梶恭子さんの2005年最終レポート

JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。日本に帰国して一週間が経過しました。帰国直後は、シャンペーンでの親しい友人たちとの別れに涙し、喪失感に襲 われるばかりでしたが、長い長い一週間をかけてようやく日本に帰ってきた自分を実感し始めました。今では自分がシャンペーン・アーバナで学んでいたという 事実が夢のようにも感じられます。振り返ってみるとUIUCで学んだこの一年は、たくさんの友人と出会い、新しい価値観に触れてたくさんのことを学んだ、 人生で最も濃密な一年間でした。

感度をいっぱいに上げて臨んだ一年間でしたので、シャンペーンでの日々はまるでついさっきのことのようにくっきりと頭に描くことができます。シャンペーン に到着した日初めて見た地平線から地平線まで続くとうもろこし畑、自分が一年住むことになるんだ、と見上げたSherman Hall、張り詰めた糸のように緊張して臨んだ初めての授業、初めてできた友達…つらいことや悩んだりすることもたくさんありましたが、振り返って浮かぶ のは、楽しい思い出ばかりです。特に、シャンペーンで出会ったすばらしい人々には感謝しています。みな驚くほど温かく、到着直後で英語もうまくしゃべれな い私を本当に歓迎してくれ、帰国直前までその温かさは変わりませんでした。Photographの教授や、幼稚園の園長先生、世界各国からの留学生の友 人…尊敬できる人にも何人も出会ったことで自身が一回りも成長した、と胸を張っていえるほどではありませんが、尊敬できる人とのふれあいの中で、自分自身 少しでもその人に近づけるように良いところから学ぼうとしたことで、人間の成長は人と人との触れ合いの中にあるのだと実感しました。

そういう人々との別れはとてもつらく、学期の終わり、お別れのあいさつをするたびに涙が次から次から溢れて来て泣いてばかりいました。そんな中友人が教え てくれたのは、私たちの世代はjet set generationだから離れてもすぐ会える、悲しくないよということです。Jetというのは飛行機を意味し、飛行機を使って誰もがどこへでも行ける時 代に生まれた世代を、jet set generationというのだそうです。かつてはヒトやモノの移動が今ほど簡単ではなかったので一時の別れはともすると一生の別れにもなりましたが、現 代では世界中どこへでも行けるので、いつでもまた会えるよ、とのこと。つまりは人と人とのつながりさえ忘れなければ、会いたいという気持ちさえあれば、い つでも会える時代だとのこと。そのときは「純粋に別れがつらくて泣いているのに、そんな屁理屈こねられても!」と全く納得できなかったのですが、帰国した 今、その言葉には納得するものがあります。というよりも、そういった気持ちを胸に携えて、それでも前に進んでいかなければならないのだなあと思いました。 出会いも別れも経験して、もっとたくさんのことを学んでいくために。

このような機会を与えてくださった原会長始め、JIC運営に携わっておられる皆様、本当にありがとうございました。現在まで過去3回のレポートを通して、 わたしがどれほどすばらしい経験をしてきたか、が少しでもJICの皆様にお伝えできていれば幸いです。このプログラムを通してイリノイ大学でたくさんのこ とを学んでいく未来の人たちのために、わたしも先輩方に少しでも近づけるよう努力していきたいと思います。本当にありがとうございました。

古川愛季子さんの2005年最終レポート

JICの皆様こんにちは。先月の後半に無事帰国いたしました。今ではようやく留学気分も抜け、心は次の目標に向かっています。密度の濃い一年間をまとめる のは難しいので、前回のレポートで書き忘れたことと、今振り返って特に思い出すことについて書き、留学の総括とさせていただきます。

(ニューヨーク旅行と頬にslap)

前 回のレポートではお伝えしませんでしたが、春休みにはルームメイトと二人で演劇鑑賞(幸運なことに、Tennessee WilliamsのThe Glass MenagerieをChristian Slaterのメインキャストで観ることができました!)と観光を兼ねて、ニューヨークへ旅行に行きました。私もニューヨークから大変刺激をうけました が、イリノイ州内の本当に小さなカソリック町で生まれ育った私のルームメイトは感動と同時に大都市そのもの、またそのなかでUIUCのキャンパス内とはま た違ったかたちで顕著になる、多人種、他民族の在り様に大きなショックを受けたようです。

そこからの帰り、バスの中で話題は卒業後の進路 になりました。私にとってはこの留学の最大の目標の一つである卒業後の進路を決めること。秋学期に楽しみながらも苦しんで専門分野の勉強を頑張った後か ら、大学院よりは社会に出て働きたいと漠然とは思っていたものの、はっきりとしたビジョンはありませんでした。まだフレッシュマンのルームメイトは「卒業 したら1年程度peace cropで働きたい」と言いました。なぜか、と私が訊ねると、彼女は「I need a slap on my cheek before I start what I wanna do. Everybody needs a slap, I think.」 と言います。彼女は根っからのartyなタイプで普通の職業に就く気など更々無く、元々「卒業したら詩をつくりながら世界中を旅したい」と、私から見れば 夢のようなことばかり言っていました。そんな彼女から出た意外な発言であったため、この「頬にslap」という言葉自体がいまだに心に残っています。それ 以前の私自身は、卒業後の進路を常に考えつつも、大学という心地よい場所で自分の好きな勉強をただ純粋に楽しんでいる状態でしたが、この春休みの旅行以 降、自分が望む将来へのプロセスとそれに対する心構えのようなものが少し変わった気がします。留学で得たものは沢山ありますが、一つ分かったことは、「私 は留学を通して頬にslapを受ける準備ができた」ということです。だからこれから約一年半残された学生生活では、いままでのように大学生として純粋に勉 強を楽しむと同時に、社会に出て頬にslapを受ける準備期間ということを肝に銘じて、今までとは違う意味で、又、違う方法を取りながら貪欲な過ごし方を しなければと思う次第です。

(老人ホームでのボランティア活動とお別れ)

2回目のレポートで少しお伝えしたと思うのです が、私はUrbanaにある老人ホームへ週一回ビンゴゲーム大会を開きに訪問していました。これはVolunteer Illini Project、通称VIPと呼ばれるUIUC最大のボランティアサークルを通し、形式上は「ボランティア」として行っていました。しかし私はこの週一回 の訪問を本当に楽しんで、これ自体が一年間を通して自分の支えにもなっていました。残り2回という状態でVIP senior citizenのコーディネーターから「Akiko, I have something to you.」と言われました。そこには額縁に入った二つの賞状が。見ると「Best Volunteer Person of the Year」と「Millian Hutch Award」という二つのタイトルの下に「Akiko Furukawa」と書いてあります。私は本当に楽しんでいただけだし、他のVIPで活躍する人々に比べたら遊んでいたようなものだったので「I don’t think I deserve it」と一度断ったのですが、彼女は「Yes you DO!」の一点張りです。そして額には入っていたものの、その額がマイヤーのスーパー袋(笑:アメリカを感じました)から出てきたこともあり、そんなに大 それた賞ではないと思い受け取ることにしました。心外な部分はあったものの、自分が一年間続けたことが認められたことは大変嬉しかったです。その後気付い たのですが、一年の終わりにはVIPに限らずUIUCのキャンパス中が「best○○of the year」という表彰だらけであったということです。Unionに行けば「best employee of the year」が壁に掲げられ、寮では「best RA of the year」が、というふうに何処へ行っても表彰を目にしました。ボランティアを通して、コミュニティーと協力しあう大学を感じると共に、頑張った人に対す る自治的な評価体系があらゆる場所に存在することも新鮮に感じました。

そして最後の訪問日、老人ホームでは沢山の「buddies」が私 達の到着を待ち構えていました。このような、複数の人々を対象とする活動において、自分のfavoriteを決めることはふさわしくないかもしれません。 しかし私にはfavoriteがいました。50代前半で全盲の彼女は週一回のビンゴゲームを「生きがい」と言うくらい楽しみにし、毎回興奮のあまり叫び、 他のお年寄りに迷惑をかけ、時には退場宣告を受ける程(笑)のビンゴファン、そしてAkikoファンでした。最終日には私をみつけるなり「Akiko, I know you were coming, cuz I cried and prayed all night.」としがみつき、泣き叫びます。元々涙もろい私は絶対に泣いてしまうな、と予想していたのですが、彼女の強烈な慟哭に圧倒され、感慨は深かっ たものの冷静に過ごしました。いざ帰る時となり、沢山の「God bless you.」とハグが交わされる中、私のfavoriteは「God bless you.」と泣き叫びながら緑色のmountain dew(coke よりもカフェイン含有量の多い炭酸飲料)の缶をくれました。先学期、テスト前日での訪問日に「カフェインたっぷりだから勉強するのに起きていられるよ」と 言ってくれたのを私が大変喜んだ事を覚えていたらしく、「I know that you like it!」と今度はシュガーフリーのmountain dew(血糖値が上がり、砂糖入り飲料を医師から禁止されたと文句を言っていました)をくれたのです。「I know you’re going back for good, but please think about me sometimes.」とまた泣き叫びながら杖を頼りに自分の部屋へ戻っていく姿にはほろりとさせられました。とにかく楽しくて仕方なかったこの老人ホー ム訪問はイリノイでの一番の思い出のうちの一つです。

(最後の数日間)

私の今学期のファイナルは、そのほとんどがファイ ナルウィークの前に終わっていました。しかし最終日にスピーチがあったことと、black chorusのメンバーとしてcommencementに参加することに決めていたので寮の退出を最終日まで延長し本当に最後の一人になるまで寮に残るこ とになりました。いままでお伝えしてきたように、私はインターナショナルドームの、更にインターナショナルフロアに住んでいたため他にも何人かは残ってお り、最後にみんなで寮中treasure huntingをしてsomesoniteのスーツケースを手に入れたり(!)と楽しかったのですが、それでも置いていかれる立場でのお別れは大変辛いも のでした。

ファイナルスピーチまでほぼ丸一週間空いていたので、沢山の友達の引越し作業を手伝いつつ、一緒に写真を撮ったりして過ごしま した。私はまた別れの度に「あ、泣きそうだ」と思っていました。しかし予想に反したことに、普段はクールなルームメイトを含め、お別れのハグをする度に相 手のほうに先に泣かれてしまうことが多く、私はどちらかというと冷静でした。私は普段からちょっと辛いことがある度に友達に愚痴りながら泣いていました。 私は慰めされつつも、「アキコ、他人に涙を見せることは、自分は弱い人間だと言っている様なものだから気をつけろ」と注意されたりしていたので、そんな友 達に先に泣かれ、老人ホームの時同様「なんだかなぁ」と複雑な気持ちにもなりました。しかしcommencementの前日、最後まで一緒に寮に残ると 言っていたイリノイでの一番の友達が突然旅立たなくてはならなくなりました。彼女の緊急なmoving outを大忙しで手伝い、全ての荷物を運び終えた 時、私の携帯電話が鳴りました。なんと、イリノイで最も仲良しで毎週末一緒にパーティーしていた男の子達2人も同時に旅立つといいます。最後には車二台が PARの前に並び、イリノイでの親友3人が同時に私を置いて旅立つという状況になり、その時ばかりは息ができなくなるくらい泣いてしまいました。

こ のような体験を踏まえて、イリノイでの一年間は「自分が沢山の人から愛されている」ということを、日本にいるときよりもより分かりやすい形で再確認したも のでした。沢山の「God bless you.」や「Good luck.」が飛び交うお別れの場面一つ一つで、私はこんなに沢山の人々から大切にされているのだから、それに報いる生き方をしなくてはならない、と、襟 を正すような気持ちにさせられました。

(イリノイでの一年間)

留学で得たものを数え上げると、大切な友達、語学力、自分 なりのアメリカ観、他人に向けた自分のre-presentationの仕方に対する意識、貪欲になること、などなどきりがありません。勉強の面では、 LASという学部の名前そのものの、最高のリベラルアーツができたし、その他の生活でも学部寮での、常に友達と一緒の生活や、black chorus、老人ホームでのビンゴ大会など密度の濃いイリノイ生活、しいてはアメリカ生活ができたと思います。留学気分はもう抜けたものの、来月にはイ リノイでできた友達の何人かが日本に来るのでその観光案内をすることが近いうちのお楽しみです。せっかくできた友達なので、これからも大切にしていきたい と思います。

イリノイでの素晴らしい一年間のなかで辛いこともありました。その時にイリノイでできた友達に助けられたことはもちろん、 JICの奨学金システムでアメリカに来てよかったなと思うことが度々ありました。悩んだ時は一緒に来た3人に相談したり、過去の先輩方のレポートを見て参 考にしたり、更に私の書くレポートへのお返事のメールにも本当に励まされました。それを踏まえて私が思うJIC奨学金制度の、他の奨学金制度には無い強み は、この手厚いサポート体制と、更に、留学目的が応募条件として限定されていないので、将来の選択肢を狭めることなく奨学生それぞれの目標に向かって一年 間自由にイリノイで勉強、生活できるということにあると思います。

“From the bottom of my heart, I really want to say, I have to say thank you.”これは私がblack chorusで教わったGratefulというゴスペル曲の歌詞の最後です。ここでは “you”はイリノイで私と関わった全ての人、そして何より、このような素晴らしい機会を与えてくださったJICの皆様を指します。言葉で言い表すのは難 しいですが、本当に感謝しています。ありがとうございました。総会でお会いできるのを楽しみにしています。

中山輝美子さんの2005年最終レポート

ICの皆様おひさしぶりです。9ヶ月の留学生活を終え日本に帰国した中山輝美
子です。レポートの提出諸事情により大変遅くなってしまいました。すみませ
ん。留学生活も終わったということで留学経験のまとめとしてレポートを書きた
いと思います。はじめにこのような機会を当てていただいたお礼を申し上げたい
と思います。University of Illinoisというすばらしい大学に留学でき、沢山の
ことを学び、様々な経験をできたのも皆様のおかげです。すばらしい機会を与え
て頂き本当にありがとうございました。

11ヶ月前JIC総会で皆様にお目にかかり留学を身近に感じたのが懐かしいほど
昔に感じます。帰国したばかりの2003年度留学生の方にお会いし、いよいよ
これからイリノイに行くんだとドキドキワクワクしながら準備を始めました。高
校の時に留学は経験していたもののすべて自分ひとりで行うというのは未経験
で、アメリカ大使館にVISAをとりに行ったり、メールで住居探して契約まですま
せたりと、初めてのことばかりでした。

日本では上智大学の比較文化学部に通っていたということもあり、出発直前にな
り留学は自分にとって本当に必要なことなのかと悩んだこともありました。英語
を学ぶというのは留学する理由にならないと。しかし、こちらにきてからの9ヶ
月予想以上の経験をすることができ、人として一回り成長したような気がします。

留学中一緒に暮らした15人の友達と出会えたこともそのひとつです。大切な友
人を亡くしたり共同生活の難しさを実感したりと大変なことも多々ありました
が、異国の地で親元を離れて暮らしているものどうし相容れるものがあったと思
います。みなそれぞれ育ってきた環境は違います。先進国で育った私のような者
もいれば、国の奨学金を得てアフリカから出てきた人もいます。私のように無宗
教者もいれば、カトリック、ヒンズー教徒、そしてイスラム教徒もいました。ひ
とりひとり考え方も違いもめたことも沢山ありました。しかし今振り返ってみて
彼らと出会えたこと、一緒に一年間乗り切ったこと、そしてそこから学んだこと
がわたしを成長させてくれたと実感しています。

様々な経験の中で何よりもわたしを成長させてくれたなと思うものがひとつあり
ます。Johnson and JohnsonのCorporate Business Competitionに参加した経験
です。上智大学でも同じようにBusinessを専攻していたにも関わらず、このよう
なチャンスはめぐって来ませんでした。FinanceやAccountingなど違う専攻をし
ている生徒たちがあつまり、ケースを与えられ、会社から派遣されてきた方々の
前で自分たちなりの見解をプレゼンするという刺激ある経験をさせて頂きまし
た。全員が同意することができず夜中まで話し合ったり、徹夜で数字を計算した
りなど、仕事についたらこのようなことをするのであろう経験をしました。プレ
ゼン当日には分析結果の盲点をつかれたり、答えられないような質問をされた
り、自分たちの甘さも実感しました。しかしすべて良い経験であったと思いま
す。アメリカにおけるビジネスの新しい時代のビジネスマンを育てようとする体
制をすばらしいと思い、日本でももっと学生にこのようなチャンスが与えられれ
ばよいのにと思います。

一年前の今頃の私には将来の方向性が見えていませんでした。Businessをしたい
と言う思いは有ったのですが、具体的にどうしたいかなどはわかっていませんで
した。しかし、この一年間授業や授業外で様々なことを経験した結果、やっと自
信を持って言えるようになりました。わたしはマーケティングと商品戦略をした
いと。就職活動やインターン探しなどしなくてはならないことが沢山待っていま
す。この一年間で成長した自分に誇りをもって取り組んでいきたいと思います。
これもすべてJICの皆様のおかげです。本当にありがとうございました。総会
で皆様に留学を終えて成長した姿を見ていただけるのを楽しみにしています。

中山輝美子

中山明子さんの2005年最終レポート

第三回レポートを書いた後すぐに帰国しましたので、今回すぐ後に提出致しましたことをお許しください。今回は私の常日頃気になっている戦争のことについて 触れ、私の全レポートを終わらせていただきたいと思います。まず、私が今回の留学で一番感じたことは、どんなに文化や考え、宗教までも違う人同士でも、何 か決まるとき話し合いによってお互いにとって最良の解決方が見つかるのだということでした。今の世界を見つめたとき、悲しくもいまだに戦争の空しさや悲し さに飽きずに、軍隊を出したり、自国内の異なる宗派の間で戦っている国が見受けられることが悲しくてなりません。おそらく理性を失い、感情のみで動いてい るような行為が世界のあっちこっちで起こっています。自分の体裁のみを保つため、または自分がトップに君臨している間は利益を得ることだけに専念し、政治 自体をいい加減にしている政治家やリーダーの多さにもびっくり致します。どんな交渉や会談でも一歩でも平和的な解決に進むよう、妥協案や折衷案を考えたり と、現実改善につながるように努めるべきだと思います。世界は核の存在の脅威や人口増大でもう大変です。これからは世界の国々や人々が互いに理解しあっ て、一緒に手を携わって生きていかなくては、もう安心できる時代ではなくなってきたのかもしれません。その意味で、まず異なる文化の飛び交うキャンパスで も多くの人と仲良く楽しくやっていけるUIUCでの生活と同じく、どの国も自由に、自分の文化を愛し、他人の文化を尊重して生活していかなくてはならない 時代だと思います。自分の利益よりも自分の友達のために助け合ったりすることの方が大事だと思われるように、自国の経済や安全とともに、国家間の友好関係 に最多の努力を払い、どの国も国民のために強く、かつ弱い国とも友好であるべきだと思います。自分もまず身近からできること、援助したり、贅沢や無駄遣い をやめたりと、なにか貢献できることを始めたいと思います。

21世紀はインターネットの普及に伴い、なんでも地球規模で起こったり、世界の人々がひとつの”地球文化”をシェアしたりすることも多くなりましたが、一 方で是非祖先が残してくれた自国の伝統や文化をなくさないようにもしていきたいと思います。特に、若者は盲目的に流行を追うだけで、自分の国を愛さない、 自己主張のない大人になってほしくないです。孫子の兵法に「知己知彼、百戰不殆」という有名な言葉がありますが、文字通り己の文化や自分自身を知り、他人 のことも理解できたならば、戦わずしてうまく解決できるものだと思います。まず一人一人が自分の意見をもって、かつ理解や尊重のし合える会話ができるな ら、ますますすばらしい社会になるのだと思います。

最後に、JIC奨学金生として自分自身を、そしてJICをとても誇りに思っています。今まで私の稚拙なレポートを読んでくださった皆様や、応援をしてくださった皆様、本当に心から感謝致します。

古川愛季子さんの2005年4月分レポート

こんにちは。ここUIUCは三月後半から突然夏のように暖かくなったと思ったら、ま
た冷え込むということを未だに繰り返し、ようやく春(というかいきなり夏)が訪れ
た感じです。前回のレポートから3ヶ月余りの様子についてお伝えします。とはいい
ましても、もうファイナルウィークに入ってしまい、自分の気持ちはもう留学の総括
に向かっていますが、それとは別に、この特定の期間にもいろいろなことを経験した
ので、思い出しつつレポートに取り組んでいる次第です。具体的には、授業のこと
と、それ以外のことに分けてお伝えします。

(授業のこと)

私はコーラスを含め5つの授業をとりましたが、興味の中心は学期を通して前回お
伝えしたものと変わりありませんでした。よって、同じ二つについて、その後どう
なったかをレポートします。

RHET233:Critically Queer
始めたころは、いきなりESLのライティングから200番台のアメリカ人向けのレト
リックに変えて大丈夫か不安でしたが、結果、この留学を通じて一番とって良かった
と思える授業のひとつになりました。基本テーマはsex, sexualityなのですが、特に
queer politicsの考え方を中心に、Michel FoucaultのHistory of Sexualityから、
現在メディアや私たちの日常で起こっている出来事までを、criticalに、そして
academicに考える、というとても斬新で刺激的な授業でした。よって授業に上る話題
はFoucault哲学から、sex education, 宗教、人種問題、テレビドラマのWill and
Grace、ひいてはアイドル歌手Jessica Simpson (!) に至るまで本当に多種多様でし
た。イリノイ大学で最も前衛的(?)な授業のうちの1つに入るのではないかと思い
ます。日本では、口に出すことすら禁忌であるような(この中西部の白人、クリス
チャン中心のミュニティーであるUIUCでももちろん)こと、でももっと語られる必要
があることを敢えて、先生自身、人種、sexualityのダブルマイノリティーの立場で
行う、ということ自体大変意味深い授業でした。わたしがこの授業で一番、技術的に
学んだと思うことは、文章でも、口頭でも常にcritical なargumentをすることの大
切さと、(まだまだできませんが)その仕方の基礎知識だと思います。それから、
「マイノリティーの視点」という、生活面では抑圧された不利な立場でも、批評理論
上は強い武器になる(と私は思う)「ものの見方」に生まれて初めて触れたことも重
要です。更に、人文系にありがちな(と言われることの多い)陥穽として、自分の学
問以外のこと(特に今現在世の中で起こっていること)に疎くなってしまうところが
自分にはあったので、(もちろん学問を追及する人はそれでいいと思うのですが)こ
の授業での、学問的な理論と日常、特にメディアを結びつけるという作業はリベラル
アーツとしての勉強をする私には、これから社会に出る上でとても必要だったと思う
し、その作業自体エキサイティングなものでした。

MUS 261:Black Chorus
前回は始まったばかりで、たしか “It’s just amazing!”と表現したはずです。
今、commencementでのパフォーマンス一回のみを残した状態で思うことは、本当に素
晴らしい経験になったということです。しかし、この素晴らしいクラスが、大きな悩
みの種の一つとなっていたのも事実です。コースカタログには、「black music全
般」を取り扱うと記述されていましたが、実際はspiritual, gospelと言われるジャ
ンルのものが9割以上という状態でした。ということで、もちろん歌詞の内容は全て
Jesus Christに関するものです。更に、おしえ方も、先生が “Feel Jesus”,
“You have to mean what you mean!” というようなことを熱心に言われることが多
く、非キリスト教徒の私には歌詞で歌っていることと、自分自身の矛盾に苦しみまし
た。今振り返ってみると、この授業をとる前の段階では、“Choir”という簡単な単
語の本質的意味さえも分かっていなかったのだと唖然とします。しかし、悩みつつ
も、半年間やめずに続けて本当によかったと今では思っています。全ての曲(数え切
れないほどの曲数を学びました)は素晴らしいとしか言いようが無いし、更に二回の
Krannertでのコンサート(二度目はsold outでした!)や、地元Champaignの教会で
のコンサート、更にシカゴでの会議に招かれて、皆で旅(?)をして歌った経験など
全ていい思い出です。指揮者、そして現役のソプラノ歌手であり、さらにAfrican
Americanの女性として現在の地位を自らの努力で達成した、“self made”という言
葉にぴったりのDr. Davis自身の存在も大変inspiringだし、自らその成功を、特にま
だまだ苦境にあるAfrican Americanの生徒らに示すという点においても意味深い授業
でした。来年は “black music defines MUSIC of Illinois”という大きな目標のも
とに、更にblack chorus自体躍進していく予定です。去るのは悲しいけど、これから
は遠くから応援したいと思います。

(その他生活について)
上記のような経験を経て、ここイリノイで、自分はマイノリティーだと痛感するこ
とがしばしばでした。さらに他のクラスで勉強したことも含めて、アメリカにおける
構造的な(?)差別に気付き、ショックを受けることもよくありました。元々、私の
無知が原因なのですが、更に私はGlobal Crossroadという学部寮のインターナショナ
ルで、全ての人種が混ざり合って住むという、理想上のアメリカを体現したような場
所に住んでいるため、外とのギャップに苦しんだわけです。例えば、フレッシュマン
で日本人の友人は「レトリックの101、102には白人が一人もいない」という状
況に出くわしました。Diversityを謳う学校における、黒人系とアジア系だけのレト
リックのクラス。いままでの私ならそこで、「へぇ~」としか思わなかったのです
が、更に聞くと、それはそのセクションだけではなく、全体的に言えることだそう
で、そのクラスの先生が「あなたたちがここにいるのは、他の人たちより劣っている
わけではなく、“コミュニティーによる学校のresourceの格差”がある社会のあらわ
れなのです」と、初回の授業で言われたといいます。だから、UIUCのマジョリティー
である、suburbの良いハイスクールを出た白人は初歩クラスに一人もいないという事
態が起こるわけです。更に仲良しのblackのフロアメイトは、「他にもそんなことは
いっぱいある。私は高校で化学を三年間取ったけど、実験が一度もなかった。私たち
の学校(south side Chicagoのblack communityにある高校)は1つの薬品も買うこと
ができなかったんだ」と言います。それでも、ここ中西部はまだ他に比べて、最悪で
はないはずです。そんな状況を「機会の平等」と言ってしまえるアメリカってなんな
んだろう。。。と考え込むことがよくありました。英語の語彙が増えたせいで、その
ような議論をできるようになったのはいいのですが、あまりに悲しい現実です。しか
しそんななかでたくましく生きるマイノリティーと呼ばれる人々に敬意を払わずには
いられません。Black chorusでよくDr.Davisが生徒に「絶対に諦めるな」と励ましの
スピーチを毎回練習後に長い時には30分以上されることがあり、「早くかえりたい
なぁ」と思ったこともありましたが、そうせずにはいられない状況がある、というこ
とを知りました。

更に二・三月にかけては、近隣アジア諸国の日本に対する批判が相次ぎました。そ
の中で、個人の意見は別として、やっぱり溝は深いんだなと悲しくなることがしばし
ばでした。更にここUIUCは少なくとも学部レベルでは日本人が少なく、そして日本を
批判している国の人たちがたくさんいます。そしてCNN headlineでも毎日報道がされ
ていました。その中で、本土から来たと見られる中国人の方々を見るたびになんだか
びくびくしている(これは返って失礼かもしれませんが)自分がいたり、特にデモの
事に関して話している人を見ると聞き耳を立てている自分がいたり、更にたくさん
の、そのような国から来た私の友達は、本当のところそう思っているのだろう、と、
辛い日々でした。そんな中で一緒に来た留学生や、同じ寮の数少ない日本人の友達と
は立場を分かち合い本当に助けられました。今2005年でもこの状況ですから、過去に
ここで学んでいかれた先輩方はどんなに大変だったか想像もつかず、尊敬せずにはい
られません。

(まとめ)
このように冬休み以降の三ヶ月間は、今までのように沢山の友達に励まされつつ
も、イリノイの冬空のように重苦しく悩むことがたくさんあり、辛い時期でした。こ
れまで二回のレポートでとても前向きなことをお伝えしてきたので、レポートを書く
のをためらったのも事実です。先学期とは違って、英語にも困らなくなり、いろいろ
なことが分かるようになったのはよかったのですが、そのせいで、「アメリカの知り
たくなかった部分」にも沢山気付きショックの連続の日々でした。でもそんな中、他
の奨学生や沢山の友達に励まされつつ、いままでここで勉強されてきた先輩もみんな
経験したのかな、と受け入れた感じです。いまとなっては、冷静に振り返って、「こ
れも良い経験だ、留学の醍醐味(?)かもしれない」と思えるので、心配しないでく
ださいね。全体的なことは近いうちに最終レポートでまとめたいと思います。最後に
なりましたが、この留学の機会を与えてくださり、感謝しています。ありがとうござ
います。あとほんとにわずかなので、楽しんで帰ってきます。

古川 愛季子
お茶の水女子大学 文教育学部
言語文化学科 英語圏言語文化コース 3年

梶恭子さんの2005年4月分レポート

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JICの皆様、いかがお過ごしでしょうか。シャンペーンは再び寒気に包まれて、昨日今日と、最低気温1度という冷たい風が吹き荒れています。思えばシャン ペーンには春と秋という気候がないように感じられます。8月から留学される皆さんは、夏のシャンペーンでも服装に気をつけていただきたいと思います。

しかし、一月ほど前には、ようやく春の兆しが見受けられ、色とりどりの花があちこちで咲き誇り、それは見ていて楽しい景色が広がって いました。この時期、わたしはまた、「ああ、わたしはは日本人だなあ。」と感じることがあったのでそれについてお伝えしたいと思います。それは、わたしの 中での「桜」事変といわれるものです。

富山の実家の裏の山では、春には何千本という桜がいっせいに咲きみだれ、山全体がピンク色に染まり ました。わたしが通う一橋大学は、駅から大学の門まで続く桜並木知られ、春は桜のアーチの下を歩くだけでもうため息がでます。桜と春、春と桜は一心同体の 間柄。そして、冬は-15度にもなったシャンペーンにもようやく春が訪れ、20度を越す日も増えてきたころ、わたしはあることに気が付きました。 「イリノイには・・・・・・・・・さくらが無い!!!!」 桜を見ない春なんてまるでカレールーのないカレーのようです。桜を見ずに春を実感することができないのです。チューリップもパンジーもマグノリアも素敵で すが、やっぱりわたしは桜で目で愛でたいのです。そんな中ようやくキャンパス内で一本よれよれと咲く桜を見つけ、大はしゃぎしていると友達が、不思議そう な顔をしていたのでわたしは桜の魅力を力説しました。カラオケソングで一番多いタイトルは「さくら」百円玉にも「桜」、日本の国花「桜」、夜に散る桜の花 びらを見て芸術家はいく つもの詩を詠みました。日本人ならとにかく「さくら」「さくら」「さくら」、と。 そこで花見の説明をしたら彼が一言。「Public Spaceでお酒を飲むのは、法律違反じゃないのか!?」8ヶ月間で初めて文化の差というものに打ちのめされそうなった瞬間かもしれません。さくら禁断症 状が出ていたわたしは、アメリカ人の友達にも尋ねてみました。すると、春は桜、とまでは言わなくても、アメリカでも桜で有名なところがあるし、総括してア メリカ人も桜が好きとのこと。ワシントンDCの春は桜で街がピンク色にもなるとのこと。さらに彼が言うには、DCの桜は日本人が友好の印として植えたもの だそうです。日本人ほど桜が好きな民族は希少のようですが、桜はイギリスにも韓国にも名所があるということが後日わかり、シャンペーンにも桜が増えたらす ばらしいな、と思いました。

バスケットボール

皆様ご存知の通り、今学期のUIUCはバスケットボール一色に染ま りました。キャンパス中がオレンジ色になったというのは全くおおげさではありません。どのお店の窓にも「Fighting Illini」(バスケットボールチームの名前)の文字が躍り、バスケットボールフィーバーは5月5日の、NCAA決勝戦(日本で言えば、甲子園の決勝で しょうか)で頂点に達しました。皆様ご存知のAlma Mater像も決勝前にはチームのユニフォームに衣替えし、片手にはバスケットボールを持ってキャンパスの盛り上がりを体現するほどまでになりました。結 果は残念ながら準優勝になりましたが、みな口々に”We are still No.1!!!”と叫び、決勝戦の後のグリーンストリートは、深夜までオレンジ色のTシャツを着た数千人の学生たちで埋め尽くされました。わたしも Illini Unionの大スクリーンで声をからして応援しました。そのときの一体感は今 まで経験したことのないもので、スポーツの力がいかに偉大なものかを実感しました。Fighting Illiniと書かれたオレンジ色のTシャツは、一生の思い出になりそうです。

幼稚園でのアルバイト

今学期は、 少し生活にも余裕がでてきたこともあり、学期初めからキャンパス内の幼稚園でアルバイトを始めました。3歳から5歳までの子どもたちの食事を世話したり、 一緒に遊んだり、授業を手伝ったり、お給料をいただくのが申し訳ないくらい楽しいお仕事で、次の授業に向かうバスを何度か逃してしまうこともありました。 最近ではキャンパス内にある去年できたばかりの新しい美術館で、子どもたちとフィールドトリップに行ってきました。到着するとすぐ、美術館の係員の人が一 言。 「今日はみんなで『ちーぐいーるいーえー』 を作ります。日本のアートです。こうやって薄い紙をちぎって、重ねて糊で貼ってBEAUTIFUL!!!!」 それは「ちぎり絵」でした。 昔幼稚園でわたしも体験したものです。先生たちがHopesと呼ぶ子どもたちも色とりどりの紙と糊を手に必死で格闘していました。糊を使わずに単に重ねて 喜んでいる子もいれば、 一点集中して紙を重ね続ける子や ひたすら紙をちぎっているだけの子や、糊だけ塗っている子など様々。このアルバイトを始める前は、子どもはあまり得意ではなかったのですが、色んな発見が あって毎日新しいことに気づかされたり、忘れていたことを思い出したり。非常に貴重な体験をさせていただき、今学期が終わると同時に子どもたちに会えなく なるのがとても寂しいです。

現在は始まった期末試験の勉強に終われる毎日ですが、これが終わればあとは帰国するのみになりました。 今までやりのこしたこともたくさんありますが、その分予想していなかった新しいことにも挑戦でき、結果としては満足しています。総括は5月中旬になる最終 レポートでお知らせいたします。それまでみなさまお身体にお気をつけください。

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Illini Unionで決勝戦を観戦するUIUC学生

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試合後のグリーンストリートを数千人の学生が練り歩く

中山明子さんの2005年4月分レポート

JICの皆様、いよいよ梅雨の季節が到来する時期となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。UIUCで忙しかったファイナルも終わり、いよいよ帰るとき が来ました。前回のレポートからは特に大きな変化はなく、比較的穏やかな生活を送ってきました。もうすぐ帰ることもあり、いろんな友達とお別れパーティを したり、寮のみんなと一緒に見たバスケットボールの試合やシカゴでメジャーリーグのゲームを見たりと、とても楽しく過ごしています。この夏は残念ながら UIUCに残って研究や勉強をすることにはなりませんでしたが、これまでの7ヶ月間だけでも色んな楽しい体験や、きびしい体験、とても一言では語り尽くせ ない思い出が沢山出来たので、今回の留学には大満足しています。この7ヶ月間には、本当に以前は考えられなかった多くの白人や黒人、インド人などの多くの 友達が出来、最後は別れがとてもつらく、ファイナル期間中にもかかわらず、いろんな友達とお別れパーティをしたり、お酒も一緒に飲みに行ったりしました。 これからの人生の中でもずっと友達でいられるよう、ずっと連絡を取っていきたいと思います。

シカゴで見た野球の試合は、シアトルマリナー ズのイチロー選手とホワイトソックスの高津選手の2日本人選手が目当でしたが、彼らの堂々とした活躍を見て、私もこういう風に国際舞台に立ったときに、堂 々と勝負したいなあと思いました。最近Newsweek誌で21世紀は中国の世紀だという記事を読んだこともあり、中国との関係がこれから日本、そして世 界の国々にとっても大事だなと思いました。中国で何年か滞在したこともあり、とても親しみを持っています。これからは中国関連の活動を通して、多くの人と 出会い、文化をシェアしていきたいと思います。今回は期間が短かったこともあり、この辺りで終わらせていただきたいと思います。

古川愛季子さんのニューズレター用レポート

2004年度奨学生の古川愛季子です。日本ではお茶の水女子大学の文教育学部で米文学、批評理論を勉強しています。この留学では様々な経験させてもらい感謝の気持ちで一杯です。
まず勉強については、学部レベルの交換留学生という身分で、苦しみながらも勉強を思い切り楽しむことができました。自分の専攻分野、特に本場での批評理論 の授業はもちろん、スピーチの基礎の授業など、専攻以外の興味も深めることができ、学部生として最高のリベラルアーツができたと思います。
勉強以外の面では、一年間続けた老人ホーム訪問や半年所属したblack chorus (注1)など課外活動も欲張りなくらいに挑戦できました。更に私は学部寮のインターナショナルフロアに住んでいたこともあり、アメリカの diversityを肌で感じつつ、人種、国籍を超えた大切な友達を沢山つくることができました。私はそこで素晴らしい時間を過ごした、と自信を持って言 えます。しかしマイノリティーというカテゴリーに入れられる沢山の友達を持ち、自分もその一人として過ごす中で、アメリカの厳しい現実を知ったのも事実で す。
これらを踏まえた上で思うことは、UIUCは人種、宗教の差別など色々な問題を抱えつつも、多様性を抱え、いろんな人が生きるアメリカを経験するのにとて も良い場所だったのではないかということです。そして、その多様性のなかでは常に「自分は何者なのか」ということを突きつけられました。その意味では、こ の留学は自分を知るプロセス、更には知った上で「自分をどのようにre-presentするか」を切実な問題として学んだ気がします。一年間JICの奨学 生であるということ自体に大変励まされました。これらの経験は今後社会に出る上で必ず役立つだろうし、役立たせます。この素晴らしい機会を与えてくださっ たことに心から感謝いたします。

注1; UIUCに3つあるUniversity Choirの中でも最大規模の、black musicを広めるという目的を持ったchoir。

古川 愛季子
お茶の水女子大学 文教育学部
言語文化学科 英語圏言語文化コース 3年

梶恭子さんのニューズレター用奨学生レポート

シャンペーン・アーバナの豊かな自然に囲まれたイリノイ大学に留学して早10か月目になりました.日本の大学では社会学を専攻していますが,イリノイ大学では専門分野に縛られず,さまざまな分野の授業を履修できたことが何よりも貴重な体験となりました.専門以外の分野に挑戦したことで勉学に対する自分の可能性を広げることができましたし,何よりも挑戦すること自体に大きな意義があったと思います.

今年はイリノイ大学のバスケットボール部が全米選手権の決勝に進出,幸運にも大学挙げての一大応援イベントに参加することができました.大学のみならず,街全体が一丸となって応援したときの興奮と感動は,何よりも大切な思い出の一つとなりました.

こちらでの生活も残すところ数週間となり,目下期末試験に向けて勉強中です.有終の美を飾れるよう,精一杯頑張りたいと思います

梶 恭子
一橋大学 社会学部社会学科 3年
専攻分野 マスコミュニケーション

中山明子さんのニューズレター用奨学生レポート

JIC の奨学生としてイリノイ大学に留学したこの一年間は、本当に来てよかったなあと心からいえる一年でした.毎日が発見の連続で,エキサイティングな日々を過 ごせました.緊急時にはいつも友達から助けられ,友達の大切さが改めてわかったり,生涯付き合うことになりそうな友達にも何人か出会うことが出来ました. また,何事も努力した分だけ報われるということも分かり,努力の大切さがわかりました.ここで人生のプランが少しずつ出来上がってくるような気がします. あっという間に嵐が過ぎ去って,荒波をいくつも乗り越えた末の安堵感が,いまひしひしと感じられます.長い目で見ると,本当に自分を一回り大きくしてくれ た一年でした.
具体的にこちらに来てよかったことは,英会話力が本当に伸びたことと,日本では取れなかったラテン語と解剖の授業が取れたことで す.またハードな勉強とは裏腹に,楽しいパーティーにもいっぱい行きまして,どれも本当にストレス発散になってよかったです.アメリカの多様性のスケール の大きさも身に染みて分かると同時に,日本の文化や自分自身を見つめ直す機会を得ることも出来ました.これからも自分のオリジナリティーや他人の文化や考 えをを尊重していくよう努力したいと思います.
最後に,どうしてもお伝えしたいのは,私にこんなすばらしい経験をさせてくださったJICの皆様へ の感謝です.JICなくしては自分なしと自信を持って言えます.将来は自分もJICの運営や留学生のお手伝いなど,日本の教育に貢献したいと思います.今 まで応援してくださった皆様や,レポートを読んでくださった皆さん,ありがとうございます.
中山 明子
東京大学 教養学部基礎科学科 3年
専攻分野 生物医学、医学