内倉悠さんの2017年7月分奨学生レポート

0.   はじめに

JICの皆様ご無沙汰しております。41期奨学生の内倉悠です。イリノイ大学での留学を終え5月末に帰国してから、早くも約2ヶ月が経ちました。帰国後、間髪をあけずに場所を広島へ移し、設計事務所でのインターンを経て、先日約1年ぶりに東京の実家へと戻って参りました。ようやく少し身を落ち着かせ、イリノイで過ごした日々を思い返しながら、この留学が自分にとってどんな意味を持ったものだったのか、ゆっくりと向き合い始めております。

(写真1)ちょうど一年前、イリノイ大学に到着した日に撮影したクアッドの風景

  1.  カコと留学

今振り返ってみると、自分にとって『留学』というものは昔から割りと身近な存在だったように思えます。5年前、兄が同奨学制度の第36期としてイリノイ大学へ行かせていただいたこともあり、家族の中で『留学』に関する話題が上ることはしばしばありました。それでも当時高校2年生だった僕は、何よりも友達と遊ぶこと、文化祭で盛り上がることしか頭になく、何気なく耳にしていた留学の話は他人事だと割り切っていたように思います。

そんなこんなで、特にアクションを起こすことなく周りと同じ受験の流れに乗って、幼い頃から興味があった建築という分野を学ぶために東京大学へと進学するに至りました。入学時から専攻したい分野が決まっていたため、教養学部の必修授業には全く熱が入らず、選択科目では建築や都市、空間に関する授業ばかりを履修していました。教養学部というのは本当に必要なのだろうか。これは単なるモラトリアムに過ぎないのではないか。何度もそんな思いを抱いていたのを今でも覚えています。

 

 その後、2年次の後期にあった進路振り分けを経て、かねてより希望していた建築学科へと進学することとなったのですが、そこでの生活が留学を志望した大きな転機となりました。建築学科には設計製図という学科のメインとなる授業があり、課題締め切り前には製図室に何日も泊り込んで作業をします。そうなると自然と同期の人たちとも距離が近くなります。最初は「みなで頑張ろう」という+の効果があったのですが、時にその仲の良さが裏目に出て、全体のスピードを緩めているなとも感じていました。自分にとって建築学科は非常に心地よい場所でしたし、楽しい大学生活を送っていたように思います。それでもどこか、後ろめたさのような、何か物足りなさを感じていたのも事実です。「このままやっても、周りの人と同じこと、もしくはそれ以下のことしかできないだろうな」というあせりは、個性を必要とする建築家にとって終わりを意味するものだと、日を追うごとに不安が募っていきました。これが留学を志した一つ目の理由です。

 

 もう1つは、より広い視点から建築を見たときに、建築という職業がとても閉鎖的なコミュニティに見えたことです。本屋に行くと、建築思想に関連する本がいかに沢山出版されているかが分かります。建築学生の間では、本を読んでそれに対して自分の考えを批評することで面子を保つような風潮がちらほら見受けられます。それ自体はすごく糧になることですし、自身の考え方を触発してくれるいい学びだと思います。しかしどうも難しい単語や思想で、建築家が他を寄せ付けないようにしている、建築家がそういう言葉で武装しているようにも思えたのです。「建築家の言うことはよく分からないけど、あの先生が言うことなら正しいのだろう。」という雰囲気があったのですが、捻くれモノの僕は、「言ってることはまぁ分からなくはないけど、できた建築が素敵だとは全く思わない。」と心の中で思っていました。よくわからない建築家の思想にお金が出されるというイイ時代はとっくに終わっているのに、その時代に書かれた本を読んでも仕方が無いじゃないか、と。

建築家は建築家以外の人と対話できなければなりませんし、いまの建築家の職能は、昔の作るだけの職業とは大きく変わってきています。建築学科という狭いコミュニティにいるだけでは、いつまで経っても一流の建築家にはなれないだろうなと、隈研吾さんへのインタビューを通して確信しました。これが留学を志した二つ目の理由です。

(写真2)昨年、留学前に行った隈研吾さんへのインタビュー

2.   ミライと留学

広島では、三分一博志さんという瀬戸内を中心にご活躍される建築家の方のもとで、帰国後約二ヶ月間お世話になりました。三分一さんは風・水・太陽という古来から存在した“動く素材“に注目し、歴史の中で人がそれらとどのように関わってきたのか、一年以上に及ぶ綿密なリサーチを行いながら紐解いてゆき、その場所にしかない、その場所の魅力を一番に引き出してくれる建築を創るという思想を掲げています。科学的リサーチに裏付けられた設計は観念的なコンセプトのみの曖昧さを打ち消し、世界中のどこでも展開することのできるこの思想は、国家や行政といった既存の枠組み・システムを超越して場所と場所をダイレクトに繋ぐことのできる、非常に魅力的なものだと感じました。広島と海外がスカイプを介してあっさりと繋がる様子には、思わず笑ってしまうような感動を覚えます。建築にはこういう風に世界を軽やかに繋いでいけるような魅力があるんだと、肌身で感じた瞬間でした。

(写真3)おりづるタワーから広島の街並みを望む

 

建築家として「世の中を変えたい」と思うときの「世の中」の射程は、世界全体かもしれないですし、小さな村かもしれない、もしくは自分の周りの人たちかもしれません。でも、いずれにしても「世の中」が建築以外の分野の人たちから構成されることは間違いないと思いますし、その場所は世界のどこにでもなりうると思います。そういう職業だからこそ、大学生という多感な時期に、comfort zoneを出て世界を少しでも感じることができた今回の経験は、今後、自分が建築家としてのどのように社会と関わっていくか、その可能性を大きく広げてくれるものだったと思います。留学で得た学問的な学びはもちろんのこと、この留学を通して多様なバックグラウンドをもった人たちと繋がることができたのは、今後自身の生き方や考え方を見つめなおす上で大きな刺激になると確信しています。同じ第41期として、留学という特別な期間を一緒に過ごした深見さんと守崎さんとは、学年も専攻もみなバラバラでしたが、それゆえに感じる面白さや難しさは、良い意味で非常に刺激的なものでした。

(写真4)日本館での朝食イベント後、41期3人で

 

この後も8月は東京で、9月はイタリアで建築関係のインターンさせていただけることになっております。これら全ての選択が、イリノイでの留学経験とリンクし、バラバラだったパズルがカチッと組み合わさっていくような充足感を覚えます。一年前は想像もしていなかったようなことが次から次へと起き、まだ日本の大学に復学する心構えが十分にできていないような気もしますが、与えていただいた機会を確実にものにし、今後ともしっかりと地に足をつけて精進して参りたいと思います。

 

 最後になりましたが、この場をお借りして、この一年間大変お世話になりました小峰会長、矢部先生はじめ、JICの皆様に心より感謝申し上げまして、結びの言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。

2017.07.31

第41期小山八郎記念奨学生

内倉 悠