小俣日登美さんの2002年5月分レポート

jicmlメンバ各位,

古市 (’92-94 MS in Computer Science)です.

2001年の秋学期からJIC奨学生としてUIUCへ留学中の小俣 日登美さんからのレポートが届きましたので,皆さんにフォワードします.

短い留学期間中に,奨学生の皆さんは実に多くの貴重な体験をされているというのに驚かされます.小俣さんは引き続き夏学期も継続して履修されるとのこと.更に貴重な体験をされることを期待してます.

以上.

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2002年 5月分レポート
小俣 日登美
東京大学 文学部美術史専攻 4年
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長い長い二学期間の滞在が終わり、ほっとしたのも束の間、夏学期を取ることにした私は、あまりに密度の濃い夏学期の授業に翻弄されて、感慨にふける余裕もないのが本当のところです。八ヶ月間の滞在は、八ヶ月にこれだけの事を経験するのは不可能ではないのか、と今から思い返せば疑ってしまうほどにたくさんのことを経験しました。ほとんどの経験は、恥ずかしかったり、不快だったり、はっきり言って思い出したくないような、不満だらけのことだったりします。でも、ほとんど終わったからいえることだと思いますが、“私は確実に恵まれていた”という事です。私は、自分の環境の価値は、私の周りを取り巻く人の面白さ・人間味・優しさにあると思っています。その点において、私はイリノイで恵まれていたと思います。

私は美術史が専門で、はっきり言って「本の虫」型・数学アレルギーの完璧文系人間なので、エンジニア人間と会計人間が大半を占めるこの大学では、やや居心地の悪い思いをしていました。誰かと知り合って、専門を聞くたびに、みな首をかしげて、なんではるばる日本から美術砂漠のこの大学に来たのかと聞きました。(イリノイ州で二番目に大きい美術館は、なんとイリノイ大学付属の美術館、つまりシカゴのArt Institute位しか、大きい美術館が無い地域なのです。これで、イリノイの美術砂漠度が推して量れます。)美術史の授業に出ても、美術史専門の学生などほとんどいなくて、理系の学生などが、趣味でとっていたりする事が多くて、同じ専攻の友達と言うものは出来ませんでした。でも、逆に、美術を勉強しようという学生が少ないせいか、講義形式の授業でも、教授と生徒の距離はいつも近く、レポートも一字一句、TAでなく先生自ら直したりコメントしてくださったりしてもらえました。何よりも、英語の下手糞な外国人留学生とIndivudual Studyをしようとしてくれる美術史の先生が見つけられたのは、私にとってとても幸運なことでした。Indivudual Studyというのは、院生の学生の方から後で聞いた話では、院生でもなかなかしてもらえるものではなく、もしイリノイが美術天国大学だったら、私のような単なるExchange Studentには機会は与えられなかっただろうと思います。せっかくの個人教授でも、自分の読解力の無さや、表現力の無さや、自分が何が分かっていないのかも分かっていないアホさ加減に、本当に悔しい思いもしました。時には、“チョット、これは英語の先生にする質問でしょう”というような質問までしてしまって、それでも、一つ一つ丁寧に答えてくださる先生の温情に、本当にありがたく感じました。日本で勉強していたときは、質問することが、恥ずかしいことである、というような雰囲気がゼミ内に漂っていたのですが、わたしは、質問天国のアメリカですっかり甘やかされてしまったので、日本に帰ったら大変だと思います。

いい先生と回り逢えた事に加えて、私は生活の面でも、本当にいいルームメートがもてたことは、幸運だったと思います。朝からサルサで起きるLatinaの女の子との共同生活に疲れていた私を、Lincoln Dormで最上級の部屋の一つに、一緒に住まないと声をかけてくれたのが、台湾人のルームメートでした。彼女は、高校生のときにExchangeでアメリカの中西部に来て以来、アメリカで勉強を続けています。私が、イリノイで感じた不満、つらさ、鬱憤、もう一通りすべて経験済みなので、年下の彼女が逆に、私に教えてくれることも多くて、物事を、裏返しに、常にブラックユーモアでコーティングして客観視する彼女から、“アメリカの方法”を多少なりとも学んだ気がします。二人で、勉強の邪魔になるから、テレビは持たない、といっておきながら、私も彼女も相当なおしゃべりなので、深刻なことから、本当にくだらないことまで、夜中の三時まで話してお互い疲れきったこともありました。(次の日は、Hiしか話さなかった。)話は、紅楼夢と源氏物語の比較などという、高尚なものから、纏足した足の手入れの方法などというグロテスクな話、イリノイで食べられもしない中華料理や日本の果物の味について、涎をたらしながら語り合って更に虚しくなったり、冬の間、こもって一番つらかった時も、おしゃべりの“どうでもよさ加減”に大いに救われました。

Dormで共同生活を送っていて知り合った、アジア人の留学生の子達からも教わることがおおかったです。インドネシアの華僑の子、フィリピン人、マレーシアのムスリムの子、マレーシア、シンガポール、台湾、香港からの中国人の子達など、驚くほどに日本の文化について知っていて、ひいては私自身についても興味を持ってくれているのに、逆に自分がアジアの政治、文化について無知なのが恥ずかしかったです。豚革のパンツをはいている子に大して、インドネシアの華僑の子が“いいずぼんね、イスラム教徒に暴行されないで済むわ”という「冗談」で一斉に皆が大笑いした会話の後で、笑えない自分の無知に気づいて、必死で笑いのネタをHPの政治の特集で解決した後、更に笑えなくなってしまったりもしました。ほとんどのアジアからの留学生の子が、大変な思いをしてアメリカにやってきていることが多くて、それを考えると、私は新聞は読まないほうではなかったけれど、なんて平和ボケして甘やかされていたんだろうと、つくづく思いました。

いろいろな人と交流して、感じたのは、ここは本当に個人主義の地だ、という事です。悪く言えば一人一人が自分勝手なのですが、お互いに自分勝手なので、それが普通になっていて、逆に自分がなければ、押しつぶされてしまうのです。ここでは、自分の自信が無くさせられるようなことがたくさんあります。アメリカ人の根拠も無い自信に態度は、最初、理不尽だし、不可解だと思ったのですが、自信を持つこと、自分の目的がはっきりしていること、自分を主張して、更に常に「唯一無二のこのワタシ」をディスプレイしていることは、ここでは美徳である上に、個人主義を貫くために不可欠なものなので、それが出来なくてたじたじしていると、ますます自信をなくして、ちょっとした鬱状態になりがちです。自分のしたいことがあって、臆せずそれに突き進んでいけるならばいいのですが、そこまで自分を一つのことに没頭させる集中力はなかなか持続できるものではなくて、集中力が途切れたときに、これでいいのかな、と思い始めた瞬間に、個人主義ってなんてつらいんだろうと思います。高校時代の国語の時間に、夏目漱石が留学中に鬱で大変だった時の文章などを読んで、ちっともわけが分からなかったのですが、今は、ちっともわけが分からなくは無いと思います。それにしても、夏目漱石ほど頭がよくない凡人なのに、留学中に
かなりブルーになるというのは、不公平なものです。今年来る方々は、永井荷風のように、享楽主義に徹して(これもエネルギーが要るが)ストレスの無い楽しい留学生活を送って欲しいけれど、多分無理かもしれないので、そんなときは私にメールを下さって、愚痴ってくれても結構です。JICの先輩から、初めのころ励ましのメールや、アドバイスを頂いて、本当にありがたかったので、私も同じやり方で貢献できればと思います。

小俣日登美さんの2002年1月分レポート

jicmlメンバ各位,

古市 (’92-94 MS in Computer Science)です.

秋学期からJIC奨学生としてUIUCへ留学中の小俣日登美さんからのレポートが届きましたので,皆さんにフォワードします.

JIC奨学生の4名の方には,留学中に4回 (9月,1月,3月,5月) のレポートを提出していただくようにお願いしてます. 他の3名の方からのレポートも追って届くと思います,お楽しみに.

小俣さんのレポート中に,炊飯器を持っていったのは大正解と書いてありますが,僕も同感です.僕が留学した時には当初炊飯器を持参せず,しばらくは白いごはん無しの生活で我慢していました.でもとうとう約2カ月後には我慢できなくなり,日本製の炊飯器をグリーンストリートのアジア食料品店で購入しました.このように現地で古い年式の家族用サイズの炊飯器を購入することもできますが,これから留学される方には,最新型か使い慣れた炊飯器を日本から持参されることをお勧めします.

以上

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2002年 1月分レポート
小俣 日登美
東京大学 文学部美術史専攻 4年
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ついこの間レポートを出したばかりと思っていたのですが、時が過ぎるのは早いものです。もう次の提出がきました。

ようやく生活には慣れてきたところです、と書きたいところですが、何時まで経っても英語は上達しない気がするし、アメリカの食事には慣れないし、まだ雪が降っていないのは不幸中の幸いです。

冬休みは日本に帰っていましたが、久しぶりの日本は、コンビニで売っているプリンすら美味しくて、テレビの画面がたくさんチカチカする街中で記念撮影したり、サウナにいったり、針うってもらったり、友達とカラオケに行ったり、久しぶりにリフレッシュしました。こうして帰ると、いい意味でも悪い意味でも、日本とアメリカのいろいろなところを比較できて良いものです。アメリカでは、私なんて、チビで華奢で仕方なかったのに、日本ではデブでガタイのいい女になってしまい、人ごみで人に突き飛ばされずに歩けるのはなかなか新鮮でした。そして東京では全ての人が気合を入れてお洒落をして闊歩しているのがめずらしくて(ほとんどの人がスカートとブーツである)、ただそれを観察するために、スターバックスの窓際に1時間座ったりしていました。

こちらに帰って来て2日目。時差は大変つらいですが授業の登録もしています。

今学期は

「フランス語の作文のクラス」

これは将来DELFやDALFの試験を受けるときに役立ちそうです。

「古典中国語」
これは先学期の続きです。クラス内の人とも仲良くなれて顔なじみになった上に、中国語訛りのひどい先生の英語も聞き取りやすくなったのには吃驚しました。一瞬、おっと、先生英語ウマクなったな、と思いましたが、私のリスニング能力が向上したのですね、ありがたいことに。ありがたくないことにテキストは難しくなってきています。でも、垓下の戦いを白文で読んだり出来るのは
楽しみです。

「アメリカの美術史」
Mod’sヘアーの宣伝に出てきそうな、Artisticな髪型の先生が物凄い早口で、アメリカの歴史と絵画運動の関連性についてまくしたてます。現代美術についての授業は生まれてはじめてとるのですが、画面に棒が一本書いてある絵を見せられて、これは第二次大戦の戦禍への絶望を表している、とか説明されて少し絶句してしまいました。

「Individual Study」
先学期お世話になった、中国絵画の先生について、日本に戻ってからの卒論の準備がてら、明末清初の画家、石涛について勉強します。たくさん参考文献を読まなくてはいけない模様なので、今から慄いていますが、大変いい勉強になると思います。

今学期は授業はこれくらいにします。先学期の教訓を生かし、一番早い授業は11時からにしたので、毎日思い切り寝坊できます。12時間で12コマです。

もう既に恋しいのは日本食です。
でも、日本に帰って、調味料を一通りそろえて来たので、規則を破って寮内の部屋で毎日何か作っています。炊飯器を持ってきたのは大正解で、日本の炊飯器と言うのはとても優秀で、大抵のものは料理できることが分かりました。寮の食堂からしっけいしてきたセロリ・葱・人参・ピーマンを炊飯器で煮て、味噌・醤油・味醂・ごま油・ガラスープの素なんかを混ぜると、“紙の様な”野菜もかなり美味しくなるのです。和風ポトフです。お米の上にするめや裂きイカをのせ、醤油、酒をたしてたくとイカメシになるし、肉やお好み焼きも炊飯器で焼けるそうなので、今度試してみるつもりです。

必要な野菜は、ルームメートの彼氏が買ってきてくれる上に、お米の匂いについて、ルームメートが文句を言わないていてくれるのは大変ありがたいです。ルームメートは彼氏と大変仲がよく、彼は常に部屋に来ていますが、お兄さんと妹がいて同じ部屋に住んでいたら、このようなものなのだろうと思います。
日本に帰ると、“う~ん、オマが他人と共同生活しているとはね”と友人に言われましたが、それもどうにかなるものです。お互い家具のようになじんで生活しています。

ここの寒さは私としては、かなり寒い方ですが、今年は雪が全く積もっていないので、例年よりも寒さはひどいとは言えないようです。なぜなら、Tシャツやトレーナーいっちょうでランニングしているアメリカ人もたくさんいるのです。見ているだけで寒くなってしまうので、撫し付けな私は、早く視界から消えて欲しいと思ってしまうのですが、でも、多くの人は私の基準からすると“軽装”です。
そして、私は、こちらの人からすると“重装”です。日本ではティッシュを配っている人しか着ないような、踝くらいまでのダウンのロングコートに、フードまで被ってエスキモーのようにして現れると、“やぁやぁ、ヒトミがパックされて来たよ、”とからかわれますが、台湾出身のルームメートに言わせると、“耳と頭のツムジを隠す事は大変重要”で、私も事実そう思います。こちらの人は軽装でも、帽子をいつも被っています。これから、もっとどんどん寒くなるかもしれないですが、貼るホッカイロを日本から持ってきたのでそれで対処するつもりです。

以上学校がまだ始まったばかりなので、雑多な内容のレポートになってしまいました。
先学期は、初めてだらけだったので、何が起こっても必要の倍以上に驚いたり、怒ったり、悲しんだり、喜んだりしたものですが、今は初めて尽くしの感動も感受性も失せたので、落ち着けて勉強に集中できそうです。やはり、耳にするものの全てが英語、というのは恵まれた環境だと思うので、いられる間は出来る限りの事を学ぼうと思います。

小俣日登美さんの2001年10月分レポート

jicmlメンバ各位,

古市 (’92-94 MS in Computer Science)です.

秋学期からJIC奨学生としてUIUCへ留学中の小俣日登美さんからのレポートが届きましたので,皆さんにフォワードします.小俣さんが取っているESLは授業としてつまらないようですが,私が92年の秋学期に取ったELSは,とても楽しくてためになる授業でした.授業の内容自体より,中米や中近東やアジア各国から来ている留学生と友達になることができた,というのが一番
良かった点だったのかもしれませんが...

これで2001年度の奨学生4名全員からの10月分レポートをお送りしました.
次回のレポートは年明けを予定してます.お楽しみに.

以上

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2001年度10月分レポート
小俣 日登美
東京大学 文学部美術史専攻 4年
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JIC奨学生の小俣です。

奨学生レポートが大幅に遅れてしまって本当に申し訳なく思っております。先週、ミッドタームが終わった後、風邪を引いて熱が出た上に、コンピューターのソフトウェアがおかしくなって、修理するのに一週間かかってしまいました。

レポート、どこから報告してよいのか分からないくらい、3ヶ月たたないうちに色々な事が起こりました。来る前は、英語の勉強を中心に、語学フリークなギークになるつもりでしたが、今は、勉強以外の経験で身をもって学んでいる事の方が多い気がします。犬も歩けば棒に、などと言いますが、毎日いい事・悪い事なにかしら想像していない事が起こります。

突然のテロに、炭疽菌事件。IDカードを無くしたこと。再発行してもらった後、古いのを再発見した事。きて早々に火傷してマッキンリーに行ってわけも分からないうちに注射されて痛かったこと。マウンテンバイクを飛ばしすぎて車にぶつかった事。でも無傷だった事。台湾人の女の子と仲良くなって、彼女に誘われて寮の中でも一番いい部屋に移れた事。コンピュータが故障した事。

きて早々は、日に日に英語力が退化していくような錯覚を覚えながら(そんな事は無いはずなのに)手続きに奔走して、毎朝ベッドから出るたびに、今日は一体どんな事が起こるのだろうと戦戦恐恐としていましたが、今は何でも来いと言う気分ですごしています。どんなに不快な事でも、いい事でも、とにかく初めてのことに毎日出会えると言うのは、新鮮で素晴らしい事です。新しい事に留めが無いので、日々ショックを受けて、感受性がどんどん研ぎ澄まされていくようです。

悶々としていても、自転車でキャンパスを走っていると、木も建物も皆美しくて不快な気分も晴れていくような気がします。遮るものが無くて360度広がっていくような青空を見ると、地平線の存在をひしひしと感じて、私、今大陸にいるんだな、と改めて実感します。アメリカ人の真似をして、クオッドで昼寝することも覚えました。今は少し寒いですが。

ここでは、本当に人間関係に恵まれて、充実した生活を送っています。美術史の教授は、私がクラネート美術館で働けるように取り計らってくれて、毎週金曜日には広重の浮世絵を生で見る機会を得て至福のときを過ごしています。彼女は、私がテストで奮闘していると、テストを家に持って帰らせてくれました。“ヒトミ、アナタガフラストレイトシテイルノハヨクワカルワ”のような親切な言葉をかけられると、ほろりとしてしまいます。来学期は、彼女についてIndividual Studyをして卒論の準備をするつもりです。

郡司先生には、週に一回お茶の授業でお会いして、毎回美味しい和菓子をご馳走になっています。私はお行儀が悪いので、たくさん注意されて躾直されている感じです。アメリカの母ですね。

新しいルームメートは、私より年下なのですが、私よりもずっと大人で、夜中に彼女と話し込んで、色々悩みを聞いてもらったりして、彼女の方が私の先輩のようです。せめてもの恩返しに、私はおかゆを作ってあげたりしています。

クラスでは、顔見知りも出来て、授業の後にはつかまえて、分からなかったところを説明してもらったりしています。

寮の中でも特にアジア人の留学生とは一緒にご飯を食べたり、プールに行ったりしています。

何よりも、一緒にきた奨学生仲間にはかなり助けられています。やっぱり一週間に一回くらいは、愚痴を日本語で言いたくなるものなのです。(おもに私が愚痴るのですが。) どうせアメリカ人に分からないだろうと高を括って、かなりえげつない話を声高に寮のカフェテリアでしたりしています。きっと、彼らが居なかったら、もっと孤独感に苛まれていたと思います。彼らと一緒でよかった。

基本的に、こちらの人間は反応が豊かで直接的なので、周りの人間の反応が、そのまま今の自分の態度の反映だったりします。だから精一杯微笑して、相手に“How are you? / What’s up?”と聞かれるまえに自分の方から聞いてやります。そうしたら、人が急に自分に親切になってきた気がして、自分で生活を良く出来るんだなと最近気づきました。当然のことなんですけれど、それまでかなり私が仏頂面で暮らしていたと言う事です。

英語が、まだまだコミュニケーションは出来ても、ニュアンスが伝えられないと思うと歯がゆい思いがします。3ヶ月でそんな事出来ないのは分かっていますが、Writer’s Workshopで自分が熟考して書いた文章の一文一文に、自分の伝えたい事と実際のニュアンスとのギャップを確かめると、口頭でのコミュニケーションでいかに感覚のすれ違い起こっているか、想像するも恐ろしい気がします。だからせめて、にこにこして態度でも精一杯表現しなくちゃいけないんですね。表現が不自由になった分、コミュニケーションを大切にするようになった気がします。

最後になりましたが、私の勉強の進み具合は、以下の通りです。

・中国美術の授業・・・300番大は読み物のレベルも量もきついですが、
先生の熱心さと授業の面白さで何とかやっています。日本では、偉い先生の論文の批判、絵画の批判、恐れ多くて出来なかったけれど、ここではそれが当然です。まだ戸惑っていますが、自分で考えさせて、一人一人の異なる意見が大切にされる授業にいると、今までとは違う頭の使いようをしなくてはいけないんだなと実感します。英語とは別にそれが意外に大変なので、改めて自分は日本人だなと思います。

・フランス語・・・グループワークがしょっちゅうあるので、人と仲良くなれるのがいいです。特にAdvanceとかだと、かなりの語学フリークばかりになるので、いろんな分野の変な人・面白い人に会えて楽しいです。フランス語でSkitを演じるのですが、かなり面白おかしくやっています。
今度のSkitはLuc Bessonと彼の批評家の対話です。私はクラスで一番フランス語が下手ですが、なんとかついていこうとしています。

・文語中国語・・・漢文を白文で読む授業ですが、英語で意味を取っていこうとすると、書き下しにする手間が要らないので、意味を直接取る事が出来て却っていいです。“ヒトミ”(私の名前)がちゃんと発音できないくらい訛りのひどい中国人の先生なのですが、そんなアクセントにもなれました。現代中国語を知らないのに、無謀にも中国語喋れる人ばかりの授業に来てしまって、当然分からない事だらけで、いつも授業の進行を妨害するくらい質問しているので、質問しないと、“ヒタゥメゥ(=ヒトミ)、アナタツカレテイマスカ”と逆に質問されます。

・お茶の授業・・・週に一回、日本館で和める授業。美味しいお抹茶が毎週飲めるのは幸せです。

そして、ESLは授業に入りません!本当につまらなくて辟易しています。

以上、大変まとまらないですが、留学生レポートでした。
ここに居る一瞬一瞬が恩恵だと思うので、精一杯生きたいです。