佐藤真莉子さんの7月分奨学生レポート

2006年度奨学生の7月レポート最後を飾るのは佐藤真莉子さんです。佐藤さんは授業やクラブ活動など多くのことに大胆に挑戦し、たくさん学び得てきたようです。貴重な留学経験を生かし、日本でもがんばってくださいね。

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ICの皆様、ご無沙汰しております。
ついに1年間の留学を終え、無事日本に帰国いたしました。
これが最後のレポートかと思うと、1年間は本当にあっという間だなぁ、と再確認しているところです。
それでは、1年間の総まとめ、さとうまりこ最後のレポートの始まりです☆

①Dance for Darful

前回のレポートでお伝えした、バレエの友達と一緒に始めたDarfulのための
寄付金を集めるダンスステージを、無事に終えることができました。
直前にはほぼ毎日どこかに集まり、かなりハードな練習をしていました。
私はクラシックバレエは小さい頃から続けていたのですが、今回は
コンテンポラリーとモダンバレエがまざったような踊りで、バレエとは
体の使い方も動きも全く違います。
型があるバレエに対して、コンテンポラリーやモダンバレエは
もっと体を自由に使い、型にははまらない不思議な動きをします。
自分自身、新しい分野への挑戦でしたが、基本的には友達が振りを考え、
進めていくうちにみんなで意見を出し合って振り付けをする、という感じでした。
みんな完全にアメリカ人で、そのなかに一人アジア人の、しかも留学生の私が
仲間に入れてもらえたこと自体、奇跡のようだと思います。
でもせっかくもらったチャンス、どんなに練習が大変でも、彼女たちと一緒に
時間を過ごせることが嬉しくて、一度も練習を休んだことがありませんでした。
あーだこーだ、と振りを考えながら練習する時間も楽しかったのですが、
みんなでご飯を食べに行ったり、衣装を見つけにTARGETやWALMARTまで
車で行ったり、CRCE(大学のジム)までおしゃべりしながら歩いたり・・・
という時間の一つ一つがとても楽しかったです。

なんとなくお昼を食べている時に、メンバーの一人に「日本人はアメリカ人に対して
どう思ってるの?」と突然聞かれてびっくりしたこともありました。
その子自身は、お母さんと日本に行ったことがあり、とても楽しい思い出が
あって、みんな親切で、また行きたい、と思ったそうなのですが、その子の友達は
日本に言った時、アメリカ人だから、と言われて嫌な思いをしたことがあったそうです。
私は、今がチャンス、と思い、それまで自分が思っていたアメリカ人に対する
思いを話しました。
もちろんアメリカのエンターテイメントやカルチャーはすごいと思うし、私はやっぱり
国際人として生きていくために英語をしゃべりたい、アメリカの文化、世界の文化を
学びたいと思っているし、オープンで陽気なアメリカの雰囲気は大好き。
だけど、その反面、Arrogantな部分もあって、自分たちは世界の中心だと
言わんばかりの行動をいっぱいしているし、英語さえ話せればどこでも生きていけると
思っている人もたくさんいるし、環境問題に対しては興味が薄いし、という
ネガティブな部分もあるよね、という話をしました。
そうしたらメンバーはみなとっても納得してくれて、あー、こういうお互いの理解から
「和」が生まれるんだな、ということを実感しました。
彼女が持っている日本人に対してのイメージを素直に話してくれたことに
とても感謝をしています。

ステージ自体は、全体で$400以上の寄付金を集めることができました。
私たちのダンス意外に、アイリッシュダンス、インディアンダンス、アルゼンチンタンゴなど
さまざまなところから学生に協力してもらい、全部で50人くらいの方に見ていただくことが
できました。
決して大きなイベントではなかったけれども、少しでも私たちの思いが届いたらいいな
と思っています、
でも、こうしたイベントを開く時に、本当にアイリッシュの子とか、インド出身の子とか、
アルゼンチン出身の子とか、学生のレベルで本場の人が集まるところは、
アメリカのすごいところだまな、と思いました。
日本では、大学生の学園祭レベルでも、現地の人を集めるのは至難の業だと思います。
そこはさすがアメリカ、人種の坩堝といわれるだけあるなぁ、と思いました。

実は、最初は本当にステージが開けるのかとても不安でした。
有志の企画だったので、強制でもなんでもなく、場所を借りたり照明を借りたり、
練習場所を確保したり・・・と、小さな問題が山積みで、ステージを開くところまで
こぎつけるかどうか正直わかりませんでした。
でも、最後はきちんと笑って終えることができたので、本当に良かったです。

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②最後の授業

[Reporting]

一番頑張っていたこの授業、最後は自分で書いたラジオ原稿を、大学のテレビ局内にある
ラジオのスタジオで収録し、CDにする、というものでした。
ニュースの構成から文章から、全て自分で考えるというもので、何度も教授と
やり取りをして、何回も公正してもらい、本番を迎えました。

実は本番の前、教授の書いた原稿で読む練習をしたのですが、そのときになんと
Excellent!といわれました。
私はもちろんネイティブの子のようなスピードでは読めないし、発音もどんなに頑張っても
ネイティブの子のようには行かない部分もあり、まさかExcellentといわれるとは
思っていなかったので、素直に嬉しかったです。
何がExcellentかというと、声がきちんとでていることだそうです。
中高6年間をミュージカルの部活に捧げ、留学直前までBSフジでキャスターを
やらせていただいた経験が、こんなところで役に立つとは!!!笑

でも、教授が面白いことを発見してくれました。
それは、私が英語でニュース原稿を読むと、文末が全て下がっていることです。
日本語では、文章の終わりは、必ずトーンを下げて読みます。
文章の出だしが一番音が大きく高さも高く、文末に行くに従って、
音も高さも下がるのです。
しかし、英語ではたとえ文末や「、」の前でも、流れによっては上がったり下がったりします。
英語のニュースなどを聞いていればわかると思うのですが、確かに、
Tonight, it’s gonna be sunny, 65 dgree, and it’s gonna be cloudy tomorrow all day.
という文章があった場合、英語ではDegreeのあとは上げて読み、Dayのあとで下げます。
しかし、これがもし日本語だったら、
「今夜は晴れるでしょう。そして明日は一日中曇り空となりそうです。」
となり、「でしょう」のあとも、「なりそうです」の後もイントネーションは下げます。
言葉っておもしろいなぁ、と改めて感じました。

そしてもう一つ、私の読み方はトーンが落ち着いていてPBSのようだ、といわれました。
なるほど、思い返してみれば、私はよくBBC World NewsやPBSのラジオニュースを
インターネットを通して聞いていたのです。
さすが教授、なんでもお見通しなんですね!!

忙しい時間の間を縫って何度も私の原稿を校正してくださったり、練習をみてくださった教授に、
収録を終えた後、隣の部屋からガラス越しに親指をたてて「Good Job!」と言われた時には
とても嬉しかったです。
この半年、がんばってよかったな、と思いました。
この授業ではインタビューを通して体当たりしたり、ラジオの収録をしたり、
子供を育てながら教授やラジオのパーソナリティー、新聞のコラムニスト、テレビのアンカーまで
努めるスーパーママである教授に出会えたり・・・と、本当に多くのことを学びました。

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[Public Speaking]

みんながいい、というならば取ってみよう、そんな軽い気持ちではじめたSPCM101。
最初は私以外全員ネイティブだからどんなに頑張っても彼らと同じようにはスピーチできない
と勝手に理由をつけて、どうせスピーチなんて覚えようと思っても覚えられないや、と
どこかで諦めている部分がありました。
日本に帰ったら就職活動をするんだなぁ、BS以来、人前でしゃべることをしていないなぁ、
これはきっと人前で何かを話す練習になるだろう、くらいの気持ちだったので、今思うと
最初は特にあまり真剣に打ち込もうとはしていなかったように思います。
しかし、1回だけ、友達とペアを組んで、Arguableなトピックについて反対の意見を
スピーチする、という回がありました。
そこで私がペアになったのは、Seniorの子で、普段のスピーチもとても上手な子でした。
こりゃ真剣にやらないとまずい、こんなうまい子と一緒にやったら余計に下手さが目立つし、
第一こんなにできる子とやるのならばトピックを決め原稿を書く時点でしっかりやらなきゃ
申し訳ないし相方として認めてもらえない!と思い、火がつきました。
とにかくひたすらストップウォッチをもって何度も繰り返して読み、覚えてすんなりと
口から出てくるくらいまで練習しました。
なめられちゃいけない、うまくいかなかったら申し訳ない、という切羽詰った思いから
必死に練習した結果、それまでの3回のスピーチとは比べ物にならないくらい、
自分でも納得のいくスピーチができました。
そこで味をしめた私は、「なーんだ、私もやればできるじゃん。英語だって覚えられるじゃん♪」
と調子に乗り、最後のスピーチも完璧に練習し、納得のいくスピーチを終えることが
できました。
ダンスの練習、バレーボールの試合、Black Chorusの練習、Murphy’s…と
やることに追われていましたが、そのなかでも納得のいくスピーチができたことは
英語に対しても人前で話すことに対しても、自身につながりました。
そしてそして、嬉しいことに、Best Improved Speker Awardをいただきました!
わーい!!!
TAが賞状まで作ってくれて、今も部屋に飾ってあります。
これからはこの授業で経験した度胸で、いろいろな場面を乗り切りたいと思います。

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[Black Chorus]

これは、この1年の留学の中で一番心に残る授業でした。
授業を通り越して、生活の一部になっていました。
前回のレポートでお伝えしたMom’s Day Concertで最後のステージを無事におえ、
これでBCメンバーも解散。残るはSocialでした。いわゆる打ち上げです。
PARの目の前にあるIllini GroveでBBQをしました。
料理やスイーツを作って来てくれた子もいて、とってもおいしくて楽しい会になりました。
私はそこで、みんなとビーチバレーをしました。
砂の中のバレーボールコートにみんなで裸足で入っていって、はちゃめちゃに騒ぎました。
みんな、「Mariko~Come on!!!」などといって盛り上げてくれたり、本当にあったかくて、
BCの一員になれてよかった、と心から思いました。
彼らと仲良くなることで、Blackの歴史やいまだに残る差別の問題、彼らのバックグラウンドである
アフリカでの貧困、飢餓、紛争の問題にも興味を持ち、それが実際とても身近な問題に
感じられるようになりました。
彼らに対する差別はいまだにあからさまな部分があり、それを見るたびに
日本ではほとんどが日本人だから差別なんて感じなかった、アメリカはやっぱり
すごいところなんだなぁ、などと思っていました。
でも、それは実は私が気づいていないだけで、日本でも差別は残っているのかもしれません。
アメリカのようにあからさまではないかもしれないけれど、逆に日本では隠されていて
触れられていないだけで、気づかないだけで、残っている問題なのかもしれません。
そのようなことに気づくことができたのも、そしてDarfulのためといって始めたステージを
開くことができたのも、このBlack Chorusをとったからだと思います。
人を、友達を介することで、今まで見えてこなかったもの、他人事だと思っていたことが
とても身近に感じ、様々な問題見出し、解決する方法を考えるきっかけができました。
BCに関わる全ての方たちに感謝です。

そして、卒業式に当たるCommencementでもBCのメンバーとして2曲ほど歌ってきました。
Assembly Hallで最後に歌えたことは、いい思い出です。
Seniorの友達が多く、このCommencementで卒業する友達もたくさんいたので
しみじみしてしまいました。
しかし、そのあとはその感動を忘れるくらいパッキングが終わらず、かなり苦労しましたが・・・笑

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[ClassicBallet]

この授業でも、最後の授業に小さな発表会をしました。
私は友達5人と、Beatlesの「Hello, Good Bye」という曲に合わせて振り付けし、
発表しました。
これも仲間と一緒に何か一つのことに打ち込み、最後に形にできたことを嬉しく思います。

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③Cosmopolitan House

ついに別れの日がやってきました。
去年の暮れ、そして今学期の終わりも、私はいつも送る側でした。
それがついに、私が送られる側になりました。

感動の涙、かと思いきや・・・
部屋をまるまるあける、ということを実は経験したことのなかった私。
日本を出る時も、適当に必要なものだけつめて、あとは親に持ってきてもらう、という
形をとったので、部屋の中のものを全てつめる、ということをしたことがありませんでした。
旅行に行っても、特技はパッキング。
1日あればなんとかなる、と思って甘く見ていました。
ところが、1年で膨れ上がった荷物は山のよう!とてもとても3つのスーツケース(!)には
入らず、仕方なく冬物などはダンボールで送ることにしました。
それも出発ぎりぎりまでやっていた私、シカゴの友達の家まで一緒に連れて行ってもらう
予定で、友達のご両親がシャンペーンまで来るまできてくださっていたので、
パッキングが終わるかどうかハラハラしました。
でもなんとか荷物をまとめ、いざ出発。
Cosmoを出た時には、Young Jaeにとってのラストディナーになるということで
みんなが食事に出てしまっていました。
でも、やっぱり最後にお別れを言いたい、と思い、みんながいるレストランに行きました。
するとちょうどCosmoのみんなも帰るところで、大撮影大会。
最初は、こんな古い家、住めるのかなぁ・・・とか、Kitchen duty嫌だなぁ、とか、
掃除当番って私はちゃんとやってるけどみんな果たしてやってるのだろうか、などと
いろいろ不安や不満に思ったこともありました。
しかし、いざ別れるとなると、とってもとっても寂しくて、涙、涙、そしてまた涙、という感じで
涙が止まりませんでした。
一緒に暮らすって、こんなにすごいことなんだ、と改めてハウスメイトの存在を
Preciousだと感じました。
最初についた日から、何もわからない私をGrocery storeに連れて行ってくれたり、
一緒にHelloween partyやMurphy’sに行ったり、一緒にTVを見たり卓球をしたり
ご飯を作ったり食べたり・・・本当にいろいろな思い出がよみがえってきました。
私は兄弟もいないので大勢で一緒に住むということを経験したことがなかったのですが
Cosmoでの経験は本当に貴重で、みんなが兄弟のような、同志のような、
不思議な感覚でした。
1年の留学生活のうち、やはり一番長くいた場所。
Cosmoのみなさま、ありがとうございました。

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④シカゴ→メキシコ→ナイアガラ→NYC→日本→サンディエゴ→日本

シャンペーンを出てから、まずはシカゴの友達の家に泊めてもらいました。
この子は今年の夏から日本の甲南大学に留学する子で、日本語を教えたり
一緒にドラマを見たりしていました。
家族はTaiwaneseなので、お母さんが毎日中華料理やスイーツを作ってくれました。
おいしかったです☆

そこから今度はメキシコへ。
去年U of Iに留学していたメキシコ人の友達の家にお邪魔しました。
空港に着くと、お花と「Vienvenida Mariko」という紙を持って待っていてくれました。
彼女はMonterreyというところに住んでいて、メキシコの中ではUSボーダーに近く、
山の麓も都市なので、比較的涼しかったです。
彼女の運転でMuseumや大学などを案内してもらい、本当に地元のメキシカンの
生活を味わうことができました。
彼女の卒業式も間近だったので、彼女の友達の家に行ったり、みんなで
クラブに踊りにいき、朝の5時まで踊り、そのあとはタコスを食べ、7時くらいに家に帰る
という、まさにメキシカンな体験もできました。
彼女意外はほとんど英語は話さずスペイン語なのですが、毎食メキシコ料理を
ふるまってくださって、本当にあったかかったです。
でも、朝食が11時、お昼が4時、夕食が夜中の11時くらいになるのには驚きました(笑)
そしてテキーラのショットをがんがん飲んでしまう彼らにも驚きました。
そしてなにより、その彼らと一緒に飲んで踊っていた私自身の秘められた能力にも
驚きました(笑)感しました。

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そこから今度はナイアガラの滝へひとっとび。
初めて行ったので、スケールの大きさに感動しました。
街自体は観光地化されていて、うーん・・・と思うところもあるのですが、滝の力はすごいです。
夜ついて、次の日は朝から滝をカナダ側からもアメリカ側からも満喫しました。
カナダ側から船に乗って滝の側まで行き、その音と水しぶきの白さに感動しました。
アメリカ側では、滝のすぐ下まで歩いていけるツアーに参加しました。
サンダルとビニール合羽を配られるのですが、滝の下までいけば全く効果なし!
まさに滝に打たれてきました。
滝の水は冷たくて、勢いがあって、本当に威力がすごかったです。
自然はおっきいなぁ、と改めて感動しました。
滝を体全体で感じたい方には、アメリカ側のツアーはかなりオススメです。
ただし、パンツまでびしょびしょになる覚悟がある方のみですが・・・笑

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アメリカStay最終地はニューヨーク、マンハッタン。
実は予定ではメキシコから直接NYCに入り、3日間のステイのはずだったのですが、
急遽ナイアガラにいき、2日早くNYCに入ったので、最初の二日はJFK空港の近くの
ホテルに泊まりました。
そのJFKのホテルからマンハッタンのホテルまでの移動、かかったお金はたったの$5!!
タクシーに乗ったら$50以上かかるところを、たったの$5におさえました。
それは、必死の努力によるAir Trainと地下鉄での移動。
本来ならば地下鉄に乗り換えるところで駅を出るのに$5、地下鉄に乗るのに$2
かかるのですが、あまりに荷物が多かったため、わざわざ扉を開けてもらったら、
メトロカードをもっていたにもかかわらず、お兄さん、面倒くさくなったのか
お金を請求されませんでした。ラッキー☆
ということで、スーツケースとバックパックをもちながらマンハッタンの街中を
ホテルまで歩いたのです。学生だからできた荒業です。
こちらのほうはあまりオススメしません笑。

NYでは、Legally Blond、Tarzanというミュージカルを見たり、American Ballet Theaterの
公演を見たりして、舞台好きの私にはたまらない日々を満喫しました。
NYYankees VS Sattle Marinersという松井VSイチローという試合も見に行きました。
そして初めてハーレムにも行き、教会に行きました。
BCの授業が懐かしかったです。

そしてアメリカ生活最後の夜は、なんとクルーズでした。
実はどこに連れて行かれるか知らずに着いた場所はハーバー。
マンハッタンの夜景を見ながらのディナークルーズでした。
こんなイキな計らい、感謝です。
ツインタワーのなくなったマンハッタン、その夜景を眺めながら、あぁ、ついに
私の1年間に渡るアメリカ生活も幕を閉じるのだなぁ、と実感しました。

1年ぶりの日本は、やっぱり日本語が飛び交っていて、日本人が多くて、
日本の大学生はアメリカの学生と違って大学に行く時もおしゃれをしていて、
街中を歩いている人もどことなくオシャレで、家に帰ったら家がものすごく小さく感じて、
コップやらお皿やらも全てが小さく感じました。
あぁ、日本に帰ってきたんだなぁ、と実感です。
帰ってきた日にはお寿司とすき焼きを食べ、日本食ってやっぱりおいしい、と感動しました。
5日間ほどのステイの間に、インターンシップのインタビューや野球の早慶戦など
いろいろなことがあり、あれよあれよという間に一時帰国を終えました。

サンディエゴでは、イリノイの先輩にあたる小助川さんのConferenceのお手伝いを
させていただきました。
イリノイの留学を終えてからも、こうしたつながりが持てることを嬉しく思います。
JICを通じて、もっとたくさんの方々と出会い、つながりをもてたらいいな、と思います。
ニュースレターを読んでくださり、コメントなどをいただいた時も、とても嬉しく、
がんばろう、という励みになりました。

そして2007年6月10日、とうとう日本への最終帰国を果たしました。

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[まとめ]

1年を振り返ってみると、この留学生活を通し、確実に自分なりに成長できたと思います。
勉強についてはもちろんですが、素直にいつもお世話になっている人、
私を支えてくれる人への感謝の気持ちが伝えられるようになった気がします。
私は日本ですら一人暮らしをしたことがないのに、初めて長期で親元を離れるのが
イリノイへの留学、というかなり大胆な決断でした。
一人で飛び込んだ異国の地では、風邪を引いても、どんなに忙しくても、
自分の面倒を見られるのは自分です。
当たり前のことですが、日本ではあまりに日常のことすぎて忘れがちな
その当たり前のことに気づき、感謝できるようになったことは、大きな変化だと思います。
朝起きたら朝ごはんがある喜び、気づいたら洗濯物がたたんで
自分の部屋に置かれている喜び、その当たり前のことがどれだけ嬉しいことで、
どれだけ愛情を必要とするもので、どれだけ私が幸せ者なのかを実感することが
できました。

人との出会い、世界中にたくさんの友達ができたことも、私の財産です。
旅行に行くにしても、そこに現地の友達がいる、家に泊めてくれる友達がいる、
ということは、ものすごいことだと思います。
そこまで深い友達がたくさんできたことを嬉しく思います。
何億人といる人々の中で、イリノイ大学という限られた空間でであった人たち。
今でもチャットやメールをしたり、Facebookでつながっている友達、これからも
ずっとずっと、つながっていたいと思います。

最後になりましたが、1年間支えてくださった両親、友達、そしてJICの皆様に
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。
この1年で、自分と向き合う時間が増え、自分がなにをしたいのか、どのような人間に
なりたいのか、という方向性が見えてきたように思います。
この1年は、自分の人生を決める上でもとても大きな1年になりました。
イリノイ大学への留学生活を通して得た経験を生かし、これからの人生を
しっかりと、自分の足で、マイペースに生きていこうと思います。

1年間の総まとめということで長くなりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。私のつたないレポートを読んでくださった方々、
まとめてくださった中山さん、一緒にがんばったきょうこ、にしくん、けんたろう、
そして私を支えてくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。

慶應義塾大学3年
佐藤 真莉子

佐藤真莉子さんの2007年4月奨学生レポート

4月分レポート第二弾は佐藤真莉子さんです。佐藤さんはCosmopolitan HouseのCoffee Hourで積極的に日本のアピールをしたり、またダンスやバレーボール、ブラックコーラスなどパワフルに課外活動をしています。インタビューの取り方など 学校では学べないものも、実際にアッタクしていろんなことを学んでいるようです。残りの1ヶ月も十分に思い出を作ってほしいですね。

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JICの皆様ご無沙汰しております、佐藤真莉子です。今学期は先学期より1コマ授業を減らし、よりイリノイでの生活に“Involve”されることをモッ トーに生活しています。イリノイでの留学も残りわずかとなりましたが、今学期のイリノイでの生活について近況をお伝えしたいと思います。

1.Japanese Coffee Hour

2月22日、私の住んでいるCosmopolitan Houseで恒例のJapanese Coffee Hourを開きました。先学期のうちから何をしようかと企画を練っていたものの、皆忙しくなかなか本格的に準備ができず、かなりのドタバタになってしまいました。

プレゼンは西村君、川島さんと私の3人で担当し、料理は川島さんと私が中心となり、他の日本からの留学生などに手伝ってもらって作りました。当日は河手君も駆けつけてくれて、部屋の装飾や書道スペースの設置などを手伝ってくれました。

直前になってプロジェクターがないということに気づき、私の準備不足でみんなをハラハラさせてしまったことは大変反省していますが、Engineeringメジャーの友達に頼み込んでプロジェクターを借りてもらい、なんとか無事にプレゼンをすることができました。

料理は日本の家庭料理を味わってもらおうということになり、かつおぶしとゆかりのおにぎり、肉じゃが、いんげんの胡麻和え、サラダを振舞いました。 AMKOで買い物をした時、ダメもとで「Japanese Coffee Hourで日本料理を作るので何かDonationしていただけますか?」とお 店のオーナーに聞いたところ、なんとあんこの入ったお餅を4パックも寄付してくださいました!日本ではお店に無料で寄付してもらうことなんてとてもできな いだろうな、と思い、ちょっと感動しました。小さいコミュニティーならではなのか、アメリカ中部ならではなのか、アメリカ人の温かみを感じた瞬間でした。

実は私はCoffee Hourの次の日にNYで開かれるCareer Forumに参加したいと思っており、直前までCoffee Hourに参加する かどうかとても迷っていました。将来に関わることなのでキャリアフォーラムには絶対参加したかったのですが、Cosmoに住んでいる身としてやはり Coffee HourをOrganizeしないというわけにはいかない、ということで相当悩みましたが、周りの友達が支えてくれると言ってくれたので、 結果としてはちょっと無理してでも両方がんばろう、という結論に達しました。体力的にも精神的にも追い込まれており、かなりいっぱいいっぱいになっていま したが、両方やる、という決意のとおり両方やってみて、本当によかったと思います。こんな私を支えてくれたたくさんの友達に感謝の気持ちでいっぱいです。

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2.International Dinner

次のイベントはYMCAで開かれるInternational Dinnerでした。 このイベントはYMCAとCosmopolitan Houseが共催しているイベントで、各国の料理を振る舞い、ステージではパフォーマンスをする、と いうものです。私はCosmoのOrganizerのAndreaから、「ステージで歌を歌わない?」といわれ、調子に乗って「Yes」と答えてしまった ため、なんとなんと100人以上の前で歌を歌うというビッグイベントになりました。

一曲目はハウスメイトのZhongNingと一緒 に、アラジンより“A Whole New World”を、2曲目は一青窈さんの“ハナミズキ”を日本語で歌いました。ピアノ伴奏は同じくハウスメイト のYoungJae。“Far East3人組”などと冗談を言いながら練習をしていました。練習中はなかなかうまくいかなかったりして3人でかなり焦っ たり言い争いのようになったりもしましたが、本番前は緊張していた私を二人が和ませてくれたりして、無事に歌い終えることができました。

実はこのInternational Dinnerの様子がCBSの地元ローカル局、WCIAで放送されて、2秒くらいですがなんと私の歌っている様子が流れたのです!!わーい!!アメリカデビュー!!!!!笑

このイベントにはほとんどのハウスメイトがなんらかの形で関わっており、MCはYoungJaeとMichelle、ZNとYJと私は歌を披露、 Daniella、Inaki、Anna、Gabi、Sharylは各国の料理を作って振舞いました。Cosmo総動員でのイベントは去年の Thanksgiving Dinner以来だったので、とても楽しかったです。ハウスメイトが一体となって何かするというのはやはりつながりを感じられ て、とても良い思い出となりました。

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3.春休み

春休みは、ここでよく一緒に遊んでいるDanielsに住んでいる友達と一緒に一週間まるまるカナダのバンクーバーに行き ました。そのなかの一人Naviがカナダに住んでいるということで、彼の家にお邪魔させていただきました。彼はカナダで生まれたのですが家族は皆インド 人。私たちの滞在中は毎日お母さんがインド料理を振舞ってくださいました。

彼の家はバンクーバーから車で45分ほど離れたところにあり、とても静かな住宅街です。彼はArtitectureメジャーで、なんと彼の実家は彼が全て設計したそうです!!とても広くておしゃれな家で、「こんなところに住みたい!!!」と思いました。

毎日昼頃起きてご飯を食べ、観光をして夜はみんなで飲みに行く、というなんとも休みらしい休みを過ごしました。Thanksgivingはとにかく観光の連続でしたが、今回はゆったりしつつも観光できて、いいリフレッシュになりました。

初日に彼の友達の友達の結婚式の披露宴にお邪魔したのですが、なんとその披露宴が豪華なこと!インドのパンジャーブ地方出身の友達の結婚式で、まさに食べ る、飲む、踊る、という3拍子そろったドンちゃん騒ぎの結婚式でした。アペタイザーといって出てくる料理がすでにとても豪華だったのですが、そのあと ビュッフェがオープンして食べ放題、というなんとも豪華な結婚式。さらにお酒も飲み放題ということで、みんなかなり飲んでいました。でもインドの文化で、 飲むのは基本的に男性。女性は人前では飲まないというのが礼儀だそうです。なので女性は皆友達の男の子にお酒を頼んで飲んでいました。国や宗教が違うと文 化も違うんだなぁ、と再確認です。

旅の終わりには、ウィスラーにスキーに行きました。多くの友達が暖かい海を求めてフロリダやカリフォ ルニアに行く中、わざわざ北へ来た私の目的はスキー!!スキー大好きっこの私は、とにかくこのスキーを楽しみにしていました。山の下のほうは雨だったので すが、上のほうは雪で、景色はいまいちでしたがスキーをするコンディションとしては新雪だったので最高のコンディションでした。Vermont出身の友達 とひたすら滑りまくり、ウィスラーを満喫しました。

この旅を通して、一緒に旅行をしたNavi、Kevin、Dimitrios、 Vilas、GoEunとは本当に仲良くなれました。実は旅の途中にはいろいろと揉め事もあり、私ともGoEunが大泣きするというハプニングもあったの ですが、本心をさらけ出したことで本当に仲良くなれた気がします。

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4.Dance for Darful

以前のレポートでお伝えしたと思うのですが、先学期バレエの授業を一緒にとった友達と一緒に新 しくダンスグループを作り、パフォーマンスを開くためにがんばっています。きっかけとなったのはダルフールでのジェノサイド。そのためのファンドレイジン グとして何かできないか、ということで、私たちがダンスパフォーマンスをして、そのチケット代をダルフールに寄付しようということで始まりました。

一緒のグループにいるのは私以外全員アメリカ人!!!奇跡です(笑)ダンスをやっていたことにこんなに感謝したことはありません。文化は言葉を超えま す!!!このダンスは全て自分たちで振り付けをしたのですが、種類としてはモダンダンス。私はクラシックバレエをずっと続けていたのでモダンはほとんど 踊ったことがないのですが、友達に教えてもらいながら練習しています。パフォーマンスが来週の日曜日に迫っているので、今はなんと5日連続で踊るというか なりハードなスケジュールですが、成功させるために残り一週間、みっちり練習したいと思います。

5.Volleyball

先学期に引き続き、今学期もバレーボールのチームを作って試合をしています。今回は全員女の子のチームです。メンバーはこれもまた私以外ほとんどがアメリ カ人。まさにSorority Girlという雰囲気をかもし出している子が半分くらいいて、最初は声をかけるのもとてもドキドキしていましたが、何回か 練習を重ねるうちにだんだん打ち解けることができました。今のところチームは2連勝!これからも練習と試合を通してもっと仲良くなりたいと思います。

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6.Black Chorus

つい昨日のことですが、今学期最後のBlack Chorusのパフォーマンスを終えました。今回はMom‘s Day Concertということでチ ケットはほぼ完売!一年の中でも一大イベントでした。コンサートの最中、Dr.Davisがスピーチの中で「今学期で卒業するSeniorと Exchange studentのContributionは忘れられない」といってくれた時は本当に感動しました。歌っているとき、卒業する Seniorだけでなく、なんと私にも握手をしてくれました!Dr.Davisの目には涙が浮かんでいて、涙もろい私は感情を抑えることができず思わず ちょっと泣いてしまいました。

一回2時間半、週に2回の夜遅くまでの練習は大変だったし、Blackという未知の世界に飛び込むことはかなりの勇気が必要でしたが、この1年Black  Chorusのメンバーとして練習とパフォーマンスを重ねることで、新しい自分が見つけられた気がします。今回のパフォーマンスには多くの友達が見に来 てくれて、「よかったよー」と言ってくれるのがとても嬉しかったです。西村君は本当に感動してくれたようで、パンフレットをぐちゃぐちゃに曲げてしまうほ ど興奮してくれたみたいです。Black Chorusの一員であることを誇りに思います。

7.授業

今 学期の授業で一番楽しいのはやはりReportingの授業です。Broadcastingのクラスなので、一番大事なのは音!自分でトピックを決めて ニュースの原稿を書く、という宿題がメインで、そのためにインタビューをするのですが、毎回インタビュー前にはものすごく緊張しています。でも、思い切っ てアタックしてみると意外ととてもいいインタビューが取れたりして、なんでもまずはアタックすることが大事だな、と毎回勉強になっています。

今はSmoke-free LawがUrbana-Champaignだけではなくイリノイ州全体で施行されることが決定したことについてのニュースを書 いています。そう、ちょっとしたイリノイ情報ですが、今ここUrbana-Champaignでは、全てのPublic spaceでの喫煙が禁止されて います!バーも例外ではなく、今はどこのバーに行っても禁煙です。

新聞ではなくラジオのための原稿なので、インタビューは全てテープに 録音しなくてはなりません。この間は初めて電話でのインタビューに挑戦しました。電話だと相手の反応もわかりにくいし、ボディーランゲージを使えないとい うことでかなり緊張しましたが、何回か失敗を重ねた後、とてもいいインタビューがとれたときには感動しました。ここで学んでいるのはAcademicな知 識よりむしろ度胸のような気がします。

⑧最後に・・・

イリノイでも生活も残り1ヶ月を切りました。あと1ヶ月しかないですが、でもまだあと1ヶ月あります。JICの皆様の支えがあってこその留学生活、最後まで悔いのない様に毎日思い切り充実した日々を過ごしたいと思います。

2006年度奨学生レポート 特別編「奨学生座談会」

「JIC留学生による座談会」

2006年度奨学生の方から座談会を行ったというお知らせが届きました。これから留学なさる方などは是非参考にしてみてください。

昨 年の12月9日にJIC奨学生4人(佐藤茉莉子、河手賢太郎、西村崇、川島今日子)で集まり座談会を開きました。アメリカへの到着時のエピソードや寮での 生活を中心に話しました。私たちの生活ぶりが少しでも皆様に伝えられれば幸いです。また、今後留学する人たちが役立てくれればと思います。

質問:渡米後最初のご飯はどこで食べましたか?

佐藤:夜ご飯をスキップして寝ちゃったの。夕方についてすぐに買い物に連れていってもらったんだけど。最初の日ですでにコスモ の人の良さに感動したかな。でも夜ご飯食べる元気はなくてそのまま寝ちゃった。

川島・西村:初日から買い物に連れて行ってもらえるなんて、さすがコスモ(笑)

西村:僕 は、みんなよりかなり早くシャンペーンに到着したよね。8月12日の夕方には着いていて、ISRという寮にしばらく滞在していました。最初の夕食は、グ リーンストリート沿いの、Zorbasというお店でギリシャ式のサンドイッチを食べました。最初に食べた時からそのお店は気に入っていて、今でもちょく ちょく通ってます。

河手:ユニオンに泊まろうとしたけれども部屋がいっぱいで、とりあえず途方に暮れました(笑)。
結局深夜0時ころタクシーを使って郊外にあるホテルに行き、45ドルも払って1泊しました。翌日はホテルの近くにあるレストランでご飯を食べました。目玉焼きとベーコンエッグとコーヒーおかわり付き。シンプルなアメリカン・ブレクファストでした。

川島:私はウィラード空港で韓国人のミンさんという女性に話しかけられて、車でキャンパスへ連れてきてもらい、グリーンストリートの韓国料理ドルカスでお喋りしながら食べたのが初めての食事です。

川島:ところで西村君、学部寮には到着した日から入れるの?

西村:ISRと言う寮にはtemoprary housingという制度があって、学期休み中でも予約すると泊まれます。

川島:いつ頃自分の寮に移動できたの?

西村:8月15日のオリエンテーションの日に移動しました。

佐藤:私は部屋を探すのが面倒くさかったから、コスモにしたのも結構あるかも。去年の人が大変だったって言ってたから。しかも私ドームフード食べたくない、太りたくないって思ってたし。

川島:コスモは住みやすそうね。

佐藤:本当にびっくりするくらい古いけどね(笑)

川島:創設約100周年だね。一階の壁に飾ってある写真も相当古い。

佐藤:部屋が広いのはいい。授業でバレエを取ってるから、毎日部屋でストレッチしている。

西村:寮の部屋だとストレッチする程のスペースがないよね・・・

河手:寮だと、ラウンジがあるじゃん。そこでストレッチしなよ。

川島:西村君がラウンジで黙々とストレッチねぇ…(想像してみる)。近づきたくないよね。

佐藤:ひどーい(笑)

河手:ブリッジなんてしていたらさらにひきますね。

佐藤:ところで河手君や西村君も最初コスモに入ろうとしてなかった?

河手:うん、考えていたよ。「昨年度はJIC奨学生4人がなかなか学部寮に入れずにいて、住まい探しに苦労した」って聞いていたからね。

西村:僕も河手君と同じ事を思っていました。ただ、コスモに入ろうか入るまいか躊躇しているうちに、佐藤さんに先んじられてしまって・・・(笑)

川島:私もコスモは良さそうだと思ったけれど、他のオプションも考えて迷っていたな。

西村:ただ、コスモに住むとなると自炊しないといけなかったからね。あんまり料理や食材の買出しに時間をとられたくないと思っていたので、正直僕も迷っていました。

佐藤:私にとっては自炊できるのが一番の理由で、とりあえずアメリカへ来て太りたくないと思ってたから(笑)。自炊できるところで、すごい安くて、しかも部屋が広いって前の年の奨学生の方が言っていたし、ついてすぐテンポラリーハウジングを探すのが嫌だったんだよね。

河手:なるほどね。それに昨年のJIC奨学生の甲田さんが強調していたけど、コスモに住むといろんな国の人と知り合いになれるよね。

佐藤:で もね、最初の頃全然人と出会わなくて・・・15人いるはずだったのに全然で出会わなくて、すごく寂しかったんだよ。基本みんなGradStudentだか ら生活の時間帯が合わなくて、みんな何してるの?どこにいるの?って思ってた。最近はみんなと仲良くなっていっしょにぶらぶらしてるけど。そうそう今は学 部生はミシェルと私の二人だけだよ。

西村:それにしても、3人が躊躇してる間に、佐藤さんにはいっと手を挙げられたから(笑)。僕ら3人はコスモはあきらめざるを得なかったよ。

川島:うん、誰かが手を挙げるかな、と思っていた。

河手:僕は「誰か住みたいだろうなぁ」と思って、結局、いちばん最後に残った選択肢でいいや、と思っていた(笑)

1: コスモとは「コスモポリタン・クラブ」の略で、毎年JIC奨学生から1人はお世話になっているアパートです。世界各国からの留学生と一緒に暮らせ、かつ校舎からも近いという点からJIC留学生から根強い人気を得ています。

佐藤:河手君が今住んでいるFARは最初から希望していたんじゃないの?

河手:FARに決めたのは、もともとJIC奨学生が作成したアドバイス集にFARが紹介されていたから、じゃFARにしようということで決めたんだ。すごくシンプル。結局、住居についてはこだわらなかったなぁ。とにかく住めればいいや、って(笑)。

佐藤:それにしても西村君はすごいよね。いつも下調べをして。

西村:住 む場所は特に大事だと思っていたので。寮に住むことはすぐに決めたんだけど、学部寮にするか院生寮にするかで散々悩みました。ここに来る前は、アメリカの Freshmanに対して、全員がparty好きでとにかくやかましいというように、今から考えれば偏見に満ちたイメージを持っていたので、自分の性格を 考えた時に、そういうところに混じってやっていけるのかどうか、ということが不安だったので。かといって、院生寮だと部屋に閉じこもってしまいそうだとも 思ってもいました。学部寮の中でも、特にLiving Learinig Communityというのは特殊なプログラムがあるということで色々見ていて、過去の奨学生の古川さんという人のレポートを読んでみても、開放的な雰囲 気で一番いいかなと思い、結果的にGlobal Crossroad(以下 “GC”)に決めました。

川島:Living Learinig Communityではどういうことをするの?

西村:ニュー スレターにも書いたけれども、要は文字通り「住みながら学ぶ」ということです。それぞれのコミュニティにはテーマがあって、Global Crossroadは国際交流がテーマです。他には例えば、Six packのGregoryにはLeadsというコミュニティがあって、そこにはリーダーシップを学びたい学生が集まってきます。また、コミュニティの人だ けが受講できる特別なプログラムもあって、例えばGlobal Crossroad(以下、GC)の学生が優先的に受けられる国際関係論入門があったり、あとは寮のSocial Eventが多かったりと、一般的な寮よりも充実した生活が送れていると思いますね。

佐藤:アパートに住んでいる川島さんは、どうしてアパートシェアをしようと思ったの?

川島:寮ではなくアパートを選んだ理由は、自炊がしたかったのと、去年の奨学生が秋学期は希望した寮に入れなかったと聞いて大学寮に対して不安があったから。キャンパスから遠いOrchard Downに住むことになったら、車が無いので困ると思って。

西村:それはやっぱり懸念したよね。去年のJIC奨学生の白水さんの場合は、最初Orchardを割り当てられたらしいし。それはないだろうということで、Illini Towerに変えたらしいので。

川島:一 人の空間も欲しかったから院生寮のSherman Hallも考えたけれど、部屋がとても狭いと聞いていたので躊躇。学部寮に関しては、年の若いFreshmanが多く賑やかでもあり騒々しくもあると聞い て、自分に合うかな?と考えて。アパートシェアは日本ではあまりやらないし、アメリカらしい経験ができると思ってアパートを選択しました。

佐藤:コスモは一人部屋だからいいなー、って思ってたよ。

川島:ア パート探しは、UIUCのStudy Abroad Officeウェブサイトの掲示板を利用したよ。これは部屋を貸したい人と借りたい人が連絡をとるための掲示板。「一年間のルームシェアを探しています」 というメッセージを出し、何人かとe-mailで交渉して決めました。今はグリーンストリートの少し北のアパートを3人でシェアしていて、個人のベッド ルームがあり、キッチン・バス・トイレが共同。大学寮もイベントがあって楽しそうなので、来学期に移ることも考えたけれど、アパートをサブリースする相手 を探すタイミングを逃してしまって。でも、「住めば都」で落ち着いてきたので、この選択も良かったかなと思っています。

佐藤:それにしてもイリノイ大学に来るまでどの寮がいいかとかイメージが全く分からなかったよね。どの寮がどこにあるかとかも、地図を見ても見当が付かないよね。

川島:私 は、ハウジングについて、事前にもう少し詳しい情報を集めるべきだったと思う。例えば各大学寮の特徴や利点、おおまかな地理関係など。工学部の授業は Quadの北、自然科学系ではQuadの東や南、人文系ではQuadの南が多いよね。もちろん必ずしもそうでないこともあるけれど、授業のある建物や自分 がよく利用する建物と住まいが近いと、特に寒い冬は助かる。私は最近CRCEをよく利用するので、目の前にある学部寮のAllen Hallが羨ましい!そういう情報は過去のJIC奨学生に聞けば快く教えてくれるはず。

質問:みなさんは来年住むならどこに住みたいですか?

佐藤:次に住むとしたら、やっぱりコスモだな。インド料理食べたし、タイ人とタイカレーを作ったし、アメリカ人に教えてもらいながら、キャロットケーキを作ったり、インド人と一緒に映画を見たりとか。コーヒーアワー もあるし。

西村:GCの場合は時間帯にもよるけれども、会話をせずにどこかに行くことが不可能というくらい、誰かと顔をあわせるかな。

佐藤:そういうところがいいよね。コスモはみんな自立してるから。喋ろうと思えば喋れるけど。

西村:英 語の練習という点から言うと、瞬発性が鍛えられるのは、GCかな。もしこの一年間を経た後でまた住みたいかと聞かれたら、多少考えるけれども、(英語の運 用能力などが)去年と同じ状態で部屋探しをしろと言われたら、やはりGC になるだろうね。と言うのも、今学期とった社会学のAdvacnced Classでは毎週2,3本の論文を読まなければならなくて、他の授業でももちろん大量の宿題があったから、どちらかといえば部屋に閉じこもる時間が多 かったわけです。でもそういう中でも、誰かと話すちょっとしたきっかけが作れる環境に住んでいたのは、とてもありがたいことだと思ったから。 Sherman Hallの廊下を見たことがあるけれども、気軽に人と交流していくのは少し難しいかなと思ったし。学部寮には食堂もあるから、誰かを誘って食事にいくこと もできるしね。ちなみに、ダイニングホールのご飯はすごくおいしいと思います。ただ、さすがに朝食は飽きてきたけど(笑)。

河手:食堂はバイキング形式なので、「肉料理はあまり食べないようにしよう」とか「野菜中心の献立にしよう」とか自分で決めることができる。つまり自分の体を自分でケアできる。そこがいい!

西村:そうだね。アメリカへ来て思ったことのひとつとしては、こちらではベジタリアンが多いということ。だから、食堂では野菜がしっかり揃っているよね。

河手:寮での食事の利点は、食事を作る手間が省けることと友人と一緒にご飯を食べられることに尽きる。買い物に行かなくてもいいし。時間が節約できれば、その分はアサインメントをこなしたり、ソーシャルライフを楽しめるよね。

佐藤:コスモでは住んでいる人の国籍が違うから、一緒に買い物に行くときはみんな違うものを買ってそれがおもしろい。インド人の棚にはいろんなスパイスがあるんだよ。アフリカ人の人とかも結構ご飯を作っていてびっくりした。ご飯はアジアのものだと思ってたから。

西村:川島さんは来年住むとしたら、どこに住む?

川島:コ スモやGCで住みながら知り合いを増やせるのは魅力的。アパートではネットワークが広がらないので。または仲の良い友達と4・5人でアパートをシェアする のも楽しいと思う。同じアパートの4階に住む友達は、女の子5人で住んでいて、遊びに行ったら賑やかですごく楽しそうだった。

佐藤:私は、グレゴリードライブにあるアパートに1回行ったことがあるんだけど、すごくきれいで、住みたいと思った。だから1年いて、来年も住むんだったら、仲が良い子ときれいなアパートに住みたいな。

川島:こ ちらに住んでいればきれいでリーズナブルなアパートを見つけるのは可能だけど、私のように日本からインターネットに頼ってそれを探すのはとても難しい。実 際に部屋を見ないと様子が分からないから。私のアパートは入居当初は掃除が必要な状態で、日本から持ってきた雑巾が活躍しました。

佐藤:私は甲田さんが残していってくれた掃除道具を使ったよ。でもあとから親に掃除機買ってもらったけど(笑)。来年来る人にコスモポリタンなら薦めるけど空きがあるか分からない。

河手:僕 はFARを薦めるね。FARは共通のロビーをもつ二つ大きなビルで構成されていて、一つの階に約40部屋。一つの部屋に二人は入っているから、一つの階に 80人前後はいる。そして二つの建物にはそれぞれ12フロアあるから、合計でFARだけで約1920人の学生が住んでいる。朝授業へ行くとき、夕方寮に 戻ってくるとき、1階にある食堂に行くときなど、一日のうちで何度も通るロビーでは毎日一人か二人の友人とは顔を合わせるよね。そして知り合いが知り合い を生んでいくから、ロビーに行けば話し相手が必ずいるよね。待ち合わせ場所にもぴったりだし。
他の寮見れば分かるんだけれども、例えばSix Pack。1500人~2000人は住んでいると思うけど、共通のロビーがなくて、2階建てくらいの一つ一つの建物の廊下が直接外に通じているから、FARのようにはいかないだろうね。

佐藤:自炊もすごい楽しいよ。

2: コーヒーアワーとは、コスモで毎週木曜夜に催されるソーシャルイベントのことです。ある国をテーマにその国に関するプレゼンや料理を楽しむことができます。

質問:ルームメイトとの関係は?

河手:人によると思うけれども、僕の場合はルームメイト以上に、同じフロアの友人と一緒に過ごすことが多いよ。

西村:僕 の場合も、(ルームメイトはただの)共同生活者という感じですね。僕のルームメイトはオランダからの交換留学生でEelcoという名前なのだけど、 Outgoingなタイプの人間なので、そもそも一緒にいる時間もないので会話もあまりありません。最近は、特に感謝祭休みが終わってからは、彼女をほぼ 毎日連れてきては一緒に映画を見たりいちゃいちゃしてたので、さすがにこの前に堪忍袋の緒が切れて、散々文句を言いました。まあ、半ば予想していた通り、 彼はI did not know you were frustratedと言ってくれましたが。文化の違いを感じて、いい経験でした(苦笑)。

佐藤:そ うそう、関係ないけどさ笑、あたしブラックコーラスでできた友達とfacebookでけっこうつながってるのね。そしたら一緒に住んでるドイツ人の女の子 から「まりこはすごいね」って言われたの。珍しいのかなぁ、これって。でも確かに、黒人の子とは、ブラックコーラスを取ってなかったら友達にならなかった かもしれない。

西村:僕も黒人の友達はあまりない。

河手:黒人の友人なら授業や課外活動を通して知り合う機会が多いね。意識的に作った方がいいと思うよ。黒人はお互いbrotherhoodとも呼べるような固い紐帯でむすばれているみたいで、一人と友達になればどんどんネットワークが広がっていく。

川島:私は、履修した授業のせいか、比較的黒人の学生と出会う機会が少ないかもしれない。

佐藤:分かんないけど、なんとなくアジア人との方が交流しやすくない?

西村:アジア人かどうかではなくて、要は気が合うかどうか、という気がする。アジア人はアジア人で固まってるけど、黒人は黒人で固まっている。一人と友達になれば広がっていく気がする。

佐藤 真莉子さんの2007年1月奨学生レポート

2007年1月の奨学生レポート第3弾は佐藤 真莉子さんです。佐藤さんはカリフォルニアに行ったり、イスタンブールで短期留学したりと、パワフルに留学期間を楽しんでいるようです。みなさんはもう世 界に勉強しに行っているのだなあと、つくづくJICの奨学生の行動範囲が広くなっているのに感心しました。では佐藤さんのレポーをお楽しみください。

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JICの皆様、ご無沙汰しております。お元気でお過ごしでしょうか?
私は前回のレポートから今回のレポートの間、かなり風邪に悩まされましたが、そんななかでも一日も無駄にはできない!ということで、アクティブにすごしていました。
今回はサンクスギビング後から冬休み、そして新学期の授業についてレポートしたいと思います。

① 怒涛の2週間~誕生日

サンクスギビングの旅行から帰ってきてからの2週間は、ひたすらレポートとテストに追われていました。実は私はファイナル期間中に一つもファイナルが無 く、すべてレポートとin class examだったので、人より一週間早くテストから解放されるというラッキーな状況だったのですが、そのぶんその2週間は寝る間もなく机に向かっていまし た。サンクスギビング中に風邪をひいたため、ファイナル期間中には咳と格闘しながらレポートを仕上げる羽目になりましたが、たった2週間!!と言い聞かせ ながらがんばりました。

いざ全ての課題が終わると、ものすごい達成感でした。勉強した、という達成感を味わったのは大学1年生の学年末 試験以来のような気がします。それからの一週間は、ひたすら友達とランチ、ディナーの連続でした。ここではランチ、カフェ、ディナー、バー以外にすること がないので、友達、特にこのセメスターが終わったら帰ってしまうInternational Studentの友達と毎日外へ出かけていました。課題が終 わって最初の2日間くらいはゆっくりできることに浸っていましたが、3日目からはすることがなくてつまらない・・・と感じるようになりました。友達とのお しゃべりの時間が一番の楽しみでした。

そしてついについに、21歳の誕生日を迎えることができました!誕生日は12月16日、 Finalの最終日だったので、ほとんどの友達は皆Finalを終えており、15日の夜からパーティーでした。とても仲のよかったポルトガル人の友達が 16日に帰ってしまうということで、15日の夜にほとんどのInternational StudentがBrothersに集まり、一緒に過ごせるシャ ンペーン最後の夜を楽しみました。私はDanielsで友達とDVDを見てからBrothersに乗り込んだので、入ったときには12時を回っており、 Technically21歳でした。すると、Cover chargeをとっていた入り口のお兄さんが「Happy Birthday!」といってリス トバンドを巻いてくれて、しかもカバーを払わずに入れてくれました!わーい!!思い出の初リストバンドとなりました。

誕生日当日は、 Cosmoに住んでいるYoung Jaeが私の誕生日のために韓国料理を作ってくれました!Cosmoに住んでいるみんなと、私の友達を呼んで、 Cosmoでささやかな誕生日ディナーを楽しみ、最後にはSharylが焼いてくれたケーキのろうそくを吹き消して願い事をしました☆そのあとは Downtown Champaignへと繰り出し、初めて手にスタンプを押してもらいました。日本にいたら21歳になる、というと「あ~年を取っ た・・・」とネガティブになりそうですが、ラッキーなことにアメリカにいるので、21歳になれたことを本当に嬉しく思います。日本では20歳の誕生日を盛 大に祝いますが、アメリカではそれが21歳。20歳と21歳の誕生日、2回も盛大に誕生日を祝えたこと、そして一緒に祝ってくれる友達がいたことに感謝で す☆

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② カリフォルニア旅行

誕生日の次の日からクリスマスまでのあいだ、ここでの一番の仲良しだったオーストラリアからの留学生BeiNa と二人で、ロサンゼルスとサンフランシスコを旅行しました。ロサンゼルスでは慶應からUCLAに留学している友達にも再会し、その友達のライドのおかげで かなりLAを楽しむことができました。というより、その友達がいなかったらロスでの楽しみが半減していたと思います。ロサンゼルスはイリノイ以上に車がな いと移動が不便です。

ロスの初日はディズニーランド。入り口の目の前のホテルに泊まっていたので、ランドまで徒歩2分という最高のロ ケーションでした。日本を出発する前に行った以来、半年振りのディズニーランドはとても楽しくて、なんと朝の10時から夜中の12時まで、10時間以上 パークの中にいました!ここには小学校4年生のときにきたことがあったのですが、その時のお気に入りの乗り物だったボブスレーがいまだ健在で、なんとなく 嬉しかったです。

2日目は友達のドライブでロスを横断しました。サンタモニカで久々の海に触れ、UCLAのキャンパスを訪れてキャンパ ス内に坂と階段があることに感動し、ビバリーヒルズを通り抜けてロデオドライブでウィンドーショッピング(とてもとても買える値段ではありません!!)、 そして最後はハリウッド、というロサンゼルス満喫の一日でした。しかし、ハリウッド自体はあまり治安が良いわけではなく、夜に女の子二人で歩くのは少し怖 かったです。

ロスに比べ、サンフランシスコは治安もよく交通の便もよくて、町並みもとても素敵でした。ものすごい坂道が急で、少し歩く だけでも意気がきれました。サンフランシスコではバスやトロリー、電車を駆使していわゆる観光地をめぐり、毎日最後にはショッピングをする、という女の子 二人旅としては最高の楽しみを味わいました。

ゴールデンゲートブリッジは想像以上に大きく、荘厳でした。青い空に朱色の橋というコント ラストが目に焼きついています。そして一番思い出に残っているのがアルカトラズ島の刑務所ツアー。アルカトラズは脱獄不可能といわれた刑務所として使われ ていた島で、Pier41からわずか30分ほどのクルーズ。刑務所の外から見るサンフランシスコの町並みは絶景で、あの夜景を見ることができるのに街まで 行くことができないことがわかっている囚人たちの気持ちを考えると、ものすごい絶望感だろうな、というのが容易に想像できました。

BeiNaにとってアメリカ最後の夜は、私たち二人にとって一緒に過ごす最後の日でもありました。8月のInternational Illiniのイベ ントで知り合ってからどんどん仲良くなり、ほぼ毎週金曜日のお昼に一緒にランチをし、アメリカについての悪口や恋バナで盛り上がったのがいい思い出です。 こうしてみると、4ヶ月はあっと言う間だったなぁ、と感じます。別れの朝には電車の改札口で二人で大泣きし、それぞれの道へと別れていきました。こんなに 別れるのが悲しいと思える友達ができたことを嬉しく思います。

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③ クリスマス

せっかくアメリカにいるからにはアメリカのクリスマスが体験したい!という話をアメリカ人の友達としていたら、なんとその 友達がクリスマスに家においで、といってくれたので、お邪魔することにしました。CoryとはInternational Reportingのクラスで 知り合い、日本語を勉強しているということで一気に仲良くなりました。アメリカでのクリスマスは日本におけるお正月のような行事で、家族みんなが家に集ま り、のんびりする、というものです。

そしてクリスマスの朝はなんと7時半起床!!みんなで早起きしてクリスマスツリーの下にあるプレゼン トをあけます。年の若い順に開けていくので、私は4番目!なんとCoryの家族は私のためにも大量のプレゼントを用意していてくれたのです!!シカゴの Snow Dorm、シカゴの観光ガイド日本語版、Illinoisパーカー、本、チョコレートなどなど、本当にいろいろいただきました!!これからクリ スマスは毎年アメリカにいなくちゃ、と思うくらいです。実はCoryはGlobal Crossroadで西村君と同じ寮のフロアメイト。Coryの家に は西村君と一緒に滞在させていただきました。世界は狭いです!!

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④ トルコへの短期留学

クリスマスの次の日から3週間は、イスタンブールへ短期留学をしました。冬休みだけのUIUCのプログラムで、トルコの歴史からEU加入問題についてまでを勉強する、というものでした。

実はプログラム自体はよく構成されていなくて、何度も道に迷ったり、いざ大学についてみると私たちのための教室が用意されていなかったのでカフェテリアで 勉強することになったり・・・と様々なハプニングが起こりましたが、トルコの文化とアメリカの文化を一度に体験できる、という私にとっては最高の環境でし た。トルコでは携帯電話はもちろん、インターネットも思うように使えず、使えるのは国際電話のみ。周りにはアメリカ人の学生とトルコ人しかおらず、日本語 を話せる人はいません。こんなに日本語を話さず英語だけを話す環境にいたのは初めてだったので、とてもいい勉強になりました。

トルコは 今までに見たことのない景色が広がっていました。なぜなら私にとってイスラム教の国を訪れるのは初めてだったので、町中にモスクがある、という光景が不思 議でした。外から見るモスクもとてもきれいでしたが、一歩中に入ると神聖な空気がピーンと張り詰めていて、祈りの場であることを感じました。中にはステン ドグラスやシャンデリアがあり洋風な面もありながら、アラビア語のカリグラフィーなども一緒に存在していて、独特の雰囲気をかもし出していました。ハギア ソフィアはかつてキリスト教の教会として使われており、その後イスラム教のモスクとして使われ、現在は博物館になっている建物です。そこは全てがミックス されていて、時代の流れを感じました。

トルコ料理はとてもおいしかったです。町中どこにいってもケバブだらけ!実はかなり脂っこい料理 もあるのですが、久々に新鮮な魚介類にありつけたり、ロカンタでは様々な種類の料理を手ごろな値段で食べられたり、スイーツの専門店で甘いもの三昧を楽し んだり・・・と、トルコ料理を満喫しました。私は両親が料理屋を営んでおり、両親はその土地の食べ物にとても興味があります。小さい頃から旅行をするたび に両親はその土地ならではの料理を食べ、スーパーマーケットを訪れていました。その影響か私もローカルな食べ物にとても興味があるようで、私のカメラには 気づいたら料理の写真がいっぱい入っていました。食べ物はその国の文化や風習をとてもよく表しているので、とても面白いです。

New  YearはTaxim SquareというNYのTimes Squareのようなところにみんなで出かけました。なんと歩いている途中、ほとんどの女の 子が痴漢にあうというハプニングがあり、みんなトルコ人男性に対してCrap!を連発していました。トルコ文化を学んだ瞬間です。しかし実はトルコと日本 はとても友好的な関係を気づいており、トルコ人は日本人が大好きです。観光地に行くと、ほとんどの商売人が日本語を話せます。英語がほとんど通じない中、 これだけ日本語が通じることに驚き、感動しました。

実は一緒に留学した仲間はまさに「アメリカ人」で、彼らは英語が通じないことに関して フラストレーションを感じているようでした。なんで英語が通じないのか、なぜレストランに英語のメニューがないのか、なぜレストランにフレンチフライがな いのか、怒っている彼らを見て、あぁ、これがアメリカ人は傲慢だといわれる所以なのかな、と感じました。でも彼らとは本当に楽しい時間を過ごすことがで き、シャンペーンに戻ってきてからも2週間に一回くらいのペースで一緒にご飯を食べています。こんなに集中して「アメリカ人」の友達と一緒に生活し、勉強 し、遊んだことはなかったので、とてもいい経験になりました。

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⑤ 新学期

今学期は先学期よりひとつ授業を減らし、4つの授業と2つのお楽しみ授業という形にしました。ジャーナリズムのクラスに関し てはPre-requisitsが多く、専門的な授業はほとんど取ることができません。コンピューターサイエンスなどは日本で勉強した、といえばけっこう 簡単に400番台のクラスを履修することができるようなのですが、ジャーナリズムに関してはここのプログラムにそっていないと履修できない授業が多いの で、来年以降ジャーナリズムを学びたいと思っている方がいたら要注意です。結局一番取りたかったTelevision Journalismのクラスは取 ることができませんでした。さらにReportingという授業もジャーナリズムメジャーの生徒が優先されるので、留学生の私たちはひたすら誰かがドロッ プするまで待つしかありません。私は毎日のようにオフィスに通い、何度もNoといわれ続けましたが、やっとの思いでその授業を履修することができました。 その授業が取れなかったら今学期何をしよう、と全くモチベーションがあがらなかったのですが、そんなときに頼りになったのも友達です。何度も友達に励まし てもらったので、その授業が履修できたときには何人もの友達に報告しなくてはならないという嬉しいハプニングに見舞われました。

今学期 はJOUR400 Reporting1、JOUR480 Investigative Reporting、COMM320 Popular  Culture、SPCM101 Public Speaking、それにBlack ChorusとBalletIIIを履修しました。

こちらのジャーナリズムの授業は日本の授業に比べてより実践的なので、今からわくわくしています。今学期もとことん勉強し、とことん遊び、残りの留学生活を充実させたいと思います。

佐藤真莉子さんの2006年11月奨学生レポート

佐藤さんから今年度奨学生の11月分レポート第1弾が届きました!多種なアクティビティや有意義な授業、ホームステイなどいろんなことに挑戦している佐藤さんの奮闘記をご覧ください!

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JICの皆様、お久しぶりです。

今年の8月からJICの奨学生としてイリノイ大学で勉強させていただいております、佐藤真莉子です(編集部注:こちらの→ブログもあわせてご覧ください)。

期待と不安でドキドキしながら成田で飛行機に乗ってからもう3ヶ月が経つのかと思うと、時間が過ぎることの早さに驚いています。今回のレポートでは、シャンペーンでの生活や授業について、そしてこちらに来てから考えたことや思ったことなどを中心にお伝えしたいと思います。

期待と不安でドキドキしながら成田で飛行機に乗ってからもう3ヶ月が経つのかと思うと、時間が過ぎることの早さに驚いています。今回のレポートでは、シャンペーンでの生活や授業について、そしてこちらに来てから考えたことや思ったことなどを中心にお伝えしたいと思います。

①シャンペーンでの生活について

私 がシャンペーンに到着したのは8月15日、ぎりぎりまで東京でインターンシップをしていたので、4人の中で私が最後に日本を離れました。実は日本にいる間 に、先に到着していた西村君から「意外と寒いので長袖を持ってきたほうがいいよ」というメーリスが流れてきました。実際に日中は日差しも強く暑いのです が、夜になると急に涼しくなったのを覚えています。出発する前日に荷物を入れ替えて大正解でした。

いざ到着してみると、荷物がひとつ届い ていない、というアクシデントに見舞われました。この時期、多くの学生が大量に荷物を持ってくるので、シャンペーンに飛んでくる小さい飛行機には乗り切ら ないということがよくあるのだそうです。不安に不安がかさなりましたが、いざ私の住みかとなるCosmopolitan Clubに到着すると、すぐにコスモに住むアメリカ人のSharylが食料品の買い物に連れて行ってくれました。その日は眠さに勝てず食事をせずに寝てし まったのですが、彼女は夜中に届いた私の荷物を部屋まで届けてくれたり、着いて早々コスモに住む人の温かさを感じました。幸いなことに、その日はぐっすり 眠れたので、時差ボケは全くありませんでした!

着いてから2週間は怒涛のように過ぎていきました。銀行を開く、履修登録、生活用品の買い 物などなど、やらなければいけないことに追われていました。そんな中でも、International Studentのためのイベントやパーティーなどにはできる限り参加していたため、着いて間もなくものすごい数の人と出会いました。今でもそのときに出 会った友達と仲良くしています。こちらの人はすぐに電話を使うので、携帯電話をプリペイドではなく1年契約にすればよかった!と今更ながら後悔するほどよ く使っています。私は現在Facebookやメッセンジャー、携帯電話など様々な連絡手段を使って友達と連絡を取り合っていますが、これらがなかったらど れだけ生活が違うんだろう?と考えてしまいます。何はともあれ、友達が食事や映画に誘ってくれることはかなり嬉しいことです☆

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②両親の訪問とシカゴ旅行

こちらに来てちょうど一ヶ月経ったときに両親がここシャンペーンを訪ねてきました。両親の滞在中は、かなりの時間を買い物に費やしました。ベッドのマットやプリンターなどを買ってもらい、両親のおかげでかなり生活が豊かになりました。感謝です。

実 はコスモでは毎週日曜日の夜、コスモの誰かがコスモの住人のためにディナーを作る、という習慣があります。・・・というか、今年からできたそうです(笑) 両親の訪れるちょうど一週間前、「新しくコスモに住む人は順番にその国の料理を作って振舞うんだよ!今週はMichelleがメキシコ料理を作るから、来 週はまりこの番だよ!」と突然言われました。本当に偶然だったのですが、私の番は両親の訪問と重なっていたため、日本で料理屋を営む両親と一緒にすきや き、天ぷら、煮物などを作りました。サインアップすれば誰でも参加できるということで、当日は私がいろんな人を誘ったこともあり、まるでCoffee Hourのような賑わいぶりでした。川島さんや他の日本からの留学生にも手伝ってもらったので、来年に控えているCoffee Hourはバッチリだと思います☆

実は両親がこの時期の訪問を決めた理由は、シカゴでの野球の試合のカードがホワイトソックスvsマリ ナーズだった、ということです。井口、城島、イチローという日本人3選手が一度に見られてしまうのです!こんなチャンスはめったにない、ということで、両 親とは別に、急遽川島さんと一緒に週末のシカゴ旅行をしました。シカゴピザ、チャイナタウンでの夕食、美術館めぐり、ミシガンアベニューでの買い物・・・ と、大満足の旅でした☆

③授業について

今 学期、私はIntroduction to Journalism,Introduction to the Media,Introductionto  Advertising, International Reporting,International Communicationという授業を履 修しています。

International Reportingは元シカゴトリビューン紙の記者をしていた学部長の授業です。彼は日本で 長い間働いていたので、かなり日本語が上手な上に、日本についてとても詳しく知っています。日本のこととなるといつも私に話題を振ってくれるのですが、た まに私よりも日本に詳しいことがあるので、あぁ、もっと日本について勉強しておくべきだった、とひしひしと感じています。このクラスに限らず、授業中に 「日本では・・・」と発言するときは、私が日本の代表です!外国で生活するということ、外国の文化を学ぶということは、同時に自国の文化、政治、経済など 日本という国について学ぶことだな、と感じます。日本について発言するときはかなり責任を感じますし、自分が日本人であるということを再確認します。

ジャー ナリズムのクラスでは、毎週のようにレポートの提出があるので、いつも何かしらの期限に追われています。友達に誘われたときにう~ん、と悩んでいると、 「またペーパー?まりこはいつもペーパーに追われてるよね」と笑われるほどです。でもこのペーパー、日本と大きく違うのは、誰かにインタビューする、とい う要素が必ず含まれていることです。しかも、友達ではない人にインタビューすることが原則となっていて、さらにインタビューした人の名前と連絡先が必須な ので、かなり大変です。インタビューの練習で、授業中に「今から外に出て2人にインタビューして、今回の選挙についての記事を書きなさい」という課題が出 たときは頭が真っ白になりました。でもとにかくやらなきゃ!ということで知らない人に声をかけ、インタビューさせてもらい、なんとか記事が書き終わったと きには安堵感と達成感でいっぱいでした。日本では決してこんな刺激的な授業は受けられないな、と思います。こちらに来てから何が一番延びたか、と言われた ら、「英語力」ではなく「度胸」と答えます。☆

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アカデミックな授業はこの5つですが、実は私は今学期Classic BalletとBlack Chorusを履修しています。

バレエ は日本でも10年以上続けていたので、こちらでも続けたいな、と思っていたところ、たまたま取れるクラスがあったので履修しました。そしてBlack Chorusは、もしかしたら今学期履修している中で一番楽しいクラスかもしれません。今年は指揮者であるDr.Davisの教師生活25周年の Silver Anniversaryということで、例年にも増してコンサートが多いようです。2時間半の練習が週に2回、体力的にきついときもあります が、いざ歌い始めると楽しくて時間を忘れてしまいます。最初Black Chorusというのが何を意味するのかよくわからなかったのですが、授業に行っ て「あ~、こういうことだったのか」とわかりました。履修している生徒の大半がBlack,つまりAfrican Americanだったのです。実は最初に教室に入ったときはビックリしたのですが、授業が始まってみると、まるで映画「天使にラブソングを」の中に迷い 込んだかのような錯覚に陥りました。彼らの声量に鳥肌が立ちました。最初は打ち解けられるか不安でしたが、みんなとても優しくて、すっかり打ち解けられた 気がします☆

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この授業を履修したことで、日本では全く考えたことのなかった人種問題について考えるようになりました。日本にいたときは周りにいるのはほとんどが日本人 というのが当たり前だったので、人種問題について真剣に考えたことがありませんでした。しかし、ここアメリカでは未だに差別が残っていることを強く感じる 瞬間も多くあり、Black Chorusを履修している私としては見過ごせない問題です。ひとつの授業がきっかけでこれだけ深く人種問題について考えら れるこの環境は、やはりこの留学なしにはできなかったことだと思い、私に留学という機会を与えてくださったJICの皆様に感謝しています。

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④アクティビティ

授業とはいえどもBlack Chorusとバレエは一種のアクティビティ、それに加え、シャーマンホールのバレーボー ルチームに入れてもらってバレーボールの練習をしていました。残念ながらトーナメントの2回戦で敗れてしまったのですが、シャーマンに住んでいないのに仲 間に入れてくれたチームメイトに感謝です。ほとんどがInternational Studentというおもしろいチームでした。

そして バレエのクラスの友達が、新しくカンパニーを作るからメンバーにならないか、と声をかけてくれたので、来学期にステージを踏むために週に一回集まって話し 合いをしています。まさか明らかにアメリカ人ではない私に声をかけてくれるとは思っていなかったのでびっくりしました。バレエに限らず、やはり「アメリカ 人」と友達になるのは難しい、と感じていたので、クラスメイトに誘ってもらえたことはとても嬉しかったです。ちょっと大げさですが「文化は国境を越え る!」と感じました。

授業の都合上あまりできていないのが現実ですが、WILL-TVというローカルテレビ局でボランティアもしていま す。司会者の読むプロンプターという機械を操作したり、タイトルロールを出すのを手伝ったり、カメラを操作したりと、かなり番組に関わらせてもらっていま す。将来報道記者になりたい、という夢を持っている私にとって最適の環境です。私は以前東京のテレビ局でアルバイトとインターンシップをしていましたが、 そこはとても大きな規模だったので学生が携われる部分はほんの少しでしたが、ここはかなり小規模なので、そのぶん学生でもかなりの域まで番組に関わること ができるのが魅力です。来学期はもう少しWILL-TVでのボランティアができたらな、と思っています。

基本的に平日は授業と課題が中心 ですが、火曜日の夜はバレーボールの試合、水曜日の夜は近くの教会で歌の練習→友達の家を訪れる、木曜日のお昼は友達とランチ→日本館でお茶をたてるボラ ンティア、夜はCoffee Hour→Murphy’sのThursty Thursday、金曜日のお昼は友達とランチ、週末は友達と過ごすという生 活を送っています。

実はシャンペーンにきてから一ヶ月たったころ、時間ができたときに声をかけられる友達が日本人しかいないのではないか と思い、さらに予想以上に日本人が多く、思った以上に日本語を話していることにかなり欝になりました。週末も部屋や図書館で課題に取り組むこともしばしば ありました。コスモに住んでいる人はほとんどが大学院生で生活時間が異なるため15人一緒に住んでいるわりにあまり顔を合わせたり話したりする機会が少な いこと、ルームメイトがいないことなども寂しさが増す原因だったのかもしれません。しかし、ちょうどそのころHomecoming Football  Gameがあり、思い切って最初の頃に友達になったInternational Studentの子たちに声をかけてみました。すると返事は 100%YES!日本ではあれだけアクティブに過ごしていた私なのに、なぜこっちではそれをしなかったんだろう?と今考えると不思議です。きっと最初は生 活に慣れること、そして授業についていくことに精一杯で頑張り過ぎていたんだと思います。それ以降、かなり積極的にいろいろなことに参加するようになり、 どんどん友達の輪も広がりました。今では日本にいる頃と同様、毎日のように誰かと会う、という生活をです。やはり私はいろんな人と会い、関わり、語り合う のが好きなんだな、と再確認しました。

そしてもうひとつわかったことがあります。それは私は都会が好きということです(笑)シャンペーン で生活していた頃には気づきませでしたが、一度シカゴに行ったら、なぜか東京がものすごく恋しくなり、軽くホームシックにかかりました(笑)シャンペーン ではひたすら勉強と友達と語ることに没頭し、休みには旅をしたいと思います。

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⑤サンクスギビング

9日間にわたるサンクスギビングは、シカゴ、ワシントンDC、ボストン、プロビデンスにいる友達を訪れる旅をしまし た。同じバレエのクラスをとっている友達が、サンクスギビングに彼女の家に来ないかと誘ってくれたので、彼女の運転でシカゴ郊外にある彼女の家へ。なんと 私はゲストルームに泊めてもらいました。彼女の家はとても立派で大きくて、このままそこに住みたい、と思うほどでした。電車でシカゴに行ってミシガンアベ ニューの点灯式とパレードを見たり、家でDVDを見たりゲームをしたり、アメリカでの家族の生活を垣間見ることができました。快適なベッドに別れを告げた あとはワシントンDCへ。同じ大学から交換留学でジョージタウンに来ている友達のところを訪ね、ちょうど三田祭の休みを利用して日本からやってきた同じ大 学に通う友達と合流しました!久々の友達との再会はとても楽しくて、DC観光はもちろん、夜は毎日熱く語り合いました。

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そして最後の目的地、ボストンへ。DCからはアムトラックで移動しました。かなり快適でオススメです☆私が大学1年生の春休みに1ヶ月間ボストンに短期留 学していたときのホームステイメイトが現在ロードアイランドにあるプロビデンスの大学に通っているので、彼女の家に泊めてもらいました。この旅、なんと宿 代0円なんです!!すべて友達のところに泊めてもらうという快挙を成し遂げました!やはり友達ってすばらしいです。私の夢は、世界各国に一人ずつ友達を持 つこと!無茶なように思えますが、これが成し遂げられたら本当にコスモポリタンな人間になれるような気がします☆そして電車でボストンまで出て、 Black Fridayと呼ばれるサンクスギビングセールへ!シャンペーンで冬を生き延びるために手袋、コート、ブーツを購入しました。お買い物のあと は、かつてのホストマザーの家にお邪魔しました。一日遅れのサンクスギビングディナーを頂き、1年半ぶりの再会を楽しみました☆1年半前、彼女の家を離れ るときは二度と会えないかも知れない、と思って大号泣でしたが、今回は笑顔で別れました。もう一度会いたい、と思っていれば必ず会える、と実証できたから です!ホームステイメイトと別れるときも、絶対にアメリカで、そして日本で、韓国で再会しようね!と約束しました。次に会えるのが楽しみで仕方ありませ ん。

以上、シャンペーンについてから約3ヶ月をまとめてみましたが、とてつもなく長くなってしまいました。まだまだ書ききれないことはいっぱいありますが、自分の頭
中に蓄積して思い出を持ち帰りたいと思います。

気づけば今学期は残り2週間、1セメスターで帰ってしまう友達との別れが待っています。しかし、必ずまた出会えると信じ、今はできるだけたくさんの思い出を作りたいと思います☆

一期一会、これからも充実した生活を送れるようにがんばります!

2006年度奨学生 佐藤真莉子さんの自己紹介

2006-02-satomari.jpg慶應義塾大学法学部法律学科2年の佐藤真莉子です。

現在、大学では法律学を学んでいますが、私は将来報道記者になりたいという夢があり、 イリノイ大学ではジャーナリズムを中心に学びたいと思っています。私が一年間の留学を決めた理由は三つあり、それは今、必ず今回の留学で達成したい私の目 標となっています。一つはジャーナリズムについて本格的に学ぶこと、二つ目は英語を手段として使えるくらいに習得すること、三つ目は様々な経験を通して友 人を作り、人として成長することです。一年間は、長いようですがきっとあっという間に過ぎてしまうと思います。今は「留学をする」ということだけでは珍し くないことなので、いかに自分らしい、充実した留学生活をするかがポイントになってくると思います。一年後、一回りも二回りも成長した自分に出会えるよう 頑張りたいと思います。先輩方には様々な形で助けていただくと思いますが、どうぞ宜しくお願いします。