには、もう気温も上がって雪もとけているのだろうと思うと、不思議な気持ちですが、それまで後悔のないように毎日の生活を 充実させていきたいと思います。JICの面接に受かってから、ずっと応援してもらった家族、友人、そしてご助力いただいたJICの皆様には、ほんとうに感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします。

神戸市外国語大学 外国語学部 国際関係学科3年
近藤 千鈴