2005年8月からイリノイ大学に留学していた中根さんのアメリカでの生活を総括するレポートが届きました。
JICの皆様、ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか。私は5月の半ばに帰国し、あっという間に1ヶ月以上が経ちました。帰国後、一時期は逆 ホームシックのような状態になりイリノイでの生活が恋しくて仕方がない時期もありましたが、現在は心機一転して就職活動に取り組んでいます。さて、今回は 最後のレポートということでイリノイ大学での最後のイベントである卒業式と1年間の留学生活で考えたこと・得られたことについてお伝えしたいと思います。
<Commencement>
期末の試験やレポートに追われるなか、私が一番の楽しみにしていたのが日本の卒業式にあたる Commencementでした。寮などで仲の良い友達の多くがこの5月に卒業したのでその晴れ舞台に出席できることが嬉しかったことと、それに加えて Black Chorusに所属していた関係でコーラスの一部として少しでも卒業式を作り出すことに参加できることにとてもわくわくしていたのを覚えています。
JICの会員の方々はご存知だと思いますが、アメリカの大学の卒業式はとても盛大なイベントです。そのため、家族全員が卒業式のためにキャンパスに集まる 光景があちらこちらで見られました。私の友人も両親や兄弟だけでなく、祖父母や甥・姪までがお祝いに駆けつけていて、留学の初めから感じていたアメリカ人 の家族の絆の強さを改めて感じました。
卒業式自体では、コーラスでアメリカ国家やイリノイ州の歌(これは未だに歌うことができます!)を歌い、 残りは観客としてゲストスピーカーや総長の話を聞いていました。どのスピーチでも4年間の勉強をやり遂げたことを称える内容が多く、よく言われる「アメリ カの大学は入るより出るほうが難しい」という言葉を実感しました。それと同時に、それらのスピーチで卒業生に向けて語られた将来に対するアドバイスの言葉 は、その日がイリノイ大学での最後の日である私にとっても心に残るものがおおく、なかでも卒業式で名誉博士号を授与された、Siebel Systemsという会社のCEOであり、イリノイ大学の同窓生でもあるThomas.M.Siebel氏の〝Make it look easy, smile a lot〟というフレーズは、これから窮地に立たされたときでもポジティブな思考を忘れないように、という意味で心にとどめておきたい一言です。
寮にいることができる最終期限が卒業式の日だったので、式の直後にシャンペーンを発つことになりました。特に親しい友人は皆、卒業式に出席するために最後 までキャンパスに残っていたので、大勢の家族のような友達と一度に別れることになり涙がいくらあっても足りないのではないかと思いました。しかし、そのと きの〝Keep in touch〟の言葉通り、帰ってきてからもインターネットを通して頻繁に連絡をとり、住んでいるところはまったく違ってもお互いに励ましあえるのはとても 素敵なことだと思います。
シャンペーンからはシカゴ近郊の実家に帰る友人の車に乗せてもらったのですが、高速道路を走っている最中に雨上がりの 空に虹が掛かっているのを発見して、車にもう一人のっていたドイツからの留学生と3人でその虹を見ながら「UIUCでの生活の良いエンディングだね」と話 していたことがとても印象的です。
<人種>
私が留学中にいろいろと考えたことの1つに人種があります。恥ずかしい話なのですが、留学前の私にはアジア系以外の人に対する苦手意識 がありました。というのは、それまでの数少ない海外経験(語学研修や一人旅)などでアジア出身の人とはすぐに仲良くなることができるのに、それ以外の人、 特に日本に興味を持っていない人と仲良くなるのに苦労することが多かったからです。
そこで、そのアジア系以外の人に対する苦手意識を克服すると いうことが私の留学の目標の1つでした。そのようなことを目標に掲げて留学生活をスタートさせたのですが、実際に最初のほうは友達も同じアジア系が多かっ たのですが、時間が経ち、お互いにどんな性格で何に興味があるのかが分かってくると何も意識しなくても人種に関係なく仲良くなることができました。
やはり初対面では外見の違いや文化の違いというものは少なからず壁にはなると思いますが、そのときに相手に対して「私はこのような人間です」ということを示すことがバックグラウンドの違う人達とすぐに打ち解けるコツなのかなというように感じました。
一方で、そのようにアジア系だけでなくアメリカ人やヨーロッパ出身の友人が増えるにつれて、彼らにとってある意味でミステリアスな国である日本についての質問をされるようになったこともあり、日本人としての自分を感じる機会が増えていくようになりました。
「第 2次世界大戦のときの空襲や原爆の投下について日本人はアメリカに対して怨みをもっていないのか」といったものから「会席料理の値段はどれくらいなのか」 というものまで色々な質問をされましたが、なかなかその場で答えられることは少なく、外国に出て行くからには日本人として日本について十分な知識や意見を 持っていなければならないということを実感しました。
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1年近く前に初めてイリノイ大学についたときに は、10ヶ月の留学生活に対して期待でいっぱいでしたが、果たしてその留学生活が自分に対してどのような影響を与えるものになるのかについては全く見当が つきませんでした。しかし、帰国してからある程度時間が経ち、落ち着いて留学を振り返ってみるとイリノイでの留学生活は私自身の人生に対する姿勢というよ うなものにとても大きな影響を与えるものであるということをつくづく感じます。
留学中は10ヶ月という限られた期間を悔いのないように 過ごそうという意識が強く、とにかく自分のアンテナを高く持って情報を集め、何にでも挑戦してみる習慣がつきました。その習慣は日本に帰国してからも威力 を発揮し、大学で耳の不自由な学生の授業をサポートする活動に参加したり、また現在行っている就職活動に対する姿勢も変わってきたように思います。留学中 に得た積極性のようなものは、これからの人生で色々な目標に向かって進んでいくなかで必ず役に立つものだと思います。
また、留学をした ことで、それまでは気づくことのなかった周囲の人たちの有難さに気づくことができました。「後悔しないように、何でもやってきなさい」と日本を送り出して くれ、留学中もさりげなく電話や手紙で応援してくれた両親。メールなどで励ましてくれた日本の友達。楽しい時間も試験勉強などの苦しい時間も共有して励ま しあった他の3人の奨学生も含めてイリノイでの友達。一人一人の顔を考え出すときりがなくなってしまうほど多くの人に助けられて自分がいるのだということ を感じさせられた1年間でした。
そして、何よりもこの奨学金プログラムで私をイリノイ大学に送り出してくださったJICの会員の皆様に は本当に感謝しています。このプログラムのおかげで、私は日本での専攻であるフランス文学とは全く異なる環境学を集中的に勉強したいという念願をかなえる ことができました。また、留学前からいろいろとイリノイでの生活についてのお話を伺っていたので大きな不安もなく留学生活をスタートすることができ、留学 中も安心してイリノイでの生活を満喫することができたのはJICの方々のサポートがあってこそのものだったと留学を終えて思います。そして、このプログラ ムに参加したことによって色々な分野で活躍している会員の方のお話を伺う機会に恵まれることにも感謝したいと思います。
留学生活を通して大学卒 業後の進路についても考え、私は学生という身分から一度離れて実社会で自分を鍛える道を選ぶことにしました。ただ、いつか国際機関で環境政策にかかわる仕 事をしたいという初心は忘れずに、将来自分の希望する分野で活躍することがJICの皆様への恩返しにもなると考えて、これからも精進していきたいと思いま す。
本当に1年間、ありがとうございました!!これからはJICの活動に参加し、今年度以降の奨学生のサポートなどもしていけたらと思うので、これからも引き続きどうぞよろしくお願い致します。
2006年7月4日
中根 純香
<写真>
① 仲の良かった友達とのお別れ会
② 卒業する友達の1人と
③ 雨上がりのQuad
④ アメリカでの生活を始点と終点であるシカゴの街角