内倉悠さんの2017年1月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。41期奨学生の内倉悠です。留学生活も後半に差し掛かり、流れる時間の早さを実感しています。二月に入り冬の寒さも少し和らいだことで、キャンパス近辺を歩く機会も増えてきました。こちらに来た当初は気付かなかったシャンペーンのさりげない日常の風景を目に焼き付けながら、残されたイリノイでの生活を楽しんでおります。今回の奨学生レポートでは①冬期休暇、②今期履修中の授業の二点に関してご報告させていただきたいとおもいます。少々冗長になってしまいましたが、目を通していただけると幸いです。

(写真1)夕暮れ時、真っ赤に染まったシャンペーン

冬季休暇

約一ヶ月の冬季休暇を利用し、中高同期の友人と共に、かねてよりぜひ訪れてみたかったメキシコに行って参りました。首都メキシコシティ、町全体が世界遺産の地方都市グアナファト、そして言わずと知れた中米屈指のリゾート地カンクンの3都市を約2週間かけて周りました。

首都メキシコシティに着くやいなや、予想以上に英語が通じないことに動揺しつつも、Uberで中心部に借りたアパートへ。40分ほどの距離もわずか$5と物価の安さにも動揺が隠しきれません。次の日から早速市街地散策へ繰り出します。メキシコシティは観光地というよりlocalな居住地、商業地という印象が強く、食事も朝は朝市のタコスを、昼は屋台のタコスを、夜はレストランのタコスをとMexiconizeに余念がありません。もはやここまでくると英語を喋る方が恥ずかしくなり、スペイン語風のスペイン語(?)でウェイターをまくし立てるところまでやれば、気分はもうメキシコ人です。

居住区内は家々が所狭しと密集しており、自身のテリトリーを主張するかのように灰色に薄汚れたコンクリート塀が張り巡らされています。無機質なモダン建築が立ち並ぶ中、スペイン植民地時代の影響か色鮮やかに彩られた家も散見されました。

メキシコは建築史的に見ても独特な変遷を遂げた国と言えます。20世紀になりModernismの波が到来すると、それまでのコロニアル様式とモダニズムを融合させたような色鮮やかな独自のモダニズム建築が開花します。それと前後するようにメキシコ革命、またそれに伴ったメキシコ壁画運動が興りました。その結果、モダニズムのinternational styleの中にもメキシコ人としての土着の文化が色濃く見られる建築が生まれたのです。

 世界遺産の街、グアナファトではスペイン植民地時代の影響が色濃く残る町並みを堪能することができます。Luis Barragan(建築家)やDiego Rivera(壁画アーティスト)といったメキシコを代表する芸術家の多くは、この都市を訪れインスパイアを受けたと言われています。かつて銀山の採掘場として栄えたこの都市には、無数の地下道が張り巡らされており、カラフルに彩られた家々と共に、ヒューマンスケールで温かみのある街並みを形成しています。「陸のベニス」といったところでしょうか。もし機会がありましたら、ぜひ訪れていただきたい都市のひとつです。

 その後飛行機にてカンクンへ。メキシコ国内では高速バスが発達しているほか、LCC競合各社による熾烈な価格競争のおかげで、格安航空券を見つけることができます。ユカタン半島の先端に位置するカンクンは、はるか昔にはマヤ文明が繁栄し、ここ数十年で急激に観光地化が進んだリゾート地です。溶岩の基盤の上に形成された砂州が主要ホテルエリアとなっており、現在も多くのホテルが軒を争うように建設されていました。ホテルエリアから少し離れたダウンタウン周辺にアパートを借り滞在していると、観光業がいかにlocalの人々の生活を支え、しかし一方で隅に追いやり影を落としているか身を持って感じることができます。中心地からバスに3時間ほど揺られ、マヤ文明を象徴するチチェンイツァ遺跡を訪れました。ここもテーマパークのような観光地化が進んでおり、遺跡敷地内は観光客で溢れていました。一歩外に出ると、何の変哲もなく地元の人々の生活が営まれているのに。入り口付近で物憂げそうに手作りの木製面を売る若者の何ともいえない目付きが今でも忘れられません。この観光地化は果たして本当に”正しい”のだろうか。

旅の途中、まさかの食中毒にかかり、飛行場では飛行機を乗り過ごし、手荷物検査で全てのお土産を没収されるなど、少々ハプニングに見舞われたものの、なんとか無事生きて帰って参りました。共に二週間を過ごした同期は、中高時代の部活動で共に汗を流していた仲間。現在は日本、アメリカ、カナダとみなバラバラの地で、それぞれの専門科目を探求しています。旅行中、通算4回というかなりの口論を重ねながらも、お互いの現状を確認しあい、今後の目標も共有することができ、非常に有意義な時間となりました。隈研吾さんの言葉をお借りするならば、「他分野を追求する仲間に常にアンテナを張ること」。建築家になる上で重要な敏感さを刺激してくれる良き友たちです。

P.S. 春休みを利用し、メキシコで行われる建築ワークショップに参加する予定です。冬休みに引き続き再度メキシコへ。どうやらご縁があるようです。笑

(写真2)世界遺産の街グアナファト、コロニアル様式の街並みが特徴的

履修中の授業

ARCH374 Arch Design and the City (5 credit)

前期に引き続き、設計スタジオを履修しています。今学期は「都市の中における建築のあり方」がテーマとなっており(都市といってもDowntown Champaignですが。笑)、学期を通してDowntown Champaign内の敷地に、職住近接の建築をデザインするというものです。

設計スタジオの課題は前もって学校側が決めるものですが、東京大学とUIUCではその内容も大きく違っています。これは単に学校の方針の差だけではなく、大学の位置する場所、ひいては国の違いにも起因するものだと感じています。東京大学での設計スタジオでは、建築・空間の持つ意味について深く考えさせられるのに対し、こちらでは緻密なanalysisからニーズを特定し設計するという、よりpracticalな設計方法を教わっています。これは東京大学がアカデミアよりの建築の真理を追究する教育方針をとっている一方で、UIUCでは州立大学としてより実践的な教育方針をとっているゆえの違いなのかもしれません。

今期の課題では、初めの約一ヶ月ほどが敷地周辺のリサーチに費やされます。Scale, Material, Detailなどの建築的な要素はもちろん、周辺の土地利用、交通機関、人口(推移)・性別・年齢、主要産業、歴史的変化など、考えられる全ての変数要素をリサーチします。イメージとしては設計というより、もはやマーケティングに近いです。(笑)しかしこの緻密なリサーチが、後に生まれる自身の設計を論理的に説明し、それを必然たらしめることに繋がるように思えます。

ART310 Design Thinking (3 credit)

なぜデザインが生まれたのか、デザインの存在意義とは何なのかを学び、その上でデザインを自身の専門分野と融合させる方法を考える授業です。初回の授業で、教授に“Design is the tool to organize the information.“と言われ、衝撃を受けたのを覚えています。専門分野柄、これまで幾度となくデザインとアートの本質は何かと考えさせられることがありましたが、これほどまでにシンプルかつ明快にデザインを言い表すことができるとは思いもよりませんでした。

せっかくですので、この表現に対する自分なりの解釈を掲載させていただこうと思います。まずこの文を”Design is the tool”と”the tool to organize the information”の2節に分けて考えます。1節目の”Design is the tool”から、デザインは、ちょうどはさみなどの道具と同じように、何らかの需要に応じる形で生まれるものということが分かります、この点で、能動的な創作活動としてのアートとの違いがよく表されていると思います。次に2節目の”the tool to organize the information”では、肝となるデザインの意図が示されています。世界最古のデザインが人々の生活を記録するための壁画に施されたことを考えると、情報を効率的に伝達することがデザインの本質であるというのにも納得できます。また、デザインがinformationに追従する道具だということから、デザインはinformationの形態によって変化しうるものだとも言えます。つまり、informationが文字なのか、オブジェクトなのか、音なのか、、、それによってデザインのあり方も大きく変わってくるということを暗示しているように思えます。いずれにせよ、一句一句の選び方が絶妙で、何度聞いても鳥肌が立ちます。

BADM395 Foundation of Business (3 credit)

College of Fine and Applied Artsの学生のみを対象に開講されているCollege of Businessの授業で、オムニバス形式で毎週ゲストスピーカーを呼び、自身の持つcreativityをどのようにしてビジネスと結び付けていくかを考える授業です。College of Fine and Applied ArtsとCollege of Businessの協働により昨年度から始まったばかりの新たな試みで、僕がこの留学で目標としていた“interdisciplinaryな学び“をまさに具現化したような授業です。(実際、まだ5回目ですが既にinterdisciplinaryというワードを10回以上は耳にしています。笑)

 ビジネスといっても、marketingからfinance、はたまた3D printingまで、様々な分野を専門とした教授が各々の分野のperspectiveを紹介し、学生のinterdisciplinary thoughtを刺激する授業です。毎授業後、講義のtopicを自身の分野に応用した場合の可能性に関するレポートが課され、毎度のように頭を捻りながら考えさせられることで、非常に良い刺激を受けております。今学期終了までに、今後の建築設計の指針となるような何らかのperspectiveを形成することができたらと思っています。

余談ですが、UIUCにはMakersLabというものが存在し、学生が利用することのできる3D printerが20台も設置されています。この規模のLabは全米の中でも特筆すべき施設で、日本ではまずありえないと思います。面白いのは、この施設、なぜかBIF(Business Instructional Facility)というCollege of Businessの所有する建物内に設置されているところ。3D printerを使って模型を作ろうとする建築学生はわざわざ寒い中BIFまで歩かなくてはなりません。同じスタジオの友人に「なんでBIFにあるの?!」と聞いてみても、誰もその理由が分からないとのこと。。。不思議に思っていたところ、この授業の第2回目でMakersLabの所長さんが登壇され、初めてその理由を知ることができました。

3D printerを革命的発明たらしめる所以は、それによって、全ての物理的なmassを持ったobjectがcodeによって書き換えられる点だとのこと。生産者はcodeさえ書くことができれば、特殊な加工技術など必要なく、あらゆるものをobject化することができます。これは生産効率を上げるだけでなく、prototypeの作成や修正効率をも大幅に引き上げます。また一方で消費者側の視点では、code dataさえ入手することができれば3D printerを使うことで、どこでもobjectを入手することが可能です。これによってモノの移動に関する物理的な障壁は一切取り払われます。これらの結果、今までのモノを扱ってきたビジネスの在り方が大きく変わる、という視点から3D printerはビジネスと密接に関連するものとして捉えられ、ゆえにBIF内にMakersLabが設置されているそうです。

ちょうど、Industrial RevolutionによりBusinessが大きく変化した時と同様に、3D printerを含めた近年のDigital Revolutionによって、今後Businessの様相がさらに大きく変化するのはもう確実とのこと。MakrersLab、非常に価値のあるリソースだと思うので、UIUCを訪れる機会がありましたら、ぜひお立ち寄りください。

(写真3)3D printer越しに未来の話をする教授と生徒

SOC364 Impacts of Globalization (3 credit)

名前の通り、Globalizationの影響とその反響としてのLocalizationを考え、さらにその先にあるAlter-Globalizationを自身の専門分野で定義することを目的とした授業です。トランプ政権が誕生し、イギリスのEU離脱が決まったこのタイミングで、Globalizationをリードしてきたここアメリカの地で、この授業を履修できたことは非常に貴重な経験になると思っています。もっぱら建築だけを専門としてきた人間だったので、Globalizationに関しての知識はニュースで耳にすること以外、全くの無知でした。それゆえ毎週、おそらく日本語で書かれていても分からないであろう英論文の解読に追われていますが、毎週新たなトピックに関する新たな知識が得られ、自分の視野が確実に広がりつつあるのを感じています。

現在、授業と平行して、シリアからドイツ国内に移動してきた難民のためのMarketをデザインするコンペティションに参加していることもあり、Globalizationは自身の中でも非常にhotなテーマとなっています。

イリノイに来てもう既に6ヶ月弱が経とうとしています。課題に追われる傍ら、留学修了後のことについて考える機会も多くなってきました。この経験をどのような形で次に繋げるべきか、幸せだなぁと思いつつ悩んでおります。ここでの生活も残り三ヶ月。やり残すことのないよう、精進して参りたいと思います。

(写真4)雪の後の日本館にて

2017. 2. 7

第41期小山八郎記念奨学生   内倉 悠

深見真優さんの2017年1月分奨学生レポート

皆様、ご無沙汰しております。第41期小山八郎記念奨学生深見真優(ふかみまゆ)と申します。日本もだんだんと寒さが厳しくなってきているようですが、いかがお過ごしでしょうか。イリノイも身も縮むような寒さが、、、と言いたいところですが、なんと今のところとても過ごしやすい陽気が続いており、このまま春が訪れるのではないかと期待してしまいます。しかしそれは甘すぎるようです。来週からはまた冷え込むようですので、日本の優秀なカイロに期待を託します。現在、暖かくすごしやすい、とはいえ、気温をふと見ると1度程ですので、私もだんだんとイリノイナイズされてきたのだな、とひしひしと感じております。現在は学校が始まり、シラバスウィークと称される最初のイントロダクションの週が終わり、段々と普段の学校生活に心も体も戻ってきたところです。先学期の始まりと大きく違うのは、イリノイ大学での学校生活が自分の中で日常という感覚になってきたことだと感じております。今回の報告レポートでは、

  1. ボストン就職戦争
  2. Is it too late not to study?
  3. 旅行記(サンクスギビングと冬休み)
  4. 今年のこっそりとした野望

の4本立てでお送りしたいと思いますので、ご一読頂けると幸いです。

 

1ボストン就職戦争

全米、全世界から就活生が集うボストンキャリアフォーラムに参加してまいりました。人生ではじめての就職活動、心も体もガチガチで挑みました。お恥ずかしながら内定を頂くことはできませんでした、残念、、、。帰国後、就職活動に励みますので温かいご支援、よろしくお願い申し上げます。と、結果はさておき、、、ボストンキャリアフォーラムでの肌感覚をお話します。私がしみじみと感じたことは二つ。一つは自分の人生は一つ一つの決断で出来上がってきているということ、二つ目はそしてオンリーワンの難しさ、でした。一つ目について。事前申し込みを行ったり、当日インタビューを行う中で、自分の人生の中での選択についての、沢山のナゼにぶつかりました。中高一貫校に通い、第一志望に受からずとも明治大学に進学し、現在は小山八郎奨学生としてイリノイ大学に留学している。その人生の選択は私の選択の積み重ねでできていることに改めて気づかされました。残りの半セメスターをこちらで過ごす上でまた大小関わらず選択をすることがあると思います。そのときに、将来その選択がどのような結果に転じるかは別として、決断を下す瞬間は自分の中で十分納得して決断を下していきたい思いました。二つ目について。今までの人生やイリノイ大学やボストンキャリアフォーラムで星の数ほど優秀な方々にお会いしてきました。だいぶ弱気な発言かも知れませんが、私は何かのフィールドにおいて誰にも負けないナンバーワンは持っていないと感じました。しかし、小さな頃からSMAPの曲と共にのびのびと育ってきた私には、改めて、「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」という歌詞が自然に流れてきました。上にも記したとおり、ひとつひとつの選択で出来上がっている私の中に、決してイチバンではなくても、きっと私にしかないオンリーワンをひとつでも見つけるイリノイ大学後期にしたいと思いました。と、大口をたたきましたが、今年の就職活動が不安でなりません、、、しかし、悩むのは性に合わないのは十分承知しているので、明るく前向きに一つ一つのことに向き合っていこうと思いました。そしてやはり、準備期間も当日も友人に支えられ乗り越えられたと強く感じます。特に、こちらで出会ったジウォンが居たから、中間試験、ペーパー、事前申し込みを抱えながらも食事や日々の些細な会話を通して幾度となく救われました。学生時代が終わればなんとなく日本でずっと暮らすのかな、、、と考えていた私に、“Make a difference while you are young”の視点をくれたのも彼女でした。いかに自分が周囲の方々に支えられているのかを再認識しました。

(写真1、第40期奨学生である、もゆこちゃんとの久々の再会)

 

Is it too late not to study for finals?

I hate myselfという単語が口をつけばでる期末試験期間。ボスキャリと後述する夢のようなサンクスギビングが終わってからは、あっという間にファイナルが近づいてきました。サンクスギビング休暇からシカゴに戻り、薄暗いぺオリアチャーターに揺られながらシャンペーンに戻るときの監獄にでも戻るかのような感覚は未だに鮮明に思い出せます、、、とは言え、私は密かに、留学先での試験期間をどこかで楽しんでいたように感じます。冬休みのあれこれを話しながら、1セメスターで帰国するクラスメートとの最後の授業最後のランチにしみじみしながら、12月で卒業する友人とUGLで2時間半喋り続け夜中に若干の後悔をしながら、皆でわいわい頑張るこの感じが、私はすごく好きでした。人生で初めてのルームメートがスウェーデンに帰るのをユニオンまで見送りに行った時もあまりにいつも通りでまたね、と笑顔で送り出しましたが、部屋に帰ると私の荷物しかない二人部屋が急に寂しくなりました。試験期間は今までの勉強の成果と向き合う時期でもあり、冬休みに思いをはせる時期でもあり、友人とのしばしの別れを感じる時期でもあり、本当に沢山の感情がゴタゴタに混じったあっという間の期間でした。どの授業をとっても、新鮮ではありましたが、一番私の印象に残っているのはmedical sociology (医療社会学)の授業でした。この授業で私は、health issue とidentityの両方からoverweightについてのエッセーを書きました。日本でも、オーバーサイズ専門のファッションブランドが立ち上がったり、そのブランドにあったモデルが起用されたりと、メディアと肥満問題の繋がりにも興味があったため、アメリカ人がどのように肥満と向き合っているのかを知るいい機会になりました。この授業に関わらず、健康問題に関して考える上で必ず出てくるトピックが、人種でした。日本にいると感じることのない人種間での差がどの健康問題をとっても如実に関係していました。今学期は、授業や、それ以外にも、何かしらの形で、私にはまだ未知の世界である人種について考えていきたいと思いました。何はともあれ、無事に金曜日に試験を終え、友人らと少し遠出して食べたテキサスステーキの美味しかったこと。そのあとはyou’ll enjoy it, let’s go !の声に乗せられ今まで観たことのなかったスターウォーズの新作を映画館に見に行き、試験の疲れもあり案の定爆睡してしまいました。寝かせて、、、と思いながらも何度も横からたたき起こして来る友人に文句を言いながらも、彼が卒業してしまう前の楽しい思い出となりました。日本の大学では中々味わうことの無い、段違いの試験後の解放感でした。

(写真2、身長差30センチのルームメートのお見送り)

 

3旅行記

<サンクスギビング>

ボスキャリの荒波に揉まれた3日間でしたが、その後はこちらに交換留学生として来ている日本人の留学生とボスキャリからそのまま、イギリス領ターコスカイコス諸島へ向かいました。因みにニューヨークからは直行便が飛んでいます。私のイメージだと、生まれ故郷である奄美大島を高級リゾート化したようなイメージです。着いた瞬間コートを脱ぎ捨て一日の半分以上は水着で過ごしました。青い海と空に真っ白な砂が映える素敵な島でしたが、物価が驚くほど高く、イリノイでボリボリ食べていたチップスは1袋6ドル、明治大学の近くのお気に入りの980円パスタとそっくりなパスタは37ドル、という具合だったので、大学生らしく、節約のためにホットドッグをパクパクと食べて過ごしていました。夕方、ホテルからは続々と老夫婦や家族連れが夕日の見えるレストランへ繰り出していきます。ボスキャリのこともあり、どんな仕事に就きたいか、と闇雲に考えていた私でしたが、どんな人生にしたいか、というのも今のうちに少し考えてみるのも楽しいな、と思いました。白いパンツに紺色のシャツをサラッと着こなす夫の横に真っ白なワンピースをまとった妻がスッと付き添い、横には可愛らしいお子さんが2人並んで海辺を歩いていきます。おお、まさに人生の覇者のよう、、、。それを眺めながら、ここまで贅沢な遠出ではなくとも、毎年一度は、家族で、仕事も何もかも忘れて、のんびりとビーチで過ごせるようになりたいな、、、と、ふと、自分の将来に思いを馳せた時間でした。そんな風に黄昏れたのは一瞬で、あとは小学生にでも戻ったように真っ黒になりながら遊びまわり、シャンペーンに戻った際には、どこに行っても、真冬にそんなに焼けてどこに行ってたの、、、という会話から始まりました。こちらに来てから初めての遠出、日本からはなかなかたどり着けないのでとてもいい思い出になりました。

(写真3、砂浜に埋まって少しだけ考えた将来の自分ps一番手前は41期奨学生の内倉君です、写真4、予想の20分の1位だったイグアナとのセルフィー)

 

<冬休み>

出かけすぎました。試験の終わった次の日から、シカゴ、ロサンゼルス、アリゾナ周辺の国立公園、ラスベガス、ハワイ、ニューヨーク、トロントとせわしなく動き回りました。人生で一番濃厚で楽しかった冬休みでした。シカゴでは、先学期セメスターの最初からお世話になった友人がシカゴを連れまわしてくれました。ロサンゼルス、ハワイ、ニューヨーク、トロントでは、以前、明治大学で交換留学生として留学していた友人たちと久しぶりの再会を果たしました。ハワイには両親も私に会いにはるばる飛んできてくれました。ラスベガスと国立公園周遊には、中高から10年来の友人である2人が訪ねてきてくれました。訪れるのが2度目の場所もあれば、初めての場所もありましたが、違う時期に違う人と訪れると感覚も全く変わるものだ、と感じました。この旅で気づいたことは、私は一人旅が苦手であるということです。この長い旅行の中で、たった数時間ですが一人で観光する時間がありましたが、その数時間でさえなんとも消化不良でした。こう思う、これは何?これが綺麗、あれが美味しい、色んな感情を友人と共有することが私の旅の醍醐味であって、感じたことを自分だけで咀嚼して取り入れるまでには至っていない、まだまだおこちゃまだな、と思いました。いつも旅の終わりは友人との別れであり、すごく気分が落ち込んでしまうのですが、今回は明るい気持ちでまたね、と言えたのがとてもすっきりしました。友人の一人が私にかけてくれた、「まゆ、これが最後、と別れを惜しむ相手とは、それが最後にはならないと思う。」素敵な言葉であると感動するとともに、国内外ともに、何度でも別れを惜しむことができる友人に出会えた私がいかに幸せであるかを感じ続けた旅でした。そして、なによりも私に会うのを指折り数えてくれた両親との再会は嬉しいものでした。中学受験を決めた小学校4年生から、何事もすべて私に決めさせてくれた両親。両親からしたら口を出したくなるような選択をして何度も肝を冷やす思いをさせてしまったような気がします。しかし私のイリノイでの生活に関する目まぐるしいマシンガントークに時差ボケで居眠りしながらも耳を傾け、旅の最後に、「楽しそうで安心した、そのままでいいよー」とだけ言い残して帰国した両親には頭が上がりません。家族にも、友人にも、いかに私が支えられ生きてこられたか、生きているか、ひしひしと感じる感謝いっぱいの旅行となりました。サンクスギビングの帰りとは大きく違う点が一つ。シャンペーンに帰るぺオリアチャーターでは、絶望は一切なく、むしろ早く帰りたいな、という思いが強くあり、旅行に行く前とはまた別の高揚感がありました。新しい友人との出会いへの期待そして、友人に早く会いたい、という思いが1カ月離れ離れの生活でさらに強まりました。キャンパスにすでに帰ってきていた友人とのチャットを楽しみながら、どのお土産を誰に渡すかあれやこれやと考えながらの帰りのバスでのわくわくを感じた時、あ、シャンペーンが少しずつ自分の中で帰りたい場所になってきたんだな、気づき、とてもうれしくなりました。

(写真5、圧巻のホースシューベント、写真6、カメラに全く慣れない両親との記念撮影)

 

4今年の密かな野望

お雑煮を食べることも紅白を見ることも初詣をすることもなく、ベガスのベラッジオホテルの前で花火の爆音とともに友人と大熱狂で迎えた2017年。キャンパスに帰ってきてから少しづつ、今年はどんな一年にしたいかな、と考えました。大学生活の最後の山場である就職活動の後のことは、なんとなく実感がわかないので、せめてシャンペーンにいる間は何をしたいかな、と考えました。またポツポツと出てくる気もしますが、授業や課外活動、日常生活など総合して、ぼんやりとした目標が浮かびました。

1、ジムに通って友人と卒業記念にイリノイマラソンに出る!(モチベーションを上げるために次の期日までには申し込みます)

2、忙殺されずにジムに行く(友人と刺激しあうべくAre you goig to CRCE tonight ? のメッセージを怠らない)

3、tea evening class の他に自分の興味のある分野で課外活動を行ってみる

4、ギリギリでいつも生きない

5、現在の友人を大切に。もしかしたら一生の付き合いになるかもしれない将来の友人も大切に。一人一人と丁寧な交友関係を築く。

次回のレポートで詳しくは触れますが、今学期の楽しみな授業の一つにFoundations of Health Behaviors という授業があります。自分自身を実験台にして、一つの習慣の変化が健康にどれだけの影響を及ぼすかを1学期かけて観察する授業です。この授業の目的は、目標を達成することではなく、どれだけ習慣に変化を及ぼすのが大変かを身をもって体験することです。将来、何らかの形で健康促進に携わりたいと考えているため、自分自身がまず困難を味わう経験が必要であると思うので、あえて結果を公表しなければならない形式で挑戦します。そのためにジムでの健康管理は目標の一つにしたいと思います。課外活動に関しては、先学期、茶道のイブニングクラスでの出会いを通じ、日本文化を外から学ぶ楽しさに触れ、多文化に興味を寄せる学生の好奇心の旺盛さに刺激を受けました。せっかく日本人として生まれたのだから、もっと日本文化に触れたい、と不覚にも遠く離れたイリノイで気づくことになりました。授業も友人もおいしいお茶もお菓子も全てがすきなイブニングクラスは取り続けることにしました。それとは別で、新しい課外活動をはじめたいとぼんやり考えています。私は周囲の人との関りを通して立ち止まったり考えたりすることが多いので、そのためにも新しいことを始めてみたいな、と密かに考えています。4つ目は、日本の友人が着々と卒業に向け社会人としての準備をする中、私も自分の悪い癖を直したいという思いです。procrastinatorという私の代名詞のような単語を多用してきましたが、心にも時間にも余裕を持てるように少しづつ歩みたいと思います。最後に。これは、これからもずっと大切にしていきたいと思います。パーティースクールトップ10の名に恥じず、毎週のように大小問わず様々なパーティーが主催されます。せっかく沢山の人に会えるからこそ、全員は難しくとも、出会った人、一人一人と関りを持ち丁寧な交友関係を築いていきたいと思いました。もちろん新しい出会いに加え、今までの友人にも今一度感謝の気持ちを伝えられるセメスターにしたいと思います。

(写真7、昨年のtea ceremony classでの一枚)

 

長くなりましたが、私の報告レポートをここで締めさせていただきます。乱筆にも関わらず、最後までお読み頂きありがとうございました。現在、2月中旬の日本間でのイベントに向けて着々と準備を行っているところでございます。もう少し細かな奨学生の日常を写真とともにご紹介していく予定ですので、ぜひカウントダウンページにもお立ち寄り頂き、ご支援していただければと存じます。これから日本も寒さがグンと増すと思いますので、どうか皆さま、お体ご自愛くださいませ。今年もよろしくお願い申し上げます。

 

第41期小山八郎記念奨学生

深見真優

守埼美佳さんの2017年1月分奨学生レポート

みなさまいかがお過ごしでしょうか。第41期小山八郎記念奨学生の守崎美佳です。日本では年が明け、アメリカではまだ前の年のままというこの不思議な時間の節目に、二つ目の奨学生レポートを書いています。

 

1、授業

 

先学期にとった授業で何を学んだのかを概観したいと思います。

 

・PSYC311 Behavioral Neuroscience Lab

この授業は学部生に研究を垣間見させるための授業で、講義、論文購読、論文執筆、研究テーマ制定と発表、試験と、多くの種類の作業から構成される授業でした。内容は羊の脳の解剖、ラットを用いた不安行動における性差の検証やアルコールが空間記憶能力に与える影響に関する実験が主でした。最終発表では、授業で扱った行動モデルを自分の研究に組み込む練習をすることを目的に、 自分で研究テーマを決め、仮説構築・研究手法・結果・考察を含めてまとめて発表するという一連の課題だったのですが、 不慣れなことに、仮説を裏付ける実験データを自分で仮想して発表に組み込むことが課せられたのしでした。実験を計画し実装する前に結果を予測することは研究に必要なスキルなのかもしれないと思う反面、本来仮説を検証するために行う実験が空想のままでは結論を導き出せないではないかと、学部の授業の限界を感じずにはいられませんでした。

 

・Stat 400 確率論から統計の授業までを履修する講義。

様々な分布や検定の方法を、理論から応用まで学びました。授業は講義とグループディスカッションを通じた問題演習、個人で行う問題演習の宿題。数学は抽象的な理論と具体的な事例を交互に学ぶという形が効率的だと聞きましたが、それが授業に実装されています。理論に忠実な分、 私のように数学的基礎に不安があり基礎から学びたいという学生には適した授業です。ただし、最終目標が試験問題を解くという事でした。実際にある事象がどの確率分布で表されるのか、実際のデータを分析して仮説を検証するにはどうすればよいか、ということまでを行うことはできないので、これは自分で行うか、あるいは次の授業を探すか、ということになりそうです。

 

・Psyc 453 Cognitive Psychology of Vision

扱う内容は、視覚の原理と視覚異常について。この分野での研究が進んでいないのか、または基礎から教えることを目的としていたのかわかりませんが、扱った論文がほぼ1950年代〜1980年代のものであったことが気になりました。また脳に原因を発する視覚異常は、「ああこういう人もいるのか」と思う程度で、実際の人口は多くないように直感的に感じたため、どうしても学びがおろそかになってしまったように思います。ただし、Psyc311と併せて、様々な脳部位の機能を学ぶことができた点は評価します。

 

CHLH474 Principle of Epidemiology

・この授業では、アメリカで過去に行われた疫学的調査事例のうち、CDC ( Center for Disease prevention and Control)に記録が残されている事例を、ケースワークとして扱いました。授業の携帯は理論に関する講義と、グループワークを用いたケーススタディ、そして試験。扱うケースは実例であるということもあり興味深かったのですが、なにせ情報が足りず、実際の調査に参加をしたいという思いを強くされられました。この形態の教育はやはり「体験」に留まってしまい、現場で学べることのほうがはるかに多いに違いないという思いを強くします。

 

春学期の授業については、次回のレポートに記載したいと思います。

 

2、主なイベントなど

 

2-1:クリスマスのシカゴ

 

シカゴのミレニアム・パークには大きなクリスマスツリーが飾られていました。一度は海外のクリスマスを経験してみたいとずっと考えていたので、とてもよい機会でした。写真は、クリスマスツリーの下と、友人が連れて行ってくれたシカゴ1人気らしいのディープディッシュピザのお店で。

 

 

 

2-2:畳プロジェクト

 

現在の日本館が20周年を迎える節目に、日本から渡米した職人の方々が畳張替えをする際のお手伝いをさせて頂くという貴重な機会をいただきました。写真は、大学の門の前で、新しいユニフォームを来た職人のみなさんとの集合写真、張替え後に行われたワークショップのお手伝いをさせていただいた際の一コマ、そして終了後にキャンパスにあるジェニファー館長お気に入りののディープディッシュのお店で。

 

 

 

 

3、その他 留学を通じた学び

 

3−1:人の力を借りること。

 

今学期の留学での学びの一つはこれです。そもそも周囲と同じスタートラインにすら立てていないという環境の中で、何かに挑戦するには、自分だけでは上手くいかないことも多いと痛感。私は今回、授業でお世話になったTAさんに研究室に所属したいという話をした所、関連分野の研究室を丁寧にまとめてくださりました。またそれらの研究室に連絡を出した所、何のスキルもない学部学生を受け入れてくれる研究室は実際にありました。また、アメリカでのレジュメの書き方を丁寧に教えてくれた友人、シカゴまでの移動時間を英会話レッスンの時間にしてくれた友人など、あまりに多くの人の助けを借りることができました。周囲に助けを借り、私も周囲の人に力を貸し、互いの互恵的な行動が社会により多くの益を生み出していくのだろうなと痛感しました。

 

3−2:今の自分より一歩上の自分になろうとすること。

 

日本は島社会であり社会から逸脱しないことが最善課題だったために謙虚さを敬う文化が残ったというのはよく聞く考察ですが、他の国から熱意あふれる学生が多く来るここアメリカでは自分を実際よりも小さく見せることは全くプラスに働かないように感じます。強いていえば、人々との付き合いの中で波風を立てないことに貢献する程度。ここでは、今までの生活より一歩上を行こうとする人々がたくさん集まり、恥ずかしさなど全く見せずに自己主張・質問・競争をしています。周囲の人がより努力すれば自分もさらに努力をする必要があり、個人にとってむしろ好成績を取るのはより困難にはなりますが、社会全体としては、より大きな益を生み出す結果になっているのだろうなと思います。特に経済的に豊かでない中国人・インド人の熱心さには目をみはるものがあります。私の出会った友人は「常に今までの自分よりよい自分になっているべきだと思う」という信念と向上心を行動の原動力にしながら、 自分の利益にならなくとも友人を助けるような純粋さも持ち合わせていました。日本を始めとする先進国では多くの人が今の生活に充足感を覚え、ハングリー精神などは時に毛嫌いされるようにも思いますが、それは決して世界標準ではない。世界各国のGDP成長のスピードがよく議論されており、それらは国・自治体・組織レベルの構造的な要因が多く関係するだろうとは思いますが、その根底にはこうした個人の態度が関連しているのではないかと思うのです。

 

3−3:自分で学ぶことと、考えることのバランス〜この度の選挙によせて〜

 

 私が今までの大学教育から学んだことは、第三者の言説を盲信せず、自分の観測した情報から結論を導き出す思考力を身につけることであり、今回の留学生活でもそれを意識し行動していました。しかし今回のアメリカ選挙でその信念は更に修正されました。

 ここシャンペーン・アーバナには、トランプ支持者がまずいないどころか、トランプ支持であることを公言することさえはばかられるような風潮がありました。そのため、マスコミの騒ぎはトランプの一時的な煽動に違いない、実際の選挙ではみな合理的に判断し、その結果ヒラリー・クリントン側に票を入れるに違いない、と、うっすら感じていました。そして結果が今回の投票結果。私がいたこのイリノイ州は最後の「青い島」で、アメリカという国を決して代表していません。大学は社会的には、最もリベラルで、高水準の教育を受けている層に属するかもしれないこと。それらをサンプルとして全体に敷衍することは「サンプルバイアス」意外のなんでもないということ。そうした様々なことに、一気に気付かされた瞬間でした。

 私達は私達の支持した候補者の掲げる政策が「正しい」と言ってのけ、”Those uneducated voted for Trump”なんていう結論に達しますが、そもそも政治は個人の利害調整であり、私達と異なる社会階層にいる人達にとっての「合理性」は私達のものとは全く異なります。私は日本人留学生であり、大学生であり、中流階級に属し、私のいるリベラルかつ高等教育を受けた人の集まる自治体は社会的には裕福な層であるのでしょう。このような自分のいる社会を相対的位置を理解し、それとは異なる人々の行動原理とそれを取り囲む環境を理解していれば、今回の現象をもうすこし正しく予測することができたでしょう。そして実際の観測可能な情報にはもちろん制限があるのだから、そう言った場合には他の媒体や情報源に頼る必要があります。それこそが、広く学ぶことの意味だろうと思います。

 多くの人にとってこのようなことはさも当たり前かもしれず、ここにこうして大仰に書くことすら不勉強を露呈させるようで恥ずかしくはあるのですが、統計学を勉強していた最中ということもありとても印象深いできごとでしたので、こうして書くことにします。

 

守埼美佳さんの2016年9月分奨学生レポート

月日が経つのは本当に早く、昨日シカゴはO’Hareの空港についたばかりだと思っていたのに、もう最初の留学レポートを書くことになりました。この留学レポートは、留学を支えてくださった方々へのご報告、次の代の奨学生の留学準備の参考資料、留学をする可能性が少しでもある方への情報提供の、3つの目的を意識して書こうと思います。

8月14日早朝にシカゴのオヘア空港に到着。留学生の多くはこの日にシカゴに到着し、バスで大学に向かいました。バスの中ではアジア人が多く、窓の外に目をやる人もいれば、学期開始1週間前だというのに完璧に組まれた時間割を最終確認している人まで。特に中国人の多くはより高い教育水準や生活環境、仕事を求めて、高い競争率の中、尋常ならぬ努力をして国外で学ぶ機会を獲得するといいますが、その一面を垣間見たようで、少し緊張感を覚えました。

履修している授業の中で代表的なもの

・PSYC311
Behavioral Neuroscience Lab
動物の行動を脳から理解するための実験実習です。脳の部位についての講義や、羊の脳の解剖、ラットを扱う練習をしています。ただの講義形式ではなく、自分で考え知識を蓄える授業を取りたい、と思い、履修をしました。

・Stat 400
確率論から統計の授業までを履修する講義。
内容は日本の高校数学の確率から大学初期で学ぶ統計を合わせたものです。数学は日本語をほぼ直訳すれば大体意味を理解できる授業のため、言語のハンディキャップが少ないと言えます。そのためか、授業の主導権は中国人とインド人に握られています。日本と異なるのは、グループディスカッションがあるということ。機械的に計算をして正解を導くのではなく、答えが用意されない状態で少しでも正解に近づく過程が重視されているように感じます。そして、グループで討議をすると高い確率で間違いが淘汰され、正解だけが昇華されて残るところがとっても不思議です。

Psyc 453
視覚の構造について、例えば、自然界に存在する光を、人間はなぜ今見ているような「色」として見ることができるのかを、脳や神経系の構造から明らかにしていきます。講義とゼミの掛けあわせのスタイルです。余談ですが、講義をする先生が授業中に糖分補給としてM&Mをつまんだり、プレゼンを担当する学生が堂々と水筒を教壇に持参する点に、アメリカらしさを感じるのでした。

授業全般のまとめ
私が日本で所属していた大学は「研究機関」としての色が濃かったことに比べ、ここイリノイ大学はむしろ「教育機関」としての色が濃い印象を受けます。その理由としては、第一に、試験や課題の量が膨大です。大体の授業では、一学期に3回の試験、少なくとも2週に一度の課題の達成度合いから、成績評価がなされます。第二に、充実したITシステムを全学的に導入し全ての授業で活用していることも、特筆すべきです。大学に共通IDシステムがついており、授業のスライドや講義録、課題などは全てそちらにアップロードされます。このシステムには授業を担当する教授の連絡先なども全て記載されています。学生は授業の復習、教授への連絡、課題の復習、また課題に関する質問や議論をこのITシステム上で行うことができます。

交換留学生は必修科目がなく、好きな授業を履修できます。ただ、交換留学生にもアドバイザーがついており、履修した授業の難易度を個人個人に対して教えてくれます。授業の履修は自由ですが、自分が所属する学部以外の学部で開講されている授業の履修には当該学部への連絡など複雑な手続きが発生することもあるので注意が必要です。

日本でも聞いていたことではありますが、日本の講義が教授から学生に一方通行であるのに対し、アメリカの授業は教授と学生との対話にほかなりません。学生は教授の講義が途中であっても、疑問点があると手も挙げずに質問をし、教授もそれに対して回答をします。しかも大教室であっても、学生の声が教授に届く範囲なら、この形が維持されます。

アメリカの大学は授業料が高いという評判は本当で、ここイリノイ大学も州立大学であるにも関わらず、学生は日本と比較にならない額の授業料を支払っています。ただしその分、大学として学生に提供するリソースが大変多い。学生寮や食堂、交通機関、スポーツジムといったハード面はもちろん、各種催しや学習・就職のサポートなどのソフト面での支援も大変手厚いと感じます。高い授業料はこうした施設費や職員の雇用に還元されているのだろうと思います。

所感
渡米して数週間ですが、大雑把な日米比較をしてみたいと思います。
非常に大雑把ではありますが、日本は「型」を重視し和を維持する傾向が強く、それが「周囲の迷惑にならない、授業の進行を妨げないように静かに授業を聞く』講義のスタイルや、「多くの挨拶文を伴うe-mail」に顕著にあらわれているように思います。一方アメリカは「無駄をそぎ落とし、全体の効用を上げる行為」が賞賛される用に思います。それが、「疑問があったら全体の前やオンライン上で質問する」授業形態や、「必要最低限の内容のみが記載されたメール」にあらわれているように思うのです。
これらは質的な違いであり、一方がよくもう一方が悪いという判断を下すべきものではありません。ただし、ある目的や条件のもとでは、一方の手段がもう一方の手段より優っている場合がありそうです。例えば、授業は学生の学習効率を高めることを目的としています。その中で、もしも全ての生徒が、教授の講義を、全てその場で完璧に把握できると考えるなら、日本の大学のように、授業で質問をしない方が、50分の講義の中で多くの情報量を持った授業をすることができます。しかし、多くの学生は講義の内容に対して無知であるため、往々にして講義のどこかでつまずいています。また、学習は内容の入力だけでなく、思考の出力とそれに対するフィードバックとしての入力の繰り返しにより進むように思います。そうであるなら、不明な点をその場で解消することが学生の理解をより促進するものであり、ある学生が質問をした場合、その学生の疑問点が解消されることはもちろん、他の同一の内容で躓いていた学生に対しても益があるため、その授業はより多くの人に益をもたらす「良い授業」と呼べることになります。

アメリカは人種のるつぼ、とは中学校の地理の試験答案に繰り返し書いた記憶があります。当時は試験のために覚えたこの言葉ですが、実際にアメリカに来てみると、まさにその通り。普段人と話していても、英語のほかに中国語、韓国語、スペイン語などもう一カ国の言葉を話す人が大変多い。ゆくゆく話を聞くと、「私はABC(American Born Chinese)なんだ」「両親がチリの出身なんだ」というバックグラウンドを持つ人ばかり。歴史を紐解けば何の不思議もないことですが、実際にその世界に巻き込まれると感動は一潮です。
この環境の中にいて一つよいことは、他人と同じであることを強要されない「マイノリティ」にとって住みやすい国である、ということ。肌や髪の色、体格、ファッション、生活形態、全てが異なるものから構成され、多数派や少数派という概念は薄弱です。
ただもう一つ直視をしなければならない現実は、それぞれの民族にとってのcozy zoneは確実に存在するということです。多様性を尊重「すべき」という理念を共有していても、言語が通じ同じ生活習慣を共有し価値観の合う人々といるほうが楽なのは確実。中国人は中国人同士で、欧米人は欧米人同士で、インド人はインド人同士で友人や恋人関係を形成するのがまだまだ普通なように思います。

アメリカに来れば多様な人々が瞬時に共生できるというのは理想論なのかもしれません。渡米したばかりの興奮も次第に冷め、言語や人間関係、授業などで様々な壁が見え始めてきたこの頃、今後如何にこれらの壁を突破していこうか、考える余地はたくさん有りそうです。

 

2016年9月24日(土)
第41期小山八郎記念奨学生 守崎美佳

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本奨学制度に深いかかわりのあるAlice Vernonさんとそのお友達とディナーテーブルを囲んで。

深見真優さんの2016年9月分奨学生レポート

ご挨拶
Japan Illinois Club の皆様、ご無沙汰しております。現在41期小山八郎記念奨学生として留学しております、明治大学政治経済学部政治学科4年深見真優と申します。現在は1年間休学してこちらで、健康促進に関わる授業を複数の学部から受講しております。授業が開始してから1か月ほど経ちました。初めてのレポートに何を書けばいいか戸惑いもありますが、この1か月間の日常をご報告させて頂きたいと思います。キャンパスの様子も皆様が勉学に励まれていたころと少し変わっているのでしょうか。「懐かしいなー」と、キャンパスでの日々を振り返っていただけるレポートを書いていければと思います。今回のレポートでは、主に①受講している授業②ジャパンハウスでのイベント③週末④課外活動についてご報告できればと思います。

①授業

授業を受講するに当たっては、面白そうな授業が沢山あり悩んでしまいました。
1、文系の学生である私が健康に携わるにはどんな方法があるか模索する。
2、アメリカらしいオープンな授業
を念頭に履修を組みました。

1, Global Health
教授が毎授業、その週に起こった時事ニュースを持ち出してきて、それをきっかけに世界中の健康問題について触れていく授業になります。中間までの主なテーマは貧困と健康問題についてでした。最近の授業で印象的だったのは人種による妊娠リスクの比較でした。黒人の女性が妊娠した時の出産リスクが高い理由として日常生活における人種差別から引き起こされるストレスが大きな要因であるという事実に心打たれました。ある人種に生まれたというただそれだけで、健康状態に差が生じるということは日本に居る限り感じることのない事実でした。高学歴高収入であろうと黒人に生まれた時点でストレスにさらされる機会は多く、通常は健康に大きな影響を与える学歴や収入以上に多大な影響を与えることを示すドキュメンタリーは何とも言えない虚無感を残しました。いくら教育を施しても、なかなか乗り越えられない壁があることを目の当たりにした授業でした。自身の文化に誇りを持つことでしか、人種差別は乗り越えられない、と大教室で発言した女の子の意見に大きくうなずく学生を見ていると、まだまだ自分はアメリカに深く根付く、ダイバーシティーの豊かさの裏側を見られていないような気がしました。

2, Frame works for Health
この授業には、毎週様々な学部から教授が講義に訪れます。医学、政治学、社会学、栄養学、建築学など様々な分野から健康について考えます。授業内での小さなフィールドワークが多く、先週はキャンパス内を歩き回って、コミュニティとして健康を促進できる環境があるかについて考えました。健康と聞くと食や運動と直接結びつきやすいように思いますが、キャンパス内を歩き回ってみると、フレッシュな食材にアクセスできるスーパー、安全に運動できるアウトドアスペースなど、街の構造が健康に大きな影響を及ぼすことを改めて感じることができました。文系の学生として健康促進に携わる方法を模索するという目的にしっくりくる授業のため、毎回のフィールドワークや講義が楽しみです。学期の後期にはグループでのプロジェクトも控えているため、将来の自分の姿と照らし合わせながら、自分なりの健康促進への携わり方を考える授業にしたと考えております。

3, Medical Sociology
医療社会学と言われる分野です。Sociology in medicine( motivated by medical issues) とsociology of medicine (motivated by interaction and behavior) の大きく二つに分かれますが、こちらの授業では後者を主に扱います。この授業では、一つの健康問題に対して必ずpersonal problem の視点とpublic issue の視点を求められます。10人程の小さなクラスなので毎回discussionとlectureを同時進行しています。最近の授業で興味深かったのは肥満に関する授業でした。肥満であること自体が不健康なのではなく、ある一定の基準さえ満たせば肥満も個性の一部であるという認識の仕方がダイバーシティの豊かなアメリカらしい考え方だと感じました。その考え方の良し悪しはファイナルペーパーを書く過程でゆっくり考えていきたいと思います。

4, Sexual Communication
アメリカらしい、オープンな授業を受講したいという思いに見事にマッチする授業でした。日本のみならず、アメリカでも、性に関する議論はまだまだオープンにはなされていないのが現状の様です。先生は非常にパワフルでレクチャーの授業は毎回笑いとざわめきのなか進められていきます。実用的なsex educationのあり方から、日常のパートナーや家族間における性に関するコミュニケーション能力向上を目的とした授業です。日常会話に関わらず、sexual communicationにおいても、自分をいかにオープンにしているかが鍵となります。一番最初のペーパーはself reflection paperといって自分のsexual communication competence に関して論じるものでした。パートナーと良好な関係を築くことは、精神的充足を満たすうえで非常に重要な事です。sexual communicationという一見タブーに見られがちなトピックを日常の一コマとして切り取るおおらかでダイナミックな雰囲気がとても心地よいと思いました。

 

②Japan House Event <Matsuri>

こちらに来てから初めて参加したJapan HouseでのイベントはMatsuriでした。ジャパンハウスの敷地に、日本食の屋台、楽器演奏、浴衣の試着など様々なブースが展開され、まさに日本一色でした。私は日本からお招きした津軽三味線奏者佐藤通芳(さとうみちよし)さんのコンサートの通訳としてMatsuriの舞台に立たせて頂きました。この小さなキャンパスタウンのどこからこんなにも人が集まるのか…と息をのむほど沢山の方に来場して頂きました。プロの三味線演奏者の方の海外公演の通訳として英語も拙い私が舞台に上がっているのは何とも言えない感覚でしたが、佐藤さん、ボランティアの方々、そしてシャンペーンの優しい観客の方に囲まれながら、とても貴重な体験をさせて頂きました。言葉の壁も年齢も性別も人種も一瞬で飛び越えて、あっという間に会場を一つにする音楽の力強さを目の当たりにした一日でした。来場者数も去ることながら、前日準備から解体に至るまで、本当に沢山のボランティアの方がMatsuriに参加して下さっていることにとても感動しました。キャンパスの一角にあるジャパンハウスが、学生のみならず地域の方々に愛されているのを目の当たりにした温かなひと時でした。これからの、ジャパンハウスでの活動がとても楽しみになると共に、私は日本人として何ができるのだろうか…と、ふと立ち止まるきっかけになった一日でもありました。

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(写真1:日本でも着ない浴衣での通訳は緊張による冷や汗と猛暑による滝のような汗で目まぐるしい一日でした、三味線奏者の佐藤通芳さんと。)

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(写真2:Matsuri打ち上げでの一枚。ジャパンハウスでインターンを行う学生を始め、沢山の方々に支えられて無事終了したMatsuri。)

 

③週末の過ごし方

授業が始まって1か月と少し経ちました。初めての第一回mid term が終わり、少しほっとしながらレポートを書いています。私は、こちらでのメリハリのある学生らしい生活がとても気に入っています。平日は授業の予習復習や課題に追われ、常に何かに追いかけられているような気がしますが、アルバイトなどに気をとらわれることもなく、夜まで図書館で過ごすのもある意味贅沢なのではないかと感じています。ルームメイトは一つ年下のスウェーデンからの交換留学生です。私は150センチ、彼女は180センチあります。彼女はベッドに飛び乗れますが、私は階段がないとよじ登ることもできません(笑)そんな凸凹コンビですが、どちらもお喋りしだすと止まらないため、平日の勉強の合間にふと片方が話しかけると、2時間喋りっぱなし、なんてことも…。とても居心地が良く、人生初めてのルームメートとしてはもったいないくらいの彼女が、12月には帰国してしまうのが今から寂しいです。こちらでは月に1度ほどmurphy’s night と言って、green street にあるbarのmurphy’s でinternational students とlocal students の交流パーティーのようなものが開かれます。本当に沢山の学生が集います。こちらの学生を見ていて非常に強く感じるのは、勉強だけでなく、健康管理、社交性、趣味、様々なことにおいてバランスが良く、それが人としての魅力に通じているような気がします。会話一つにしても、質問をして相手との共通点を探すのがとても上手だと感じました。今まではあまり意識してきませんでしたが、自分から沢山質問をすること、これが、相手や相手の文化に興味を持っていることを示し楽しい会話の基になるのではないかと感じています。英語が拙いことを言い訳にせず、彼らの会話の仕方を見習いながら、新しい場所や環境に飛び込む度胸を付けていきたいと思います。

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(写真3:休日に友人のホストファミリー宅にランチに誘ってもらいました。ホストママはスペインからのinternational studentで、UIUC graduate school の卒業生だとか。一緒に招かれた彼らも大学院生です。手作りのスペイン料理に舌鼓を打ちながらあっという間の4時間ランチでした)

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(写真4:友人に誘ってもらったホームパーティーで偶然出会った彼女は、実は今年の夏に松戸でインターンシップをしていて、JICのリユニオンにも参加していて、私の顔を覚えてくれていました。It’s a small worldとしか言いようがありません。The bread companyで美味しいサラダを食べながら、試験勉強を忘れてはしゃいだブランチでした!)

 

④課外活動

毎週木曜日の夕方にジャパンハウスで茶道のevening classを受講しています。これは全く予想外でした。授業が始まった初めての週に、ジェニファーさんにお招きいただき、茶道のお稽古にゲストとして参加しました。日本での茶道経験はゼロです。私は日本に生まれ育ち22年余り、何をしていたのか、、、と考えさせられる1時間でした。アメリカで生まれ育った学生の美しい身のこなしに心奪われました。自分の無知を恥じると共に、異国の文化にほれ込む彼らの好奇心と、何歳になっても新しいことに挑戦することを恐れない心意気に、突き動かされました。日本文化に向き合ってこなかった自分を恥じましたが、同時に、何かを始めるのに遅すぎることは無いのではないか、という事を強く感じ、茶道のお稽古を始める決心をしました。毎回のお稽古は郡司先生のお話に始まり、私達ビギナークラスは、お稽古に数年通っている現地の学生によって進められていきます。アメリカでアメリカ人に日本人が日本文化を習う、というゴチャゴチャな環境ではありますが、様々なバックグラウンドを持つ彼らと一緒に学ぶからこそ、日本では見えなかったものに気づけると感じています。

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(写真5:毎週お稽古の際にはお茶菓子が振る舞われます。忙しかった一週間を振り返り、お茶とお茶菓子でふと日本を感じ落ち着く瞬間です。)

 

最後に

つい数日前まで半袖短パンでキャンパスを行き来していたのに、今日は長袖長ズボンを身にまとい、それでもバスを待つ間は身震いしてしまう寒さとなりました。いよいよ、噂に聞いているイリノイの寒さの片りんを感じ取っています。日本もそろそろ秋を迎える頃でしょうか。季節の移り変わりですので、どうか皆さま、お体ご自愛くださいませ。次回のレポートで皆さまに、また生活のご報告をするのを楽しみにしております。

内倉悠さんの2016年9月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。41期奨学生の内倉悠です。9月も終盤にさしかかり、夏の終わりと共に少し肌寒い秋の始まりを感じております。新学期が始まって約一ヶ月が経ち、こちらの生活にもようやく慣れて参りました。今回のレポートでは

・履修中の授業

・課外活動

の2点について書かせていただこうと思います。

 

履修中の授業

ART105 Visual Design for Non-Majors (3credit)

日常生活の中に溢れているデザインを発見し、考察するという内容の授業です。20人ほどの少人数クラスで毎週、デザインのボキャブラリーとして”Line”や”Space”などのお題が与えられ、それに関連した写真と考察を持ち寄ってdiscussionするという、100番台の割りにはかなりハードな授業だと感じております。好きなデザインを発見することは容易なのですが、なぜそれが美しいのか、という理由を語ることは容易いことではない、ましてやそれを英語でなんて、と打ちのめされそうですが、毎週少しずつ言葉が出てくるようになっているのを励みに、引き続き精進しようと思います。

 

ART153 Digital Photography Seminar (2credit)

毎週アーバナ郊外にある動物保護センターに行き、ホームページ掲載用に保護されている動物のプロフィール写真を撮影するという授業です。7人だけの超少人数クラスで、教授との距離が非常に近くアメリカの教育の質の高さを感じております。この授業では、デジタルカメラの基本的な操作方法からLighting、学期終盤には撮影後のPhoto Editingまで教わることができ、息抜きとして非常に楽しい授業です。ただ、教授からかならず撮影した写真の意図を問われ、その意図にあった技術の正しい運用が求められます。カメラはあくまでも”Tool”であり、撮影者自身がどのような意図を持って撮影するのかという部分が最も大切にされるべきところである、というのを痛感しております。

 

ARCH471 Twentieth-Century Architecture (3credit)

20世紀の建築を軸に、世界の建築がどのような潮流・コンテクストの中で発展していったかを考察する授業です。今学期の履修科目の中で唯一のレクチャー形式の授業で、毎回120枚ほどのスライドをバックに80分間しゃべり続ける教授に圧倒されながら、何とかしがみ付いていこうと必死です。単に時系列順に歴史をたどるのではなく、たとえば曲線やガラスのデザインがどう発達し、当時の社会状況の中でどのような意味を持ったか、といったようなデザインやマテリアルを軸にした建築思想史の解釈を試みる授業で、非常に魅力的な内容です。社会背景を考慮すると同時に形態デザインにも重きを置く、こちらの建築学部の理念が垣間見られる授業だと思います。

 

ARCH373 Arch Design and the Landscape (5credit)

この留学生活で核となる授業で、Semesterにつき2個の設計課題が課され、実在する敷地に架空の建築を設計するというものです。生徒数は全体で約100名、7つのセクションに分かれて各セクション16人ほどの規模で教授とcritiqueを重ねながら設計します。なによりもまず、トウモロコシ畑に囲まれた大学に、世界中から実に多様な国籍の人が集まって来ていることに驚かされました。Exchange Studentは僕だけでしたが、Transferで編入してきた人が数人おり、さらにinternationalということもあって、来る前に抱えていた「馴染めないのではないか」という不安はスタジオ初日に吹き飛びました。スタジオは非常にオープンな雰囲気で、教授ともソファに座りながらおしゃべりをするくらい距離が近いです。課題提出前にはみな泊り込みで作業をするため、他の学生と仲良くなる機会も多く、さまざまな国の人と繋がることができ非常に有意義な時間を過ごしています。こちらでは、批評は先生だけでなく生徒全員で行い、相手が誰であろうとお構いなしに良いと思うところは褒め、不明瞭なところは徹底的に問いただします。変な遠慮なしに互いに意見を交し合う姿勢が、オープンな雰囲気を作り出している所以なのだと思います。

先日一つ目の課題が終了し、こちらに来て初のreviewを経験しました。幸運なことに上位6選に選んでいただき、生徒・教授含め総勢約120名ほどの前でプレゼンテーションをする機会をいただきました。いきなりの英語でのプレゼンテーションで緊張しましたが、自分が何をしたかったのかということだけはなんとしても伝えてやろうと思い、なぜか開き直って挑みました。結果、持ち時間内での発表はなんとか切り抜けられたのですが、質疑応答でクライアント・教授陣にタコ殴りにされるという苦い経験をしました。単語の持つほんの少しのニュアンスの違いで大きな誤解を招きうる、デザインプロセスにおける言語コミュニケーションの難しさを痛感しました。しかし一方で、一枚のスケッチ、一枚のCG画像の持つ影響力の大きさを感じられた瞬間でもありました。

こちらではデザインのプロセスに重きを置くと共に、プレゼンテーションを含めデザインのアウトプットも同じくらい重要視します。教授にかけられた言葉で一番印象に残っているのは、「言葉よりも強力なCGを描け。」というものです。その言葉通り、他の発表者を見てもプレゼンテーションボードにはほとんど文字が見られず、とにかく視覚に直接訴えるようなものが多かったです。そしてなによりみなプレゼンテーションのスキルが高く、やはり話術では圧倒されました。今できることは、ただひたすら他の人のプレゼンテーションを聞き、どのような言い回し、表現、ジェスチャを利用しているのか盗み取ることだけだと感じております。一回目からかなり収穫のある内容でした。

東京大学での設計スタジオには日本人しかおらず、図らずとも少々煮詰まった雰囲気になってしまうことがありました。(相当仲がよいということでもあるのですが。)しかしながら、実際に社会に出て建築の仕事をする上では、さまざまなbackgroundを持った人々と協働することがほとんどで、ここにいるとその縮図のような、適度な緊張感を保ちながらも互いに相手を尊重し、切磋琢磨し合える環境を体感できるように思います。

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写真 1 プレゼンテーションの様子

 

 

課外活動

Lecture : Musturo Sasaki

2016年9月16日、イリノイ大学建築学部にて建築構造家の佐々木睦朗氏による特別レクチャーがありました。(参照ホームページ: http://www.arch.illinois.edu/node/516)

佐々木睦朗氏は建築構造家として伊東豊雄さんやSANAAなどの著名建築家の作品を数多く手がけられ、世界的に著名な自由曲面構造研究の権威でもあります。

佐々木教授が伊東豊雄さんと手がけられた作品の一つに大田区休養村とうぶという大田区の所有する宿泊施設があります。僕は10歳の時に偶然修学旅行でこの建物を訪れたのですが、この建物がきっかけとなり建築家を志すようになりました。僕自身もまさか日本から遠く離れたイリノイの地で、自分の人生の転機となった方にお会いできるとは夢にも思っていませんでした。

レクチャーに先立って、日本館で佐々木教授をおもてなしする特別なtea ceremonyがあったのですが、日本館の館長であるジェニファーさんのご好意で僕も参加させていただき、佐々木教授と直にお話する機会をいただきました。英語で”serendipitous encounter”と表現するように、この奇跡のような素敵な出会いは、留学生活の忘れられない経験となりました。

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写真2 Japan House Tea Ceremonyにて、佐々木教授を囲んで(最前列右から二番目が佐々木睦朗氏)

 

Part-time

上記の佐々木教授のレクチャーに関連して行われた佐々木教授のインタビューを翻訳し、和英のスクリプトを作成した後にインタビュー動画を編集し作成するというものです。tea ceremonyの時に偶然お会いした建築学部の教授が日英対訳のアシスタントとしてジェニファーさんを通してオファーして下さいました。教授のそばで経験を積めるだけでなく、自分の尊敬する方のインタビューを翻訳し見聞を深めることができ、その上おこづかいもいただけるなんて、本当に幸運に恵まれ夢を見ているかのような思いです。来月より本格的に始まるので、与えていただいたチャンスを充分に生かし勉学と両立できるよう励んで参りたいと思います。

 

Competition

設計スタジオをとる傍ら、現地の4年次に在籍する日本人学生とともに一般応募の設計コンペに応募しています。締め切りが10月30日と迫ってきており、mid-termと重なるためハードワークが予想されますが、実際の設計業務でもマルチタスクをこなすことが求められるため、よい練習だと考えております。もちろん学問優先ではありますが、決して妥協のないよう貫き通したいと思います。

(Japan Houseで行われたMatsuriに関する記事は奨学生定期レポートにも書かせていただいたので、ここでは割愛させていただきたいと思います。)

 

 

上記、現状報告に関して長々と書かせていただきましたが、書いていく中で自身のこれまでの留学生活を見つめ直すと、いかに幸運に恵まれ、周囲の方々に助けられてきたかということを痛感しております。留学前から現在にかけて、多くの方々にお会いし、お話を聞く機会を頂きました。勉学もそうですが、それ以上に多くの人から様々な影響を受け、自身を省み、これからの進路を考えさせられる毎日が続いております。それは決して著名な方や教授といった方々だけでなく、イリノイに来て出会った友人を含め全ての人です。

日本にいるときには、ある種自分の“居場所”のようなものがあり、アイデンティティが確立されていたため、ここまで他人から影響を受けることはなかったように思います。日本を離れ、自身の居場所を捨て、ゼロからイリノイの地で自分の在り方を模索する必要に駆られたことで、より敏感なアンテナを周囲に向けることができているように思えます。“Keep moving”という精神を大切にし、常に周囲に敏感であり、自分の在り方を模索し続けたいと思っております。

そして最後に、この場をお借りして、このような貴重な機会を頂いたJIC関係者の皆様に心より感謝申しあげます。

 

2016年9月25日

第41期小山八郎記念奨学生 内倉 悠

結城一磨さんの2016年7月分奨学生レポート

「留学を終えて」

<学習面>

アメリカで、本家のファイナンスとアントレプレナーシップを学び体感する留学と題して今回は留学させていただきました。

ファイナンスの観点では、常に授業はアウトプットの場、インプットは自習にて行うといった傾向がレベルの高いクラスになればなるほど強かったと思います。日本ではセオリー中心で具体的に投資家がどういったことを行っているか、イメージしにくかった部分があったのですが、イリノイ大学では社会ですぐ使えるスキルを身につけられるように理論をいかに利用して分析するかに焦点が置かれ、実社会で投資家が行っていることの具体的なイメージができるようになりました。こうした授業や、実際の投資家のお話を伺えたことで、自分の今後の進路についてどうすべきか考えられるようになり、そこまでファイナンスを深く学ぶことができたのは非常にありがたかったです。

アントレプレナーシップに関して、アメリカのものと日本のものと比較をした結果、日本でそういった機会に多く触れてきていた分、日米で学生のマインドに圧倒的な違いがあるかといったらそうではないと実感しました。ただし、プレゼンやピッチをする技術や、社会から見た起業に対するイメージもあちらは異なります。組織の運営の方法の違いや日本人の国民性、社会や環境的な他の要因によって、起業率が日本は未だに低く、ビジネスに関してアメリカから遅れをとる結果になっているのであると感じました。日本のビジネスにもそれぞれいいところもあることは思いますが、それでもやはり海外の、特にアメリカのビジネスや研究分野から学ぶべきことは未だに多く、常にその意識の必要があると実感しました。

画像1

<写真1−イリノイ大学の卒業セレモニーへ参加>

 

<生活面と今後>

帰国後2〜3週間ほどでこの記事を執筆しているのですが、アメリカへ帰りたいと思わない日はないほどにアメリカ、特にイリノイ大学に居心地の良さを感じていました。それはなぜかと深掘りしてみると、多種多様な人種と接する機会が毎日のようにあるアメリカと、良くも悪くも同じコミュニティ、同じ日本人で固まる気質のある日本といった環境の違いが理由にあります。僕自身居心地の良さを感じるのは前者の環境で、そうした環境を探し求め、現在就職活動を行っています。事業を起こすことや影響力ある価値を社会に残すことをしたいという軸と、グローバルな環境の確保という軸、この両者は今回の留学のおかげで固めることができなかった軸のように思います。

留学前までは漠然とそうした目標がありつつも、正直中弛みしかけていた自分がいました。一旦留学してあちらの学生を見渡してみると。日本で培っていたスキルは使えず、自分の英語力やその他スキル面で足りないものが多すぎることを痛感しました。10ヶ月という留学の期間はあっという間でしたが、今後のキャリア形成を選ぶ上でもこの留学が私自身に与えてくれた気づき、学びは非常に大きかったと実感しています。

画像2

<写真2−今は恋しいARC。今後も筋力トレーニングのように着実に目標に向かっていこうと思います。>

 

〜余談〜

「Dance & Social〜競争社会からの離脱と人間力〜」

留学する前は日本の競争社会に生き、人生を最短距離で歩んでいこうという意識が無意識のうちに植えつけられていたような気がします。留学での新しい気づきのうちにsocialの文化があります。これは大きく私の価値観を変えてくれました。私は積極的にアメリカ、ヨーロッパや中南米など日本ではあまり会うことのできない国籍の友人たちを多く作ろうとしていました。この努力から、彼らから新しい生き方についてのヒントをもらえたと感じています。彼らはもちろん勉学を頑張ります。ですがそれと同時に趣味や教養、社交的な機会に関しても貪欲です。ヨーロッパ人とシカゴシンフォニーオーケストラに自分から誘って行った時は彼らの音楽への教養の高さに驚かされました。雑学を多く持っていることもより人を魅力的にすると気づかされ、そういった人間力的な要素も社会に出る、海外に出ると重要になってくると実感しました。

また、私は日本ではあまり学ぶ機会がなかったballroom dancing(二人一組で踊るダンスの総称)も後期から参加しました。ヨーロッパや南米はそういったダンス(salsa,chacha,swing,waltzなど)を学生の時期から学んでいる、親から教えてもらっているらしく、海外で人間力を高める一つのスキルになっていそうです。実際に踊れると見知らぬ人とでも仲良くなるきっかけが掴みやすくなります。こういったダンスは一見運動に見えて一種のコミュニケーションツール、言語のような要素が大きいということも学んでみて実感することができました。(第一外国語:英語、第二外国語中国語、第三外国語スペイン語、第四外国語:ダンスとするのが直近の僕の夢です。)

アメリカでは知らない人と知り合うきっかけが非常に多く、そういった機会は重要視しているように思います。また、日本との比較の話になりますが、日本人はイベントのテーマ、趣旨によってそのイベントへ足を運ぶ、目的を達成することに重きが置かれやすいように思います。一方西洋などはもちろんイベントに目的はありますが新しく交友関係を広げることにより重きを置く文化だと感じました。親しい友人などと時間を過ごす際も常に同じバーや行きつけを作るのではなく、オーケストラ、ミュージカル、他の社交イベントなど多くのイベントに足を運ぶ。そしてそこでも教養を広げるきっかけとなっている、そういった文化やイベント機会ももう少し日本に欲しいと感じました。ミュージカルなど旅の一つの楽しみにもなる夜のエンターテインメントが東京にあまり存在せず、訪日外国人ががっかりしてしまう、というケースもよくあるようです。

画像3 (1)

<写真3−参加していたダンス団体のgraduation dance party>

 

話は多少ずれましたがsocialの時間を確保するために日々の効率を上げる、月曜日から金曜日の稼働時間は集中してやるべきことを終わらせる。全力で仕事や勉学をしつつ、今生きている一瞬一秒を大切にし、趣味や本業以外のことも全力で楽しみ、人生に彩りを持たせる。あちらの学生は皆そういったマインドを意識する文化が定着していました。オンとオフの切り替え、より人間力を高める時間を増やしたいと社会人になる前に考えられるようになったのは自分にとっても大きい学びでした。たとえ英語ができても、業務に関する専門的な用語が使いまわせるようになっても、実際に日本以外の国籍の人と交流、仲を深めるためには自身の教養の深さ、話題の手札の多さが重要だと身を持って実感しました。様々な人が集まるイベント、パーティ、ダンスなどに積極的に参加したのも、国際的な人間力と高め、様々な国の人に人として魅力的と思われることは今後ビジネスにしても人生においても重要だと意識していたからでした。今後も全力で本業に打ち込みつつ、自身の国際的な人間力を高める努力を常に続けて行こうと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。最後にはなりますが、多大な皆様のご支援のおかげでこれまで述べてきたような学びを得ることができました。皆様がいなければ今の価値観を持たずに今という時を迎えていたと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。今後、私は今までの恩を社会へ還元すべく、自分らしく、人事を尽くしていきたいと思います。ご支援ありがとうございました。

 

 

野村友香さんの2016年7月分奨学生レポート

こんにちは、小山八郎奨学生第40期の野村友香です。と言って留学の報告レポートを書くのもこれが最後と思うと寂しさがこみあげてきますが、同時にイリノイで過ごした時間が私の中で一つの思い出としてしまわれていく感覚に捉われます。

 

5月20日に帰国してから、東京での新居探しや引っ越しの準備に追われており、ゆっくりと振り返る時間をとれていませんでした。帰ってしばらくはまだ心はアメリカにいるようなふわふわした感覚で、もう今はアメリカにいないんだという感情的な寂しさにまみれた日々を過ごしていました。実家から東京に引っ越して大学の授業が始まるとやっと元の生活に戻ったというような感覚になりました。

 

10ヶ月を振り返ると、本当にたくさんの貴重な体験をすることができました。日常はキャンパス内での勉強や週末のハングアウトがほとんどですが、その他にも休みごとには様々な場所を訪れ、留学前は行くだろうとも予想していなかったような大陸を超えた場所へ行き、本や映像の中だけで知っていた世界を実際に目の前にすることができました。とりあえずずっと日本にいたくない!留学行きたい!!という思いから決心して切符を手に入れた小山八郎奨学金でしたが、イリノイに来て大切なことにたくさん気づきました。

無題

(写真1 日本館の桜)

 

将来何をするか。もともと大学に入るときも、進学後に学部を決めるときも人生をかけてやりたいことや達成したい目標というものはなく、なんとなくこっちに行っとけばうまくいくかなー、なんてノリであらゆる決断を乗り切ってきました。ですから3年生になって今後に対する漠然とした焦りは少しありました。ここで一回足踏みといいますか、留学期間をはさむことでゆっくり将来について考えることができて、新しい目標を見つけることができました。アメリカでは卒業後すぐに働いたり大学院へ行くのではなく少し時間をとってその間に仕事を見つけたりする人も結構いました。いい意味でのんびりしているというか、自分が成し遂げたいことをするためなら時間をかけてでも最終的に達成できればいいやと考えている人が多いように感じました。だけれどそうした人も決して歩みを止めている訳ではなく、目標の下で必要な時間をとっているようにみえて、私も大して焦る必要はないなと思いました。達成するための努力は必要ですが。

 

アメリカという、多様性を受け入れる国。特にイリノイ大学は留学生の数が多いこともあり、日本・アジアから来たからといって差別されることは決してありませんでした。一つの家族の中でもたくさん国にルーツがあることも多いので、多様性が身近に当たり前にあるのでしょう。ある時友達の家族とごはんを食べに行く機会があったのですがそこで家族の話題が、我が家にどこどこの国の血は流れているのか、実はおばあさんのおばあさんはどこどこの国にいたからこの国にもルーツがある、というような話になりました。私は完全に親類は全員日本だしたぶん元をたどっても全部日本人だろうし、そもそもあまり人種を気にしたことがありませんでした。こうした話題が小さい頃から日常にあるから、自然と外の国にも目が向くようになるのだろうなと思いました。しかし多様性があるからと言って全員が完全に混ざり合っているとは言い難く、たとえば大学内でときどきBlack peopleによる抗議のようなものが行われていました。それに対してfacebook上でイリノイ白人会なるものが結成されていて(すぐに削除されましたが)、大学が介入してこの騒動を止めていました。人種によるグループは顕在化していなくともそこらじゅうにあり、完全な人種のサラダボウルと呼ぶにはまだ疑問が残る部分もありました。

 

勉強に集中する環境。田舎にあるイリノイ大学はとても落ち着いた雰囲気で、勉強に最適の環境だと思います(平日は特にでかける場所もないし。)図書館はもちろん24時間空いていて、個人用の仕切られたスペースの他にもグループワーク用のスペース、大きなスクリーンやホワイトボードが設置された個室など、議論しながら学びを深めていく環境が作り上げられていました。春学期の遺伝の授業で、最終課題はinfographicをグループで一つ作るといったものだったのですが、授業が終わってからもこの縁をつなげていきたい、もっといろんなことを知りたいという声があがってウェブサイトを作ってその授業メンバーによるstudent organizationまで立ち上げてしまいました。(現在進行中なのでウェブサイトが公開できるようになったらシェアしたいと思います。)こうした自由な雰囲気の中で、なんでもやってみよう!それいいね!とアイディアがすぐ形になる勢いとエネルギーをたくさん感じられたのがよかったです。

写真2

(写真2 制作したinfographic)

 

素敵な人に本当にたくさん出会いました。春学期特にお気に入りだった教授(遺伝学)は、私が遺伝に興味があると伝えたら役に立つサイトや論文をたくさん(消化しきれないほど)教えてくださいました。教授のお兄さんもどこかの大学で教授をしているみたいで、一度授業に来たこともありました。JICの生徒であるという理由だけで、たくさんの方にお会いしてお話を聞かせていただける機会もありました。日本館設立に大きく関わった、日本文化を代表する人であるような佐藤先生からは私が知らないディープな日本のことについてたくさん学ばさせていただきました。何度かお家へ伺い、貴重な資料を拝見させていただきました。ほとんど毎日のように一緒に図書館で勉強してくれた友人、私のグルメ開拓に付き合ってくれた友人、頻繁に家に呼んでくれてどうでもいい話から真面目な将来の話までたくさんのことを話した友人。よくわからない不安で心が影ってきたときは周りの人に頼ることでいつでも元気でいることができました。ここでの縁はいつまでも大切にしたいですし、今後も大変なことがあったときはアメリカでがんばっている友達を思い出せば自分もがんばれる気がします。

写真3

(写真3 いい友達に恵まれました)

 

実のところはアメリカに渡るまでずっと休学してまで行く必要があるのかよくわからないけれど、とりあえず行ってみようと思って一歩を踏み出しましたが、今は心から行ってきてよかったと言えます。のんびりした場所で長い期間好きなことをして贅沢に時間を使ってきたので東京の忙しさに慣れてしまうのはもったいないですが、また次のステップに向けていろいろな経験をしていきたいです。最後になりますがJICの奨学金制度のおかげで本当に充実した留学を実現することができました、このような素敵なチャンスを与えてくださりありがとうございました。JIC40期の素敵なメンバーにも感謝しています。また特に何も口をはさまずにいつも見守ってくれている家族に本当に感謝しています。この経験を糧にまた新しい道を切り開いていきたいです。

 

2016年6月

小山八郎40期奨学生 野村友香

高濱萌子さんの2016年7月分奨学生レポート

JICの皆様、ご無沙汰しております。第40期奨学生の高濱萌子です。第40期生として綴る最後のレポートとなりました。

写真1 日没後

(写真1 日没後のシャンペーン)

 

本レポートは、

  1. 春学期の授業
  2. 課外活動について
  3. 留学全体のまとめ

について書かせていただきます。

 

  1. 春学期の授業

UP204 Chicago: Planning and Urban Life 授業形態Lecture50min×2, Lab50min×1

 授業以外には期末テストとfinal projectの課題がありました。Final projectのテーマは、「地図アプリを利用してシカゴの都市問題を考える」というものでした。自由に2~3人のグループを作るのですが、隣の席に座っていた中国人の男の子とペアを組みました。私たちのグループは、シカゴの自転車利用促進プロジェクトについて発表しました。シカゴは現在、自転車用道路の整備、シェアバイクの普及に力を入れています。ラッシュ時の交通渋滞の緩和や自動車所有にかかるコスト削減のためにも自転車には数多くの利点があります。Arc GISと呼ばれる地図アプリを利用したのですが、問題が起きている場所を視覚的に捉えることができるので、発表を聞く側としてとても理解しやすかったです。この授業ではTAの方が非常に丁寧に面倒を見てくれたのが印象に残っています。

 

ACE430 Food Marketing 授業形態Lecture 80min×2

 後半は毎週のグループワーク+ゲストスピーカーによる講義でした。グループワークの課題の中で特に面白かったのが、キャンパス周辺の5つのスーパーマーケットを回って、外観や店内設備などについて比較するものです。どの店舗が最も効率よく運営されているのか、メインターゲットは誰か、などをグループで予想しました。この授業のグループワークは読み物・調べ物の量が膨大で、1週間ではとても消化しきれず苦戦しました。ですが、先生がアップロードしてくださる読み物は面白いですし、実際に足を運んでデータを集めるのも日本ではあまり経験がなかったので、とってよかったと思います。

 

ACE431 Agri-food Strategic Management 授業形態 Lecture 80min×2

スライドを使った講義形式の授業+同じグループで4回グループワーク課題に取り組みました。回数を重ねるうちにメンバーそれぞれの性格もわかってきて、だいぶやりやすくなりました。グループワーク課題では、食品・飲料を扱う実存する企業(Chipotle, PepsiCoなど)の問題点・改善点を提示します。最後の日の発表では、Q&Aで、私の担当箇所への質問が重なりました。とてもどきどきしましたが、質問されそうなことを予測し事前に調べていたのでなんとか答えることができました。終わってからほっとしたのをよく覚えています。

 

GCL125 It’s Toxic! 授業形態Lecture 80min×2

春休み明けからはグループにわかれての学習になりました。3つのテーマから好きなものを1つ選びます。私のグループは、イリノイ東部に広がる帯水層の上に有害物質を含むゴミ処理場を建設することの問題点を調べ、発表しました。毎回授業でやるべきこと、次の授業までの課題がはっきり示されているので、進めやすかったです。最後の日は先生が持ってきてくださったお菓子を食べながら3チームが発表を行いました。

 

RST351 Cultural Aspects of Tourism 授業形態Lecture&Discussion 80min×2

 特に楽しかったのは、food tourismの一環で、クラスでChampaign-Urbanaのレストラン巡りをしたことです。名物のBBQ屋さん、韓国料理屋さん、メキシカンアイスクリーム屋さんなど7つのお店を回りました。普段は席が遠くて話すことがない人とも会話するきっかけが生まれました。Final Projectは2人組でChampaignのPRビデオを作りました。私たちは「キャンパスライフ」を軸に、キャンパス内で観光客誘致に魅力的だと思うものを撮影しました。全てのビデオを見て、他のチームの完成度の高さに本当に驚きました。ビデオ作りは初めての経験で、初心者らしい仕上がりでしたが、なんとか形になりました。

 写真2 レストラン巡り

(写真2 レストラン巡りのときの集合写真)

 

AGCM199 Ag and Environmental Photography 200min×1(春学期後半)

後半から始まったカメラの授業です。毎週テーマが設定されていて、数枚の写真を提出します。最後には「ストーリーのある写真」というテーマで5枚の写真を出しました。毎週授業中に先生・生徒全員で課題の写真の批評を行います。人の写真をゆっくりとみることで新たに気が付くことがたくさんありました。旅行の際にカメラをもっていったのですが、本当にきれいにとれてカメラの魅力にはまりそうです。週1回の息抜き・趣味としておすすめの授業です。

 

授業全体のまとめ

春休みが終わってからは毎日が風のように時間が過ぎていきました。春学期は最大の18単位をとっていたこともあり、授業・課題・テニス・遊びをしているうちに気がついたら5月を迎えていたというのが感想です。春学期後半は習ったことをベースに「自分の頭で考える」機会が多かったです。特に食品業界について実例を用いて学ぶことで、将来働くときのイメージがほんの少し掴めたのではないかと思います。

 

  1. 課外活動について

【テニスクラブの活動】

外のコートに移ってからは、週に2回練習に参加していました。自転車での往復は景色がよくてとても気持ちよかったです。練習に1年間参加したことで、テニスコートが安心する場所になりました。気分が落ち込んでいても練習に行けば誰かがいて、みんなで打ち合えばストレス解消になりました。最後の練習では、もう一生会えない人もいるのだろうか、と感傷に浸りそうになりました。

テニスクラブでの活動を振り返ってみると、イリノイでテニスをしたことで、私のテニスに対する姿勢に変化があったように思います。私は日本の大学の部活でテニスをしているのですが、常に真剣に練習するべきという雰囲気があります。私はそれも重要であるし、真剣に取り組むからこそ得られるものも大きいと考えています。でも、真剣すぎて時にテニスが楽しいという気持ちを忘れてしまうことがありました。反省ばかりして、良いところに気が付きにくくなったり、自分のだめなところに目が行きがちになってしまったりします。イリノイでは、純粋に楽しむためにテニスをする時間を持つことができました。そして私にとってテニスはただのスポーツではなく、人と人をつなげる大きな役割を果たしていることがよくわかりました。チームメイトに対してたまに適当すぎるのではないかとツッコミたくなることもありましたが、楽しく練習するべきだという考え方は素敵だと思います。テニスがもっともっと好きになりました。

写真3 テニス

(写真3 ウィスコンシン大学での試合後の一枚)

 

  1. 留学全体のまとめ

私は私であり、9カ月異国の地で暮らしても、あまり大きな変化はなかったように思います。正直に申しますと、留学を通して180度考え方が変わったとか、人生の指針ができた、ということはありません。日本の友人に会っても、口を揃えて「変わってないね」「ずっとここにいたみたい」と言われます。しかし成長しなかった、多くを吸収できなかったというネガティブなことではなく、今回は留学前からしっかりと心構えができていたのだと考えています。また、私が今は変わっていないと思うだけで、きっと何かの機会に「あのときの留学があったからこそ今がある」と思うときもくるのでしょう。確実に、今後の進路の選択肢は大きく増えたと思います。自分がどのような道に進むのか、想像をめぐらすだけでワクワクします。

今回の留学で大きな自信になったのは、自分の誠意は、時間はかかるかもしれないけれどあきらめなければ相手に伝わる、ということです。留学後半はグループワークに苦しめられました。苦手に感じる理由を考えてみると、英語のハンデを言い訳に司会役は無理と決めつけ、そして相手の意見に同調してばかりだったからだと思います。受け身で、しばしばただそこにいるだけの存在になっていました。話し合いが停滞しているときも黙って誰かが発言するのを待っていることもありました。きっとグループのみんなも「この子は何の意見もないんだ」「貢献してくれなそう」と思っていたと思います。はじめのうちはストレスがたまる一方でした。しかし回数を重ねるうちに、コツコツと取り組む姿勢は相手に信頼感を与え、そして英語をしどろもどろになりながらもなんとか話そうと試みる姿勢は相手の協力を得ることにつながることがわかりました。グループワークのメンバーもだんだんと私のことを理解してくれたようで、「これはどう思う?」と私の意見を聞いてくれるようになりました。グループワークを通して、意見は言う、でも周りの意見も尊重する、そうした主体的かつ協調的な姿勢を持つ大切さを学びました。つたない英語ながらも誠意を持って、そして行動をすればいつか受け入れてもらえることを確かめられました。誠意をもって人と接する、これは私が日本でも日々の目標としていることです。言語や文化の違いを除いて、私という人間が日本以外の国でも受け入れてもらえたことに小さな喜びを感じました。

留学を通して、性別・人種に関係なく本当に心の優しい人にたくさん出会いました。どうして見ず知らずの私に優しくしてくれるのだろうと考えてしまうほどです。留学は、人の親切により敏感になる機会を与えてくれました。こんなにもたくさんの素敵な方々に出会えるとは想像もしていませんでした。私たちの周りは無限の可能性に溢れていて、探し求めにいきさえすれば手に届くのだということを学びました。

留学前は「キャンパス以外に何もないよ」というお話を頻繁に耳にし、少し心配していましたが、私にとっては毎日が刺激的でした。好奇心のままにいろいろなことに挑戦していたら、あっという間に時間が経っていきました。広大なキャンパスは四季折々で表情が異なり、自転車で散策したり、ランニングをするのが大きな楽しみの一つでした。青い空の下、芝生に寝転んでぼうっとしている時間が何より幸せでした。イリノイ大学が、こんなにも思い入れのある場所になるとは思いませんでした。

キャンパス最後の日の過ごし方は、留学生なら誰しも考えることでしょう。私は、荷造りをほぼ終えた最後の日は、一人ランニングに出かけました。キャンパスの中の自分のお気に入りの場所を走りました。日本館、以前住んでいたPAR、テニスコート、サウスクアッド…とても良いお天気で、私のイメージするUIUCにぴったりの日でした。いつか必ず戻ってきたいと思いますがしばらくは来られないので、しっかりと目に焼き付けました。日本に戻ってきてからも、様々な場所でUIUCの景色を浮かべています。そうすると不思議と心が落ち着きます。

 

最後になりますが、このような素晴らしい機会を与えてくださった関係者の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。JICの歴代の先輩方が長い時間をかけて築いてこられた信頼のおかげで今の私たちがいることを何度も感じました。本奨学金制度に応募するに至った経緯も、第40期に選んでいただいたことも、私にとっては奇跡・幸運の連続でした。この感謝を忘れず、常に向上心をもって進むべき道を見つけていきたいと思います。

写真4佐藤先生と

(写真4 佐藤昌三先生のご自宅のアトリエにて。大好きな40期との一枚。)

 

2016/06/26

第40期 高濱萌子

 

番外編 〜日本(東京)に帰ってきて気がついたこと〜

帰国して1ヶ月が経ち、すっかり日本の生活に戻った気がします。日々白米の美味しさをかみしめています。アメリカでの生活を経たからこそ、日本に帰ってきて感じたこと、実は日本特有であるという発見を、忘れないうちに記録しておきたいと思います。

 

  1. 声が小さくなる

周りの目を気にしすぎなのでしょうか。日本ではつい声量を抑えてしまいます。

  1. 目からたくさん情報が入ってくる

広告の量が多いです。

  1. 人が多い(多すぎる)

さすが東京です。どこにいっても人がいます。

  1. 観光客が増えている

私の家の近くでも外国人旅行者らしい人をよく見かけます。

  1. コンビニの品揃え・清潔感に感動する

帰国後空港でコンビニに入ったときの感動は忘れられません。

  1. 女性の細さに驚く

おそらく自分が大きくなったのも原因ですが。

  1. 年齢確認されることがほぼない

アメリカでは必ずパスポートを携帯していました。

  1. なにもかもキッズサイズに見える

とくにサーティワンに行った時に感じました。

  1. 座るところがない

日本にはベンチが少ないです。

  1. 満員電車(バス)でもさらに乗り込む

キャンパスを走るバスは日本人から見るとまだ乗る余裕があっても、運転手さんに扉を閉められてしまいます。

 

 

喬博軒さんの2016年7月分奨学生レポート

留学を終えて約一月半が過ぎました。本稿がこのJICホームページに載る奨学生として最後のレポートだと思うと、感慨深く、そして感謝の念に浸る思いです。この「かけがえのない」という言葉では足りないくらい輝きに満ちた10か月を振り返ると、JICを通して出会ったたくさんの皆様の顔が浮かびます。この報告書を書き上げた今、多くの方の愛情に支えられた私の留学は幕を下ろします。

現在系、進行形で語られていたこれまでとは違い、最終レポートは日本に腰を下ろし、遠く離れたシャンペーンの日々を想起して書かれるためにどうしても違った趣になっていると感じます。私は帰国後すぐに、かの地から携えたゆったりと流れる時間を「矯正」するために都内の病院で長期の実習を行いました。じっとりとまとわりつくような湿気、コンパクトな建造物、速くて正確な鉄道、人があふれる交差点の中にあって、幾度かその環境に静かな眼差しを向けました。再び日々に追われ新たなスタートを切った私は、せわしなくまわる大きな歯車の一部に戻ったような感覚にあります。きっとここにもすぐに慣れてしまうでしょう。留学中のあの高揚感がノスタルジックに思い出されます。できるだけはやく慣れなければいけません。半ば強引に自分をこの環境に順応させた次は、やるべきことに一生懸命取り組みます。目の前のことを全力でやることが、あのマヤの村やクリーブランドの病院、そしてその先へと直につながっているのです。国内外に関わらず今私のいる場所で信念を持って行動を積み重ねます。そうすることこそ私がこの留学で学んだことです。

最終レポートとして、春学期の講義、フィールドワーク、最後の振り返りをここに報告させていただきます。

写真1 大切な写真:佐藤先生アリスさんそして愛すべき40期の皆

(写真1 大切な写真:佐藤先生アリスさんそして愛すべき40期の皆)

 

<講義ついて>

履修した講義

ENG498         Sustainable Development Project

GCL188         Doctor and Patient

MCB320        Mechanism of Human Disease

MCB246        Anatomy and Physiology
・ENG498           Sustainable Development Project

留学中の私の集大成といえる講義です。後半は主にリサーチプロジェクトのポスター発表に向けてグループで現地での調査内容を具体的に詰めていきました。年齢も人種も専門も異なる構成の集団で、共通のビジョンをもってプロジェクトを前進させていくためにはどうすればよいかというオリエンテーションを経たにもかかわらず、私のチームにはいくつもの困難がありました。途中1人メンバーがいなくなり、2度教授から解消の提案がされ、数えられないほどの涙が流れました。皮肉にも、理論とその実践は全く別のことなのだと痛い程学ぶことになりました。最終的にはかろうじて発表までこぎ着けましたが、発表の5分前まで私は「もう止めだ」と反発し合うメンバーの間を取り持ち説得し続けました。はっきり言って私たちのグループは持続可能ではありませんでしたが、忘れられない講義となりました。

 

・GCL188          Doctors and Patients

今期の中でとても楽しみな時間でした。課題が少し多くて大変と感じることもありますが、先生のチョイスがピカイチなのか、

文学作品の読解・ディスカッションの他に、後期は製薬会社のコマーシャルに関してのレポート、プレゼンテーションを行いました。日本をはじめ多くの国で制限されている医薬品のコマーシャルがアメリカでは日常に溢れています。ユニークなものからシリアスなものまで、そのアプローチの仕方は様々ですがいずれも人間の健康への欲求に訴えるものでした。健康や病気が市場原理の中でどのように存在するのか、その特徴や問題点を探るのは新鮮でした。医療という世界は医師という職種以外にも多くの病院スタッフはもちろん、製薬や機器、さらに自治体や国というように多くのキャストが携わっています。さらに「病気」というものへの一般的な認識はその地域や時代によって大きく異なっているのでした。広い視点で医療や人間というものを見つめる視点は私にとって貴重でした。

写真2 シカゴにて:ピカソのオブジェの上

(写真2 シカゴにて:ピカソのオブジェの上)

 

・MCB320          Mechanism of Human Disease

前回に引き続き講義毎に一つの疾患を扱っていきました。Premedの授業ですが、実際にカール病院で臨床や研究を行っている現役の脳神経内科医の講義が6コマほど続きました。Medical schoolでも教えていると言っていたのでおそらく同じスライドをつかっているのでしょう。普段MCBの細かい基礎生物学や基礎医学の講義をたくさん受けている学生たちにとって、このように臨床的な視点を持った講義はモチベーションにつながるだろうと思います。どうしても日本の医学部の講義と比較してしまうのですが、この先生は本当にプレゼンが上手でした。普段から多方向からの評価に曝されていること、また授業時間が短いことが要因の一つでしょうか。エネルギー溢れる講義は、90分は続けられないだろうなと思う程毎回がエキサイティングでした。

 

・MCB246          Anatomy and Physiology

前回同様、後半は免疫系や血液、泌尿器や生殖器の解剖生理を学びました。以前も載せたようにFollingerというキャンパス最大のホールで行われます。アメリカの大学の特徴として、このような講義中心の大規模な講義でも必ず実演の時間やグループワークを取り入れようとます。質問がしづらい分、メールでの質問に加え教授のブログにコメントする形で質問やディスカッションが行われ、常にネット教材を使った演習問題が課されます。特にブログを通した教授のレスポンスが本当に早く、試験前は多くの学生が利用していました。トランスファーしてきた友人が、教育に対する熱心なサポートが特にこの大学は強いんだと言っていました。

 

 

<国際保健の現場へ~Guatemalaフィールドワーク~>

4月末に私はグアテマラのマヤの村々を訪ねました。今心に残っているのは「本当に素晴らしい人たちは現場にいる」というOrganizerの先生の言葉です。念願であった国際保健の現場に待ち受けていたのは失敗の数々、悔しさと無力感でした。大きなスケールで物事を考えれば考えるほど、大事なのは矮小な個人のレベルでの行動なのだと感じました。

大学病院のGlobal Health Trackと国際NGOの合同プロジェクトに同行、一週間という短い期間でマヤの女性たちの健康状態の調査を行い、報告書をまとめ発表を行いました。今、多くの開発プロジェクトは「持続可能」であることを大前提に、現地の人々のニーズを徹底的に調査し、さらに現地の人々が主体となってそれらの課題を解決するシステムを構築すること、そのチームの一員となることが求められています。このようにいうと聞こえはいいですが、論文やディスカッションで学ぶこととその実際の間にはまだまだ大きなギャップがあり、さらに言えば、本当の意味でこの理想の開発を実現することの難しさはおそらく「現場」にいる専門家たちが一番実感しています。

写真3 マヤコッミュニティにて:できることを全力で

(写真3 マヤコミュニティにて:できることを全力で)

 

グアテマラではチームメンバーに入れていただき、血圧や脈拍酸素飽和度の測定という簡単な仕事を与えてもらいました。毎日のログの作成、報告書のデータをまとめることが私の仕事でした。普通は立ち入れない文字通り山奥の村に行って肌でその「現場」を感じてくることはできました。たくさんの人と話をし、直接触れ合いました。しかし「できたこと」はここまで。数え切れないほどの「できないこと」を学びました。今思い返しても、私は常に現実の厳しさ、迷い、疑問、そして無力感の渦の中にいた感じがします。土だらけになってホテルに戻っても頭に靄がかかったように考えを消化できず悶々としました。自分が今まで学んできた知識、Evidenceや統計学では太刀打ちのできない大きな壁を感じました。現地の人々はそんな私を、アメリカから来た医療チームの一員として最大の敬意を払って接してくれました。ときにその視線が痛い程に自分がここにいることへの責任を感じました。訪れた2つ目の村に、13歳のダニエロという名前の少年がいました。優しく礼儀正しい彼は週末は村を出て中心街で音楽を学んでいます。マリンバが得意で将来はマエストロになりたいと少し照れながら言っていました。彼のおそらくビタミン欠乏が原因の脊椎の湾曲に、私は姿勢の矯正やマッサージを勧めることしかできませんでした。毎日の畑仕事や暗い学校で過ごす彼の生活環境の中で、私のアドバイスは彼にとってどれほど意味のあることでしょうか。どれほどの影響を与えるでしょうか。それでも私が一番なにか貢献していると感じたのは、その地の子供たちを笑わせたとき、彼らの話を聞き前向きにそれを後押ししたときでした。今の私にできるのはここまででした。

何もできなかった「現場」で感じた無力感が今回の留学の楽しさを思い出すその裏に常に付き纏い、現在でも常に私の行動を規定しています。この悔しさ、敗北感のさきに何があるかわかりません。それでもどんな場所でもその最前線で行動し続けていきたい、そう思うには十分な体験でした。

 

<留学を終えて>

初めてキャンパスに来たときに感じた未知への期待や不安の中にいた自分と明らかに地続きのその先に今の自分がいます。どちらかと言えば、一生懸命になり目の前が見えなくなった折に、過去の自分を道標に何とか歩みを進めてきたという実感があります。振り返るとそこは自分だけの個性的な物語に満ちていて、その積み重ねの先にだけ確かな行動があるのです。昨年、初めてのレポートで私は次のように述べています。

 

(この留学が)どのような結果になろうとも、それは成功や失敗だとか、点的な概念や客観的な指標で測れるものではありません。私だけの事実を伴った経験として、私の中に凛とあり続けるのだろうという確信があります。

 

過去の事実が「今」という新たな道に繋がっています。”Carpe diem”とは映画のセリフとしても有名ですが、元々古代ローマの詩人の言葉です。紀元前から儚い人生を憂い今この瞬間を楽しもうという前向きな概念があったことに人間の本質を考えさせられます。過去の自分に何かが加わったとすれば、今その瞬間で限りなく全力を尽くすことを学んだことかもしれません。

巨大な時間の流れの中の一点として現在の自分を取り出してみると、そこには一見して平凡な自分がいます。日本だろうとアメリカだろうと継続して勉強することは変わらないのだという感覚が強く、私は具体的に何を得たのだろうかと疑問を持つほどに冷静です。このことをずっとお世話になってきた大学の先生にお話しすると、留学から無事帰ってきたねという労いの言葉のすぐあとに「バカモノ」と言われてしまいました。そう思っている時点で留学前のあなたとは全く異なっているよと。日本に帰ってきて、アメリカ留学に対するただの憧れが自分への反省と実質的な行動の重要性に変化していることを指摘してくれました。

先生はまた、同時にこの留学の経験を単なる感謝の言葉以上のものとして家族に伝えてみたらどうだいと優しく言ってくれました。こんな言葉をかけてくれる人が周囲にいることが私の誇りであり、私を私足らしめてくれます。

この恩師の他にも、私たちの成長した姿をみるのが生きがいとまでおっしゃってくださるJIC会長、現地や日本で惜しみない支援を続けてくださったイリノイ関係者の皆様、いつも心配してくれた家族、日本やイリノイで出会ったかげがえのない友人達、皆様のおかげで私は改めて今の自分を肯定したいと思えます。このような人々に囲まれていることを本当に幸運に思います。止むことなく歩みを続けていきます。本当にありがとうございました。

写真4 アンテロープにて:どこまでも真っ直ぐな道の先

(写真4 アンテロープにて:どこまでも真っ直ぐな道の先)