河手賢太郎さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生7月分レポートの第1弾は河手賢太郎さんです。アメリカで学んだキリスト教の伝統を日本でも実行し、またイリノイで出会った友人とも ずっとコンタクトを保つことはとてもすばらしいことですね。これからもイリノイで出会った友人を大切にしていってください。

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IC 関係者の皆様

ご無沙汰しております

イリノイから帰ってきてからもう2カ月半経ちました。

ファイナルが終わった直後の5月第二週に日本に帰って来た私は、余韻に浸る余裕もなく、すぐに日本の大学に復学しました。授業の遅れを取り戻すのに必死で、なかなか留学全体を振り返る時間がとれませんでした。

ようやく落ち着いてきたのは6月30日のJIC総会の頃です。
帰国後も精力的に将来を模索し動き回る2006年度の奨学生の姿に元気づけられました。

次年度の奨学生のキラキラと輝く目に昨年の自分を思い出し、イリノイでの1年間がどれほど強烈に自分を変えたかを改めて実感しました。

帰国直前のファイナルに入る1週間前に、お世話になった友人に別れを告げて周りました。
忙しいなかおなじ寮のフロアに住む友人が送別会を開いてくれて、私もふくめ日中韓オリジンの約15名と共に円陣を組みお互いのファイナルの健闘を祈りました。

イリノイ大学で出会った約百数十人の友人。「もう一生会わない人もいるかもしれない。」と思うだけで悲しくなりますが、人生は旅。

縁があればまた何処かで会うことになるのでしょう。

帰国後すぐに、私は東大YMCA寮に移りました。

吉 祥寺の実家から寮に移ったのは、東大前駅の真上にあるという地の利もそうですが、イリノイでの寮生活に慣れ、帰国してからもこの寮生活で身につけた習慣を 継続したかったからです。そして何よりキリスト教的世界観に魅せられた私は信仰を保っていく拠り所が欲しかったという事情もあります。現在寮生は約20 人。賄いの方が料理をしてくれる以外は、寮内の清掃、会計、備品の調達、そして毎週ある行事の運営ほぼすべての寮生によって行われます。寮生が起居を共に し、コミュニティーを作り上げ維持していく生活は、まさしくイリノイ大学にあったFraternityです。GREEK に相当する3つのギリシャ文字はありませんが、あえて作れば、yμχαというところでしょうか(笑)。

120年の歴史をもつ東大YMCA寮は、1888年に片山哲、吉野作造、藤田逸男を含む9人により設立されました。この寮が輩出した人のなかには『夕鶴』の木下順二や森有正もいます。驚いたのは、1898年から始まった早祷日誌がいまでものこっていることです。

私はこの寮の一員として、伝統を守りつつも、イリノイのChristian Fellowshipでの活動を通して身につけたコミュニティー・ビルディングのノウハウをつかって、東大YMCA寮生の間の結束力を高めていこうと日々模索しています。

5月下旬には、イリノイでお世話になった友人BenとClaudiaが日本にやってきました。

昨年のサンクスギビングの時に実家に招待し てくれたこともあり、2人を私の家に招くことができたのは幸いでした。遠方からの友人を家に招き、地元で案内をするというのは不思議な感覚があります。井 の頭公園を歩き、伊勢谷の焼き鳥を食べ、商店街を練り歩くという、定番のコース。1年間のアーバナシャンペンでの自分と二十数年間の吉祥寺での自分とを結 びつける特別な時間でした。

また、浅草で御神輿を見て、歌舞伎座の團菊祭に行き、東大の五月祭に行きました。旬のイベントを楽しんでもらえたと思います。

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こうして奨学金申込の身上書に書いた“マニフェスト”が小さな形ではあれ実現できました。これからも決して終わらない私とアメリカとの関わりの序幕がこれでようやく降ります。
ここまでやってこられたのはすべてJICの皆様のおかげです。
どうもありがとうございました。

今後はJICの活動に積極的に関わっていきますので、どうぞよろしくお願い致します。

東京大学法学部4年
河手賢太郎

河手賢太郎さんの2007年4月奨学生レポート

4月分レポートの第3弾は河手賢太郎さんです。裁判所に足を運んだり、ホームレスや子供たちと触れ合うボランティアに参加したりと、盛んにコミュニティに参加しています。この経験を是非将来生かしていただきたいですね。

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JIC関係者の皆様
ご無沙汰しております。
JIC奨学生の河手賢太郎です。

体験レポートも第三回目となりました。
一人でも多くの人にみてもらえることが何よりの喜びです。
読者を意識すると良い意味で緊張感も沸いてきます。

イリノイ大学への留学もあと残すところ1ヶ月弱となりました。
体験レポートを書いていると、春学期が始まって以降に起こったことすべてが思い出と共に目に浮かびます。

さ て、前回のレポートでも書きましたが、私は2月中旬から8~9回程、裁判所に足を運び法廷を見学してきました。幸運にもChampaign County Courthouseと Federal district Courtがキャンパスからバスで3分の位置にあり、アクセスに不自由はありませんでした。

County Courthouseでは飲酒運転に関する否認事件の陪審裁判を何件か見学しました。私が見学したのは陪審裁判Jury trialと裁判官による裁判Bench Trialでした。手続きは罪状認否手続arraignmentから始まります。拘留されている被疑者は、裁判所に行き罪状の認・否認をします。公開の法 廷で行われるこの手続きは、裁判官が「Plea guiltyをしますか?」と被疑者に聞き、認plea guiltyか否認 plea not guiltyをするわけです。傍聴席には被疑者の家族らしき人々が法廷を見守っていました。一度に4人の被疑者が法廷に呼ばれます。皆囚人服を着、手錠を はめられたままで、非常にリアルな場面でした。

裁判はまず陪審員選びから始まります。選挙人名簿に登録された一般市民が courthouseに呼ばれます。期日当日、30人程度の市民のなかから12人の陪審員が選ばれます。これがjury selectionという名の手続きで、公開の法廷で行われます。裁判官、検察官、被告代理人が陪審員候補者に次から次へと質問をし、当該候補者が公正な 事実認定ができるか否かを探ります。特に、私が傍聴した飲酒運転のあるケースでは証言台に立ったのが検察によって呼ばれた警察ただ一人だった事情もあり、 警察の証言をバイアスなしに評価できる陪審員を検察側はもとめているようでした。

「かつて身内に飲酒運転でつかまったことがあります か?」「身内が逮捕されたことはありますか」「あなたあるいは身内で飲酒運転の事故に巻き込まれた人はいますか。」「犯罪被害に遭われたことはあります か?」プライベートでセンシティブな質問にも答えなければなりません。「身内に犯罪者がいました」と答えた陪審員は、不快感がふっと顔に表れたのが記憶に 残っています。こうして12人の陪審員が選ばれ、いよいよ裁判のスタートです。両当事者がopening statementで争点を明確にし、その後証人尋問がありました。お昼休み休憩中、証人として呼ばれていた警察官に話しかけると気前よく答えてくれまし た。彼が小さいころから警察官に憧れていたこと、その日は公務中ではないことなどを教えてくれました。公務中でないのに制服を来てしかも銃まで腰に下げて 証言台に立っていたのは、おそらく陪審員に対する心理的な効果を期待したのかもしれません。

その裁判の評決は有罪guiltyでした。被 告人が身体検査を拒絶し、結局運転をしていたときに飲酒運転が成立する要件physically impairedがあったかどうかは客観的には明らかでなかったものの、結局beyond reasonable doubtと判断されました。

その時は「そんなもんか」と思いましたが、歯にものがひっかかったような感覚はいつまでものこりました。「市民社会ってけっこう不確実で脆いものなんだな。」というのが率直な感想です。

私 が裁判所に足しげく通っていたちょうどその頃、Law and PsychologyとSociology of Law の授業では陪審員の心理学というテーマで授業をやっていました。目撃証言などの正確性や証言の陪審による認識のされ方、性別あるいは人種による陪審の偏見 等の文献をいくつか読んでいたこともあり、法廷傍聴は非常に意義深かったです。

さらに幸運だったのは、ロースクールで行われた刑事事 件の模擬裁判の陪審員に選ばれたことです。裁判において陪審員が評決を下す前にする評議deliberationは非公開で、外からは伺い知ることができ ません。模擬裁判とはいえその陪審員の一人として評議の内部にもぐり込めたのは幸運でした。結局評議の大部分は、証言の信頼性とreasonable doubtの基準についての話し合いで占められました。私は「Reasonable doubtの基準についてはなかなか合意には至らないだろう」と当初思っていました。しかし、陪審員のなかにロースクールの学生がおり、彼が「うちの教授 がreasonable doubtは90%の疑わしさだ。」と言ったとたん、皆さん争わなくなりました。実際はそんなに高い基準の運用がなされているとは思えないのに、一留学生 の発言よりも現役ロースクールの学生の発言の方が説得的だったのでしょう。その他にも、自分が当事者になってはじめて「なるほど」とわかることが多く、非 常に有意義な体験でした。

授業の話しがつづいて恐縮ですが、

法社会学の授業が非常に面白いです。かつて体験 レポートにも書きましたが、法解釈中心の実弟法学とは離れて実際に法律が社会の中でどのように機能しているのかありは機能していないのかについて勉強した くてアメリカに来たという背景があります。今学期の法社会学の授業では様々なテーマを扱いました。以下に例をあげますと、紛争が発生する過程、学会・実務 家・裁判所の間の利害関係、アメリカ人の訴訟好きという日本にすら流布しているイメージがどのように形作られていったのかの過程、不法行為法における改革 におけるシンクタンクの役割、離婚問題における弁護士とクライアントとのやりとりの傾向、法律における性差別や人種差別の温存構造、などなどです。

授業の話しばかりで大変恐縮ですが、これで最後です。

Law and Psychology の授業では、社会調査や統計が判決に与える影響についてケースブックを使い学びました。商標侵害訴訟における侵害の程度、表現の自由訴訟における猥褻性の 程度、別学訴訟における人種別学や性別学の子どもに与える影響、刑事事件における心神喪失の程度等を判断するために、社会調査・社会が重要な証拠として訴 訟において取り上げられます。抽象的な何々standard をそのまま適用するのではなく、つまり法文の質的分析だけでなく社会統計的な量的考慮が判決に直接影響を与えるのには目を開かせます。

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アメリカにおける法社会学は、「学」内にとじこもらずに、それが判決に大きな影響を与えていています。裁判官による原理原則の恣意的な適用を、統計でヘッ ジする態度は、本音(社会統計)と建前(法律の条文なり原理原則)との距離を小さくしていこうとする努力の現れなのだと感じました。

春 休み中、私はシカゴで ボランティア活動をしていました。教会の施設に寝泊まりしながら、地域の小学校で子どもたちと遊んだり、ホームレスのシェルターに言って話し相手になった りしました。教会が位置するCentral 通り、Washington通りはシカゴではドラッグの取引が行われる最も治安の悪いことで有名な場所だそうです。

C.U.Pは春休 みにある5日間のコミュニティー・サービスプログラムで、イリノイ州の大学約5校から100人ぐらいの学生が教会の近くのアパートに寝泊まりする合宿形式 のプログラムです。春休みは留学期の最後の長い休みでもあり、これまでのイリノイ大学留学で授業の内外で学んだことを咀嚼・消化し振り返り、次にどのよう につなげていくかを考える貴重な時間でした。プログラムのテーマは社会正義。都市部における貧富の格差を肌で体験し、絶えない人種的偏見に対して市民とし てどう対応するのかを考えさせるプログラムでした。5日間のプログラムは3つの柱から構成されていました。第一に、social worker として活動しているスピーカーを招くことです。第二に、自分の社会経済的・人種民族的背景を見つめなおしアイデンティティを再構築することです。第三の柱 はコミュニティーサービスです。実際にシカゴのダウンタウンに出て、ボランティア活動をしました。

私の班はwarming center というホームレスの人が日中シェルターが閉まっている間に身を寄せられるコミュニティーセンターに行き、そこにやってきた人々との会話を楽しみました。

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今Chicago Urban Projectを振り返ってみると、ボランティアとは言っても、ほんの短い期間で実際のニーズは現地でホームレスとかかわっている人、地域の小学校の関係 者が痛いくらいわかっていて、それを3日間しかいない学生がやってきも何もわかりっこない。要は、大学が休みの期間に見学しにいったお客さんのようでし た。「誰かを助けようと自発的に行動する」volunteerというよりも「学ばせてもらう」という意識の方が正確かもしれません。こう考えて行動する方 がはるかに気持も楽でしたしもっと謙虚に人々のお話も聞けました。

Chicago Urban Projectが終わった後は一緒に参加したRyanの家に学校が始まるまでステイさせてもらいました。彼の家があるシカゴ郊外は、ダウンタウンとはうっ てかわって閑静で綺麗な住宅街でした。あまりのギャップに戸惑いました。もともと東京のど真ん中でこれまでの人生の大半を送ってきた自分にとって、 suburb – inner cityの二分法に渦巻く感情を理解できないでいました。しかし今回、大都市に住むよりも、都市の中心から自動車で4,50分離れた郊外に一戸建てを建 て、犬を飼い、広い庭を持つことを夢とするアメリカ人のものの考え方の一端を垣間見ることができました。

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復活祭Easterは毎年、春分の日の後にくる満月後の最初の日曜日にあります。2007年のイースターは4月8日でした。私は4月6日の金曜日から Easterにかけて、Chicago Urban Projectで知り合ったBethの家族と共に過ごしました。彼女の実家はO’ Fallonというイリノイ州南西部のセントルイスに近い町にあります。彼女の両親はかつて日本に住んでいたことがありました。父親のBob Vaughnさんはアメリカ空軍の元軍人として沖縄、東京の米軍基地にいた経験があるそうで、当時のことを思いで深く語ってくれました。Sueさんも大の 日本好きで、2人がもつ日本の伝統工芸品のコレクションや絵画のコレクションを見せてもらいました。国境を超えて渡ってきた文化との思いがけない再会で、 私も興奮してしまいました。

4月7日の土曜日はVaughn さん一家と共にセントルイスへと足をのばしました。早朝マーケットで買い物をすませた後、グランドアーチというモニュメントに行きました。このアーチは由 来がありまして、セントルイスはミシシッピ西岸に位置し、古くは西部開拓の前哨基地でした。1960年に入るとセントルイスのアメリカ史におけるかつての 位置づけを物語るようなモニュメントを作ろうという話が持ち上がり、西部開拓へのゲートウェイという意味を込めて、巨大なアーチがつくられるに至りまし た。帰宅後Sueさんが自慢の日本料理を振る舞って下さいました。牛肉も餃子の中身たりえる、と知ったのはその時です。

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日曜日の朝は家族全員と教会の礼拝につれて行ってもらいました。ベス曰く「Easterはクリスチャンにとってクリスマスと並ぶ、いやそれ以上に重要な日 なの」と言っていました。日本ではクリスマスを“祝う”習慣はありますが、イースターは祝いません。アメリカでは他の国では祝わない感謝祭thanks giving がありますし、南欧のある国では子ども達がプレゼントをもらうのはサンタクロースからではなく1月6日の東方の三博士Three Kingsからです。こうしてみると、日本も含め、キリスト教の受容のされ方の多様性を考えさせられます。

2月上旬より治療済みの歯が再び痛み始め、授業の負荷を減らし1週間~2週間日本に帰国するというトラブルもありましたが、

最後の一ヶ月を勉強も課外活動も思いっきり取り組んできます!

JICの皆様、これからも宜しくお願いいたします。

2006年度奨学生レポート 特別編「奨学生座談会」

「JIC留学生による座談会」

2006年度奨学生の方から座談会を行ったというお知らせが届きました。これから留学なさる方などは是非参考にしてみてください。

昨 年の12月9日にJIC奨学生4人(佐藤茉莉子、河手賢太郎、西村崇、川島今日子)で集まり座談会を開きました。アメリカへの到着時のエピソードや寮での 生活を中心に話しました。私たちの生活ぶりが少しでも皆様に伝えられれば幸いです。また、今後留学する人たちが役立てくれればと思います。

質問:渡米後最初のご飯はどこで食べましたか?

佐藤:夜ご飯をスキップして寝ちゃったの。夕方についてすぐに買い物に連れていってもらったんだけど。最初の日ですでにコスモ の人の良さに感動したかな。でも夜ご飯食べる元気はなくてそのまま寝ちゃった。

川島・西村:初日から買い物に連れて行ってもらえるなんて、さすがコスモ(笑)

西村:僕 は、みんなよりかなり早くシャンペーンに到着したよね。8月12日の夕方には着いていて、ISRという寮にしばらく滞在していました。最初の夕食は、グ リーンストリート沿いの、Zorbasというお店でギリシャ式のサンドイッチを食べました。最初に食べた時からそのお店は気に入っていて、今でもちょく ちょく通ってます。

河手:ユニオンに泊まろうとしたけれども部屋がいっぱいで、とりあえず途方に暮れました(笑)。
結局深夜0時ころタクシーを使って郊外にあるホテルに行き、45ドルも払って1泊しました。翌日はホテルの近くにあるレストランでご飯を食べました。目玉焼きとベーコンエッグとコーヒーおかわり付き。シンプルなアメリカン・ブレクファストでした。

川島:私はウィラード空港で韓国人のミンさんという女性に話しかけられて、車でキャンパスへ連れてきてもらい、グリーンストリートの韓国料理ドルカスでお喋りしながら食べたのが初めての食事です。

川島:ところで西村君、学部寮には到着した日から入れるの?

西村:ISRと言う寮にはtemoprary housingという制度があって、学期休み中でも予約すると泊まれます。

川島:いつ頃自分の寮に移動できたの?

西村:8月15日のオリエンテーションの日に移動しました。

佐藤:私は部屋を探すのが面倒くさかったから、コスモにしたのも結構あるかも。去年の人が大変だったって言ってたから。しかも私ドームフード食べたくない、太りたくないって思ってたし。

川島:コスモは住みやすそうね。

佐藤:本当にびっくりするくらい古いけどね(笑)

川島:創設約100周年だね。一階の壁に飾ってある写真も相当古い。

佐藤:部屋が広いのはいい。授業でバレエを取ってるから、毎日部屋でストレッチしている。

西村:寮の部屋だとストレッチする程のスペースがないよね・・・

河手:寮だと、ラウンジがあるじゃん。そこでストレッチしなよ。

川島:西村君がラウンジで黙々とストレッチねぇ…(想像してみる)。近づきたくないよね。

佐藤:ひどーい(笑)

河手:ブリッジなんてしていたらさらにひきますね。

佐藤:ところで河手君や西村君も最初コスモに入ろうとしてなかった?

河手:うん、考えていたよ。「昨年度はJIC奨学生4人がなかなか学部寮に入れずにいて、住まい探しに苦労した」って聞いていたからね。

西村:僕も河手君と同じ事を思っていました。ただ、コスモに入ろうか入るまいか躊躇しているうちに、佐藤さんに先んじられてしまって・・・(笑)

川島:私もコスモは良さそうだと思ったけれど、他のオプションも考えて迷っていたな。

西村:ただ、コスモに住むとなると自炊しないといけなかったからね。あんまり料理や食材の買出しに時間をとられたくないと思っていたので、正直僕も迷っていました。

佐藤:私にとっては自炊できるのが一番の理由で、とりあえずアメリカへ来て太りたくないと思ってたから(笑)。自炊できるところで、すごい安くて、しかも部屋が広いって前の年の奨学生の方が言っていたし、ついてすぐテンポラリーハウジングを探すのが嫌だったんだよね。

河手:なるほどね。それに昨年のJIC奨学生の甲田さんが強調していたけど、コスモに住むといろんな国の人と知り合いになれるよね。

佐藤:で もね、最初の頃全然人と出会わなくて・・・15人いるはずだったのに全然で出会わなくて、すごく寂しかったんだよ。基本みんなGradStudentだか ら生活の時間帯が合わなくて、みんな何してるの?どこにいるの?って思ってた。最近はみんなと仲良くなっていっしょにぶらぶらしてるけど。そうそう今は学 部生はミシェルと私の二人だけだよ。

西村:それにしても、3人が躊躇してる間に、佐藤さんにはいっと手を挙げられたから(笑)。僕ら3人はコスモはあきらめざるを得なかったよ。

川島:うん、誰かが手を挙げるかな、と思っていた。

河手:僕は「誰か住みたいだろうなぁ」と思って、結局、いちばん最後に残った選択肢でいいや、と思っていた(笑)

1: コスモとは「コスモポリタン・クラブ」の略で、毎年JIC奨学生から1人はお世話になっているアパートです。世界各国からの留学生と一緒に暮らせ、かつ校舎からも近いという点からJIC留学生から根強い人気を得ています。

佐藤:河手君が今住んでいるFARは最初から希望していたんじゃないの?

河手:FARに決めたのは、もともとJIC奨学生が作成したアドバイス集にFARが紹介されていたから、じゃFARにしようということで決めたんだ。すごくシンプル。結局、住居についてはこだわらなかったなぁ。とにかく住めればいいや、って(笑)。

佐藤:それにしても西村君はすごいよね。いつも下調べをして。

西村:住 む場所は特に大事だと思っていたので。寮に住むことはすぐに決めたんだけど、学部寮にするか院生寮にするかで散々悩みました。ここに来る前は、アメリカの Freshmanに対して、全員がparty好きでとにかくやかましいというように、今から考えれば偏見に満ちたイメージを持っていたので、自分の性格を 考えた時に、そういうところに混じってやっていけるのかどうか、ということが不安だったので。かといって、院生寮だと部屋に閉じこもってしまいそうだとも 思ってもいました。学部寮の中でも、特にLiving Learinig Communityというのは特殊なプログラムがあるということで色々見ていて、過去の奨学生の古川さんという人のレポートを読んでみても、開放的な雰囲 気で一番いいかなと思い、結果的にGlobal Crossroad(以下 “GC”)に決めました。

川島:Living Learinig Communityではどういうことをするの?

西村:ニュー スレターにも書いたけれども、要は文字通り「住みながら学ぶ」ということです。それぞれのコミュニティにはテーマがあって、Global Crossroadは国際交流がテーマです。他には例えば、Six packのGregoryにはLeadsというコミュニティがあって、そこにはリーダーシップを学びたい学生が集まってきます。また、コミュニティの人だ けが受講できる特別なプログラムもあって、例えばGlobal Crossroad(以下、GC)の学生が優先的に受けられる国際関係論入門があったり、あとは寮のSocial Eventが多かったりと、一般的な寮よりも充実した生活が送れていると思いますね。

佐藤:アパートに住んでいる川島さんは、どうしてアパートシェアをしようと思ったの?

川島:寮ではなくアパートを選んだ理由は、自炊がしたかったのと、去年の奨学生が秋学期は希望した寮に入れなかったと聞いて大学寮に対して不安があったから。キャンパスから遠いOrchard Downに住むことになったら、車が無いので困ると思って。

西村:それはやっぱり懸念したよね。去年のJIC奨学生の白水さんの場合は、最初Orchardを割り当てられたらしいし。それはないだろうということで、Illini Towerに変えたらしいので。

川島:一 人の空間も欲しかったから院生寮のSherman Hallも考えたけれど、部屋がとても狭いと聞いていたので躊躇。学部寮に関しては、年の若いFreshmanが多く賑やかでもあり騒々しくもあると聞い て、自分に合うかな?と考えて。アパートシェアは日本ではあまりやらないし、アメリカらしい経験ができると思ってアパートを選択しました。

佐藤:コスモは一人部屋だからいいなー、って思ってたよ。

川島:ア パート探しは、UIUCのStudy Abroad Officeウェブサイトの掲示板を利用したよ。これは部屋を貸したい人と借りたい人が連絡をとるための掲示板。「一年間のルームシェアを探しています」 というメッセージを出し、何人かとe-mailで交渉して決めました。今はグリーンストリートの少し北のアパートを3人でシェアしていて、個人のベッド ルームがあり、キッチン・バス・トイレが共同。大学寮もイベントがあって楽しそうなので、来学期に移ることも考えたけれど、アパートをサブリースする相手 を探すタイミングを逃してしまって。でも、「住めば都」で落ち着いてきたので、この選択も良かったかなと思っています。

佐藤:それにしてもイリノイ大学に来るまでどの寮がいいかとかイメージが全く分からなかったよね。どの寮がどこにあるかとかも、地図を見ても見当が付かないよね。

川島:私 は、ハウジングについて、事前にもう少し詳しい情報を集めるべきだったと思う。例えば各大学寮の特徴や利点、おおまかな地理関係など。工学部の授業は Quadの北、自然科学系ではQuadの東や南、人文系ではQuadの南が多いよね。もちろん必ずしもそうでないこともあるけれど、授業のある建物や自分 がよく利用する建物と住まいが近いと、特に寒い冬は助かる。私は最近CRCEをよく利用するので、目の前にある学部寮のAllen Hallが羨ましい!そういう情報は過去のJIC奨学生に聞けば快く教えてくれるはず。

質問:みなさんは来年住むならどこに住みたいですか?

佐藤:次に住むとしたら、やっぱりコスモだな。インド料理食べたし、タイ人とタイカレーを作ったし、アメリカ人に教えてもらいながら、キャロットケーキを作ったり、インド人と一緒に映画を見たりとか。コーヒーアワー もあるし。

西村:GCの場合は時間帯にもよるけれども、会話をせずにどこかに行くことが不可能というくらい、誰かと顔をあわせるかな。

佐藤:そういうところがいいよね。コスモはみんな自立してるから。喋ろうと思えば喋れるけど。

西村:英 語の練習という点から言うと、瞬発性が鍛えられるのは、GCかな。もしこの一年間を経た後でまた住みたいかと聞かれたら、多少考えるけれども、(英語の運 用能力などが)去年と同じ状態で部屋探しをしろと言われたら、やはりGC になるだろうね。と言うのも、今学期とった社会学のAdvacnced Classでは毎週2,3本の論文を読まなければならなくて、他の授業でももちろん大量の宿題があったから、どちらかといえば部屋に閉じこもる時間が多 かったわけです。でもそういう中でも、誰かと話すちょっとしたきっかけが作れる環境に住んでいたのは、とてもありがたいことだと思ったから。 Sherman Hallの廊下を見たことがあるけれども、気軽に人と交流していくのは少し難しいかなと思ったし。学部寮には食堂もあるから、誰かを誘って食事にいくこと もできるしね。ちなみに、ダイニングホールのご飯はすごくおいしいと思います。ただ、さすがに朝食は飽きてきたけど(笑)。

河手:食堂はバイキング形式なので、「肉料理はあまり食べないようにしよう」とか「野菜中心の献立にしよう」とか自分で決めることができる。つまり自分の体を自分でケアできる。そこがいい!

西村:そうだね。アメリカへ来て思ったことのひとつとしては、こちらではベジタリアンが多いということ。だから、食堂では野菜がしっかり揃っているよね。

河手:寮での食事の利点は、食事を作る手間が省けることと友人と一緒にご飯を食べられることに尽きる。買い物に行かなくてもいいし。時間が節約できれば、その分はアサインメントをこなしたり、ソーシャルライフを楽しめるよね。

佐藤:コスモでは住んでいる人の国籍が違うから、一緒に買い物に行くときはみんな違うものを買ってそれがおもしろい。インド人の棚にはいろんなスパイスがあるんだよ。アフリカ人の人とかも結構ご飯を作っていてびっくりした。ご飯はアジアのものだと思ってたから。

西村:川島さんは来年住むとしたら、どこに住む?

川島:コ スモやGCで住みながら知り合いを増やせるのは魅力的。アパートではネットワークが広がらないので。または仲の良い友達と4・5人でアパートをシェアする のも楽しいと思う。同じアパートの4階に住む友達は、女の子5人で住んでいて、遊びに行ったら賑やかですごく楽しそうだった。

佐藤:私は、グレゴリードライブにあるアパートに1回行ったことがあるんだけど、すごくきれいで、住みたいと思った。だから1年いて、来年も住むんだったら、仲が良い子ときれいなアパートに住みたいな。

川島:こ ちらに住んでいればきれいでリーズナブルなアパートを見つけるのは可能だけど、私のように日本からインターネットに頼ってそれを探すのはとても難しい。実 際に部屋を見ないと様子が分からないから。私のアパートは入居当初は掃除が必要な状態で、日本から持ってきた雑巾が活躍しました。

佐藤:私は甲田さんが残していってくれた掃除道具を使ったよ。でもあとから親に掃除機買ってもらったけど(笑)。来年来る人にコスモポリタンなら薦めるけど空きがあるか分からない。

河手:僕 はFARを薦めるね。FARは共通のロビーをもつ二つ大きなビルで構成されていて、一つの階に約40部屋。一つの部屋に二人は入っているから、一つの階に 80人前後はいる。そして二つの建物にはそれぞれ12フロアあるから、合計でFARだけで約1920人の学生が住んでいる。朝授業へ行くとき、夕方寮に 戻ってくるとき、1階にある食堂に行くときなど、一日のうちで何度も通るロビーでは毎日一人か二人の友人とは顔を合わせるよね。そして知り合いが知り合い を生んでいくから、ロビーに行けば話し相手が必ずいるよね。待ち合わせ場所にもぴったりだし。
他の寮見れば分かるんだけれども、例えばSix Pack。1500人~2000人は住んでいると思うけど、共通のロビーがなくて、2階建てくらいの一つ一つの建物の廊下が直接外に通じているから、FARのようにはいかないだろうね。

佐藤:自炊もすごい楽しいよ。

2: コーヒーアワーとは、コスモで毎週木曜夜に催されるソーシャルイベントのことです。ある国をテーマにその国に関するプレゼンや料理を楽しむことができます。

質問:ルームメイトとの関係は?

河手:人によると思うけれども、僕の場合はルームメイト以上に、同じフロアの友人と一緒に過ごすことが多いよ。

西村:僕 の場合も、(ルームメイトはただの)共同生活者という感じですね。僕のルームメイトはオランダからの交換留学生でEelcoという名前なのだけど、 Outgoingなタイプの人間なので、そもそも一緒にいる時間もないので会話もあまりありません。最近は、特に感謝祭休みが終わってからは、彼女をほぼ 毎日連れてきては一緒に映画を見たりいちゃいちゃしてたので、さすがにこの前に堪忍袋の緒が切れて、散々文句を言いました。まあ、半ば予想していた通り、 彼はI did not know you were frustratedと言ってくれましたが。文化の違いを感じて、いい経験でした(苦笑)。

佐藤:そ うそう、関係ないけどさ笑、あたしブラックコーラスでできた友達とfacebookでけっこうつながってるのね。そしたら一緒に住んでるドイツ人の女の子 から「まりこはすごいね」って言われたの。珍しいのかなぁ、これって。でも確かに、黒人の子とは、ブラックコーラスを取ってなかったら友達にならなかった かもしれない。

西村:僕も黒人の友達はあまりない。

河手:黒人の友人なら授業や課外活動を通して知り合う機会が多いね。意識的に作った方がいいと思うよ。黒人はお互いbrotherhoodとも呼べるような固い紐帯でむすばれているみたいで、一人と友達になればどんどんネットワークが広がっていく。

川島:私は、履修した授業のせいか、比較的黒人の学生と出会う機会が少ないかもしれない。

佐藤:分かんないけど、なんとなくアジア人との方が交流しやすくない?

西村:アジア人かどうかではなくて、要は気が合うかどうか、という気がする。アジア人はアジア人で固まってるけど、黒人は黒人で固まっている。一人と友達になれば広がっていく気がする。

河手賢太郎さんの2007年1月奨学生レポート

2006年度奨学生1月レポートの第2弾は河手賢太郎さんです。河手さんは授業の勉強以外にも、昔からの夢だというジブラルタル海峡一人旅を実現されたそ うです。想像を絶するたびのようですが、フランス語とアラビア語を操って、現地の人々と触れ合ってきた河手さんは本当にすごいです。その詳細をお楽しみく ださい。

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JICの皆様

ご無沙汰しております。
JIC奨学生の河手賢太郎です。二学期目がはじまって2週間になります。ここイリノイの1月の冷え込みようは凄まじく、-10 ℃の日が続いています。身体がじわじわ冷えてくるというよりは、寒さが槍となって身体に突き刺さってくるようです。
留学も残すところあと3ヶ月強となりました。ぼんやりと過ごしているとあっという間にすぎていってしまうと考えると、一日一日に気合が入ります。
この度のレポートでは「今学期の目標」と「冬休みの経験」についてお話します。

<今学期の目標>
アサインメントをこなし、授業で積極的に発言すること
今 学期、私はSociology of Law(法社会学)、Social Movement and Law (社会運動と法)、Psychology and Law(法と心理学)、Archeology of Illinois (イリノイ考古学) の4つの授業をとっています。初めの3つは400番代の授業(4年生・院生が履修する)なので、リーディング・ライティング課題の量が多く、日々宿題に追 われています。一つの科目、毎週約30ページ~40ページほどのリーディングがあり、さらにディスカッションペーパーを毎回提出しなければならない授業も あります。宿題をこなすだけで一日が終わります。アクティブな先学期とはうってかわって、今学期は腰を落ち着けて勉強しようと思います。
また授業中の発言も成績評価に反映するため、一瞬も気が抜けません。特に冬休み明けで、まだ英語を喋りなれてないため(!?)この2週間は授業中の議論に参加するのに苦労しました。

英語の表現の幅を広げること、
第 二の目標として、英語の表現の幅を広げることです。私は現在、週に1、2回大学の図書館に付属するWriter’s Workshopというライティング教室に通っています。ここでは、一コマ50分、単に自分の英文をチェックしてくれるだけでなく、自分の要望にそった英 作文の個人レッスンをしてくれます。先学期のCollege Writingの授業ではPersuasive Writing(立場をとり、是非について論じる)を中心に習ったので、今学期はNarrative Writingという出来事を描写する表現技法の習得に力を入れています。Persuasive Writing ではリソースや論証の作法・手順が大きくものを言うのに対して、Narrative Writing ではいかに生き生きと面白く情景を描くかが問われてくる点で異なっています。

Champaign County Courtに行って裁判を傍聴すること
私 の寮から自転車で15分程のところにChampaign County Courthouse(シャンペン郡の裁判所)とFederal Court House(連邦系の裁判所)があります。裁判の傍聴を今学期の目標に掲げたのは、実は「法と心理学」の授業の課題だからです。民事・刑事問わずいくつか の事件を1~2カ月のスパンで追いかけて、法廷内のやりとり(尋問の仕方だとか)を観察し、詳細にレポートするという課題です。
もともと私はアメ リカの刑事司法手続きに興味がありました。Peremptory challengeとよばれる手続きによって自分たちの側に有利な判断をしてくれる陪審員選び、様々テクニックを駆使した証人尋問、巧みな主弁論。刑事事 件は被告人側と検察側が勝訴をもとめて競うゲームのようだと言われています。また、日本では考えられませんが、ビデオカメラが法廷に入り、裁判中継が放送 されている地域もあります。CourtTV.comというWebsiteが登録者に法廷をonlineで流しているという国も、私の知っている限りアメリ カだけです。司法に対する国民の関心が高いのか、それとも司法が高度に大衆化した結果なのか。
少し「クセ」のあるアメリカ司法の現場を体験できるのは、法学を勉強するものにとって非常にありがたい機会です。

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時は前後しますが、
<冬休みについて>
ギリシャ神話に「ヘラクレスの柱」として登場するジブラルタル海峡は、古代「大地の果て」と考えら れていました。地中海貿易の要所ともされていたこの海峡は古代史の主人公フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人が行き来し、8世紀以降はアラブ人・ベルベル 人がこの海峡を通ってイベリア半島へと渡っていきました。ダンテの「神曲」地獄編にもでてくるジブラルタル海峡は、古代より政治・経済・文学の関心の的で した。
アフリカからジブラルタル海峡を渡りイベリア半島へ行くことが、いつしか自分の夢となっていました。
「これをやるのは今しかない。」この旅を思いついたのはThanksgiving 明けのことでした。

外務省の海外安全情報も照らし合わせ、モロッコからスペインへの旅程を決めました。
この旅のテーマは「人」。ムスリムの人たちがどういう生活をしているのか、どういう世界観を持っているのかを自分の肌で感じることでした。
観 光地と観光地の間を車や鉄道で移動し、遺跡を巡り、買い物をするだけなら、観光であって旅ではありません。本当にその国の表情に感じるには、地域に生活し ている人と彼らの視線で語り合う、という確信がありました。それならば「自転車でモロッコを縦断する」というのは最も自然な決断でした。
友人にこの計画を話したら、彼らの反応は“Are you crazy!”でした。

自 転車の知識が全くなかったので、何から手をつけて良いかわからず、とりあえずweb上で自転車についての情報収集から入りました。期末試験・ペーパー提出 に追われる中、自転車の各パーツの名前を覚えるところからはじめ、自分の旅の目的に適った自転車を探すのには苦労しました。自転車を飛行機に載せられるか 航空会社に問い合わせたり、自転車を空港まで運ぶ方法を考えたり、旅への期待と同時に準備期間の少なさ、資金的制約からくる緊張感が入り交じったような心 境でした。また、なにからなにまで自分でオーガナイズして動かなければ先へは進めません。無から有を造り出すような楽しさがありました。

そ の後シャンペンにあるサイクルショップで自転車を購入しました。しかし、自転車を買ったところで何も始まりません。マッドカバーをつけて、フロントとリア にキャリアをつけて、ドリンクボトルのホルダーを取り付けて、タイヤの幅を32㎜のものに取り替えて・・・自転車屋さんとのやりとりを通して、自分の旅の 目的に適うように自転車をカスタマイズしていきます。また自分で自転車を分解・組立ができなければ、モロッコへは持っていけません。期末試験の終了後は出 発直前まで通算6回はサイクルショップへ通い、最終的には自分で分解・組立ができるようになりました。自転車屋のスコットには本当にお世話になりました。 僕の初めての自転車旅行がモロッコ縦断だと聞いて、彼もこう言いました。”Are you crazy!!”
それでも最後の最後まで自転車の組立・分解を伝授してくれたスコットには大変感謝しています。

私は12月16日にシカゴを経ち、ロンドン経由でアガディールへ行きました。そこからアトラス山脈を越えマラケシュ→カサブランカ→ラバト→アシラ→タンジェという道のりで行きました。

モ ロッコでの意思疎通の手段はフランス語です。無駄だと思いながら2年もの期間大学で習い続けたフランス語がこうして役に立つとは、当時の自分は予想できな かったでしょう。アトラス山脈の麓にある小さな村落の人々も流暢なフランス語を喋ることには驚きでした。現行の教育制度の下では、6歳になれば小学校に通 いはじめ、そこでフランス語とアラビア語を学びはじめます。つまりバイリンガルを育てる教育制度になっているわけです。後に紹介するバシール家の子どもた ちは中学校に通い、家庭ではアラビア語を使いつつ、高いフランス語能力を有していました。

(ただ、こうして私が旅の一コマで感じたこと は、国レベルにおいて必ずしも当てはまりません。2004年の時点で成人識字率は52.3%で、中等教育の就学率も男女ともに約50%です http://libportal.jica.go.jp/Library/Public/Index/MiddleEast/Morocco.pdf)

一 日に平均6、7時間は走行しました。必ずしもすべての村や町に宿泊場所があるとは限らず、町を発つ前に次の目的地に宿泊場所があるかを確認する必要があり ました。この場合複数人から情報収集するのがコツで、一つ一つの情報を重ね合わせて、もっともありえそうな結論をだします。また一日80キロほど走行する 場合は、やはり目的地に近づけば近づくほど情報の精度も上がって行きます。日暮れ時にようやく目的地へ到着したものの「宿がない!」となればどうしようも ありません。情報収集は死活にかかわるのです

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自転車の旅の良い点は、通りすがりの人達と会話ができ、また車や電車で走っていれば見過ごしてしまうような一瞬の風景を写真に撮ることができることです。 道端で子どもたちに交じってサッカーもできます。カフェで一服しているおじさんに呼び止められて、ミントティーを飲みながら一服。また、私は折り紙と習字 道具を持っていたので、カフェで折り紙教室を開いたり、子どもたちに習字を教えたり、道路工事をしている人に交じって働いたり(本当です!)自転車での旅 は様々なコミュニケーションの場を生んでくれます。
基本は笑顔で挨拶です。僕から「アッサラーム・アレイクム」と笑顔で語りかければ、「ワレイク ム・ッサラーム」と笑顔で返してくれます。「ラバース」(元気ですか?)「ラバース・ハムドゥリッラー」(元気です。アッラーのおかげで)「アナ・ジャポ ネ」(私は日本人です)といえば「旅人よ、よくきた」と迎えてくれます。「よそモノがきた」、「なんだこいつは」とにらみつけてくる人も多くいましたが、 自分から笑顔で相手の言語で挨拶すれば、相手のすぐに表情も緩んで、仲良くなってしまいます。そして会話は続いていきます。「東京ってどんなところだい」 とか、「あと20キロも行ったら宿があるよ」とか、「あのアトラス山脈を自転車で越えるのか。それはたいしたもんだ」とか。中には「この自転車は立派だ なぁ。で、幾らなら売ってくれる?」という商売っ気のたっぷりな人もいました。
こうして多くのモロッコの人々と接して感じるのは、挨拶・笑顔とい うプリミティブな行為が、「他人」という言葉に含まれるような極度の緊張関係を解きほぐし、人と人との関係をスタートさせるのに絶大な威力をもっていると いうことです。挨拶・笑顔そして感謝は世界の共通語です。

バシールと出会ったのは、モロッコ南部のTaroudantという町へ 向かう途中のレストランでした。私がタジン(オリーブとスパイスの効いた羊肉と野菜の煮込み)が出てくるのを今か今かと待っていると、僕の身なりに興味を もった一人のおじさんが声をかけてきました。私の無鉄砲なモロッコ縦断計画をネタに盛り上がった後、彼がTaroudantの弁護士だというので、話題は 急にイスラム法になりました。イスラム法の講義で得た知識がアトラス山脈の麓で役に立つとは思ってもいませんでした。「今晩はうちに泊まっていきなさ い。」とバシールに誘われました。一度は断ったものの、すでに4時を過ぎており陽が沈むまで1時間程しかなく、結局彼の家に一泊させてもらうことにしまし た。

その夜、一週間ぶりに風呂をつかわせてもらいました。それまでは水のシャワーしか浴びたことがなかった自分にとっては、水風呂で十分 にありがたかったのですが、浴槽の中にはお湯があるのです!「水しか出ないはずなのに、どうしてお湯が」と疑問に思い浴槽の横をみてみると、なんと大きな ヤカンが置いてあります。浴槽に沸かしたお湯をいれてくれたのでした。彼らの思いやりが心を打ちました。

一宿一晩の恩義。何らかの形で感謝の意を伝えようと、お金を渡そうとしたけれども、バシールは「ケンは私たちの友達だから、お金は受け取れないさ。これからの旅にとっておきなさい。」と言ってくれました。

そ の後アトラス山脈を越え(わずか9字で表現しましたが、上りは過酷でした・・・)、マラケシュ→カサブランカを経て北へ北へと進んで行きました。1月1日 にジブラルタル海峡を渡る予定だったので、日程の都合上、ラバトから鉄道を使ってAsilahというTangerの約40キロ南にある大西洋沿いの町にい きました。

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Asilahにしばらく留まることにしたのは、Tangerの喧騒を避けるためで、静かな町で旅のつかれをとろうと思ったからでした。あのまま数日間、何 事もなく過ぎれば、Asilahも「海岸沿いの美しい町」で終わっていたでしょう。しかし、ある日メディナ(旧市街)を散策していると、アラバマからやっ て来たというイサという不思議なアメリカ人が声をかけてきました。僕がイリノイ大学に留学していること、自転車(と電車)でモロッコを縦断していること、 彼がスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラをマドリードから踏破しその足で南下しモロッコに来たということを話していると、彼が「君も、僕がいま泊 まっているモハメドというミュージシャンの家に来ないか。あそこなら毎晩グナワ音楽がたのしめるよ。」と誘ってくれました。滞在費を私に負担させてくれる のを条件に、彼の家におじゃまさせてもらうことにしました。
後で知ったことは、モハメドなる人物は、スーダン起源とも言われるグナワ音楽のミュー ジシャンであり、マーレム(師匠)という称号を有し、年に一度モロッコで開かれるグナワ・フェスティバルで演奏するほど名手だということです。モハメドの 家には彼の弟子が出入りしており、にぎやかな音楽学校のようでした。

私がモハメドの家にいた2006年12月31日はイスラム暦1426 年12月10日にあたります。この日はムスリムにとって一年を通して特別な日で、イードゥル・アドハという犠牲際の開始日にあたります。犠牲祭は旧約聖書 の創世記やコーランの第37章を起源としています。神(アッラー)に命じられるままにイブラヒム(アブラハム)が子イスマイル(旧約聖書ではイサク)を人 身御供として捧げるようとしたところ、神(アッラー)がイブラヒムの信仰心を認め、イスマイルの代わりに雄羊を生贄に捧げたという故事に倣い、羊を生贄に する犠牲祭が今でも続いています。

モハメドはその日の朝からお昼にかけて、家族や弟子の見守る中、3頭の羊を屠りました。「ビスミッ ラー」と呟き、羊の喉元に刃を入れます。皮を剥ぎ、頭部を切り落とし、内臟をとりだします。はじめて見る屠殺の光景は非常にショッキングでしたが、「自分 がいつも食べている肉類はすべてこういうプロセスを経ているんだ」と感動は、「あたり前」のものが「あたり前」でなくなっていくのを実感する貴重な体験で した。
目の前にぶら下がった羊の表面からはまだ湯気がたっていました。その場で肉を切り取って焼いて食べると、これまた形容し難い不思議な味がしました。

犠 牲祭の期間、ムスリムは屠った羊の3分の1は親戚・家族へ、そして残りの3分の1は貧しい人に施します。羊に限らず果物でも野菜でも、他の人に分け与え、 シェアすることが生活のすべての場面で実践されているのを目の当たりにすると、イスラム教に対するイメージも次第に変わっていきます。

1月1日の早朝Asilahを出た私は、40キロ先のタンジェ港までモロッコ最後の道のりを自転車で進みました。ジブラルタル海峡を渡ればそこはイベリア半島。7年来の友人の住む古都バリャドリードへと向かいました。

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犠牲祭の期間、ムスリムは屠った羊の3分の1は親戚・家族へ、そして残りの3分の1は貧しい人に施します。羊に限らず果物でも野菜でも、他の人に分け与 え、シェアすることが生活のすべての場面で実践されているのを目の当たりにすると、イスラム教に対するイメージも次第に変わっていきます。

1月1日の早朝Asilahを出た私は、40キロ先のタンジェ港までモロッコ最後の道のりを自転車で進みました。ジブラルタル海峡を渡ればそこはイベリア半島。7年来の友人の住む古都バリャドリードへと向かいました。

旅はまだまだ続きますが、長くなってしまったので、旅の紹介はここまでで、以下私の感じたことをまとめます。

第 一に、モロッコからスペインへ入った私は、一面ではあれ、アフリカとヨーロッパの違いの縮図に触れることができました。スペインやフランスの町中を歩いて いると、整備された交通機関、きれいに掃除された道路、時刻通りにくる電車、町中では多くの車が往来し、ブティックが立ち並び、ホテルのシャワーからはお 湯がでる。郊外に出れば区画の整った田園があり、張りめぐらされた電線網から各家庭へ電気が供給される。「人的資源、技術、富が偏在している」とまでは言 わなくても、少しでもこういった富、技術、人的資源を有るところから無いところへと持っていけば、世界が住みやすいところになるのではないか。そうするこ とが善いのか悪いのかは別にして、こうしてジブラルタル海峡を渡って二つの世界を見比べることができたのは有意義なことでした。

第二に、 たしかに、モロッコでは道路、交通機関のような物的インフラや義務教育のような社会的インフラが西ヨーロッパ諸国ほどには整備され制度化されているといえ ません(マラケシュ以南はまだ鉄道が通っていない状態です)。しかし制度化されていない、すなわち「出来上がってない」ということは裏を返せば、生活のあ らゆる局面でインフォーマルなやりとりが大きくものを言い、いま自分が対峙している相手とどういう関係を築くかで、物事が上手く運んでいく可能性があるこ とを意味します。たとえば、宿屋では交渉次第で宿代を下げてもらったり、カフェではウェイターと仲良くなればちょっと多めに料理を盛ってくれたり、お金が 無いときには所持品をお金代わりにうけとってくれたり、とインフォーマルなネゴシエーションで自体が好転した例は数に限りありません。

第三に、旅とはなにか。
日本やアメリカのような高度に制度化された社会のなかで生きていると、居心地のよさから、ともすると自分の世界が完結してしまい、自分の置かれている環境が世界的にみていかに恵まれているかということを気付かなくさせてしまいます。
旅で見、聞き、体験したことが、日々当然の如く享受している「あたり前」を解体し、もっと意識的に自分の身の回りのことを観察できるように、私自身なりました。
「寮 のシャワーからはお湯がでる!」という感動から、「このお湯はどこから来ているのだろう」という次の問いへと進み、調べてみると、「寮の地下で沸かしてお り、そのための電気は寮から数百メートルのところにある発電所から供給されている」ということまでわかってくるのです。
寮の食堂でも、今までのように当然の如く食べ始め、当然の如く残し、当然の如く去っていくのではなくて、ちょっと一瞬時間をおいて、自分の境遇に思いを致せば、おのずと感謝の気持ちが沸いてきます。

旅とは人との出会いです。
自分とは異なった環境に生まれ、その運命を受け入れ、毎日を明るく一生懸命生きている人たちとの出会いは、将来の進路を決めかねぐずぐずしている自分に元気をくれます。同時に、恵まれすぎの環境のかで育つ自分に、罪とも恥ともいえぬ不思議な感覚を抱かせてくれます。

4年間(留学も含めて5年間)の大学生というモラトリアムを終えて、ようやく次のステップへと旅立つ心の準備ができました。
5月まであと3ヶ月強。残り少ないアメリカでの大学生活を一日一日大切に送っていきたいです。

留学という貴重な機会を下さったJICの皆様、モロッコ・スペイン・フランスでお世話になった方々、Crazyと言いながらも私を励ましてくれた友人たち、そして相当に心配をかけたであろう家族に、この場を借りて心から感謝申し上げます。

東京大学法学部4年
河手賢太郎


河手賢太郎さんの2006年11月奨学生レポート

河手君の11月分レポートが届きました!積極的な授業への参加、クリスチャングループやスピーチサークルなど多彩な活動に勤しむ河手君のレポートを存分にお楽しみ下さい。

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JICの皆様
ご無沙汰しております。
JIC奨学生の河手賢太郎です。日本を発ってから早くも3ヶ月が経ちました。 Thanksgiving Holiday も終わり、いよいよファイナル(期末試験・最終レポートの締切)の時期に突入します。学校全体が緊張感につつまれるこの時期、遠く日本へ思いを馳せつつ、 私は第一回のレポートを書きおえました。

以下、学期全体を振り返り、授業や課外活動を通して私が感じたことを表現してみました。

<授業について>

今 学期、私はCriminology(犯罪学)、Leadership Study(リーダーシップ学)、College Writing、International Relations(国際関係) の4つの授業をとりました。はじめの1カ月間は先生の言っていることや生徒の発言がうまく聞き取れず、大変な思いをしました。しかし、mid- term(中間試験)が終わった10月ころからは次第に慣れ、自分から発言できるようになってくるにつれ「授業へ貢獻しているな」と実感できるようになり ました。アドバイザーや担当教授に無理して頼んで履修させてもらっている科目は「途中でドロップアウトなんかしたら恥ずかしい」という思いから、とにかく ついていきました。膨大なreading とwriting のアサインメントや頻繁にあるテストの準備におわれるという、「やらされる」勉強をしたのは、自分の人生のなかで小学校以来はじめての経験でした。自発的 に何かを勉強する(悪く言えば、自分の好きなことを自分のペースですすめていく)ことに慣れていたため、「勉強すること」の意味について考えさせられまし た。

社会学・政治学系の授業や講演を聞いて私が感じるのは、
第一に、現政権あるいは権力保持者に批判的な先生が多いということです。
た とえば現政権の対テロ政策を批判したり、警察・検察・裁判所という刑事司法の各機関が内包する矛盾を説いたり、いまの世の中で引き起こされている人権侵害 を糾弾したり。時には「一方的な意見だなあ」と思わされる時もありますが、学生の批判的な精神を涵養するという点で、いい意味でアカデミズムを体現してい るのかな、とも感じました。また、11月には中間選挙というアメリカ国民にとってのビッグイベントがあり、政治への関心の高まりが先生達を熱くしたのかも しれません。

第二の発見は、授業中に質問をすることに大きな価値が置かれていることです。
どの授業でも共通することですが、質問 が大いに奨励されます。特に、クラスに新しい切り口を提供するような質問は”That’s, actually, a really good question!”と言われ嬉しくなります。creativeな質問をすることがクラス全員にとって有益だし、そういうふとした疑問点から discussionやinteractionが生まれてくるのです。それ故、授業後に個人的に質問しにいくという方法(私が日本でやっていた方法)とい うのは、こちらでは「イケてない」わけです。” Why didn’t you ask that question in the class?”と言われることもありました。授業を聞いて瞬間的に思い浮かべる疑問や矛盾を適格に発言する能力が毎回の授業でためるのを日々感じていま す。質問することは、たとえ成績には反映されずとも、先生に気に入られ、他の学生にも認知され、学習意欲をますます高めてくれます。

<犯罪学について>

特に印象に残った犯罪学の授業についてご紹介します。
犯 罪「取締」大国とも言えるアメリカ。(全世界に約800万人いるとされる刑事施設に収監されている者のうち、4分の1にあたる約200万がアメリカの刑務 所・監獄に収監されているという驚異的な統計に表される。)そのアメリカ社会の深部に横たわる人種や性に基づく偏見がいかに法執行・刑事司法に影響を与え るのか、を主に分析する授業で、もともと法と社会・文化の関係に興味があった自分にとって目を開かれるような内容です。

この犯罪学を教え るAnna-Maria Marshall先生の以下の一言が印象的でした。“The world is very complicated place and if you don’t engage with the people who disagree with you, you have no idea how complicated it is.” どれほどに世の中が利害対立に満ちたフクザツなものであるかを理解するためには、自分とは異なった意見を持つものと日々対峙することが大切なの だ・・・そのためには「ブログなり、授業なり、新聞なりのメディアを通して他者の意見を読み、自分の意見を発信し、ひろく受け入れられるアイディア・価値 観を形成していく。善きCitizenshipとはその絶えざる繰り返しなのよ。」

アメリカという多様な民族・文化が入り混じり、social justiceに関する問題が日夜噴出する国では、よりendurableなアイディアをもとめ、日々アイディアを闘わせることが、不可欠なのだなと痛感させる一言でした。

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<課外活動について1>

せっかくアメリカに来て毎日の授業を受けているだけではもったいないし、授業だけではアメリカ人の友 人もあまりできないと感じ、私はInterVarsityというクリスチャン・グループの門を叩きました。そもそも古典としての聖書に興味があり、西洋の 精神の根底に横たわるキリスト教を学びたいと思っており、キリスト教徒がどういう価値観を抱いているのかにも興味がありました。そして彼らは、クリスチャ ンのコミュニティに飛び込み、好奇心の塊のような自分を快く受け入れてくれました。

InterVarsityはLarge Group MeetingとSmall Group Meetingという主に二つの活動によって成り立っています。Large Group Meetingは毎週金曜日に150人程が町のメインストリートに面したLoftにあつまり、牧師が聖書を解説し、人生訓を話すのに耳を傾け、皆で worship song賛美歌を歌う。賛美歌も、pop musicのようで、若者文化とキリスト教がうまく融合しているように感じました。
Large Groupとは別に、Small Group Meetingという毎週一度Bible Studyがありますう。同じ寮に住むInterVarsityのメンバーが文字通り4~5人で集まり、聖書のパッセージを精読します。単に聖書をよむだ けではなく、お互いの日々の経験をシェアする時間もあり、世界観・人生観に話が及ぶこともしばしばありました。
その他にもWork Dayというボランティア活動やRetreatという合宿もありました。

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InterVarsityの活動を通して感じるのは、これまで抱いていたキリスト教観が変わったということです。すなわち「数ある宗教のうちの一つでしか ないんだ」、というイメージしかもっておらず、いわゆる「本のなかの知識」でしかなかったものが、急に生き生きとした知恵になってくるのを感じました。ま た、宗教が映し出す一つの世界の下で生きている人がいるんだということ自体、新鮮でした。

<課外活動について2>

課 外活動の第二の柱はスピーチ・ディベート部です。もともとスピーチのスキルを磨こう思っており、またマンツーマンで指導してもらえる体制が整っていたこと もあり、迷うことなく入りました。授業との両立が難しく、ようやくPersuasionという種目(聴衆を説得するためのスピーチ)で12月中旬に開かれ る大会に出場することができそうです。テーマは「非効率的な性犯罪者規制」というもので、犯罪学の授業で得たインスピレーションを基につくりました。

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<thanks giving holiday>

感謝祭休みは、私の留学生活のハイライトの一つです。アメリカ国民が選ぶ住 みたい町No.2と言われるNapervilleというシカゴ郊外の町にある友人Benの家にステイさせてもらいました。高層ビルが立ち並ぶというより も、閑静な住宅街が広がる小さな町で、治安がよく、教育水準も高いそうです。さて、Thanks Giving Holiday のメインイベントはなんと言っても24日夜のThanks Giving Dinnerです。「ウエストの大きなズボンをはいていきなさい」と多くの人が言っていた通り、Turkeyやマッシュポテトをはじめ様々な家庭料理をお 腹一杯ご馳走になりました。

そこで翌日は、私が日本の家庭料理をつくりました。その日の晩御飯はすべて自分の両肩にかかっていたため、本当に緊張しました(汗)。「Ken,この肉じゃがとお味噌汁、すごくいけるよ」と言われた時には嬉しかったです。
Ben は、昨年の9月から3ヶ月日本の専修大学へ留学していたこともあり、「方丈記や平家物語のあの無常観が好きなんだよ」というくらい大変な日本通でした。連 日連夜、日米の文化についてお互いの疑問点をぶつけ合い、太平洋戦争にまで話しが及ぶこともありました。こうした意見交換ができることこそが留学の意義な のではないかと感じます。

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<留学一般について>

留学をすることの意義について考えみました。一言で留学とは何か。非常に抽象的な言い方ですが、「世界 観・人生観の相対化」だと思います。一人一人との出会いがこれまで自分の拠り所としてきた価値観を相対化し、自分の生き方を考えさせてくれます。また、新 しい生活習慣や規律を身につけるいい時期でもあります。日々感じるのは、自分で幅を決めてしまわずに、自分の価値基準以外のことに積極的に挑戦すれば、ど んどんチャンスが生まれ、人との出会いの場を与えられることです。
また私は留学を通して、いかに自分が周りの人に生かされているかを実感しています。
ノ ンストップアクション映画のような毎日を送り、あまりに忙しさに日本にいるお世話になった人への連絡を怠ってしまい、申し訳ないという思いに駆られます。 この場を以て、いつも私を支えてくれる家族や友人、そして留学という貴重な機会を下さったJICの皆様、留学前に貴重なアドバイスや励ましの声を送って下 さった奨学生の先輩方に心より感謝申し上げます。

留学生という一時の「お客さん」ではなく、近い将来、過去を振り返った際、イリノイ大学が文字通り”Alma Mater”(母校)と感じられるようになるくらい、積極的かつ意識的に残りの留学生活をすごしていきたいと思います。

東京大学法学部4年
河手賢太郎

2006年度奨学生 河手賢太郎さんの自己紹介

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は じめまして。2006年度小山八郎記念奨学金留学生として留学させていただくことになりました、河手賢太郎と申します。現在は東京大学で法学を勉強してい ます。ところで“勉強”って何でしょう。覚えること?先生のいうことをノートに書き取ること?覚えたことを試験で完璧に吐き出すこと?そのようないままで 当然視してきたことがいかに特殊であり異質であるかということを、この留学を機にもう一度考え直してみたいと思います。大学で学ぶことの意義、つまり人が 生まれて成長して社会の一員として成長していく過程で大学はなんのためにあるのか。このような疑問についてイリノイ大学の学生とともに考えていきたいで す。

上記の総論部分がまずあり、そして具体的なテーマとしては、私が日々“勉強”している実定法というものの裏にある人の行動原理behaviorを、 political behavior であったりcriminologyであったりlaw and psychologyであったりlaw and public policy であったりするような一般的には法社会学や政治学と認知されている分野を通して、学ぶことです。

 私のもう一つの目標は、自分がこれから経験することを多くの人に伝えていくことです。8月から迎えることになるシャンペンでの生活は自分だけのものではあり ません。ファンドを提供してくださる方々、JICの先輩方、面接会場で出会ったアツイ仲間たち、そういった方々の様々な思いを受けとめて、経験しっぱなし 楽しみっぱなしではなく、より多くの人に自分の経験を伝えていくこと、これが自分の役割であり貢献の仕方であるのだろうと思います。
長々と大きなことを述べて参りましたが、Thank you とPleaseのこころで、目の前にある物事に全力で取り組み、一人一人との出会いを大切にして、充実した学生生活をすごしていきたいです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします!