守埼美佳さんの2017年1月分奨学生レポート

みなさまいかがお過ごしでしょうか。第41期小山八郎記念奨学生の守崎美佳です。日本では年が明け、アメリカではまだ前の年のままというこの不思議な時間の節目に、二つ目の奨学生レポートを書いています。

 

1、授業

 

先学期にとった授業で何を学んだのかを概観したいと思います。

 

・PSYC311 Behavioral Neuroscience Lab

この授業は学部生に研究を垣間見させるための授業で、講義、論文購読、論文執筆、研究テーマ制定と発表、試験と、多くの種類の作業から構成される授業でした。内容は羊の脳の解剖、ラットを用いた不安行動における性差の検証やアルコールが空間記憶能力に与える影響に関する実験が主でした。最終発表では、授業で扱った行動モデルを自分の研究に組み込む練習をすることを目的に、 自分で研究テーマを決め、仮説構築・研究手法・結果・考察を含めてまとめて発表するという一連の課題だったのですが、 不慣れなことに、仮説を裏付ける実験データを自分で仮想して発表に組み込むことが課せられたのしでした。実験を計画し実装する前に結果を予測することは研究に必要なスキルなのかもしれないと思う反面、本来仮説を検証するために行う実験が空想のままでは結論を導き出せないではないかと、学部の授業の限界を感じずにはいられませんでした。

 

・Stat 400 確率論から統計の授業までを履修する講義。

様々な分布や検定の方法を、理論から応用まで学びました。授業は講義とグループディスカッションを通じた問題演習、個人で行う問題演習の宿題。数学は抽象的な理論と具体的な事例を交互に学ぶという形が効率的だと聞きましたが、それが授業に実装されています。理論に忠実な分、 私のように数学的基礎に不安があり基礎から学びたいという学生には適した授業です。ただし、最終目標が試験問題を解くという事でした。実際にある事象がどの確率分布で表されるのか、実際のデータを分析して仮説を検証するにはどうすればよいか、ということまでを行うことはできないので、これは自分で行うか、あるいは次の授業を探すか、ということになりそうです。

 

・Psyc 453 Cognitive Psychology of Vision

扱う内容は、視覚の原理と視覚異常について。この分野での研究が進んでいないのか、または基礎から教えることを目的としていたのかわかりませんが、扱った論文がほぼ1950年代〜1980年代のものであったことが気になりました。また脳に原因を発する視覚異常は、「ああこういう人もいるのか」と思う程度で、実際の人口は多くないように直感的に感じたため、どうしても学びがおろそかになってしまったように思います。ただし、Psyc311と併せて、様々な脳部位の機能を学ぶことができた点は評価します。

 

CHLH474 Principle of Epidemiology

・この授業では、アメリカで過去に行われた疫学的調査事例のうち、CDC ( Center for Disease prevention and Control)に記録が残されている事例を、ケースワークとして扱いました。授業の携帯は理論に関する講義と、グループワークを用いたケーススタディ、そして試験。扱うケースは実例であるということもあり興味深かったのですが、なにせ情報が足りず、実際の調査に参加をしたいという思いを強くされられました。この形態の教育はやはり「体験」に留まってしまい、現場で学べることのほうがはるかに多いに違いないという思いを強くします。

 

春学期の授業については、次回のレポートに記載したいと思います。

 

2、主なイベントなど

 

2-1:クリスマスのシカゴ

 

シカゴのミレニアム・パークには大きなクリスマスツリーが飾られていました。一度は海外のクリスマスを経験してみたいとずっと考えていたので、とてもよい機会でした。写真は、クリスマスツリーの下と、友人が連れて行ってくれたシカゴ1人気らしいのディープディッシュピザのお店で。

 

 

 

2-2:畳プロジェクト

 

現在の日本館が20周年を迎える節目に、日本から渡米した職人の方々が畳張替えをする際のお手伝いをさせて頂くという貴重な機会をいただきました。写真は、大学の門の前で、新しいユニフォームを来た職人のみなさんとの集合写真、張替え後に行われたワークショップのお手伝いをさせていただいた際の一コマ、そして終了後にキャンパスにあるジェニファー館長お気に入りののディープディッシュのお店で。

 

 

 

 

3、その他 留学を通じた学び

 

3−1:人の力を借りること。

 

今学期の留学での学びの一つはこれです。そもそも周囲と同じスタートラインにすら立てていないという環境の中で、何かに挑戦するには、自分だけでは上手くいかないことも多いと痛感。私は今回、授業でお世話になったTAさんに研究室に所属したいという話をした所、関連分野の研究室を丁寧にまとめてくださりました。またそれらの研究室に連絡を出した所、何のスキルもない学部学生を受け入れてくれる研究室は実際にありました。また、アメリカでのレジュメの書き方を丁寧に教えてくれた友人、シカゴまでの移動時間を英会話レッスンの時間にしてくれた友人など、あまりに多くの人の助けを借りることができました。周囲に助けを借り、私も周囲の人に力を貸し、互いの互恵的な行動が社会により多くの益を生み出していくのだろうなと痛感しました。

 

3−2:今の自分より一歩上の自分になろうとすること。

 

日本は島社会であり社会から逸脱しないことが最善課題だったために謙虚さを敬う文化が残ったというのはよく聞く考察ですが、他の国から熱意あふれる学生が多く来るここアメリカでは自分を実際よりも小さく見せることは全くプラスに働かないように感じます。強いていえば、人々との付き合いの中で波風を立てないことに貢献する程度。ここでは、今までの生活より一歩上を行こうとする人々がたくさん集まり、恥ずかしさなど全く見せずに自己主張・質問・競争をしています。周囲の人がより努力すれば自分もさらに努力をする必要があり、個人にとってむしろ好成績を取るのはより困難にはなりますが、社会全体としては、より大きな益を生み出す結果になっているのだろうなと思います。特に経済的に豊かでない中国人・インド人の熱心さには目をみはるものがあります。私の出会った友人は「常に今までの自分よりよい自分になっているべきだと思う」という信念と向上心を行動の原動力にしながら、 自分の利益にならなくとも友人を助けるような純粋さも持ち合わせていました。日本を始めとする先進国では多くの人が今の生活に充足感を覚え、ハングリー精神などは時に毛嫌いされるようにも思いますが、それは決して世界標準ではない。世界各国のGDP成長のスピードがよく議論されており、それらは国・自治体・組織レベルの構造的な要因が多く関係するだろうとは思いますが、その根底にはこうした個人の態度が関連しているのではないかと思うのです。

 

3−3:自分で学ぶことと、考えることのバランス〜この度の選挙によせて〜

 

 私が今までの大学教育から学んだことは、第三者の言説を盲信せず、自分の観測した情報から結論を導き出す思考力を身につけることであり、今回の留学生活でもそれを意識し行動していました。しかし今回のアメリカ選挙でその信念は更に修正されました。

 ここシャンペーン・アーバナには、トランプ支持者がまずいないどころか、トランプ支持であることを公言することさえはばかられるような風潮がありました。そのため、マスコミの騒ぎはトランプの一時的な煽動に違いない、実際の選挙ではみな合理的に判断し、その結果ヒラリー・クリントン側に票を入れるに違いない、と、うっすら感じていました。そして結果が今回の投票結果。私がいたこのイリノイ州は最後の「青い島」で、アメリカという国を決して代表していません。大学は社会的には、最もリベラルで、高水準の教育を受けている層に属するかもしれないこと。それらをサンプルとして全体に敷衍することは「サンプルバイアス」意外のなんでもないということ。そうした様々なことに、一気に気付かされた瞬間でした。

 私達は私達の支持した候補者の掲げる政策が「正しい」と言ってのけ、”Those uneducated voted for Trump”なんていう結論に達しますが、そもそも政治は個人の利害調整であり、私達と異なる社会階層にいる人達にとっての「合理性」は私達のものとは全く異なります。私は日本人留学生であり、大学生であり、中流階級に属し、私のいるリベラルかつ高等教育を受けた人の集まる自治体は社会的には裕福な層であるのでしょう。このような自分のいる社会を相対的位置を理解し、それとは異なる人々の行動原理とそれを取り囲む環境を理解していれば、今回の現象をもうすこし正しく予測することができたでしょう。そして実際の観測可能な情報にはもちろん制限があるのだから、そう言った場合には他の媒体や情報源に頼る必要があります。それこそが、広く学ぶことの意味だろうと思います。

 多くの人にとってこのようなことはさも当たり前かもしれず、ここにこうして大仰に書くことすら不勉強を露呈させるようで恥ずかしくはあるのですが、統計学を勉強していた最中ということもありとても印象深いできごとでしたので、こうして書くことにします。