向修一君の2000年1月分レポート

わたくしは、JIC 派遣留学生として昨年から今年にかけてお世話になっております、向 修一と申します。昨年の 3 月に東京大学理学部地球惑星物理学科を卒業し、4 月から都内にある IT 関連の小さな会社でアルバイトをしていました。U of I では主にコンピュータ・サイエンス (CS) の基礎を勉強して、帰国後にその分野で大学院へ進学する準備とし、同時に英語力を大幅に延ばそうと目論んでおります。

夏学期は、CS の科目を 2 つと、中国語、それに ESL を受講しました。 CS は「データ構造とソフトウェア・プリンシプル (CS 225)」、「オペレーティングシステム(CS 323)」の 2 つです。

ご 承知の通り、U of I の CS Department は、米国内でも最も入学の難しい学科の一つです。そこで学ぶ機会を頂けたことは、この上なく恵まれたことだと感謝しております。授業で周囲を見渡す限り、 学生はアジア人の比率が比較的に高く、また 9 割以上が男性であるのが特徴です。(余談ながら、これは直感的には理解可能でも、実際には社会的要素の絡み合った、深い問題だと思います。)

CS の授業は、非常に「実践指向」であるという印象を受けました。CS 225 はプログラミング中心の授業で、頻繁に「real world では」という表現を耳にしました。教師も実務経験に基づいた方法論を強調する一方で、学生の側も「授業 (アカデミックの世界) ではこういう扱いをしているが実際の職場ではどうなのか」といった情報を多く期待しているように見受けられました。 CS 323 もオペレーティングシステム理論の授業とはいいながら、先生の専門の関係もあってか、マルチメディア関連の例を盛んに持ち出し、学生の興味にかなり沿った 講義が行われていました。

ずっと Green Street の北側 (理工系キャンパス) にいると息が詰まってしまいそうなので、気分転換に中国語を取ってみました。私が選択したのは漢字をいっさい教えない初習者向けコースで、少人数だったこ ともあり、かなり楽しい経験でした。(中国語が身に付いたかは別として…) 漢字を使わない教え方というのは、日本では得難いに違いない面白い学習形態でしょう。

ESL については、さほど驚きはありませんでした。教授法は全て日本で触れたことのあるものばかりでしたし、(リスニングとスピーキングを強化したかったのにもかかわらず) ライティングの授業を取らされてしまったので、ただ無難にこなしたのみです。

冬 休みは、フロリダにフットボールの試合を見に行ったあと (近年の動向をご存じの方は信じられないかも知れませんが、Fighting Illini が MicronPC.com Bowl に出場し、Virginia を圧倒して、最終的にランキング 25 位に入ったのです) 、Y2K 問題 (?) でチケットが安かったこともあり、日本に帰国しました。(その後に IAP-66を紛失し、学校から FedEx で送ってもらうという失態を演じてしまうのですが…)

春学期ですが、(初めは満員で全然取れなかった) CS の授業が、学期開始後に滑り込みで登録できて、とりあえず一安心といったところです。それから、英語が余り上手くなった実感がないので、もっと使うようにせねば、と思っています。

以上、簡単ですが、近況報告とご挨拶まで。今後ともよろしくお願いいたします。

竹田智君の2000年1月分レポート

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こんにちは、東京大学土木工学科建設マネジメント/開発システム研究室に所属しております、竹田智と申します。こちらイリノイ大学では、土木・環境工学科 の授業をとり、4年生あるいは大学院生1年生向けの授業に出席しています。前学期は「忙しい」の一言につきます。でも日本人の1人の友人(彼は大学院生) は、研究室を訪れ、担当教授につくということまでしていました。自分にはそこまで行うだけの能力はまだないな、と思うとまだまだ学ぶことだらけだという気 がします。こちらではnon-degreeの形での留学ですが、今年10月から修士課程に進む際に単位互換が出来る可能性も残っています。前学期の結果は 大事にとっておこうと思っています。

さて、前学期を通じて本当に多くの友人に恵まれました。学問に負けず劣らず、今回のイリノイ大学の生 活の中で最も貴重なことだったのではないかと思っています。試験後は多くの友人が次々と家族の家、あるいはそれぞれの国へと帰っていきました。さすがにこ み上げてくるものもありました。特に中南米から1学期間の交換留学で来ていた人々との交流は、自分の将来のこと(土木技術者としてこの付近での仕事、プロ ジェクトに携わりたいと思っています。)を考えると大きな財産になりました。彼らから学んだことは数知れません。自分の器量の小ささを実感させられました し、他人に対し、芯から思いやる気持ちを学ぶことが出来ました

冬休み。多くの留学生はアメリカ国内の旅行、あるいは母国に帰って行きまし た。しかし、卒業論文の提出が迫りつつある私は、12月19日から12月24日にかけてNEW ORLEANSを訪れること、そして12月26日から31日にかけて、会議に参加しにINDIANAPOLISに行くのがやっとでした。しかし、NEW ORLEANSの2人旅(シンガポール出身の方)は非常に思い出深いものになりましたし、会議の方も、多くの大学の人たちと知り合え、非常に有意義なもの でした。クリスマスに日は、教会で仲良くなった御夫婦に招かれ、一緒に過ごしました。閑散とした大
学街には雪だけが残り、寂しい時であっただけに 本当にうれしく思いました。大晦日はカウントダウンを友人宅でし、いよいよ2000年1月1日から…そうです、卒論の草稿が始まったのでした。1月 17日までの17日間は別の意味で心に残ります。日本語の論文を打ちながら、友人と英語で会話し、ときにはスペイン語も加わり、と「自分は
はて何をしているのか?」と頭の中は3つの言葉が入り乱れていました。

し かし、時は去り、2月一杯日本に帰り、卒業論文の発表をし(2月28日)、いよいよ大学4年間が終わりを告げるわけです。学部生という段階でアメリカの大 学で学ぶことは、修士課程などの時に来る時とは違うと思います。即ち、まだ発展途上の段階と、自分の目的を確立してからの段階で周りを見、受け止めること は、全身で感じる刺激が違うと思うのです。それだけに貴重な体験であると思います。(大学院で留学する場合は、研究室、担当教授も勿論決まってることが望 ましいと思いますが。)更なる計画も今、熟考しております。それは今は秘密です。

体にだけは留意し、両親の温かさ、そしてJICの方々の思いやりに感謝を述べまして筆を置きたいと思います。またお会いできる日まで。

2000年1月25日 竹田 智

田村篤司君の1999年11月分レポート

ここでの生活も僕にとっては二ヶ月半になりました。早いもので、もう今学期も残りわずかになってきています。イリノイの秋は今年、とても暖かかったと感じ ました。ただ最近、冬の到来を感じさせるように少しずつ寒くなり、日も短くなり、木の枝からは茶色く染まって美しかった木の葉も姿を消していっています。
九月後半に日本に三週間帰ったこともあって、十月前半は授業に追いつくことと中間試験の勉強とでやや忙しかったのですが、十月後半から十一月初 旬まではのんびりと留学生活を楽しみました。東大法学部と違って緊張感のないところですし、今学期は友達をつくったり、アメリカの生活を味わおうという気 持ちがあったので、あまり勉強に集中していたとはいえません。寮の同じ階の仲間が金曜の夜によく映画に連れて行ってくれます。フラティニティのパーティー に行ってみたり、ハロウィーンのダンスパーティーに行っていみたり、フットボールやアイスホッケーの試合を見にに行ったりと週末はなにか予定をいれ、また はゆっくりとすごしました。
ただ、最近はもっと勉強をしなければ、もっと勉強をしたい、という気持ちが強くなったのと、授業のペースが速くなっ てきたり、リサーチペーパの課題が締切間近になってきたのとで、勉強にかける時間がかなり多くなってきました。それでも東京にいる時と比べて気持ちが緩ん でいるので、最近よく反省をしています。
この留学は英語と経済のインテンシヴのように捉えているのですが、今学期は Microeconomics, Macroeconomics,という経済学の基本を勉強し、さらにアメリカの政治社会の仕組みを知ろうとAmerican Governmentという 政治の授業を受講しました(その他に英語のライティングのコースも取っています。)。どれも100レベルなので比較的簡単です。
そしてつい最 近、来学期の授業の登録をしたのですが、来学期はMicroeconomics, Macroeconomics, Economic Statistics, Accounting,(さらにできればEuropean Economics)という授業を取ろうと思っています。全く希望どおりの登録ができました。今学期と比べると格段に大変になるはずです。

友達関係は、八月、九月の時と比べてやはり寮の同じ階のアメリカ人と仲良くなったという点で気が楽になってきましたが、まだ英語の壁は高く、「溶け込めて いる」とまでは表現できません。「混じっている」という感じでしょうか。ただ、このオグリズビー11階というところは、とても気に入っています。この階の 住人とOBとで作ったフラッグフットボールチームは、最近イントラミューラルの大会で優勝し、そして今はペニーウォーというどの階が一番多く募金を集めら れるかというイベントがあっているのですが、ここ六年間一番だそうで、今年も十分集まったと言っていました。同じ階でもいくつかのグループに分かれ、まっ たくコミュニケーションのない人も多くいますが、自分自身のまわりにいる人は比較的親切です。
英語の方は、まだまだ自信がありません。今週テレビを買いました。まだ日本語で考えている時間が多いので、もっと英語にふれようとおもっています。三ヶ月~六ヶ月目に変化が現われてくると言われてきたのですが、どうでしょうか。

Thanksgivingの大部分は勉強しますが、冬休みは1ヶ月、Chicago、Atlanta、Florida、NYとアメリカを旅行する計画を立てています。

塚本美由紀さんの1999年11月分レポート

こちらに来てから、3カ月余の月日が経ちました。初めはキャンパスの広さに圧倒されて、地図が手放せませんでしたが、今ではすっかり慣れて行動範囲も広がってきました。遠方にあるJapanHouseも、イベントがあるたびに訪れています。

授 業の方は、希望通りの授業が取れ、満足しています(広告2教科、統計、ESL)。まだまだ先生の言葉を一字一句理解するには至りませんが、教科書で予習を してから授業に出るので、全体的な内容は理解できます。OHPを使う先生も多いので今のところはそんなに問題もないです。ただ、宿題とテストの多さには当 初やはり驚きました。特に統計の授業では、Marardというプログラム(←パソコンがここまで普及しているというのがアメリカらしいところなのですが) を使ってオンラインで提出する宿題が毎週あり、平日は課題に追われる毎日です。また、広告の授業では、アメリカの広告事情について教授が具体例をだしなが ら説明をしてくれるものの、広告主が何を作っている会社なのかという予備知識がないので苦戦することが今だにあります。テレビを見るのも勉強のうちとして 少しずつ慣れていきたいと思っています。 広告という、文化に関係する分野を勉強しているからかもしれませんが、こちらに来て「1つの国に長く住むことの 意味」を考えさせられるようになりました。日本にいる時は、日本に住むことについて、別に何の価値も見い出さなかったのですが、離れてみて日本に20数年 暮らしてきた履歴というのが、1つの貴重な財産であることに気づきました。毎日何気なく暮らしているようでも、メディアを通して社会の様子を知り、それを 1つの知識として蓄積し、周りの人と同じ文化を共有するということはすごいことです。例えば、こちらだとジョークを理解するのにも、背景の知識がないので 分からず、笑えないということがよくあります。アメリカに長く暮らしているわけではないので、これは仕方のないことなのですが、同じ文化(狭い意味での文 化ではなく、娯楽なども含めた広い意味での文化)を共有していたら、コミュニケーションがどんなにスムーズで深い内容のものになるかと思うことがよくあり ます。 ただ、折角こちらで勉強する機会を与えていただいたわけですから、文化の違いを楽しめるようになっていきたいと思います。ここでの生活は、本当に 「国際的」な点が魅力的です。留学生も世界各国から集まっていて、アメリカにいながらさまざまな文化に触れられる点がすばらしいと思います。アメリカ人で も、キューバからの移民の人など、多様な人間が揃っていて、今まで聞く機会のなかった話が多く勉強になります。逆に私の方も日本人の代表のような扱いを受 けることが多いので責任が重いですが、自分ができる範囲で日本について語るようにしています。

今、唯一抱えている問題は寮(SnyderHall)についてです。undergraduateの寮なので、周りにアメリカ人がいるという点では恵まれているのですが、私の
場合、ルームメートが日本人になってしまい、あまり生活の変化が実感できない点が残念です。今、部屋の変更願いを出しているところですが、寮が満室状態なので、今学期中は移動できなさそうです。来学期に期待したいと思います。

最近は時間が過ぎるのが、とても早く感じられます。Thanksgiving(今週の水曜日からの授業がお休みです)が過ぎると、今セメスターはほぼファ イナルを残すのみになります。留学生活もこのままだとあっという間に過ぎてしまいそうですが、時間を大切にして、吸収できるものは全て吸収する位の勢い で、欲張りに行動していきたいと思います。

1999年11月13日JIC総会を開催

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御茶ノ水駅から東京医科歯科大へ向かいながら,右手はるかな聖橋に目をやると,色づいた枝々がアーチ型の橋梁に掛かり,外堀の深緑の水面はきらきらと輝いていた.「花のこと今は忘れて紅葉かな」を,ふと思い起す.四時はめぐり,今年も秋実り,冬蔵すの季節に入ろうとしている.そして,今日この爽やかな小春日和の11月13日の昼下がり,私は恒例の総会が開かれる,東京医科歯科大のグリルセインツに急いだ.

会場には既に,イリノイ大学に学んだ人々,又は有縁の方々70余名が集い,イリノイで過ごされた日々を懐かしみ歓談されていた.大山会長から開会のご挨拶があり,来日されているConlin学部長からは日本館の1周年記念茶会で600人もの来館があり,感動されたことなど話された.同行された郡司先生からは日本からの篤志家を募り,工芸美術品などを提供してもらい,日本館でオークションを開いて,運営資金の一助としたいなど,今後の日本館運営計画などを話された(先生の御挨拶をここでご覧いただけます).その後,JIC留学生として昨年イリノイ大学で学んだラビットの帰国報告があり,この夏に留学する新ラビットの自己紹介が続いた.恒例のビンゴゲームでは,景品のイリノイ・グッズの中でも,オレンジ色のイリノイカラーばっちりのベービー服には歓声が上がった.

閉会の挨拶で粟飯原名誉会長はJIC設立にまつわる苦労話に触れられ,この会の存続の大切さを思った.参加者全員がイリノイ大学の2000年のカレンダーと長野パラリンピック優勝者松江美季さん(イリノイ大学留学中)のポスターを頂いて,私は今キャンパスは燃えるような紅葉の季節を迎えているかなと想いつつ,そして微力ながら何か恩返しをしたいものだと念じながら会場を後にした.

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田村篤司君の2000年1月分レポート

留学報告書3 (00.01)
東京大学法学部3年
専攻 経済学
田村 篤司

あけましておめでとうございます。そしてついに新しい千年紀ですね。千年紀を単位に話しをすることなど僕にはできませんが、来る年一年一年がよりよい年であってほしいと思います。

今回はあらためて自己紹介をするようにということなので、それから始めさせていただきます。生まれは佐賀で、まもなく長崎県佐世保市へ、それから福岡県久 留米附設中・高を卒業してと、九州北部で育ちました。友達からよく「おまえは九州男児やね」(性格のこと)と言われます。
東大では法学専攻ですが、マクロ経済にも興味があります。また一方で教育・犯罪といった問題についてもよく話しをします。中央銀行を含め、官庁への就職を考えています。
趣味はサッカーをすること、ジャズをひたすら聞くこと、メールを書くこと、買物をすることです。

秋学期の最後の数週間は、勉強と試験とに集中しました。結果はまずまずといったところです。
冬休みは日本に帰らず、クリスマス前後の1週間ほどを留学生のためのあるプログラムに参加しメリーランドのある一家で過ごさせていただいた後、同じように 留学している高校時代のクラスメートと会い、アメリカ東部をあちこちと旅行しました。贅沢なことだと思いますが、やはりいろいろといい勉強にもなったし、 楽しい思い出にもなりました。今回はそのことについて書きたいと思います。

メリーランドに滞在していた時の一番の見所はワシントンDC でしたが、意外な発見だったのがアナポリスでした。十ヶ月間だけ合衆国の首都だったこの港町は、アメリカの古い町並みをそのままに残していて、とても小さ な街だけれどやさしく美しい街でした。ちょうどクリスマスシーズンだったこともあり、かわいくて小さなお店でのショッピングが楽しかった。きっとボストン もこういう都市なのだろうと想像しています。
アトランタでは、アメリカの光と陰がくっきりと意識されました。危険な匂いのするダウンタウンは、 イリノイにはなかなかない黒人独特の文化が感じられ、一歩離れると荒廃した寂しいストリートになります。その一方、郊外のミッドタウン以北には白人の中上 流階級が安全でクリーンな街を形成していて、豪華で大規模なショッピングモールが賑わいをみせています。企業のオフィス群もダウンタウンからそうした郊外 へ移っているように思えました。 またアトランタではたまたま、ノルマン・ロックウェル展がやってきていて、さっそく見に行きました。アメリカ人に広く愛 された彼は自分にとって最も大好きな画家でもあり、あまり絵画を解しない自分にとっても十分以上に楽しむことができました。
世界一のテーマパーク大国オーランドでは、童心に戻って疲れるまで遊び(しかも半袖でOK)、アメリカ人の創造力(想像力)の豊かさ、そして「人を楽しませる、笑わせることの上手さ」にあらためて感心させられました。
ニューヨークでは、ミュージカルが一番の楽しみでした。ミュージカルを見るのは初めてで、Catsを見たのですが、思っていたよりずっと面白くて、「あわ てて」次の夜もまた見に行くことにしました。それが旅行最後の夜だったのですが、なんと第一列目のまさに真中の席というチッケットにあたり、Miss Saigon の迫力のある舞台を十分に楽しめました。そのほか、エンパイアステートから見る夜のNYの美しさには圧倒されました。ここでは日本料理も毎日食べにゆき、 お腹も満足したというところです。

というわけで、この冬休みは十分楽しむことができました。なお、塚本さんとはボルティモアとNYとで二回、全く偶然に出会い、驚きました。
ただ一方で、日本の友達からは就職活動を始めたという話(昨年内に就職の内定が出たという話も)や、国家公務員試験や司法試験の話などが届いていて、自分 だけモラトリアムを一年延ばしていることの贅沢さを感じています。新しい学期が始まりますが、今学期はもっとしっかり勉強しようと思っています。

塚本美由紀さんの2000年1月分レポート

99年度奨学生の塚本美由紀です。日本では、慶応義塾大学法学部政治学科を99年3月に卒業し、今は学生5年目の生活を送っています。留学では授業のみな らず、生活全般が新しい体験なので、毎日が新鮮です。今だに英語の面で苦労することは多いものの、エスニシティーの問題が日常的にとりあげられるなど、ア メリカならではの話題は多く、友人から刺激を受けることも多くあります。

こちらでは広告を中心としたコミュニケーションに関する分野を 勉強しています。奨学金のプログラムがLAS学部限定なので、希望通りの授業をとれるかが心配の種だったのですが、今のところは、教授との交渉で問題なく 授業を受けています。将来的には、広告か広報の分野で働きたいと思っています。外務省では、日本の国家イメージを対外的に組み立てるというプロジェクトが あるそうですが、私もそのような仕事に加われたらと願っています。

前学期は、ESLを1つ含めて講義形式の授業を4つ取りました。 ディスカッションはなかったので、教授や学生の考え方に啓発されるということはありませんでしたが、広告について基本的な理論や実践的な例を学べたので、 意義があったと思います。毎日の生活では、やはり教科書を読むということに一番時間を割いていました。そのおかげで、文字に抵抗感がなくなったというのは 1つの大きな成果です。

文字といえば、最近目につくのが、東洋ブーム(?)なのか、漢字入りの洋服です。GAPでは「体育部」という文 字の入ったTシャツを売っていたという話を聞きましたし、私自身も「軍」と書いてあるズボンをはいた人を見かけました。使う文字をもっと選んで欲しいとい うのが率直な感想なのですが、こうしたところからアジアに対する関心が深まれば、それはそれでいいのかもしれません。

昨日までの冬休み の間は、メリーランドのアメリカ人知人宅に1ヵ月近く、お世話になりました。ワシントンDCのダウンタウンからメトロという地下鉄で40分ほどの距離の家 だったので、ほぼ毎日スミソニアンの博物館に出かけては、展示物を見たり、絵画を見たりと贅沢な時間を過ごしていました。クリスマスをアメリカ人の家庭で 迎えることが出来たというのは大きな収穫だったと思います。家族同士で、プレゼントを交換し、お互いのことを気づかうというのは素敵な習慣だと思いまし た。

アメリカに1年間いられることで、経験することは本当に多いです。今学期は、少し慣れたところなので、ディスカッションの授業も取り、頑張っていきたいと思っています。

1月18日 塚本美由紀