田中洋子さんの2014年12月分奨学生レポート

【奨学生レポート12月分】

田中洋子

 

JICの皆様、いつもお世話になっております。つい先日期末試験を終え、秋学期も正式に終了いたしました。今回のレポートでは、今学期の振り返り及び冬季休暇中の予定について書かせていただきたいと思います。具体的には、

 

1.留学中の目標途中経過

2.秋学期授業

3.課外活動

4.感謝祭休暇

5.冬季休暇の予定

 

という順番で書いていきます。

 

【1.留学の目標途中経過】

前回のレポートで、留学中の目標として以下の二つを掲げました。

(1)教育について集中的に学ぶ

(2)迷ったらやってみるの精神でいろいろなことに挑戦する

 

まずは、(1)に関して振り返りたいと思います。

今学期履修している授業4つのうち2つは教育学部の授業ですし、通学時間がほぼなくなったおかげで時間にも多少余裕が持てるようになり自主的に本を読んだり出来る時間も作りやすくなったため、日本にいた頃に比べれば教育に関する勉強に割ける時間は格段に増えたと思います。授業の課題図書を読んでディスカッションに備えたり、宿題をやったりするだけでもかなり時間は取られてしまいましたが、せっかくアメリカの大学にいて洋書へのアクセスも容易になっている上、イリノイ大学の論文データベースも留学生として籍を置いている今ならば使い放題なので、休日などに興味のある書籍や論文を読む作業をよくしていました。特に印象的だった書籍は、教育史家であり、ブッシュ・クリントン政権下で教育長官の補佐を務めていたこともあるDiane Ravitch という人の書いた公教育制度解体の動きに対する批判を展開する内容の“Reign of Error”や反転授業のノウハウを論じた “Flip Your Classroom: Reach Every Student in Every Class Every Day” 、題名の通り高等教育バブルに警鐘を鳴らす“The Higher Education Bubble”などです。1冊目の本はEPS201

の課題図書として指定されていました。

ただし、「集中的」と言えるほどの勉強量であったかどうかというと、決して自分の限界までがむしゃらに勉強を続けたとは言えないように思います。もちろん、勉強は留学の核ではありつつほかにも有意義な時間の使い方はあるはずなので、まるで大学受験期のように勉強中心で全てが回るような生活が最善というわけではないように思いますが、それでも来学期はもう少し真剣に教育の勉強に取り組めればと考えています。勉強に充てる時間量以外にも、今学期は興味のあるものを片っ端から順序関係なく読み進めていたので、もう少し体系立てて勉強することを意識する、後ほど勉強会については触れますが、基本的に一人で勉強する時間が多かったので学び合いの場を作れるように工夫する、といった改善の方法があると考えています。

 

次に、(2)について振り返ります。

これも概ね守れたように思います。何しろ2学期間という限られた時間しかいられないわけですから、「後で」は基本的に永遠にやらないことを意味するということを自覚し、日本にいた頃以上に活発に、ただし別の言い方をすれば熟考せずにあれこれ動き回っていました。所属団体を見てみるだけでも、日本語を勉強している学生が集まるJapanese Conversation Table (JCT)、教育学部所属の学生団体二つ、音楽クラブ、留学生の交流会などに顔を出していました。ただし、それなりにコミットできるコミュニティの数というものには限界があり、人並み外れて社交的な性格というわけでもないので、結局定期的に活動に参加していてメンバーと言って差し支えないのはJCTと教育学部の学生団体のうちの片方だけだと思います・・。音楽クラブに関してはあまり音楽の嗜好の合う人が見つからず、それでも楽器の練習は続けたかったので、ダウンタウンにある楽器屋さんに併設のスタジオで個人的に細々と練習を続けております。ちなみに、この時に交渉の結果スタジオ使用料がだいぶ下がり、アメリカで生活するなら交渉力が大切といういつか誰かから聞いた言葉の意味を実感しました。

「挑戦する」というほどのものではありませんが、迷ったらやるという目標は日々の行動にも少しずつ変化をもたらしたように思います。例えば、授業中の話し合いにしても、最初はやはり気後れしてしまい、毎回のように「なんであの時発言できなかったんだろう。あの時この意見を言えればもっと議論の流れもよくなったはずなのに・・」とくよくよしていたのですが、途中から、「とにかく迷っているくらいなら手を挙げよう。手を挙げてから考えてもいいんだ。英語がすらすら話せないからなんて気にしている場合ではない!」と積極的に参加できるようになりましたし、学期中を通して少なからず起こったルームメイトとの問題に関しても、「変に遠慮して我慢するのはよくない。思い切ってはっきり言おう」と考えるようになり今ではだいぶ風通しの良い関係になっているように思います。

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Alma Materの銅像です。地面に雪が残っているのが見えますが、11月半ばは非常に冷え込みました。

 

【2.秋学期授業】

<Public Speaking (CMN101 –L2)>

教育学部の授業ではありませんが、今学期楽しさという点では一番だったように思います。前回のレポートでも説明しましたが、学期全体で5つのスピーチをこなす少人数の授業です。3分程度の自己紹介から始まりましたが、段々5分、7分とスピーチの持ち時間が増え、内容もinformative speech, persuasive speech といった、少し高度なものになっていきます。Informative speech では自分の専攻分野と関連のある内容について論じるようにとのことだったので、私はアメリカにおける英語学習児童(English Language Learners :ELLs)を扱い、またこのスピーチの次に行われたpersuasive speech ではアメリカにおける高等教育費高騰について話しました。

元々この授業には英語が母語である生徒用のクラスと非母語である留学生向けのクラスの2種類があるのですが、TAの忠告を振り切りネイティブ向けのクラスに登録した私は案の定クラスでただ一人のノンネイティブの学生で英語の即興スピーチなどではやはりほかの人たちに太刀打ちするのはなかなか厳しいものがあったのですが、先ほど触れたスピーチでは評価の重点が内容に置かれていたので、それならば自分も勝負出来るはずだとスピーチ原稿執筆のための調査はかなり頑張りました。そもそもそこまで評価の辛いクラスでもなかったのですが、それでも頑張りが多少は報われたのか良い評価をもらえた時は達成感があり嬉しかったです。

良いクラスメイトにも恵まれました。いつも隣の席で元気に話しかけてくれる子、独特のユーモアの持ち主で毎回クラスを奇妙な笑いに包んでくれる子、クールで皮肉屋でありながら実は面倒見が良い子、ジャイアンのような風格で(あくまで見た目です)クラスをまとめてくれる子。違うクラスに登録している友人の話曰くクラスによってだいぶ雰囲気も異なるようでしたが、私は運良く大変雰囲気の良いクラスに割り当てられ、のびのびとスピーチをすることが出来、それがこのクラスでの成長につながったのだと思っています。

 

<Elementary French 1 (FR101)>

こちらも一体感のある雰囲気の良いクラスに恵まれ、一度も欠席することなく受講しました。

日本で受けていたフランス語の授業が読み・書きに重点を置き、一通り文法事項を学習した後はひたすら仏文和訳という形式であったのとは対照的に、このクラスではとにかく聞く・話すということが重視されており新鮮でした。もちろん文法事項をきっちり勉強した方が効率がよいこともあると思うのですが、実用的なコミュニケーション能力を培うには、このような「習うより慣れろ」形式が有効なのかもしれないと思いました。

ただし、よく耳にする「日本の外国語教育は読み書き偏重でよくない」という批判に与するつもりはありません。先ほども述べた通り、文法事項を一から順序立てて学んだ方が長い目で見れば効率が良く、知識も継ぎはぎにならないという利点があり、一方でそれでは日常会話などの力はつきにくい。結局一長一短ということで、各人の必要に応じて(ビジネスなどで人と会話する場面が多いのか、あるいは研究職などについていて論文執筆のために読み・書きの力の方がより重要になってくるのか)採用すべき形式も変わってくるということにすぎないと思います。ただ、例えば日本における義務教育段階の英語教育といった話になると、基本的に全ての生徒に同じ形式で授業を行うことになると思うので、そういう状況において今の教育形態が適切なのか、どのような改善の方法があるかということに関してはもう少し考えてみたいと思いました。いずれにせよ、日本とはずいぶんと違う語学教育の現場に自分の身を置いたことは良い経験になりました。

 

<Foundation of Education (EPS201)>

アメリカ教育史を軸に公教育の意義や問題点、今後のあり方などを扱った授業です。とにかく教授がエネルギッシュな方で、大半が教育学部所属ということもあり学生のやる気も高く、行く度に刺激をもらえる授業でした(ただし、150人以上いる大講堂での授業で自分から発言することは結局出来ず、私がほかの学生に対し何か貢献することは達成出来ませんでした・・)。

課題もなかなかボリュームがあり、特にグループで取り組んだ中間試験(試験という名前ですが実際は通常の課題と大差ないものです)には苦戦しました。私は基本的に課題には個人で取り組む方が好きなので、そもそもいつ課題をやるかというタイミングがメンバー内でなかなかまとまらなかったり、それほど大きな意見の対立は生じなかったものの細かいところで考えが一致しなかったり、今まで避けてきた人との調整という作業をこなすのには相当の体力を要しましたが、非常に良い経験にはなったと思います。ほかの人と共に課題に取り組んでいると自分にはない視点を得られたり、自分の考えに対するフィードバックをもらうことで自分だけでは気付かなかった論理の穴に気付けたり、反論を展開する中でさらに自分の論理が強化されたりもしくは逆に自らの矛盾に気付いたりと、一人だけで課題に取り組んでいては得られないものがありました。もちろん、どこかしら妥協もしたものに自分の名前を書いて提出するということにはいまだ抵抗が消えないのですが・・。とはいえそれこそ大学を卒業して働き始めればチームとして何か成果を出すことを求められる場面が増えると思うので、限られた時間の中で出来るだけ多くの議論を重ね、協調しつつ自分も納得できるレベルまでものを作り上げるという場が今後もあれば、良い勉強だと捉えていきたいと考えています。

個人で提出するschool desegregation をテーマとする期末レポートでは、Lau vs. Nichols という、1970年代前半にサンフランシスコの公立小学校に通う中国系児童がバイリンガル教育の不備を主な理由として学校区を訴え、その後のバイリンガル教育を巡る議論の基礎を提供した有名な判決を扱いました。この判決に関しては以前英米法の授業でも少し学んだことがあったのですが、全て英文の資料を用い、当時の地方紙の記事なども参照しながらもう一度調べてみると、知らなかったことも数多く学べ、英語の資料へのアクセスが容易になっている現在の環境をあらためてありがたく感じました。

このレポート執筆を通して思ったのは、70年代当時からアメリカにおけるバイリンガル教育の状況は大幅に改善しているとは言い難く、いくら判決が出たところでそれはあくまで判決に過ぎない、司法の要求とそれを受けた制度設計側の真摯な取り組み及び現場の適切な対応、それら全てが揃わないと物事は変わらないということでした。司法の判断が実際社会問題に対しどれだけの実効力を持つのかということについては以前から関心があるので、今後自主的に教育に関わる判決を中心に勉強を続けてみたいと考えています。

この授業のディスカッションのクラスでは、各人が交代で議論の進行役を行います。私は、professionalization of teaching というテーマを設定し、教師の専門性を高めるにはどのような制度・方法が適切なのかということについて議論を行いました。日本でも教員免許取得の上で大学院修了を必須要件にするということが議論されていますが、果たして大学院教育は教員のレベルを上げることに本当に資するのか、リカレント教育の役割は、評価制度は適切か、といったことについて話し合い、教員志望者にとっては非常に身近な問題であるため、思っていた以上に議論が盛り上がり、45分間も場を持たせられるか様々なシナリオを予想しながらはらはらしていた私は胸をなでおろしました。

 

<Educational Psychology (EPSY201)>

「教科書に書いてあることを鵜呑みにせず、自分の目で確かめよう」という最初の授業での教授の言葉通り、学期を通して調査とその報告レポートの提出を続ける授業でした。調査自体は非常に簡単なものが多く、従ってやっていたことのレベルはそれほど高くもないのですが、受け身でひたすら授業で聞いたことを頭に叩き込むといった授業とは正反対で、レポートを書くのもなんだか中学校の時の理科の授業のようで楽しかったですし、実際に自分で確かめて納得するという作業の大切さを学んだ気がします。理論通りの結果が出ないこともしばしばでしたが、誤差の範囲だと乱暴にごまかすのではなく、なぜこのような結果になったのか原因を探るようにすることで、その過程を通しより教育心理というものに対する興味も高まりました。

特に印象に残っているのは、学期の最後に行ったテーマ自由設定での調査レポートです。私はほかの授業との関連もあり語学教育に関心があったため、第一外国語と第二外国語の学習に対するモチベーションの違いを探ることで語学学習の動機付けの方法について考察することを試みました。アンケート作成の方法に一定の制限がありとてもシンプルな設問しか作れなかったこと、また英語が母語か否かで外国語学習に対する姿勢が大きく変わるのではないか(今日では外国語学習≒英語学習のような状況が見られるからです)という予想を立てることなく、回答者の母語を尋ねることをしなかったことなどから、大変稚拙な内容のレポート(というよりは失敗報告書)になってしまいましたが、全て一から自分の手で好きなことを調べるのは思いの外面白いものでした。

 

【3.課外活動】

先述のJCTと教育学部学生団体のほかに、不定期ですが教育学部の学生と自主勉強会を作ってたまに一緒に勉強しています。それほどかっちりした集まりでもないので、時によっては教育と全く関係のない話(最近話題の映画のこと、もしくは誰かの恋愛相談など・・笑)をしていることもありますが、面白かった書籍や論文を共有したり、教育学部生向けのボランティアの情報を交換したり、TEDの教育関連の動画を一緒に見たり、授業の課題を相談しつつ進めたりと、私にとっては非常に有意義な場所になっています。正直、寮での人間関係はそれほど広くはなく、また授業にしても授業外でも定期的に会うような友人はそう多くは作れないので、この勉強会を今後も大切にしていきたいと思います。

寮で立ち上げた映画クラブは、今学期は参加者のリクエストに応えてひたすらアニメだったので(「時をかける少女」「風の谷のナウシカ」「借りぐらしのアリエッティ」「AKIRA」など)、もちろんアニメも好きですが、来学期は小津安二郎特集など、もう少し企画のようなものを行って、日本文化⇒アニメ、という多くのアメリカ人の頭の中にある思考回路を少しでも変えられたらと目論んでいます。

 

【4.感謝祭休暇】

感謝祭休暇中は、サンフランシスコを訪れました。当初はアラスカに行くつもりでガイドブックまで買い、オーロラを見るためにロッジの予約もしていたのですが、一緒に行こうと話していた友人の予定が急遽合わなくなり、車も運転できない自分が一人で行っても、しかもオフシーズンだし・・ということで西海岸に切り替えることにしました。

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かの有名なGolden Gate Bridgeです。ダウンタウンから自転車で行きました。

サンフランシスコの第一印象は、とにかく暖かい!!コートなしで歩けるなんて、日中でも氷点下のシャンペーンからしたら夢のようでした。また、アジア系住民の割合が高く日本食レストランも豊富にあったので、毎日何かしら日本食を食べていました。久しぶりに食べた焼き鳥、涙が出そうになるほどおいしかったです。

ゴールデンゲートブリッジまで自転車で行ったり、北米最大級と言われる中華街に行ったりと一通り観光らしいこともしましたが、特に予定を立てずのんびりぶらぶらしている日が多かったように思います。でも、そういうふうに過ごしていると、ガイドブックには載っていない細い路地にある素敵なレストランに行き着いたり、さびれた映画館を発見したり、また違う楽しさがあるのです。

感謝祭の翌日から、一度サンフランシスコを離れてヨセミテ国立公園を訪れました。カリフォルニアということもあり思っていたほど寒くもなく、豊かな大自然の中を一日中頭を空っぽにして歩き回り、良い気分転換になりました。写真は、お土産屋さんで運命の出会いを果たした鹿の女の子です。

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公園内ではあちらこちらでこのような壮大な自然の風景を目にすることが出来ます。

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お土産屋さんで運命の出会いを果たした鹿の女の子です。

【5.冬季休暇の予定】

冬季休暇中は、ニューヨークにある日系の通信社にてインターンをさせていただくことになりました。つい先日開始し、初日から私のパソコンに問題が見つかり皆様にご迷惑をおかけする事態となりましたが、なんとか1か月頑張りたいと思います。

教育に関心があるのに通信社?と思われたかたもいらっしゃるでしょうか。実は高校生の時から報道の道にも関心があり、短い期間ではありますが報道の現場の様子を実際に内部に入って自分の目で見てみたいと考え、今回のインターンに至りました。どの職業でも大変なことはつきものでしょうが、報道の世界は特に仕事が厳しいと聞くので、果たしてこの世界は全力を傾けることを厭わないと思えるものか、またそれとはまた別に自分に向いていそうなものか、といった将来の進路を考える上でのヒントをほんの少しでも得ることが出来ればと思います。

土日は自由時間になり、冬季休暇中にニューヨークを訪れる友人も何人かいるようなので、インターンをまず第一に頑張りつつ、楽しい時間も過ごしたいと思います。

 

今回の報告は以上とさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

小松尚太さんの2014年12月分奨学生レポート

お世話になっております、小山八郎奨学金奨学生39期の小松です。悠久の時の流れを感じながら、ここイリノイ大学で過ごすことができる幸せを噛みしめる日々です。何とかひと学期を終えることができ安堵しているところです。

以下、今学期履修した授業の総括、留学を通じ考える事、Thanksgiving breakの過ごし方についてご報告いたします。

 

■今学期の授業総括

今学期履修をしてみて、思ったことを。

 

・授業におけるディスカッションとは、自分の意見を何でも述べれば良いではなく、予習段階で読んだ課題文献に基づく慎重かつ的確な発言のことを指す。

欧米の大学では授業中でのディスカッションが重視されるということは、良く言われていることでしょう。ディスカッションとは何か。私の想像では、教授と学生が矢継ぎ早の如く対話することをイメージしていました。実際は、基本は教授のレクチャーが中心で、ところどころポイントとなるところでこれはどういうことか、と学生に質問を投げ、それに対して的確に答える。これがディスカッションのようです。そうした発言は、評価の対象となるだけでなく、自身の授業における存在感を示す上でも重要です。だから予習が必須なのです。特に発言することなくやる過ごすこともできますが、気まずいです。また予習に基づいていない的外れな発言をしてしまうと、それも気まずいです。存在意義を疑ってしまいます。後述のACE255ではこうした苦虫を噛む経験が何度もありました。もちろんこれは教授・講義形式・テーマによって異なるでしょうし、たまには答えが定まっていないオープンクエスチョンで自分はどう考えるかという質問もあります。ただ共通していたのは、ガツガツ発言するというよりは、どこか慎重さを漂わし言葉を選んでいるというものです。私の講義の中でのディスカッションの感覚はそうしたものでした。

ここから得られる教訓は、「予習は大事」という当たり前のことです。しかし、当たり前のことを頭で分かっているだけでなく実行できているか。我ながら耳が痛くなる問題提起です。

 

以下、各授業に関するコメントです。

 

ESL115: Principle of Writing

エッセー・論文の書き方を学び、実践する授業でした。書き方を学ぶことは、論文を的確に読むこと、わかりやすく話すこと・伝えることにも繋がります。論文をある程度読んでいくと、大体同じような形式に沿って全体・各パラグラフが書かれていることに気が付きます。それに基づいて、それを参考にして自身のライティング能力を高めることができます。ライティングのみならず英語全般について(もっというと日本語についても)良い影響があった授業のように思います。実際この授業で学んだことを他の授業のレポート課題に当てはめながら書くと、そこそこの評価をもらうことができました。

しかし後半になるにつれ少々尻切れトンボ感が強かったこと、最後のペーパーの課題の形式が私にとって書きづらいものだったこと、TA自身が授業に対して懐疑的だったことなど、改善点すべき点もちらほら。もっと言うと、ライティングを学べる授業は日本の大学でもあるはずです。留学に行かれる方は、留学の機会を最大限活かすためにも、前もって履修・学習されることをおすすめ致します。

授業を通じて再三強調されていたのは、剽窃(plagiarism)です。剽窃とは、他人の研究の成果を断りなく無断で使用することです。他人の研究について言及する際も、きちんと言い換えたり、引用符を正しく使用したりしなければ、それも剽窃とみなされます。”何とか細胞” でこの問題が一躍有名になったことでご存知かと思います。たかだかコピペぐらいいいではないかと日本ではその事件の主役を擁護する声もありました。しかし、研究者として剽窃は言語道断であり、すなわち免職となります。これは学生についても同様で、剽窃が認められれば、単位剥奪、ひどい場合は退学処分になるケースもあります。それほど重大な過失なのです。そうならないための引用のルールをしつこいほど学びました。正しくものを書くということは大変でありますな。

 

ACE251: World Food Economy

世界の食料経済について学ぶ授業であり、需要面、供給面、そしてそれらを総合し食料貿易について考察するという構成でした。7割ほどは既に知っていた内容だったので、復習をしつつより理解を深める意味で良い授業でした。しかしただ知っているだけでなくそれを(特に英語で)説明できること、学んだモデルで現実世界を分析できる能力こそ重要ですから、その点を意識しながら学習を進めました。

この授業を通じて改めて経済学の有用さと、経済学についてより理解を深める重要性を痛感しました。この授業では、ミクロ経済を学んだ人ならご存知であろう「余剰分析」をメインに貿易の効果についての考察が進みました。留学前に学んだミクロ経済学の講義で、TPPについて日本のコメ農家がどうなるかを余剰分析したシーンがあり、その時の感動を思い出しました。シンプルで直感的で、統一的に現実を(ある程度)説明できるその美しさ。経済学の基礎的な部分についても今一度理解を深め、きちんと使えるようにならなければなと思った次第です。再三強調しますが、分かっているからといって、それについて分かりやすく説明できる・分析できるとは限りません。英語だと尚更、ですね。

 

そういえば、日本の農家といえば、試験問題の中に、

If Japan removes its import tariff on rice,

  1. Japanese farmers will hardly be affected.
  2. many Japanese farmers will no longer be able to produce rice.
  3. the job losses will not be significant because agriculture represents a small portion of Japan’s GDP.
  4. many Japanese citizens will be unhappy because the majority of the country opposes the recently proposed free trade agreement.

 

という問題があり、試験ではbが正解となっていました。やはりそのように見られているとは、面白いですね。

 

高関税により(特にコメ)農家が保護され、その分は消費者に転嫁される。

→日本の消費者は生活水準が高く、エンゲルの法則により全出費のうち食料品の占める割合が縮小している。そのためこの転嫁に気づきにくく、保護政策の撤廃に進みにくい。

→しかし自由貿易が行われることで日本産とほぼ同品質の安い農作物が入り、効率の悪い農家は淘汰される。

→逆に消費者は安くなった食料品により大きな恩恵を受ける。

 

…というのがこの授業での帰結ですが、はてさて、どう思われますでしょうか。

 

ACE255: Economics of U.S. Rural Poverty and Development

今学期の授業の中で一番胃の痛くなる授業でした。アメリカのSafety Netについてのディベートがありましたが、なんたる拷問か。ディベートは準備が肝心ですが、例え準備が十分であっても、相手の要点を抑え、それを踏まえて反駁することの難しさといったら。満足に聞き取ることもままならず、自分が担当する主張をするのみで、ほぼ何もできませんでした。最後は「旅の恥はかき捨て」と開き直りましたが、それでも悔しいですよね。精進します。

この授業ではアメリカの貧困問題に焦点を当て、様々なトピックをカバーしました。貧困の測定方法に始まり、失業、文化的側面からみた貧困、子供の貧困、教育、社会保障制度などなど。アメリカの貧困の側面を垣間見ることができたと同時に、果たして日本ではどうだろうかという疑問も駆り立てられました。これは冬休みの宿題となりそうです。

この授業は毎回のリーディング課題、学期中4回のレポート提出、アメリカのある郡の貧困状況について調べるCounty Profile、ディベート、ディスカッション重視、中間試験3回と期末試験1回と、いかにも課題が多いと言われているアメリカの授業っぽい形式でした。担当教授が授業に強制的にでもしっかり取り組んでもらおうと工夫しているのが伺える授業でした。期末試験一発勝負が多い日本に比べ、少しずつ学習を進めやすい一方、一度遅れをとるとなかなか追い付くのも大変です。

 

ECON450: Development Economics

自身の興味が、農業を通じた低所得国の経済開発に移りつつあったので、この授業を履修しました。

開発経済の理論について概観するというよりは、サブサハラ・アフリカに焦点を絞り様々なトピックをケーススタディ形式で紹介する形でした。サブサハラ・アフリカに対して様々な援助が行われる中、果たしてどれが効果的なのか。今開発経済でかなり主流となっている「ランダム化比較実験」を含め、援助の効果を測定する手法および実例を学びます。援助はどのような形であれ役に立つのだから何をやってもよいではないかという主張もあります。しかしそれに割ける資源は限られており、援助政策の中で最も効果的なものに注力することが人々の生活水準の向上の近道となると考えるのが、経済学のスタンスのようです。

興味深い授業でしたが、一つ重大なミスが。期末試験の日、試験を受けようと会場に足を運んだのですが、誰もいません。日程をよく確認すると、試験はその前の日にすでに行われていたのです。結局、小テストと中間テスト2回分で成績が付けられることとなってしまいました。他の科目に比べ注意を払って準備をしていただけに、残念でなりません。嗚呼、無念。来学期は気をつけます。

 

 

■どうでもよいことを考える日々

こちらに来て他愛もないことをよく考えます。

留学を通じて自分は成長しているのだろうか、英語は上達しているのだろうか。自分の専門についての知識・理解は深まっているのか。そういえば、何故留学したいと思ったのだろうか。帰国は5月になるが、就職はどうなるのか、どうしようか。いや、経済についての勉強が足りないから、院に進学しようか。いやいや、さすがにもう働きたい。そしたら何をして働こうか。将来自分は何を成し遂げたいのだろうか。自分の好きなことをすればよい?それがよく分からないからネチネチ考えているのだ。そんなものは働き始めてみないとわからないものなのだろうか…。いやいやいや、留学を終えた後のことについて逡巡する前に、今は目の前の勉強・留学に集中すべきだろう。そして勉強していると己の勉強不足を痛感し、やはりこの学問について少しでもいいから究めてみたいと思い…などなど。ルームメイトや友人と色々な話をしていると、ますますこうした思索の迷宮に入り込んでしまいます。私は比較的まったりとした留学ライフを送っていますが、心の中はそれほどまったりとはしていないのかもしれません。時にはモチベーションが下がることもあります。その時は思いっきりぼーっとしたり、あるいは留学の志望動機を読み返して発奮したり、中島敦『山月記』を読み返して自身の「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」を戒めたり。

こうしたどうでもいいこと、どうにもならないことについて、雑音が少ない留学という環境の中で云々と考えられるのも、醍醐味なのかもしれません。

 

…という多愛の無いことを考えながら、「やはり今日一日を平穏に過ごそう」と決意するのです。

 

■おまけ(Thanksgiving breakの過ごし方とその写真)

11月の下旬、Thanksgiving breakという休暇が1週間ほどあります。何をしようか色々考えましたが、今回はルームメイトの叔母の住むシアトル(正確にはシアトルから車で1時間ほど南にあるタコマ)に居候させてもらうことにしました。

シアトルで何をしようかと出発する前は色々考えましたが、そんな考えは吹き飛びました。子どもたちが…かわいい。一日中臨時のベビーシッターとして彼女たちと遊んでいると、あっという間に時間は過ぎ去りました。とはいえせっかくシアトルの近くに来たので、子どもたちと遊びたい衝動を抑え、渋々シアトル観光にも行ってまいりました。留学を放棄しベビーシッターとして住み込む選択肢もありましたが、その夢叶わず、泣く泣くイリノイに戻り期末試験に備えることとなりました。

第二回写真1

ホームステイ先にて。Thanksgiving dayにターキーをいただくのがアメリカでは習わしとなっているようです。皮の照りが美しいですね。約5時間かけて焼くようです。

第二回写真2

右がルームメイト、中央がその叔母、左がベビーシッター。

第三回写真3

この子たちと遊んでばかりいました。Thanksgiving breakの写真ばかりなのは、学期中写真を撮るのを忘れていたから、というのは秘密です。

 

 

以上、駄文雑文となりましたが、イリノイの地で無事過ごしていることをご報告させていただきます。残りの留学生活、支えていただいている幸せを噛み締め、有意義なものにするべく精進いたします。

勝田梨聖さんの2014年12月分奨学生レポート

JICの皆さま、そしてレポートを読んでくださっている皆さま、ご無沙汰しています。第39期奨学生の勝田梨聖です。日本では厳しい寒さが続いていると伺っていますが、いかがお過ごしでしょうか。こちらシャンペーンでは、午後5時頃にはすでに日が落ちているものの、気構えしていた程の極寒にはまだ達していないので心なしかほっとしています。

 

さて今回のレポートでは、Fall Semesterの総括として

  1. 授業
  2. 課外活動

III. 全体を通しての所感

に大別して振り返ろうと思います。

 

  1. 秋学期の授業について

早いことに留学生活も4か月が経過し、秋学期も期末試験を締めくくりにあっという間に終了してしまいました。

当初は慣れない授業形式や課題量に狼狽することも多々ありましたが、この半期でその環境にも馴染み、期末試験も大きな問題もなく乗り越えられたのは少しばかりの成長かと感じています。

 

今学期は以下の授業を受講しました。

CMN101: Public Speaking (Prof. Laura Gallant)

PS241: Introduction to Comparative Politics (Prof. José Antonio Cheibub)

PS240: Comparative Politics in Developing Nations (Prof. Matthew S. Winters)

GLBL250: Development (Prof. Kate Grim-Feinberg)

 

CMN101: Public Speaking (Prof. Laura Gallant)

このコースでは計5回のスピーチ、プレゼンテーションを行いました。前回のレポートではRound 1,2の紹介をしましたが、だんだんとハードルも上がり、Round 3ではinformative speech、Round 4ではproblem/solution speechを発表しました。トピックこそ好きなものを選べますが、Sourceであったり、Audience Adaption(大きな数字などを聴衆の身近なものに例示すること)を必ず三度は盛り込まないといけなかったりと課せられる数多のルールには悩まされました。しかし、Round 3ではコンゴの鉱物紛争と米国のドッド=フランク法について、Round 4では人身取引とマイクロファイナンスについてのプレゼンをしましたが、この(正直本当に面倒な)ルールがあったからこそ、よりプロフェッショナルなプレゼンスキルを磨けたのだと感じます。また、最後のクラスで、The Most Exciting Round 4 Awardとして賞をいただけたのは苦労が報われて非常に嬉しかったです。ファイナルのRound 5は昇進、結婚式などのcelebratory speechで、各々録画してきたスピーチを皆でドーナツを食べながらフィードバックし合いました。

Round 5だけでなく、このコース全般を通して、形容詞などの言葉の選択により着目するようになりました。クラスメートのスピーチには、自分では思いつかない英語独特の言い回しなどが多く含まれており、また授業中のジョークや友人同士のやり取りの中の目新しい表現にふれることができたのも、予期せぬ収穫です。

 

PS241: Introduction to Comparative Politics (Prof. José Antonio Cheibub)

民主主義や独裁主義と経済成長の関係などを扱った後、中間試験以降はより手続き的な分野、つまり選挙制度や政治体制そのものを学びました。こちらに関しては、もともと日本でも学んでいたため、特に大きな苦労をすることはありませんでしたが、クラスの友人もこの類の授業は受けたことがあると言っていたので、徐々に出席人数が減っていったのもそこに理由があるのではと感じました。しかし、例えばインドやイタリアなど個別のケースに当てはめて選挙や政権交代についてより具体的に考察したからこそ、もともとの知識を生きたものに変えられたと感じます。そして個人的には、ちょうど授業内容と同時に安倍政権の解散・総選挙が行われていたので、日本の状況と照らし合わせて応用することができたのは良いチャンスでした。

 

PS240: Comparative Politics in Developing Nations (Prof. Matthew S. Winters)

さて、冬の凍えるような夜空のもと夜七時に始まるこの授業は、教室と寮の往来こそ憎いものの、途上国の政治経済システムを多角的に考察し、自分の興味をより深めることができました。この講義の特徴は、一度扱った理論や考え方を、後にまた別の(一見関連のなさそうな)事象に当てはめて応用することで、新たな視点を加え、二つの事柄を繋げられる機会に富んでいることです。例えばコースの初めにcounter-factual(反実仮想)について考えましたが、今期の最後の最後まで幾度もこの考え方で、マイクロファイナンスや海外援助の効果についてアプローチしました。また、教授が海外援助、特に政府の開発援助であるODAが本当にマイクロレベルのdevelopmentに繋がっているという証拠はないし、逆に草の根レベルのマイクロファイナンスがマクロレベルの経済成長に繋がっているかは疑問だという意見は印象的でした。

 

GLBL250: Development (Prof. Kate Grim-Feinberg)

前回のレポートで苦戦ぶりをお伝えしましたが、相変わらずの活発な議論と大量のリーディングノートにも以前より余裕をもって臨めるようになりました。Module 1では経済学の理論や人間開発論をFirst World, Third Worldの両方の観点から考察し、Module 2ではそれをベースに各々、開発アクターを研究し、発表しました。クラスメートはUSAIDやSave the Childrenなどを調べていましたが、私はもともと日本政府の開発援助に興味を持っていたので、政府のODAについて、特に東南アジアの経済成長とインフラ拡充政策とともに発表しました。そしてModule 3では人権や環境など、世界の直面する問題を一つピックアップし、同アクターになりきって、それに対するアプローチを提案するケーススタディを行いました。私は日本政府とASEAN地域における人身取引について扱いましたが、言葉の使い方や、国益も考慮しなければいけなった点には特に苦労しました。

このコースでは、私の興味分野である開発について掘り下げられただけでなく、新たな興味も得られました。新自由主義的なIMF, World Bankや大国の介入政策が途上国の「開発」にどのような影響を与えているのか、何故未だに貧困がなくならないのか、オープンエンドでしたが、それらの大きな疑問について考えるために必要な道具を得ることができたと感じます。そして、新たに女性のエンパワメントについて興味を持つとは当初は予期していませんでした。途上国の女性のエンパワメントがどのようにdevelopmentを促進していくか、また女性と環境問題の繋がりについて、教授、クラスメートと議論しあったのは非常に刺激的でした。

 

  1. 課外活動

・Intersection

LLC(Living Learning Community)のひとつであるIntersectionでは、同じ建物、同じフロアに住みながら、ジェンダー・宗教・人種・貧困に関する問題を考え深める機会を提供してくれます。この四か月間で多くのイベントがありましたが、なかでも最も大きなイベントである10月末の一泊二日旅行についてお話します。

この旅行自体はRacismがテーマで、オハイオ州のNational Underground Railroad Freedom Centerにて、過去の奴隷制度やthe modern day of slaveryと呼ばれる人身取引について学びました。また旅行2日目にはインディアナ州のEiteljorg Museumにて、ネイティブアメリカンの歴史や芸術文化、生活にふれることもできました。

Freedom Centerの名前にあるUnderground Railroadとは、かつて自由を求めて逃げてきた黒人奴隷を北部へと逃がすために作られた通路を表します。そして、奴隷制を支持していたケンタッキー州と、奴隷制を禁止していた自由州であるオハイオとを分けていたのが施設に面するオハイオ川です。Freedom Centerではスタッフの方が常に解説をしてくれたのですが、南北戦争以前、南部からの黒人奴隷にとってこの川を渡って北へ行くことは自由を意味していたと、実際のオハイオ川を目の前にして聞いた時にはその川が当時の奴隷と自由の世界を体現しているように感じました。また、奴隷となった人々の録音された声を聞くことができるブースにて、ある時Freedom Centerを訪問していたあるガーナ人女性が、自分の地方の方言が聞こえたと言って激しく泣き始めたという話も伺いました。今回の訪問やスタッフの解説でアメリカの歴史を身近に感じたとともに、人種という概念とその歴史をより強く意識するようになりました。

写真1(オハイオ川)

(写真1  Freedom Centerから臨むオハイオ川)

・Trip to Chicago

センクスギビング前の金曜日から日曜日にかけて、授業が一緒の友達と隣の寮に住む友人らとでシカゴへ遊びにいきました。実は初めてのシカゴ観光であり、高層ビルやsubwayの複雑さになんせ混乱してしまいましたが、多くのショッピングモールを回ったり、名物のイタリアンビーフバーガーやチャイナタウンの本格中華料理を食べたりと、シカゴを充分満喫することができました。特にディズニーストアにて、あまり詳しくないキャラクターに囲まれて隣のキッズたちと一緒にテンションが上がってしまったのが思いの外、自分でも驚きです。唯一、深さ5センチ以上の「ディープディッシュピザ」を食べそびれたことが心残りなので、また次回の楽しみに置いておこうと思います。

写真2(Chicago)

(写真2 イタリアンバーガーのお店にて)

 

・Alternative Spring Break

Fall Break, Winter Breakなどの休暇ごとに寮から無理やりkick outされるので、休暇中のプランは必ず決めておかなければなりません。Fall Breakには、過去の奨学生が数名参加されていたYMCAのAlternative Spring Breakというcommunity developmentを促進するボランティアに応募し、インディアナ州にある家庭内暴力の被害を受けた家族の保護施設と子どものデイケアセンターであるMiddleway Houseを学生13人で4日間訪れました。

初日の研修以外は、3日間正午から夜8時まで子どもとただひたすら遊びます。研修ではDVに関する根本的な知識や、施設概要、またDVによって大切な人やモノを失っていくことをリアルに感じられるようなゲームをしました。一日目に、DVを受けた子どもの心の傷や、それに伴う感情の起伏の激しさなどを聞かされていたので、子ども達にどう接すればいいのかと少し気構えして二日目を迎えましたが、いざ子ども達に会うと、まぁとにかく元気なこと。いきなり始まる強制参加のアメフトゲームでボールを持った男の子が私のお腹に直撃してきたり、かと思えば警察ごっこが始まって手錠をかけられ監禁されたりと、一日中子ども達と遊んだ後の夜は疲れ切って、ただの床でさえも良い睡眠がとれました。また中には、施設内や公園で遊んでいる時、常に私たちにひっついていないと泣き出してしまう子どももいれば、いつも一人で、なかなかこちらに近づこうとしない子どももいます。彼らとの適切な距離感こそ難しかったものの、どの子どもでも「気にかける」という姿勢は常に意識しました。

(余談ですが、一世を風靡したDisney映画のFrozen, “Let it Go”が流れた時は子どもが手をとめて一斉に大声で歌いだし、「アナ雪」の影響力を再び実感せざるを得ませんでした。)

この四日間は学生の完全な自炊生活ですが、施設から宿泊所へ帰った後に晩御飯を一緒に作ったり、映画『ハンガーゲーム』を鑑賞したり、皆で踊ったりと共同生活も楽しめました。彼らとは旅行後も時々集まって一緒にご飯を食べることもあり、施設での貴重な経験だけでなく、UIUCでの大切な仲間に出会えたことにも感謝です。

写真3(YMCA集合写真)

(写真3  最終日の集合写真)

 

III. 全体を通しての所感

つい数日前、ルームメイトとこの半期を振り返っていました。彼女曰く、今期が始まった当初、私があまり元気のなかったのを見抜いていたそうです。(時差ぼけのせいだと思っていたそうですが。)「今は仲のいい新しい友達もできて、授業も生活も楽しんでいるようで良かった」と言ってくれた時、たった四カ月ですが自分の得たものの大きさを改めて実感しました。

ある時、Champaignの住所のはずが、正反対のUrbanaの同じ住所に向かってしまい、ドアベルを鳴らして出てきた家主と子どもにあれほど訝しげな眼で警戒されたことはありませんが、そのあとChampaignの住所まで歩いた計3時間の旅も今では良い思い出です。

 

さて一年ももう終わりに差し掛かっていますが、来年の目標を先日友人とそれぞれ紙に書きました。それをお互いに交換し合って、ちょうど一年後の12月に本人の住んでいる場所へ郵送し、達成できたか確認することになり、一年後の楽しみがまた新たに増えたところです。

写真4(New_Year_Resolution)

(写真4   2015のNew Year’s Resolution作成!)

 

 

最後になりましたが、この四か月間たくさんの学びや気付き、経験の機会を与えてくださったJICの皆さまにこの場をお借りして感謝申し上げます。皆さまも、穏やかな新年を迎えられますようお祈り申し上げます。

吉川慶彦さんの2014年12月分奨学生レポート

39期小山八郎記念奨学生

第2回奨学生レポート(2014年12月)

吉川慶彦

 

JICの皆様、レポートを読んでくださっている皆様、いつもお世話になっております。奨学生のキチカワです。先日、最後の期末ペーパーを提出し、秋学期が終了しました。試験期間中は、無料マッサージが受けられたり、セラピードッグと呼ばれる犬が図書館に現れたりと、キャンパス全体をあげての「お祭り」の雰囲気を体験しました。学期の終了と同時に早速寮を追い出されてしまったので、友人のアパートに居候しながら本レポートを書いています。長かったような、でも思い返すと色々あったような、そんな一学期を今回はご報告させていただきます。

写真1:学期終了後の閑散とした寮

(写真1:学期終了後の閑散とした寮)

 

1.秋学期の授業について

まずは留学のメインとも言うべき授業について。今学期は4つの授業を履修しました。

GRK 101 Elementary Greek 1 (4 hours)

CLCV 221 The Heroic Tradition (3 hours)

PS 371 Classical Political Theory (3 hours)

CMN 101 Public Speaking (3 hours)

 

以下、それぞれの授業について感想や反省をまとめたいと思います。

 

・GRK 101 Elementary Greek 1 (4 hours)

古典ギリシャ語の初級の授業です。最初の方こそ余裕ぶっていたのですが、動詞の活用が手に負えなくなってきてから格段に難易度が上がりました。とはいえ、毎週の小テストや課題をこなしていく内に、身に付いていくように授業が設計されています。また、使用している教科書は『From Alpha to Omega』という厚さ5cmはあろう、持ち運びに大変不便な代物なのですが、この教科書の説明がものすごく丁寧で助かっています。自習者にもオススメできるものだと思います。

ところで、古典ギリシャ語は「書かれたものを読む」ことに重点が置かれているため、他の諸現代語と異なり一学期間履修したところで自己紹介すらできず、なぜ取っているのかと友人に訝しがられることもあります。個人的には単純にパズル感覚で楽しいというのもあるのですが、言語学習に関するある動画の中で「(ラテン語を学ぶことで)言語がどのように成り立っているかを知ることが出来た」という言葉があり、なるほどと思わされました。ギリシャ語とラテン語とを一括りにはできないでしょうが、この説明はなかなかしっくり来ると思います。

来学期も引き続いて履修する予定です。Office Hour(授業外で教授やTAに会うことが出来る時間)が設定されており、誰も使っている様子はないので、来学期はその時間を利用し、授業に加えてギリシャ語作文や散文読解を行おうと計画しています。

 

・CLCV 221 The Heroic Tradition (3 hours)

名前だけなら誰もが知っているような代表的な叙事詩(epic)を、英訳で読み進めていくという授業です。最終的に『ギルガメシュ叙事詩』『イリアス』『オデュッセイア』『アルゴナウティカ』『アエネイス』『変身物語』の6作品を全て読みました。いや、少なくともカリキュラム上は読むことになっていました。

・・・というのも、上記の作品の中から、毎週150ページ程度の課題図書が課されるのですが、文学的な表現(たとえば原文を尊重して詩の形式で訳されていたり、目的語が動詞の前に来たり)が多く、また1行あたり知らない単語が3つはあるという有様だったので、日本語訳やネット上で見られるあらすじを参照しながら読み飛ばした箇所が少なくない、というのが正直なところです。とはいえ、ペーパーや試験を契機に集中的に読むと、(ほんの少しですが)共通する単語や表現等にも慣れてきて、授業で教わった構造やテクニックが見えた瞬間には、自分の成長を如実に実感できる授業でもありました。

この授業はGeneral Education(教養科目、要するに古典学専攻の学生以外が沢山いる)に指定されているからか、Feast(ギリシャにまつわる食べ物を持ち寄ったパーティ)やRecitation(詩の暗誦大会)などのイベントが授業中に行われ、興味をそそる工夫が凝らされていました。

来学期は少し専門からは外れてしまうのですが、文学作品を読むことを続けたいため、「ヨーロッパ・アメリカの文学」を履修しようかと検討しています。

 

・PS 371 Classical Political Theory (3 hours)

この授業は悔いの残る形になりました。履修人数が少なく(7人)、扱っている内容も興味関心のど真ん中だったのですが、ディスカッションベースで進む授業に最後まで対応しきれませんでした。ペーパーも、課されるトピックが難解(?)で満足の行くものが書けなかったように思います(期末ペーパーのトピックは「あなたがアリストテレスになったと仮定して、プラトンの『国家』で述べられている考えを批判する文章を書きなさい」というもの)。

授業で分からなかったところはクラスメイトや教授に後で聞く、授業は録音して復習する、ペーパーの相談をOffice Hourを利用してする等々、解決策は今考えればいくらでもあるのですが、これらを実行に移すことが出来ませんでした。後で詳しく書きますが、こうした自分の弱さをどう克服していくかが来学期の抱負の一つです。

授業内容に関して、聖書の一節も課題図書に設定されること、また古代の政治思想を扱っていながらしばしばアメリカの現代政治に言及することが特に印象に残っています。現代への視点を忘れない姿勢は自分で課題図書を読む際にも意識するようになりました。

 

・CMN 101 Public Speaking (3 hours)

学期の最初に「ひとつくらい英語に関する授業を取るか」と急遽履修を決定した授業です。過去の奨学生の方々や同期も沢山履修しており、皆さんそれぞれの感想ですが、私は得るものは思っていたより少なかったように感じます。朝の8時の授業に間に合うように起きられるようにはなりましたが・・・。

今後の奨学生の参考になるかは分かりませんが、せっかく語学留学ではなく(通常の授業を履修できる)単位取得留学なのだから、無理をして「英語学習のクラス」を履修する必要はないと思います。少なくとも自分の場合は、それよりももう一つ専攻の授業を履修していた方が良かったのかもしれません。

ただ、振り返ってみると、今学期は人前でスピーチや発表を行う機会がこの授業以外にほとんどなかったので、場数を踏むことが出来たというのはよかった点です。原稿を予め準備できるスピーチも内容はほとんど覚えて臨まなければならないし、また授業内の即興スピーチはまだまだ言葉が上手く出てきません。来学期以降、積極的に英語で発表する場を探すことで、後になってこの授業で習った理論やポイントが効いてくると期待しています。

 

以上が今学期の4つの授業になります。Classical Political Theoryのところにも少し書きましたが、授業内容云々以前に、「自分が100%やれることをやった!」と言い切ることが出来ないところに悔いが残ります。留学に来たからといって突然に真面目な学生に変わることは有り得ず、ある意味で日本の生活の延長線上にあるのだと思うのですが、それでも新しい環境は自分を変えるきっかけになります。「理想の自分像」を現実の方へ下方修正していくのではなく、現実を理想に少しでも近付けられるよう、些細なところから見直していきたいと思います。

 

 

2.課外活動について

次に、授業外での活動についていくつか簡単に紹介します。

・English Corner

毎週木曜日、キャンパス内にある教会が主に留学生向けにイベントを開いています。ハロウィンやクリスマスなど時節に合わせたイベントも多く、他の留学生と知り合えることから、9月の後半辺りから参加していました。ここで出来た(主に中国人の)友人とはよくつるんでおり、アパートに誘ってもらっては美味しいご飯をいただいています。

また、木曜日のイベントとは別に、週一回のConversation Tableも同団体主催で設けられているのですが、こちらではアメリカ人学生から活きた英語が学べるので欠かさず参加していました。一人で宿題などをしていると「あれ今日あんまり英語話していないな」と思うことが結構あるので、会話の機会を少しでも多く持つという意味で貴重な時間だと思います。

 

・Fall Getaway

10月中旬頃、Bridge International主催の「Fall Getaway」というキャンプに参加しました。これまた教会を母体とした団体で、週末を利用してキャンパスから車で1時間ほどのキャンプ場に泊まり、聖書の勉強会などを行いました。勉強会といっても堅苦しいものではなく、映画を見てそれについて話し合ったり、想像以上にポップにアレンジされた賛美歌を歌ったりと、キリスト教徒でない自分でも楽しみながら参加することができました。なかでも飛び抜けて印象に残っているのは、最終日のキャンプファイヤーの際に行われた、「自らに起こった奇跡体験」をシェアするという時間です。ブラジルの留学生が話した、友達が出来ず寂しい思いをしていたときに祈ると、ちょうど部屋のドアがノックされ、この「Fall Getaway」の誘いが来たという話が衝撃的でした。宗教に馴染みが薄い日本では、と言うと語弊があるかもしれませんが、少なくとも日本で身近に宗教として感じていたものとは違った形で、宗教がいかに生活のバックボーンになっているのかを垣間見ることが出来ました。

また、このキャンプでは人生で最も多くの星を見ることが出来ました。アルバイトを抱えたまま参加しWifiや電話がなかなか通じずほんとうに苦労したのですが、それほどのど田舎、澄んだ空気と邪魔するものが何もない頭上に言葉を失うほど綺麗な星空が輝いていました。

 

・Thanksgiving Break

Thanksgiving(感謝祭)休暇として11月下旬の1週間が休みになり、寮を追い出される留学生の間では、こうした休みに何をするかが一つの話題になります。私はコロラド州デンバーとカリフォルニア州ロサンゼルス、フレズノ、サンフランシスコ、そしてシカゴに友人を訪ねて旅行に行きました。ロサンゼルスでは、日本に留学していたことのある友人カップルの家(ビーチから徒歩10分)に泊めてもらい、サンクスギビング当日はその友人のさらに友人の家で感謝祭のパーティに呼んでもらいました。メキシコ人大家族の温かい歓迎を受け、とても楽しい一日を過ごしました。

ところで、この1週間で合計6カ所の場所に泊めてもらったのですが、せっかく招いてもらっているのにずっと黙っている訳にもいかず、おのずとアメリカ式ホームパーティを「生き延びる」とも言うべき、特殊能力が鍛えられた気がします。家族の集まりか友人同士の集まりかで微妙な違いはありますが、ホームパーティの基本的な構造は同じで、3〜7人程度のグループで、最近あった出来事などを語るエピソード形式で進んでいきます。ここで大事なのはエピソードに必ず「オチ」を入れることと、一人が話し終わったあとに不自然な沈黙が訪れないように次の人がすかさず話し始めることです。なお、ここでいう「オチ」は必ずしも面白い必要はないようで、むしろ「ここで笑ってください」という明確さが求められます。それがないと次の人にバトンタッチ出来ずに地獄をみます。

なかなか即興でエピソードを語るのは難しいのですが、自分も何も喋らないのも変なので(視線を感じます)、前の人が話している間に頭をフル回転させて文章を組み立てます。困ったときには、「アメリカに来て感じた違和感」を面白おかしく話したり、「日本では〜」という話をしたり出来るので、そういった留学生特権はフルに用いました。ここに知性やマナーなどを加えると立派に将来にわたって使えるスキルになると思うので、今後もこうした脳の筋肉は意識的に鍛えたいと思います。

s_写真2:感謝祭のパーティに呼んでくださったご家族

(写真2:感謝祭のパーティに呼んでくださったご家族)

 

3.秋学期を終えてみて

この4ヶ月間で私は、自分が思っていた以上に消耗した、と思います。

日々の一つ一つの出来事を取ってみれば楽しいことが多く、また、あからさまな人種差別に曝されたり、強烈な挫折を経験したり、という訳でもないのですが、1学期を終えてみて「ああ気を張っていたなあ」と。

 

・アメリカが疲れる

言葉や文化の違いという当然のことに相まって、「銃社会」を象徴とするアメリカ社会の暴力的な側面に対して自分が身構えていることに気付きました。深夜に一人で出歩くことは現地の学生でも控えており、実際にキャンパス内で事件が起きたことがメールで流れてくる度に、フィジカルに脅威を感じています。

上にちらっと「人種差別」と書きましたが、多人種が共生するアメリカにおいてこれは完全には解決されていないように思います。「I’m not racist but…」と前置きして割とドギツいことを言ったり(このフレーズは非常に頻繁に耳にし、それだけアメリカ人は敏感になっているということでしょうが、そのことが反対に問題の根深さを表している気がします)、raceやethnicごとにグループで分かれていたり(学生団体など)と日々の生活を通じてそのことを実感します。

写真3:シカゴ観光

(写真3:シカゴ観光)

 

・自分に疲れる

まだほんの4ヶ月しか滞在しておらず、しかも「アメリカ社会」のごくごく一部の地域、一部の側面しか見ていないにも関わらず、そしてとりわけ「人種」等は日本でずっと暮らしてきた自分にとって文章にしづらいトピックであるにも関わらず、なぜ上のことを書いた(書いてしまった)のだろう、と自問しました。

一つには、人生で初めて外国に一定期間滞在することで自分に生じた変化を、モヤモヤとした形ではなく、何か文章にして残したいという動機があります。しかしそれ以上に、より本質的には、何か言い訳を探しているというところに理由があると感じました。日本でのバックグラウンド、ネットワーク、言語能力等々を使えない状態で、初めて「自分自身」で勝負しなければならなくなりました。一時期は、自分のやりたいことは何か、自分には何ができるのか、自分はなぜ留学をしているのか、友達ってなんだっけ等々のウダウダとした考えから抜け出せず途方にくれてしまったこともありました。(ちょうどその時期がボストンキャリアフォーラムの時期と重なり大変でした・・・というのはまた別の言い訳です。)

自分の至らなさを環境の所為にして打ちのめされて「ぬくぬくとした環境」に安住するのか、それともその機会を最大限に利用して踏ん張るのか。前回のレポートで「留学生活はすべてが自分次第」と書いたような気がしますが、これがまさに一番大きな点での「自分次第」です。また、そんなマゾヒスティックな環境への向かい合い方だけではなく、その良いところを最大限に利用するという正攻法だってある訳です。

残り1学期。秋学期とは比べ物にならない早さで過ぎていくでしょうから、漫然と過ごすことは避け、まだまだ変化を厭わず、動いてみたいと思います。

 

第39期小山八郎記念奨学制度奨学生

吉川慶彦