2008年度奨学生レポート(森本 なずな)

JICの皆様お久しぶりです。2008年度奨学生の森本なずなです。

こちらにきて早くも2ヶ月が経とうとしています。こちらに着いたときは様々な不安に襲われ、本当にここで暮らしていけるのか、友達ができるのかなど日々悩んでいました。しかし最近ではこちらの生活にも慣れ始め、周りに圧倒される中でも、自分の個性や自分にしかできないことを探し、実行してみようと思える余裕がでてきました。この2ヶ月は自分にとってはじめての経験ばかりの本当に全く新しい日々でした。この奨学生レポートという貴重な機会をお借りして、ここでの生活を振り返ってみたいと思います。

①イリノイに着いてからの1週間
私はこちらに8月14日の夜中に到着しました。出発直前まで様々なことに追われ、また留学するという実感も全くないまま飛行機に飛び乗りました。しかし、飛行機に乗り、誰も知っている人がいない状況に一度身を置くと、自然と留学するんだという実感がわきあがりました。私はオヘア空港からシャンペーンまでIllini Shuttleに乗って移動したのですが、到着したのは夜中の12時でした。実は飛行機がオヘア空港に到着するのは夜の7時半の予定で、その時間ではシャンペーンまで移動するには遅すぎるし、危険だと思い、初めはシカゴで一泊してから次の日にシャンペーンに移動しようと考えていました。しかし私が現在住んでいるコスモポリタンハウスの方が事前に、どうやってくるのかを尋ねてくださり、事情を説明したところ、夜中でも構わないから迎えに行くよと言ってくださいました。そこで、夜中の12時過ぎに家に着くという技を成し遂げました!そして着いてすぐウォルマートにそのまま連れて行ってもらいました。初日の夜中からかなりハードに活動しました。

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次の日からはISSSへのCheck inやオリエンテーションなど本当に動きまくったという感じでした。3日目からは疲れもでてきましたが、こちらに来る前に大学の先生に、「とにかくしんどくても部屋に閉じこもらずに外に出る、留学は1年しかないんだから、悩んでる時間がもったいない」というアドバイスを頂き、その言葉を胸にとにかく疲れていても朝昼といろいろなイベントに出席し続けました。そのおかげで、最初の1週間で多くの友達ができ、彼らとは今も親しくしています。

この着いてからの1週間は本当に忙しく過ごしましたが、後から考えればとてもゆっくりとした1週間でした。それは授業が始まった2週間目からスーパー忙しくなったからなのですが・・・

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②授業について
こちらに着いて2週間目から授業が始まりました。授業が始まる初日の朝は、ドキドキがおさまらず、朝から家の周りをランニングし、また先輩方のレポートを読むなどして、緊張を何とか抑えようと努力しました。初日の月曜日にはハードな授業がなく、予想外に余裕でこなせるんじゃないか、むしろ勉強したりないのではという不安がありましたが、そのような不安は2日目のハードな授業2つで吹っ飛びました。1つ目の授業で課題の多さに圧倒され、2つ目の授業にはこの授業では課題がありませんようにと念じながら出席しましたが、またもや相当の課題を課され、もう呆然とするしかありませんでした。授業が終わり、自分が理解したことが本当なのかを先生に尋ねに行きましたが、悲しくも正しかったようで、こんな少ない課題簡単でしょと言われたときには泣きそうでした。

・・・というような形で授業が始まったわけですが、結局私が履修した授業は以下のとおりです。
月曜日と水曜日:ESL、Academic Writing と Black Chorus
火曜日と木曜日:Women and Politics(Lecture)、Social Work 200、AHSのOpen Seminar
金曜日:Women and Politics (Discussion)、ESL

この中で先ほど課題が多いと書いた授業が、Women and PoliticsとSocial Workです。とくにWomen and Politicsは読む文献がかなり難しく、また量も多いので平日はほぼこの授業のための課題をこなしているという感じです。そして毎週のペーパーはかなり大変です。しかし、今はこの授業が1番興味深い授業でもあります。日本では考える力を伸ばす授業が多く、先生方はLectureをして事実を教えてくださいますが、それをどう考えるかは自分次第で、先生方はヒントをくださるだけという面があります。しかし、こちらではUndergraduateの学生はとにかく背景にある歴史や事実を学び、覚えることが重視されます。ですので、Genderについて考えることはあっても基礎から学んだことのない私には、大変ながらもとても興味深い授業となっています。

そしてもう一つとても楽しんでいる授業はBlack Chorusです。先輩方が履修しているのを見て、私もやってみようと、勢いで飛び込んだのですが、本当に最初からみんなの歌のうまさに感動させられてばかりでした。しかししばらくして、週2回ある授業は毎回2時間以上、しかも毎回新しい歌を覚えなくてはならずかなり大変ということに気づき戸惑いました。また、授業ではリスニングだけで歌詞とメロディーの両方を覚えなくてはならず、英語が不十分な私にはかなりハードでした。毎回横に座っている子に歌詞を聴いたり、紙に書いてもらうなどしていたので、他のメンバーの足手まといになるのではと本当に不安ばかりでした。でも最近では友達もでき、みんな私が頼まなくても紙に歌詞を率先して書いて私に渡してくれます。毎回みんなの優しさに感動し、授業中に何回Thank youと言っているかわからないほどです。Black Chorusは、授業の課題にかかりきりのストレスのたまるWeekdayの中で、ストレスを発散でき、またたくさん笑い合える本当によい機会となっています。

③コスモポリタンハウス
なんといっても一番の私の支えとなっているのが、我がHome Sweet Home、Cosmopolitan Houseです。最初からコスモのみんなの優しさには多く触れましたが、ほとんどがGrad Studentなので、みんなばらばらに活動していて、また歳も私より5つ以上上の人が大半で、最初の頃は本当にここで楽しくやっていけるのか心配でした。でもその心配は今はすっかりどこかに消えてしまいました。平日は課題に追われていますが、課題をやるのに疲れればハウスメイトの部屋に行ったり、1階に行ったりしておしゃべりして、みんなに励まされまた課題に取り組むという生活です。週末になればみんなで映画やご飯に行くなど、ハウスメイトの存在は私にとってとても大きいものとなっています。

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英語が不十分な手のかかるJapaneseにも関わらず、みんな私の面倒をみてくれて、とてもかわいがってくれます。こちらで英語ができないことで得なことなんてありませんが、コスモでだけは私の英語の不十分さがプラスに働いている気がします。コスモのみんなは私のことをとてもよく理解し、多くのアドバイスをくれ、時には勉強に関しても多くのヒントをくれる本当に大切な存在となっています。どんなに辛いことがあっても、次の日にはケロッとまたもとの生活に戻れるのは、コスモのみんなが私を支え、笑わしてくれるおかげです。本当に大きな大きな、ここでは欠かせない存在となっています。

④その他の活動
授業以外の活動としては、私は木曜日にはコスモで開かれているCoffee Hourに行き、金曜日にはIFLという団体の中の小さなグループで聖書の勉強をし、その後IFLの集まりに行っています。また日曜日にはなるべく時間を見つけて教会に行っています。教会では大学のなかでは出会えない様々な人に出会うことができ、お昼ご飯に各家庭に招かれたりと多くの貴重な経験をさせていただいています。

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まだたったの2ヶ月弱ですが、本当に充実下日々を過ごし、日々自分は恵まれているなと実感しています。このような貴重な経験の機会を私に与えてくださったJICの皆様には本当に感謝しております。この機会を無駄にすることなく、自分にできる範囲のことや自分だからこそできることを発見し、これからもここですばらしい日々を送れるように精一杯努力していきたいと思います。長々と書いてしまい申し訳ありません。皆様が少しでもこのレポートを楽しんでくだされば幸いです。

神戸大学国際文化学部3回生
森本なずな

佐藤真莉子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート最後を飾るのは佐藤真莉子さんです。佐藤さんは授業やクラブ活動など多くのことに大胆に挑戦し、たくさん学び得てきたようです。貴重な留学経験を生かし、日本でもがんばってくださいね。

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ICの皆様、ご無沙汰しております。
ついに1年間の留学を終え、無事日本に帰国いたしました。
これが最後のレポートかと思うと、1年間は本当にあっという間だなぁ、と再確認しているところです。
それでは、1年間の総まとめ、さとうまりこ最後のレポートの始まりです☆

①Dance for Darful

前回のレポートでお伝えした、バレエの友達と一緒に始めたDarfulのための
寄付金を集めるダンスステージを、無事に終えることができました。
直前にはほぼ毎日どこかに集まり、かなりハードな練習をしていました。
私はクラシックバレエは小さい頃から続けていたのですが、今回は
コンテンポラリーとモダンバレエがまざったような踊りで、バレエとは
体の使い方も動きも全く違います。
型があるバレエに対して、コンテンポラリーやモダンバレエは
もっと体を自由に使い、型にははまらない不思議な動きをします。
自分自身、新しい分野への挑戦でしたが、基本的には友達が振りを考え、
進めていくうちにみんなで意見を出し合って振り付けをする、という感じでした。
みんな完全にアメリカ人で、そのなかに一人アジア人の、しかも留学生の私が
仲間に入れてもらえたこと自体、奇跡のようだと思います。
でもせっかくもらったチャンス、どんなに練習が大変でも、彼女たちと一緒に
時間を過ごせることが嬉しくて、一度も練習を休んだことがありませんでした。
あーだこーだ、と振りを考えながら練習する時間も楽しかったのですが、
みんなでご飯を食べに行ったり、衣装を見つけにTARGETやWALMARTまで
車で行ったり、CRCE(大学のジム)までおしゃべりしながら歩いたり・・・
という時間の一つ一つがとても楽しかったです。

なんとなくお昼を食べている時に、メンバーの一人に「日本人はアメリカ人に対して
どう思ってるの?」と突然聞かれてびっくりしたこともありました。
その子自身は、お母さんと日本に行ったことがあり、とても楽しい思い出が
あって、みんな親切で、また行きたい、と思ったそうなのですが、その子の友達は
日本に言った時、アメリカ人だから、と言われて嫌な思いをしたことがあったそうです。
私は、今がチャンス、と思い、それまで自分が思っていたアメリカ人に対する
思いを話しました。
もちろんアメリカのエンターテイメントやカルチャーはすごいと思うし、私はやっぱり
国際人として生きていくために英語をしゃべりたい、アメリカの文化、世界の文化を
学びたいと思っているし、オープンで陽気なアメリカの雰囲気は大好き。
だけど、その反面、Arrogantな部分もあって、自分たちは世界の中心だと
言わんばかりの行動をいっぱいしているし、英語さえ話せればどこでも生きていけると
思っている人もたくさんいるし、環境問題に対しては興味が薄いし、という
ネガティブな部分もあるよね、という話をしました。
そうしたらメンバーはみなとっても納得してくれて、あー、こういうお互いの理解から
「和」が生まれるんだな、ということを実感しました。
彼女が持っている日本人に対してのイメージを素直に話してくれたことに
とても感謝をしています。

ステージ自体は、全体で$400以上の寄付金を集めることができました。
私たちのダンス意外に、アイリッシュダンス、インディアンダンス、アルゼンチンタンゴなど
さまざまなところから学生に協力してもらい、全部で50人くらいの方に見ていただくことが
できました。
決して大きなイベントではなかったけれども、少しでも私たちの思いが届いたらいいな
と思っています、
でも、こうしたイベントを開く時に、本当にアイリッシュの子とか、インド出身の子とか、
アルゼンチン出身の子とか、学生のレベルで本場の人が集まるところは、
アメリカのすごいところだまな、と思いました。
日本では、大学生の学園祭レベルでも、現地の人を集めるのは至難の業だと思います。
そこはさすがアメリカ、人種の坩堝といわれるだけあるなぁ、と思いました。

実は、最初は本当にステージが開けるのかとても不安でした。
有志の企画だったので、強制でもなんでもなく、場所を借りたり照明を借りたり、
練習場所を確保したり・・・と、小さな問題が山積みで、ステージを開くところまで
こぎつけるかどうか正直わかりませんでした。
でも、最後はきちんと笑って終えることができたので、本当に良かったです。

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②最後の授業

[Reporting]

一番頑張っていたこの授業、最後は自分で書いたラジオ原稿を、大学のテレビ局内にある
ラジオのスタジオで収録し、CDにする、というものでした。
ニュースの構成から文章から、全て自分で考えるというもので、何度も教授と
やり取りをして、何回も公正してもらい、本番を迎えました。

実は本番の前、教授の書いた原稿で読む練習をしたのですが、そのときになんと
Excellent!といわれました。
私はもちろんネイティブの子のようなスピードでは読めないし、発音もどんなに頑張っても
ネイティブの子のようには行かない部分もあり、まさかExcellentといわれるとは
思っていなかったので、素直に嬉しかったです。
何がExcellentかというと、声がきちんとでていることだそうです。
中高6年間をミュージカルの部活に捧げ、留学直前までBSフジでキャスターを
やらせていただいた経験が、こんなところで役に立つとは!!!笑

でも、教授が面白いことを発見してくれました。
それは、私が英語でニュース原稿を読むと、文末が全て下がっていることです。
日本語では、文章の終わりは、必ずトーンを下げて読みます。
文章の出だしが一番音が大きく高さも高く、文末に行くに従って、
音も高さも下がるのです。
しかし、英語ではたとえ文末や「、」の前でも、流れによっては上がったり下がったりします。
英語のニュースなどを聞いていればわかると思うのですが、確かに、
Tonight, it’s gonna be sunny, 65 dgree, and it’s gonna be cloudy tomorrow all day.
という文章があった場合、英語ではDegreeのあとは上げて読み、Dayのあとで下げます。
しかし、これがもし日本語だったら、
「今夜は晴れるでしょう。そして明日は一日中曇り空となりそうです。」
となり、「でしょう」のあとも、「なりそうです」の後もイントネーションは下げます。
言葉っておもしろいなぁ、と改めて感じました。

そしてもう一つ、私の読み方はトーンが落ち着いていてPBSのようだ、といわれました。
なるほど、思い返してみれば、私はよくBBC World NewsやPBSのラジオニュースを
インターネットを通して聞いていたのです。
さすが教授、なんでもお見通しなんですね!!

忙しい時間の間を縫って何度も私の原稿を校正してくださったり、練習をみてくださった教授に、
収録を終えた後、隣の部屋からガラス越しに親指をたてて「Good Job!」と言われた時には
とても嬉しかったです。
この半年、がんばってよかったな、と思いました。
この授業ではインタビューを通して体当たりしたり、ラジオの収録をしたり、
子供を育てながら教授やラジオのパーソナリティー、新聞のコラムニスト、テレビのアンカーまで
努めるスーパーママである教授に出会えたり・・・と、本当に多くのことを学びました。

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[Public Speaking]

みんながいい、というならば取ってみよう、そんな軽い気持ちではじめたSPCM101。
最初は私以外全員ネイティブだからどんなに頑張っても彼らと同じようにはスピーチできない
と勝手に理由をつけて、どうせスピーチなんて覚えようと思っても覚えられないや、と
どこかで諦めている部分がありました。
日本に帰ったら就職活動をするんだなぁ、BS以来、人前でしゃべることをしていないなぁ、
これはきっと人前で何かを話す練習になるだろう、くらいの気持ちだったので、今思うと
最初は特にあまり真剣に打ち込もうとはしていなかったように思います。
しかし、1回だけ、友達とペアを組んで、Arguableなトピックについて反対の意見を
スピーチする、という回がありました。
そこで私がペアになったのは、Seniorの子で、普段のスピーチもとても上手な子でした。
こりゃ真剣にやらないとまずい、こんなうまい子と一緒にやったら余計に下手さが目立つし、
第一こんなにできる子とやるのならばトピックを決め原稿を書く時点でしっかりやらなきゃ
申し訳ないし相方として認めてもらえない!と思い、火がつきました。
とにかくひたすらストップウォッチをもって何度も繰り返して読み、覚えてすんなりと
口から出てくるくらいまで練習しました。
なめられちゃいけない、うまくいかなかったら申し訳ない、という切羽詰った思いから
必死に練習した結果、それまでの3回のスピーチとは比べ物にならないくらい、
自分でも納得のいくスピーチができました。
そこで味をしめた私は、「なーんだ、私もやればできるじゃん。英語だって覚えられるじゃん♪」
と調子に乗り、最後のスピーチも完璧に練習し、納得のいくスピーチを終えることが
できました。
ダンスの練習、バレーボールの試合、Black Chorusの練習、Murphy’s…と
やることに追われていましたが、そのなかでも納得のいくスピーチができたことは
英語に対しても人前で話すことに対しても、自身につながりました。
そしてそして、嬉しいことに、Best Improved Speker Awardをいただきました!
わーい!!!
TAが賞状まで作ってくれて、今も部屋に飾ってあります。
これからはこの授業で経験した度胸で、いろいろな場面を乗り切りたいと思います。

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[Black Chorus]

これは、この1年の留学の中で一番心に残る授業でした。
授業を通り越して、生活の一部になっていました。
前回のレポートでお伝えしたMom’s Day Concertで最後のステージを無事におえ、
これでBCメンバーも解散。残るはSocialでした。いわゆる打ち上げです。
PARの目の前にあるIllini GroveでBBQをしました。
料理やスイーツを作って来てくれた子もいて、とってもおいしくて楽しい会になりました。
私はそこで、みんなとビーチバレーをしました。
砂の中のバレーボールコートにみんなで裸足で入っていって、はちゃめちゃに騒ぎました。
みんな、「Mariko~Come on!!!」などといって盛り上げてくれたり、本当にあったかくて、
BCの一員になれてよかった、と心から思いました。
彼らと仲良くなることで、Blackの歴史やいまだに残る差別の問題、彼らのバックグラウンドである
アフリカでの貧困、飢餓、紛争の問題にも興味を持ち、それが実際とても身近な問題に
感じられるようになりました。
彼らに対する差別はいまだにあからさまな部分があり、それを見るたびに
日本ではほとんどが日本人だから差別なんて感じなかった、アメリカはやっぱり
すごいところなんだなぁ、などと思っていました。
でも、それは実は私が気づいていないだけで、日本でも差別は残っているのかもしれません。
アメリカのようにあからさまではないかもしれないけれど、逆に日本では隠されていて
触れられていないだけで、気づかないだけで、残っている問題なのかもしれません。
そのようなことに気づくことができたのも、そしてDarfulのためといって始めたステージを
開くことができたのも、このBlack Chorusをとったからだと思います。
人を、友達を介することで、今まで見えてこなかったもの、他人事だと思っていたことが
とても身近に感じ、様々な問題見出し、解決する方法を考えるきっかけができました。
BCに関わる全ての方たちに感謝です。

そして、卒業式に当たるCommencementでもBCのメンバーとして2曲ほど歌ってきました。
Assembly Hallで最後に歌えたことは、いい思い出です。
Seniorの友達が多く、このCommencementで卒業する友達もたくさんいたので
しみじみしてしまいました。
しかし、そのあとはその感動を忘れるくらいパッキングが終わらず、かなり苦労しましたが・・・笑

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[ClassicBallet]

この授業でも、最後の授業に小さな発表会をしました。
私は友達5人と、Beatlesの「Hello, Good Bye」という曲に合わせて振り付けし、
発表しました。
これも仲間と一緒に何か一つのことに打ち込み、最後に形にできたことを嬉しく思います。

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③Cosmopolitan House

ついに別れの日がやってきました。
去年の暮れ、そして今学期の終わりも、私はいつも送る側でした。
それがついに、私が送られる側になりました。

感動の涙、かと思いきや・・・
部屋をまるまるあける、ということを実は経験したことのなかった私。
日本を出る時も、適当に必要なものだけつめて、あとは親に持ってきてもらう、という
形をとったので、部屋の中のものを全てつめる、ということをしたことがありませんでした。
旅行に行っても、特技はパッキング。
1日あればなんとかなる、と思って甘く見ていました。
ところが、1年で膨れ上がった荷物は山のよう!とてもとても3つのスーツケース(!)には
入らず、仕方なく冬物などはダンボールで送ることにしました。
それも出発ぎりぎりまでやっていた私、シカゴの友達の家まで一緒に連れて行ってもらう
予定で、友達のご両親がシャンペーンまで来るまできてくださっていたので、
パッキングが終わるかどうかハラハラしました。
でもなんとか荷物をまとめ、いざ出発。
Cosmoを出た時には、Young Jaeにとってのラストディナーになるということで
みんなが食事に出てしまっていました。
でも、やっぱり最後にお別れを言いたい、と思い、みんながいるレストランに行きました。
するとちょうどCosmoのみんなも帰るところで、大撮影大会。
最初は、こんな古い家、住めるのかなぁ・・・とか、Kitchen duty嫌だなぁ、とか、
掃除当番って私はちゃんとやってるけどみんな果たしてやってるのだろうか、などと
いろいろ不安や不満に思ったこともありました。
しかし、いざ別れるとなると、とってもとっても寂しくて、涙、涙、そしてまた涙、という感じで
涙が止まりませんでした。
一緒に暮らすって、こんなにすごいことなんだ、と改めてハウスメイトの存在を
Preciousだと感じました。
最初についた日から、何もわからない私をGrocery storeに連れて行ってくれたり、
一緒にHelloween partyやMurphy’sに行ったり、一緒にTVを見たり卓球をしたり
ご飯を作ったり食べたり・・・本当にいろいろな思い出がよみがえってきました。
私は兄弟もいないので大勢で一緒に住むということを経験したことがなかったのですが
Cosmoでの経験は本当に貴重で、みんなが兄弟のような、同志のような、
不思議な感覚でした。
1年の留学生活のうち、やはり一番長くいた場所。
Cosmoのみなさま、ありがとうございました。

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④シカゴ→メキシコ→ナイアガラ→NYC→日本→サンディエゴ→日本

シャンペーンを出てから、まずはシカゴの友達の家に泊めてもらいました。
この子は今年の夏から日本の甲南大学に留学する子で、日本語を教えたり
一緒にドラマを見たりしていました。
家族はTaiwaneseなので、お母さんが毎日中華料理やスイーツを作ってくれました。
おいしかったです☆

そこから今度はメキシコへ。
去年U of Iに留学していたメキシコ人の友達の家にお邪魔しました。
空港に着くと、お花と「Vienvenida Mariko」という紙を持って待っていてくれました。
彼女はMonterreyというところに住んでいて、メキシコの中ではUSボーダーに近く、
山の麓も都市なので、比較的涼しかったです。
彼女の運転でMuseumや大学などを案内してもらい、本当に地元のメキシカンの
生活を味わうことができました。
彼女の卒業式も間近だったので、彼女の友達の家に行ったり、みんなで
クラブに踊りにいき、朝の5時まで踊り、そのあとはタコスを食べ、7時くらいに家に帰る
という、まさにメキシカンな体験もできました。
彼女意外はほとんど英語は話さずスペイン語なのですが、毎食メキシコ料理を
ふるまってくださって、本当にあったかかったです。
でも、朝食が11時、お昼が4時、夕食が夜中の11時くらいになるのには驚きました(笑)
そしてテキーラのショットをがんがん飲んでしまう彼らにも驚きました。
そしてなにより、その彼らと一緒に飲んで踊っていた私自身の秘められた能力にも
驚きました(笑)感しました。

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そこから今度はナイアガラの滝へひとっとび。
初めて行ったので、スケールの大きさに感動しました。
街自体は観光地化されていて、うーん・・・と思うところもあるのですが、滝の力はすごいです。
夜ついて、次の日は朝から滝をカナダ側からもアメリカ側からも満喫しました。
カナダ側から船に乗って滝の側まで行き、その音と水しぶきの白さに感動しました。
アメリカ側では、滝のすぐ下まで歩いていけるツアーに参加しました。
サンダルとビニール合羽を配られるのですが、滝の下までいけば全く効果なし!
まさに滝に打たれてきました。
滝の水は冷たくて、勢いがあって、本当に威力がすごかったです。
自然はおっきいなぁ、と改めて感動しました。
滝を体全体で感じたい方には、アメリカ側のツアーはかなりオススメです。
ただし、パンツまでびしょびしょになる覚悟がある方のみですが・・・笑

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アメリカStay最終地はニューヨーク、マンハッタン。
実は予定ではメキシコから直接NYCに入り、3日間のステイのはずだったのですが、
急遽ナイアガラにいき、2日早くNYCに入ったので、最初の二日はJFK空港の近くの
ホテルに泊まりました。
そのJFKのホテルからマンハッタンのホテルまでの移動、かかったお金はたったの$5!!
タクシーに乗ったら$50以上かかるところを、たったの$5におさえました。
それは、必死の努力によるAir Trainと地下鉄での移動。
本来ならば地下鉄に乗り換えるところで駅を出るのに$5、地下鉄に乗るのに$2
かかるのですが、あまりに荷物が多かったため、わざわざ扉を開けてもらったら、
メトロカードをもっていたにもかかわらず、お兄さん、面倒くさくなったのか
お金を請求されませんでした。ラッキー☆
ということで、スーツケースとバックパックをもちながらマンハッタンの街中を
ホテルまで歩いたのです。学生だからできた荒業です。
こちらのほうはあまりオススメしません笑。

NYでは、Legally Blond、Tarzanというミュージカルを見たり、American Ballet Theaterの
公演を見たりして、舞台好きの私にはたまらない日々を満喫しました。
NYYankees VS Sattle Marinersという松井VSイチローという試合も見に行きました。
そして初めてハーレムにも行き、教会に行きました。
BCの授業が懐かしかったです。

そしてアメリカ生活最後の夜は、なんとクルーズでした。
実はどこに連れて行かれるか知らずに着いた場所はハーバー。
マンハッタンの夜景を見ながらのディナークルーズでした。
こんなイキな計らい、感謝です。
ツインタワーのなくなったマンハッタン、その夜景を眺めながら、あぁ、ついに
私の1年間に渡るアメリカ生活も幕を閉じるのだなぁ、と実感しました。

1年ぶりの日本は、やっぱり日本語が飛び交っていて、日本人が多くて、
日本の大学生はアメリカの学生と違って大学に行く時もおしゃれをしていて、
街中を歩いている人もどことなくオシャレで、家に帰ったら家がものすごく小さく感じて、
コップやらお皿やらも全てが小さく感じました。
あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ、と実感です。
帰ってきた日にはお寿司とすき焼きを食べ、日本食ってやっぱりおいしい、と感動しました。
5日間ほどのステイの間に、インターンシップのインタビューや野球の早慶戦など
いろいろなことがあり、あれよあれよという間に一時帰国を終えました。

サンディエゴでは、イリノイの先輩にあたる小助川さんのConferenceのお手伝いを
させていただきました。
イリノイの留学を終えてからも、こうしたつながりが持てることを嬉しく思います。
JICを通じて、もっとたくさんの方々と出会い、つながりをもてたらいいな、と思います。
ニュースレターを読んでくださり、コメントなどをいただいた時も、とても嬉しく、
がんばろう、という励みになりました。

そして2007年6月10日、とうとう日本への最終帰国を果たしました。

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[まとめ]

1年を振り返ってみると、この留学生活を通し、確実に自分なりに成長できたと思います。
勉強についてはもちろんですが、素直にいつもお世話になっている人、
私を支えてくれる人への感謝の気持ちが伝えられるようになった気がします。
私は日本ですら一人暮らしをしたことがないのに、初めて長期で親元を離れるのが
イリノイへの留学、というかなり大胆な決断でした。
一人で飛び込んだ異国の地では、風邪を引いても、どんなに忙しくても、
自分の面倒を見られるのは自分です。
当たり前のことですが、日本ではあまりに日常のことすぎて忘れがちな
その当たり前のことに気づき、感謝できるようになったことは、大きな変化だと思います。
朝起きたら朝ごはんがある喜び、気づいたら洗濯物がたたんで
自分の部屋に置かれている喜び、その当たり前のことがどれだけ嬉しいことで、
どれだけ愛情を必要とするもので、どれだけ私が幸せ者なのかを実感することが
できました。

人との出会い、世界中にたくさんの友達ができたことも、私の財産です。
旅行に行くにしても、そこに現地の友達がいる、家に泊めてくれる友達がいる、
ということは、ものすごいことだと思います。
そこまで深い友達がたくさんできたことを嬉しく思います。
何億人といる人々の中で、イリノイ大学という限られた空間でであった人たち。
今でもチャットやメールをしたり、Facebookでつながっている友達、これからも
ずっとずっと、つながっていたいと思います。

最後になりましたが、1年間支えてくださった両親、友達、そしてJICの皆様に
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。
この1年で、自分と向き合う時間が増え、自分がなにをしたいのか、どのような人間に
なりたいのか、という方向性が見えてきたように思います。
この1年は、自分の人生を決める上でもとても大きな1年になりました。
イリノイ大学への留学生活を通して得た経験を生かし、これからの人生を
しっかりと、自分の足で、マイペースに生きていこうと思います。

1年間の総まとめということで長くなりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。私のつたないレポートを読んでくださった方々、
まとめてくださった中山さん、一緒にがんばったきょうこ、にしくん、けんたろう、
そして私を支えてくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。

慶應義塾大学3年
佐藤 真莉子

甲田小百合さんの2005年9月レポート

JICのみなさま、

こんにちは。2003年度奨学生の篠原史温です。

さきほど、アーバナシャンペーンから甲田小百合さん の奨学生レポートが届きましたので皆さんにお送りします。明確な目標を持って日々を過ごされている様子がとても伝わってくる力強いレポートです。自分のと きはどうだったかな?と思い出すとちょっと恥ずかしくなってしまいました。 それでは熱いレポートをお楽しみください

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皆様いかがお過ごしですか?早いものでシャンペーンに着いてからすでに6週間が 経過しました。私は中根さん達が参加したChicago Tourには参加できなかったので、一人後から皆を追う形でシャンペーンに向かったのですが、これから始まる1年を考えて、期待と不安につぶされそうにな りながら機内から日本の街並みを見わたしてい たのを今でもはっきりと覚えています。ですが6週間が過ぎ、まさに期待通りの毎日 を送れて、飛行機の中で感じていた不安は今はまったくなくなりました。ということ で、1回目のレポートでは、日本を出発する前から希望していたことが今どれだけ実現でき、今後どのように活動していきたいかをお伝えしたいと思います。

私が日本を出発する前にシャンペーンで実行したいと思っていたことは次の4つです。

①授業中にできる限り発言をする
②無料の英会話クラスに通い、英語力を上げ る
③シャンペーンの小学校あるいは中学校でボランティアを行う
④イリノイでも 卓球を続ける

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①授業中の発言

私は政治学のクラスを2つと教育学のクラスを1つとっており、そのほかに ESLと中国語(これは楽しみとして)を履修しています。想像していたとおり、ど のクラスでも日本とは比べ物にならないほど活発な議論が交わされています。正直申 し上げますと、今の私の力ではまだまだ授業を完全に理解できているとはいえませ ん。それでも6週間が経ち、最初は50%程度しか理解できておらず取ったノートの ページ数が1授業あたり2ページ程度だったものが、今では3~4ページくらいまで になり、少しずつ聞き取れてきているような気もします。が、不十分なのは明らかで す。ただ、たとえ完全に理解できていなくても、わかる部分はあるので、その部分で 一生懸命発言をして少しでも積極的に授業を受けようと心がけています。つたない英 語で授業をさえぎってしまうのに最初は抵抗もありましたが、しかし政治学の先生 (この先生はかの有名なガンディーの孫の一人です。)が、「アメリカ人だけでなく あなたのように日本人が私の授業をとってくれるのはとても嬉しいですよ。わからな いところがあったら授業中にぜひ手を挙げてください。もう一度ゆっくり説明します ので。」とおっしゃってくださり、本当に心を打たれました。強く背中を押された気 がしました。そしてそれからは他の授業でも物怖じせず、発言できるようになりまし た。こうして発言をすることによる最大のメリットは、能動的に授業に参加できるこ とですが、他にもメリットが生まれ始めています。発言をしたことにより、私のつた ない英語からすぐに留学生だとわかってもらえたようでして(苦笑)、クラスの中に 一緒に勉強をできる友達ができ始めたんです。日本でさえ入学して最初の1ヶ月で一 緒に勉強できる友達を探すのは大変なことなのに、アメリカの大学のクラスの中で友 達を作れたのは本当に嬉しいです。今後はもっとリスニング力を身につけて90%以 上理解できるように頑張るとともに、引き続き発言の機会を狙って積極的に授業に取 り組もうと思っています。

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②無料の英会話学校

これは、出発前にイリノイ大学に留学された先輩方から伺っており、ぜひとも 参加したいと思っていたプログラムでした。このプログラムは大学とは直接関係はしておらず単位はありませんが、以前教育関係の仕事をしていた、あるいは教 育に強く 興味を持っている方々がボランティアで英会話を教えてくださっています。私は毎週 火曜日に初心者用のクラスを、毎週水曜日に中級・上級者用のクラスをとっていま す。たとえアメリカで生活をしていても、ただ漠然と日々を過ごすだけでは英語力は 上がらないので、半年間この英会話に通い、時と場所に応じて正しい英語を使えるよ うになりたいと思っています。また、この英会話で知り合った方々の多くは、院生あ るいは旦那さんが院生というパターンが多く、ただ大学に通っているだけでは知り合 えない層の方々からいろいろな話をきくことができ、とても勉強になります。例え ば、母国を離れ子供を育てる大変さ、シャンペーンの小中学校の特徴などを聞くこと ができとても参考になりました。

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③小中学校でのボランティア

私は国際関係を専攻していますが、それとともに教職課程も履修しており、ど ちらかというと教育の方に強く関心を抱いています。将来は、自分の専門分野を生かして、海外の教育機関で働けたらなと考えています。しかし、自分が受けて いた教育 は、日本人による日本人のための日本式の教育制度だけですので、海外の教育機関で 働くにはもっと広い視野を持つ必要があるとずっと感じていました。そんな中幸運に もイリノイ大学への留学という機会を頂いたので、このまたとない機会を最大限に活 用し、多文化社会のアメリカで多文化のクラスを経験し、そこから何かを得たいと強 く希望していました。そしてこの1ヶ月、様々なバックグラウンドを持った生徒を多 数持ち留学生の私をボランティアとして受け入れてくれる学校を探していたのです が、先日ついに見つけることができました。ご存知の方もいらっしゃると思います が、来月から週に一度Urbana Middle SchoolにてESLのクラスにお邪魔できることに なりました。まだオリエンテーションを受けただけなので細かくお伝えすることがで きず残念なのですが、次回のレポートではぜひこのボランティアのことを取り上げた いと思っています。

なお、アメリカはボランティアが 盛んだと耳にはしていましたが、上で挙げた 英会話クラスをはじめ、病院や学校、スポーツなど、様々な分野でボランティアが欠かせない存在になっていて本当に驚いています。そして、自分自身もボラン ティアに参加することで、大学というある種特殊な環境から飛び出し、アメリカの実際の社会を垣間見れたらと思っています。

④卓球

私は中学と大学で卓球部に所属していましたので、アメリカでも気分転換を兼ねてどうしても卓球を続けたいと切に願っておりました。ただ、卓球がアメリカで 人気がないのは承知しておりましたので、クラブがあるかどうかかなり不安でした。し かし、イリノイ大学にもしっかり卓球部が存在していたんです。しかも、2002年 と2003年にチャンピオンシップを飾ったそうでして(いまいちどの範囲で優勝し たのかがわからなかったのですが・・・)、少なくともイリノイ州の中ではトップレ ベルのようです。そしてうまく日程が合えば、私も団体の一員として試合に出れるよ うです(驚)。日本では週3回ほど練習をしていましたが、今はできて週に1度が限 界です。が、アメリカの卓球の試合を見れるまたとない機会なので、たとえ選手とし てでなかったとしても、ぜひ試合を見たいと思っています。

最後に

私はCosmopolitan Club Houseに住んでいます。ご存知の方もたくさんいらっ しゃると思いますが、ここは学校の寮ではなく、一つの大きな家でして、15人の (主に)留学生が一緒に生活をしています。ほとんどが院生なので私は一番年下です。インド、中国、韓国、チェコ、ルーマニア、コートジボアール、ドイツ、 ベル ギーなどなど、世界各国からの留学生が集まっていて、とても国際的な毎日を過ごしています。例えば、中国人と一緒に日本と中国の調味料を使ってパスタを 作ったり、 日本のカレーとチェコのカレーを交換したり、インドや中国の映画を見たり、ブラジルのダンスパーティに参加したり・・・と本当に楽しく充実した毎日を過ご しています。私がこの家を選んだ理由は自分で料理を作れるからでしたが、日本食を食べれる 喜びとともに世界各国の食事まで楽しめるので、期待以上の食生活を送れています。

また、コスモでは毎週木曜にCoffee Hourを行い、世界の郷土料理を楽しめる活動を行っていますが、その活動が評価され、今年シャンペーンから賞を頂きました。 写真はその時の様子を写したものです。このような名誉ある家の住人の一人として生活を送れることを誇りに思うと同時に、その名に恥じないよう、私も少しで も貢献で きたらと思っています。

今回のレポートでは、どちらかというと、英語そのものに対する感想と課外活 動の話が中心になってしまいましたが、次回はもう少し履修している授業の話もできたらと思います。シャンペーンもだんだんと秋らしくなってきて、さわやか な秋晴れの日が続いています。まもなくやってくる未経験の真冬に備えて、心身ともに健康を 維持し頑張ろうと思います。皆様もどうぞお体にはお気をつけてお過ごしください。

なお、最後になりましたが、このような留学の機会を与 えてくださったことを 本当に心から感謝しております。シャンペーンに来てたくさんの友達に出会い新しい自分を発見するたびに、その喜びをかみしめています。この一年、やるべき ことをはっきりさせて精一杯頑張りますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

中山輝美子さんからの2004年9月分レポート

JICの皆様

岡沢(02-03,LAS)です。今年度奨学生の中山輝美子さんからのレポートが届きました。中山さんはコスモポリタンクラ ブというキャンパスの中にあるシェアハウスについてリポートをしてくれました。コスモポリタンは毎週パーティーがあることで有名ですね。人との出会いが多 い、楽しい生活の様子が伝わってきます。

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2004年9月レポート
中山 輝美子
上智大学 比較文化学部 比較文化学科
international business and economics専攻 3年
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JICの皆様こんにちは。2004年度奨学生の中山輝美子です。

レ ポート遅くなってしまって申し訳ございません。早いものでUIUCに到着してから2ヶ月が経ちました。イリノイは日に日に寒くなってきていて、まだ10月 だということを考えると少し先が思いやられます。この2ヶ月間あっといまで振り返る時間もなく過ごしてきました。たくさん報告させて頂きたいことがあり何 から書けばよいのか迷ってしまいますが、まずCosmopolitan Club Houseについてお話させて下さい。

わたしは、 2003年度留学生の中村さんの紹介を受けてCosmopolitan Club Hoseというところに住んでいます。正直決める前はすごく悩みました。他の留学生が学生寮に決めていくなか、自分も学生寮でなくて大丈夫なのだろうか と。しかし、こちらに来てそのように風に悩んだことさえもおかしく感じています。

Cosmo Houseには一つの大きな家をみんなでシェアーするという形で14人のinternational studentsが住んでいます。ヨーロッパ・南アメリカ・アフリカ・アジアと世界中から集まっており、留学生、学部生、院生と環境もバラバラ。はっきり 言って共通点を見つけることのほうが難しいくらいなのに、仲良く毎日ワイワイと生活しています。

この家の一番素敵な点は、リビングに行け ばいつも誰かがいてくれるということです。こちらに来てすぐホームシックになった時も、慰めてくれる人、連れ出してくれる人、そしてホームシックの辛さを 分かち合ってくれる人と色々。一緒に暮らし始めて一ヶ月もたたない間にすごく仲良くなりました。夜中まで語り合ったり、一緒に映画をみたり、テレビのチャ ンネル争いをしたり、誰かの誕生日にはケーキを焼いてサプライズパーティーを企画してみたり、毎日盛りだくさんです。毎週木曜日には international coffee hourと称して、決められた国の料理を振舞って、パーティーを開かれています。先週はBrazilian coffee hourで家に入りきらないほどのお客さんが集まってしまい、家の前の歩道にまで人が並ぶ反響振り。家にいるだけで毎週新しい出会いがあります。

建物自体は築100年以上なのではないかと思うほど古いのですがとても居心地の良い環境が整っています。最近の悩みはあまりにも居心地が良すぎて引きこもり気味になってしまうことです。寒くなってきたこともありなかなか外に行く決心がつきません。

第 二回レポートでは家の外のことについてお話できるように頑張って活動的になろうと思います。お伝えしたいことは沢山あるのにいざ文章にしようとすると上手 くできずに悲しくなってしまいます。私が今こちらで体験していることの10分の1でも伝わればと思っています。このようなステキな経験をさせていただいて いて感謝の気持ちでいっぱいです。残り8ヶ月間みなさまに与えていただいたこのチャンスを最大限に活用していきたいと思います。